←前へ 次へ→ 『三種教相事』
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常を聞きしに由ってなり。若し昔聞かずんば小尚具せず。況んや復大をや。若し全く未だ曽て大乗の常を聞かず、既に小果無し。誰か禁戒の具不具を論ぜんや」と。又 七十四 云はく「羯磨不成と言ふは、所謂久遠に必ず大無き者は則ち小乗をして法を秉ることを成ぜざらしむ。本無きを以ての故に諸行成ぜず。樹に根無ければ華果を成ぜざるが如し。時機未だ熟せず。権に小の名を立つ。汝等が所行は是菩薩の道なり。始めて記を得て方に大人と名づくるに非ず。故に知んぬ、心宝渚に趣くこと無くんば化城の路一歩も成ぜず。豈能く城に入って安穏の想ひを生ぜんや。常住を信ぜずんば声聞の禁戒皆具足せずといふ。斯の言徴有り。此は都て未だ大心を発せざる者は、則ち本無きことを成ずと斥ふ。復本無しと雖も受者の心に拠り、仏の本懐の已に大化を施すに拠りて有無の意須く審らかに之を思ふべし」文。又 七十五 云はく「四念の初業小に違せず、久遠の初業大に違せず」と。籤の十 五張 に云はく「迹門には大通を以て元始と為し、本門には本因を以て元始と為し、今日は初成を以て元始と為す。大通已後本成已来、是くの如き中間に節々の施化、皆漸頓を以て物の機情に適ふ。若しは大若しは小、皆物の機を取らんが為にして而も法を与ふること差別あり」文。玄の十 四 に云はく「是くの如き等の意皆法身地にして寂にして常に照す。始めて道樹にして大に逗し小に逗するに非ず。仏智機を照らすこと其の来たるや久し」と。籤の十 八紙 に云はく「法身地等と言ふは、本地の真因初住より已来、遠く今日乃至未来の大小の衆機を鑑みたまふ。故に本菩薩の道を行ぜし時、成ぜし所の寿命今猶未だ尽きずと云ふ。豈今日迹中に草座木樹にして方めて今日の大小の機を鑑みたまはんや」文。又 九紙 云はく「一代始成四十余年にして、豈能く彼の世界塵数の菩薩、万億の諸大声聞をして、便ち大道を悟らしめ、現に無生を獲せしめんや。色声の益略して称紀し難し。故に知んぬ、今日の逗会は昔成熟の機に赴く。況んや若しは種若しは脱、言の尽くすべきに非ざるをや」文。玄の一 四紙 に云はく「夫理は偏円を絶すれども円珠に寄せて而して理を談ず。極は遠近に非ざれども宝所に託して而して極を論ず。極会し円冥して事理倶に寂なり」文。
平成新編御書 ―63n―