←前へ 次へ→ 『十二因縁御書』
(★54n)
中間の八支、非縁起・非縁生は無為の法なり。十二時とは、無明は過去の諸結の時なり。行は是過去の諸行の時なり。識は是相続心及び眷属の時なり。名色とは已に受生相続、未だ四種の色根を生ぜず、六入未だ具せざる時なり。胎内の五位とは、一には歌羅邏、二には阿浮曇、三には閉尸、四には健南、五には波羅奢伽。
図形
此くの如く胎外に生じて人と成る、是を衆生とするなり。決の六に云はく「頭の円かなるは天に象る、足の方なるは地に象る、身内の空種なるは即ち是虚空なり。腹の温かきは春夏に法り、背の剛きは秋冬に法る。四体は四時に法る。大節の十二は十二月に法り、小節の三百六十は三百六十日に法る。鼻の息の出入するは山沢渓谷の中の風に法り、口の息の出入は虚空の中の風に法り、眼は日月に法り開閉するは昼夜に法り、髪は星辰に法り、眉は北斗に法り、脈は江河に法り、骨は玉石に法り、肉は土地に法り、毛は叢林に法り、五臓は天に在っては五星に法り、地に在っては五岳に法る。身の肉は土、骨の汁は水、血は火、皮は風、筋は木。人の六根は、眼は物の色を見、耳は物の声をきく、鼻は物の香をかぐ、舌は一切の物の味をしる。身は一切の寒・熱・麁・細にふれて苦痛するなり。此の五根の功能は現に目に見えしる間やすし。第六の意と云ふ物は、一切衆生我等が身中に持ちながら都て之を知らざるなり。我が心さへ知らず見ず、況んや人の上をや。当座の人々知ろし食されんや。仏も心をば不思議と仰せられたり。況んや其の已下をや。知らざる故は、此の心は長・短・方・円の形を離れたり、青・黄・赤・白・黒の色にも非ず、言語道断心行所滅の法なり。行住坐臥、語黙作々、因縁表白の喩ふべきに非ず。絵に書き作り出だすべき物にも非ず、是を習学する物にも非ず、仏より記別せられたることもなし、神の託宣に承る事もなし、親・師匠の手より譲られたる事もなし。天よりふり、地より涌きたるものにも非ず。極大不思議の物なり。
かゝるくせものなるを天台・妙楽二聖人の御釈、玄文に云はく「心は幻焔の如し、但名字のみ有り、
平成新編御書 ―54n―