(★38n)前
一切衆生願ひて所詮なし。然れば云ふ所の仏も有為無常の阿弥陀仏なり。何ぞ常住不滅の道理にしかんや。されば本朝の根本大師の御釈に云はく「有為の報仏は夢中の権果、無作の三身は覚前の実仏」と釈して、阿弥陀仏等の有為無常の仏をば大いにいましめ、捨てをかれ候なり。既に憑む所の阿弥陀仏有名無実にして、名のみ有りて其の体なからんには、往生すべき道理をば委しく須弥山の如く高く立て、大海の如くに深く云ふとも、何の所詮有るべきや。又経論に正しき明文ども有りと云はゞ、明文ありとも未顕真実の文なり。浄土の三部経に限らず、華厳経等より初めて何れの経教論釈にか成仏の明文無からんや。然れども権教の明文なる時は、汝等が所執の拙きにてこそあれ、経論に無き僻事なり。何れも法門の道理を宣べ厳り、依経を立てたりとも夢中の権果にて無用の義に成るべきなり。返す返す。
以上『諸宗問答抄』おわり