←前へ  次へ→    『色心二法抄』
(★23n)
 血の余りは髪となる。総じて一期の果報、四大・五陰・十二入・十八界具足して成就せり。乃至此の身に天地一切の諸法を備へて、万事にかたどれり。故に弘決の六に云はく「頭の円なるは天なり。足の方なるは地なり。身の中の空なる種は則ち是虚空なり。腹の中の熱きは春夏なり。背の剛きは秋冬なり。四体は四季なり。大骨の十二は十二月、小骨の三百六十は一年の三百六十日なり。鼻の気の出入は山谷の風なり。口の気の出入は虚空の中の風なり。目の二つは日月なり。目を開くは昼なり。目を閉づるは夜なり。髪は空の星なり。眉は北斗なり。血脈は江河なり。骨は石瓦なり。肉は地なり。毛は大地の上に生ひたる草木なり。五臓は天に在っては五星と云はれ、地に在っては五岳と云はれ、陰陽に在っては五行と云はれ、世に在っては五常と云はれ、内に在っては五神と云はる」と。爰に知んぬ、既に一年・十二月・三百六十日、東西南北中央の五方、天地陰陽を以て此の身を造作せりと云ふことを。
 但し生と云ひけるは来たる日月を云ひ、死と云ひけるは過ぎ行く日月を以てす。然りと雖も天も改まらず、地も改まらず。東西南北中央の五方、日月五星も替はること無し。然るに天地冥合して有情非情の五色とあらはるゝ処を生と云ひ、五色の色還って本有無相の理に帰する処を死とは云ふなり。都て一代聖教顕密の旨殊なりといへども、生死の二法、色心の二法是大事にてあるなり。此の生死、六道・四生・二十五有に廻りて輪廻今に絶えず。然るに仏は此の生死を離るゝを以て仏と云ふ。此の生死に遷り迷ふを以て凡夫と云ふなり。此の生死を能く能く意得べきなり。止観の五に云はく「無明の癡惑わくは本是法性なり。癡迷を以ての故に法性変じて無明と作り、諸の顛倒善不善等を起こす。寒さ来たりて水を結び、変じて堅氷と作るが如く、又眠り来たりて心を変じ、種々の夢有るが如し。今当に諸の顛倒は即ち是法性にして、一ならず異ならずと体すべし。顛倒起滅すと雖も旋火輪の如し。顛倒の起滅を信ぜず、唯、此の心但是法性なりと信ぜよ。起は是法性の起、滅は是法性の滅なり。其れを体するに、
 
平成新編御書 ―23n―