←前へ 次へ→ 『色心二法抄』
(★22n)
五仏の正体なる故に、既に地獄も五仏の正体なり。故に妙楽大師曰く「阿鼻の依正は全く極聖の自身に処し、毘盧の身土は凡下の一念を逾えず」云云。是を以て思ふに、地獄は遠くもなかりけるなり。衆生の五智・五仏の正体を地獄とは名づくるなり。故に釈に曰く「迷へば則ち三道の流転、悟れば則ち果中の勝用なり」と。地獄の一道を以て余道をも意得べし。仏は九界に遍す、九界は全く仏界の色心なり。此の理をしらずして無始より迷ひける事よ。但し此の身は何よりか生ぜる。東西南北中央の五方、天地・陰陽・日月・五星より生ぜり。彼の天地・陰陽・日月・五星は又何よりか生ぜる。彼の法は万法能生の体にして、過去にも生ぜず、未来にも生ぜず、故に三世常住なり。東西南北中央の五方、日月五星は始まりたる体にあらざれば、又我が身も不生の身なり、法界も不生の体なり。我が母も天地・陰陽・日月・五星・法界の体なるが故に、我も亦法界の体なり。故に生ぜる母もなく、又生ぜられたる我もなし。何を以ての故に、我が母も始めて法界の体をば生ずべからず、倶に法界の体なるが故に。竜樹菩薩云はく「諸法は自よりも生ぜず、亦他よりも生ぜず。又共しても生ぜず、無因にしても生ぜず」と。唯法界不生の体にして不可思議不可得なり。但し生といひ死と云ふ諸法は天地陰陽に過ぐべからず。天の陽気、地の陰気、且く相合する時を生と云ふ、天地の二気本有に還る処を死と云ふ。故に止観八に云はく「天地の二気交合して各五行有り」と。故に知んぬ、天地の二の気と云ふは我が父母なり。父は天なり、母は地なり。此の天地の父母和合して五色を生ぜり。其の五色とは則ち五方・五星・五仏・五戒・日月衆星の体なり。夫が頭身手足等の六分の形を顕はす。骨は是を以てさゝへ、髄は是を以て長じ、筋は是を以てぬひ、脈は是を以て通じ、血は是を以て湿し、肉は是を以て裹み、皮は是を以て覆ふ。然るに我が身をさゝへたる骨は北方釈迦如来なり。我が身をぬへる筋は東方阿如来なり。我が身を湿せる血は南方宝性如来なり。我が身を裹める肉は中央大日如来なり。我が身を覆へる皮は西方阿弥陀如来なり。然るに骨のあまりは歯となり、肉の余りは舌となり、筋の余りは爪となり、
平成新編御書 ―22n―