←前へ 次へ→ 『色心二法抄』
(★20n)後
0003 色心二法抄(寛元二年九月一七日 二三歳)
先づ止観・真言に付いて此の旨を能く能く意得べきなり。先づ此の旨を意得ば、大慈悲心・菩提心を意得べし。其の故如何となれば、世間の事を案ずるも、猶心をしづめざれば意得難し。何に況んや、仏教の道、生死の二法を覚らんことは、道心を発こさずんば協ふべからず。道心とは、無始より不思議の妙法蓮華経の色心、五輪・五仏の身を持ちながら迷ひける事の悲しきなり。如何にしても此の旨を能く能く尋ぬべきなり。三世の諸仏も世に出でましましては、先づ如何にしても此の理を説き知らせばやと思し食す。又大日如来も是を一大事と思し食して、五輪・五仏の旨を説き、即身成仏の理を顕はし給ふ。されば釈迦如来も大日如来も強ちに歎き思し食しける事は、中々一切衆生の迷ひの凡夫、妙法蓮華経の色心をも離れ、五戒・五智・五仏の正体をも隔てずば、あながちに仏も歎き思し食すまじきを、妙法蓮華経の色心を持ちながら、五戒・五智・五仏の正体に無始より迷ひける事を
平成新編御書 ―20n―