←前へ  次へ→    『戒法門』
(★19n)
 妄語せず。信は不飲酒戒、心狂乱せず、即ち信あるなり。酒は人の心を乱す故なり。
  私に云はく、此の五戒は仏いまだ出世し給はざる時は、外道等も之を持ちて、天上に生ずと教ふるなり。但し持犯計りを沙汰して、其の上に仏法を聞かんことをば知らざるなり。仏世に出で給ひて此の五戒を持ちて人身をうけて、其の上に仏法を聞きて悟りを開くと説き給ふなり。然れば此の五戒に様々の功徳を備へて、戒として摂せずと云ふことなしと説き給ふ。此の五戒を根本として大乗の諸戒も具足するなり。故に此の五戒をば具足根本業清浄戒と名づくるなり。此の五戒若し破れつれば一切の諸戒皆破る。五戒は破るといへども、大乗戒は持ちたりと云ふ事は之無し。根本戒と名づくるは此の故なり。三乗の賢聖も、大小倶に此の戒を持つ故なり。仏も此の戒を持ち給ひて、人中には出で給ふなり。若し此の戒なくば、浄飯王宮に生まれて菩薩と云はれて、六年苦行して仏となり、大丈夫の身と云はれ給ふ事有るまじ。一切衆生も五戒に依らずと云ふことなし。魚に五つのひれあり、是即ち五戒の体なり。馬に四支有りて又一頭あり、是五戒のなり。之に準じて一切衆生を知んぬべし。三悪道の衆生も知んぬ、五戒の体なりと云ふことを。戒は破るれども戒体は失せずと云ふことをば、是を以て意得べき事なり。破戒と失戒とのかはりめをば、此等にて思ひ合はすべし云云。倩事の情を案ずるに、山川・谿谷・大海・江河・土地・草木一切何物か五戒の体に非ずと云ふことなし。委しくは提謂経を見るべし。地獄の衆生も五戒を持つ、餓鬼の衆生も五戒を持つ乃至云云。地獄等の衆生の持つ所の不殺生戒も、仏・菩薩の持つ所の不殺生戒も、但不殺生戒は同じことなり。但し所持の法はかはりめなけれども、能持の人には差別あり。故に沈浮も有るなり。然れども戒体に於ては只何れも一なり。爰を以て一業とは云ふなり。是体の謂れをば、法華経ならではえいはぬ事なり。法華経の開会の法門と申すは、此の五戒を開会するなり。経文委しく見るべし云云。
  鶏が子をはごくみ、烏が子をかなしむまでも皆五戒の謂れなり。五戒と云ふは仏因なり。然ればかゝる畜生
 
平成新編御書 ―19n―