←前へ 次へ→ 『戒体即身成仏義』
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定共戒と云ふなり。声聞・縁覚の見思断の無漏の智と共に発得する戒をば道共戒と名づく。天台の釈に云はく「今戒と言ふは律儀戒・定共戒・道共戒有り。此の名源三蔵より出でたり。律は是遮止、儀は是形儀なり、能く形上の諸悪を止む、故に称して戒と為す。定は是静摂なり、入定の時自然に調善にして諸悪を防止するなり。道は是能通なり、真を発して已後自づから毀犯なし。初果地を耕すに虫四寸を離る、道共の力なり」文。又表業無けれども無表色を発得する事之有り。光法師云はく「是くの如きの十種の別解脱律儀は、必ず定んで表業に依って発するに非ず」云云。此の文は表業無けれども無表色を発する事ありと見えたり。
第二に権大乗経の戒体とは、諸経に多しと云へども、梵網経・瓔珞経を以て本と為す。梵網経は華厳経の結経、瓔珞経は方等部浄土の三部経等の結経なり。されば法華已前の戒体をば此の二経を以て知るべし。梵網経の題目に云はく「梵網経盧舎那仏説菩薩心地戒品」文。此の題目を以て人天二乗を嫌ひ、仏因仏果の戒体を説かずと知るべきなり。されば天台の御釈に云はく「所被の人は唯大士の為にして二乗の為にせず」と。又云はく「既に別に部の外に菩薩戒経と称す」文。又云はく「三教の中に於ては即ち是頓教なり、仏性常住一乗の妙旨を明かす」文。三教と申すは頓教は華厳教、漸教は阿含・方等・般若、円教は法華・涅槃なり。一乗と申すは未開会の一乗なり。法華の意を以て嫌はん時は、宣説菩薩歴劫修行と下すべきなり。又梵網経に云はく「一切発心の菩薩も亦誦すべし十信之に当たる十発趣十住十長養十行十金剛十向」と。又云はく「十地仏性常住妙果」已上。四十一位又は五十二位。此の経と華厳経には四十一位又五十二位の論之有り。此の経を権大乗と云ふ事は、十重禁戒・四十八軽戒を七衆同じく受くる故に小乗経には非ず。又疑ふべき処は華厳梵網の二経には別円二教を説く。別教の方は法華に異なるべし、円教の方は同じかるべし。されば華厳経には「初発心の時便ち正覚を成ず」と。梵網経には「衆生仏戒を受くれば即ち諸仏の位に入る。位大覚に同じうし已はらば、真に是諸仏の子なり」文。答へて云はく、法華已前の円の
平成新編御書 ―4n―