←前へ  次へ→    『戒体即身成仏義』
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 戒体を受けて、其の上に生身得忍を発得するなり。或は法華已前の円の戒体は別教の摂属なり。法華の戒体は受不受を云はず。開会すれば戒体を発得する事復是くの如し。此の経の十重禁戒とは、第一不殺生戒・第二不偸盗戒・第三不邪婬戒・第四不妄語戒・第五不●酒戒・第六不説四衆過罪戒・第七不自讃毀他戒・第八不慳貪戒・第九不瞋恚戒・第十不謗三宝戒なり。又瓔珞経の戒は、題目に菩薩瓔珞本業経と云へり。此の経も梵網経の如く菩薩戒なり。此の経に五十二位を説く。経に云はく「若しは退き若しは進むとは十住以前の一切の凡夫、若しは一劫二劫乃至十劫、十信を修行して十住に入ることを得」云云。又云はく「十住・十行・十廻向・十地・等覚・妙覚」云云。此の経は一々の位に多劫を歴て仏果を成ず。菩薩は十信の位にして仏果の為に十無尽戒を持つ、二乗と成らん為に非ず。故に住前十信の位にして退すれば悪道に堕つ。又人天に生じて生を尽くせども戒体は失はず、無量劫を歴て仏果に至るまで、壊れずして金剛の如くにて有るなり。此の経に云はく「凡聖の戒は尽く心を体となす。是の故に心亦尽くれば戒も亦尽く。菩薩戒は受法のみ有りて而も捨法無く、犯有れども失せず、未来際を尽くす」と。又云はく「心無尽なる故に戒も亦無尽なり」文。又云はく「仏子無尽戒を受け已はれば、其の受くる者四魔を過度し三界の苦を越え、生より生に至るまで此の戒を失はず、常に行人に随ひ乃至成仏す」文。天台大師云はく「三蔵は寿を尽くし、菩薩は菩提に至る。爾の時に即ち廃す」文。此の文は小乗戒は凡夫・聖人・二乗の戒共に尽形寿の戒、菩薩戒は凡夫より仏果に至るまで、その中間に無量無辺劫を歴れども、戒体は失せずと云ふ文なり。されば此の戒は持って犯すれども、猶二乗・外道に勝れたり。故に経に云はく「有ちて犯する者は、無くして犯さゞるに勝れたり、有つは犯するも菩薩と名づけ、無きは犯さゞるも外道と名づく」文。此の文の意は、外道は菩薩戒を持たざれば戒を犯さゞれども菩薩とは名づけず、菩薩は戒を破犯すれども仏果の種子は破失せざるなり。此の梵網・瓔珞の二経は心を戒体と為す様なれども、実には色処を戒体と為すなり。小乗には身口を本体と為し、
 
平成新編御書 ―5n―