←前へ 次へ→ 『真言天台勝劣事』
(★449n)
故に大日法身の説法と云ふは定んで法華の他受用身に当たるなり。次に大日無始無終と云ふ事、既に「我昔道場に坐して四魔を降伏す」とも宣べ、又「四魔を降伏し六趣を解脱し一切智智の明を満足す」等云云。此等の文は大日は始めて四魔を降伏して、始めて仏に成るとこそ見えたれ。全く無始の仏とは見えず。又仏に成って何程を経ると説かざる事は権経の故なり。実経にこそ五百塵点等をも説きたれ。次に法界宮とは色究竟天か。又何れの処ぞや。色究竟天或は他化自在天は、法華天台宗には別教の仏の説処と云ひて、いみじからぬ事に申すなり。又菩薩の為に説くとも高名もなし。例せば華厳経は一向菩薩の為なれども、尚法華の方便とこそ云はるれ。只仏出世の本意は仏に成り難き二乗の仏に成るを一大事とし給へり。されば大論には二乗の仏に成るを密教と云ひ、二乗作仏を説かざるを顕教と云へり。此の趣ならば真言の三部経は二乗作仏の旨無きが故に還って顕教と云ひ、法華は二乗作仏を旨とする故に密教と云ふべきなり。随って諸仏秘密の蔵と説けば子細無し。世間の人密教勝ると云ふはいかやうに意得たるや。但し「若し顕教に於て修行する者久しく三大無数劫を経る」等と云へるは、既に三大無数劫と云ふ故に、是三蔵四阿含経を指して顕教と云ひて、権大乗までは云はず。況んや法華実大乗までは都て云はざるなり。
次に釈迦は大日の化身、字を教へられてこそ仏には成りたれと云ふ事、此は偏に六波羅蜜経の説なり。彼の経一部十巻は是釈迦の説なり。大日の説には非ず。是未顕真実の権教なり。随って成道の相も三蔵教の教主の相なり。六年苦行の後の儀式なるをや。彼の経説の五味を天台は盗み取って己が宗に立つると云ふ無実を云ひ付けらるゝは弘法大師の大なる僻事なり。所以に天台は涅槃経に依って立て給へり。全く六波羅蜜経には依らず。況んや天台死去の後百九十年あて貞元四年に渡れる経なり。何として天台は見給ふべき。不実の過弘法大師にあり。凡そ彼の経説は皆未顕真実なり。之を以て法華経を下さん事甚だ荒量なり。
平成新編御書 ―449n―