←前へ  次へ→    『題目弥陀名号勝劣事』
(★327n)後
 
 0047 題目弥陀名号勝劣事   (文永元年  四三歳)
  南無妙法蓮華経と申す事は唱へがたく、南無阿弥陀仏、南無薬師如来なんど申す事は唱へやすく、又文字の数の程も大旨は同じけれども、功徳の勝劣は遥かに替はりて候なり。天竺の習ひ、仏出世の前には二天三仙の名号を唱へて天を願ひけるに、仏世に出でさせ給ひては仏の御名を唱ふ。然るに仏の名号を二天三仙の名号に対すれば、天の名は瓦礫のごとし、仏の名号は金銀・如意宝珠等のごとし。又諸仏の名号は題目の妙法蓮華経に対すれば、瓦礫と如意宝珠の如くに侍るなり。
  然るを仏教の中の大小権実をも弁へざる人師なんどが、仏教を知りがほにして、仏の名号を外道等に対して如意宝珠に譬へたる経文を見、又法華経の題目を如意宝珠に譬へたる経文と喩への同じきをもて、念仏と法華経とは同じ事と思へるなり。同じ事と思ふ故に、又世間に貴しと思ふ人の只弥陀の名号計りを唱ふるに随って、皆人一期の間、一日に六万遍・十万遍なんど申せども、法華経の題目をば一期に一遍も唱へず。或は世間に智者と思はれたる人々、外には智者気にて内には仏教を弁へざるが故に、念仏と法華経とは只一なり。南無阿弥陀仏と唱ふれば、法華経を一部よむにて侍るなんど申しあへり。是は一代の諸経の中に一句一字もなき事なり。設ひ大師先徳の釈の中より出でたりとも、且は観心の釈か、且はあて事かなんど心得べし。
 
平成新編御書 ―327n―