←前へ  次へ→    『法華真言勝劣事』
(★312n)前
 華厳の澄観・真言の一行等皆性悪の義を存す。何ぞ諸宗に此の義無しと云ふや。答へて云はく、華厳の澄観・真言の一行は天台所立の義を盗んで自宗の義と成すか。此の事余処に勘へたるが如し。問うて云はく、天台大師の玄義の三に云はく「法華は衆経を総括す。乃至舌口中に爛る。人情を以て彼の大虚を局ること莫れ」等云云。釈籤の三に云はく「法華宗極の旨を了せずして、声聞に記する事相のみ華厳・般若の融通無礙なるに如かずと謂ふ。諌暁すれども止まず。舌の爛れんこと何ぞ疑はん。乃至已今当の妙茲に於て固く迷へり。舌爛れて止まざるは猶為れ華報なり。謗法の罪苦長劫に流る」等云云。若し天台・妙楽の釈実ならば、南三北七並びに華厳・法相・三論・東寺の弘法等舌爛れんこと何の疑ひ有らんや。乃至苦流長劫の者なるか。是は且く之を置く。慈覚・智証等の親り此の宗義を承けたる者法華経は大日経より劣るの義存すべし。若し其の義ならば此の人々の「舌爛口中苦流長劫」は如何。答へて云はく、此の義は最上の難の義なり。口伝に在り云云。
  文永元年甲子七月二十九日之を記す           日蓮花押
 
平成新編御書 ―312n―