←前へ  次へ→    『顕謗法抄』
(★291n)
 若し智慧有って信心有ること無き、是の人は則ち能く邪見を増長す。善男子、不信の人は瞋恚の心あるが故に説いて仏法僧宝有ること無しと言はん。信ずる者にして慧無くば顛倒して義を解するが故に、法を聞く者をして仏法僧を謗ぜしむ」等云云。此の二人の中には信じて而も解せざる者を謗法と説く如何。答へて云はく、此の信而不解の者は涅槃経の三十六に恒河の七種の衆生の第二の者を説くなり。此の第二の者は涅槃経の一切衆生悉有仏性の説を聞いて之を信ずと雖も而も又不信の者なり。問うて云はく、如何ぞ信ずと雖も而も不信なるや。答へて云はく、一切衆生悉有仏性の説を聞いて之を信ずと雖も、又心を爾前の経に寄する一類の衆生をば無仏性の者と云ふなり。此而不信の者なり。問うて云はく、証文如何。答へて云はく、恒河第二の衆生を説いて云はく、経に云はく「是くの如き大涅槃経を聞くことを得て信心を生ず。是を名づけて出と為す」と。又云はく「仏性は是衆生に有りと信ずと雖も必ずしも一切皆悉く之有らず。是の故に名づけて信不具足と為す」文。
  此の文の如くんば、口には涅槃を信ずと雖も心に爾前の義を存ずる者なり。又此の第二の人を説いて云はく「信ずる者にして慧無くば顛倒して義を解するが故に」等云云。顛倒解義とは、実経の文を得て権経の義と覚る者なり。問うて云はく、信而不解得道の文如何。答へて云はく、涅槃経の三十二に云はく「此の菩提の因は復無量なりと雖も、若し信心を説けば已に摂尽す」文。九に云はく「此の経を聞き已って悉く皆菩提の因縁と作る。法声光明毛孔に入る者は必ず定んで当に阿耨多羅三藐三菩提を得べし」等云云。法華経に云はく「信を以て入ることを得」等云云。問うて云はく、解而不信の者は如何。答ふ、恒河の第一の者なり。問うて云はく、証文如何。答へて云はく、涅槃経の三十六に第一を説いて云はく「人有りて是の大涅槃経の如来常住無有変易常楽我浄を聞くとも、終に畢竟して涅槃の一切衆生悉有仏性に入らざるは一闡提の人なり。方等経を謗じ五逆罪を作り四重禁を犯すとも、必ず当に菩提の道を成ずることを得べし。須陀・の人・斯陀含の人・阿那含の人・阿羅漢の人・
 
平成新編御書 ―291n―