←前へ 次へ→ 『唱法華題目抄』
(★229n)
此の四の道理を相対して六十巻をかんがうれば狐疑の氷解けたり。一々の証文は且つは秘し、且つは繁き故に之を載せず。又法華経の本門にしては爾前の円と迹門の円とを嫌ふ事不審なき者なり。爾前の円をば別教に摂して、約教の時は「前三を麁と為し、後一を妙と為す」と云ふなり。此の時は爾前の円は無量義経の歴劫修業の内に入りぬ。又伝教大師の註釈の中に、爾前の八教を挙げて四十余年未顕真実の内に入れ、或は前三教をば迂回と立て、爾前の円をば直道と云ひ、無量義経をば大直道と云ふ。委細に見るべし。
問うて云はく、法華経を信ぜん人は本尊並びに行儀並びに常の諸行は何にてか候べき。答へて云はく、第一に本尊は法華経八巻・一巻・一品、或は題目を書きて本尊と定むべしと、法師品並びに神力品に見えたり。又たへたらん人は釈迦如来・多宝仏を書きても造りても法華経の左右に之を立て奉るべし。又たへたらんは十方の諸仏・普賢菩薩等をもつくりかきたてまつるべし。行儀は本尊の御前にて必ず坐立行なるべし。道場を出でては行住坐臥をゑらぶべからず。常の諸行は題目を南無妙法蓮華経と唱ふべし。たへたらん人は一偈一句をも読み奉るべし。助縁には南無釈迦牟尼仏・多宝仏・十方諸仏・一切の諸菩薩・二乗・天人・竜神・八部等心に随ふべし。愚者多き世となれば一念三千の観を先とせず、其の志あらん人は必ず習学して之を観ずべし。
問うて云はく、只題目計りを唱ふる功徳如何。答へて云はく、釈迦如来、法華経を説かんとおぼしめして世に出でましまししかども、四十余年の程は法華経の御名を秘しおぼしめして、御年三十の比より七十余に至るまで法華経の方便をまうけ、七十二にして始めて題目を呼び出ださせ給へば、諸経の題目に是を比ぶべからず。其の上、法華経の肝心たる方便・寿量の一念三千・久遠実成の法門は妙法の二字におさまれり。天台大師玄義十巻を造り給ふ。第一の巻には略して妙法蓮華経の五字の意を宣べ給ふ、第二の巻より七の巻に至るまでは又広く妙の一字を宣べ、八の巻より九の巻に至るまでは法蓮華の三字を釈し、第十の巻には経の一字を宣べ給へり。
平成新編御書 ―229n―