小学生の頃、給食のパンを机の中に入れたまま、カビを生やしてしまった奴がクラスの中に居なかっただろうか。  あるいは、引き出しの中でトカゲや昆虫を飼っていた奴は居なかっただろうか。  私も、小学生の頃は机の引き出しに物を詰め込んでいるような人間だった。しかし、それはパンやトカゲなどではない。昆虫に近いが、似て非なる生き物である。  答えを言うならば、それはムカデである。それも一匹や二匹ではなく、小瓶一杯にうじゃうじゃとする程の量であった。  流石に私も、ムカデを飼っていることがバレてはいけないというのは分かっている。なので誰にも話さず密かに飼っていたのだが、小学校四年生の時、それはあっけないほど簡単にバレることになった。  掃除の時間、とある女子が私の机を教室の片隅に移動させている時である。男子の投げたボールがその女子の足に勢い良く当たり、豪快に倒れてしまった。無論、女子が引いていた机と共にである。  机が床にぶつかると同時に、鈍く大きな音が教室中に響いた。そして、一瞬遅れて教科書が床にばらまかれる音。その音に紛れて、凛とした甲高い音が私の耳朶に触れた。  廊下を掃いていた私が、その音を訝しく思い教室の中に目をやると、散らばった小瓶の破片が、光を浴びて青く輝いていた。引き出しの奥底に沈めていた時は気付かなかったが、なかなか良いガラスを使った瓶のようである。呑気にそんなことを思ってしまうほど、幻想的と言って差し支えない光をそれは放っていた。  しかし、あれはムカデを入れていた小瓶なのである。瓶が割れれば中身が出る。当たり前だが青く光る破片の周りでは、黒光りする甲冑を見に纏ったムカデが我が物顔で闊歩していた。  呆気に取られていると絹を裂くような悲鳴が聞こえた。見ると机を倒してしまった少女が顔面蒼白で泣き叫んでいる。  その声を引き金として、教室のあちこちから雷雨のような悲鳴が耳を襲った。鼓膜が破れてしまうかと思う程の大合唱である。  しばらくすると教師達が駆けてきて、周りの奴らに話を聞いていった。机には私の名前が書かれているのだから、誰が犯人かは一目瞭然である。  いっそのこと私も共に泣き叫ぼうかと思ったが、生憎涙が出ない。くしゃくしゃにしているのに涙が出ていない顔は、さぞかし滑稽だっただろうと思う。しかし、教師はそれを見ても笑わず、ふざけているのかと一喝して私を校長室へと連れていってしまった。  色々とあったが、一週間も経てば落ち着いてくる。何時の間にやら、皆がいつも通りの生活へと戻っていった。  しかし、私の周りに人が寄り付くことは、無くなってしまった。    ●  それは、秋風が吹き始めた頃の話である。  誰とも言葉を交わさない中学時代を経て、私は高校生となっていた。だがやはり、高校でも私は人と話していなかった。入学してからの半年間、学校で口を開いたのは授業中の解答だけであろう。小学校、中学校の頃を合わせると、のべ六年間はまともに話をしていないわけである。  親に持たされた携帯電話にも両親、祖父母の六人しか登録されていない。宝の持ち腐れとはこういうことを言うのかと感慨深く思ったものだ。いまさら悲しいとも思わない。  そんな携帯電話に、一件のメールが届いた。携帯会社からのメールかと思って開いてみると、それは見たことのないアドレスからのメールだった。件名の欄には『From鬼・To人』というわけの分からない文字が記されている。  奇妙に思い、内容を確認してみると、メールにしてはひどく丁寧な調子で、こう綴られていた。 『初めまして。あなたはこのメールを見て随分と不思議がっているでしょうね。架空請求などではないので安心してください。ただ自分は、あなたと友達になりたいだけなのです。もしよろしければ、返信お願いします』  いかにも胡散臭い。詐欺の類ではなくとも、ロクでもないことになるのは間違いないように思えた。  しかし、興味が無いといえば嘘になるだろう。先程も述べたが、私の電話帳に記されているのは肉親だけである。そして私は、ネットで会員登録などをしたことは無い。つまり、メールアドレスを知っているのは肉親だけのはずである。  では、このメールの主は誰であろうか。何処で私のアドレスを知ったのだろうか。何故メールを寄越したのだろうか。疑問は尽きない。  しばらくどうすべきか悩んだが、結局メールを返すことにした。別に害にはならぬだろう。最悪、携帯を解約するなりすれば大抵の問題は片付く。 『君は誰だ。何処で私のアドレスを知った。何故メールを送った』  小さい「つ」を出すのにえらく時間がかかってしまった。よくよく考えてみると、私がメールを打つのはこれが初めてである。簡潔な文章になったのは致し方のないことだろう。  五分も経たぬうちに携帯が震えだした。共に面白みのない機械音が響く。 『名前を言うことは出来ませんが、××高校の一年です。すみません、アドレスを知った経緯については言うことが出来ません。メールを送った理由は先程も述べたとおり、友達になりたいからです』  ××高校と言えば隣町の高校である。中学時代の同級生も数多く進学しているらしい。どういう高校なのかはあまり知らないが、そこそこ高い進学率を誇る進学校だった気がする。しかし、それさえも不確かだ。 『友達というのは所謂メル友という奴だろうか?』 『そうですね。そう考えてもらって構いません。暇なときにメールを送り、暇なときにそのメールを返す。早く返そうなど考えずに、各々のペースで語り合いましょう』  なるほど。それは中々面白そうな提案である。常々、私は文通のようなものをしたいと思っていた。これも良い機会だろう。  了承の意思を手早く伝えると、その日はそのままお開きとなった。    ●  それからは毎日のようにメールを交し合った。部活に入っているわけでもない私は、家に帰るとまず初めにメールを打つようになっていた。  彼――ひどく丁寧な口調だったので女かと思っていたのだが、どうやら男だったようだ。紛らわしい――も特に用事が入っていない時以外は、積極的に返事をしてくれる。  私達は、実に多くのことを語り合ってきた。それは哲学的なことでもあったし、生活的なことでもあった。単純な趣味嗜好かと思えば、社会批判となりもした。ムカデ事件以降のことを抜きにしても、それ程友達の居なかった私である。小気味いい言葉のキャッチボールを経験するのは、初めてのことであった。  一週間が過ぎ、二週間が過ぎ、私と彼は親友と呼んでも差支えの無いほどの仲となった。互いの名前や顔を知らずとも、人と人はここまで心が通じ合うのかと感激したものだ。  衣替えの時期が過ぎ、自転車での通学が辛くなってきた頃。彼から一通のメールが届いた。いつものメールとは何処か違った内容である。 『あなたの学校では、今度文化祭がありますよね? そこで一つ、何か出し物をしてください。出来れば人目を引き、なおかつ笑いを取れるものがいいです』  このようなメールは初めてだった。私達の間には「両者の生活に口を出さない」という不文律があったはずである。故に、私達は思想と信念のみを交わしていたのだ。 『突然どうした。君がそんなことを言うはずがない。なにか事情があるのか』  勝手な考えだと思うかも知れないが、私にはどうしても彼がそんなことを言うとは思えなかった。文字で意思を疎通しただけであるが、彼との友情は確かなものであるはずだ。  そう考え、何度も理由を訊いたが、一向に答えは返ってこなかった。『お願いですから頼みを聞いてください』と機械のように反復するだけである。  渋々私も折れ、文化祭のクラス劇では、準主役であるピエロの役を演じきってみせると約束した。ピエロの役をしたがる人間はそうそういないだろうから、きっと無事に役をとれるはずである。  それを聞いて安心したのか、彼はいつものように本日の議題を提供してきた。 『何故、人間は尻尾を失ってしまったんでしょうね』  その後我々は、愚にもつかない議論を繰り広げることになる。無駄ではあるが、一等心地良い時間である。      ●  案の定、私は易々とピエロの役を獲得することに成功していた。  他にピエロの役をやりたがっているお調子者の男子がいたが、私が先に手を挙げると、驚いた顔をして慌てて手を下ろしてしまったのである。無理もない。いつもなら教室の隅でぼんやりとしている私である。まともな役に手を挙げる事自体が驚愕すべき事態であるのに、よりによってピエロである。似合わないことこの上ない。  私がピエロをやるという話は、あっという間に学年中に知れ渡った。思ったより私は有名人であったらしい。裏では沈黙の男などというふざけた名前で呼ばれている、という話を耳にした。わざわざ友人でも無い人間に、あだ名をつけるとは随分と暇な奴らである。  大した練習も積まぬ間に、文化祭本番となった。  準主役と言っても、所詮はピエロである。登場する場面など殆ど無いというのに、私のピエロは好評を博した。練習をサボっていた故の適当感が、ピエロらしかったのかも知れない。  文化祭が終わり数日が経っても、私の評判は衰えを知らなかった。逆に栄えているよう感じる。私といえばピエロ、ピエロといえば私という程であった。終いには私のことを名前で呼ばず「ピエロ」と呼ぶ輩さえ出てきたのである。  今までは空気のように扱われてきた私だが、こうなるともはや空気に戻ることは出来ない。休み時間を迎えるたびに、半笑いのクラスメイトが私に話しかけてくるのだ。その笑みもどうやら馬鹿にした笑みではなく、純粋に面白がっているだけのようである。彼等からすると、この喋り方がすでに可笑しいらしい。過去のムカデ事件も、このピエロ事件のおかげで『よくある笑い話』となってしまった。昔のクラスメイトとも会話するようになり、友人と呼ぶことが出来るようなのも幾人か出来た。  このようにして、私は学校内で「変人キャラ」としての地位を確立していった。不本意ではあるが、まんざら悪い気分でもない。    ●  しかし、文化祭の頃を境にして、彼からのメールは途絶えていた。  初めのうちは風邪か何かかと思い、別段気にもしなかったが、それが一週間を超えると、流石に心配になってくる。『大丈夫か?』『何かあったのか?』とメールを入れてみるが、どれも等しく黙殺されていった。学校に行く前と帰ってきてから、必ずメールを送るようにしたが、やはり返答は無いままだった。  殺されたメールが五十を超えた頃、やっと、彼からのメールが帰ってきた。嬉々として開いてみると、件名のところには見覚えがあるような文字が綴られていた。  『From人・To鬼』という文字である。何処でこれを見たのだったかと思い、記憶を探る。すると、底の方から一つ、思い当たることを見つけた。最初、彼から届いたメールの件名である。しかし、あれとは少しだけ違うようだ。あれには『From鬼・To人』と書かれていた。これとはまるであべこべである。  とりあえず、件名のことは考えないようにして、本文に目を通す。とは言っても内容はとても短いものだった。 『次はあなたが鬼。頑張って』  わけが分からない。鬼とは一体なんなのであろうか。頑張れとは一体何をだ。 『君は何を言っているのだ。鬼とはなんなのだ。きちんと、筋道を立てて話してくれ』  私は、彼はきっと返事をせぬだろうと思っていた。初めてメールが送られてきた時も、何も言わなかった奴である。のらりくらりと質問を躱し、うやむやにしてしまうだろう。  しかし、返事にはしっかりと答えが書かれていた。 『鬼ごっこというものは知っていますね? あの、相手に触れることで、リレーのように鬼役を渡していくゲームです。  あなたに言っている鬼とは、つまり、鬼ごっこの鬼役のことです。自分からあなたに鬼役が渡されたわけですね。  しかし、普通の鬼ごっこと、自分が言っている鬼ごっこは少し違います。何時、何処で始まったのかは分かりませんが、鬼ごっこの現代版と言ったところでしょうか。まず、直接触れるわけではなく、メールや手紙を用いて会話によって触れることになります。そして、触れるだけではなく、相手を更生させることで鬼役の譲渡が完了します。  更生させる、とは自分がやったように友達を作らせるだけでも良いですし、何かしらの才能を発見しても良いです。社会的にまともに生きることが出来れば良い、というわけですね。  それでは、説明はこれぐらいで。頑張って次の人を鬼へと変えて見せて下さい』  いまいち分かりづらい返答だったが、大方の意味は理解できた。しかし、分からぬことがある。 『それで、私は誰を鬼へと変えれば良いのだ。そういえば、初めて君がメールを寄越した時、どうやって私のアドレスを知ったのだ』 『人事を尽くして天命を待つ、というわけではありませんが、まあしばらく待っていて下さい。そのうち、分かります』  それは一体どういうことなのか。謎かけの類か何かだろうか。  とりあえずその諺の意味を辞書で引いてみる。『人間として出来るかぎりのことをして、その上は天命に任せて心を労しない』とあった。まるで意味が分からない。  携帯を掌の上で弄びながら、その意味を反復していると、突如、稲光の如き閃きが頭の中を貫いた。  頭の中に訳の分からぬ文字、記号、絵が浮かんでは消えていく。その怒涛のような知識の流れに呻き、頭を抑えこんだ。息が荒れ、くらくらと眩暈がする。視界が途轍もない速度で回り始めた。地面がぐにゃりと歪み、荒波の上に立っているかのような錯覚をおこす。  その知識の奔流にあてられている時、私の頭の中では、昔、祖父から聞いた言葉が反響していた。曰く、はるか昔【神】という文字を書いて【オニ】と読むことがあった、と。  ならば鬼役とは神役であり、鬼ごっことは、神になりきるということではないのだろうか。だとすれば現在の状態は、神がかっている、と言うべきものなのだろうか。  そのような事を考えているうちに、頭痛は収まり、体の調子も元に戻っていった。しかし、脳の中心に何かが居座っているかのような、奇妙な感覚だけは残ったままである。  ふうっと一息つくと、私の手は勝手に携帯を開き、新しいメールを作り出していた。頭の中には、知らぬはずのメールアドレスが浮かび、その主である人物の姿や経歴までもが映し出されていた。彼もこのようにして私にメールを送って来たのか、そうだとすれば合点が行く。  送信のボタンを押し、完成したメールを送り出した。初めて私のところに届いたメールとさほど違わぬ内容である。もちろん件名は『From鬼・To人』となっていた。