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中山文科相発言の欺瞞 - とほほブログ

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中山文科相発言の欺瞞

2005年06月18日 | この国のゆくえ
> 当時そういう言葉がなかったから教科書に使ってはならないというのであれば、歴史教科書はいっぱい書き換えねばならないと思います。以前このMLでも、当時そういう言葉がなかったから、従軍慰安婦など存在しなかったというような意見もありましたが、いやしくもキャリア官僚上がりの文科相がそういう浅薄な発言するとは、驚きました。

中山文科相の認識の俗悪性はもっと奥深いものがあるように思います。釈明したテレビインタビューの中でも愚にもつかない発言を行っています。
正確ではありませんが記憶をたどって書いてみますと

『いえ、朝鮮や中国の多くの方々が大変な苦労された事は知っているのです。決してその認識が無かったわけではありません。ただ私が言いたかったのは【それは日本人も同じだ、そう言う慰安婦のほとんどは日本人なのだ】と言いたかっただけなのです。』

さて、この認識が正しいのか否かにはもちろん議論の余地があります。日本軍内で「ピー屋」と言う言葉がかなり広範に流通していた事は各種資料でも見受けられることです。確かに日本人の従軍慰安婦として悲惨な体験をされた方も多い、しかしそうした日本人従軍慰安婦の方々の回想の中に必ずと言って良いほど出てくるのが朝鮮や大陸の慰安婦の方々に対する同情です。自らの悲惨な状況の中でも他者に対する思いやりを失わない彼女たちを心から尊敬したいと思いますが、ただ中山文科相はこれを、弁明になる、と思って発言していることが非常に問題なのです。

石原慎太郎の三国人発言の弁明などもそうですが中山のこうした弁明のどこが弁明になっているのか私には少しもわからないのです。
【それは日本人も同じだそう言う慰安婦のほとんどは日本人なのだ】
百歩譲ってこの認識が正しいとしても「だからなんだ?」と言うだけのことです。

つまり、加害意識が全く欠如しているのです。
戦争で悲惨な体験をしたのは貴方たちだけではない、日本人も同じだ。を言いたいのです。つまり都合の良い時は体制側の論理を振りかざし、その場その場で都合が悪くなると民衆の側の論理で逃避する。

では、中山文科相はそうした悲惨な体験をした日本人慰安婦の為に何かをしなくてはならない、と言う認識がその中に少しでもあるのでしょうか?靖国の英霊にカッコだけのお参りをしてそれが慰安婦の方々への謝罪になるとでも思っているのでしょうか?

そもそも、政権は「日本の民衆が大変なご苦労をした」ことに対して責任を感じ、日本の民衆に対し謝罪する意思はあるのでしょうか?
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