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国立二小「土下座」問題の真実は何か−−実際に何があったのか
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エトセトラ  ピエール E-MAILWEB  - ^05/3/28 -

引用なし
   (問答有用:2000/09/17)

皆さん、こんにちは。
まず、「何があったのか」という一番最初の疑問から始めよう。

『産経新聞』は今回の「国立二小“土下座”問題」を、この「マスメディア」にとってよほどの大問題であるかのような「熱心さ」をもって取り上げている。「三国人」よりも、「神の国」よりも、「国体」よりも、「無党派層は寝ていろ」よりも、圧倒的な紙面のスペースを使った執拗な報道を続けている。『産経』のHPには、「国立二小問題」という独立した項目まであり、しかもこの「問題」に関するすべての記事が無料で閲覧できるという「サービス精神」の旺盛さを見せている。まるで、この「問題」が我が国の土台をひっくり返す大問題であるかのように。

『産経』は「国立二小問題」を次のように規定している。

「平成12年3月24日、東京都国立市立第二小学校の卒業式で、国旗が屋上に初めて掲げられたことをめぐり、式終了後、児童約30人が教師、保護者の一部とともに校長に詰め寄り、国旗を降ろさせた。さらに、興奮した児童が校長に『謝れ』『土下座しろ』と迫った。校長は土下座はしなかったが、『君たちにつらい思いをさせて悪かった』と謝った」

これは『産経』HP上の記事の規定である。記事は続けて、「同校は国旗・国歌に反対する教職員組合に所属する教員の勢力が強く……」とか、「国立市のすべての公立小中学校で国旗掲揚と国歌斉唱が一度も適正に実施されたことがない」とか、「住民運動が次第にイデオロギー的色彩を帯び、それが教育現場に入り込んできている」とか書いているのだが、これらはいずれも「背景説明」(その内容の当否はひとまず置く)であり、「何があったのか」という論点とは直接関係がない。問題とすべきは、上に挙げた事実関係の「規定」だけである。

ところが、この「規定」もしくは「事実関係の記述」が「おかしい」あるいは「事実と違う」という指摘が出始めてきたのだ。その指摘は、児童が校長に「土下座を迫った」という部分に集中する。つまり、「土下座を迫った」という「事実」は存在しない、という指摘だ。この指摘が正しいのなら、この「問題」に関する『産経』のニュース記事、社説、連載企画のほとんど(『産経』の月刊誌『正論』の諸論文を含めて)が「成立しない」ことになる。なぜなら、『産経』は4月5日朝刊の初報以来、「関連記事すべてに『土下座要求』の見出しを付けてきた」(山口正紀『週間金曜日』9月8日57p「処分煽った『産経』怪文書」)からだ。『産経』の報道が「成立しない」ということは、とりもなおさず、『産経』報道を無批判の大前提として国立「問題」を論じ、「国立では『偏向教育』がまかり通っている」などの“批判”を口にし、国会などの公の場で表明し、メディアに発表した諸々の者たちの「言説」も、これもまた「成立しない」という、大変な事態になるのだ。「虚報」に基づく「虚言」が言論として成立しないのは、当たり前のことであろう。ましてや、「(実際に)土下座させた」と断定する西尾幹二「新しい歴史教科書をつくる会」会長のオッチョコチョイ(あるいは意図的な「既成事実」の捏造?)は、言語道断である。

とにかく「発端」となった『産経』の4月5日付朝刊・多摩版トップ記事を見てみよう。見出しは「児童30人、国旗降ろさせる」「校長に土下座要求」。このときすでに「土下座要求」という「事実」をニュースの核に据えている。『産経』が、「土下座要求」を読者に最も伝えたい、印象付けたい、と考えていたことがよくわかる。新聞記事の見出しとは、新聞の誕生以来ずっとそういう性格のものだし、取材記者も整理のレイアウト担当者もそれを一番に意識して「記事の顔」である見出しを考えるというのが常識だ。

記事の前文(リード)は次のように書いている。
【記事引用】
国立市立第二小学校(澤幡勇治校長)で3月24日に行われた卒業式の直後、屋上に掲揚していた国旗について、5、6年生の児童約30人が「旗を降ろせ」「基本的人権に反する」などと校長に詰め寄り、日の丸を降ろさせていたことが4日、関係者の話で明らかになった。児童が土下座を求め、校長が陳謝する場面もあったという。
【引用終わり】

記事の前文は、その記事で最も報じたいことを凝縮して読ませる、いわば記事の「背骨」である。この場合、その「背骨」とは、「児童約30人」「校長に詰め寄り」「日の丸を降ろさせ」「児童が土下座を求め」「校長が陳謝」というエッセンスである。そして、「旗を降ろせ」という命令口調や「基本的人権に反する」という児童の言動要旨も補足的に添えられている。ここで重要なのは、すべて、「関係者の話」に依拠している「伝聞」であるという点だ。もちろん、取材記者がすべて出来事の現場に居合わせて自分の目で目撃し自分の耳で発言を確認するということは、予めセットされたイベントや記者会見を除けば、まず不可能である。むしろそれはレアケースであり、通常は「事後」に「関係者」あるいは「当事者」から直接取材によって事実関係を把握するのである。皆さんは、この記事の「関係者の話」という表現をよく覚えておいていただきたい。後に、ここが重要なポイントになってくるからだ。

記事は続ける。
【記事引用】
関係者によると、卒業式が終わった後の24日午後零時40分ごろ、校庭で6、7人の児童が、澤幡校長に「校長先生は昨日、夜12時まで先生たちと話し合った。先生みんなが(国旗掲揚に反対しているのに、なぜ揚げたのか)「二小は49年間、掲揚しなかった」「式は私たちのもの。旗を降ろせ」などと詰め寄ったという。その後、校長と児童は屋上に向かい、同1時過ぎ、教頭の手により国旗は降ろされた。児童は30人近くに増え、教員や保護者も現場に駆けつけた。ある教員が「子供に相談しないで国旗を掲げたのは民主主義に反する」と話すと、児童たちは次々と「基本的人権や憲法に反する」「多数決で決めるのが民主主義」などと校長を非難した。さらに、この教員が「子供たちは自分たちの作り上げてきた卒業式を勝手に変更したことに怒っている」と言うと、児童は興奮し、涙ながらに「謝れ」「土下座しろ」などと校長に謝罪を求めた。校長は「つらい思いをさせて悪かった」などと謝ったという。さらに、児童が「戦争で多くの人が死んでいる」「国旗国歌法は、一部の人が勝手に決めたもの」などと訴える場面もあった。式中にも卒業生が夢を語る場面で、「校長先生に望むのは、子供の意見を聞ける校長になってくださいということ」と話す児童もいた。多くの教員から大きな拍手が起こったという。
【引用終わり】

記事はさらに、一部の市民の声を紹介したり、国立市の公教育の「特殊性」を批判的な立場から説明したりしているが、「何があったのか」という事実確認にはまったく関係がないのでとりあえず無視させていただく。

私なりに補足をしながら検討してみよう。あくまでもこの記事から直接に導き出せる一般的な解釈である。

「事件」は「卒業式終了後」に発生した。この「事件発生」に至るまで、『産経』は様々な伏線的背景があったことを書きつづけているのだが、それは「事件」の原因の解明には参考になっても、実際に「3月24日の卒業式後に、具体的にどのような事件があったのか」という問題提起に対して、なんら直接的な解を提示するものではない。まず、6、7人の児童が「校庭で」校長に対して、国立二小の伝統を踏まえたうえで、「旗を降ろせ」と【命令口調で】「詰め寄った」という。新聞記事の場合、発話者が敬語・丁寧語を使っていても、発言の内容だけにニュース的意味を見出すので、実際に児童たちが命令口調だったかどうかは判明しない。しかし、これは結構重要な問題で、それによって児童たちが「高圧的」な態度で臨んだのではないかという印象を読者に与えてしまう可能性がある。あくまでも、発言の内容、どういうことを言ったのか、が問題にされるべきで、「小学生がこんな言い回しをするはずがない。教師のそそのかしがあったのだ」とか、「国立では『偏向教育』が長年行われてきたために、子供も子供らしからぬ物言いをするようになったのだ」という憶測断定は避けたい。

その後、校長と児童は「屋上に向かい」とあるが、校長と児童は話し合いの結果、納得して【一緒に】屋上に向ったのか。それも判然としない。「(旗は)教頭の手により降ろされた」とあるが、教頭は自主的に降ろしたのか、それとも児童の【圧力】に屈して渋々降ろしたのか、これまた判然としない。何時の間にか児童は「30人近くに増え」、教員や保護者も「現場」(つまり屋上)に「駆けつけた」。ある教員が「子供に相談しなかった」点を問題にしているが、これは校庭で児童が「式は私たちのもの」と発言している点に適応する。「基本的人権や憲法に反する」「多数決で決めるのが民主主義」という発言も、ホームルームでの議論などを通じて組織としての意思決定手続きを学んでいれば、当然の発想だろう。「最終的には多数決で決めるが、その場合でも少数の意見や立場は可能な限り尊重する」というのが民主主義の原則であり、実際、大半の小学生はそう学んでいる。

児童が「興奮して涙を流す」まえに、「この教員」が「子供たちは怒っている」と発言したとされていることが重要だ。児童の言葉は、教員によって「煽られた」というイメージ形成が可能だからだ。さらに、「興奮して涙ながらに」発言する児童が、この「30人」のうちの大勢であったかのような印象も与えることができる。そして、「謝れ」「土下座しろ」という発言もこの児童集団の大勢が発している、あるいは「総意」であるかのような印象も与えることができる。そして校長は「つらい思いをさせて悪かった」と自らの【非を認め】謝罪した。「謝罪」、すなわち「自分の罪を認めて、謙虚に詫びた」わけである。

以上だ。私なりの解釈ではあるが、まずは「問題」の発端となった『産経』の記事内容はご理解いただけたと思う。また、『産経』による「一問一答」が知りたい方は、『産経』のサイトをご覧下さい。http://www.sankei.co.jp/です。

次回は、現場を目撃していた「保護者」の言い分を見てみることにする。

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国立二小「土下座」問題の真実は何か ピエール 05/3/28 エトセトラ
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