*chapter01a|朝のある場所 *scene01|第十話【恐れていたゴボウイヤーの植物園作戦】 【女性】 「きゃああああ!!」[plc] 平和な街の中、青い空の下で絹を裂くような悲鳴が上がる。[plc] 通行人たちが逃げ惑う最中、その原因となった男は[ruby text="わら"]嗤っていた。[plc] 叫ぶ女性を何故か大道芸のようにグルグルと回しながら。[plc] 【男】 「グハハハ! 久しぶりのシャバは何とも心地良いな! さぁ、来い!! パンプシードたちよ!!」[plc] 【パンプシードたち】 「カボーン!」[plc] 男は嗤いながら号令するや、女性を乱暴に投げ飛ばすとすさまじい変貌を遂げた。[plc] 細長かった体躯は引き裂け、殻をやぶるように中から土気色の極細な異形が現れる。[plc] その邪悪な全貌、牙をむき出しにした顔に、逃げ惑う人々の恐怖はさらに加速した。[plc] 男の周りを囲いながら蠢く生気のない瞳をもつ小さな怪奇植生物たち。[plc] そしてそれの頂点に君臨するかのように振舞う邪悪な怪植人。[plc] 人々は叫んでいた。[plc] 【通行人B】 「ジャ、『ジャック・O・ランターン』!?」[plc] 【通行人C】 「う、うわぁぁぁ! い、嫌だ! 死にたくない!!」[plc] 一人の絶叫に共鳴して、人々はさらに逃げ惑う。[plc] それを見て、男だった生き物はさらに嗤う。[plc] 平静の世を脅かす悪の組織『ジャック・O・ランターン』の一員として。[plc] そのエリート部隊【ベジタリ】の一角・『ゴボウイヤー』として。[plc] 【ゴボウイヤー】 「グハハハ! 逃げろ逃げろ!! 逃げれば逃げるほど我らが母『ビッグ・パンプ』様は貴様らにパンプシードを植えつけろとオレに命じるのだ!」[plc] 言いながら、ゴボウイヤーは触手を伸ばした。[plc] 大地に根深く触手を突き刺し、ゴプン!! と大きな音をたてながら発光する。[plc] 【ゴボウイヤー】 「この島の風土はやはり素晴らしい! 栄養<エナジー>が漲るぞ!!」[plc] そしてゴボウイヤーはまた嗤う。[plc] パンプシードたちがその小さな体躯を操り、人々の口から体内へ侵入し、へそから芽を生やすのを楽しそうに見つめながら。[plc] 一瞬で地獄と化す、穏やかな昼下がり。[plc] 先ほどゴボウイヤーに投げ飛ばされた女性は地面に伏しながら、あまりの恐怖に涙していた。[plc] 涙は地面に落ちて微かな音をたてるが、誰もそれに気付いてはくれない。[plc] ただゴボウイヤーの下卑た嗤い声だけが辺りを支配していた。[plc] ―――かに思えた。[plc] 【???】 「泣かないでください、大丈夫ですから」[plc] 一人の少年が、女性に手を差し伸べた。[plc] 場の雰囲気にそぐわない優しげな声音に女性は濡れた顔をあげる。[plc] 少年の顔は逆光に遮られて見えないが、その口もとはたしかに優しく微笑んでいた。[plc] 女性を立たせると、少年はかばうように前に進んだ。[plc] それに気付いてゴボウイヤーは顔をこちらに向ける。[plc] 【ゴボウイヤー】 「なんだ、貴様?」[plc] 【少年】 「―――行ってください。ここは僕がなんとかします」[plc] 【女性】 「あ、あなたはいったい―――!?」[plc] ただならぬ少年の雰囲気に気付き、女性が尋ねる。[plc] 少年は再び微笑み、さらに一歩前に進むとばっと両手を十字に組んだ。[plc] 少年の体が、どこからともなく発光を始める。[plc] 【少年】 「[ruby text="ゆえ"]故あって、奴らと戦うものです」[plc] 【ゴボウイヤー】 「き、貴様―――まさか!? させるかぁぁぁ!!」[plc] ゴボウイヤーが何かに気付いて、少年へ飛びかかった。[plc] 【少年】 「……変身!!」[plc] 少年が叫んだ言葉通り、その体は変身する。[lr] 彼の意思と言霊にもとづいて、勇気の翼が今、彼の背から顕現する!![plc] 現れた白き両翼を手足のように翻した彼はそれでゴボウイヤーを弾き飛ばす!![plc] 怯むゴボウイヤー。[l]地面を滑って衝撃を殺し、少年と距離を取る。[plc] そして叫んでいた。[lr] ―――悪の組織『ジャック・O・ランターン』と戦うべく生み出された、少年の忌名を。[plc] 【ゴボウイヤー】 「[ruby text="き"]喜[ruby text="た"多]―――[ruby text="ほく"]北[ruby text="と"]斗ォォォォ!!」[plc] しかし少年は笑った。[lr] それこそ、ゴボウイヤーを蔑むように。[plc] 【少年】 「喜多北斗? 違うね、今の僕は『正義の味方』、その名も―――!!」[plc] 【???】 「いや、お前は北斗だ」[plc] 口上の途中で聞こえた声に、少年は三日三晩考えた決めポーズをほどいた。[plc] 天から語りかけてくるおぼろげな声は、さらに続いた。[plc] 【???】 「起き……北斗。……だぞ」[plc] 【???】 「起きて。ご飯の……も終わ……る」[plc] おぼろげな声に、別の声が混じる。[plc] 少年は何事だと驚き、しかし急速に眩む視界と意識を感じた。[plc] 声が遠くなり、近くなり、また遠くなる。[plc] 起きて、とはどういうことなのか。[plc] ここはどこで、いつで、自分は誰なのか。[plc] 少年の思考は歪む。[plc] 捩れ、曲がり、どうしても真っ直ぐになってくれない。[plc] そのはずなのに、あきらめにも似た何かが唐突に理解した[plc] ―――あ、そうか。これは。[plc] 【少年】 「……夢?」[plc] *scene02|天気の良い朝 【北斗】 「うぅ〜ん…………あれ?」[plc] 自分の声で目を覚ました僕は、開いた目の前に映った男女の姿にぎょっとした。[plc] 思わず、声に出して二人を呼んでいた。[plc] 【北斗】 「[ruby text="の"]乃[ruby text="と"]兎さん? [ruby text="さ"]西[ruby text="い"]院[ruby text="か"]歌さん?」[plc] 【乃兎】 「おはよう、北斗。相変わらずの寝相だな」[plc] 【西院歌】 「……おはよう」[plc] こちらを覗き込むようにしながら、乃兎さんは手に持つコーヒーをすする。[plc] その隣で妹の西院歌さんはじっと静かにこちらを見すえていた。[plc] 【北斗】 「え、えっと……おはよう、ございます」[plc] 【西院歌】 「急ぐ」[plc] 【北斗】 「え?」[plc] 西院歌さんの言葉に首を傾げた。[lr] 兄の乃兎さんが短い言葉を補足する。[plc] 【乃兎】 「そろそろ時間、危ないんじゃないか?」[plc] 【北斗】 「え゛?」[plc] 我が耳を疑った。[lr] 乃兎さんがあごでしゃくった先の時計を見る。[plc] 【北斗】 「…………」[plc] 【乃兎】 「硬直してないで、早く着替えろ。飯の用意もできてる」[plc] 【西院歌】 「遅刻厳禁だから」[plc] 言い捨てて、二人は僕の部屋から消えた。[plc] 取り残される僕ことあわれな少年・[ruby text="き"]喜[ruby text="た"]多 [ruby text="ほく"]北[ruby text="と"]斗。[plc] 目の前の事態が信じられず、石になった体は動きそうにもない。[plc] 落ち着け、状況を整理しよう。[plc] 僕の名前は喜多 北斗。[plc] 世界を牛耳る超大手企業・喜多財閥の一人息子。[lr] 屋敷は大きく、執事たちに慕われ、両親にも将来を期待されているなんかビッグな家柄の子。[plc] ―――嘘だ。[l]嘘です。[l]ごめんなさい。[plc] 誰にでもなく謝って、僕は大嘘を頭から放り投げた。[plc] 朝っぱらからこんなくだらない嘘がつけるなら、まだ僕は大丈夫だ。[plc] 正常なことを確認したら、再び時計へと意識を移す。[plc] まず、この時計の針が差す時間は非常によろしくない。[plc] ご飯を食べて、準備をして……と指折り数えると、折り合いが厳しくなる。[plc] つまり、これは………もしかして、寝坊?[plc] …………。[plc] 【北斗】 「うわぁぁぁぁぁ!?」[plc] 絶叫した。[lr] ついでに寝巻きも脱いだ。[plc] 【北斗】 「なんでこんなことに――!?」[plc] 言いながらベッドから飛び降り、掛けてある学生服を手元に置いた。[plc] 冬も近くなっていたが、そんな朝の寒さなど気にしている余裕は無い。[plc] すぐに学校の支度と着替えを済ませなければ―――!![plc] 焦って、Yシャツを着ようとしたところでふと気が付いた。[plc] 自分の背中から、『翼』が生えっぱなしだということに。[plc] 【北斗】 「あれ? 出しっぱなしで寝ちゃったかな?」[plc] それとも寝ぼけて『変身』してしまったのだろうか。[plc] まぁ、どちらでも良かった。 僕はすぐに『翼』を戻して、背中を軽くする。[plc] 【北斗】 「よっ……と」[plc] Yシャツの上に黒の学生服を着込んで、準備完了。[plc] 【北斗】 「それじゃー、軽く亜音速でも超えてみせるか!!」[plc] 言って、朝一番のトップスピードで階段を駆け下りた。[lr] いや、亜音速は嘘だけど。[plc] ;暗転。場面切り替え。玄関。 【北斗】 「あれ? 乃兎さん、もう出るんですか?」[plc] 二階から降りた先の玄関では、すでに仕事の支度をすませた乃兎さんがいた。[plc] 振り返ることもなく、乃兎さんは玄関の扉を開けた。[plc] 【乃兎】 「ああ。今日は遅くなる。夕飯とか鍵は[ruby text="・"]あ[ruby text="・"]い[ruby text="・"]つにまかせろ」[plc] 【北斗】 「はい、分かりました」[plc] あいつの部分でいつも固い口調がさらに固くなった感じがしたが、目をつぶった。[plc] 相変わらず、あの人に関することが苦手らしい。[plc] 思わず苦笑した。[plc] 【乃兎】 「……なんだ?」[plc] 声だけですごまれた。[l]どうも照れ臭いらしい。[plc] ここは、誤魔化して逃げることにする。[plc] 【北斗】 「いえ、いい天気だなーと思いまして」[plc] 【乃兎】 「ふん。俺は傘を持たなきゃならん。面倒だ」[plc] 忌々しげに鼻を鳴らす乃兎さんの手には、愛用している黒の傘があった。[plc] 【北斗】 「はぁ、面倒ですか。やっぱり」[plc] 適当に相槌を返す。[plc] 乃兎さんはひとつうなずいて外へ一歩進むと、日差しを遮るために傘を開いた。[plc] 【乃兎】 「日差しなど、五百余年ほど俺たち地底の民は浴びていなかったものでな」[plc] 地底の民。[l]地底人。[plc] 名は体を表すとおりの種族、地に住処を見出した[ruby text="コ"]多[ruby text="モ"]存[ruby text="ン"]種。[plc] 彼らは鼻が利き、耳が良く、地学に長けていた。[plc] その代わりとでもいうように光に嫌われ、目と肌が極端に虚弱した。[plc] 【北斗】 「それはもう昔の話でしょう? 乃兎さんたちは関係ないじゃないですか」[plc] 僕の保護者代わりをしてくれる乃兎さんと、その妹・西院歌さんは地底人だ。[plc] 視力は良くない上に、肌は極端に白い。[plc] だが地底を出、陽の下で生活できる程度には環境も種全体の抵抗力も上昇している。[plc] それは乃兎さんたちに限らず、今を生きている多くの地底人たちが証明してくれるはずだ。[plc] 【乃兎】 「たしかに関係ないな。俺は地の底で暮らしていたわけでもないから」[plc] 【北斗】 「そうですよ。教科書に載るほど昔の話されても―――」[plc] 困ります。とつづけることはできなかった。[plc] 乃兎さんが話の途中でドアを閉めたからだ。[plc] 【乃兎】 「まぁ、お前には分からんだろうな」[plc] 最後に一言。余計なことを言われた気がした。[plc] 【北斗】 「…………」[plc] 閉まってしまった扉を見つめる。[plc] いつもより乃兎さんのそっけなさと冷たさが際立っているように思えた。[plc] 血がほとんど通っていない白の目にも、何か含みがあったような気がする。[plc] それに少しの不満と妙な違和感を覚えつつ、つい呟いてしまった。[plc] 【北斗】 「別に、分からないこともないですよ、[ruby text="・"]僕は」[plc] 捨て台詞でしかなかったけれど気にせず、僕はリビングへ向かった。[plc] *scene03|トラムネとおにぎり 鮭の塩っ辛さが白飯に幸せを混ぜ込んでくれる。[plc] こういうとき日本人で良かったと思うのは、僕だけじゃないはずだ。[plc] 【西院歌】 「…………嬉しそうだね」[plc] 机をはさんだ向こうで、同じように鮭おにぎりを食べている西院歌さんがこっちを見ていた。[plc] 【北斗】 「だって美味しいし」[plc] 【西院歌】 「でも、そんなに幸せそうにする?」[plc] 言いつつ、自分もおにぎりを一口つまんだ西院歌さん。[plc] 【北斗】 「幸せなのはいいことでしょ」[plc] 【西院歌】 「おにぎりひとつで?」[plc] 【北斗】 「ささやかでいいじゃない。当たり前の幸せ。当たり前の朝」[plc] 言いながらおにぎりを食べ終わり、用意されたお茶をすすった。[plc] これもまた、当たり前の幸せ。[plc] しかし、そんな僕の持論を西院歌さんは良く思っていないらしい。[plc] 恨めしそうにこちらを地底人特有の白い目で睨んできた。[plc] 【西院歌】 「当たり前の朝……誰かさんが寝坊したのに」[plc] 【北斗】 「う……。いや、まぁ、そこらへんはねぇ……」[plc] 言葉を濁す。眼鏡越しの視線が痛い。[plc] そっちの方向で攻めてくるか。[plc] 思う間にも、西院歌さんは僕を攻め立てる。というか責め立てる。[plc] 【西院歌】 「おにぎりひとつで幸せのあなた。私は寝坊されて不幸せ」[plc] ……粘着サドめ。[plc] しかし今回に限り、僕が全面的に悪いので、我慢した。[plc] 【北斗】 「…………反省してるよ。なんで寝坊したかはともかく」[plc] 【西院歌】 「昨日の夜」[plc] 【北斗】 「え?」[plc] 端的な答えらしきものを言ってきた西院歌さんに、僕は思わず反応した。[plc] というか、いつもこの人は端的過ぎる。[plc] 【西院歌】 「また遅くまで、観ていたでしょう?」[plc] ……………。[plc] どうやら、彼女が今日に限ってこんなにも目くじらを立てている理由はそれらしかった。[plc] 【北斗】 「あ……あーあー、そういえば……そうだった、かな?」[plc] 後ろに「?」を付けながら、僕はもう気付いていた。[plc] そうだ。昨日たしか棚の片づけをしていて、途中で手に取ったアレを―――[plc] 【西院歌】 「ちゃんと寝ないと、駄目」[plc] 【北斗】 「だ、だって、面白いんだからしょうがないじゃない」[plc] 抵抗してみる。[plc] ここはちょっとゆずりたくなかった。[plc] しかし、西院歌さんは反論を聞かず、自分勝手に話を進めていた。[plc] 【西院歌】 「昨日観てたのは……【大旋風トラムネ】。違う?」[plc] 【北斗】 「あ、当たりです……」[plc] アレ。[l]【大旋風トラムネ】。[lr] 僕の好きな特撮番組の一つ。[plc] 【北斗】 「だって、無くしたと思ってたゴボウイヤーの回が……」[plc] 悪の組織【ジャック・O・ランターン】と戦う、半人半獣のヒーロー【トラムネ】。[plc] 愛刀【[ruby text="こ"]虎[ruby text="てつ"]鉄】を振るい猛るさまは、まさに疾風迅雷・電光石火。[plc] ゆえに【[ruby text="だい"]大[ruby text="せん"]旋[ruby text="ぷう"]風】。[plc] 【ジャック・O・ランターン】から畏怖と敵意を込められた二つ名。[plc] そう、正体不明の彼は今日も【大旋風】の忌み名と共に悪を駆る!![plc] ―――以上、【大旋風トラムネ大図鑑】冒頭より抜粋。[plc] 【西院歌】 「理由になってない。結局、片づけも途中だった」[plc] 【北斗】 「すいませんでした」[plc] 諸手をあげて、降参した僕。[plc] 敗者の弁は通らないのが世の決まりなのか。[plc] 西院歌さんは表情の機微が少ない顔を、ほんの少し不満げなままでつづける。[plc] 【西院歌】 「観るなとは言わない。ただ、もう少し考えて」[plc] 【北斗】 「……はい」[plc] こういう言い方をするときの彼女は、大抵すごく怒っているときだ。[plc] そんなに寝坊されたことが嫌だったのだろうか。[plc] 【北斗】 「でも、そこまで言うなら、先に行けば良かったじゃない」[plc] 【西院歌】 「それは駄目」[plc] 何故か即答された。[plc] 口を少しへの字に曲げた西院歌さんは、不満から不服へと表情を転じていた。[plc] 【西院歌】 「一緒に行かないと、外は危ないから」[plc] 【北斗】 「何度も言われるけど、良く分からないなぁ」[plc] 【西院歌】 「自覚を持って」[plc] 【北斗】 「[ruby text="そ"]社[ruby text="と"]会に出て五年の僕にどうやって?」[plc] 【西院歌】 「…………」[plc] こっちの素朴な疑問に今度は西院歌さんが黙り込む番だった。[plc] 心なしか、その顔は反論に窮しているようにも見える。[plc] うん、少しだけいい気味だ。[plc] 言外に自分を世間知らずだと認めている気もしたが、無視。[plc] …………むなしくなんかないやい。[plc] なんて、誰にでもなくかみついてみたり。[plc] すると、言葉に詰まっていた西院歌さんを見かねてか、廊下の方から声が聞こえた。[plc] 【謎の女性】 「まぁまぁ、二人とも。その辺にしておくことだ」[plc] 【北斗】 「[ruby text= "さと"]里さん!」[plc] 【西院歌】 「いらっしゃい」[plc] 【里】 「あぁ、仁志妹に北斗くん、おはよう。すまないが勝手にあがらせてもらったよ」[plc] 【北斗】 「はい。乃兎さんからお話は聞いてますので、大丈夫です」[plc] 【西院歌】 「今日は、お願いします」[plc] 【里】 「ハッハッハ! まぁ、大船に乗ったつもりでな! この私が来たからには仁志家の衣食住は完全保障しよう!!」[plc] 腰に手を当てて豪快に笑う女性。[plc] 腰辺りまで伸びた髪、清楚なワンピース姿からは想像もできない快活さ。[plc] [ruby text="ます"]増[ruby text="き"]木 [ruby text="さと"]里。[plc] 全身澄んだ水色の[ruby text="なん"]軟[ruby text="でい"]泥[ruby text="じん"]人[ruby text="しゅ"]種。[plc] プルプルと笑って、体を震わせている様子からは想像もつかない[ruby text="アン"]希[ruby text="コ"]少[ruby text="モン"]種。[plc] 【北斗】 「アハハ。お願いしてたのは鍵と晩御飯のはずなんですけど」[plc] 【里】 「そういうな、北斗くん。この増木 里、炊事・洗濯・掃除・その他雑務から果ては夜伽まで余すところなくご提供しよう」[plc] 【北斗】 「え、えっと、里さん。お願いしてたのはですね、留守番と晩御飯だけでして―――」[plc] 【里】 「かたい。かたいなぁ、北斗くん。健全な青少年がこんな私に夜伽と言われてドキがムネムネとしないなんて、まっこと許しがたい」[plc] 【北斗】 「いや、だからですね―――」[plc] 【里】 「あぁ、乃兎に遠慮しているのか? いいんだ、あんな薄情者は放っておいて。さぁ、そんなことより今からでも私とめくるめく官能の世界に!!」[plc] 【北斗】 「ア、アハハ……」[plc] なんだか苦手な話題になってきたので苦笑い。[plc] 西院歌さんが隣で渋い顔。[plc] 里さんはしかし、こっちの気も知らずにヒートアップする。[plc] 【里】 「そもそもあいつは女の気持ちが判っていないのだ。いつもは仕事で『疲れた』とごまかし、たまの休みは「眠い」と逃げ出す!」[plc] 【里】 「かと思えば、こうして使用人のような使い方をする! 便利な道具としか思ってないんじゃないかと疑うよ!」[plc] 【里】 「それが仮にも婚約者にとる態度だと思うかい、北斗くん!? 思わないだろう、そうだろう!! さぁ、こんな私を君のうら若きもちもち肌で癒して―――」[plc] パコンッ!![plc] スリッパの奇妙に軽快な打撃音。[plc] とうとう西院歌さんが我慢の限界に到達したらしい。[plc] 構えていたスリッパを足に戻すと、西院歌さんはそのまま僕のほうへと歩み寄ってきた。[plc] 両手で僕の耳をおさえると、里さんを睨んだようだ。[plc] 背中にまわられた僕は西院歌さんの表情が見えないが、凄まじい声でつぶやいたのはちょっと届いた。[plc] 【西院歌】 「情操教育に悪い」[plc] 義妹(予定)の気迫に押されたのか、里さんがちょっと慌てた顔をする。[plc] まぁ、この人が感情を前面に押し出すことが珍しいのは確かだ。[plc] だが、里さんがここまで慌てる以上、恐ろしい顔をしていたのは間違いない。[plc] 【里】 「分かった、分かった。からかいすぎたよ、反省している。まったく私はどうにも君のその顔に弱い」[plc] 【西院歌】 「……………」[plc] 【里】 「分かったって」[plc] そこでようやく西院歌さんが僕の耳を塞いでいた手を外し、席へと戻った。[plc] そんな仏頂面の西院歌さんを面白そうに見ながら、里さんは笑う。[plc] 【里】 「しかし、君は本当に北斗くんのお姉さんだな。過保護なのは否めないが」[plc] 【西院歌】 「まともな大人が、いないから……。私が世話するしかないだけ」[plc] 【里】 「おやおや、これは手厳しい」[plc] まともな大人として扱われなかったことを悔やむように、里さんは大げさに肩をすくめた。[plc] 【西院歌】 「まだこの子は何も知らない。あんまり貴女みたいな刺激物とは接触させたくない」[plc] 西院歌さんが僕を見ながら、里さんに注意を促す。[plc] 里さんは参ったなぁと言わんばかりの顔でうなずいた。[plc] 【里】 「教育係に言われてしまっては仕方ない。寛大で淑女たるお義姉さまは大人しく引き下がるとしよう」[plc] 深々と優雅に一礼して、一歩下がる所作をする里さん。[plc] 西院歌さんを茶化しつつも、言うことは聞くらしい。[plc] 常識人なのかそうでないのか、ひどく微妙なラインだ。[plc] ……………。[plc] あれ? なんかおかしくないか?[plc] ……………あ。[plc] 【北斗】 「っていうか、なんで僕をそんなに子供扱いするのさ、二人して!!」[plc] ばんと机を叩いて立ち上がった僕を、西院歌さんと里さんは驚いた顔をした。[plc] そして、すぐに顔を戻す。[plc] 西院歌さんにいたってはお茶をすすりだした。[plc] 【西院歌】 「おにぎりや特撮番組だけで幸せになれる人のことを、子供というの」[plc] 【里】 「まぁ、大人に憧れる年頃だからな、無理もないか」[plc] 【北斗】 「なんだよ、それ!!」[plc] 【西院歌】 「大丈夫、大丈夫」[plc] 【里】 「よしよし、いい子でちゅねー」[plc] 【北斗】 「頭を撫でるなー!! 言葉遣いを変えるなー!!」[plc] 叫び、撫で回してくる二人の手を払いのけた。[plc] 肩をいからせて憤慨したが、どうやら二人には効いていない。[plc] 涼しげな顔のまま、西院歌さんは食器を片付け始め、里さんもちらと時計をうかがった。[plc] そして、ワンピースの女性は手を軽く揉みながら、席につくと確認してきた。[plc] 心なしか、その澄んだ瞳は怪訝の色が強かった。[plc] 【里】 「ふむ、しかし二人とも。こんな時間までゆっくりしていていいのかい?」[plc] 【北斗・西院歌】 「あ」[plc] 僕たちは、完全に出遅れた事実を忘れていた。[plc] *scene04|新品の日傘と空人 いつもと変わらない通りを全力で駆け抜ける。[plc] 別に誰に遠慮する訳でもないのだが、これが結構難しい。[plc] 比較的足が速いほうだと自負している僕だが、朝の登校ばっかりはどうもうまくいかない。[plc] まぁ、いわずもがな原因は―――[plc] 【北斗】 「この揺れてる日傘なんだけどね」[plc] と、並走する西院歌さんの方を見てつぶやきながら、また前へと視線を戻した。[plc] 毎度のことというわけでもないが、日傘を差したまま走る彼女はやはりどこかぎこちない。[plc] 【北斗】 「西院歌さん、大丈夫?」[plc] 【西院歌】 「えぇ……問題………ないわ」[plc] 僕の問いかけに、彼女は息を切らしながら答える。[plc] 【西院歌】 「ただ……傘が邪魔」[plc] 【北斗】 「やっぱり」[plc] 人ひとりを軽く覆いつくせる大きさのベージュの日傘。[plc] それを差したままの疾走は、ただ走るだけの僕の倍は辛いだろう。[plc] 【北斗】 「そういえば、それ新品?」[plc] 【西院歌】 「えぇ、この間……[ruby text="みなみ"]南たちと買ってきたの……UV99%カットの最新版」[plc] 【北斗】 「へぇ……でも、ちょっと大きすぎない?」[plc] 【西院歌】 「こんな風に……走るなんて……思わなかった……から」[plc] 息を詰まらせながら答える彼女に、僕は今更ながら寝坊したことへの罪悪感が押し寄せてきた。[plc] 本当ならもっと優雅な登校をしつつ、新調した傘のお披露目をしたかったのだろう。[plc] そう考えると、申し訳が立たない。[plc] 【北斗】 「……………」[plc] 畳んで走ればと提案したいが、彼女たち地底人が日光に極端に抵抗力が無いのは常識だ。[plc] そんな非常識極まりないことを実行すれば、西院歌さんは一分も持たずに倒れるだろう。[plc] さて、どうしよう?[plc] ……………。[plc] 【西院歌】[r] 「………何?」[plc] 黙って自分を見つめていた僕が気になったのか、今度は西院歌さんが訊ねてくる。[plc] 僕はしかし、黙して答えない。[plc] 脳内で背負った鞄等の重量を大まかに計算していたからだ。[plc] 今日持ってきた教科は数学と物理だから大して重くもないし―――。[plc] 【西院歌】 「……どうしたの?」[plc] 【北斗】 「…………」[plc] やがて、計算が済んだ。[plc] 大丈夫だと判断した僕は彼女に最後の確認をする。[plc] 【北斗】 「西院歌さん、“この間”より太ってないよね?」[plc] 【西院歌】 「?……………!! だ、駄目……!」[plc] 僕の確認の言葉に彼女はそれが何を意味するかをいち早く察したらしい。[plc] 何故か確認の答えではなく、拒否の意を言葉にしてきた。[plc] 【北斗】 「なんで駄目なのさ? その方が早いし、西院歌さんも疲れないのに」[plc] 【西院歌】 「だ、駄目。“あれ”はとにかく……絶対に駄目」[plc] いつもの平静さを多少失いながら、西院歌さんは僕の行動を阻止しようと足を速めた。[plc] ……………。[plc] 【北斗】 「―――強襲!!」[plc] 【西院歌】 「きゃっ!!」[plc] 叫ぶと同時に加速し、彼女を背中から抱きかかえた。[plc] 同時にその華奢な背中と膝裏へ腕を回し、しっかりと固定する。[plc] こうしないと、先ほどまでの計算の意味がない。[plc] 小脇に抱えている彼女の鞄を自分の肩に引っ提げ、急ブレーキをかけた。[plc] 【北斗】 「さぁ、ショートカット。西院歌さん、傘だけしっかり持っててね」[plc] 【西院歌】 「…………………」[plc] 嫌がっていただけに、無理に行動を起こされた彼女は不貞腐れて答えない。[plc] まぁ、片手はしっかりと僕の方に回しているので、大丈夫だろうとは思う。[plc] 【北斗】 「この辺で、一番高いのは―――」[plc] 呟きながら、辺りを見渡し、適当な雑居ビルに当たりをつけた。[plc] 【北斗】 「アレだね」[plc] そのビル前まで走り、緊急避難用の螺旋階段を昇りきって屋上まで。[plc] 西院歌さんを抱えてだから、この作業が結構きつい。[plc] とはいえ、最初から抱えていないと西院歌さんは屋上まで昇ってくれないから仕方ない。[plc] 【西院歌】 「……不法侵入」[plc] 【北斗】 「ちょっとお借りするだけだよ」[plc] まだぼやく西院歌さんに答えているうちに、問題の屋上へ。[plc] 吹く風は冬の到来を感じさせ、少し心地よかった。[plc] 空も青く、雲もまばら。快晴と言って差し支えのない、秋の終わりの良い朝だ。[plc] 【北斗】 「さて、行きますか。西院歌さん、落ちないようにしっかりつかまって」[plc] 【西院歌】 「……………」[plc] 言葉ではなく、態度で示した彼女に苦笑したあと、僕は自分の背へと意識を強めた。[plc] じんわりと熱を帯び、やがて何かが生まれる感覚。[plc] 分子レベルでの分解と再構築。[plc] そして体内に保存された形状の再生が行われていく。[plc] と、まぁ、専門っぽく言うとこんな感じで。[plc] どうせとある人の受け売りをそのままにしているだけだ。[plc] ふわりと体が軽くなり、ビルの屋上から少し離れる感触。[plc] 背中が一際熱くなる。[plc] ――――今だ![plc] タイミングを見計らっていた僕は、声高らかに、今日も宣言した。[plc] 【北斗】 「変身!!」[plc] 同時にぶわりと全身に行き渡る、電撃的な痺れと振動。[plc] 背の熱が排出されるように、急速に冷えていく。[plc] 本当なら効果音と劇的な演出、そしてテーマ曲があっても良いくらいだ。[plc] なんて冗談を考えつつ、僕は“背に生えた自分の翼”を確認した。[plc] 【北斗】 「うん、感度良好。いつでもいけるね」[plc] 【西院歌】 「………………はぁ」[plc] 西院歌さんのため息を尻目に、右に左に翼をはためかせ、状態を見る。[plc] そして確認が終わり、僕は地上を見下ろした。[plc] ある程度の高さがあることを再確認し、助走距離を稼ごうと後ろに下がる。[plc] 【北斗】 「んじゃ、出発!」[plc] 【西院歌】[r] 「………!!」[plc] 僕のかけ声に西院歌さんがさらに身をかたくする。[plc] いつまで経っても慣れないらしい。[plc] そうして、僕は全力疾走から地面を蹴ると、生やした翼で空へと飛んだ。[plc] ;場面切り替え。青空。 いつ飛んでも、青空というのは気持ちが良い。[plc] まぁ、この重量では飛ぶなどということは不可能なので、滑空といった方が正しいのだが。[plc] それでもやはり、飛ぶという行為自体を僕は嫌っていない。[plc] 自由な気がするからだろうと、有翼人種の友人に言われたことがある。[plc] それも言いえて妙だ。[plc] 重力の縛りから少し開放され、前後左右に何も物体がない感覚はたしかに貴重だと思う。[plc] 【北斗】 「うん、いい風だ」[plc] 【西院歌】 「いいから、速度を上げて」[plc] 兄そっくりの仏頂面で命令する西院歌さんはどことなく怖い。[plc] いつもこれをやると不機嫌になるのだが、僕にはてんで原因が分からなかった。[plc] 高いところが怖いわけでも、遠慮しているわけでもないのに、なんだろう?[plc] ただ、空を飛ぶたびになんとなく彼女の白い耳が赤みを帯びているのは、気のせいだろうか。[plc] 【北斗】 「西院歌さん、寒いの?」[plc] 【西院歌】 「…………いいえ」[plc] 【北斗】 「そう? まぁ、寒かったらもう少し強く僕に抱きついてよ、カイロ代わりになるから」[plc] 【西院歌】 「…………!」[plc] 【北斗】 「?」[plc] さらに彼女の耳が赤くなった。[plc] 一体なんなんだろう? 本当に分からない。[plc] そもそも地底人は寒さに強いはずだから、この程度で音を上げるはずもない。[plc] …………ま、いいや。[plc] それよりも飛ぶことに集中しないといけない。[plc] 今の僕が有翼人種の能力を得ているとはいえ、それは所詮一時的なものだ。[plc] 【北斗】 「さて、学校までどれくらいの距離をかせげるかな……?」[plc] 西院歌さんと走ってきた通りは地底人が多く住まう地区だ。[plc] だから、こうして空を飛んでいても有翼人種とは出会わないが、もう少し進めばいないこともないだろう。[plc] 【北斗】 「多分、あいつもいるだろうなぁ」[plc] 【西院歌】 「あいつ?」[plc] 【北斗】 「[ruby text="みなみ"]南だよ」[plc] 【西院歌】 「あぁ……」[plc] 小学校からの友人の姿を思い浮かべ、彼女が自由に空を飛んでいるさまを想起する。[plc] なかなか優雅そうに飛ぶ彼女は、普段の明朗溌剌とした感じとは無縁の人物に見える。[plc] 【北斗】 「まぁ、実際はそんなことないんだけどさ」[plc] 【???】 「―――何がそんなことないって?」[plc] 【北斗】 「南が飛ぶときだけは女の子に見えるって話だよ、西院歌さん。普段からああならイチローも苦労しないのに―――」[plc] 【???】 「………ほほぅ」[plc] ん? なんだかお怒りの声色だ。[plc] 僕は抱えている西院歌さんの表情をうかがったが、その顔は呆れの色の方がなぜか強かった。[plc] 【西院歌】 「右」[plc] 【北斗】 「え? 右?」[plc] 彼女の短い一言に目を動かして、そこに映った笑顔のまま怒りの業火に燃えている少女の姿に、僕は固まった。[plc] 【???】 「おはよぉう、北斗くぅん」[plc] 【北斗】 「……あれ? 南、さん?」[plc] [ruby text="なん"]納[ruby text="じょう"]城 [ruby text="みなみ"]南。[plc] [ruby text="ゆう"]有[ruby text="よく"]翼人種。[plc] 人はもっと簡潔に彼らのことを“[ruby text="そら"]空[ruby text="びと"]人”と呼ぶ。[plc] 翼をはためかせ、空を舞い、風切る民も、地底人と同じ多存種だ。[plc] そして、今、僕の目の前ではその一人が、怒りに身を震わせていた。[plc] 【南】 「あんたが、普段私をどう見てるかはよぉく分かった」[plc] 死刑宣告のような声色。[plc] 僕は顔面蒼白のまま、無常にも断罪の時を待つしかない。[plc] 【北斗】 「あ、あの……執行猶予は―――」[plc] 一応の抵抗をこころみた。[plc] 運命に逆らうとは僕も大それたものなのかもしれない。[plc] 【南】 「被告には犯行時、たしかな責任能力があったと推測されます」[plc] 【北斗】 「う、うぅ……」[plc] だが、やはり苦しい。一方的な弾劾裁判だが、これは弁護士なしでは切り抜けられない。[plc] 【南】 「また、被告が被害者に対し、良くない感情を抱いていたことは明々白々。よって、執行猶予は認められません」[plc] 断罪の一撃を言葉にしてぶつけ、「覚悟するように」と笑顔で告げてくる南。[plc] 僕の余命は秋の終わりと共に、風前の灯火となっていた。[plc] 【南】 「と、言いたいところだけど」[plc] しかし、彼女は改まった口調でつなげた。[plc] 【南】 「まぁ、今は西院歌を抱えてるから勘弁しましょう」[plc] 【北斗】 「ほ、本当に?」[plc] 表面上、変化は見せていないが心の中で感激し、勝利の音楽が流れ出る。[plc] この喜多 北斗。苦節十六年にして、超えられない何かを超えられた気がします。[plc] なんて一人喜んでいたが、南は別に僕自身を許していたわけではなかったらしい。[plc] 【南】 「まぁ、不本意とはいえ、いいところ邪魔しちゃった形になるわけだし……」[plc] 殊勝なつぶやきながらも、そこには意地悪い悪意がこめられていた。[plc] 【北斗】 「なっ、邪魔って!!」[plc] 【西院歌】 「……………」[plc] 二人同時に、それぞれの方法で反論した。[plc] だがそれを、彼女は返答に窮しての苦しまぎれと見たようだ。[plc] 【南】 「ま、ままま、あとは若いお二人におまかせして、私は先に行きますよ」[plc] 【北斗】 「だから、違っ―――」[plc] しかし、彼女は聞き入れない。ニヤニヤと今度は西院歌さんに顔を向けた。[plc] 【南】 「それにしても、西院歌ちゃんも随分とアプローチがうまくなったことで。大変よろしゅうございますことよ?」[plc] 【西院歌】 「違う、これはこの子が勝手に―――」[plc] 弁解するような西院歌さんの声。[plc] しかしというかやはりというか、南はそれを別の意味で受け取った様子だった。[plc] 【南】 「ほほぉ、そうですか。北斗くんの方から。朝からお熱いことですねぇ」[plc] 【西院歌】 「…………!!」[plc] いよいよ声を失った西院歌さんと僕の二人に、ニタリといやらしい笑みを見せつけて、彼女は速度と高度をあげた。[plc] 去り際に、優雅に手を口もとに当てて振り返る。[plc] 【南】 「ホホホ、ご馳走様」[plc] 止める暇も無い、一瞬の犯行だった。[plc] 取り残された僕たちは、呆然。[plc] 【北斗】 「………………」[plc] 【西院歌】 「………………………」[plc] 【北斗】 「…………………………」[plc] 【西院歌】 「…………………………………」[plc] 気まずい沈黙が、西院歌さんと僕を包む。[plc] それを先にやぶったのは、耳を赤くしたままの彼女のほうだった。[plc] 【西院歌】 「下ろして」[plc] 【北斗】 「はい」[plc] にべもない、命令形の一言。[plc] 僕は抵抗することなく、地面へと近づいた。[plc] もともと『変身』のタイムアップも近づいていたところだから、しょうがない。[plc] なんてぶつぶつ考えながら、舗装された地面に足をつけて、翼をしまう。[plc] 【北斗】 「ちゃく、ち……と」[plc] 【西院歌】 「…………」[plc] 全身に感じていた浮遊感も消えて失せ、重力の束縛が帰ってくる。[plc] 【北斗】 「ま、安心感があるとも言うけど」[plc] 【西院歌】 「………………」[plc] なんだかまだふわふわしがちな体をほぐす。[plc] 三分間の『変身』を終え、これで一時間は翼を生やすことができない。[plc] つまり、有翼人種への『変身』はしばらくおあずけだ。[plc] それは『[ruby text="スティ"]代[ruby text="グマ"]償』。[plc] 地底人が光に弱く、空人が夜に極端に思考が働かないのと同じ、“喜多 北斗”への『代償』。[plc] 【北斗】 「でも、大分距離も稼げたし、これなら間に合いそうだね」[plc] 【西院歌】 「………………」[plc] 【北斗】 「それにしても、南にも困りものだね。勘違いしていくんだもんなぁ」[plc] 【西院歌】 「……………………」[plc] 【北斗】 「ア、アハハ……」[plc] なんだか、西院歌さんの睨み具合が、先ほどからどんどん鋭くなっている気がする。[plc] まるでヘビのような威圧感に、ああ、じゃあ僕はカエルなのかと妙な納得してしまった。[plc] 【北斗】 「あ、あの、じゃあ、学校、行こうか……」[plc] 極力話題に触れないように、普段と変わらぬ態度で言ったつもりだが、声が震えていたのは隠せただろうか。[plc] 西院歌さんの睨みの度合いから見るに、バレバレなのは言うまでもなかったが。[plc] 【西院歌】 「………………」[plc] 【北斗】 「ア、アハ、ハハハ」[plc] だが、彼女はそれにすら無言のまま、応えずに足を動かしはじめた。[plc] おかげさまで、僕は朝から針のむしろのような地獄を味わうこととなった。[plc] *scene05|水人と外種 どうにかこうにかという形であれ、学校に間に合ったのは、せめてもの救いだった。[plc] 南に会う前に結構距離を稼いでいたのが、ちゃんと効いてくれてはいたらしい。[plc] 【北斗】 「というか、これで遅刻してたら僕は泣く」[plc] 別クラスの西院歌さんと別れ、自分の教室へと向かいながら、ぼやいてみた。[plc] 朝っぱらからあんな針のむしろを味わわされて、普通でいられる人がいるなら、僕は見てみたい。[plc] あのあとずっと無言だった西院歌さんは、きっとまだ怒っていることだろう。[plc] 茶化した南でも、茶化された自分にでもなく、あんな勝手なことをした僕に。[plc] 【北斗】 「まぁ、当然といえば当然なんだけどさ」[plc] たしかに僕があんなことをしなければ、冷やかされることもなかった。[plc] 西院歌さんが不機嫌になるのもうなずける。[plc] あとで謝らないとなぁ……。[plc] 考えて、鬱になった。[plc] 今度はどれくらい財布からお札が飛ぶだろう。[plc] 【北斗】 「トホホ……冬といっしょに、財布の中身までお寒くなってきた」[plc] 冗談めいた嘆きで自分をごまかし、僕はたどりついた教室の扉を開く。[plc] すると。[plc] 【???】 「おめでとう、北斗!」[plc] 【クラス全員】 「おめでとうー!!」[plc] パーン、パーン、パンパーンなんていうクラッカーの安手な炸裂音。[plc] 代表者のかけ声を合図にクラス全員が扉をくぐった僕に奇妙な言葉を唱和した。[plc] 【北斗】 「え?」[plc] ……おめでとう?[plc] 【北斗】 「あ、あのさぁ、これ、どういうこと?」[plc] 代表たる友人に声をかけた。[plc] 彼はうれしそうに笑いながら、その真意を教えてくれた。[plc] 【???】 「いや、何、南からお前たちがとうとう―――という話を聞いたから、それの祝いをな」[plc] 【北斗】 「南? お前たち? [ruby text= "・"]と[ruby text="・"]う[ruby text="・"]と[ruby text="・"]う? ま、待って、イチロー。ちゃんと話して」[plc] 吾妻 東一郎<あずま とういちろう>。[lr] 愛称、イチロー。[plc] 彼もまた五年来の友人の一人。[plc] 耳が魚のヒレに近い形状をした、水中でもいくらかの活動を可能とする水陸両生種。[plc] 地底人・空人に次ぐ、三番目の多存種<コモン>。[lr] 通称・水人<みずびと>。[plc] 【東一郎】 「お前が社会<そと>に出て五年。“西院歌さん”の百年の歳月にも到達しうる想いがようやく叶ったと聞いたときは、俺も目が潤んだ」[plc] 【北斗】 「―――なわけないでしょ! 分かってやってるくせに!!」[plc] 彼の幼馴染でもある南ほどでないにせよ、イチローも僕をからかうのが楽しいクチ<・・>なのはたしかだ。[plc] それにいつもと同じくかみついて、余計に彼をうれしそうにさせてしまった。[plc] 【東一郎】 「照れることなんかないんだ、北斗。愛はいついかなるときも尊く、きっと世界だって救う」[plc] 臆面もなく、恥ずかしいキザなセリフを言ってくるイチロー。[plc] どうやら完全に馬鹿にしているらしい。[plc] 【北斗】 「いい加減に―――」[plc] 【東一郎】 「挙式はいつがいいだろうな。あぁ、略式で構わないなら、オレが神父も仲人も務めよう」[plc] 【北斗】 「んなっ!?」[plc] 【東一郎】 「“西院歌さん”はどんな姿をしているだろう? きっと幸せそうにお前の隣で微笑んでいるんだぜ、北斗」[plc] 【北斗】 「〜〜〜〜〜〜ッ!!」[plc] 唐突に予想外の方向から攻められ、不覚にも想像してしまった。[plc] 白みがかった肌と似た純白のウェディングドレスに身を包み、柔和な笑みの花をさかせている西院歌さんを。[plc] その可憐さ。普段の仏頂面とはかけ離れた、儚げに近い幸せそうな顔。[plc] 意識せずとも、顔が火照る。[plc] 【北斗】 「あぁぁぁぁぁぁ、違うちがうチガウチガウ!!」[plc] 頭からそれを追い出そうとするが、おそかった。[plc] 僕の一挙手一投足を見逃さないといった鋭い目付きでイチローが反応し、隣の男子と掛け合いをはじめる。[plc] 【東一郎】 「『喜多 北斗。汝は仁志 西院歌を生涯の妻と認め、いかなるときも愛し、愛され、寄り添いあい、助け合うことを誓いますか?』」[plc] 【男子】 「『はい、誓います』」[plc] 【東一郎】 「『では、仁志 西院歌。汝も喜多 北斗を生涯の伴侶と認め、いついかなるときも―――』」[plc] 【男子】 「『誓います』」[plc] 【東一郎】 「早えよ」[plc] 【男子】 「いや、実際こんなもんだろ? 仁志さんの反応は」[plc] 【東一郎】 「たしかに、それは違いない」[plc] 【東一郎・男子】 「アーハッハッハッハッハッハッハッハ―――!!!」[plc] 【北斗】 「いい加減にしろーッ!!」[plc] 羞恥心と悪戦苦闘しながら、目の前で寸劇をつづけた二人を鉄拳制裁でだまらせる。[plc] 【北斗】 「フーッ、フーッ」[plc] 肩をいからせ、猫みたいになっていたが、気にしている場合ではなかった。[plc] 頭を殴られたイチローが痛い痛いとうめきながら、立ち上がる。[plc] 【東一郎】 「何すんだよ、北斗」[plc] 【北斗】 「うるさい、バカ。バカバカバカカバ」[plc] 【東一郎】 「誰がカバだ」[plc] 【北斗】 「似たようなもんでしょ、もう好きにして」[plc] 自分の席へ向かうために、イチローから離れた。[plc] 僕がいつものように不機嫌になったのをきっかけに、クラスの皆も注目の視線を戻す。[plc] これが“喜多 北斗”のいつもの朝。[plc] 不機嫌にされる理由・方法は多種多様だけど、結果だけは変わらない。[plc] いつも僕がぶすっとした顔で席に座ることで終わる。[plc] 分かっているのに怒ることをやめないあたり、僕はまだ子供なのだろう。[plc] 【北斗】 「だからって―――」[plc] 席に座って、机に突っ伏しながら文句をたれる。[plc] 僕がお世話になっている仁志家の次女・西院歌さんとの根も葉もない噂話はあとを絶たない。[plc] うら若き男女が同棲に近い状態にいれば、それも当然なのだろうが。[plc] 【北斗】 「西院歌さんに迷惑だ……」[plc] イチローや南に言わせれば、「有名税だ」の一言で終わるのだろうけれど。[plc] それが“喜多 北斗”の運命ならば、しょうがないと受け入れるべきなのだろうか。[plc] 【北斗】 「それは……無理だ」[plc] 地底人・空人・水人という世界の人口の八割を占める、多存種<コモン>。[plc] 軟泥人種<スライム>など、残りの二割から構成される稀有な種族、希少種<アンコモン>。[plc] そして、“喜多 北斗”。[plc] どの種族に属するでもなく、一時的な『変身』を可能とする、ただ独りの存在。[plc] そこから付けられた総称は、外種<レア>。[plc] 種の外に存在している、除け者という意味だ。[plc] 【北斗】 「嫌われ者だからなぁ……当然か」[plc] 今でこそ、こうしてある程度自由に生活をできているが、昔はもっとひどかった。[plc] なんて感傷に浸ると、やはり連想されたのは、あの白い壁、無機質な空気。[plc] 壁の色と同じ服を着た人ばかりが行き来し、自分はその様子をぼんやりと見ながら、何も思わなかった日々。[plc] 【北斗】 「今思うと、変なところだったなぁ」[plc] それに当時は疑問も抱けなかった。[plc] あの頃の僕は世間知らず以上の何かだったなぁなんて思うと、少しおかしい。[plc] だが、ある意味過保護だったのもたしかだ。[plc] つまり、あの場所こそは、“喜多 北斗”を閉じ込める『檻』であり、唯一の領地である『城』だった。[plc] その『檻』が崩れ、『城』としての意味を失ったのはいつだっただろう。[plc] そうだ。[plc] たしかあのとき、あの人<・・・>に言われたそのときに、“喜多 北斗”は“僕”を知ったのだ。[plc] どんな質問に対する答えかも思い出せない、何気ない一言。[plc] 答えあぐねた末の、困惑の表情を隠せていなかった。[plc] それでも、端整な顔に不釣合いな大きな眼鏡をかけたあの人は、僕に言った。[plc] 『そうだな。お前がなれるとするなら、きっとそれは―――』[plc] それは―――。[plc] ガラッ!![plc] 【南】 「きゃ―――!! 助けてイチロー!! 西院歌が怒ってホウキ片手に襲ってきた――!!」[plc] 【西院歌】 「…………」[plc] 【東一郎】 「なんだと―――って、ぎゃー!! お、落ち着け、センセイ! からかいすぎたとはいえ、何もそこまで怒ること―――ぐへぇっ!」[plc] 【南】 「イチロー!! しっかりしてー!!」[plc] 【西院歌】 「………………次」[plc] 【南】 「み、みぎゃああぁ―――!! お、お助けー!!」[plc] 【女子A】 「仁志さん、落ち着いて、奇数をかぞえて―――!!」[plc] 【男子A】 「殿中でござる、学び舎でござるー!! 者ども、であえ、であえ――ッ!」[plc] 【男子B】 「乱心じゃー、仁志姫がご乱心めされたー!!」[plc] 【男子C】 「総員、第一種戦闘配備!! 対西院歌嬢用迎撃態勢、用意!! 防衛ラインは死んでも突破させるなー!!」[plc] 【女子B】 「たいちょー、防衛ライン間に合いませーん。自分はもうここまででーす」[plc] 【男子C】 「バカヤロー、あきらめるんじゃねー!! 衛生兵<ほけんいいん>はどこだー!!」[plc] ギャーギャー! ワーワー!![plc] どったんばったん!! ぎったんばっすん!! どんがらっがっしゃーん!![plc] 【北斗】 「なんだかなぁ、もう……」[plc] 人がせっかくシリアスにしているところを台無しにされた。[plc] まぁ、これが僕が不機嫌になった末のいつも通りの結末だから、仕方ない。[plc] 今もホウキを振り回して、無言のまま鬼神のごとき奮闘をする西院歌さんを見る。[plc] 周りはそれに悪戦苦闘しながらも、全員どこかその予定調和を楽しんですらいた。[plc] 【北斗】 「アハハハハハ」[plc] きっとこのあとも、ホームルームにやってきた担任に全員が怒られるのだろう。[plc] まったくもって、いつも通りだ。[plc] それを思うと、先ほどまでの憂鬱も不機嫌も、僕の中から吹き飛んだ。[plc] 【北斗】 「ま、いっかぁ……」[plc] 僕はそう呟いてから苦笑して、もう少し西院歌さん主演の寸劇を見学することにした。[plc] いや、素人目にも分かるくらい良い殺陣<たて>するんだ、あの人。[plc] *scene06|星への問 同じはずなのにどこか違う世界。[plc] 幾重にも束ねられ、星のようにちりばめられた世界たち。[plc] 彼らは、二億八千万をゆうに越え、そこには無限の歳月がながれていた。[plc] そこで、ヒトは数多の種に分かれていた。[plc] ある者は、青き空を舞う翼を背に。[lr] ある者は、母なる海にまどろみを求め。[lr] またある者は、暗い地の底に光を探した。[plc] それら数多の種がたがいを恐れ、[l]忌み嫌い、[l]そして争い、[l] 涙を呑み、[l]血を流し、[l]弾劾し、憤慨し、[l] ときに助け合い、[l]裏切ったのも今は昔。[plc] 世界は定められたことを≪けっして否定しない≫の精神と、[lr] 定められたことの≪道筋に沿って≫の精神で、ゆるやかに進みはじめた。[plc] そこに投げられた、世界からの優しい問い掛け。[plc] 何者でもあり、何者にもなれない“人”。[plc] “人”の形をした、どの“人”とも違う彼の名は、“喜多 北斗”。[plc] これは、“喜多 北斗”という少年を点にして巡る、優しい物語。[plc] そのたった一部分だ。[plc]