*chapter04a|違わない朝 *scene01|起床=5:30 チュンチュンと小鳥がさえずっている。[plc] まだ陽ののぼらない外から、ひんやりとした清涼な空気が返しては寄せ、また寄せては返す。[plc] どこからどう見ても、冬の朝。[plc] 【北斗】 「けだものが〜、ゆく〜♪ けだものが〜、ゆく〜♪」[plc] そんな朝、僕は学生服を着込みながら、歌を口ずさむ。[plc] 【北斗】 「黒き〜♪ まなこに〜♪ 怒りをまとい〜♪」[plc] ワイシャツを着たところで、パパンと手拍子。[plc] 【北斗】 「怒涛〜♪ 奮迅〜♪ 電光石火ぁ〜♪」[plc] また、パンと手拍子を合わせて、今日の授業を確認する。[plc] 【北斗】 「あぁ〜、その眼差し〜♪ その姿ぁ〜♪ 誰が呼んだか〜、だっいせんぷぅ〜♪」[plc] 鞄に必要な教科書をつめながら、サビにそなえる。[plc] 【北斗】 「だいせんっぷうぅ、トラムネ〜♪ 猛虎よ〜、風に乗れ〜♪」[plc] サビが終わると同時に、教科書をつめ終わり、鞄を閉じる。[plc] すると、トントントンと規則正しく階段をのぼる音が聞こえてきた。[plc] そして少しの間隔のあと、扉が開かれる。[plc] 【西院歌】 「起きて、もう……あ、さ」[plc] 【北斗】 「あ。おはよう、西院歌さん」[plc] どうやらいつものように僕を起こしに来たらしい。[plc] 【西院歌】 「ごはん…………できてる」[plc] 【北斗】 「うん、いま行こうと思ってたんだ」[plc] クローゼットからブレザーを取り出し、準備完了。[plc] 【北斗】 「お待たせ。じゃ、行こうか」[plc] 【西院歌】 「……………えぇ」[plc] 【北斗】 「?」[plc] 西院歌さんの表情がどこか変だった。[plc] まるで僕が朝一人で起きたことをまだ信じられないといった顔だ。[plc] 【北斗】 「どうかした?」[plc] 【西院歌】 「いいえ」[plc] 杞憂を捨て去るように首を横に振った西院歌さんは、先だって階段を降りはじめた。[plc] ただ降りる前に、こちらを向いて一言だけ告げてくる。[plc] 【西院歌】 「…………大丈夫?」[plc] ………………。[plc] これはまいったな。[plc] 「今日は早い」とかそれくらいを期待していたんだけど。[plc] まさか直球で来るとは、まったくの予想外だった。[plc] 【北斗】 「なにが?」[plc] それでも臆面もなく切り返せる僕は、ある意味大物だと思ったりする。[plc] 【西院歌】 「…………いいえ」[plc] 西院歌さんはこちらを見つめたあと、返答か独り言か判断しにくい否定をした。[plc] そして、無言で二人階段を降りる。[plc] 西院歌さんの背中を見ながら、僕はさっきの彼女に胸中で答えなおしていた。[plc] ―――大丈夫か、だって?[plc] ―――いいや、ちっとも。[plc] 自嘲めいたその答えを境に、僕の頭の中で前日の会話が再生されはじめた。[plc] *scene02|前日=その一 【丘】 「そも、お前とはなんだと思います? 北斗」[plc] 改まったように始まった会話。[plc] その最初はあまりに不穏当な言葉から切り込まれた。[plc] 【北斗】 「僕、ですか?」[plc] 【丘】 「そうです。お前は、誰であるか。いくつか仮説は立てられますが、さて」[plc] ふむと丘さんはひとりごちてからつづけた。[plc] 【丘】 「この世界において多存種と呼ばれる三種に変身を可能とする、たった一人の種族」[plc] 言葉を選ぶように丘さんは、“喜多 北斗”を定義する。[plc] 【丘】 「言ってしまえばたしかにこれだけだ。ですがここにどれだけの問題と矛盾を含んでいるか」[plc] 夕焼けを背負ったままの丘さんの人を食ったような笑みが見え、そして消えた。[plc] 【丘】 「何故、変身などという行為が可能なのか」[plc] 【北斗】 「!」[plc] 【丘】 「その原理はどうなっているのか」[plc] 【丘】 「どうやって翼を?」[plc] 【丘】 「どうやって水中での呼吸を可能に?」[plc] 【丘】 「どうやって地底人のように感覚を鋭敏化させられる?」[plc] 【北斗】 「……………」[plc] 【丘】 「逆に、三種の代償さえも完璧に模倣できる変身とは、いったい?」[plc] 疑問を独白めいた形で淡々とぶつけてくる丘さん。[plc] 【丘】 「まだあります。どうして多存種のみ、変身可能なのか」[plc] 【丘】 「希少種に変身できないのはなぜか」[plc] それらは疑問と偽られた銃から放たれる、恐ろしくはやい銃弾だった。[plc] 一撃一撃が的確に急所に命中し、逃げようとする僕を正確に狙い、逃がさない。[plc] 【丘】 「そうですね。それと―――」[plc] そして丘さんは見えない拳銃を構えなおして、とどめの一撃を放つ。[plc] 【丘】 「何故、お前はひとりなのか」[plc] たしかにその言葉が眉間を撃ち抜いた感覚が、僕にはあった。[plc] *scene03|登校=6:30 陽が昇りかけている。[plc] 登校には少し早い、青の空に白が混ざりこんだ、描きかけのキャンパスのような朝。[plc] 【北斗】 「そこでね、トラムネが言うんだよ。『や、貴様、まさか!?』」[plc] 【西院歌】 「…………」[plc] 【北斗】 「獅子のたてがみが外れてね、シシウジマルが『左様じゃ、兄上。久方ぶりにござる』」[plc] 【北斗】 「その見得きりがカッコ良くてさ。なんていうの、けれん味があって、切なさがあって」[plc] 今日は僕が寝坊しなかったので、トラムネ談義をしながら、のんびり登校。[plc] しかし一方的に僕が話しているだけであって、西院歌さんは相槌をうったりもしない。[plc] だけど僕は構わずに話しつづける。[plc] 【北斗】 「切なさといえば、ゴボウイヤーが菜王鬼と戦う回も良かったなぁ」[plc] あの回は、トラムネ至上最高傑作の回であるという声も実際多い。[plc] ビッグ・パンプとの決戦で負傷し、戦えないトラムネを護ろうとする、敵だった三人が主役の回だ。[plc] シシウジマル改めトラムネの弟、トラマサ対P伯爵。[plc] ビッグ・パンプこと亡国の姫君、瓜姫対キャロリーナ。[plc] そしてビッグ・パンプを裏切ったP伯爵・キャロリーナを裏で束ねていた菜王鬼と戦う、ゴボウイヤー。[plc] 【北斗】 「ゴボウイヤーが放つ一撃が菜王鬼の槍をくだいてね」[plc] 決死の一撃を喰らい撤退をやむなくした菜王鬼を、ゴボウイヤーは大笑し、力尽きる。[plc] 満足げに瓜姫の胸の中で息を引き取るゴボウイヤーこと、ドロノスケ。[plc] 【北斗】 「トラムネが、ドロノスケ殿! って名前を呼ぶシーンは泣けたなぁ」[plc] ちなみに僕はあれで一日ボロ泣きしていた覚えがある。[plc] それから決戦に向けてトラムネたちの熱い最終章がはじまるのだが、これも手に汗握―――。[plc] 【西院歌】 「……どうして?」[plc] 【北斗】 「え?」[plc] 一瞬、無表情だったはずの西院歌さんの顔が、泣いているように僕には見えた。[plc] しかし、目を瞬いて再度確認したときには、彼女は先ほどの呟きすら幻聴と思わせるほどの、無表情。[plc] それに思わず、僕は訊ねてしまっていた。[plc] 【北斗】 「ねぇ、西院歌さん」[plc] 【西院歌】 「何?」[plc] 【北斗】 「気のせいかもしれないんだけど、今さっき―――」[plc] 【男子生徒A】 「だ〜か〜ら〜、そうじゃねぇって! そこは普通にジャンプだよ!」[plc] 【北斗】 「な、なんだ?」[plc] 僕の声をさえぎるほどの大声に反応して、曲がり角から現れた団体を見る。[plc] わいわいがやがやと現れたその一派は、良く見知った連中だった。[plc] 【男子生徒B】 「姐さん、そこは一輪車の方がいいッス! あ、でもすぐまたジャンプですから気をつけて」[plc] 【南】 「げっ、嘘ッ!?―――言うのおそ〜い!! 落ちちゃったじゃん!」[plc] 【男子生徒C】 「ハッハッハ。南嬢も所詮はその程度。どれ、拙僧に貸してみろ。二分でケリをつけておじゃろう!」[plc] 【男子生徒D】 「二分ってすげぇ遅いぞ。おっと、北斗に仁志さん。おはよう」[plc] 南を中心にした空人のグループが、がやがやと携帯ゲームを片手に登校中だったようだ。[plc] 【北斗】 「おはよ。なんか面白い組み合わせだね」[plc] 【西院歌】 「おはよう」[plc] 僕らが二人して挨拶すると、今度は南ががばっとゲームに集中していた顔をあげた。[plc] 【南】 「って、嘘!? なんで西院歌と北斗がここにいんの!? めっずらし!」[plc] 【北斗】 「お、おはよう……南」[plc] 驚愕八割の声を出した南に、僕の顔は妙に引きつってしまった。[plc] ―――こ、こいつは僕らのことをなんだと思ってるんだ?[plc] 【南】 「んー、万年遅刻常習犯とその被害者」[plc] 【北斗】 「悪かったな! ってか、人の心を読むな!」[plc] 【南】 「んじゃ、どっか抜けてる旦那と、それを冷静にフォローするデキた嫁」[plc] 【北斗】 「な、何がッ!?」[plc] 間髪入れずの追撃に、不覚にも僕は顔を真っ赤にして固まってしまった。[plc] しかし、いつもならここで無言の圧力を発するはずの西院歌さんが、なぜかいつもどおりに歩いている。[plc] 【南】 「あ、あら? 西院歌?」[plc] 【西院歌】 「………………私、日直だから」[plc] 絶対零度の声もなければ、恨みがましい熱視線さえもないままに、先へ先へと進む西院歌さん。[plc] さすがに不審に思ったらしく、南が僕にこそこそと耳打ちしてきた。[plc] 【南】 「ちょっと、あんた。西院歌となんかあった?」[plc] 【北斗】 「いや、僕もさっきから良く分からなくて……」[plc] 二人して首をひねる。[plc] 僕自身の内情はともかくとして、西院歌さんがあんな態度をとる理由が分からなかった。[plc] ただ分かったのは―――。[plc] 【北斗】 「すっごい、拗ねてるな。あれ」[plc] 隣で首を傾げたままの南をよそに、僕はひとりため息をついた。[plc] そのため息が、どうしてか昨日の続きを思い出させた。[plc] *scene04|前日=その二 【北斗】 「な、なにが……」[plc] 【丘】 「たったひとり。これが何を意味するか、お前は理解しているでしょう?」[plc] 半歩分、体がよろめいた。[plc] 丘さんの言葉はそれだけ強烈であり、僕の根幹を撃ち抜いたのだ。[plc] 【丘】 「…………知りたくはないですか、北斗?」[plc] 【北斗】 「知りたいって、だから何を……」[plc] 【丘】 「世界重要文化遺産起動国家・日本。お前はこの国にあずけられた」[plc] 唐突に、浪々と語りだす丘さん。[plc] 夕焼けを背負っていたために見えにくかった表情が、徐々に僕にも見えてくる。[plc] 【丘】 「我々、『ヒト』が生まれ現れたときからそこにあった、荒人たちの遺産の集大国家」[plc] 【丘】 「極東の島国であったこの地は、磨耗し、腐敗し、風化していく先代の文明をそれでも多く残していた」[plc] そうだ、だからこそ、この国は真の意味で平和なのだ。[plc] 丘さんの言葉に賛同するように僕の奥底から何かが滲み出す。[plc] 【丘】 「この国で生活するには特殊な試験を受けなければならないのは、知っていますね」[plc] 【北斗】 「はい……」[plc] 【丘】 「厳選された人格者。限られた人数、そこでよみがえる新たな文明・利器・知識。その復興が日本の存在意義だ」[plc] そんなことは知っている。どれも授業で聞かされ、試験に出てくるものばかりだ。[plc] その制度が始まる前に生活していた人々が、“喜多 北斗”を快く思っていないことも。[plc] そんなことはとっくに知っているのに、丘さんは話をやめようとしなかった。[plc] 【丘】 「反映の地にして、世界の中心。永久に平和であり、恒久に和平を辿る。だからこそ、私はお前をこの国にあずけました」[plc] それは、そうだろう。[plc] [ruby text="ダブ"]双[ruby text="ルマ"]精[ruby text="ザー"]神を最大限に活かしきるこの国であれば、“喜多 北斗”の存在は認められるのだから。[plc] 逆を言えば、ここにいなければ僕は生きられない。[plc] 【丘】 「なぜ、お前をこの国にあずけたか? なぜ、お前はひとりであるか?」[plc] 【北斗】 「…………」[plc] 【丘】 「知りたくはないですか、北斗」[plc] 再度、丘さんは問う。[plc] たったひとり、この国にあずけられた“喜多 北斗”という存在に。[plc] 【丘】 「お前はどこから来て、そしてどこへ行くのかを」[plc] 根源を知りたいかと、問うてきた。[plc] *scene05|昼食=12:20 午前の授業が終わり、僕らは教室で昼食をとっていた。[plc] 早い連中はもう昼食をすませ、いそいそと私事に向かっていたり、ゲームに興じている。[plc] いったいいつ食べたんだとか、そんな質問は野暮なんだろうなぁ、きっと。[plc] 【北斗】 「あ、この春巻きおいしー」[plc] 今日は中華でまとめられた里さんのお弁当をつつきながら、僕は率直な感想をひとつ。[plc] 【東一郎】 「…………」 すると横目からそれを見ていたイチローが、無言で箸をのばしてきた。[plc] 【北斗】 「おりゃ」[plc] 【東一郎】 「ぐわっ」[plc] 隙だらけの手首に手刀を振り下ろし、悪の根を絶つ。[plc] 【北斗】 「なんでそんな食べたがるの? 毎日毎日」[plc] 【東一郎】 「そんだけ美味そうに食ってたら気にもなる」[plc] 【北斗】 「そう?」[plc] 僕的にはただ幸せを噛みしめているだけなんだけど。[plc] しかし、対面で重箱を広げている南が、イチローに賛同するようにうなずいていた。[plc] ―――っていうか、そのお重全部食べる気なのか、この元気娘は。[plc] 【南】 「全部は食べきれないなぁ。お父さんがまたこんなに持たせてさ」[plc] 【東一郎】 「おじさんの暴走っぷりも相変わらずだな」[plc] 【北斗】 「僕の心を読むことに関しては、もうスルーなんだね。分かったよ」[plc] 呆れたように僕が言うと、イチローがそろそろと今度は南のお重に箸を伸ばしはじめた。[plc] そしてひとつの場所に到達。小さめの手羽先をひょいと取ると、無拍子で口に放り込んだ。[plc] ―――なんて早業。[plc] 【東一郎】 「おお、美味い。さすがおじさんだ。腕はたしか」[plc] 【南】 「あ、何勝手に食べてんの、あんた!?」[plc] 【東一郎】 「いいじゃねぇか。手羽先の一個くらいケチるなよ」[plc] 言いつつ、口からひょいと手羽先の骨だけ出すと、重箱に戻そうとするイチロー。[plc] 【北斗・南】 「自分で処理しろ」[plc] ダブルチョップ。[plc] 【東一郎】 「いて」[plc] 【南】 「まったく、行儀まで悪いんだから……」[plc] ぶつくさ言いながらご飯を口に運ぶ南。[plc] しかし、急に気づいたように箸を止める。[plc] そしてなぜか納得いかないといった顔で、イチローへ話題を振った。[plc] 【南】 「イチロー。手羽先、美味しかったの?」[plc] 【東一郎】 「おー、美味かったぜ。油おさえめで。手作りは違うよなー」[plc] イチローの率直な感想を聞いて、南はちょっと悩んだあとうなずいた。[plc] 【南】 「そう。…………それ揚げたの、私」[plc] 【東一郎】 「お」[plc] 【北斗】 「おぉ」[plc] 最後に付け足した言葉に、イチローと僕が驚いたような声を出してしまった。[plc] 【東一郎】 「お前が料理するなんて久しぶりじゃないか?」[plc] 【北斗】 「そうだねー。珍しいこともあるもんだ」[plc] 【南】 「…………そのリアクションは不服だけど、まぁいいわ」[plc] 【東一郎】 「なんだよ。じゃあ『南の手羽先もっと食いてー』とでも言えば良かったか?」[plc] 【南】 「ぶぅ―――!!」[plc] イチローの言葉のどこに反応したのか、急にご飯を吹き出す南。[plc] 僕は思わず身をそらして回避する。[plc] 【北斗】 「うわ、なんだよ。きたないなー」[plc] 【東一郎】 「おどろかすな。行儀悪いのはお前じゃねぇか」[plc] 【南】 「けほっ! えほっ! だ、誰のせいよ、誰の!?」[plc] 【北斗】 「誰のって……」[plc] 【東一郎】 「誰だよ?」[plc] イチローと二人で小首を傾ぐと、南は言葉に詰まったあと、「ぅ〜」と小さく唸りはじめた。[plc] 【南】 「いいよ、もう!!」[plc] 言って、がつがつとご飯を食べだす南。女の子がやけ食いなんていけません。[plc] 【東一郎】 「へんなやつ……」[plc] 【西院歌】 「あなたのせい」[plc] 【北斗】 「うわ」[plc] さっきまで黙々とお弁当を食べていた西院歌さんが、食べ終わったらしく急に会話に混ざりだした。[plc] 【東一郎】 「オレが? なんでだよ、先生。オレなんかしたか?」[plc] 【西院歌】 「…………いろいろ」[plc] 少し言いよどんだ雰囲気で、西院歌さんはイチローを静かに責める。[plc] 【北斗】 「まぁま、西院歌さん。その辺でいいじゃない」[plc] 【西院歌】 「…………」[plc] 【北斗】 「ん? 何?」[plc] 僕がなだめると彼女はこちらを向いて、何かを考えるようにじっと見つめてきた。[plc] そしてまた、一瞬だけ彼女の顔がひどく弱弱しい泣き顔に見え―――。[plc] 【西院歌】 「……ごちそう様。先に戻る」[plc] しかし今度は西院歌さんに顔をそらされ、結局僕の見間違いなのか、また分からなかった。[plc] ただその態度が、イチローや南にも不可解ではあったらしい。[plc] スタスタと教室を出ていった西院歌さんを確認したあと、僕にずいと詰め寄った。[plc] 【東一郎】 「おい、北斗。先生なんか変じゃないか?」[plc] 【南】 「うん。やっぱり変ね。しかも北斗限定で」[plc] 【北斗】 「…………うん、変だよね」[plc] まいったなぁと頭をガリガリ掻いてから、二人にそれとなく訊ねてみた。[plc] 【北斗】 「ね、西院歌さん、怒ってた?」[plc] 【東一郎】 「ん? いーや、オレ顔見えなかった」[plc] 【南】 「あたしも」[plc] 【北斗】 「ふーん……」[plc] あー、いよいよまずい。[plc] これ以上問題を抱えたくないんだけどなぁ。[plc] 僕は憂鬱に重たくなるお腹を無視して、最後の春巻きへと箸を伸ばした。[plc] *scene06|前日=その三 ;世界でたった一人の外種。 ;残された一握。 ;蓋の少年。 【北斗】 「どこから来て……どこへ、[ruby text="・"]行[ruby text="・"]くのか?」[plc] 丘さんの不可解な言葉を、僕は無意識に反芻していた。[plc] それだけその言葉に違和感があったからだ。[plc] しかし丘さんは、そんな僕に気づいていながら、構わず語りだす。[plc] 【丘】 「ある日ある時ある場所で、一組の幸せな夫婦に子供が生まれたとしましょう」[plc] 【北斗】 「…………」[plc] 【丘】 「しかし、子供は数年と経たずに死に至った」[plc] 【北斗】 「!」[plc] 【丘】 「その在り来たりな不幸を境に、成長せぬまま死を迎えてしまう幼児が世界規模で急増した」[plc] 風がまた吹いた。丘さんの髪が揺れる。[plc] 【丘】 「子供たちは健康そのもので、どこにも異常は見当たらなかった」[plc] 言いながら、丘さんは人差し指を立てる。[plc] 【丘】 「ただ一点。その子供たちが『種族を固定できない』ことを除いては」[plc] 【北斗】 「…………ッ!」[plc] 丘さんから放たれた再びの銃弾に、僕はびくりと身を震わせた。[plc] 【丘】 「異種族間から誕生する生命は、例外なく母体内で自然と種族を固定する。これは知っていますね」[plc] 意識的無意識であると、授業で聞いたおぼえがある。[plc] 自分の肉体に沿った種族を、胎児は意識がなくとも自らで選択するというものだったはずだ。[plc] 【丘】 「だが、彼らにはいわゆる意識的無意識は存在しなかった」[plc] 【丘】 「そして、この話はこういった未熟児が産まれ、そして死んでいくというケースで終わるはずだった」[plc] 【北斗】 「はずだった……?」[plc] 【丘】 「不幸な子供たちの、残された一握。その中に、まだ奇跡が混ざっていた」[plc] 【丘】 「肉体のみが成長していく中、彼らの体はどの種族とも言いがたい形状を保っていたんです」[plc] ―――待て。[plc] ドクンと、僕の心臓があまりに巨大な違和感を訴えた。[plc] 【丘】 「そしてその中でもさらに特異とされる現象が、起こりました」[plc] 【北斗】 「まさか……」[plc] ―――待て待て。[plc] ドクドクと、僕の心臓は騒ぎ出す。[plc] 初めて聞いたありえない話に、パニックに陥ったように。[plc] 【丘】 「それこそが『変身』。一時的に『種族を固定する』と身体に誤認させることで可能となる、奇病」[plc] 【北斗】 「………………奇病?」[plc] 【丘】 「原因不明の、です。―――だが、その症状は残された子供たちの、さらに極一部にしか起こりませんでした」[plc] ―――待て待て待て。[plc] やっぱりおかしい。[plc] どこかがおかしい。[plc] 何かが僕を急きたてている。[plc] どこかが食い違っているぞ、とわめいている。[plc] 【丘】 「世界規模で起きた、この小さな不可思議。新たな種族の誕生とも言える瞬間、と言えば聞こえはいい……」[plc] 丘さんの表情が一瞬陰りを見せるも、すぐにあの銃口を僕へと向けているような射抜く表情へと戻った。[plc] 【丘】 「しかし、世界は彼らを受け入れなかった。受け入れるどころか、蓋をして押し込めたんです」[plc] 【北斗】 「蓋を……?」[plc] ―――待て待て待て待て。[plc] それも聞いたことがあるぞ。[plc] 誰かの罵倒を聞きながら、そんなことを思ったはずだ。[plc] 【丘】 「……そう。永久に平和。恒久に和平を謳う、極東の島国に」[plc] 【北斗】 「な、え……それ、が……?」[plc] 言葉がつづかなかった。[plc] ―――それが、僕がこの国にあずけられた理由だとでも?[plc] そう言いたかったのに、口がうまく回らなかった。[plc] しかし丘さんは僕の言葉を先読みしたように、話をつづける。[plc] 【丘】 「都合の良いことに、この国には『変身』の症例をもつ少年が、ひとりいました」[plc] 【北斗】 「――――ッ!?」[plc] 何かが体を伝って、思わずびくりと体をふるわせた。[plc] それが自分の汗だと気づくには、僕はあまりにおびえていた。[plc] 今の、今の言葉はまずい。[plc] あれは全部の核心だ。“×× ××”というものの、全部の。[plc] 【丘】 「世界は、その“少年”を蓋に選んだ。全部押し込めてしまおうと」[plc] 丘さんは語る。[plc] 僕に真実を伝えるべくして、ここへ来たと言うように。[plc] 雄雄しくと、堂々と。“喜多 北斗”という少年へ。[plc] 【丘】 「試みはうまくいった。十数年の[ruby text="ブラ"]空[ruby text="ンク"]白を用いて、定期的に“少年”は社会へと現れる」[plc] 【北斗】 「ぅ……」[plc] 【丘】 「そして時が来れば消え、さらに時が経てば別の“少年”となって現れます。たとえそれが少女であっても」[plc] 【丘】 「言うなれば、称号。その“少年”の名は『世界でたった一人』の外種に与えられる、称号なのです」[plc] 【北斗】 「なんで……?」[plc] 【丘】 「何故? お前がそう訊ねますか、[ruby text="・"]北[ruby text="・"]斗」[plc] そうだ。[plc] 僕は何を言っている……?[plc] 僕が一番に言うべきは、これじゃない。[plc] 【北斗】 「僕は……」[plc] ―――頭が割れそうに痛い。[plc] それでも言わなければ、声を大にして。[plc] ―――待てという叫びが止まらない。[plc] それでも言わなければ、目の前の男を見て。[plc] ―――喉がからからに渇いて、焼けそうだ。[plc] それでも言わなければ、僕は死んでしまうかもしれない。[plc] 【北斗】 「答えろ、丘 由吉! “僕”はだれだ!?」[plc] 僕の精一杯の咆哮に、丘さんは満足そうにニヤと笑んで、はっきりと解答をあらわした。[plc] 【丘】 「お前こそは、蓋の“少年”。『世界でたった一人』の[ruby text="レ"]外[ruby text="ア"]種。そして―――」[plc] 三度、風が吹いた。[plc] 僕の冷や汗だらけの体をぬぐい、そしてまた冷やすようになでて消えた。[plc] 丘さんが言葉を言い終えたのは、それとほぼ同時だった。[plc] 【丘】 「第二番目の、“喜多 北斗”です」[plc] *scene07|下校=15:30 下校の時間がすでにおとずれていた。[plc] 僕はいつものように、いつものメンバーと変わらない帰路へとついていた。[plc] 【麗朱】 「で、ですね。北斗くん」[plc] 【北斗】 「………………」[plc] 【麗朱】 「北斗くん?」[plc] 目の前に、誰かの顔があった。[plc] ぼんやりした頭が突然の事態に混乱しながら、大慌てで対応する。[plc] 【北斗】 「―――あ、ごめん!? 何、来部さん?」[plc] 【麗朱】 「いえ、あのですね……ですから、その、今度の水都の完成セレモニーなのですが……」[plc] 【北斗】 「あ、あぁ。セレモニーね。それが?」[plc] 水都の完成も近づき、開放と完成のセレモニーを一般公開で大々的にやるらしい。[plc] 典型的なベッドタウンであるこの町にしては、けっこうなイベントのようだ。[plc] 【麗朱】 「そう、セレモニーです。それでですね、もし、万が一、北斗くんのご都合がよろしければ……」[plc] もじもじと指を動かして、照れたように顔をそめる来部さん。[plc] 【麗朱】 「……私と、ご一緒していただけ」[er] 【東一郎】 「さて、オレたちはこっちだ。おつかれー」[plc] 【南】 「ほんじゃ、またねーん♪」[plc] 【北斗】 「あ、また明日、イチロー。ついでに南も」[plc] 【南】 「ついで!?」[plc] 【東一郎】 「アッハッハ。また明日な」[plc] 【麗朱】 「…………あぅ〜」[plc] 一足早く分かれ道についた南とイチローが肩を並べて去っていった。[plc] ぞんざいに通学鞄をかついでいるイチローの背中をバシンと南が叩いていた。[plc] ―――また余計なことでも言ったな。[plc] 僕はそんな凸凹コンビの背中に軽く手を振ったあと、来部さんへと向き直る。[plc] 【北斗】 「ごめんごめん。それで、セレモニーがなんだっけ?」[plc] 【麗朱】 「え、えーと、そのですね、ですから―――」[plc] なんだか歯切れの悪い来部さんに首をかしげる僕。[plc] すると、先ほどから黙して語らずの姿勢を保っていた真鉄が口をひらいた。[plc] 【真鉄】 「オレたちも、同行していいか?」[plc] 【麗朱】 「ま、真鉄!?」[plc] 【北斗】 「あー、なんだ。そんなこと。どうせ僕らいつものメンバーだろうから、大丈夫だよ」[plc] どうせ僕は西院歌さんという保護者から逃げられないだろうし。[plc] イチローもそんなイベントの日じゃ、南に首根っこを掴まれているだろう。[plc] 四人が六人になろうと大した問題じゃない。[plc] 【真鉄】 「む。それじゃ」[plc] 確認がとれて用がなくなったのか、ちょうど通りかかったゲームセンターへと入っていく真鉄。[plc] 【麗朱】 「あ!? 真鉄、ま、待ちなさい! ほ、北斗くん、仁志さん、それではまた明日!」[plc] 逃げた真鉄を追い駆けるように身をひるがえして、来部さんもゲームセンターへ突貫していった。[plc] ………………。 そして、僕らの他には誰もいなくなった、わけなんだけど……。[plc] 【北斗】 「…………」[plc] 【西院歌】 「…………」[plc] これはまずい。まずいったらまずい。[plc] 西院歌さんの表情は依然絶対零度のままだ。[plc] 何をそんなに拗ねてるのか理由なんて分からないけど、とにかくまずい。[plc] 朝は気づかないでトラムネの話なんてしてたけど、今はそれどころじゃない。[plc] 【北斗】 「…………うぅ……」[plc] 空気のせいで、胃が重たくなってきた。[plc] どうにかして、この非常に体によろしくない状況をどうにかしないと……。[plc] 【西院歌】 「…………」[plc] ちらりと、隣で傘を差したまま無言で歩く西院歌さんを盗み見る。[plc] 横顔から見て取れるその表情は、どう見ても冷静の二文字で塗り固められていた。[plc] あぁ、その奥に憤怒っていう二文字もあるんだろうなぁ。[plc] 【北斗】 「ぐむ……」[plc] 余計なことを考えたせいで余計に胃が重くなった。[plc] あー、ただでさえ問題が多いってのに、なんでまたこんなときに限って![plc] なんて僕が胸の内でだけ頭を抱えたときだった。[plc] 【里】 「そこの道行く嬢ちゃん坊ちゃん、夕飯のために荷物を持つ気はないかね?」[plc] 【北斗】 「――うひゃあ!?」[plc] 後ろからにゅっと現れた長身の女性は、ずいと食材の入った買い物籠を渡してきた。[plc] 【里】 「なんだね、そんなに驚いて」[plc] 【北斗】 「びっくりもしますよ! 急に出てこないでください、里さん!」[plc] 【里】 「ハハハ。何、偶然だよ。買い物帰りでね。いや、しかし、びっくりさせたおわびに夕食は私がご馳走しよう」[plc] 【北斗】 「ありがとうございますって、いつもそうでしょ!」[plc] カラカラとあっけらかんに笑いながら、里さんは僕に籠を手渡してきた。[plc] 僕は受け取った籠の中身を確認しながら、里さんに訊ねてみる。[plc] 【北斗】 「今日は晩御飯なんですか?」[plc] 【里】 「それは乙女の秘密だ。なぁ、仁志妹」[plc] しかし里さんは茶化すように指をくるりと回して、西院歌さんへ話を振った。 【西院歌】 「…………」 【里】 「? いもうとー? 聞こえてたら返事ー」[plc] 西院歌さんの無反応ぶりにキョトンとした顔のまま、里さんは彼女の前で手を振った。 【里】 「おーい、いもうと」[plc] 【北斗】 「西院歌さん?」[plc] 【西院歌】 「――――……!」[plc] 僕も気になって声をかけたところで、西院歌さんはようやくこちらに気づいたらしく顔をあげた。[plc] 【里】 「お、気づいた気づいた。大丈夫かね、妹」[plc] 【西院歌】 「……何?」[plc] 覗き込む里さんに、西院歌さんは質問を質問で返した。[plc] 心なしか、その無表情の顔は不機嫌に歪んでいるようにも見えた。[plc] 【北斗】 「何じゃないよ、西院歌さん。大丈夫?」[plc] 【西院歌】 「…………」[plc] 西院歌さんは僕の言葉にこちらへと顔を向けた。[plc] 【西院歌】 「――――」[plc] 【北斗】 「さ、西院歌さん? 大丈夫なの?」[plc] 【西院歌】 「…………たいのは、こっち」[plc] 里さんと同時に目を点にしてしまった。[plc] ―――西院歌さんは今、何と言ったのだろう?[plc] 【北斗】 「え? 何が……」[plc] 【西院歌】 「いい。先に帰る」[plc] 僕が聞き返そうとするのをさえぎるように、西院歌さんは速度をあげた。[plc] そのあまりに子供じみた抵抗に、僕と里さんは呆然としたまま、追いつくことができなかった。[plc] 里さんがあまりの西院歌さんの行動を疑問に思ったか、僕に耳打ちしてくる。[plc] 【里】 「なんだね、あれは?」[plc] 【北斗】 「分からないんです。ただ、朝からずっとあんな調子で」[plc] 【里】 「ふむ、朝から……ねぇ」[plc] ふんとため息一つこぼして、里さんも黙り込んでしまう。[plc] 僕も同様にため息をこぼして、夕日に向かって歩く西院歌さんの背中を見つめながら、昨日を思い出していた。[plc] *scene08|前日=その四 ;私もその一人。 ;そして、オリジナル。 ;久しぶりだな、私。 ;時間制限。 【北斗】 「二番目……?」[plc] 【丘】 「はい。それがお前です」[plc] 確認するようにつぶやいた僕に、駄目押しのように丘さんはうなずいた。[plc] 曰く、“僕”は“喜多 北斗”であって“喜多 北斗”ではないと。[plc] 曰く、本物の“喜多 北斗”から譲り受けた場所であり、名であると。[plc] 【丘】 「『変身』能力の徴候を見せ、そして発症した速度の順で“喜多 北斗”は決まっていく」[plc] 【丘】 「“喜多 北斗”という蓋に押し込まれた、オリジナルを除けば、最初の一人。だから、お前は二番目です」[plc] ちかちかと、ちらつきがよみがえる。[plc] ぐらぐらと世界が揺らいでいる。[plc] 【丘】 「理解できたか? お前はそういうモノなんです」[plc] “僕”はどこから来たのか。[plc] 丘さんは僕にその話をしてくれていたのだ。[plc] 【丘】 「お前の事情はそんなところです。……聞いてるか、北斗?」[plc] ちらつきがひどい。ちかちかと、まるでライトを直接目に当てられているようだ。[plc] ぐらぐらと揺れる世界は平行ではなく、粘土のようにやわらかだった。[plc] 立っていることが、ままならない。[plc] 【北斗】 「……どうして?」[plc] 【丘】 「なんです?」 【北斗】 「どうして、あなたはそんなことを教えに来た!?」[plc] 【丘】 「知らない方が、幸せだったとでも?」[plc] 叫んだ僕の言葉に呆れたように、丘さんは質問を質問で返した。[plc] 【北斗】 「そうじゃない! 教えるんならそれでいい! だけど……」[plc] 【丘】 「だけど?」[plc] 【北斗】 「なんで今更、教えるんだ!?」[plc] そうだ、何よりも優先して訊くべきはそれだった。[plc] このタイミングで、この場所で、何故丘さんが出てくるのか、結局それが分かっていない。[plc] 分かっていない以上、僕を責め苛むこのちらつきは決してやまないだろう。[plc] 【丘】 「ふむ、今更ですか。……それが本題だったのですが」[plc] 丘さんは何事かひとりごちたあと、不意に表情を変えて僕を見つめた。[plc] 夕焼け空がちらつきと重なって、僕は思わず目を細めた。[plc] 【丘】 「そもそものお話として、おかしいと思いませんか? “喜多 北斗”」[plc] 【北斗】 「?」[plc] 【丘】 「オリジナルの“喜多 北斗”ですよ。彼はどうしてその話を受け入れたのか」[plc] 【丘】 「自分の名を捨てる上に誰かも分からない連中に『存在』ごと明け渡す。なんとも馬鹿げた話だ」[plc] 【北斗】 「…………」[plc] オリジナルの“喜多 北斗”。[plc] その言葉が、今一度“僕”が“喜多 北斗”でないことを自覚させる。[plc] 【丘】 「だが彼はそれを受け入れた。抵抗さえしなかった」[plc] 【北斗】 「…………」[plc] 【丘】 「まるでそうなることを、自らの意志で望んだように」[plc] 【北斗】 「!」[plc] 望んだというのか。[plc] “喜多 北斗”を奪われることを。[plc] オリジナルは、本当に望んだというのか。[plc] よくも、よくもそんな―――。[plc] 【丘】 「おや、馬鹿げたことをするやつだとでも言いたげですね」[plc] 【北斗】 「!?……別に……」[plc] 丘さんに心中を悟られ、すぐに否定する。[plc] しかし、丘さんはぞろりと顎を撫でて、クックと低く笑った。[plc] 【丘】 「何、お前がどう思おうが関係ありませんよ。[ruby text="・"]私は満足していますから」[plc] 【北斗】 「…………え?」[plc] 一瞬、ガツンと金槌で殴られたような衝撃があった。[plc] 今……なんて……?[plc] 聞き返そうとしている間にも、丘さんの顔はあの人を食ったような表情を取り戻していた。[plc] 【丘】 「何、ただ他のご同類とやらの出来具合を知りたい好奇心にかられたんですよ、当時はまだ若かったから」[plc] 言葉が出ない。[plc] さっきまであんなにカラカラで焼け焦げそうな喉は動かない。[plc] 頭痛も引っ込み、いつの間にかちらつきも気にならなくなっていた。[plc] 【丘】 「誰よりも早く『変身』を実現し、可能とした。そんな矜持も手伝って、今やこのザマだ」[plc] 目の前の男は、一体何者なのか。[plc] “城”にいた頃から不思議だった。[plc] 【丘】 「そんな無様をさらしているときに、面白そうな話がひとつ舞い込んできた」[plc] 何故、自分にあれほど親しくしてくれたのか。[plc] 何故、自分はあの男をあれほど意識していたのか。[plc] 【丘】 「なんと私の他にも同じ連中がいて、それを“喜多 北斗”に押し込めたいそうじゃないか」[plc] それはきっかけをくれたからだ。[plc] あの人が僕にきっかけと“僕”をくれたからだ。[plc] 【丘】 「なら、それは――――“喜多 北斗”の好きにして良いモノじゃないか?」[plc] 些細なきっかけだった。[plc] 些細な言葉だった。[plc] 日常の中に埋もれるようなひとつだった。[plc] 【丘】 「大勢にして一。すべてをもってしてようやく一つ。つけた名は『[ruby text="レギ"]数[ruby text="オン"]多』」[plc] 一度訊ねただけの言葉だった。[plc] もうどう訊ねたかさえ、覚えていない。[plc] ただその答えだけが、僕の耳にひどくこだまする。[plc] 『お前がなれるとするなら、きっとそれは―――』[plc] 【丘】 「“喜多 北斗”という一の中に数多の『変身』発症者を定期的に入れ替え、社会へ送り、観察・研究する一大プロジェクト」[plc] よく判らない答え方だったのだ。[plc] まるでそれは、そうなることを望んでいるようでいないような、曖昧な答え方だったのだ。[plc] だからこそ、僕は今でもそれを忘れることが出来ない。[plc] 【丘】 「さて、ご挨拶が遅れました、“喜多 北斗”」[plc] 『きっと、それは―――』[plc] 【丘】 「仔細あって今では丘 由吉などと名乗っていますが」[plc] 『きっと、それは―――お前にはなれて、私にはなれないものですよ』[plc] 【丘】 「プロジェクト・レギオンの発案者にして研究責任者・[ruby text="き"]喜[ruby text="た"]多 [ruby text="ほく"]北[ruby text="と"]斗です。どうぞよろしく」[plc] そう言って丘さんは沈みゆく夕焼け空に、自らの翼と髪で隠れていたヒレをさらけ出した。[plc] *scene09|夕刻=18:30 【里】 「さて、お弁当を中華にしたこともあいまって、夕食は和風でまとめてみたわけだ」[plc] ぐらぐらと音をたてる鍋を前にしながら、キッチンで里さんが熱弁をふるっていた。[plc] 僕はそれを、リビングでぼんやり雑誌を開きながら聞き耳をたてている。[plc] 【里】 「もうすぐ冬だからね。気が早いが鍋物定番、おでんにしてみた。乃兎、味見を頼む」[plc] 【乃兎】 「何故俺が?」[plc] 仕事から帰宅早々、キッチンにずるずると引きずられ、まだ着替えてもいない乃兎さんが不服を訴えた。[plc] 里さんはそれにやれやれとオーバーアクション気味に肩をすくめたようだった。[plc] 【里】 「お前ね。ご存知の通り、私は軟泥種族だ。肉体の成分と似通った、液体かそれに近しいものしか摂取できない。分かるな?」[plc] 【乃兎】 「言われなくても。だがいつもは北斗か西院歌が―――」[plc] 【里】 「さぁ、食え、ダーリン! お前のハニーから熱い大根のプレゼントだ! ホクホクでうまいはずだぞ!」[plc] 【乃兎】 「な、何をする!? やめろ、やめ―――あっつ!!」[plc] ドタンバタンとキッチンで良い大人二人が伝統に近い漫才をしていた。[plc] 僕はそれを左から右に聞き流しつつ、熱心に雑誌を読むフリをする。[plc] 熱心に読むフリをしないと、今、この状況に耐えられないからだ。[plc] 何故なら。[plc] 【西院歌】 「…………」[plc] 【北斗】 「…………」[plc] 西院歌さんが僕の隣でじっと座り込んだまま、けっして動こうとしないからだ。[plc] 今日一日不機嫌でそっけなく過ごしてきたというのに、これは一体なんだろう。[plc] 【西院歌】 「………………」[plc] 西院歌さんは特に何をするでもなく、ただ僕の隣を確保している。[plc] きっと僕が自室にこもろうと、そのドアの前でじっと立ちつくすだろう。[plc] 今までも西院歌さんと喧嘩したことは何度かあるが、この類の責め苦ははじめてだった。[plc] 【西院歌】 「………………」[plc] 【北斗】 「あー、西院歌さん」[plc] 【西院歌】 「何?」[plc] 呼びかければ反応することだけは、正直唯一の救いだったかもしれない。[plc] 【北斗】 「……読む?」[plc] 【西院歌】 「いい」[plc] 手渡そうとした雑誌は丁重に断られた。[plc] 僕はそのまま雑誌を目の前の机に置いて、ソファーに深く座り直す。[plc] 西院歌さんは動かず、巌のように座ったままだ。[plc] 【北斗】 「今日さ……変じゃなかった?」[plc] 【西院歌】 「……別に」[plc] いや、変ですよ。あなた。現在進行形で。[plc] 【北斗】 「だって、話しかけても上の空だし、なんかそっけないし」[plc] 【西院歌】 「……別に」[plc] いよいよ重傷だな、この人。[plc] 【北斗】 「何かあったの?」[plc] 【西院歌】 「…………」[plc] また黙り込む西院歌さんに僕はやれやれとため息をこぼした。[plc] すると、彼女が閉ざしていた口を開く。[plc] 【西院歌】 「訊きたいのは、私」[plc] 【北斗】 「なにを?」[plc] 西院歌さんは一瞬、逡巡したように口を開きかけてから閉じ、意を決してまた開いた。[plc] 【西院歌】 「なにが、あったの?」[plc] 【北斗】 「なにがあったって……」[plc] 【西院歌】 「あなた、今朝から普通じゃない」[plc] 【北斗】 「!」[plc] ―――まずい。[plc] 西院歌さんの声色から、僕はその事実だけを悟った。[plc] しかし時既に遅く、西院歌さんの言葉は止まらない。[plc] 【西院歌】 「無理して話して、無理して笑って……どうして?」[plc] 【北斗】 「どうしてって……言われても、僕は、いつも通り、だよ」[plc] 精一杯の嘘。しかし彼女への抵抗とするには、あまりに脆弱すぎた。[plc] 【西院歌】 「嘘。だって、あなた……昨日、寝ていないでしょう」[plc] 【北斗】 「!!」[plc] ずいとこちらに詰め寄る西院歌さんに気圧され、僕は閉口した。[plc] 勘付かれていたに今更気づき、自分の情けなさを痛感する。[plc] 【西院歌】 「どうして……? あなたから、辛い声しか聞こえない」[plc] 【北斗】 「や、やだなぁ。やめてよ、西院歌さん」[plc] 【西院歌】 「どうして……? あなたが無理しているようにしか感じない」[plc] 【北斗】 「…………そんなこと、ないってば」[plc] 【西院歌】 「どうして……? あなたから、涙の匂いしか、しない」[plc] 【北斗】 「――――」[plc] あ。[plc] もう無理だ、僕。[plc] 【西院歌】 「どうして……?」[plc] 【北斗】 「いい加減にしてよ!!」[plc] 【西院歌】 「!」[plc] 【里】 「お?」[plc] 【乃兎】 「……北斗」[plc] ガタンと勢いよく立ち上がったことで、その場にいた全員が目を点にする。[plc] 西院歌さんは僕をただ見開いた瞳で、見つめている……ように見えた。[plc] 違う。彼女の場合、しっかりと見えているわけじゃない。[plc] 【北斗】 「黙って聞いてれば、なんだよ! さっきからうるさいな!」[plc] 【西院歌】 「あ……」[plc] 【北斗】 「こっちから訊ねても答えないくせに、人のほうにはズカズカと……!! いい迷惑だ!」[plc] 腹の底から久々に出した大声は、ずいぶん喉の通りが悪かった。[plc] それを無視して、僕は西院歌さんに叫びをこぼす。[plc] 【北斗】 「無理してるって? ああ、してるよ! してて悪いか!!」[plc] 【西院歌】 「ご……ごめんなさ―――」[plc] 【北斗】 「僕に何かあったからって、西院歌さんには関係ないだろ!!」[plc] 謝ろうとしている西院歌さんをさえぎってまで、僕は彼女に罵声を浴びせる。[plc] さすがに気になったのか、里さんがキッチンから顔を出した。[plc] 【里】 「おい、北斗く―――」[plc] 【乃兎】 「里」[plc] 【里】 「いや、乃兎。おい、ひっぱるな」[plc] しかし、乃兎さんが何を思ったか彼女を止めてくれたので、僕はかまわず西院歌さんを睨みつけた。[plc] 彼女は顔を伏せたまま、何かを言いたげだった。[plc] どうせさっきの謝罪だろう。聞くまでもなく分かってる。[plc] 【北斗】 「…………」[plc] それなのに、僕は彼女を促すように沈黙していた。[plc] そして西院歌さんが、顔をあげる。[plc] そこにあった表情は、今朝から何度か目にしていた、あの泣きくずれそうな顔だった。[plc] 【西院歌】 「ごめんなさい……」[plc] 【北斗】 「…………」[plc] 【西院歌】 「……ごめんなさい。何も、してあげらなくて……」[plc] 【北斗】 「!!」[plc] その言葉に、僕は完全に理解した。[plc] 西院歌さんが一日中何を言いたかったのか、ようやく理解できた。[plc] 【北斗】 「なんだよ、それ……」[plc] 【西院歌】 「…………」[plc] 【北斗】 「知ってたな! 全部知ってたんだな!」[plc] 【西院歌】 「―――!」[plc] 核心をつかれたと言わんばかりの西院歌さんの表情に、僕の予想は確信に切り替わった。[plc] 【北斗】 「僕がなんなのかも! “喜多 北斗”のことも! 全部知ってたんだな!」[plc] 【西院歌】 「…………」[plc] 【北斗】 「そんなのって……ないじゃないか!!」[plc] 吐き捨てて、僕はその場にいられずに扉へと向かった。[plc] 里さんと乃兎さんの視線を感じる中、無視してドアノブに手をかける。[plc] 扉を開いたとき、謝罪さえしなくなった西院歌さんを最後に一瞥する。[plc] 彼女の瞳は、もはや何も捉えていないように見えた。[plc] 【北斗】 「くそっ!」[plc] 悪態をつきながら、乱暴にドアを閉めかけた。[plc] そのときだった。[plc] 【里】 「北斗くん」[plc] 【北斗】 「……なんですか?」[plc] 【里】 「ご飯。あとでもいいから、食べてくれたまえよ」[plc] 何故かさびしそうな里さんの声色に罪悪感を募らせつつ、僕は自室へと足を向けた。[plc] *scene10|前日=その五 ;老婆心からの忠告です。 ;最後にお前はおぼえているか。 僕は呆然と立ち尽くし、驚愕に目を染め、ただただ口をぽかんと開けることしかできなかった。[plc] いくつもの事実を突きつけられ、メーターが振り切れそうだった頭が、ここに来てオーバーフローする。[plc] 目の前に現されたのは、それほどの異形だったのだ。[plc] 【丘】 「見ましたか、北斗。これが私がここに来た理由。そして本題です」[plc] 言いつつ、丘さんは自ら片眼鏡を外す。[plc] 【丘】 「私の体、基本構成は水人です。おそらく一番『変身』していたからでしょう。そして片目が地底人のように見えず、朽ちた翼は空を飛べません」[plc] 丘さんはそう言って朽ちかけた翼をひるがえし、耳のヒレをそっと撫でた。[plc] その様子は歪で、とても肉体の均衡を保っているとは言いがたい。[plc] 【丘】 「『変身』という病魔の真の代償。それは肉体の限界、言わばリミットだ」[plc] 【丘】 「『変身』の過剰使用は確実に使用者の肉体を蝕み、やがては暴走する」[plc] そこで丘さんは自嘲気味に自らの姿を指差した。[plc] 【丘】 「まさに、このように」[plc] 【北斗】 「……それが、ここに来た理由ですか?」[plc] 【丘】 「同時に、“喜多 北斗”が消え去る理由でもある」[plc] ………………。[plc] それは、僕も近いうちにそうなるということか。[plc] 【丘】 「安心しなさい。お前にはまだそれなりの時間が残されているはずだ」[plc] 僕の表情から疑問を読み取ったか、丘さんは先回りするように答えを出していた。[plc] しかし、信用できない。[plc] 【北斗】 「なぜ言い切れるんです?」[plc] 【丘】 「私がそうなるように仕向けたからです」[plc] そう言って、丘さんは指を三つ立てて僕に向かって突き出した。[plc] 【丘】 「三分間。お前の『変身』のタイムリミット。あれは私の嘘だ」[plc] 【北斗】 「!?」[plc] 【丘】 「お前の体にそう刷り込ませ、極端に『変身』回数と時間を減らした。『変身』の暴走を抑える一番の方法だ」[plc] 【北斗】 「…………」[plc] 僕はだんだんと怒鳴り返す余裕も失ってきていた。[plc] 【丘】 「その甲斐あって、お前の病状はさほど進行していない。暴走まで、まだ余裕がある」[plc] 【丘】 「それは充分、対処へ時間を費やせる程度の余裕だ。これがどういうこと分かりますか、北斗?」[plc] 僕は重くなってきた頭を上げ、どこか楽しそうな丘さんの表情をうかがう。[plc] 丘さんはニヤリと微笑し、自分の胸をトンとたたいた。[plc] 【丘】 「お前を私の二の舞にするわけにはいかない。私はお前を助けに来たんだ」[plc] 【北斗】 「――――」[plc] 僕は今度こそ、何も言えなくなった。[plc] 何を、ふざけたことを言ってるんだ、この人は……?[plc] 【丘】 「対処法は簡単です。三分の縛りを無くし、ひとつの種族に固定して『変身』を続ければいい」[plc] 【北斗】 「…………」[plc] 【丘】 「すると肉体がその種族に呼応し、徐々に固定化されていく。最後にはその種族から戻れなくなるでしょう」[plc] つまり、対処法とは種族の固定。[plc] ここに来て、堂々巡りだ。[plc] 種族を固定できない連中が、暴走を防ぐために種族を固定しなければならないらしい。[plc] 【北斗】 「ハハ……」[plc] 茶番だった。[plc] お笑い種だった。[plc] あんまりな話の連続だった。[plc] 丘さんがまだ何かを説明しているようだったが、僕の耳にはそれ以上届かなかった。[plc] だんだんと視界がぼやけてくるのを感じた。[plc] そんなときに脳裏を過ぎったのは―――。[plc] 【北斗】 「…………」[plc] 何故か、置き去りにしてしまった彼女のことだった。[plc] *scene11|就寝=23:30 そこから先、丘さんが話を終え、僕はどのように帰ったかは覚えていない。[plc] 気づけばベッドの上に寝そべり、呆然と見慣れた天井をながめていた。[plc] 【北斗】 「………………」[plc] そして今も、僕は後悔の念にかられながら、天井をながめている。[plc] 【北斗】 「……………………あー」[plc] ためしに声を出してみる。[plc] 大丈夫。ちょっと色んなもので喉がつまりかけているだけで、声は出る。[plc] 喉の開通を胸のうちで一瞬祝ってから、僕ははじけたように布団へとくるまった。[plc] 【北斗】 「何言ってんだ僕はぁ―――――――!?」[plc] やけっぱちになって怒りに身を任せているときはまだ良かった。[plc] しかし、部屋に戻ってドサリとベッドに倒れこんでからしばらく、頭が冷えてくるとそれどころじゃなくなった。[plc] 【北斗】 「バカじゃないかバカじゃないかバカじゃないか、ホントもう僕バカじゃないかぁ!?」[plc] ―――西院歌さんが知ってた?[plc] ―――何も答えてくれないから?[plc] その程度のことがどうしたってんだ、ド畜生め!![plc] 自己嫌悪に身悶えしながら、ゴロゴロとベッドでのたうちまわる。[plc] 自分のあまりの軽率さに、軽く死にたくなった。[plc] 別に西院歌さんが何か僕に悪いことをしたというわけでもないのに。[plc] 【北斗】 「ホントに……バカじゃないのか……!!」[plc] ただの八つ当たりだ。[plc] 丘さんが何の前触れもなく、いきなり現れて。[plc] “僕”が誰なのかを教えていった。[plc] それだけで、僕はもう限界だった。[plc] 【北斗】 「だって、違ったんだ……」[plc] 僕は一人じゃなかった。[plc] 丘さんの話を聞いていて、まず何よりもその事実を意識した。[plc] 自分一人が、この『変身』に悩まされているわけではなかった。[plc] 【北斗】 「違ったんだよ……」[plc] 一瞬、喜びとも安堵とも言いがたい感覚があったのはたしかだった。[plc] 僕は自分がひとりでないと分かるや否や、そう思ったのは間違いなかった。[plc] だからこそ、そのあとの丘さんの言葉に愕然とした。[plc] 【北斗】 「結局、僕は……」[plc] “喜多 北斗”という蓋に押し込められた、名前もないくさいもの。[plc] 『世界でたった一人』の外種だった。[plc] 【北斗】 「僕は……一人だ」[plc] 外種であることを苦に思った覚えはない。[plc] それが原因で蔑まれ、疎まれることはあったとしても、外種自体に覚えはない。[plc] ただ、一人ということが嫌だった。[plc] 【北斗】 「名前も中身も偽物……一人じゃないのに、『たった一人』か……」[plc] それは何もないことの証明だった。[plc] “僕”という存在が、認められないことの証明だった。[plc] ただそれが、ひたすらに辛かった。[plc] 【北斗】 「ここにいる……んだけどなぁ」[plc] せまる肉体の限界よりも、“喜多 北斗”の正体も、ましてや丘さんの本名さえもどうでも良かった。[plc] ここに“僕”がいられないということが、僕にとって最大の恐怖だった。[plc] そんな状態で、眠れるはずがなかった。[plc] 嫌で辛くて怖くて、めまいが止まらなくて、気がつけば朝だった。[plc] 【北斗】 「徹夜なんて……久しぶりだよ」[plc] これからもそうやっていくのだろうか?[plc] 学校に行って、皆と笑って、変わらない生活の中。[plc] 徐々に体の限界が近づき、自らの存在を認められないまま、夜は次の朝に怯え。[plc] そしてまた、違わない朝が来るのだろうか?[plc] これからまた幾度も。[plc] “僕”が“喜多 北斗”でいられなくなるまで。[plc] 【北斗】 「ぅ……」[plc] ぞくりと寒くなった背筋を誤魔化すように自らを抱きすくめる。[plc] 体を丸め、カチカチと微かに歯の根が合わなくなってきた口を無理やりに動かす。[plc] 【北斗】 「怖い……怖いよ」[plc] 一度、呟いてしまった弱音は留まることを知らなかった。[plc] 【北斗】 「怖いよ、怖い……一人は嫌だよ……」[pcl] 僕はただ延々とそれを呟きながら、一向に眠くなれない自分を意識していた。[plc] 刻一刻と昨日と違わない朝が来ることを、震える体で感じながら。[plc] *scene12|幕間、陰日向に 影は、ため息をついた。[plc] 考えれば考えるほどに、喜多 北斗は影の理想だった。[plc] 羨望と怨嗟のため息だった。[plc] しかしどんなに望み、妬み、うらやんでも、その理想には届かない。[plc] 影が表舞台に姿を見せることは、ほとんどできなかったからだ。[plc] そして影も、その事実を一番良く理解していた。[plc] しかしそれでも、影の口はため息以外の何かをこぼした。[plc] 【影】 「…………おじいちゃん」[plc] それは未練ばかりの音色が強い、真実の独白だった。[plc] 影は、またため息をついた。[plc]