2011-09-26 19:39:25

犯罪者養成学校・朝鮮学校 金漢一という朝日新聞社員の著書より

テーマ:朝鮮 学校
今、手許に「朝鮮高校の青春」(金漢一 光文社)という本があります。一九六四年生まれの在日二世である著者の金漢一氏は小中高の一二年間を郡山市と仙台の朝鮮学校寮生として過ごしたのち一九八七年に英文朝日に入社し、現在はヘラルド朝日のスタッフライターだそうです。
つまり、著者はこの記事にて「日本でも参政権がない私のような在日韓国人にとって、生まれて初めて選挙権を持つことになり、やっと成人になった気持ちだ。2世、3世の在日韓国人が、韓国に対する帰属感を抱く契機になるだろう」と話している朝日新聞社記者の金ハンイル氏です。
 この本には「ボクたちが暴力的だったわけ」という副題がついています。暴力的だったのを自慢し、そのいい訳を・・・・・腐れヤクザも真っ青です。まあ、ヤクザのエリートは多そうですけど。OBが・・・
 その内容は日曜日には街に出てのケンカが義務づけられていたそうで
<三年生は、いわば自由である。取り立てて街に出る必要もない。パチンコ好きな先輩はじつに気楽に「○○パチンコにいるから、カネを持ってこい」と声をかけて去っていく。こうなると持ち合わせがないかぎり、カツアゲしないといけなくなる。先輩命令なので朝高的には合法だ。>p二五

 <先にも書いたように、カツアゲは一応禁止なのだが、先輩に頼まれることで大義名分が立つ。あとは先輩にいわれた以上に「稼げ」ば、おいしい物を食べて、七時の点呼に合わせてタクシーで戻ってくればいいのだ。あたりまえのように街中でノルマを課してくる先輩もいるし、表向きは一応禁止なので中のいい後輩に特別に頼む場合もあった。
 最初からケンカ・カツアゲモードのやつは「暴走族センサー」がついているのではと思うくらい目ざとく、ツッパリどもを見つける。バスから駆け降りて、街行くツッパリに蹴りを突っ込むという感じだ。
 略)
 カツアゲのとき、僕たちは「カネを貸せ」なんて遠回しな表現はあまり使わなかった。ズバリ「出せ」と脅していた。
 略)
 まるで説教強盗だ。自分達から突っかかっておいて、また殴ったりする。なかには、本当に給料をそのままいただいてくる奴がいた。
「おまえ、それひどすぎるんじゃあない?」
「チョッパリには何をしようが構わないよ」>p二八~二九

 <族が冷やかしに来た翌日曜日は、こちらもハイテンションだ。温和な僕でさえも、多少は好戦的な気持ちで街に出る事になる。もう完全に大義名分はこちらにあるという感じだ。
 どんな車が校門前でクラクションを鳴らしたかなんてわからない。とにかく手当りしだいに、信号待ちしている族の車をひっくり返したり、フロントガラスを割ったりする。改造車は軽い車が多いのだ。
 車から出てきた暴走族の連中は、どういうわけか、ひょろりとした線の細いヤツが多い。頭にポマードをべっとり塗っているヤツには、その髪にライターで火をつける。青白い炎がフワッと現れたと思うと、いつの間にか勝手にもがいている。
 ちなみに、クスリと強姦は朝高生にとって御法度だということは付け加えておきたい。>p三八~三九

いずれも人間性をよく現しているお言葉ばかりですが、そんなリッパナな生徒を指導する尊敬できるリッパナセンセイとは
<寮生の場合、生徒が警察に捕まるたびに親が迎えに行くわけにもいかない。当然、先生が保護者として警察に引き取りに行く。ただ、先生が謝るということはまずない。
 それどころか、植民地時代の話を持ち出し、強制連行等の理由で日本に渡ってきた境遇を説明して、日本での差別に苦しめられたからこのようなケンカになるのだと堂々と主張するのだ。
 略)
 捕まった朝高生も、日本人の徴発に乗ってケンカになったの一点張りだ。先生も歴史的経緯説を譲らないで、結局は日本政府が悪いと主張し、どんどん話を大きくする。>p三六

 大ウソをならべて、相手に謝らせるという、これまた朝鮮人の行動パターンがよ~くわかるお話です。まだまだすばらしいセンセイの事が書かれています。

<先生もタバコくらいじゃ何も言わない。それどころか、タバコを吸う人間をしっかり把握して、自分が切らしたときはタバコをねだりに来るくらいである。
タバコくらいで生徒を停学にしていたら「学級閉鎖」になってしまう。それはケンカやカツアゲで捕まっても同じ事だ。>p四一

 二年生が一年生をヤキをいれ過ぎて殺した時の当時の金校長のありがたいお言葉
<「事件の背景には民族差別問題が深くからんでおり、単純な暴行事件ではない」『河北新報』一九八二年二月二日>p七〇

 そんな偉大な大センセイからどのような教育をうけているかというと、
<「首領の命令さえあれば、米帝をこの世から葬り去るぞ」
「この幸せを与えてくれた父なる首領・金日成元帥万歳、万々歳」
 このような曲が、朝からかかるのだ>
<そして、金日成主席(当時は首相)に関する教育も始まった。
 授業でも彼の「革命的家庭」について習いはじめるのだが、主役は副読本ともいえる絵本の『金日成元帥の幼少時代』だった>p一三五


 朝高の一般教室はこうなっていると書かれた一三7ページの絵では、金日成、金正日の肖像が正面に飾られ、金日成の教示などが壁に貼られていることが示されている。
 また、教科書については反日教育はなかったと書きながら
(一九九三年までとして)<教科書は「金日成元帥の革命運動」、そして四年生から「~革命歴史」と名を変え、金日成主席の曾祖父と祖父母の部分を軽く流したあと、両親や弟、叔父など主な親類に触れ、少年金日成から青年金日成への生い立ち、抗日軍を組織して祖国を解放し、労働党創立、建国、朝鮮戦争、復旧建設、計画経済という流れで、近現代の出来事までカバーされていた。>p一三九

そんなウソが書かれた教科書を使って教える内容は
<「君たちは、線路にある枕木を知っていますか?あの枕木の数と日本人に殺された朝鮮人の数は一緒なのです」
「枕木っていくつあるのですか」
「それほど多くの人が殺されたってことです」>p一五九

また、金日成については
<金日成の肖像画のガラスを赤い布で磨くのは日直の重要な仕事だったし、火事の時に真っ先に肖像画を運び出した人の「英雄的行動」が紹介されたりもした。
略)
朝鮮学校には金日成の研究室と称した部屋があり、そこに赤じゅうたんが敷かれていて、石膏の胸像があり、「革命歴史」がパネルになって展示されていた。>p一四四


 ですから当然このような人間ができます。
<この「チョッパリ」「日本人みたい」という言葉は、思い起こせば、朝鮮学校に通っているときにもっとも言われたくない言葉だったといっていい。>p二九
<国旗も気になる。日韓の国旗に関してはあまりいい印象がなかった。国旗に対する冒涜だと非難する人もいるだろうが、日本の国旗は「梅干し弁当」、韓国の国旗は「ペプシコーラ」というイメージが強かった。>p二五八

 こんな人間のクズを社員にして平気な朝日新聞

 こんな教育をしている学校が銭を寄越せと日本政府に言う事の理不尽さ。

 そんなリッパナな?朝鮮学校の校長からはこれまたりっぱな「犯罪者」が輩出いたしております。

日本人拉致の犯人として国際指名手配 「朝鮮学校の元校長 金吉旭」

北朝鮮と共謀した覚醒剤の密輸で国際指名手配 「朝鮮学校の元校長 曹奎聖」

 大したものです。流石です。そんな朝鮮学校に肩入れする朝日新聞もこれまた流石です。

http://www.tamanegiya.com/tyousenngatkounosinnjitu.html



8 :番組の途中ですが名無しです:2006/07/16(日) 13:12:28 ID:pzLH0P6z0
俺んちの田舎、在日朝鮮人学校があるんだわ。で、そういうところって必ず朝鮮人部落って
のがあるんだよね。朝鮮人なんかが犯罪犯してそこに逃げ込まれると、警察も手出しが出来ない
くらいの暗黒街なんだわ。 親から『あの近所には絶対近づくな。どうしてもあの近所に
用があるときは、包丁でもなんでもいいから、必ず武器を持っていけ。』
って言われたくらいだからね。俺が小学校高学年の時かな。

下校途中の中学生の女の子が、在日朝鮮人学校の生徒にレイプされる事件があったんだよ。
たまたま一緒にいたクラスメートの男子が助けに入ったんだけど、彼はバットか何かで
頭を殴られてしまったんだ。女の子の方は、部落に引きずり込まれてさんざん嬲られた挙句、
あそこに電球つっこまれて、それが中で割れちゃっててひどい事になっていたらしい。
結局、頭を割られて血まみれになったクラスメートの男子と一緒に、ほとんど全裸で通りに放り
出されていたのを通行人に助けられたんだ。頭を割られた男の子は、頭蓋骨陥没骨折と脳挫傷で
3日後に死亡、女の子もレイプされたショックから立ち直れず、半年くらい後に、『お母さん、
ごめんなさい。』って遺書を書いて自殺しちゃったよ。

俺はその時、子供ながら『何で、あの女の子が“お母さん、ごめんなさい”なんて書いて
自殺しなきゃなんないんだ。?悪いのはみんな在日朝鮮人だろう。!!』って、
物凄い怒りを覚えたよ。警察も動いたけど、結局、部落には踏み込めなかったよ。
最後に警察が掴んだ情報は、『犯人は総連にその日のうちに保護されたもよう、2~3日後に
総連の保護のもと、北に逃げたと思われる。』という情報だけだったそうだ。
女の子が自殺して二年くらい経った時かな。?被害者の遺族あてに差出人不明のいやがらせの
手紙が届いたんだ。内容は『お前達の息子を殺し娘を犯した者達はわが祖国で労働英雄となった。
いい気味だな日本人。』という内容だったそうだ。
結局、被害にあった家族はみんな町を捨ててどこかに引っ越していった。

11 :番組の途中ですが名無しです:2006/07/16(日) 13:13:33 ID:pzLH0P6z0
707 名前:可愛い奥様[sage] 投稿日:04/08/26(木) 01:58 ID:hlfSZYSs
>>672>>690
自分が昔働いていた大手スーパーは駅の近くにあり
朝鮮学校の最寄り駅でもありました。
自分はその中のファンシーショップ(死語)に配属され
先輩にまず言われたことは「チョ○に気をつけて」。
はじめはハァ?と思いましたがしばらくするとその理由がわかりました。
万引きやいたずらなど数、質ともに考えられないほどでした。
彼女らはチマチョゴリを着てこちらを伺い笑いながらやるのです。
挑戦的な態度とでも言うのでしょうか。ものすごく恐かったです。
補導も下手に出来ず万引きされないことしか予防策がなかったので
毎日知恵比べみたいになっていましたが程なくつぶれてしまいました。

同じ駅近辺の他の個人の店も多分同じだったんでしょう。
入口に貼ってあった注意書きが「万引きする人の入店お断り」。
これでも過激だなぁと思ってましたが次に見た時は
「○○人学校の生徒の入店お断り」になっていました。
次に行った時はもう店はありませんでした(今思えば当然ですね)

つまらないエピソードですが当時は若く世間知らずの自分には
とても恐ろしかったのを覚えています。
知れば知るほど関われば関わるほど恐ろしいですよ彼らは。

37 :番組の途中ですが名無しです:2006/07/16(日) 13:30:43 ID:bfW5zA/l0
高校のときに朝鮮高校とラグビーで試合することになった。
そのときはとくに朝高だからといって( ・ω・)ヘー って感じだった。
試合が始まるとまさかこんな修羅場になろうとは夢にも思ってなかった。
スクラムで拳をついてくるわ、首に向かってタックルしてくるわ、
挙句に手のひらを握られて指を折られた奴まで出てくる始末。

あまりに酷いから文句言ったら
「こっちから頼んで試合してるわけじゃない。調子に乗るなよ」
みたいなことを言われた。んで試合が終わって朝高が帰ったあとに、
水筒やダンベル、未使用タオル、スパイクなどが大量に無くなっていた。

133 :番組の途中ですが名無しです:2006/07/16(日) 22:28:20 ID:F734rIY40
戦前
<丶´Д`> <国として立ちゆかないウリの国の面倒を見て欲しいニダ…
戦後↓
<丶`Д´> <ウリの国は日本の植民地にされていたニダ!謝罪と賠償を(以下略)
----------------------------------------------------------------------------------
戦中
<丶´▽`> <高給ニダ!是非ともついていって体を売るニダ 追軍娼婦するニダ
戦後↓
<丶`Д´> <ウリは無理矢理連行され、従軍慰安婦にされたニダ!謝罪と賠償を(以下略)
----------------------------------------------------------------------------------
戦前
<丶´▽`> <日本に密入国して商売するニダ!
現在の在日チョン↓
<丶`Д´> <ウリは日本に強制連行されて祖国から拉致されたニダ!謝罪と賠償を(以下略)
------------------------------------------------------------
北朝鮮へ帰国した在日
<丶´▽`> <北朝鮮は地上の楽園ニダ!日本なんかとは違うニダ!さすがウリの民族ニダ!帰るニダ!
脱北した在日↓
<丶`Д´> <北は楽園じゃなかったニダ!日本に戻ったから生活の面倒見るニダ!
脱北した在日の将来↓
<丶`Д´> <ウリはだまされて北に帰ったニダ。 責任は日本政府にあるニダ。謝罪と賠償を(以下略)
--------------------------------------------------------------------
戦前
<丶´▽`> <満州で中国人にいじめられるニダ。日本人にしてほしいニダ…
(  ´∀`) <じゃぁ、日本に併合してあげるよ、日本の苗字を名乗ってもイイモナ

戦後↓
<丶`Д´> <日本に苗字を無理やり変えられたニダ!賠償するニダ!
ウリナラの歴史マンセー

149 :番組の途中ですが名無しです:2006/07/16(日) 23:08:14 ID:F734rIY40
「山口組三代目 田岡一雄自伝」より転載

通りすがりの通行人の目つきが気に食わないといっては難くせをつけ、
無銭飲食をし、白昼の路上で集団で婦女子にいたずらをする。
善良な市民は恐怖のどん底に叩き込まれた。

こういった不良分子は旧陸海軍の飛行服を好んで身につけていた。
袖に腕章をつけ、半長靴をはき、純白の絹のマフラーを首に巻きつけ、
肩で風を切って町をのし歩いた。
腰には拳銃をさげ、白い包帯を巻きつけた鉄パイプの凶器を引っさげた彼らの略奪、暴行には
目にあまるものがあった。

警官が駆けつけてきても手も足も出ない。
「俺たちは戦勝国民だ。敗戦国の日本人が何をいうか」
警官は小突き回され、サーベルはヘシ曲げられ、
街は暴漢の跳梁に無警察状態だ。

一瞬、ぎくりと立ちどまり、悲鳴のあがる方角に走った。
途中で四、五歳の女の子が泣きながら夢中で駆け寄ってきた。
「どないしたんや」
「おかあちゃんが、おかあちゃんが」
少女は私に泣きじゃくりながらしがみつく。
この世のものとは思えぬ女の狂気じみた悲鳴がきこえつづけていた。
「ここにいるんやで。ええな」
私は少女をその場において一目散に走った。
少女の母親は木立の中で数人の男に犯されていた。飛行服の朝鮮人達だった。

http://mimizun.com/log/2ch/news/1153022904/
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