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2014年10月19日
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カテゴリ:カテゴリ未分類
米国企業の研究開発の末端の末端で働いている私は「日本人がまたやったなぁ!」とノーベル賞受賞者が発表された翌日に出勤すると言われるのが同じ日本人として嬉しい。
IPS細胞の山中教授の時は「人間の細胞をリセットするなんて、どこまで日本人は優秀なんだ?」と同僚達から言われた。
「日本人のIPS細胞の発見でうちの会社のバイオ部門も儲かるぞ!」と同僚達は喜び、うちのグループ企業の中のバイオ関係の会社や関連する検査装置を開発している会社の株価も実際に上がった。

しかし今回の青色発光ダイオードの発明での日本人の受賞に私は非常に迷惑している。

言っておくが、ノーベル賞受賞の会見なんて、世界中のテレビで放映されるものであり、勿論うちの会社の研究開発のメンバーは全員観ているし、シカゴのテレビでも繰り返し放映される。

私の同僚達がN氏のノーベル賞受賞の会見を観て驚いてしまった。
今までのノーベル賞受賞者の中であの日本人は最低の研究者だと口々に言うのである。

同時受賞した赤崎勇氏と天野浩氏は日本が誇る優秀な研究者であるが、カリフォルニア在住のN氏はもはや日本の国籍ではなく、アメリカ国籍なので、アメリカ人のノーベル賞受賞者としてアメリカのテレビは取り上げるので、アメリカではN氏中心に報道されてしまうのは仕方ないのだ。
赤崎勇氏と天野浩氏は日本が誇る優秀な研究者なのに、それを台無しにしてしまっている。
非常に勿体無いのだ!

先ず最初に私が感じたのは彼の英語が私と同じぐらいに滅茶苦茶下手であるということだが、それは置いといて、彼が会見で話したのはほとんど日本の悪口ばかりである。
彼は日本企業での研究発環境は奴隷並みであり、会社を退社した後も企業秘密漏えいの疑いで訴えられたりして、日本では研究者達がどれだけ虐げられているかを世界中の人達が観ているテレビカメラの前で力説しているのである。

彼が下手な英語で勤めていた会社が発明特許を独占したことや、莫大な利益を会社にもたらした自分の発明に対して数万円の報奨金だけしか貰っていない不公平さを興奮しなから話していた。
それに彼が渡米後にその会社から企業秘密漏えいの疑いで提訴されたこともAnger(怒り)という言葉を使って日本企業の酷さを身振り手振りで力説していた。

カリフォルニアでのN氏の会見は日本のテレビでも流れているのだろうか。

私の同僚達は1000歩譲って、彼の話しが本当だとしても、ノーベル賞受賞のキッカケになる研究の機会を与えてくれた日本企業に対するAnger(怒り/恨み)が研究のエネルギーになっているなどというふざけた内容を世界中の人々が観ているノーベル賞の受賞会見で発言するのはノーベル賞受賞者を汚すような品格のない行為であると皆は口を揃えて言う。
ノーベル賞を受賞するような科学者は人種を問わず、世界中の子供達が憧れるものであり、ああいう日本人を自分達の子供が真似したら将来にとんでもない世の中になってしまうと言うのだ。
あんな恨みを人前で言うノーベル賞受賞者を今まで観たことがないと同僚達は言う。

申し訳ない! 

同じ日本人として恥ずかしい!

そして同僚達から「ほそみち、お前が日本企業を辞めてアメリカに来た理由が判ったよ。」と言われるのが滅茶苦茶腹が立つのだ。

私は同僚達に実は彼は科学者ではなく、詐欺師であることを説明した。
私から言わせれば彼は国賊である。
どうしても日本を貶めたい朝日新聞の慰安婦捏造事件よりももっと直接的に世界に発している。

彼が間違ってノーベル賞を受賞することになったのには色々な理由があることを同僚達に説明した。
私は随分前から日本の技術が海外、特に韓国企業に流失することに懸念していたが、その代表的な人が彼である。

先ずはっきり説明しておくが、青色発光ダイオード自体を開発した天野氏はN氏が開発したとされているツーフロー装置は特許として全く価値がないものだとを裁判ではっきり示している。
だからそもそもN氏と天野浩氏が青色発光ダイオードの発明で同じノーベル賞を貰うには相当な無理がある。
だから今回のノーベル賞は別の意味で面白いかもしれない。

彼がノーベル賞を受賞する理由になったのは青色発光ダイオードの原料である窒化ガリウムを量産化できる製造方法を開発したことである。
「アニール」という製造方法はそれまで世の中に存在しなかった画期的なものであり、初期段階の青色発光ダイオード製造工場においてそのアニール製造方法を採用していない工場は世界のどこにもなかった。
それはN氏ではなく、彼の部下が発見・開発したものである。

それに対して、N氏が唯一開発に関わったとされる「ツーフロー」という装置は公知の技術で製作されたものであり、一番に貢献したのは工場にいたガラス職人の職人技だったとも言われている簡単な仕掛けを既存のMOCVDという装置に追加しただけのものであった。
実際にもツーフロー装置では製品のLEDを製造されたことは一度もない。

N氏が彼の部下が発見・開発した画期的な数々の手柄を全て自分のものに出来たカラクリは単純なものだった。
彼は1994年以降は研究に従事していないことは明らかであるが、発表した論文にはファーストオーサー(筆頭者)になっていたのだ。
実は当時彼の部下達は論文の書き方を知らず、そういう論文書きは全てN氏に任せていたのであるが、論文のファーストオーサーが彼の名前になっていても「自分の名前が出ているからいいか」という程度で片付けていたことが幾つもの業界雑誌で記事になっている。

論文に自分の名前を載せただけで笹井氏のように自殺に追い込まれることもあるが、間違った人をノーベル賞受賞者にする力があるのも論文である。
そして河野談話と同じで、一度世の中に出てしまったものはそう簡単には取り消しできないのだ。

こういう恥ずかしい事をやる人が次にすることは決まっている。
自分がその企業で知り得た技術を海外の企業に売ってお金に変えるのだ。
彼はその企業が持っている特許には穴があるとライバル会社のCree社に売り込んだのである。

彼がCree社に行かずにカリフォルニア大学のサンタバーバラ校という州立大学の教授に就任したのはその大学のスティーブン・デンバース教授がそのままライバル会社であるCree社に行ってしまえば訴えられると説得されたからであるが、後に彼はデンバース教授とその日本企業の特許技術を食い物にし、彼らはまんまと大金を手にするのである。
N氏は後にCree社の子会社のストックオプションで10億円ほど儲けたことも暴露されている。
またN氏は韓国のライバル企業の技術顧問にもなっており、現在日本の社会問題にもなっている日本の技術流出の典型的な人なのである。
彼は日本企業から訴えられて当然であり、日本人が汗水流して開発した技術を法律の網の目を掻い潜って、海外の企業に売り渡す奴を国賊と呼んで何か問題があるだろうか?

彼はあの会見で日本企業では奴隷並みの研究者だったと言うが、それも嘘である。
言葉は悪いが、あんな地方の中堅企業において、40歳過ぎの研究員が20年以上も前に年収2000万円もの給料を貰っていたのは決して奴隷の身分ではないことを証明するものである。
しかも彼はその企業で働いていた11年間で報奨金として同世代の一般社員よりも6195万円も上乗せして貰っていたことが公表されている。

どうして彼はあんな会見で平然と嘘を話して日本を貶めるのだろうか?

Angerは彼ではなく、我々日本人の方である!

日本企業から企業秘密漏えいで訴えられた彼はCree社を守る為に逆に日本企業を訴えるのであるが、勝ったのは彼とCree社であると言えるだろう。
武田信玄の「攻撃は最大の防御」であることをカリフォルニアの優秀な弁護士が実践した見事な勝利であった。
徳島という地方の中小企業がアメリカ企業を訴えるのにはかなり無理があったかもしれない。

発明の特許の権利は会社にあるのか、研究者にあるのかという問題はあるものの、「日本の司法は腐っている」と会見したN氏はその裁判で最終的には8億4000万円を手にしている。
日本企業との裁判費用の全てをCree社が負担したことや、その日本企業を訴えてくれればストックオプションを貰えることを約束していたことが暴露されており、彼はそれで約10億円を手にしている。

徳島という地方の中小企業が一人の元不良社員によって米国企業に滅茶苦茶にされた悲惨な話しであるが、これが世界の現状である。
その中小企業にとっては悲惨な事件であったが、そのお陰で日本はこの面に関して対策を講じられるようになったのは有益だった。
IPS細胞にしても先ずこの問題を解決している。

色々と話してきたが、所詮私は新聞やテレビで読んだり聞いたりした内容の域を超えないものである。
だから私の話しの内容に細かな誤解や間違いが無いとは言えないことを言っておく。
私は評論家でも何者でもなく、単なる何処にでもいる50過ぎの疲れたサラリーマンのオッサンである。
そんなオッサンのちょっと長い"つぶやき"を発言に責任あるTVのコメンテーターと同等に扱うのは意味がない。

しかしN氏のノーベル賞受賞の会見での彼の振る舞いを観たら、ノーベル賞を受賞できる資格が無い者であることを読者もはっきり感じたと思う。
島津の田中さんや山中教授を見れば判るように、ノーベル賞を受賞する者は自分自身で実際に研究してきただけの品格があるのだ。
田中さんや山中教授などのノーベル賞を受賞するような科学者は研究に忙しくて、何億もの大金を研究以外で儲けるような時間も興味もないのだと考えるのは私だけだろうか。





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最終更新日  2014年10月21日 09時18分27秒
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2014年10月13日
カテゴリ:カテゴリ未分類
今日(日曜日)は天気予報は90%の確率で雨だったので、音楽仲間との宿題を片付けようと思っていたが、今日は晴天!
申し訳ないが、宿題をするのは後にし、私はナナハンにまたがった。

晴天であっても気温は低いが、厚着をすれば十分大丈夫な範囲だった。
しかし夕方からは雨が降るらしいので、午後4時ごろまでには家に帰る予定。
さすがに朝一番の冷気に触れるとバイクにまたがる気分にはなれなかったが、正午近くになるといい感じになった。

出発だ!

今年最後の最後のバイクぶらり旅の目的地は以前に私が家を購入した場所から車で数分のところにあるLong Groveという町である。
この町は19世紀にドイツ移民によって開拓された。
当時の風潮が現在でも感じられ、アメリカ中西部の古い風情に浸ることができる。
隠れた観光地とも言われており、評判の骨董品店やギャラリー、3つ星レストランや地元のワインナリーを楽しむこともできる。

今日はその町でアップル・フェスティバルが行われているので、1人でブラブラ歩く積もりである。
その町の直ぐ近くに住んでいた頃はいつでも行けたので、反ってゆっくり観ることをしなかったのだ。

現在の自宅から1時間弱のバイクツーリングだ。

ハイウェイ53を終点までぶっ飛ばす。

気分爽快だ!

HONDA SHADOW 750 SPRITのV-TWINのトルクがあるエンジンがぐいぐいとハンドルを持つ私の両手を引っ張ってくれ、頭の中からアドレナリンがどくどくと排出されているのを感じる。

あぁ生きてて良かった!と今日も思った。
今日の1ガロンのガソリンは$3.20。
これだけ楽しんで$10で十分お釣りがくる人生の楽しみ方は随分お得だ。
貧乏人である私には完璧過ぎるほど合っている。

あっという間にLong Groveに着いた私は町のPublic Parking(無料)にバイクを停め、歩いて街の中心まで行った。
観光で訪れた人達がトラクターに乗せられて農園にリンゴ狩りに行くところをiPhoneで写真に収めた。

S013.jpg

テントの中ではビールを飲みながらバンド演奏を聴いている。

S015.jpg

今日のこの街はレストランの前には車ではなく、トラクターが足代わりなのか?

S004.jpg

今日は改めてこの街をゆっくり歩き、アメリカ中西部の古い風情に浸ることができた。

小洒落た店の前にはどの店でもこんな人形が置いてある。
ハロウィンが近づいてきているのだ。

S009.jpg

この街はHistorical Long Grove Villageという観光地なので、古い街並みをそのまま残しているが、Long Grove市はシカゴの超お金持ちが住むエリアである。
シカゴダウンタウンの幾つかの街には確かにお金持ちが住むエリアがある。
エリート弁護士やエリート医師などの高所得者が好んで住む高級住宅地域があるが、Long Groveはその弁護士事務所を経営している者が住んでいたり、病院を経営する者が住んでいたりする町である。
この町では借家というものが存在せず、その町に住むには家を購入するしかない。
特別な町である。

我が家の息子もLong Groveの超リッチな家庭の子供達と同じ学区なので、同じ高校に4年間通ったのであるが、一番困惑したのは息子であるのは間違いないだろう。
勉強はトップクラスだった息子は部活仲間(ウォーターポロ)の宿題を看てやることが時々あり、部活が終わったら学校に迎えにきているその友達のお母さんのBMWに乗り込んで自宅まで行くことがあった。
勉強を教えてもらっているので、私の息子を家まで送っていくという電話をもらうのだが、何回かに一回は私が友人の自宅まで迎えに行く。
こんな感じの家である。
私がこの日記に写真を掲載したこれらの家はLong Groveに実在する。

Long Grove 01.jpg

敷地の門から自宅の玄関に着くまでに車を1分ぐらい走らせる。
その当時に住んでいた我が家だと自分の敷地からガレージまで2~3秒である。
超お金持ち家族の子供達と同じ学校へ行ける学区のボーダーラインぎりぎりのところに私は一軒家を購入した。
間違いなく我が家はその学区の中で一番小さく、安い家であった。

家の正面.jpg

高校1年生になった息子が私に「クラスメイト達はホテルみたいな家に住んでるで!」と言った。
他のクラスメイトの自宅に息子を迎えに行った時も見たのはこんな感じの家だった。

Long Grove 02.jpg

要するに息子が話したように、我が家みたいな小さな貧相な家の方が珍しかったのである。

BMWやレクサスなどの高級車が幾つも並んでいるので、来客中か?と思ったら、全てその家族の車だったのには驚いた。
私の息子も皆と同様に学校の授業の一環で16歳で車の免許を取ったが、車を持っていない息子を迎えに来てくれたクラスメイトは親の大切な車を借りてきたのだとずっと思っていたが、実は免許を取った祝いに親から買ってもらったものだと判った。

息子を迎えに行った時に上品な母親が出てきて「もう少し時間がかかるみたいですよ。」と言われ、美味しいのか不味いのか判らない紅茶を出してもらうこともしばしばあった。
「どういうお仕事をされているの?」と訊かれた時に私は「XXXX社でエンジニアをしてます。」と言うと、「一流企業じゃないですか!」と驚いてみせるが、その家の主は小さな会社であっても何人も弁護士を抱える法律事務所の経営者だったりするのでこちらが驚いてしまう。
息子には「そういうホテルみたいな家に住んでいる奴は世の中で悪いことをしている奴らだ!」と説明したが、そんなに間違った話しではなかったようだ。

私はリッチな家庭の者達はアジア人で貧乏家庭の息子を差別したり、失礼な振る舞いをするのではないかと少し心配したことがあったが、現実はその逆であった。
母親達は私の息子が自分の息子と付き合ってくれていることに喜んでくれていたのだ。

こういう事を書くと読者の方達に反感を買いそうだが、息子は高校時代の定期テストから大学院受験のセンター試験のGREまでの全ての試験で、数学や物理などの理科系学科では満点以外の点数を取ったことがない。
母親達は私の息子の学校での評判を自分の子供達からいつも聞いているのだ。
日本人の母親でもアメリカの母親でも同じで、勉強が優秀な子供はVery Welcomeされるのだ。
子供が勉強が出来ると何故か親まで尊敬してくれるのにはいつも違和感があった。

嫁さんは息子の高校時代に知り合ったあの地域の母親達と未だに付き合いがあり、定期的にお茶会をして現在の子供の状況などを話し合っている。
そういう家族の話しを嫁さんから聞くと会社に行くのが嫌になってしまうことがある。
息子がNYの大学に進学したのでマンハッタンにコンド(マンション)を約1億円で買ってやったとか...そういう話しである。
我が家では彼らが高校で免許を取った時にBMWのオープンカーを買ってもらっただけでもぶったまげていたのに...

嫁さんが言うには、もしあの様な大きい家をタダで貰ったとしても我が家では絶対にやっていけないらしい。
5部屋も6部屋もあり、大きな地下室もある家では冬の季節にはガス代だけでも$1000を超えることがあるらしい。
アメリカの家はセントラルヒーティングなので、使用しない部屋でも平等に温められるのである。
毎年払うProperty Tax(固定資産税)は恐ろしい金額を支払っているだろう。
あんな我が家の小さな家でも日本円に換算すると100万円ぐらいの税金だった。

そして小さな我が家の水道代でも夏の季節には庭の芝生に大量の水が必要なので$300に達したことが何度もあった。
私一人が芝生を刈れる広さである。
あんな広い庭の芝生なら勿論メキシカンの専門業者に頼むしかないし、水道代だけを考えてみても私の給料レベルでは捻出できるものではないだろう。

アップル・フェスティバルの会場近くに売家の看板が出ていたので歩いて行ってみた。

S008.jpg

平均よりは小さく、古い家だったのでひょっとしたら私でも買えるかもしれないと馬鹿な勘違いを一瞬だけしてしまったのだが、玄関まで歩いて行くだけの元気も失せてしまった。
嫁さんが言う通り、この家がタダで手に入ったとしてもその家で生活してくのは無理だろう。
日本の諺にあるように「身の程」を知ることは大事であると私は思う。

何れにせよ、私が無理をしてあの地域に家を購入したのは得をしたと思っている。
私の家はユダヤ人地域のど真ん中にあったが、生粋のドイツ人にしろ、ユダヤ人にしろ、彼らは子供の教育にはどの民族よりも重視しており、自分達の子供が通う学校にシカゴでトップクラスの教師を高給で雇っている。
大学の授業(APクラス)を教える資格のある高学歴な先生達を町の税金から使うことを奨励する住民が住んでいるのだ。
Property Taxが他の学区よりも驚くほど割高であっても、その税金が教育に使われることに納得している人達である。

お陰で私の息子はシカゴで最高レベルの教育を優秀な先生から受けられたのだ。
息子が大学でDean's List(成績優秀者名簿)に載ると、District(学区)のホームページにはその名前が掲載された。
納税者達の血税によって運営された教育でこれだけの優秀者を輩出できたという報告をしているのである。
息子は大学2年までの理数系の学科の単位を高校で取得できたので、大学3年で早期卒業できたのであるが、息子はダブルメジャー(二つの学部を専攻)をして、二つのDegreeを取得したので4年間かかった。
本来なら大学3年で早期卒業できたので、年間授業料の3万ドル(約300万円)が節約できたのであるが...

今日私はLong Groveや息子が通った高校、それに息子のクラスメイトの自宅などの懐かしい場所をバイクで通った。
懐かしい超リッチな豪華な家を横目で見ながら、こういう方達が支払う高額の税金のお陰で現在の息子が存在するのだと感謝の気持ちで一杯だった。
前述した様に、我が家はその学区の中で一番小さく、安い家であったので、その地区の住民の中で一番安いProperty Taxを払っていたことになる。
そして息子が無事に大学を卒業したと同時にその税金の高い地区の我が家を売って、会社から約5分の場所にある家を現在借りている。
申し訳ないが、その地区の次の子供達の為に高い税金を払ってあげるほど私は裕福ではなかった。

自宅に帰る途中に私が住んでいた家があり、その側を通った。
家にはちゃんとハロウィンのデコレーションがしてある。
シングルマザーの女性警官が背伸びして私の家を買ったのは以前の日記に詳しく書いたが、一人娘がどれだけ大事に育てられているかが窺える。
不動産屋さんの担当者から彼女が自分の娘には最高の学校に行かせてやりたいので私の家を買ったことを聞いたが、安い警官の給料であの金額のProperty Taxを毎年支払っているかと考えると頭が下がる思いであった。
どんな形にせよ、その娘は母親の期待に添えるだけの立派な女性になるに違いないと私は確信している。





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最終更新日  2014年10月13日 12時52分53秒
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2014年10月11日
カテゴリ:カテゴリ未分類
1週間前に初雪が降ったシカゴでは今日がほんとうにこれが最後の最後のバイク乗りになるだろう。
シカゴのバイクシーズンは短い!
顔に当たる風は冷たかった、50を過ぎたオッサンが無理してバイクに乗ってみた。

マイミクさんがYoutubeに投稿されたバイクジムカーナの動画を紹介していた。
素晴らしいコーナーリング!
しかしこのぐらいなら高校の頃からバイクに乗っている俺も出来るんじゃないか?っと思って、自宅の前の道路で挑戦してみた。
何しろ、Schaumburgの免許センターで検査官から満点だ!と言われたぐらいだ。

しかし実際にやってみるとYoutubeに投稿されたバイクジムカーナの動画と比べると雲泥の差であるのは私自身も認める他なかった。
私のタイプのバイクでは曲がる為にバイクを傾けるとフットステップが地面に当たるのでれが限界。
勿論半分は"いい訳"であるが、プロが私のバイクHONDA 750 SHADOW SPIRITを運転してもフットステップが地面に当たるので大幅に半径が短くなることは物理的に無理。


Youtubeで観る

バイクは1回こけると10万円だと言われている。
ミラー、ウィンカー、ハンドル...
ハンドルなどの基本的な部品の設定が少しでもずれると全体のバランスが崩れてしまい、ハイウェイで高速で飛ばすとが危険なので、プロが専用機器で細かな調整をしてもらう必要がある。
シカゴのバイク屋での点検はきっちり診てくれるが、工賃が高く、こけた時のダメージを検査するだけで$340(3万4千円)。部品代は別だ。

この動画は嫁さんにiPhoneで撮影してもらったのだが、「ほそみち、わかってるやろな!1コケ、$1000やで。絶対に無茶したらあかんで!」と何度も念を押された。

俺みたいなバイクの神様にそんな事を言うとは.....と思いながら、実際はコケた時の損害額が頭から離れなかった。
ほんとに小さい男である。

昨日(金曜日)嫁さんがミツワに行ったら、日清のソース焼きそばを発見。
棚に並べてあった残り4個を全てゲット。
今日も日清のソース焼きそばが棚に並べてある可能性は大きいと思ったので、ミツワに朝からバイクで出かけた。

ミツワに向かうハイウェイ53で新記録が出る。
98Mile(157Km)である。
私はただハーレーの後ろに付いて行っただけだが、途中でスピートメーターを見て驚いた。
まだ私のHondaのナナハンには十分余裕があった。
シカゴのハイウェイではナナハンでは力不足だと思っていたが、実は自分の腕がなかっただけなんだと思い知らされる。

朝一番に嫁さんとCostcoとMarianosでの買い物をどうしても外せなかったので、ミツワには11時の到着。
CostcoとMarianosでの買い物なんて、大した物を買うわけではないのだが、嫁さんとの買い物の約束をすっほかしたら、どれだけ後を引くかは死ぬ程わかっている。
そこまで計算できないほど私は馬鹿ではない。

「クーポンには期限があるのよ!」というセリフは100万回聞いたので、絶対に死んでもその店に行かなければならない理由があるのは私はよく理解している。
「そりゃクーポンなんか気にしなくても生活できる人達にはいいかもしれないけど...」という嫁さんが次にいうセリフも何十年も前から変わっていないし、実際にそれで毎月20%以上の買い物の金額を節約できているので、なかなか賢い嫁さんだと私は感謝しているのだ。

しかも今日は朝早くから嫁さんを寒い外に出させて、私のバイクライディングを撮影してもらっているので、嫁さんの言うことには少なくとも今日1日は絶対服従である。
それがたった2分ぐらいの撮影であっても来年まで言われる可能性もあるということを十分に知っている。

嫁さんを機嫌よくコントロールすることは私が開発を担当している工業製品のファンクションをコントロールするプログラムを書くよりも桁違いに気を遣い、難しい能力を使うことを言っておく。
昨日(金曜日)も私がある難しい機能を製品に追加して、ラボでの試運転に成功し、同僚や上司から拍手をしてもらったが、我が家で使う私の能力に比べればはそんな仕事のことなど容易いことであることを社内の誰も知らない。

ミツワに着いて、ラーメンコーナに駆け寄った時に安堵を息をついた。
もう既に日清のソース焼きそばは売り切れだと思っていたが5個残っていた。
非常に今日はラッキーだった!
シカゴ在住の日清のソース焼きそばファンには申し訳ないが、全てを買わせてもらった。

シカゴで日清のソース焼きそばを食べたいなら、それなりに情報を集め、早起きしなければならないことを言っておく。
シカゴで日清のソース焼きそばを甘くみていたら、泣きを見るぜ!
少なくとも俺という強豪な競争相手がいることを忘れるなよ!

S006.jpg

最後に全くどうでもいい事であるが、私がミツワから帰ってきたら、嫁さんが少し機嫌悪かった。
シカゴで唯一の日本語チャンネルTV-JAPANの何かの番組に米倉涼子が出演しるのを嫁さんが観た時に、嫁さんの髪型を真似されていることを発見したそうだ。





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最終更新日  2014年10月12日 10時17分31秒
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2014年10月08日
カテゴリ:カテゴリ未分類
先日の日記それはないだろう、Jim!に書いたように、同僚のJimがうちの会社を辞めて、来週から日本企業で働く。
そして今日が彼の最終日だった。

最終の引継ぎを終えて、彼は今まで苦労して開発してきた製品の前で私と一緒に写真を撮りたいと言った。

ほう、アメリカ人でもそういうセンチなところがあるのかぃ!

2年間私は彼をMentorとして指導してやったが、結局お前はモノにならへんかったな!と心の中で思いながら彼の隣に並んだ。
そんな彼でも来週から働く某日本企業の開発部では上級開発員として仕事するのかと思うと何だか笑えてくる。
学歴だけでそこそこのポジションで働かせてくれる日本企業なんかのぬるま湯に浸かっていたら自分の技を極められないよ!と言いたい気分は半分あったが、彼は来週からこの会社で行われている椅子取りゲームに参加しないくていいのか!冷汗をもうかかなくていいのか!と思うと羨ましい気持ちも半分あった。

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この写真を撮ってくれたのは同僚のMikeであるが、彼は67歳の第一線で活躍しているハードウェアエンジニアである。
この会社で勤続38年になる。

Jimと私はFirmwareという制御ソフトウェアを開発し、Mikeは制御ボードを開発し、その二つで製品を機能させていく。
Jimは私の後釜としてMikeとチームを組み、ある工業製品を担当してきた。
Jimが完成させるはずだった製品を問題点を幾つも残したままで彼は会社を去るので、私が最後まで面倒みる羽目になり、また私はMikeともチームを組むことになる。

Jimは師匠2人の写真も記念に撮っておきたいと言うので、Mikeと並んだところを彼は写真に撮り、私にメールで送ってくれた。

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年内に発売する新しいバージョンの製品のハードウェアをMikeが設計した。
その歳で若いエンジニア達に勝る技術で開発の第一線で活躍しており、私は非常に尊敬している。
50歳前半の私でさえ辛うじて若いエンジニア達にはほんの少しだけ勝っている状態であり、何とか第一線で活躍できているが、もう既にボーダーラインを行ったり来たりしているのが現状だ。
彼はこれまでに会社の上層部から何十回も管理職に就いてくれという要請があったが、一番面白い仕事は現場でモノを開発することだと主張し、昇進を全て断っている。
筋金入りの叩き上げエンジニアである。

社内では彼と仕事するのを嫌う者が多いのであるが、彼の駄目出しが半端なく厳しいからである。
何を隠そう、JimもこのMikeにいつも撃沈されてしまうのが会社を辞める理由の大きな一つなのである。

それは私にとって悪いことではない。
大先輩のMikeに厳しい駄目出しを受けるのはお金を出してもやってもらいたい...とまでは言わないが、私にとってはVery welcome!である。
彼は実に痛いところを突いてくるのであるが、その度に技術者として向上してくのが肌で感じられる。

少し専門的なことになるが、例えば何か不具合が発生した時に彼が作成したFPGAに私のソフトウェアが出鱈目なデータを書き込んでいるじゃないか?書き込みタイミングが悪いのじゃないか?と彼から疑いをかけられ、高性能のオシロスコープでμSecオーダーでのデバッグをするのであるが、発売されたばかりの高機能のオシロスコープを自分の手足の様に扱うMikeを見て、この私もついて行けない時が多々ある。

私は細かくノートに記録しているのだが、私のFirmwareが悪いか、彼のHardwareが悪いのかの大議論を今年5回して、現在のところ4勝1敗である。
しかし私の4勝の内の2回はMikeが私より先に私が開発したFirmwareが正しいことを証明したので、純粋に技術者的な判断すると私が2勝3敗になるかもしれない。
そういう真剣勝負をするのは技術者にとって面白いし、管理者になってしまえば絶対に経験できない現場でならではの醍醐味である。

ラボで彼と大議論をしていると気が付けば学校出たての若いエンジア達が我々を囲んでいたりする。
そしてオシロスコープの波形が少し変化したのを見逃さなかったMikeと私は同時に声を上げる。
Did you see that? Yes, I did. Did you capture it? Of course! I told you I was right!
私の推論が正しいことが判明した瞬間だった。
若いエンジア達は「何、何、何が起こったの?何が判ったの?」と聞いてきた時にMikeが「ほそみちに後で分かり易く説明してもらえ。」と言った時に私は心の中で「お前らがこれを判るには10年早いわ!」と呟き、少しばかりの優越感に浸ったこともある。

Jimももう少しMikeの下で修行し、額のしわがもう一つ増えれば、間違いなく苦痛の域を通り過ぎて、快感の域に達するのに!と思うと凄く勿体ない気がするのであるが、日本企業のぬるま湯の良さも十分理解しているので、どちらの方が幸せな人生を送れるかは私が判断できるものではない。

彼の最後の仕事を終えると我々は会社近くのバーに飲みに行った。
最初は8人ぐらいいたが、日本の宴会とは違って家族が一番大事なアメリカ人は自分の都合の良い時間にそれぞれ帰って行ってしまう。
私は彼のMentorだったので、最初から最後まで残ってやる積もりであった。

そして親しい仲間の3人になった時にJimは私に話しだしたのだ。
彼は新しい職場で1年後辺りに開発チームリーダーを任される立場になると言う。
数ヶ月経ってJimが仕事に慣れた頃に私にその会社に転職してみる積もりはないかと言うのである。
その会社は新しい分野の開発チームを立ち上げるためにメンバーを募集しているのだ。
Jimが技術もあり日本語も出来る者が同僚にいることを新しい会社の人事担当者に話しており、彼らも東京本社と日本語で話せて、アメリカ人の同僚達と英語で話せる者を欲しがっていると言うのだ。

Jimは「ほそみちの仕事の腕は俺が保障しておいた。」と言う。
それに東京本社の者達と日本語でちゃんと会話できるなら、良いポジションに就けるのは間違いないとまで言うのだ。
Jimは「ほそみち、お前、随分アメリカに住んでいるが、まさか日本語を忘れたんじゃないだろうな?日本語もまだ読めるだろう?」と訊くので、「俺は日本語が出来るんじゃなく、英語ができるんだよ!」と答えておいた。

お前、馬鹿か!何が悲しくてシカゴまで来て日本企業の現地採用社員にならなければいけないのか!っと心の中で叫んだが、口には出さなかった。
その言葉の代わりに口から出てきたのは「条件を聞いといて。メールして!」だった。

言っていることとしている事が見事に違うではないか!

嫁さんをちゃんと食わして、家賃や息子の学費ローンを毎月払うためには銀行強盗でもしてやるのが父親や夫としての勤めや!っと自分に言い訳をする情けない俺であった。

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最終更新日  2014年10月08日 14時34分28秒
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2014年10月06日
カテゴリ:カテゴリ未分類
日本からこのブログを読んでいる方は「こんな下らないものを書いてどうするのだ?」と思うかもしれないが、シカゴ在住の日本人にとっては即席麺の焼きそばの問題は大きいのだ。
笑われるかもしれないが、日清ソース焼きそばをミツワで手に入れた時は当分は幸せな気分になれるのだ。

シカゴで日清ソース焼きそばを買えるのはミツワという日本人向けスーパーマーケットが2店ある内の1店でだけであり、日清ソース焼きそばを巡って壮絶な戦いが行われていることを先日の日記の日清ソース焼きそば 最後の3つの戦い!に詳しく書いた。

日清ソース焼きそばがミツワに入荷する情報をウェブサイトで見つけた。
その日の朝一番で買いに走ればよかったのだが、9月の中旬になると朝にバイクで出かけるのは寒いので昼に行ってしまうとこれだ。

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1963年に発売された日清ソース焼きそばや、1958年に発売されたチキンラーメンは私が子供の頃からずっと食べ続けてきたものであり、私の身体の1/3以上は日清の即席麺でできていると本気で信じている。
これが私の人生からなくなるとは夢にも思わなかったが、シカゴで暮らし始めるとそれが現実になった。

裕福な家庭に育った方達は即席麺を食べる必要がなかっただろうし、うちの嫁さんの様にちゃんと母親がいつも家に居て、子供達の面倒をしっかりみていた家庭で育った者達は即席麺を食べる習慣がない。
だから私が即席麺の話をしても、ついてこれない者達は良い家庭で育てられたと親に感謝すべきだと思っている。
私の実家は貧乏で、母親はずっと忙しく働いていたので、この世で一番美味しいものは日清の即席麺かエースコックのどちらかだだと信じていたが、120円で店で食べられるスガキヤラーメンに出会ってその考えを改めた。
私が世界一美味しいと信じているスガキヤのラーメンは私が育った町では店で食べる一番安いラーメンだった。
現在でもそうである。

私の日記で何度も書いているが、鳥エキスを含んだチキンラーメンは鳥インフルエンザが流行して以来、アメリカには輸入禁止になり、日本人向けスーパーマーケットから完全に姿を消した。
しばらくは日本の友人達にチキンラーメンを送ってもらっていたが、小箱でも航空便で送ってもらうと1万円以上かかり、その費用を受け取ってくれない友人達に定期的にお願いするだけの勇気は私にはなかった。

しかし日本の食品メーカーは偉い!
鳥エキスを全く含まずにチキンラーメンと同じ味が出せる即席麺を開発したのだ。
そして当然それはシカゴに入ってきた。

私は涙が出るほど嬉しかった。
私が昇進した時よりも遥かに嬉しかった。


それは東京拉麺である。

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しかし東京拉麺がミツワに並べられるようになったとはいえ、直ぐに売り切れてしうまうので全く安心できないものなのだ。
どこのスーパーマーケットに行ってもチキンラーメンがいつでも買える日本での暮らしと同じように行動していてはえらい目に遭うのだ。
だからミツワの棚に並べられたら私は買いだめをする。
以前はテンスケマーケットにも売っていたのだが、そういう訳か取り扱いを止めたのだ。

日清ソース焼きそばはシカゴで暮らし始めてからようやく忘れてかけていた頃にカップ麺タイプがミツワに入ってきてしまったのだ。
折角苦労して禁煙できたのに悪い友人が「一本ぐらいいいやろ?」と目の前にタバコを差し出したようなものである。

いや、それよりも悪い。
禁煙を失敗したら、またタバコを吸い始めればいいだけのことであるが、日清ソース焼きそばは少しだけ入ってきて、しばらく入ってこなくなるのである。
蛇の生殺しと同じである。

ミツワも販売戦略が上手である。
ミツワに並べてある品物は他のアジア店よりも安心できる良質のものであるが、どの商品も値段が高いので、レタスやたまねぎなどの日本特有の物でないものは他の店で買っている。
しかし「日清ソース焼きそばが入荷!」との情報がウェブサイトに載ると絶対にその日にミツワに行かなければならないので、ついでに他の物も買ってしまうのは言うまでもない。
しかも日清ソース焼きそばが売り切れていても、今更何も買わないで他の店に行くほど面倒くさいことはしないので、そのまま買い物を続けてしまうのが実情である。

完全に足元をみられている!

しかしそれでもいいのだ。

シカゴで暮らしていて日本の日清ソース焼きそばが食べられること自体が幸せなことである。

我が家が日本に住んでいた頃の話だ。
私が出張でヨーロッパに出張している間に嫁さんと当時小学2年の息子が私に何も知らせないで二人で富士山の頂上まで上り、山小屋で一泊したことがある。
その時の普通のミネラルウォーター1本が500円だったそうだ。
自宅で飲むミネラルウォーターよりも富士山頂の山小屋で飲むミネラルウォーターに500円以上の幸せを感じたと言うが、そんな感じの幸せである。

そして先週の土曜日に非常に嬉しい事件があった。
日清ソース焼きそばが売り切れている棚を見て、ヤケクソになって「イトメンの焼きそば」を買って帰ったところ、「イトメンの焼きそば」がかなり日清ソース焼きそばに近い味であることを発見したのだ!
しかもイトメンの焼きそばは日清ソース焼きそばに味が近いだけでなく、イトメンの焼きそばなりの独自の美味しさを兼ね備えているのだ。

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はっきり言って、これは今年最大の大発見である!

日清ソース焼きそばが売り切れていても、イトメンの焼きそばが買えれば、それだけで嬉しい。

ミツワに文句は決して言いません!

愛煙家に例えるなら、マイルドセブン(まだこのタバコあるのかなぁ?)が売り切れていてもマイルドセブン・ライトが買えるみたいな感じである。

「日清ソース焼きそば」にしても「イトメンの焼きそば」にしても、口に入れた瞬間に舌だけが喜ぶのではなく、頭の隅に存在する何かまで反応してしまうのは、この二つには何か共通したものがあると確信した。
一般的に人気がある「焼きそばUFO」や「一平ちゃん」は確かに美味しいが、「日清ソース焼きそば」や「イトメンの焼きそば」の様に即席麺の焼きそば以上のものをもたらしてくれることはない。

私はそれが何なのかネットで色々と調べてみたら判ったような気がする。
我々消費者の声や製造会社のウェブサイトなどを読んでいると共通している言葉があった。
それは"屋台の焼そば"の味だったのである。
ランチブレーク中にそれをやっていたのであるが、思わずIt makes perfec sense to me!と大きな独り言を呟いてしまった。

私が育った滋賀の田舎町ではお祭りや夜店などで刺青を入れた兄ちゃんが見るからに不衛生な鉄板で焼きそばを作っていたのを思い出す。
ああいう場所で歩きながら食べる焼きそばはどういうわけか美味しいのだ。
屋台の焼きそばには独特の風味があり、私がこれまでの人生の中でどんな高級な中華料理屋さんに行っても得られなかった味である。
あの焼きそばは屋台が出る特別な日しか食べられなかったのだ。
もっと言えば、あの美味しい味は夜店などで刺青を入れた人相の悪い兄ちゃんでしか出せない特別の風味なんだと子供心に理解していた。
だからなのかもしれないが、私は刺青を入れた人達をそんなに悪い人達とは思えないのだ。

屋台の焼きそばは日本のソールフードである!

私はイトメンの焼きそばが日清ソース焼きそばの代役がそこまで務まるとまでは夢にも思わなかったので、1パック(5個入り)しか買わなかったのだ。
今から考えてみるとあの棚には残り10パックも置いてなかったので、段々不安になってきたのだ。
土曜日の深夜にその大発見をした時に翌日の日曜に直ぐに買い溜めをしに行かねばならぬ!と思った。
しかしその日の朝から地下室の暖房装置の点検作業と二階の電気工事作業の二つが予定されていたので、午前中は家を離れるわけには行かなかったのだ。

午後の1時半頃には音楽仲間のKa2さん夫妻が我が家に遊びに来る予定だったので、ミツワにそれを買いに行くのを諦めた。
そしたらKa2さんから2回連絡があり、1時間送れの2:30頃になるという連絡と3時を回ってしまう連絡であった。

それやったらミツワに買いに行けたやん!っと思ってしまったのは言うまでもない。

Ka2さんは仕事関係でオヘヤ空港まで行っていたので、変更され易いフライト時間の関係から予定時間が大きく変わることは百も承知していたので、私はKa2さんを責めているわけでもなんでもないのだが...

3時過ぎに我が家に到着したKa2さんとはその後に数時間、ジャズ演奏で非常に楽しむことができたので感謝していたのだが、気が付けば私は前日の大発見をKa2さん夫妻に話すのだけは躊躇してしまったのだ。
もしこれをKa2さん夫妻に話してしまったら、我が家から自宅に帰るまでの途中にミツワがあるので、私よりも先に買い溜めされてしまうと無意識に私の頭が計算してしまったのだ。
そんなのはずるい!と計算したのだろう。
しかし後で考えればKa2さん夫妻が帰る頃にはミツワは既に閉まっていた頃なのに...

あーあぁ、大切な友達なのに...俺はなんてことをしてしまったのだ!

昨夜私は自責の念に駆られた。

そして十分に反省した私はそういう凄い情報はKa2さん夫妻だけでなく、日清ソース焼きそばの禁断症状に苦しんでいる海外に住む日本人に公開することを決心したのだ。
なんて俺は器の大きい男だろう。

これを公開した以上は自分で自分の首を絞めることになるのは覚悟の上だ!

こんな日記をここまで読んだ人は「焼きそばUFO」や「一平ちゃん」じゃ駄目なんだ!「日清ソース焼きそば」でないと駄目なんだ!と"違いがちゃんと判る人達"だと思う。
そういう人達は私の人生の同士なのである!

We must help each other! Right?





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最終更新日  2014年10月07日 12時39分34秒
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2014年10月04日
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今年の最後の最後として根性据えてバイクで出かけようと思ったら、雪が降ってきたので、5分ほどで帰還。
ガレージのリモコンは車に付けたままなので、クラクションを2度鳴らして嫁さんにガレージを開けてもらった。

これ以上の不機嫌な顔はないという顔をして玄関から出てきた嫁さんは「あんたは根性ないなぁ!30秒で帰ってきたやん。記念に臆病者の写真を撮ったるわ。」と言って、携帯で私のみっともない姿を撮ってくれた。

「お前は嘘つきや。30秒ということはないぞ!」と言うと「カレージを開けた時間は関係ないで!」と嫁さんが言うので私は「それやったら4分ぐらいや!」と反論した。

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雪がパラパラと降ってきたのだが、ヘルメットを被らずにバイクを運転している私にはその雪が高速でパチパチと顔に当たるのだ。
これはヤバイと感じてすぐに家に引き返したのだ。

気温を見たら2℃、それに少しだけの曇り空なので雪は降り止むだろうと思ったら、予想通り30分ほどで降り止んだ。
再度外に出てみたら、もうバイクに乗る気持ちが完全に失せてしまうほどの冷たい空気が漂っていた。

もうあかん!

こうして今年最後のバイク乗りは4分で終了した。
次回バイクに乗るのは来年の春(4月の終わり)である。





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最終更新日  2014年10月05日 04時08分22秒
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2014年10月03日
カテゴリ:カテゴリ未分類
「ほそみち、さよならや! 会社辞めるわ。」

先日の日記、「菊次郎の夏」でえらい目に遭った!に登場した同僚のJimが私の小部屋に来て、突然にそう言うのである。
約2年前にうちの会社に来て、ボスから面倒みてやってくれと言われ、彼が独り立ちするまで随分色々と教えてきたあげたのだが、結局は独り立ちできなかったようだ。
かなり癖のある奴だったが、社内では親しい同僚だった。

転職を一度も経験していない者は一人前だと認めてくれない米国企業において、社員がリストラされたり他の会社に転職するのは日常茶飯事であるが、Jimの場合は少し違う。

「やっぱり俺は日本企業が似合ってると思う。」とJimは言うのである。
そして来週の火曜日が彼のこの会社でのLast Dayになるのだが、その後に日本の大手企業(江戸時代から続く資本金が約1兆円の大企業)のシカゴ支店の研究開発部で働くことが決まっている。
先日の日記でJimの家族全員が日本びいきであることを書いたが、それはJim本人が日本の大手電気メーカーであるパ○○○○クのアメリカ支店の研究開発部で十数年も働いていたことが大きく影響しているに違いない。

私みたいに日本企業に見切りをつけて米国企業に就職した者は何人も知っているが、アメリカ人が米国企業に見切りをつけて日本企業に戻って行く者に初めて出会った。

はっきり言って、Jimと最初の1週間ほど一緒に仕事をした時に「この人はうちの会社に向かない。」と感じたが、それは2年経って現実になってしまった。
彼の言う事やする事がまるで典型的な日本人みたいだと思っていたら、彼が大学を卒業して最初に就職したその日本企業で十数年働いていたことを知って納得した。
そして彼はその日本企業を2年前にリストラされてうちの会社に来たのだ。

2年間指導してきたJimが会社を去るのは悲しいが、正直言って、Jim本人にとってはその方が適していると私は思う。
Jimはこの会社に入社して、私が担当していた製品開発の一つを受け継いだ。
そして私はボスからJimのMentorとして任命され、この2年間指導してきたが、一緒に仕事をして私はフラストレーションが溜まるばかりであった。

なぜなら彼はブラックボックスの蓋を開けようとは一切しないからである。
日本企業で働いていた頃の私はブラックボックスの蓋を開けようとして京大出身の上司に叱られたが、米国企業ではブラックボックスの蓋を開けなければ無能なエンジニアとして落第になるという大きな違いがある。
ブラックボックスというのは企業独自のテクノロジーが詰まった箱であり、私が働いていた日本企業では私のような底辺に位置するエンジニアには箱を開ける資格がないと言われたものだ。

私が働いていた日本企業では学歴のヒエラルキーがあった。
会社は東大・京大出身者が組織を牛耳っており、中途半端なエリートである慶應・早稲田あたりの出身者が東大・京大出身者に媚を売る反動として、自分以下の者達を見下すことによってバランスを取っていた。
私の様な底辺のエンジニア達は最初から最後まで責任のある仕事を任せてもらえなかった。
企業独自のテクノロジーが詰まった箱を私の様な底辺のエンジニア達が開けることはもっての外だった。

Jimと私はFirmwareという製品の内部を制御するプログラムを作成するエンジニアである。
制御プログラムというのは映画で言えば台本みたいなものであり、製品が機能する物語を書くのである。
私の大好きなラーメンの麺を製造する装置で例えるなら、制御プログラムは水を供給するブラックボックスと小麦粉を供給するブラックボックスの二つを麺を製造するブラックボックスに繋いでやるシナリオを書く。
例えば1食の麺を製造するには水のブラックボックスには100gの水を供給しろと指示し、小麦粉のブラックボックスには200gの小麦粉を供給しろと指示するプログラムを書く。

それぞれのブラックボックスの設計はその分野の専門家である博士号を持ったエンジニアが行う。
我々のようなシナリオライターは水と小麦粉を麺を製造するブラックボックスに繋いでやるだけで、ブラックボックスの中でどの様に麺が製造されるかは知らないのだ。
それでは米国企業でのエンジニアは務まらないのである。

「味噌ラーメンの麺は縮れていた方がスープの味噌が麺に染み込んで絶対に美味しくなりますよ!」なんて会議で提案してしまうと「それは良い!じゃ、ほそみち、やってみろよ!」と言われるのが米国企業である。
そして麺を製造するブラックボックスの設計者に麺を縮れさせる機能を追加してくれと依頼することになる。
それぞれのブラックボックスを設計する専門家は博士号を持ったエンジニアと言うより、科学者、つまりドクターであり、その分野の知識は凄く深いが他の分野に関しては私よりも知らない奴が多い。

「ほそみち、じゃそれをやってやるよ。だから水と小麦粉の供給ラインだけでなく、麺を縮れさせる信号も追加しろよ。俺はその信号に従って麺を縮れさせてやるから。」とドクターから要求される。
そして私はどの様に麺を縮れさせたら一番にスープの味噌が麺に染み込むかを研究してくれる他の分野のドクターに依頼して、そのデータを貰うことになる。
そしてそのドクターの論文(データ)に基づいて私はシナリオ(制御プログラム)を書き、新たに設けた縮れ麺信号を発生させるブラックボックスを麺を製造するブラックボックスに繋いでやるのだ。

要するにブラックボックスの蓋を開けることで、その時に初めて水と小麦粉でどうやってラーメンの麺が製造されるのかを知るのである。
私の立場ではそのブラックボックスを完全に理解する必要はないのであるが、いや、理解しようとしても博士レベルの理論にはついていけないのが実際であるが、ある程度の基本的な理論や知識は持っていないとドクター達と議論も出来ないのである。

マーケティングの者達は我侭で、縮れ麺機能は嬉しいが、製品のコストをこれだけに抑えろ!と要求してくるので、私は再度ドクター達と「これを省略できないか?こっちの信号に変更できないか?」と喧々諤々することになるのである。

日本企業に勤めていた時とは全く反対なのである。
私が会議の席で「味噌ラーメンの麺は縮れた方がスープの味噌が麺に染み込んで絶対に美味しくなりますよ!」なんて言ったら、「お前は要らんことを考えなくてもいい!言われたことだけを期日までに仕上げればいいんだ!」と叱られただろう。
あの当時を思い出してみたら、そもそもに私はそういう会議に呼ばれてなかった。
若い頃の私は残業して幾つかの提案書を書いて上司に提出したことがあるが、当時の京大出身の上司は私が書いた提案書を読むどころか、そういうものを書いたこと自体に私に判るように不機嫌な態度を示した。

日本企業では入社した時点で進む道はある程度は決まっているようなものであり、底辺に位置する私なんかの者が上のポジションに位置する者達に意見するのは喜ばしいものではないのだ。
日本のドラマで観るようなサクセスストーリーは現実の世界では滅多にないことなのである。

それに対して米国企業では関西訛りの妙な英語を話すアジア人でも実力を認めてくれれば、スタンフォードなどで博士号を取得したそれぞれの専門家のエンジニア達を自由に使っていいと私に権限を与えてくれるのである。

しかしJimは日本企業のぬるま湯に十数年浸かっていたせいなのか、そういう面倒臭いことはやりたがらないのである。
自分が担当するパートだけを期日までに仕上げるなら禁断のブラックボックスの蓋を開ける必要はない。
確かに一旦ブラックボックスの蓋を開けてしまうと相当に面倒臭いものに巻き込まれてしまうのは事実である。

先ほど例に出した縮れ麺を作るシグナルを発生させるブラックボックスをドクターに依頼する時もスープの濃度といった化学の知識や表面張力といった物理の知識もある程度は必要になり、ドクター達と議論するには何十年前に大学で学んだかすかに覚えている教科書を一から復習して基本的な知識だけでも完全にマスターする必要がある。
私は特に化学なんて高校生が聞いたら笑われるようなことから勉強し直した。
私が担当する製品開発はラーメンの麺を製造する機器とは全く関係ないものであるが、どんな装置であっても良く似たものだと思う。

私の読者は覚えていると思うが、私はそれで鬱病を患ってしまった。
正確には鬱病予備軍だと主治医に言われた。
私は脳の異変から、脳に腫瘍か何かができたと勘違いして脳の専門医にMRIなどの精密検査をしてもらった結果、鬱病だと言われた時は本当にショックだった。

これだけは主治医に褒めてもらえたのだが、薬の力を一切使わずに鬱病を乗り切ったのは偉い!と自分自身を褒めてやった。
嫁さんや息子からは「鬱病なんて、怠け病や!」と散々言われた。
鬱病で会社に行きたくなくなるわけではなく、ちゃんと毎日定時には会社に来られるのであるが、何故か朝だけは全く頭が回転せずに、毎日コンピュータに打ち込んでいるパスワードがどうしても思い出せないのである。
そして午後になるとそれまでが嘘のように頭が回転し出すのである。
これはなった者でないとその苦しさは理解できないだろう。

Jimは日本で言うなら慶應・早稲田あたりの大学出身者である。
日本企業に転職すればブラックボックスを開けろというような面倒臭いことは言われないし、何も苦労しなくても彼の学歴に相応しいそこそこの良いポシションに就いて仕事させてもらえるらしい。
給料は今より随分減るようだが、米国企業のようにリストラに遭う可能性は格段に少ないし、安心した生活が送れるなんて日本人みたいなことを言うのだ。
日本企業のアメリカ支店の現地採用社員なんて、東京本社から送られてきたブラックボックスに頑丈な鍵がかかっているようなものであり、私にとっては何の魅力もない仕事であるが、そういう面倒くさい仕事を免れた安定した仕事内容もJimが日本企業を好む理由の一つである。

先日の日記に詳しく書いたが、私は映画監督にもなれなかったし、作曲家にもなれなかったし...給料を貰える手段として私にはエンジニアしか残された道はなかったのだが、それならそれで世界で一番優秀だとされているスタンフォードやハーバードで博士号を取得したエンジニア達(ドクター達)と働いて、自分がどこまでやれるか挑戦してみようと思った。
彼らがどんな風に考え、どんな仕事するのかをこの目で見たかったので、スガキヤラーメンが食べられなくなるという大きな犠牲を払ってまで極寒のシカゴまでやって来たのだ。
そういった知的な刺激がなければ、シカゴという街は幾ら私が愛するブルースのホームタウンであっても故郷の滋賀を離れようとは思わなかった。
Jimの仕事に対する姿勢と私とではその点でも大きく異なるのである。

現実的なことを言えば、彼らエリート達と一緒に仕事すればするほど自分の能力の低さに落ち込むばかりであるが、そういう自分の馬鹿さ加減を知っただけでも嬉しい。
あのままでは死ぬまで私は世界でもトップレベルの優秀な頭を持っていると勘違いしたままだっただろう。
それに最近では時々であるが彼らも私のCubicle(小部屋)に相談しに来るようになった。
こういう事はあのまま日本企業で働いていたら絶対になかったことである。

来週の火曜日にJimはうちの会社を去って日本企業のアメリカ支店の開発部で働き出すが、どのように人生を生きるかはそれぞれの人次第であり、私は単にJimが日本企業で働いて幸せな人生を送れることを祈るだけである。





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最終更新日  2014年10月04日 16時41分02秒
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2014年10月01日
カテゴリ:カテゴリ未分類
先日の日記に書いた様に、今週は古巣のレーザー開発の仕事で窓も何もない特別防護のラボに閉じ込められている。
私の今週のAssignmentはテンコ盛りであり、今週で終わるのか?という疑問が沸いてきた。
このままで行けば週末出勤になってしまうではないか。

レーザー開発のラボの密室にはアシスタントが2人、私の指示で作業してくれている。
朝一番から野郎三人が窓も何もない密室に閉じ篭って難しい作業をしていると、自然に社内の女の子の話しをしてしまうのは仕方のないことだ。
今日の話題は先日の日記に登場したJessicaの話題であった。

Jessicaという30歳前の小柄な美人のエンジニアがいた。
彼女は息子の大学の先輩でもあったことから、よく話しをしていた社内の後輩社員である。
同じプロジェクトで一緒に働いたことが何回かあり、非常に頭の回転が速い女性エンジニアだったが、そこそこ美人であったからだろうか、甘えれば誰でも許してもらえるという甘い考えを持っていたのが致命傷になった。
「昨日中にやると約束しただろう!」と私が怒ると彼女は彼氏が病気だったとか何とかいつも言い訳ばかりをするのだが、彼女から笑顔で謝れるとNo excuse!と怒りながらもいつも許してしまっていた。

そして新婚旅行から帰ってきた直後にボスから「明日から会社に来なくていい!」と言われて、彼女は泣き崩れて会社を去って行くのを何人もの者が見ていた。

彼女は婚約してから結婚まで随分時間がかかったのは彼氏が会社をリストラされて無職になったからである。
現在も未だにバイト生活をしているのだが、就職するまで待っていると何時結婚できるかわからないので彼女は思い切って決断したことを彼女は私に話してくれた。
アメリカ経済はリーマンショク以降、数字的には景気が随分良くなっているが、それがシカゴの求人に反映されるのはまだ先になりそうだ。
唯一のマトモな収入源を断たれたJessica夫妻は結婚し、新婚旅行から帰ってきた途端にどん底の生活が待っていたのだ。
結婚を機にお洒落なコンド(マンション)に引っ越したJessica夫妻は幸先の悪い結婚生活が始まった。

私はアシスタントが2人に「HR(Human Resource、人事部)の者は"えげつないこと"をするもんだ!新婚旅行から帰ってきた途端にクビだよ!」と言ったところ、彼ら二人は真っ向から反論するのだ。

「ほそみち、それは逆だよ!HRは彼女に温情だったんだよ。新婚旅行から帰ってくるまでクビを言い渡すのを待ってやっていたのだよ!」

実はHRの中の一部の者達はJessicaがクビになることを彼女が結婚する一ヶ月ほど前から知っていたことが今にってリークされたのだ。
それを聞いて私は非常に腹が立った。

結婚する一ヶ月ほど前なら、まだ彼女は新居の家賃の高いお洒落なコンドに引っ越ししていなかったので、キャンセルできたと思う。
いやいや、そんな新居の話しより、結婚自体をキャンセルできたのだ。

新婚の甘い生活は唯一の収入源であるJessicaの稼ぎがあって成り立つものだろう。
彼氏も一応はバイトはしているものの、週に3~4日程度で時給$10そこそこの収入では無職とあまり変わりない。
世界大学ランクの上位に入っているイリノイ大学、そして同大学の大学院出身のJessicaは研究開発部のキャリア社員として採用されたのであり、現在は平のメカニカルエンジニアであるが、それでも年収は10万ドル(1000万円)は貰っていただろう。
さすがに日本の東大・京大レベルの大学出身者だけあって、頭の回転の速さは私を含め周りの者達も十分に認めていたので、真面目にさえ働いていれば10年以内には間違いなくPrincipal Engineerとして研究開発部をリードしていくコースを歩んでいたのだ。
それがいきなり彼氏の月々15万程度のバイトの収入で生活することになってしまったのだ。

それじゃアメリカでは息もできない生活である。

高校までが義務教育であるアメリカではエンジニアのような職に就くには現在では大学院出身を要求されるのが一般的になった。
大学4年間の学費は親から出してもらっても、大学院の学費は学生本人が学費ローンするのが現在では一般的であり、Jessicaもそうであった。

親の私も息子の学費ローンで毎月苦しんでいるのでよく把握しているのであるが、イリノイ大学大学院の2年間の学費は寮費を含めて10万ドルを超えるので、Jessicaの月々の返済金額は1000ドル近くである。
それが10年間つづくのが政府の教育機関からの一般的な学費ローンパッケージであり、Jessicaも私も同じ機関にお金を毎月振り込んでいることを話したことがある。
アメリカでは大卒者が就く職業の給料が日本よりも高いのは、それだけ貰わないと生活していけないからである。
あと少しの期間の返済とはいえ、来月や再来月で終わるものではない。
しかし学費ローンを完済するのを待っていると30歳を超えてしまうというJessicaの思いは理解できる。

Jessicaの彼氏もJessicaと同年で同大学の大学院出身なので、恐らく彼氏自身もある程度の学費ローンは抱えていると思う。
Jessicaの彼氏は航空工学を専攻したエンジニアであり、その狭い分野だけの職に拘り続けているので、現在のアメリカの状況ではなかなか就職できないらしい。
私も同じエンジニアとして彼の気持ちは凄くわかるが、それができるのは独身時代だけに許されるものであり、結婚しようとしている男がそんなものに拘る資格はないと私は思う。

もし私の推測が当たっているならJessica夫妻は毎月に日本円に換算すると合計で20万ほどは学費ローンを支払うことになる。
更に2LDKのお洒落なコンドの賃貸料金は最低でも$1500(15万円)はする。
ミツワ近くのボロなアパートでも$1000以下を見つけるのは難しい。

そして何と言っても健康保険代である。
会社が健康保険代を半分以上負担してくれているが、嫁さんと私の2人で日本円に換算すれば月々10万円近くを給料から引かれているのである。
リストラされたJessica夫妻は会社が健康保険代を負担してくれないので、月々20万円近くの出費になるだろう。
日本と違ってアメリカでは健康保険には色々と種類があり、私の保険は一番良いものに入っているので少々高いのであるが...

この国の40%の人々が健康保険に入れない理由が判るだろう。
アメリカの病院は血も涙もなく、健康保険に入ってなければ診てもらえない。
だから無保険者はER(緊急病院)以外は基本的にどの病院も行けないのだ。
アメリカでは健康保険証を持っている者と持っていない者とに大きく2種類に分類されていることを言っておく。

他人の懐具合をあれこれ詮索するのはゲスな人間であるが、レーザー開発のラボの密室においては会話が他に漏れないので、ついついこういう話しを堂々としてしまうのだ。

私の意見はこうだ。
Jessicaの彼氏がリストラされた会社と同レベルの会社に就職できたならJessicaの給料と合わせれば2000万円は超えるので、楽な生活ができるという生活設計にケチをつける積もりはない。
Jessica夫妻は両方共エリートなので、就職さえ出来れば年収の2000万は手始めであるのは確かに間違いない。
しかし現実は彼氏はバイト生活だし、Jessicaはリストラされて無収入。
だからどうせJessicaがリストラされるなら、結婚までにリストラしてやるべきだったと私は確信している。

結婚もやめて、家賃の高いお洒落なコンドの賃貸契約もキャンセルして、とりあえずはコンビニか何処かでバイトすれば、月々の返済金額は1000ドルは何とか振り込めるだろう。
親と一緒に実家に住めば家賃は払わなくてもいいし、大会社に勤める父親の会社の保険に入れてもらえば、病気になっても今まで通りに最高の医療を受けられる。(※25歳以上の子供でも無収入である証拠としてTAX RETURNのコピーを保険会社に提出すれば扶養者として認定され、親の健康保険に加入できる保険会社が一般的である。)
30歳になっても親と同居するのは辛いかもしれないが、現在ではそんな若者が五万といるではないか。

結婚するのはどちらかが就職して、ある程度の安定した収入が得られてからでも遅くないと私は思うのである。
だからJessicaは結婚する前にリストラを言ってくれなかった会社の人事部の者を恨んでいるに違いないと話した。
健康保険にも入れなくなってしまい、何かあった時に病院にも駆け込めなくなった現在の不安な生活は彼氏と一緒に住んでいる幸せを超えていると力説した。

その話しを聞いたアシスタント2人のエンジニアは反論し始めた。

前述した様に、今週中に終わらなければならない仕事が山ほどあるのに、私は彼ら2人と密室のラボで大議論をしてしまうことになったのである。

ああ言えば、こう言われて、お互いに意見はずっと平行線のままで、話す声だけが大きくなっていく。
恐らく日本人の私とアメリカ人の彼らには根本的な価値感の違いがあるのだろう。

「ほそみち、それは間違っている!HRはJessicaが結婚できるようにしてやったんだぞ!もしJessicaが結婚前にリストラされたら、結婚を止めるかもしれない。だからうちの会社はJessicaが新婚旅行から帰ってくるまで無駄な給料をJessicaに払い続けてやったんじゃないか!うちのHRは優し過ぎる!」

「ほそみち、考えてみろよ。もしリストラのせいでJessicaが結婚できなくなったら、Jessicaは絶対に会社を一生恨むよ!しばらく彼らはカードで借金してでもして、何とか生活するよ。お金だけの問題じゃないか!」

.....

.....

そう言われると私が間違っているような気分に一時はなったが、私にはどうしてもあのタイミングでHRがJessicaをクビを切ったのは最悪のタイミングであり、一番酷い仕打ちを彼女にしたと私は思っている。
HRはどうせJessicaをクビにするなら、結婚前の出来るだけ早い時期にJessicaをクビにしてやるのが彼女に対する思いやりだったと私は信じている。
しかしアシスタントのアメリカ人達は新婚旅行から帰ってくるまで無駄な給料をJessicaに払い続けてやったHRの温情な行いにJessicaは非常に感謝しているのは間違いないと言うのだ。
当面は彼らは苦しい生活になるが、結婚するタイミグを失わなかったのは不幸中の幸いだったと言う。

もしJessicaが今年にリストラに遭わなかったとしても、来年に遭うかもしれないし、私みたいな臆病なことを言っていては何時まで経っても結婚する機会を失ってしまうという彼らの言い分は確かに一理あるが、HRがJessicaが結婚する前にリストラを宣言してやれば、要らぬ苦労をしない新婚生活が出来たという考えは最後まで私は変わらなかった。

結局は最後の最後まで我々の意見は交わる部分が全くなかった。
ただ一つだけ確かなことは、こんなことを意地になって長い間議論し続けた為に、更に仕事が遅れてしまい、週末出勤の可能性が高まったことであった。
しかし仕事の事以外にこういう話しをアメリカ人と意地になってしていると、お互いに考えていることが理解でき、たとえ週末出勤になっても、それだけの価値はあったと思った。





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最終更新日  2014年10月01日 14時22分51秒
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2014年09月29日
カテゴリ:カテゴリ未分類
読者の方はご存知だが、この8月に腎臓結石で3度の手術を受け、精神的にも結構参っいた。
会社も3週間休んだ。

経験のない人にはわからないだろうが、腎臓結石は滅茶苦茶痛い!
私の場合、左の腎臓からの尿管に結石が詰まってしまい、尿が出なくなった腎臓はパンパンに腫れていたらしい。
診察を受け、MRIを撮った瞬間に緊急入院だった。

病院のベットの上で結石の痛みに苦しんでいた時に頭の中で繰り返し流れていた音楽はブルースでもジャズでもなく、どういう訳かTV時代劇の「大岡越前」だった。
私が大好きな山下毅雄である。
初期のルパンの音楽を担当した作曲家である。

無事に結石は内視鏡のレーザーで粉砕できたものの、MRIで左の腎臓に3個、右の腎臓に5個の結石が存在することが確認された。
いずれも今回の11mmの大きな結石ではなく、5mm以下の小さな結石なので、これ以上大きくならなければ自然排出するものである。
取り出された結石はラボで分析してもらい、私はこれから何を食べてはいけないのかの細かなインストラクションをもらった。
毎日薬も飲んでいる。

精神的にも結構参っていた時に色々な方から励みのメールを頂いた。
音楽仲間のKa2さんに病院のベットの上で結石の痛みに苦しんでいた時に頭の中で繰り返し流れていたのは何故か「大岡越前」だったという話しをしたら、落ち着いたらそれをやろうよ!と言ってくれ、それが今日の午後に実現した。

ブルースハーピストのKa2さんの本業はグラフィックデザイナー。
オーティス・ラッシュ、ビリー・ブランチ、カルロス・ジョンソン...彼らのCDカバーのデサインをしたのは彼だ。

10年ほど前にKa2さんと私とでCDを作ったことがある。
私はシカゴのプロミュージシャンなどに付き合いはないが、彼が色々な人を無料でこのCDに演奏させてくれた。
そのCDを同僚や友達に配ったのだが、彼らの感想はいつも同じであった。
「この曲のピアノ弾いている人、ただ者じゃやないな!」とか「このハーモニカ、凄くいいよね!」であり、演奏が凄く上手い人とやってしまうと自分のギターの下手さやテクニックのなさが目立ってしまうということが随分勉強になった。
もう止めておく。
私は演奏は下手だが、自分の演奏がどれだけ下手であるかをわからないほど下手ではない。

S002.jpg

Ka2さんとブルースバーに行くと困ることがある。
ビリーでもカルロスでもKa2さんを客席に見つけるとステージの上に引っ張り出されて、彼は数曲シットインをするのであるが、シカゴのブルース界の第一線で活躍するブルースミュージシャンに「彼はギターのほそみちです。」と紹介してくれるので、「じゃ、ギターを弾いてくれよ。」と言われるのは嬉しいが、お金を出して見に来ているお客さんに不快な思いをさせるほど私は馬鹿ではない。
素人はジャムセッションやオープンマイクで楽しんでいればいいのだ。
まぁ彼らも本気で言ってるわけではないと思うが...

YouTubeにUpしたこの画像は私の安物のSONYのビデオカメラで撮ったものであるが、流石に一流のグラフィックデザイナーであるKa2さんである。
演奏を終えて、そのビデオカメラで撮った生のビデオファイルを渡すと彼はMacを取り出し、ちょちょいと手を加えるだけで素晴らしい画像になった。
あえて白黒にせずに少し色を残すKa2さんのセンスがいい!
1台のビデオカメラで撮っただけのシンプルな動画であるが、Macを使えば途中で顔をアップにしたりなど出来ることを初めて知った。
まるで2台のビデオカメラで撮ってる風に簡単に出来るのには驚いた。

Ka2さんが20年ほど前に買ったというウォッシュボードを先日バイクで家に遊びに行った時に借りたのであるが、それでリズムパートを予め録音しておいた。
ドラムは遊び程度に演奏できるが、今回ウォッシュボードを演奏に使用し、その魅力に取り憑かれてしまった。
こんな単純な楽器があれだけ色んな音が出せるとは!感激だ!

人が歩いている音や駆け足している音、それに石に躓いたような音なども容易に表現できるではないか!
これは絶対に買わなくては!
病み付きになるかも...

俺のウォッシュボード演奏を聴いてくれ! ギターはどうでもいい!...というより大したことは全くしていない。
原曲をほんの少しだけジャズ風にアレンジしてみた。
演奏を録画し終わってからであるが、ハーモニカの美しさを聴いて、その綺麗なメロディーに他のギター(Fenderのストラト)でハーモニカのハモリ部分を入れずには気が済まなかったことを言っておく。


大岡越前 Arranged and performed by Hosomichi & Ka2

Ka2さんも今回の私との演奏が楽しかったと言ってくれ、また次もやることになった。
シカゴではもうバイクを乗れる季節ではなくなりつつあるので、ギターをやってて良かったと改めて感じた。
今回はKa2さんが全快祝いとして私が好きな「大岡越前」に付き合ってもらったが、次回も私が好きな"ちあきなおみ"の「喝采」では余りにもKa2さんに申し訳ないので、次回はもう少し真面目な曲をする積もりである。





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最終更新日  2014年09月29日 14時03分13秒
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2014年09月18日
カテゴリ:カテゴリ未分類
前々回の日記で取り壊し前のMuddy Watersの家に行ってきたことを書いた。
今回はKa2さんと私はMuddy Watersの家に行った後にお腹が空いたので、Muddyの家の近くのレストランに行ったことを書く。
残念だった、悲し過ぎた。

いきなり話題を変えて申し訳ないが、これはMuddyの家の路地裏である。
何だか昭和の匂いがする。
私が子供時代の1960年代、建物自体は違うがこんな感じであったように思う。
今や私の実家がある滋賀の田舎町でもどこもかしこも変に綺麗な街並みになってしまったが、昔はこういう危険な香りがする路地裏が何処でもあった。
懐かしいような気がする。

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この辺の建物は100年以上も前に立てられたものばかり。
凄く古い建物のように感じるが、私の実家は150年以上前に建てられたもの。
去年親父が亡くなった時に遺産相続の手続きで正式な書類を市役所で揃えたが、我が家の古文書にこの家の支払いは小判で払ったというのは本当であることが証明された。
日記にも書いたが、小判も出てきた。

何代か前までの我が家は代々大工だったからだろう、今では考えられない太い木を使って頑丈に作られたので、少なくとも私が死ぬまではこの家は大丈夫だと何人もの大工さんに太鼓判を押してもらっている。
勿論、修理や保全は今までに何回も行っているが。

木造の家でも150年経っても大丈夫なので、レンガで造られた家はもっと寿命は長いだろう。
但し、アメリカの昔の家の場合は石綿や鉛が含まれた塗料などの現在では禁止されている材料を使用されている可能性があり、日本の木造の家のように全く安全だとは言い難い。
売るには大幅な改善が必要になるだろう。

話しをレストランに戻そう。

シカゴサウスの黒人地区での名物料理はなんといってもソールフードだろう。
小汚い店でわけのわからない肉を使った食べ物が何とも言えない美味しさがある。
Muddyの家に行く前に寄った「43RD Street Festival」の会場にソールフードの出店が幾つもあったので、楽しみにしていたのだが、目の前で作っているのを見て驚いてしまった。
食事をこれからしようとしている読者の方を考慮して、詳細な記述は避けるが、衛生面で非常に驚いてしまうような調理をしているのを見た。
あれでは人のケツの穴を舐めているのと変わらないだろう。
日本でも夜店ではよく似たものだろうが、日本では常識の範囲というものがある。

Ka2さんと私はMuddyの家の近くで一番綺麗なレストランに入った。

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読者が見たら普通のレストランだと思うが、そこでは一番綺麗で豪華なレストランであった。
店内ではちょっとお洒落した若い男女がバースディパーティーをしていたので、この店はよそ行きのレストランなんだと私は理解した。
私の滋賀の実家近くにもお洒落な服を着て行くフレンチレストランがある。
Muddyも恐らくこの店には来ていたはずだと思うと何だか嬉しくなる。

黒人のウェイトレス達も美人で凄くお洒落なユニフォームを着ている。

素晴らしい。

メニューを手渡れて見たら、やっぱりだ、全て高い!

昼メニューで$30(3000円)を越えるのは少し痛いが、こういう店で食べるのも面白いと思った。
私はロブスターとチキンのガンボを選んだ。
ウェイトレスはサラダにどのDressingにしますか?と訊いてきたので、いつものThousand Island を選んだ。

Ka2さんと会話を楽しんでいたら、ウェイトレスが先ずサラダを持ってきた。

驚いた!

ほんとに驚いた。

私の五十数年間の人生の中で一番萎びたサラダが出てきたのだ。
この写真では見分けがつかないので私が大袈裟に言っていると思われるかもしれないが、本当に3日前に客に出した残り物を混ぜたようなサラダだった。
同じレタスでも1日前のものと3日前のものが混じっているような感じだ。
下の方にあったレタスには既に茶色に変色しているものもあった。
そして何と言っても匂いだ。
これじゃ汚物と変わらないじゃないか!

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冗談だろう? こんなものを人間が食うのか?

汚物の様な匂いがして、一見汚物の様に見えるが、実はそれが特別な珍味で美味しかったりして...と思って一口食べたが、サラダなのにぬるっとしていて、やっぱり汚物の味がした。

ロブスターとエビのガンボは不味くなかったので何とか最後まで食べられたが...
確かに小エビは4個ほどあったが、何処にロブスターが入ってるねん?
一個だけハサミの部分の小さな肉を発見したが、殻が付いていたので食べた時にガリっとしたし...

S043.jpg

極めつけは水であった。
私はあのサラダの臭さが口に残っているように思えたので、ウェイトレスに水を頼んだのだが、そのコップの水が文字通り汚水の匂いがするのだ。
コップを口に近づけただけで鼻にツンと汚水の匂いがツンとくる。
私は賭けてもいいが、そのコップの水を飲める日本人は100人に1人もいないだろう。

こんな料理で$30もとるのは私からしたら詐欺である。
よくこの店はこれでやっていけるものだと不思議に思う。
シカゴで我々が行くどのレストランでもこんな料理は通用しないだろう。
彼らはこんな料理によくこんな高いお金を払って平気でいられるなぁ。
私にとっては料理の値段が高いことと小奇麗な店内、それにウェイトレスお洒落なだけで、高級料理を食べている気分になっているだけと思える。

他のレストランで食ったことがないのか? 他のレストランの料理の値段を知っているのか?
こんな事を書くとまた私が誤解されることを覚悟で言うが、従業員や客全員が黒人であること以外に何か他にあるのか?
アメリカでは私も黒人と同様に差別されている有色人種の日本人だ。言う権利はある。
確かに私も客が殆ど日本人だけのレストランに入り、日本語の会話があちこちで聞こえてくると、それだけで何か嬉しくなることもあり、少々高い値段であってもそれなりに価値があることは認める。

しかし、いい加減な仕事をするレストランはどんな店であっても私は嫌いだ!
日本では刺青を入れた兄ちゃんが屋台でたこ焼きを売っていても値段に釣り合うだけのいい仕事をしてくれるのだ。

料理は不味いか美味しいかは客の好みにもよるし、名ばかりのロブスター料理も許容範囲だとしよう。
しかしレストランで水だけはもっとマシなものを出すべきだ。
たまたま浄水器が壊れていたのかもしれないが、それならレモンを一滴垂らすとかして、あの匂いを何とかしろよ!
ロブスターに付いていた殻もそうだが、いい加減な仕事をしていることが端から端まで現れている。

ブルースやジャズを愛する私は黒人達と一緒に仕事するのを非常に楽しみにシカゴに来たが、非常にガッカリさせられたのは彼らの多くが"いい加減な仕事をする"ことである。

今日の出来事であるが、黒人スタッフに実験ノートのコピーをとらせても、最後のページや途中のページが抜けていても平気で「言われた通り、2回確認しました。」と言って私に提出してくる彼らの気持ちが16年経っても未だ理解できない。
実験ノートのコピーは1頁でも抜けていたら全て無効になることを今までに百万回言っても理解してもらえなく、いい歳したオッサン達にこういうことから注意しなければならないのはうんざりである。
こういうことを平気でしているから、真面目に誠意を持って仕事をしている黒人社員達がえらい迷惑をしているのだ。

去年も黒人社員が人事部に駆け込んで、人種差別していると白人マネージャーを訴えた事件があった。
はっきり言って、いつもいつも"いい加減な仕事"をしている奴に責任のある仕事を任せられるか!
コピーをとらせてもちゃんと出来ない者は他の仕事もちゃんと出来るわけがないのである。

"いい加減な仕事"をしているから責任のある仕事を任せられないかのか、責任のある仕事を任せてもらえないので"いい加減な仕事"をするようになってしまったのか...難しいところであるが、黒人と同様に有色人種の差別されている日本人の私からすれば、"いい加減な仕事"をする奴は肌の色が何色であっても責任のある仕事は任せられないのが私の主義であり、私が責任のある仕事を任せせる者達に黒人社員が少ないのは差別ではなく、現実の実績からである。

繰り返しになるが、ブルースやジャズを愛する私は黒人達と一緒に仕事するのを非常に楽しみにシカゴに来た。
私にとっては「何故もっと人生を真面目に生きようとしないんだ?何故人に喜んでもらえるような仕事をしてくれないんだ?」と非常に悲しい気持ちになるのである。

全てはコピーをちゃんと全ページとるというような作業から始まると私は思っている。
馬鹿馬鹿しい作業かも知れないが、1頁1頁漏れがないかを確認することを本当に実際行うことで、次のステージに進むことが出来る。
それが仕事であり、人生そのものだとも私は思っている。
そうすれば徐々に責任のある仕事も任せてもらえるし、他の者よりも給料が低いという不満も確実に解消できるのだ。
ほんのちょっとしたボタンの掛け違いで、最後まで空回りしてしまうのだ。

私はそのレストランで食事をして「あぁこの店もほんのちょっとしたボタンの掛け違いをしているぞ!」と感じてしまい、非常に悲しかった。
まさかMuddyが住んでいた近くにあるレストランがあんないい加減な料理を高い値段で提供するような不誠実な商売を黒人客相手にしているとは思わなかった。
使いまわしの萎びたサラダを客に提供することでほんの少しはコストの節約になるかもしれないが、"美味しかった!"と客を笑顔で帰す方が商売的にも圧倒的に得になるということを彼らには学んで欲しい。

日本人には料理人でも町工場の職人でも、客の喜ぶ顔を見たくて、或いは自分が納得できるモノを提供したいために利益を削ったり、サービス残業をしたりする者が多くいる。
私は彼らにそこまでの高望みはしてないが、コピーは1頁も抜かさない、客に提供するコップの水だけでも匂いのするものは出さないという真面目な仕事さえしていれば、ボタンの掛け違いもいずれかはどこかの時点で修正できるものだと信じている。





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最終更新日  2014年09月18日 15時33分55秒
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