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武谷三男編 安全性の考え方 岩波新書

武谷三男編 安全性の考え方 岩波新書

復刊していないために古本がべらぼうな価格になっているようなので、武谷氏が書かれた文章⒔と発言が書かれた文章⒏を残してみます。

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武谷三男編
安全性の考え方

岩波新書
644
1967年5月20日 第1刷発行
1971年4月10日 第6刷発行


 まえがき
 我々の生活の周辺には危険が一ぱいである。何をするにも、いや、部屋でひそかに暮していても、生活がむしばまれ、生命は危険におびやかされる。すべてこれ文明の産物である。あるいは科学の産物である。この矛盾こそ現代の最大の問題の一つであり、いい気になっているうちに、自然のバランスが破壊され、人類の運命にも関することがしのびよってくるといえるかも知れない。この端的なあらわれが現代の戦争の姿である。
 私は科学者として、文明の発達や、科学技術の進展を否定しようとは思わない。私は科学時代を謳歌するものである。ではこのような安全の侵害は、何によっておこるのだろうか。科学の非科学的利用、科学の不完全な利用、部分的な利用によるという他はない。ではどうしてそのようは片輪な利用が行われるのか。これを防止するのにはどうしたらよいのか。これが本書の問題である。
 この問題の一部がいわゆる公害である。公害については、すでに『恐るべき公害』というよい教科書が岩波新書にある。労災や公害との闘いの歴史は古い。戦前有名なものに足尾鉱毒がある。これは今日になってもまだ完全な解決がかちとられていない。科学の悪用に対する戦後最大の闘いは原水爆の「死の灰」にたいする日本国民の闘いであり、科学者、市民が手をにぎって模範的な運動を展開した(岩波新書『死の灰』『原水爆実験』参照)。この経験が意識的無意識的にその後の運動の模範になったということができよう。その後、一九五七年頃の関西原子炉をめぐっての市民運動、さらに本書に記した数多くの運動がある。
 これらの市民運動において、市民の側は、自治体をあげての運動となって成功した。強調しておきたいことは、そのような場合必ず市民の側の方が、結局、又は加害者の側の専門家よりも、はるかによく専門科学技術を勉強していることが恒例であった。このことは科学者として、大いに希望が与えられることである。
 私は戦後、安全性の問題を扱いつづけてきた。科学者、技術者として、安全の問題を科学的に正しく扱い、主張することは、決して有利なことではない。たかだかジャーナリズムに多少名が知られる位のもので、必ず悪者にされ、科学者としてのマイナスは大きい。初期の頃はわれわれの仲間は少なかった。しかし最近安全問題に良心的に取組む科学者が各領域にあらわれ成長してきたことは喜ばしい。このような各方面の科学者の多年の成果を、昨年『科学』十月号に特集することができた。われわれは、その特集のために、何回も討論を行なった。
 『科学』の特集が完成したころ、安全問題のテーマで新書を一冊つくってはどうかということになった。早速本書のあとがきにあげてある方々に集まってもらって、プランをねり、何回か会合をかさね、討論の末でき上がったのが本書である。
 本書には科学者や市民の多くの人々の多年の努力と、犠牲の経験がこめられている、安全性を確保し、正しい科学の利用、健全な文明の建設のために本書が何らかの役に立つことを願う。

 おわりに、われわれが本書をつくりつつあった、去る二月二十日国立遺伝研究所の松村清二博士が白血病で逝去された。博士は、沼津・三島を公害から守る(本書5)のために、松村調査団の団長として模範的な「松村調査団報告書」をつくって、官製調査団と対決し、勝利に導かれた。博士の逝去は惜しんでも余りある。ここにつつしんで感謝と哀悼の意を表したい。

 一九六七年四月
               編者 武谷三男

 二刷にあたって 本書について、いろいろな方々から御意見や御注意をいただいたことを感謝いたします。この版で生かすべきは生かすことができた。学会からの御注意には理由のない独りよがりもあって残念な感じがすることが多かった。
 この版で9章「薬の危険性」は全面的に書きなおした。初版の高橋晄正氏の文は、立派な有益なものであるが、多少一般の方によみにくいこともあって、むしろ高橋氏の記念すべき実戦の記録によって解明した方がよいということになり、河合武氏の協力によって書きなおしたものである。2章「小児マヒと母親」について、特に野島徳吉氏が詳細に読んで下さり、いくつかの御注意をいただき訂正した。(但し論旨にはひびかない。)5章「沼津市・三島市・清水町住民の勝利」について、当時実際に活動された主婦関根寿子さんから詳細な御注意があり、現地で執筆者星野氏と、その他の方々を交えて討論して、いくつかの点を訂正した。以上の方々に厚くお礼申し上げる。なお、新潟・水俣病の最近の動向は重要なので宇井氏に付記として書いていただいた。
 安全問題に関して本書の考え方が多くの人々に無意識のうちに浸透して来たように思えて意義を感じている。

 一九六八年六月二十日
                        武谷三男




目次

まえがき(武谷三男)

1主婦のちから(河合武 資料提供:高田ユリ)    ・・・1
2小児マヒと母親(河合武 資料提供:久保全雄)   ・・・18
3水俣病(宇井純)      ・・・31
4公害の街・四日市(吉田克己) ・・・ 47
5沼津市・三島市・清水町住民の勝利(星野重雄)・・・63
6三井三池の悲劇(河合武 資料提供:細川汀、金子嗣郎) ・・・79
7白ろう病(山田信也)    ・・・・98
8原子力の教訓(河合武、藤本陽一)   ・・・117
9薬の危険性 (高橋晄正(河合武))  ・・・ 139
10加害者と数字(三須田健)・・・   155
11「原因不明」のからくり(川上武)・・・ 171
12法律の限界(熊倉武)  ・・・ 185
13安全性の哲学(武谷三男)・・・  204

付 その後の新潟・水俣病(宇井純)   227
あとがき(武谷三男)           230


13 安全性の哲学
基本的な立場の対立 昨年(一九六六年)は日本で航空機事故が集中的に起こった年であった。その都度安全問題について論ぜられたが、しばらくすると必ずまげられ、それすら忘れられ、弱いところにしわよせされておしまいになるのが通例である。
 安全を考える場合、いつも日本では、まず実施側のいわゆる専門家とか専門技術者たちの意見が、一番よく知っているという理由で大事にされ、彼らの”立場“ということは問題にならない。これが日本の安全問題の最大の欠点である。安全という問題には”公共“の立場に立った人が当たらねばならないのである。現代の安全の問題の中では、いつも”公共・公衆の立場“と”利潤の立場“の二つが対立している。したがって安全を考えるには、公共・公衆の立場に立つ人の意見が尊重されなくてはならない。
 たとえば。アメリカでは、原子力潜水艦の安全問題で、海軍と安全委員会が対立した。アメリカの安全委員会は、日本での論議より強硬なくらい公共の安全という立場を主張し、原子力潜水艦の父といわれるリコーバー中将が、両方の意見の妥協点を求めて“軍港以外には入港させない”というところで折り合いをつけた。私の行っていたブラジルなどは、やたらに汚職のある「後進国」だが、公共の問題は聖域という感がある。公共が利潤より優先するという根本原則がはっきりしている場合が多い。日本でのそれをまず確立させなくてはいけない。
 設計者だとか、購入責任者などは、安全について同時に公共の立場でものがいえるはずはないので、いくら専門知識、経験がすぐれていても、あくまで参考人として彼らの意見を聞けば十分なので、安全の審査とか、事故の調査などは、公共の立場の人がやらなくてはならない。
 安全についての指摘は、どうしても、利潤の側、つまりは実施する側に対しては“ニガイ言葉”にならざるを得ない。したがっていつも“悪者”にされ、トクをすることはない。普通の人ならそんなバカな役は引受けないわけで、政府の安全関係の委員になっても、まともなことをいう人はほとんどいない、ということになる。

事故調査こそ眼目である 昨年の一連の航空機大事故についても、原因はそれぞれ違うということもできるし、これらの事故は偶然が重なったもの、ともいえるかもしれない。しかしそういってもだれも納得する人はいないだろう。
 外国会社機の場合は事情が簡単でないので、事故の調査をするのが容易ではないだろうが、全日空ボーイング727事故および、全日空YS11の事故は、日本人に全部の責任があるので、なんとしてでも徹底した事故調査を行ない、今後の航空の安全のための礎石にすべきであろう。そのためには相当の大がかりなことをしても、国家的に惜しくないというべきであろう。
 従来、日本で起こった事故で徹底して調査された例はほとんどないといってもよいのではないだろうか。三井三池の炭ジン爆発の大事故も、徹底した調査はおろか、お座なりといった方がよいような官僚的作文の報告でおしまいになってしまい、その後の安全対策に対してなんの礎石にもならないどころか、単に企業側の責任を免れさすための口実を与えるにすぎないものであった。
 いったい、どうしてこんな、ごまかしのようなことで終わるのだろうか。それはまず事故調査委員会の人的構成に問題がある。当事者、ならびに事情専門家といった人たちが、いちばん事情を知っているとか、その方面の技術の権威とかで、調査委員に選ばれるのだが、ここになれ合いになってしまう根本問題がある。委員の顔ぶれを見ると一目でわかることである。工科系の専門家は、たとえ大学教授といえども、多かれ少なかれ大企業と、さまざまな関係がある。
 そのもっともよい例が、全日空ボーイング727の事故調査委員長である日大の木村秀政教授が、実はその全日空ボーイング727の輸入を決めた当の技術責任者であったときいている。そのバイヤー技術者が、自分が奨励した品物の欠点の責任を自分で追求することがあるだろうか。調査委員を任命した方もした方だが、引き受けた方も引き受けた方だ。これでは結論は初めからきまっていたようなものだ。
 私は木村教授の専門技術者としての価値を低くみているのではない。教授はきわめてすぐれた工学者だと信じている。しかし教授のようなすぐれた工学者でも、立場によって正しい見方ができなくなることは必然的なものだということをいっているのである。

操縦ミスは最後にいうべき言葉 YS11の事故は、日本で設計した航空機であるだけでなく、徹底した事故調査の責任を全部日本はもっているわけだ。にもかかわらず初めから機体には欠点はない、操縦ミス以外に考えられないというふうな宣伝が盛んに行なわれた。
 設計者の一人木村教授は事故後直ちに「YS11は国際・国内の基準をパスしている。アメリカの基準にも合格して安全性が認められたからこそ輸出もされているのです。機体にはどこが心配とか、あそこが弱点というようなことはひとつも考えられません。パイロットによっては、ベテランと呼ばれる人は、操縦技術を過信して飛行規定を守らないこともあるのではないでしょうか。」と述べている・
 また当の日本航空機製造会社も直ちに声明を出して、同型機が日本とアメリカの型式証明を受けているので、事故は機体自体に原因するものではないと述べた。これは車検を通った自動車には故障が起こるはずがないというのと同じくらいナンセンスな発言であり、はじめから操縦ミスと決めてかかるもので、こんな頭で事故調査などされてはたまらない。
 設計者は欠点があると思わないのはあたりまえである。思ったらなおすだろうからだ。しかし事故が起こったら、やはり十分反省すべきである。YS11が外国に売れる前に日本で事故が起こったのは不幸中の幸いである。外国で起こったとしたら。それこそ日本の評価はかたなしになっただろう。今回の事故を徹底的に究明してよりより飛行機をつくるべきである。
 現在を取りつくろって、第二、第三の大事故が起こったらどうするつもりだろう。日本の戦後第一号設計で、万全とは考える方がおかしいのである。
 いずれにしても、「操縦ミス」ということは最後にいうべきことである。初めから「操縦ミス」というようでは進歩がなくなる。

性能がよければ危険もます 新鋭ジェット機は科学技術の粋を集めたものだから安全。原子力潜水艦は技術の最先端を行くもの、故に安全。文明の進歩の結果なのだから安全――こういうような論法が多いが、これは、性能のよさということを安全にスリかえた議論である。性能の優秀というのは、ふつう、利潤の立場からみてのよさなのであって、公共の安全を守るという立場からのよさではないのだ。そこをだまされてはならない。
 性能がよいということは、逆に、それだけ危険がますものである。ところが新しい機械を使っておいて、性能がよくなったからといって、考えもなしに人を減らす傾向がある。実は機械の性能がよくなれば、場合によってより多くの人が必要になる。保安要員などはとくにふやす必要があるのに、人間を減らしさえすれば合理化と考えている。三井三池の大惨事はこのような間違った合理化に基づくものである。
 航空機の場合も、新鋭ジェット機を使うようになれば、機械の性能と共にスピードもまし、危険性はふえたわけだから、その整備をする要員もふやさねばならない。管制官などの保安要員は、いままでよりふやさなくてはならない。それなのに、そっちの方は放っておく。それでは安全どころか、危険がふえるばかりだ。

採算性が曲者だ 三井三池の大事故の根本原因は一九六二年十月の石炭工業調査団(団長有沢広巳氏)の答申にあることは明らかである。これは石油と競争するために、安全問題を検討することなしに、石炭のトン当たり原価を指定したものである。この答申を錦の御旗として強引な合理化が強行され、その結果があの大事故である。
 この石炭の原価は石炭生産にとって無意味なだけではない。基準としてとった石油価格自体安全問題を考えにいれない価格というべきである。四日市市などの公害の犠牲においての原価で、公害をなくすために完全脱硫を行なったら、原価は石油をおう歌できることになるだろうか。さらに、頻発しているタンカー事故、とくに最近イギリス近海で発生したタンカー事故でその恐るべき姿が明らかになったが、この事故を始末するだけで五億ポンド(五千億円)を必要とするといわれている。さらに沿岸産業のいたでは大きい。このような保安や損失の準備を原価にくり入れると、大型タンカー時代などとよい気になっておられるだろうか。石油の原価は決して楽観できるものではないだろう。
 原子力発電についても同様である。大量の原子力発電が行なわれた場合の恐ろしさは想像に絶する。利潤や採算ほど勝手なものはない。国民の楽しい健全な生活を犠牲に供し、尻ぬぐいは国民の税金で行なうのだから、こうして危険を警告するものを一笑に付したり、悪者扱いにして、後は知らぬ顔である。

技術以前に問題がある 事故の原因がどこにあるのか、機械に悪い点があったかどうかという点は、もちろん十分吟味する必要がある。しかし、安全を守るためには、それ以前の問題があることを忘れてはならない。
 そもそも日本の国内のような近距離に、ジェット機が必要かどうかということも問題だろう。航空評論家と称する人は“国鉄の新幹線に追われた航空界としては止むを得ない”と書いているが、それこそ本末転倒の議論だ。新幹線に負けないということが至上命令なのだろうか。旅客機というのは、お客を安全に目的地に運ぶということが至上命令のはずだろう。安全にすれば新幹線に負けるというのなら飛行機は不必要ということだ。または空港から市内に入るまでの交通サービスに力を入れる方が先ではないか。また「727型機は着陸のさいの降下率が高いのが問題だが、乗務員を十分に訓練すれば安全」などといっている。しかし、着陸に大変な訓練をしなければならないような飛行機を、日本のような条件のところで使うべきがどうか。安全を考えたら、そういう危険性のある飛行機を選ぶこと自体が問題ではないのか。この背景には、利潤の論理が至上の論理となっている。
 安全装置は十分過ぎる程つけてあるし、操縦者も十分訓練してあるから安全だ、という場合の安全という言葉は、それ以前の本質的な問題を忘れたものだということをわれわれは十分認識していなくてはならない。原子炉の場合も、実施する側は、安全装置は万全というが、根本的に原子炉が危険性をもっているものだということを認識していなくてはならないのと同じことである。


場所は重要な安全装置 原子炉を安全に運転するということで最も重要なことは、その”立地条件”である。気象条件の悪いところとか、近くに大人口の都市があるような場所は、はじめから避けておかなくてはならない。飛行機の場合も、近くにコンビナートなどがあるようなところは、初めから飛行場を置かないようにするべきだ。こういう問題を、もっともドラマティックに証明したのが、新潟地震である。あのときは、石油タンクが燃えて大きな災害を招いたのだが、石油タンクには、いちばん新しい安全装置や消火装置が何重にもついていた。その安全装置が役に立たなかった。安全装置があるからと、人家に近いところにこのタンクを立てたが、それが被害を大きくした原因の一つになった。大体において、こういう危いものを大都会に置くことが間違っているのであって、原子炉、石油コンビナート、危険度の高い工場、飛行場などは、大都会の近くには置かないという原則を立てる必要があるのだ。
 ある評論家が、羽田空港の条件が悪いという指摘と冨里に空港設置を急ぐべきではないという批判とが、同じ口から出るのは矛盾している、というようなことをいっている。しかし新空港ができ上がるまでには四年も五年もかかる。その計画が拙速であってはならない。また、そちらを作るのだからといって、いまの羽田を放って置いていいということにもならない。そんなことより、東京の周辺には、実は立派な飛行場が少なくない。そして、そのために、羽田の航空路がせまくなって、危険がましているのだ。こういう飛行場、つまり軍用のものは、何も東京のそばになくてはならないというものではない。にもかかわらず、それらを放っておいて、飛行場がない、羽田は危険だということの方がどうかしている。
 一機二十億円もの高い飛行機が、何百回も離着陸している飛行場には、ほんのわずかの投資しかしていない。そんな貧弱な投資ですまそうという考え方こそが、利潤の立場であって、公共・公衆の立場でないことの見事な証明といえるだろう。


飛行場は戦争用に開発されたもの 原子力もそうだが、飛行機というものは、そもそも軍用で発達してきた。その証拠に現在使われている軍用機と旅客機の比率をくらべてみたら、軍用機の方がはるかに多いことが分かるだろう。旅客機は、軍用飛行機開発の副産物として発達してきたものだ。本質的に旅客機として開発されたものはないといっていい。その点は、船や自動車とは違う。船も、自動車も本質的にお客を安全に運ぶためのものとして開発されてきたものである。飛行機が、やたらに速くなってきたのも、戦争に勝つという目的があったからだ。ところがお客の方はその前提を忘れて、無反省に、軍事用の“できあい”のものを使うことに習慣づけられてしまった。軍用のためでなく、もともと公衆のために開発されたなら、ずっと安全性の高いものになっていただろう。飛行機に乗るのは、止むを得ず乗るのだと考えるべきであって、いい気になって乗るようなものにはまだなっていないことを認識すべきである。
 とくに日本の指導的航空技術者は、軍用機とか実験機の設計で優秀であった人たちであって、旅客機の経験はない。旅客機と軍用機は根本的にちがう指導原理でつくらねばならないのだが、これらの人たちにはまったくその反省が欠けているのが特徴である。軍用機は百機出撃して十機撃墜され、一機故障で落ちても敵二十機を攻撃すれば立派なものである。旅客機はまったく異る原理からできているものである。


混乱している確率の概念 確率についての考え方はまったく混乱している。その一例が飛行機事故の死亡率だ。乗用車より安全といういい方、あんなナンセンスな議論はない。ああいういい方だと、人間は何といっても、ベッドの上で死ぬ人がほとんどだ。しかし、ベッドは動かない。距離0(ゼロ)動いて死ぬというわけで、距離当たりベッドの上で死ぬ確率がもっとも多くなり、“ベッドはもっとも危険な乗物である”という話もある。
 大体、飛行機と乗用車を比較すること自身がおかしい。乗用車でアメリカへ行くわけにはいかないし、飛行機で東京から新宿へは行かない。本来くらべるべきではないものをくらべているわけだ。比較しようというなら、せめて飛行機と客船をくらべるべきで、違う目的で動かしているものをくらべるのはナンセンスきわまりない。
 最近、数理倫理学などという言葉を得意げにいう人がでてきた。事故率が百万分の一なら無視してよいといういい方をするのだが、いくら何億分の一だって、自分が被害を受けたら困る。大体、トクすることで危険を負担するならまだよいが、トクもしないで危険をしょいこむのは誰でもごめんこうむりたいことである。たとえば、ビタミンの錠剤を大量に売るとする。その中にただ一錠だけ毒薬を入れておく。それに当たる確率はたしかに大変少ないけれども、その一錠を飲んだ人は必ず死ぬ。いくら確率は少なくてもやってはいかんことはいかんので、確率だけでものを判断してはいけない。
 よく“許容量”というが、それも技術上のことだけで考えてはいけない。このことについては私の『原水爆実験』(岩波新書)で十分議論しておいた。技術以前のことをちゃんと議論しておかなくてはだめだ。自動車の場合、10のマイナス何乗の危険は“許容”しているというが、そういうのは“許容”ではない。自動車事故はあくまで減らす努力をしてゼロになるように努力しなくてはならない。ゼロにはならないから仕方ない、と考えるべきだ。百万分の一の確率を無視したり、ゼロに向かっての努力がない限り事故の確率は必ず増大する。こういう混乱は、確率の哲学が貧困なためで、その貧困は確率以前に考えるべきことを考えていないから起こる。確率とか統計とかは、社会全体としてものを考える時には意味があるのだが、自分が死ぬかどうか、という点では問題は別になる。
 飛行機事故の数字をみると、離着陸時に起こるのが約七割あるといわれている。それなら、飛行キロ当たりでなくて、一回乗るたびに“死を覚悟する確率”というならまだしも、あるいは、離着陸回数当たりというのならわかる。確率というので、すぐ数学者に丸めこまれてしまうが、数学者が数をいじくるその前提に問題があるのだ。問題は飛行距離と事故確率が比例するなら「キロ当たり」も意味があるが、そうでない限り無意味である。


数学の誤用悪用 数年前、マクナマラは、ベトナム問題について、大変なお金を使って電子計算機にかけて決定した方針なのだから“文句をいうな”といった。今日を予想もできなかったのだ。いろんな条件があり、そこにいろんな仮定の数字を入れた上の計算などというのはあてにならな。計算機に入れる場合、何をどう計算するかというプログラミングがいちばん問題なのだ。計算機だってニガ手の問題がいくらでもある。
 物理学でも、最近ヤミクモに電子計算機を使いたがる人が多いが、電子計算機を使ったからといって、いい理論ができるとは限らない。かえって電子計算機に振り回される人はずい分多い。むかし神様に頼ったように、何でも電子計算機に頼るというのはおかしい。


危険をはらむ新幹線 航空機の事故があまり続いたので、“こんどは新幹線じゃないのか”という人がある。実さい大いに問題がある。何しろ、オリンピックまで、というので急ぎに急いだのだから。私はあれは本質的にかなりの危険性をはらんでいると考えているし、前からそのことを主張していた。
 スピードを以前の二倍にした、そのことを少し簡単に考えすぎているのではないか。速度を二倍にすれば、エネルギーは四倍になる。実際の物理現象として効いてくるのはエネルギーなのだから、四倍のものを処理しないといけない。それは大変な飛躍なのだということを認識していないのではないか。飛行機でも、プロペラ機がジェット機になったときは、特別の配慮が必要なので、新幹線の場合も、本来、特別の配慮をしておいてなおかつ、大変な覚悟がいるのだ。
 新幹線の目的は“日帰り”ということのようだが、至上命令は“日帰り”なのか“安全”なのか。エネルギーを四倍引きあげるということになれば、電圧も途方もなくあげなくてはならないし、線路鉄材のテストも、溶接部のテストも問題だし、大事故のもとになることはいたるところにある。何しろ経験のないことを一挙にやるのだから、大変な冒険で、乗客は実験用モルモットにされている面がある。もっとステップをおいて確実に一歩一歩進めなくては安全とはいえない。私はまったく“薄氷を踏む思い”でいる。
 東大の生産技術研究所の土木工学の先生の話では、新幹線の線路の盛土は、安全を考えたらもう少し勾配を浅くしなくてはならなかったのに、土地の買収費の関係で、それをしていない。だいぶあやしいことがありそうだ。
 ブレーキによる車輪の磨耗によるゆがみもものすごい。盛土の勾配も危険なくらい急角度になっているし、あのスピードではパンタグラフのすれ方が大変だ。そういう点を十分吟味し、慎重に実験してから営業運転をしなくてはならないのに、実験テストの期間はずい分短かかった。よほどあわてたようだが、やっぱりこれも、公共的観点以外の現われだろう。あわてて営業をはじめたので、思わざること、測らざることが起こるのではないだろうか。それを防ぐためには、テクニシャンとしての保安要員などが、いままでよりよほどたくさん必要だろうし、本当に安全を期すとすれば消耗費はずい分かかって、採算が乗らないことになるだろう。今日まで大事故がないのはむしろぎょう倖というべきだろう。
 一般庶民は“よく運休するのは慎重でいい”などといっているし、“その慎重さを誇りとしてほしい”などという投書が新聞に載ったが、そういう慎重さは“お客を犠牲にした慎重さ”であって、本当の意味での慎重さではない。本当に慎重なら、計画、設計、テストにこそ、もっともっと慎重でなくてはならない。そういう点、外国人のやり方は一件ヤボなようだが、もっと計画性があるようだ。


災害は専門家の意表をつく あの新潟の地震などは“専門家”というものの限界を見事に証明したものだ。日本の耐震構造学は世界に誇るものだといわれている。武藤清氏(東大名誉教授・鹿島建設副社長)などは、原子炉の耐震構造についてイギリスに教えてきたというほどの権威ということになっている。ところが、武藤氏が新潟地震の直前に、毎日新聞に「耐震十話」(一九六四年五月十六―二十八日)を書いて、それに耐震工学的に絶対大丈夫だという太鼓判を押していたアパートが倒れたり、橋がくずれたりして、危いといっていたものがかえって倒れなかった。つまり彼らの想像もしなかったことが起こっている。専門家として、起こるであろうことを予想して、それに対する対策を立てたり、安全装置を万全にして置くということは、当然必要なことだ。しかし、事故というようなものは、さまざまな専門家のセクショナリズムの間隙をねらって現われたり、ほんの微妙なことがからみ合って、専門家の意表をつくような災害が起こるものである。それを決して忘れてはならない。
 だから何回か実験をした結果大丈夫だ、というのをそのまま鵜呑みにしてもいけない。たとえば国鉄鶴見事故にしても、あとから同じような貨物列車を使って脱線するかという実験をしたりしているが、同じようなことはなかなか起こらないものである。ほんのちょっとした車輪とレールの関係とか、積荷のちょっとした傾きなどの“微妙なもの”がからまりあって、ああいう大災害になるのである。
 ボーイング727型機にしても、アメリカの専門機関がいろいろなひどい条件の実験をやって安全性を試しているといわれている。もちろん、そういう実験はやらなくてはいけないが、その実験をやって大丈夫だから安全だ、といい切るわけにはいかない。こういう実験は危険性のテストにはなっても安全性のテストにはならない。
 大体、事故というものは何百回の離着陸の中一回でも起こっては大変なので、ちょっとした実験でいつでも起こるようなことはない。アメリカの国をあげてのボーイング社を応援するためのようなデモンストレーション、宣伝実験に乗ってはいけない。
 YS11についても、最近小さな事故が続出した。いずれもまかりまちがえば大事故につながるものである。それを木村教授は当然あるささいなことのように広言していたが、そのような考えでやられるのではたまったものではない。それ自体YS11の欠陥をばくろしたといえるだろう。


許容量とは何か
 最近は、新聞などでも“危険がいっぱい”などという見出しがよくでるようになった。それほどいろいろな“危険”が、われわれの生活の周辺にころがっている。その一番いい例が、“公害”だ。国民の側も、かなり進んできて、たとえば本書5の沼津・三島コンビナートなどでは、住民の反対が遂に勝って、計画をつぶしてしまうという成功もあった。しかし、一般的には、まだまだ公害という問題について“企業の側”、“利潤の側”の方が強くて、政府なども“公共・公衆の側”に立たず、全国各地でいろいろな問題を投げかけ、未解決のまま、住民だけが被害を受けている。
 さらに例えば水銀農薬について国会の衆議院の科学技術特別委員会で、専門学者三人が、水銀農薬が大変危険だということを指摘していた。ところが、これに対して政府側の答えは、“農薬の中の水銀がどのようにして人体に入るのかがわからないので、水銀農薬の販売を禁止する考えはない”という。
 これは“危険が科学的に証明されなければ、それまでは禁止しない”ということだが、しかし、世界中に水銀を日本のようにバラまいている国がどこにあるか。水銀農薬で、一人でも、二人でも被害者が現われて、危険が証明される事態になったら、それこそ米の飯を食べている日本国中の人がいかれるというような、大変な事態になる。それまで放っておくというのか。それを称して“科学的”というのだからあきれ返る。あきれるばかりでなく、それこそ“危険な科学”になってしまう。水俣病にしても、いまではどうやら公害排水の水銀が犯人らしいということを当局も認めたが、あのときの政府のとった態度も同じだった。工場から出た有機水銀がやがて魚に入り、人間に入る、というような、あらゆる因果関係を完全に証明しなくてはならない、というようなことになったら、それこそ、永久に実験や研究を続けても、解決なんかつかないし、証明なんかできるものではない。それを、“危険が証明されない間は問題にしない”というのはもっとも非科学的な考え方である。
公害問題で一番問題になるのは、“微量長期の影響”という問題である。毎日影響を受けるのはごく微量のものだが、それが長い期間蓄積されて、ジリジリと影響を与えるという場合、とくに潜伏期みたいなものがある場合には、あとになって現われた害、悪い影響が、果してそのものによるものかどうか、ということが、証明できない。因果関係がはっきりしないので、悪者がどれか、ということを指摘できないという悩みがある。その一番いい例が、放射能の問題だが、その点では、日本の科学者が、世界をリードしたといえるだろう。とくに専門技術的データ以上に“許容量”という概念を、はっきりさせることによってたたかうことができた。
 許容量という概念は、あのときまでは、その量までは許してよい量、その量までは危険のない量、というような考え方が横行していた。しかしそれは間違っている。その量まででも実は危険があるかもしれない。しかし一方、そのものを使うことによって、社会的な利益があるならば、マイナスとプラスを天びんにかけて、“ある量までのマイナス分は我慢してもいいのではないか”という量のことである。だからむしろ社会科学的概念なのである。
 放射能問題のときも、アメリカは日本人は放射能ノイローゼだ、などといっていたけれど、日本の科学者がこういうちゃんとした考え方に立って主張したので、ようやく世界が認めるようになった。こういう問題は、いつも“安全の側に立って考える”態度が必要である。


疑わしきは罰すべし 「放射能問題で示した日本の科学者の正しい態度を、もっとほかの問題でも示してほしいと思うのですが、どうも、他の公害問題などではまだだめですね。」という人々の要望に答えねばならない。
 放射能の基準の話をしているときに、“原子炉の規制をあまりきびしくしてもらっては、ほかの工場廃水などにもひびくから困る。ゆるくしておいてくれなくては・・・・・”などという科学技術者までいたのだから困ったものである。まったく逆なので、原子炉の規制をきちっとして、それを他の工場にまで及ぼして行くという態度でなくてはおかしいのに・・・・・。
 それというのも、大事な根本になる安全性の哲学がないからなのだ、裁判は“疑わしきは罰せず”だが、安全の問題は、“疑わしきは罰しなくてはならない”ということだ。公共・公衆の安全を守るためには“安全が証明されなければやってはならない”のであって、危険が証明されたときには、すでにアウトになっているのである。
 それに関連して、補償について間違った考え方が横行する。害を与えても補償すればいいというのは間違いである。とくに、放射能をはじめ、微量長期の影響というようなことは、さっきも言った通り、因果関係を証明することは非常にむずかしい。放射能などは天然にもあるから、特定の被害が人口のものかどうかを判定することなどはできない。たとえば、白血病になったとして、それが天然の放射能によるものか、人口の放射能によるものか、それともほかの原因による白血病かを決めるのはむずかしい、そこで、ある一定の期間、そういう危険な職業に従事していた人が白血病になったら、原因の如何にかかわらず補償しようという考え方が、ようやく世界的になってきた。こういうような“文明立法”、高い立場にたった文明立法ができるようにならないといけない。


いまだに戦前は続いている 日本の電力会社は最近石油専焼火力をどんどん作っている。そこでは、硫黄分の多いアラビアの石油を使っているから、亜硫酸ガスによる公害が起こることはわかっている。三年前毎日新聞の河合氏が、もうバイ煙ではない亜硫酸ガスだというので、その対策の研究をやっているかどうか、という点を調べてみたら、当時はまったくの箝口令が敷かれていて、何パーセント硫黄が入っているかというデータさえ出してくれなかった。最近は政府からの研究開発費がでるようになったので、ようやくオープンにはなったが・・・・・。
 また、そういうときに、国民の健康を守る役目をもっているはずの厚生省が、ちっとも公衆の側に立たない。結局、産業の側の味方である通産省などに負けてしまう。これも大きな問題である。
 サリドマイドのときでも、アメリカ、スイス、ドイツなどでは、危険がわかると、途端に、不許可乃至使用ストップ令を出した。ところが日本の厚生省は、“危険が証明されない”という態度で、いつまでももたついていたのなんかは、そのもっとも極端な例だ。
 敗戦まで日本の厚生官僚は、軍に協力することばかりやってきた。戦時中は、人間をどれほどひどい目にあわせたら死ぬか、とか、配給の切り下げがどこまでできるか、というようなことをやっていた。本来ならば“より健康にするため”にどうするかを考えるべきところなのに・・・・・。そういう意味では“もはや戦後ではない”どころが、“いまだに戦前は続いている”とさえいわなくてはならないのではないだろうか。
 何といっても、専門知識以前の概念の分析ということが非常に重要なのである。専門的に、技術的データを集めたところで、そのデータをどういうふうに使うかという考え方、いってみれば、“文明とか、公共という名における高度の哲学”というものがないといけない。概念の分析が十分でないと、かえって逆の効果を招くことになるので、科学者をもちろん、すべての人が、そういう高い立場の哲学を持たないといけない。ところが日本には公共という観念が完全に欠如している。日本で公共というのは、お上、国家と同義語だった。
 全日空の事故が起こってから、科学技術庁の航空技術審議会が、航空安全研究部会というのを開いた。木村秀政会長と佐貫亦男部会長が記者会見に現われたので、記者団がこんな部会がいつできたのかを聞いたら、大分での全日空の事故のあとでできたという。そこで“この前この部会を開いたのはいつですか”と聞いたら“多分五年前でしょう”という答え。「あきれてものもいえませんでした。専門家と“自他ともに許す” 人たちがこんな始末では、本気に安全を考えているのかしらと大きな疑問を抱かせられました。科学者自身もなっていないですね。」と記者団の一人は語った。
 彼らはみんな軍用機製造にたずさわってきた人たちなんだから、敗戦までの技術はすべて軍用一辺倒なのだから、公衆のことなんか考えなかった。その当時の大スポンサーであった軍のかわりに“利潤”が出てきたのだから、彼らの精神構造はちっとも変わりがない。エンジニアは、その点で全然信用できない。
 それにジャーナリズムももう少ししっかりしてほしいものである。いまの五年も開いてない安全部会などという事実をもっと大きく知らせなくてはならない。それに秀才の記者ほど、技術に走ったり、科学的データなどに深入りして、根本のところの公衆の概念を忘れてしまいやすい。いつも公衆の立場に立つのが、ジャーナリズムの使命で、新聞ばかりでなく雑誌などももっともっと力を入れるべきだろう。


安全の哲学をどう確立するか 利潤の側にいる人は“危険だ、危険だ”といったのでは商売にならないから“安全だ、安全だ”というにきまっている。一般に“危険だ”といってトクをすることはない、“危い”という人はいつも損をしたり、袋叩きにあったりする。それをあえていう人は、公衆の側に立っている人だ。だからその人の方を信用すべきだということである。もう一つは「危い」という人は、真にその性質をよく知っている人である。だからこそ“危なさ”を強調するのだし、それだけに、よく注意して取り扱うことになる。だが「安全だ」という人がやると、安心してなれっこになり、思いがけないことが起こる可能性が多い。そういう面からも“危い”と警告した人にあずけるべきで、「安全だ」という人に実施さすべきではない。
 技術者をはじめ、公共とか公衆とかいう感覚のない人、足りない人に、どうすればそういう感覚を植えつけることができるかということが、これからの大きな問題である。
 結局は、市民革命(羽二五郎『都市』岩波新書)を経たかどうかということが決定的なのであろう。アメリカの放射能問題に対する感覚などはずい分おかしいこともあるし、軍事優先の点には不満も多いのだが、サリドマイド事件のようなときには、その中で断然頑張る人がでてくる。それはやはり市民革命ということを経験し、公衆というものが昔から存在していたところだったからだと思う。日本の場合、完全な市民革命を経ていない。国民が市民革命の精神による自治の確立というものにもっともっと大きな関心をもつようにならないとだめなのではないか。自治体の確立に関心をもって、公共ということを考えるようにならなくてはいけない。
 日本はいまだに身分制が強いというのも問題だ。外国では“職能”という概念があるが、日本では、技術者として会社に入っても、すぐ管理職への昇進ということを考えるようになって、技術者としての職能意識を忘れて企業の歯車になってしまう。そういうプライドを失った技術屋さんでは、技術者の人権、研究者・科学者・技術者としての権利、危険を指摘する権利というようなものが、なくなってしまう(武谷編『自然科学概論』3巻、勁草書房)。
 アメリカの政府が727型機の機体は安全という発表をしたときに、パイロット組合が、われわれの代表を入れずにそんな結論を出すのはけしからんという声明を出している。会社の従業員なのにこういうことを声明できるのは職能組合だからである。
 そういう意味で私は、労働組合が、もっと公共・公衆の立場を考えるべきだと思う。
 ソ連の研究所は、ほとんどが国立のものだが、安全についての研究所は、労働組合がもっている。そしてそこが中心になって、労働組合が工場などの安全についてのチェックをしたりして、それを国の側が尊重している。日本でも、研究所とまでは行かなくとも、“安全センター”のようなものを作って、そこで大学の先生方をオーガナイズして、安全の問題をチェックし、公共・公衆を守るようにすべきだ。少なくとも当面は、そういうことに組合がもっと力を入れなくてはいけないと私たちは提案してきた。しかし、困ったことには、労組でそのようなものをつくっても、飾りものになる傾向があることだ。労組の官僚化とでもいうべきか。市民革命が不徹底だからである。
 根本的には憲法の“基本的人権”をちゃんと守るということだ。日本では公共の福祉のために基本的人権を制限する方向でのみ公共という言葉が横行している。しかし、本来公共の福祉のために制限さるべきことは“特権”であって“人権ではない”。基本的人権を守るためにこそ公共の福祉があるのだということなのである。それこそが、「安全の哲学」の根本である。









8 原子力の教訓河合武・藤本陽一)
ビキニ水爆と国民の反応
 一九五四年三月一日のビキニ事件は全世界に報道されて、人々に大きなショックをあたえた。広島・長崎の被曝の体験をうけた日本の国民が、とりわけ強いショックをうけ、その関心がビキニ事件に集中したのは当然である。三たびわが国民は原爆の被害者になったのであった。この間の事情は岩波新書『死の灰』詳しい。
 この頃の国民の原子力問題に対する関心の度合いを思い出してみよう。広島・長崎に対する原爆攻撃の非人道さに対して広く国民のふんがいは存在していたが、敗戦の結果、それをあからさまに述べることははばかられていた。それは第一には占領軍の報道管制によって、原爆の詳細が伝えられなかったからであり、また第二には日本民主化の主目標が日本帝国主義を批判することにあったからである。原爆の非人道さに対してはじめて行なわれた抗議は、世界平和会議がストックホルムに集まり、原子兵器の禁止を要求したストックホルム・アピールを作り発表した一九五〇年のことであった。このアピールへの署名が日本の中で六五〇万も集まったのであるから、原子兵器に対する全国民的な憎しみ・反対は明らかであろう。
 またこの前年、一九五三年の秋には、日本ではじめる原子力研究の原則をめぐって、学術会議で討論があり、国民の関心はたかまっていた。
 このようは国民の関心・世論の背景がなかったら、ビキニ事件に関する科学者の研究活動も、また自由な意見・情報の発表も行ない得なかったであろう。圧倒的な世論を反映して、新聞などの報道機関が動き、なかなか腰の重い科学者をせっついて、測定結果や意見を求めたのであった。また、紙面でいろいろな科学者の発言が比較されて、公開討論のような効果をうみ、だんだんに事件の真相とその深刻な意義が、国民全体の前に明らかになって来たのであった。


科学者の活動     被曝した第五福竜丸をめぐって、科学者の活動は、はじめはばらばらであった。放射線の測定は、科学研究所の山崎研究室、大阪市立大学の西脇研究室、立教大学の田島研究室などが現地調査を行ない、船体、つみこまれていたマグロやサメ、また乗組員の衣服や身体まで、強く放射線物質で汚染されていることが明らかにされてきた。
 これは容易な事態ではない。乗組員は、致死量に近い数百レントゲンの放射線を浴びているらしいことが関係した科学者の間での一致した結論になっていった。
 被曝した乗組員の方に対しては、中泉教授などを中心とする東大調査団が現地におもむいて、焼津の協立病院の医師を協力してこれにあたった。調査団はただちに「患者は全員だいたいにおいて生命の危険はない。安静にしていれば二ヶ月くらいで回復する見込み」と発表したと新聞は報じていた。
 実際の診療に当たった三好博士など主治医たちは、しかし事態は容易でないことはすでに知っていた。骨髄の細胞は、すでに普通の人の半分位にへっていたのである。この人々は、治療のために患者全員を東京の病院に移送することを説得するのに苦労をしていた。東京に行くと実験台にされる、モルモットにされる、これ以上やることはみな検査の材料だと反対していた。事実、原子爆弾の実験でその効果をみたい人たちにとって、彼等人間がやられたこと自身がすでに実験材料になったわけだ。これに対して彼等が怒っているのは当然のことであった。医師たちは治療上どのような放射能によるのか知らねばならないので、米国政府にその内容を教えるように要求したが、米国政府はこれを拒んだ。そこで日本の化学者は独自の分析をしなければならなかった。この分析によって、この水爆が恐るべき3F水爆であることが明らかになったのである。


米国政府の介入 調査や治療にあたって活躍していた日本の科学者・医師に最初の試練があらわれた    のは米国側との意見の対立である。米国側は、「日本側の報告はおおげさである。」といい、また漁夫の被害は、サンゴ礁の破片から生じた化学的な火傷だけであるという説を固執した。また、日本の政府もそれの肩をもって、「米国が防衛上必要として行なう実験であれば、自由諸国の一群に入った日本としてはこれに協力するのは当然である。」と外務大臣が演説をしている。さらに、患者は米国側に診てもらうのがよいだろうと、暗に日本の科学陣を軽視するような外相の発言も報道された。
 このような一連の動きが、国民の憤慨を買ったのはいうもでもない。しかし、日本の科学者たちは、良心的にしようとすれば米国にたてつかねばならず、大変具合の悪い羽目におちいったのである。世論の圧倒的な支持がなければ、日本の科学者たちは、その化学的な良心も医師のヒューマニズムも貫き通すことはできなかったであろう。
 これをめぐる科学者たちの活動の記録も、岩波新書『死の灰』に詳しい。


死の灰日本をおおう 原水爆実験の被害は、第五福竜丸のみにはとどまらなかった。汚染マグロをつんで放射能をかぶった漁船は次々に入港した。そればかりでなく、日本各地に放射能雨がふり出した。また、南太平洋の広い範囲から体内に放射能をもった魚類が見出されてきた。
 それに対して日本の科学者たちは、多くの人々の輿望をになって、ビキニ事件の調査のさいに生まれたチームワークを生かしつつ勇敢に研究をすすめた。
 同じ頃、米国の原子力委員会は学者を派遣して“日本放射能会議”を東京で開かせた。米国側の出席者は「汚染マグロの放射能は、人体に対する“許容量”にははるかに及ばないほど少ないものだから“安全”である。」と主張した。日本側の学者の中には、その意見に賛成できない人もいたが、心配はいらないという意見がクローズアップされて、ついにマグロの放射能の検査も打ち切られることになってしまった。
 ところがこのようなことで死の灰に対する国民の不安が解消するはずがない。放射能をもった水をのみ、空気を吸い、食物を食べていていいものかという疑問が、いたるところで国民から科学者になげかけられた。


「恕限度」と「耐容量」 昔から。毒薬などの致死量という考え方と並行して、恕限量とか恕限度とかいう言葉があった。それは、深くその意味も考えないで、そこまでなら“死なないであろう量”というふうに使われていた。
放射線の人間への障害についても、X線というものが医者に使われだしたことから、それを職業的に扱う人たちの手の潰瘍などの障害が目につき出してきた。一九二八年の国際放射線学会の第二回総会で、国家代表でなく、その方面の専門家の個人的な集まりという形で委員会が組織され、放射線防禦の基礎的な指針を各国に勧告する作業をはじめた。これがいま有名になっている国際放射線防禦委員会(略称ICRP)のはじまりである。
 ICRPは一九三四年に、放射線を職業として扱う人たちは、一週間に一レム以下に抑えなくてはならないという勧告を出した。その頃は放射線の危険をさして重要なことだと人々は考えていず、放射線を扱う人は白血球が多少へっても平気であった。この数字は耐容量とよばれ、その量位までは人体は放射線に耐えられると考えた。その具体的な意味は、血液検査をして何らかの変化を検出できないギリギリの量ということであった。
 その後、ウラン鉱の従業員の肺ガンの発生などが分ってきて、以前の量は大きすぎるとして最大許容量が一週間に三〇〇ミリレムとされていたのが当時の状況であった。またこれは放射線を職業的に扱う人々に対する数字であって、一般の人々に対してはその一〇分の一をとって一週間に三〇ミリレムが最大許容量とされていた。一般人には赤ん坊も病人もいるので、安全率として専門家の値の一〇分の一にした以外に、何らの根拠はないのである。


許容量に対する疑い 放射線の人体への影響が、青酸カリの毒性のように、一時的に死に至らしめるというばかりでないことは広島・長崎の経験を通じて国民全体が知っている。爆発地点からかなり遠くにいた人たちで、被曝当時は何でもなかった人の中にも数年のちになって、とつぜん発病した原爆病に侵されて死んで行っている人が数々いる事実は、よく知られていた。許容量以下なら安全といわれ、死の灰の雨をあび、放射能マグロを食べてすぐに眼に見える影響があらわれなくても、とても不安は解消するものではなかった。
 一方放射線の人体に対する影響の研究も、戦後原子力の発達に刺激されて、次々に新しい事実がみつかって来ていた。統計の調査や動物実験によって、白血病の発病率は、あたった放射線の量に比例して増大していることが知られてきた。そればかりではない。放射線による遺伝障害が、ごく微量の照射の場合にも存在していることが確認されていた。
 こうした事実から考えて、「許容量」というものは、決して“それ以下では障害が起こらない量”ではないということははっきりしてきたのである。
 日本にふってきた死の灰からうける放射線量はもちろん第五福竜丸のときと違ってきわめて微量である。したがって、個々の一人一人についてみると、そのために白血病にかかったり、かたわの児が生れたりする確率は小さいものであろう。しかし日本全体、世界全体の大きな人口をとってみると、誰かは不運な目にあって、死の灰の影響で生命を失っていると考えられる。このようなときには、科学者は国民の一人一人に何といって注意したらよいのだろうか。これまでの許容量概念ではおおえぬいろいろな問題が起こってきて、科学者たちは国民からの質問ぜめに混乱した。


利益と有害のバランスが許容量 それでは「許容量」というものは、どういう量として考えたらいいのであろうか。米原子力委員のノーベル賞学者リビー博士は「許容量」をたてにとって、原水爆の降灰放射能の影響は無視できると宣伝につとめた。
 日本の物理学者たちは、討論を重ねた。こうして日本学術会議のシンポジウムの席上で、武谷三男氏は次のような概念を提出した。
 「放射線というものは、どんなに微量であっても、人体に悪い影響をあたえる。しかし一方では、これを使うことによって有利なこともあり、また使わざるを得ないということもある。その例としてレントゲン検査を考えれば、それによって何らかの影響はあるかもしれないが、同時に結核を早く発見することもできるというプラスもある。そこで、有害さとひきかえに有利さを得るバランスを考えて、“どこまで有害さをがまんするのかの量”が、許容量というものである。つまり許容量とは、利益と不利益とのバランスをはかる社会的な概念なのである。」
 この考え方で、ようやく「許容量」というものが、害か無害か、危険か安全かの境界として科学的に決定される量ではなくて、人間の生活という観点から、危険を「どこまでがまんしてもそのプラスを考えるか」という、社会的な概念であることがはっきりしたのである。
 そして、この考え方がしっかりしたことによって、原水爆実験という原子力の軍事利用が、人間の生活、人間の生存にとって、決してプラスにならず、マイナスの死の灰をまき散らす“百害あって一利なし”のものである以上、決して認められるべきものではないという、原水爆反対のための、一つの確乎とした論理が導き出されたのである。まして、原水爆実験の死の灰に“許容量”などという概念が存在しないということもはっきりしたのである。このことについては、岩波新書『原水爆実験』に詳しい。


新しい考え方に支えられて ビキニ事件をきっかけに、原水爆禁止を要求するいくつかの運動が起こった。その一つは、東京都杉並区にはじまった原水爆禁止運動である。これはたちまちに日本全国をおおい、また世界各国の運動をも合流して、大運動に発展した。日本原水協(原水爆禁止日本協議会)と、毎年それが主催して八月に行なう世界大会がそれである。このような運動に対して、武谷氏の許容量理論は科学的な根拠をあたえたのである。これによってこの運動が日本国民の原爆ヒステリーだという米国の非難と闘うことができた。
 また科学者の間でも、世界的な運動が起こった。アインシュタイン・ラッセルの声明にはじまるパグウォッシュ会議や、ポーリング博士のよびかけにはじまる核実験即時停止の国連へのアピールがある。
 国際的な会合へ出席した日本の科学者は、全国民の原水爆禁止のよびごえに支えられて、許容量理論と死の灰の測定結果とを出して奮闘した。このような活動がしだいに実って、許容量に関する考え方も日本のものに極めて近いものにだんだん移ってきた。
 ICRPは年を追って許容量勧告を次々に出していったが、それを見てゆくと考えの変化を見ることができる。
 一九五四年には、許容量は「現在得られている知識に照らして、生涯のいずれの時期にも感知されうる程度の身体障害を起こさないと思われる放射線量」と定義されている。
 最近の一九六五年の新勧告では、許容量が、放射線のもたらす利益と危険度とのバランスによって決まることを強調するとともに、最大許容量という表現が必ずしも適当でないことさえ認めている。最大許容量の数字は昔の一〇分の一にまで年を追って低くなってきたばかりでなく、その基本的な考え方で、武谷氏の理論がほとんど全面的に受け入れられていることを知るのである。


原子炉にも「死の灰」がたまっている 原子力発電は、軍事利用の核爆発が、瞬間的に連鎖反応を起こさせるのに対して、連鎖反応をゆっくりとさせて、徐々に熱をとり出そうという仕組みであって、その装置がいわゆる“原子炉”である。しがし、いかにゆっくり連鎖反応をさせても、その結果、原子炉の中には、核爆発の時に出てくるものと同じ死の灰がたくさんたまってくるのである。
 わが国の最初の原子力発電所として、いまでは観光の対象にさえなっている日本原子力発電所の東海発電所の発電炉は約一六万キロワットの電気を発生している。この炉内にたまる死の灰の量は、全部で約六億キューリーという大量なものなのである。広島・長崎型の原爆の出す死の灰の一00発分近い死の灰がたまることになっている。


原子炉事故の例原子炉の事故は、現実に、公表されたものだけでも、数十件あるのだ。
“死の灰”が、外部にまで飛び散って、大きな騒ぎを起こした事故の例としては、一九五七年十月に英国で起きたウィンズケール原子炉の事故である。
 この原子炉は、英国から導入した東海村の発電炉の“原型炉”になった天然ウラン・黒鉛減速型のもので、当時英国は発電炉の原型炉としての役割と同時に、軍事用のプルトニウムの生産に使っていた。
 この炉の減速材の黒鉛は、中性子によってエネルギーが蓄積され“ひずみ”を起こすので、ときどき“焼きもどし”をしなければならない。このため、原子炉を停止して“焼きもどし”作業をしている最中、黒鉛の温度がどんどん上昇し、原子炉が火事になって、“死の灰” が煙突から外に飛び散ってしまったのである。


ミルクが三ヶ月も飲めなかった このとき放出された放射性物質は、放射性ヨードだけでも、二万キューリーに達した。空気中の放射能の最高レベルに達したときは、最大許容量基準の一〇〇倍以上の濃度に達し、工場外にも流れでて、放射性ヨードが牧草につき、これを食べた牛のミルクからも検出された。一リットル〇・八マイクロキューリーの汚染ミルクが発見されて、幅一〇ないし一六キロ、長さ五〇キロの風下の帯状地帯でミルクの販売制限をしたが、それは三ヶ月も続いた。この事故は、人口密度の低い地帯であったし、幼児の甲状腺に障害を起こすヨード131のふくまれるミルクの販売制限を早くやったために、幸いにも人間への影響は認められなかった。
 しかしこの事故の原因は、この黒鉛の中に“ひずみ”を起こすウィグナー・エネルギーについての知識が不十分なまま“焼きもどし”をしたことにあった。原子炉のようなものについては、まだまだごく“基礎的なこと”でさえ、はっきりつかまえられていないということを知らせた事故であった。このような原子炉事故の多くは、技術者によって予想もされない原因によって起こったものである。


大災害の可能性 米国の原子力委員会は、「公衆災害を伴う原子力発電所事故の理論的可能性とその結果」という研究を発表している。これによれば、東海発電所とほぼ同じ規模の一五万キロワットの電気出力をもつ発電炉が事故を起こして、その中にたまっていた放射性物質の二分の一が外部に放散されたとすると、約三四〇〇人が死亡し、四万三〇〇〇人が放射線障害を起こし、風下約一〇〇キロまでが緊急立退きしなければならず、最悪の場合の被害額は七〇億ドル(約二兆五〇〇〇億円)にもなる可能性があるとしている。これを東海村にあてはめると一〇〇キロは東京までの距離であり、食物制限の範囲は沖縄にまで及ぶほどなのである。
 万が一にはせよ、いったん大事故が起こったら、これ程の被害を考えなければならない原子炉の「安全性」を考える場合、第一の“安全弁”は、原子炉を建設する「場所」にある。
 人口が密集した都市の中や都市に近いところに原子炉を置いた場合は、被害はいっそう大きくなることは、わかりきったことである。周辺に人口の少ない場所に、敷地を広くとっておかなければならない理由はそこにある。


関西原子炉のケース原子炉の安全性と土地問題については、関西電子炉の土地選定のさいに起こった事件を例として書いておくことにしよう。
 日本の原子力研究がはじまり、東海村に原子力研究所ができて原子炉もそこにどんどん作られる計画になった頃、関西にも一つ原子力のセンターがいるのではないかという声が起こった。関東には原研があるので、関西には、大学用の炉にした方がよいという声が一部にはあった。この構想が研究者の間に広く知らされて討論されるようになるまえに、京都大学工学部がその関西原子炉管理権を独占してしまっていた。
 ところが、管理権を獲得した京都大学工学部は、外の人々に相談することなく計画を進め、京都郊外の宇治に原子炉をつくることを勝手に決めてしまった。
 ところが、宇治の計画には大阪から強い反対が起こった。宇治川は大阪市の水源地である、炉をそんなところにおいてはこまると大阪大学の学者たちが主張したのであった。
 一九五七年八月のことであったが、突如として新聞社が、大阪と京都のまんなかにある高槻市の阿武山に原子炉を設置すると京大側がきめて、阪大側もそれで折れ合ったということをスクープして、新聞に書いた。これを見て驚いたのは茨木市の市民であった。それは、阿武山は高槻市の領域ではあっても実は高槻市のいちばん端で、高槻市から茨木市に向って突出した部分であり、阿武山のすぐふもとを安威川という川が流れているが、その川が茨木市の水源であるのである。


茨木市民の反対運動 茨木は反対運動を開始し、その下流の吹田市も反対運動に合流した。茨木市民のいい分は次のようなものであった。「阪大の学者たちは、宇治に原子炉がつくられるときには、原子炉は危険であって水源地においてはいけないといった。にもかかわらず、こんど高槻におくというときには反対は全然しないで、むしろ逆に原子炉は安全であることを主張している。これでは直接原子炉にタッチする科学者の発言はとても信じられない。」
 茨木市の反対運動は全市的なものとなり、市民の不安を市庁や市会議員が代表して各所に陳情にまわった。また、各地の専門家の所を訪ねてはその意見をきき自らの勉強をつんで行ったのである。
 そうして一九五七年九月には、京大・阪大の原子炉当事者と、立大の武谷氏とを招いて、吹田市役所で立会討論会が開催された。会場は、茨木・吹田の市民でもちろん超満員であった。これは俗に「吹田の合戦」と呼ばれている。この「吹田の合戦」が、茨木の市民に大きな影響をあたえたことはいうまでもない。筋の通った市民の反対運動が、原子炉当事者たちのにせの論理を打破って、市民の水源地を防禦することに成功した。この討論のなかで安全問題のポイントの多くが具体的に扱われているので、速記録の抜粋をここにのせることにする。


吹田の合戦 立教大学教授 武谷三男氏          原子力というのは人類の将来のホープであるということは、これは明らかなことであります。そういうことは戦後間もなくから私は言い続けて参りました。当時そういうことを言う人はほとんどいなかった。私はそういうことを熱心に言って、日本でも原子力の平和利用をやらねばならないということを申して参りましたが、少し薬が効き過ぎて、今度は原子力ならなんでもいいんだ、というような風潮ができてきたのを非常に嘆かわしいと思っております。こういう文明の利器、特に原子力というものは非常な危険を内蔵しているものであります。ですから、これを簡単に扱ってもらっては困るんです。原子炉は絶対安全というようなことをおっしゃっている方がどうやらいらっしゃるようです。安全ということも大変疑問であります。安全でないからこそいろいろの防禦設備をして、鉄の容れ物に全体を入れてみたり、いろいろ苦心惨憺するのであります。ですから、それを軽々しい態度で、こうやれば絶対安全、ああやれば絶対安全というようなことを言うのは非常に間違った態度であります。それは原子炉の本質的な問題を御存じない、原子炉の構造をいろいろトレーシング・ペーパーでお描きになったことはあるかもしれませんが、原子炉の根本的な態度、本質的なことについては御存じないと言われてもしようがない。すくなくとも絶対安全とか、また安全とかいうような言葉は言うべきではない。あくまで安全にしたい、する努力をするという態度で何時も言う必要があるのであります。そういう点からいうと、原子炉を置く場所という点についても細心な注意を払わなければならない。こうやれば安全だからどこへ置いてもいいだろうというようなやり方はいけないのであります。一昨年のジュネーブ会議にアメリカの原子炉安全委員会から出しました報告書にも、「原子炉は十年間動かした人でも最初の一日のときのような細心の注意を忘れては危険である。原子炉は本質的に危険なものである。主な川の流域には置いてはいけない。」ということが書いてあります。それから水源地の近くなどというところは避けねばならんということは、大体多くの人も認めていることだと思いますし、私はたとえ人が認めていなくても、私はそういうことはやってはいけないというふうに考えております。それからまた、たとえ絶対安全でも、人々が心配しているというときにそういうものを置くべきではありません。

 大阪大学助教授S氏      ただいまは武谷先生から有益なる精神訓話を拝聴いたしまして、まことにその通りでございまして、今後ともあのお話を肝に銘じてやるつもりであります。原子炉はもちろん核分裂を基礎とするものでございますから、原理においては原子爆弾と変るところがないのでございます。しかしながら、原子爆弾は一たん爆発し始めると全然コントロールのきかないような、つまり非常に早い現象である。平和利用に使う炉は、反応に要する時間を非常に遅くしました中性子炉と申しまして、われわれ人間の力をもって充分に制御し得るところが根本的に違う。でありますから核分裂が同じ原理であるから本質的に危い、そうおっしゃるなら、もう一段次の段階を考えていただきたい。もう少し具体的に申しますと、われわれの炉と同じような形式の炉でもって爆発させる実験も各所にございます。制御棒を非常に急速に、われわれが考えておりますような原子炉よりも約一万倍の早さで抜いた場合の話でございまして、われわれの炉で設計しておりますように、それの一万分の一の早さで抜く場合には、絶対に爆発は起こらないのでございます。その点が、いま武谷先生がお話になりましたところと違うところと思います。それから、その炉自身は、温度が上って参りますと、自然に反応する割合が次第に減ってくるような構造になってございます。従いまして、いまのわれわれの制御棒を抜き出すそういう機構をもってしては、これは全然問題にならんぐらいの安全性を持っております。もちろん、ほかの種々考えられる事故が予想される場合には、シャット・ダウンと申しまして、炉を止めるような機構が約四重、五重と施してございます。

 立教大学教授 武谷三男氏     原爆と原子炉とが違うということは、これはSさんより私の方が先に充分研究しております。(拍手)それから、原子炉の活動が盛んになって参りますと、温度が上って次第にリアクティビティが減ってくる、それも当然ですが、しかしながらそれでもなおかつそれでカバーできない問題があります。スイミング・プールという原子炉は固体を使っておりますから、必ずしもこれが早いとは限らない。それから、制御棒を何万分の一とかいろいろおっしゃいましたけれど、それは普通の話でありまして、つまり私が言うのは、大爆発はしないけれども、いろいろの事故が起こる、あるいは下手をやると爆発するかも知れません。今の方のようなつもりでおやりになるといろいろな危険性があるということを私は大変心配しておるんです。(拍手)世界中の原子炉も大変慎重に設計されて、それぞれ安全度を考えられて設計されているんですが、いろいろの事故を起こしております。例えば命令を間違って聞いたというだけでも事故を起こしている原子炉もあります。ですからそういう態度ではいけません。精神訓話ではなくて、物を扱うときの具体的な態度であります。これを精神訓話だなどとお聞きになるようではまだまだ原子炉に携わる資格はないと思います。(拍手)

 大阪大学助教授S氏      炉は決して安全なものとは考えておりません。これはもともと宇治を反対した場合に、私は武谷先生がおっしゃったようなことを論議いたしました。しかし、もし万が一の場合大阪六百万の市民の水源に対する処置というものは、先生方が幾ら百人束になってかかっても数百億、数千億という経費は出せないわけであります。つまり六百万市民というものは全然水を失うわけなんでありますけれども、まずまず阿武山の場合なら行けるという見込の下に、私共は・・・(「茨木市民は死ぬか」と叫ぶ者あり)茨木市民六万人を死ねと申す意味ではございません。その処置が考え得るという意味で一応反対はしないという態度でございます。

 京都大学助教授O氏      あらゆる場合についてそうでありますように、原子炉の場合でも、安全であるということを主張する側ははるかに歩が悪いのであります。(笑)武谷先生は終始かような有利な立場に立って京都大学、大阪大学を皮肉っておられる。(笑、拍手)私共は原子炉は、武谷先生が先ほどおっしゃいますように、絶対安全であるとか、絶対に事故を起こさない、そういうようなことを考えておるものではありません。私はもちろん原子炉というものを見たこともありませんし、触ったこともないのであります。私共はただ本を読んで何々の文献を調べて、原子炉を作るに当ってはどういう注意をしなければいけないかということを精細に調べただけなのであります。その結果を今ここで皆さんに聞いていただきますれば私は満足なんでありますけれども、先ほど申しましたように安全であるということを言うのは非常に歩が悪いんです。従って武谷先生がおいでにならないときにゆっくり聞いていただこうと、考えております。(笑)

 立教大学教授 武谷三男氏     歩がいいとか歩が悪いとかいう問題ではないと思います。(拍手)やはりやらねばならんことはやらねばならん、それから心配なことは心配であるという問題であって、歩がいいとか悪いとかで片付ける問題ではない。それから、注意しなければならんことを精細にお調べになったそうですが、そうであるならば、あなた方の大先生やそのほかの先生によくそれをご報告になっていただきたい。そうして、こういう皆さんにお話をするときに、まず心配なことは心配だということからお話しになって、しかしわれわれはこう注意するんだという態度が本当の学問的態度です。どうも速記録を見ると心配なことなど一つもないみたいなことばかりをどなたもおっしゃっている。これは大変よくない態度であります。それは人を何か強引に説得さえして作ってしまえばこっちの勝ちというような、そういう感じに受取る、・・・私は受取ります。

 京都大学助教授O氏      今後努力いたしまして、大先生方を教育いたしまして、かような本当の原子力を理解していただくためには有害な発言をなさっていただかないように注意いたすつもりでおります。(拍手)

大阪大学教授T氏      土地の選定ということに関係しておりますので、こちらの考え方もお話ししてみたい。まず第一に原子炉を置くべき立地条件、気象であるとか、地震であるとか、それから安全性という点を第一番に置きまして、それから炉の運転に差支えないように給水であるとか、そういうふうな問題をいろいろ考慮いたします。経済面も考慮いたしまして土地を選定するわけです。そういう立地条件というものを数十項目以上に分けて書いたのであります。例えば災害の中でいきますと、雷様も入っておれば、台風も入っておる。それからまた地震、洪水、火事、いろいろの普通に考え得る災害、そういうものを全部洗い出しまして、一つ一つ消していったわけです。そういうふうにして立地の条件から特に重要性のあるものを残していったわけです。そういう立地条件の下に関西の各土地をまず第一番に図上で選んでみた。入手の一番容易な国有地の中から選定して参りました。その中で利用度という面、非常に給水量というものが多量に要するという関係から宇治が最も最適ではないかというふうなことになりまして残ってきたわけでございます。候補地の高槻以外にないと証明をせいと言われますと、これは不可能であります。ただこの阿武山に置くことが技術的に可能であるという見地に立ったのであります。そういう点で阿武山というものが選定されてきたわけでございます。それで阿武山をいろいろな原子炉の安全性の問題、汚水の問題、そういう点を全部危険だという立場で仮定して参りましても一応解決がつく。一応と申しますと言葉が悪いですが、まずわれわれの納得しうる限度に解決が立つという見通しが付きましたので、準備委員の方々に同意を申上げたのでございます。

立教大学教授武谷三男氏      立地条件の場合に、水源地ということを全然考えに省かれたということが、幾ら台風とかなんとかで議論なさっても、一番重要な点が漏れているんじゃないかというふうな懸念がいたします。この点、大変奇妙な感じに打たれるのであります。だから幾ら多くのことを調べても肝心なことが抜けては、これは何にもならないのであります。(拍手)

 大阪大学教授T氏      われわれは手弁当で随分苦労して探したんです。土地を探す研究費だとか費用というのは一銭もございません。私自身も手弁当で毎日探して歩いたのであります。それも大分苦労しております。次に水源地の問題を申上げなければいけない。何時でも六百万の人口の水源と六万の人口の水源地ということを申上げますと、すぐに六百万の命は大切で六万の命は大切ではないのかというふうなことをすぐにくってかかられるのでありますが、私達の申上げているのはそういうのではないのでございます。ただ処置の仕方が違う。大阪六百万の人口の給水量、これは非常に大きなものです。もしもどうしても気持が悪いから水源地を変えてくれという問題が起こったとします。そうすると約三百億ないし四百億円というものを即座に要します。ところが六万人の給水人口、それで現在の水道がもし汚される、―――汚すことはありませんが、気持ちが悪いから他に変えてもらいたいというふうなことが出たといたしましても、技術的及び経済的に可能なんであります。

立教大学教授 武谷三男氏     調査の費用は手弁当で費用がないというふうにおっしゃいました。これは重大な問題であります。私が原子炉をやるとすれば、これは調査費をまず最初に相当に要求いたします。そうして充分に調査いたします。手弁当なんていうのじゃなくって徹底的な調査をいたします。それが必要であります。そういうこともできないようでは安全装置がどうとかこうとかいろいろ理論的にお考えになっても、それは議論に過ぎません。(拍手)それから、水源地の対策が立つという見込だとおっしゃるならば、その対策の方から先に発表なさる方がよろしかろうと思います(拍手)

 (武谷氏が壇から降りると、T氏が近寄って「発表する権限が我々にない」という意味を耳うちする。武谷氏が再び登壇する。)

 今、われわれの権限ではないということをおっしゃいました。しかし、それが権限でないからこそわれわれ学者は困るということを言っているんです。だからやはり権限のあるところと充分連絡をおとりになって、権限のある人が権限を行使する見込をまず最初にお立てにならなければいけない。(拍手)








  1. 2011/10/20(木) 18:40:03|
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