尾崎豊の死因 2

   
尾崎はカリスマ的存在だと言われていたけれど、僕は彼はカリスマそのものだと思う

 


 

 まず、いちばんはじめに、この文章は「あくまでも事実や過程から導いた一個人の考察」であることをご了承下さい。 

 尾崎の死に関しては、「これまでに真相は明らかにはなってない」のを、勝手に僕が「個人的に」考察してみたのを書いているだけです。当事者の方からすれば、誤解と矛盾に満ちた、バカげた第三者の「たわごと」にすぎないかもしれません。

 ですので、これからはじまる文章は、あくまでも、尾崎ファンの一人が勝手に考察をしてみたというだけの「一個人」の「考察」とご了承の上で読んでいただければ、と思っています。

 

前回の考察の 尾崎豊の死因 を読んでいない方は、まずは前回の考察 尾崎豊の死因 (←こちらをクリック) をお読み下さい。

前回の考察を読んでいないと、たぶんこちらの考察は、ほとんど理解してもらえないと思います

 

 また、この考察の一番下に この考察のアンケート そして この考察の続編 のリンクがあります

 


 

目 次

長いので目次をつけました

 

はじめに


 1. 「繁美さんが医師のいうことを聞かずに連れて帰った」という報道について

  1-1 尾崎に意識があった

  1-2 本人が帰りたいと言った

  1-3 報道は誤り

     補足考察1   医師が帰宅を容認した件についての考察
 

 2. 「殺人依頼・陰謀説」

  2-1 繁美さん一人ではなく、三人で看病していた

  2-2 不完全な陰謀説

     補足考察2   問題を一つずつわけて考える大切さ
 

 3. 覚醒剤が検出されたことが事実として認められたこと

  3-1 常習していたのか

  3-2 なぜ覚醒剤が尾崎の胃から多量(致死量の約3倍)に検出されたのか
 
    3-2-1 覚醒剤を誰かに「飲まされた」のか

    3-2-2 自分の意志で飲んだのか
 
     補足考察3   外傷性クモ膜下出血
 

 4. みえない一本の線
 

 5. 問題の背景にあるもの(繁美さんと大楽さんの関係)
 
  5-1 繁美さん 

    5-1-1 ファンではなく妻としての立場 

    5-1-2 ニセの遺書 

    5-1-3 尾崎が自ら選んだ人 

    5-1-4 今回の考察の前提条件

  5-2 大楽さん

    5-2-1 身内と他人との中間的な存在

    5-2-2 部妙な立場と軋轢

    5-2-3 いまだに残る深いこころの傷

  5-3 繁美さんと大楽さんとの問題

    5-3-1 DV(家庭内暴力)と、その頃の繁美さんと大楽さんとの関係

    5-3-2 憎しみの構図

    5-3-3 尾崎を介した二人の立場の違い

 6. 複雑にからまってしまった相対的な問題
 

最後に 

 


 

はじめに

 


 月日は流れるのは速く、 尾崎がいなくなって、もう10年以上もたってしまった。その間に尾崎裁判とよばれる裁判が終わり、新しい事実も出てきて、今は10年前とは事実関係が少し変わってしまった。

 裁判で認められた「あたらしい事実」があり、僕は前回の考察の答が破綻していないかどうか、いろいろ考え、その検証をしてみた。あまりにもまとはずれだとしたら、みっともないので書き直すか、HP上から撤去しようと考えていた。 ( 前回の考察 尾崎豊の死因 (←こちらをクリック) )

 けれど、結果的には、前回の考察をふまえたような形になってしまった。

 それが正しいのかどうかはわからないけれども、いろいろな事を一つ一つ自分なりに解き明かしてゆくと、基本的には、他殺説や覚醒剤常習説といった事はなかったであろうという結論にも達してしまった。

 今回はそういった、どうもあやしげで腑に落ちない説を中心にとりあげて、考察を書いてゆきたいと思います。

 

 まず、これから書いていく考察は、主に、下記の「本の内容の事実関係を元にして考察をした」ものです。

 

考察上、参考にした書籍

Say good-by to the sky way. 尾崎豊、尾崎康、大楽光太郎、吉岡秀隆、アイソトープ
弟尾崎豊の愛と死と 尾崎康 (尾崎豊の兄)
誰が尾崎豊を殺したか
7年目の真実
大楽光太郎 (兄・康の小学生の頃からの友人 尾崎を幼い頃から知る幼なじみであり先輩でもあり友人でもあった人 最後のマネージャー)
親愛なる遙いあなたへ  尾崎繁美 (尾崎豊の妻)

 

 尾崎の死の前後を考えるとき、やっぱりいちばん参考になるのは、その場にいた人(尾崎康、大楽光太郎、尾崎繁美)たちの言葉(証言)だろうから、その場にいた人の複数の言葉の「一致点」を見ていけば、あまり間違った考察にはならないと思います。

 僕はマスコミなどの伝聞や、その場にいなかった人たちが、いくら死因について語っても、アテにはならないと思ったので、ほかの書籍は参考にする程度にしました。

 

 たくさん考察をした中でも、まず、いちばんはじめに取り上げておきたいのが、なぜか見受けられる尾崎繁美夫人の「陰謀説」「犯人説」です。

 これに関して、僕の見方はまったく否定的です。推測理由は、いくつかあげることができます。まずは、いちばんはじめに、その誤解を招くきっかけになった、報道の件から取り上げてゆくことにします。

 

 


 

 

1. 「繁美さんが医師のいうことを聞かずに連れて帰った」という報道について

 

 はじめに、尾崎が(通称・尾崎ハウスと呼ばれる小峰さん宅から)はじめに救急車で病院に運ばれたとき、「繁美さんが医師のいうことを聞かず、尾崎を自宅へ連れて帰った」というような報道がありました。

 そのため、異変に気がつくのが遅れ、尾崎が死に至ってしまった、というような記事があり、話の筋としてはなんとなく通っており、そのため実際そう信じている方もいるようです。

 

 が、どうやらこれは事実をよく見る必要があると思います。そうでなければ、まったく違った事実を見てしまうことになります。

 この件に関しては、以下の枠に書いてある 2つのポイント からみてゆくことにします。

 

尾崎は、救急車で運ばれてからも、「意識があった」こと。(泥酔状態ながらも)

「夫人が」無理矢理連れて帰ったのではなく、「尾崎自身が」「家に帰りたいと希望した」こと。

 

 

 1-1 尾崎に意識があった

 
 
まず、尾崎の意識があったということ、これはいちばんの大きなポイントになります。意識がなければ、尾崎をどのような状況にもできます。尾崎を医者から無理矢理引き離すこともできるし、そのまま入院させることもできる。けれども、尾崎は病院にいたときも、自宅に戻ってからも意識はあった。

 兄・康さんの本では、康さんが午前7時30分頃に大楽さんと一緒に尾崎のマンションの前に到着したときに、尾崎は「ああ、アニキ、わるい、わるい」と話したと書いてあります。これは、尾崎がこの時意識があり、兄・康をきちんと認識できていたということになります。

 そして、自宅にもどってからも、もがいていた尾崎は、「病院で強い薬をうたれた」と話した(薬=鎮静剤のこと)。これは、病院で暴れていた尾崎に医者が鎮静剤の注射したことです。この言葉から、尾崎は病院でもきちんと意識があったということがわかります。

 尾崎の意識があったことは、死の前後に立ち会った三人が記述した本の内容から 「一致」 しています。

 だから、まず、尾崎の意識がある以上、繁美さんひとりの意志で、医者の言うことも聞かずに尾崎を連れて帰ったというわけではない、ことがわかります。

 

 

 1-2 本人が帰りたいと言った

 
 その次に、Saygood-by to the sky way.という本には、具体的に父親の健一さんから大楽さんに電話があり「どうしても本人が帰りたいと言って、マンションに帰ったようだ」という一文がある。これから、尾崎自身が自分の意志で家に帰りたいと希望していた事がわかります。

 そして兄・康さんの本でも、「かけつけた繁美さんに尾崎は帰りたいといった」といった内容の記述があります。「医師も深酒のみと診断」との記述もあります。

 だから、上記の報道は、事実関係をよく見る必要があります。「繁美さんが、尾崎が意識のない状態なのに、尾崎を無理矢理自宅に連れて帰った」という意味であるならば、この本の内容とは、まったく対立するというおかしな話になってしまいます。

 これから、新聞報道か兄・康さんのどちらかが 事実と違う内容 を書いていることになります。

 

 僕は、もし、医師が少しでも引き留めた事実があるのならば、「繁美さんが医師のいうことを聞かずに連れて帰った」という報道は、「医師のいうことを聞かなかった尾崎が、無理矢理繁美さんに自宅に連れて帰ってもらった」と考えるべきだと思います。

 そして医師も、あまりにもひどい外傷があるのを見て「大丈夫かな」と思ったにせよ、泥酔状態で、暴れたりしていて、意識があったので、「深酒のみ」との判断から、帰宅を容認したと考えるべきだと思います。

 複数の本の内容の一致点から、「繁美さんが→連れて帰った」のは事実だろうけれど、医師のいうことを聞かずに自宅に帰りたがっていたのは尾崎であり、表現の微妙な違いだけれど、「尾崎が→自宅に戻りたがったから」「繁美さんが→連れて帰った」ということになってしまうのかもしれませんが、「繁美さんがむりやり尾崎を病院から連れ戻した」ということではないようです。

 

 

 1-3 報道は誤り

 
 Saygood-by to the sky way.の本では、特にこの辺のことを、具体的かつ、明確に書いています。

 報道は誤り、だと。

 そして続く文章を要約して抜粋すれば、「尾崎が自宅に帰ることを強く希望し、繁美さんは入院させて欲しいと言ったが、尾崎はどうしても帰るといって聞かなかった」 ということが載っています。

 とすれば、根本的に報道の内容はおかしいことになります。

 

 この報道をきっかけにして繁美さんへの疑惑がでてきたと思いますが、僕は本の内容からみた上記の3つの考察から、この報道自体に疑問を持っています。


 

  

補足考察1  医師が帰宅を容認した件についての考察


  

僕も高校一年生の時、友人が急性アルコール中毒になったとき、救急車を呼んだことがあります。

けれども、その時の救急隊員は、僕らが高校生であることを知って、「意識がなくなったら、すぐに119するように」といい、すぐに帰っていきました。「意識があるうちはまだ大丈夫だ。病院に運んでもいいけれど、そうすると、警察や学校にまで連絡がゆき、よくて停学、わるくて退学処分になる。違法行為だから」、と言われたのです。

そのかわり、意識がなくなったらすぐに119通報するよう言われました。そして、「大丈夫だと確認できるまで、この場所(救急車が到着した場所)を絶対に動かないように。通報してもらえば、すぐにここの場所に来るから」とも言われました。 (エッセイ 生徒会会長 参照)

すなわち、飲酒による急性アルコール中毒の場合、意識があればまだ大丈夫で、意識がなくなったときは、ほんとうに危険な状態ということなのかもしれません。

 

救急隊員の判断と、この場合の医師との判断は、同じだと考えることができる「かも」しれません。

医師は、泥酔状態でも尾崎の意識があったから大丈夫だ、と判断をしたのかもしれません。(意識があるというよりも、暴れていたので鎮静剤をうたれるほどだった)

さらに尾崎の場合は、はじめに発見されたとき、救急車とともに警官も調べにやってきたのですが、警官もざっとした調査のみで、詳しく調べずに引き上げています。

警官も、その時はたんなる泥酔とみて、事件性はないものと判断したようです。その時の医師が「泥酔」と判断したのも、おかしくはないのかも知れません。

 

 

 


 

 

 2. 「殺人依頼・陰謀説」

 

 どうも、夫人の「殺人依頼・陰謀説」といったような見方もあるようです。

 が、これは、上記のような疑問の残る報道の件や、尾崎の死後、不審な点から真相究明のための再捜査のために署名活動を行っていたときに、それに協力しないように呼びかけた(この件に関しては後述)ということなどから、こういった見方がされるのは仕方がないかも知れませんが、この件に関しても、僕の考えは、完全に否定的です。


 2-1 繁美さん一人ではなく、三人で看病していた


 まず、尾崎が救急車で運ばれてからの繁美さんの行動をクローズアップしてみても、三人の本の中に、疑問となるような行動や発言が見あたらない。もし、殺人依頼などをしていたのなら、なんらかのおかしな行動があってもおかしくはないはず。

 邪推すればいくらでもできるけれど、本のなかの繁美さんの行動は、尾崎が暴れるのを三人で押さえつけたり、介抱のために毛布を持ってきたり、こどもをあやしにいったり、別になんの問題もみあたらない。

 また、もし陰謀であったとすれば、誰かに依頼して口から覚醒剤を無理矢理飲ませておいて、救急病院に担ぎ込まれたことがわかれば、上記のような「医師のいうことを聞かずに連れて帰った」ということになるはずです。

 けれども、あくまでも「自宅に戻る」と言ったのは、「尾崎」自身だった。さらに「陰謀」であったのなら、自宅に戻っても、わざわざ繁美さんは義父や兄・康さんに応援の連絡を入れたり、他の人に連絡を入れたりはしないはず。「病院に連れて行こう」と言われると、いろいろ調べられるかも知れず、そうなると困ったことになってしまうから。

 だから、たった一人で介抱し、息絶えるのを見守る事になると思います。



 しかし、そうじゃなかった。繁美さんは連絡を取り合い、一人ではなく、義父と一緒に、病院から尾崎を自宅に連れて帰った(Say good-by to the sky way.より)。そして、自宅マンション前で康さんと大楽さんが合流するまで待っていた。それからは、三人で介抱しつづけ、三人が考えもしなかった尾崎の最期の瞬間まで立ち会っていた。

 また、上にも書いたけれど、様子がおかしいのに病院に入院させなかったことに関しては、介抱していた3人が、おなじように「泥酔」と判断し、3人とも、「しばらくすると良くなる」と信じていたから。

 繁美さんが「大丈夫」と言い張り、康さんと大楽さんが「入院させるべきだ」と言い争うことがあったとは、誰の本にも一言も書いていない。だから、どう考えてみても、尾崎の死の原因がすべて繁美さんに帰結するこの陰謀説には、説明をつけにくい。

 

 まとめてみれば、尾崎が病院に担ぎ込まれて、自宅に戻って、最後の瞬間までの一連の記述では、死の前後に立ち会った三人の記述からは、繁美さんの行動に不可思議な行動につながるような行動は、なにも読みとれない。尾崎が自宅に戻ってから、康さんと大楽さんと繁美さんとの会話の内容も、取り立てて不自然なところもない。

 だから、「当時の状況から考えて、繁美さんはまったくクリアー」だと僕は考えています。

 

 2-2 不完全な陰謀説


 また付け加えるなら、尾崎が自宅に戻ってからは、3人(尾崎康、大楽光太郎、尾崎繁美)が介抱しつづけていた。

 それも、3人で介抱をしていたのは数時間以上であり、その間に、3人のうち誰かに、尾崎に死の影がやってきているとの予感があれば、尾崎はまた病院に運ばれたはず。けれどもその時は、3人とも「泥酔」だと判断し、「しばらくすれば良くなる」と思い、3人で介抱をし続けていた。そして。。。

 とすると、尾崎の死の責任が誰かにあるとするならば、たった一人だけ、それも繁美さんにあるということは、どう考えても考えられない。

 

 この時、尾崎が暴れるので、自然と介抱をしていた時の主導権は、兄・康さんと大楽さんにあった。

 繁美さんはこどもをあやしに行ったり、お茶を持ってきたり、毛布を持ってきたりしていて、尾崎の実際の介抱からは離れていた。

 繁美さんが二人を別の部屋で待機させておいて、陰謀を成し遂げるため、たった一人で介抱をしていたのなら、陰謀説も成り立つかもしれない。

 でも、ちがった。介抱をしていた時の主導権は、兄・康さんと大楽さんにあった

 だから、あくまでも誰かの陰謀であるという恣意的な見方をするのなら、医師の手を離れてからのことを考えると、陰謀説は兄・康さんや大楽さんにふりかかってくるはず。でも、そうなるともう動機も何もなく、話は無茶苦茶である。

 結局、介抱をしていたときの状況からは、どう考えても繁美さんによる陰謀説のようなことは、まったく考えることはできない。

 

 

 さらに言葉を重ねるなら、検死をした医師の言葉にもあったけれど、殺人の方法として、こんな不確実な方法をとるとはあまり考えられない。

 救急車で運ばれると言うことは、警察にも通報が行くのは当たり前のはなしであり、その時に意識があれば、おそわれたりしていたのなら、かならずその事情を話すことになる。実際尾崎が「病院で強い薬を打たれた」と言ったように。

 もし、殺人依頼というのであれば、警察に尾崎が発見される時には、口をきけないように、もうすでに命を奪っておかないといけない。そうでなければ、事情を話されて、逆に捜査をされてしまうから。

 

 客観的に見て、僕はこの尾崎の死に関する陰謀説は、矛盾だらけで、あまりにも不完全すぎるような気がしてならない。

 

 

  

補足考察2    問題を一つずつわけて考える大切さ

 


 ただはじめに書いたように、尾崎の「死後」、夫人の行動が、あまりにも不可思議な点が多いことで、この「陰謀説」ができてきたと思いますが、これは、

「尾崎の死の前後で、問題をわけて考える必要がある」

と思います。なぜなら繁美さんは、尾崎がいたときと、尾崎がいなくなったときと、彼女の立場は完全に変わってしまっているからです。

 


 尾崎が生きているあいだは、彼女は専業主婦として、外に働きに行くこともなく、子育てと家事をしていたので、どちらかというと、世間を知らなくても気楽にできた。

 

 けれども、夫(尾崎)なきあと、彼女は小さな子供を育てながら、夫なきあとの夫の事務所を守ってゆかなければならなくなってしまった。

 またさらに、彼女は残された小さな子供を、子供が独り立ちするまで、たった一人で育ててゆくことになってしまった上で、彼女にはかぞえきれないほどの不安があったはず。

 けれど、彼女は働いたことがないというくらい、世間を知らなかった。夫(尾崎)なきあと、「事務所に入らなくてはいけないし、小さな子供を一人で育てていかなければいけないのに、これからどうやって生きていけばいいんだろう、これから誰を頼って生きてゆけばいいんだろう・・・」と不安と迷いの中に入ってしまったのだろう。。。

 

 で、彼女はだれか、信頼できて頼ることのできる人が欲しかったはず。それも、右も左もまったく知らない未知の音楽業界のことを、多少なりとも知っている人であれば、なおさら都合がよい。夫(尾崎)の残してくれたものを有効に活かしてくれる、頼りのなる存在となる人がいないのだろうかと。

 振り返ってみると、大楽さんも、兄・康さんも、音楽業界のことに関してはほとんど素人のため、信頼できるとは言えない。

 さらに、彼女自身、働いたことがなかったので、社会性や社会での常識的な行動規範など、ほとんどわからなかったはず。

 そんな中、社会的な知識も経験もほとんどなかった夫人は、あやしげな人たちに不安につけ込まれ、いろいろなことを吹き込まれ、そしてあおられ、入れ知恵をされ、簡単に操られてしまったのではないか、そう僕は推測しています。そしてその被害者となったのが、大楽さんであり、康さんであり、そして繁美さん本人ではないかと思うのです。

 



 このことに言葉を加えるならば、尾崎なきあと、事務所に出入りするようになってきた人たちがいますが、大楽さんの本(誰が尾崎豊を・・・)を読むと、 その人たちとは、過去から親交はあったものの、 → はじめから繁美さんとの「深い信頼関係」があったというわけではなく、  彼らは「徐々に」彼女の信頼を取り付け、  いろいろなことを吹き込み、  不安をあおり、  最後には夫人は彼らを完全に信頼しきってしまって、  そして康さんと大楽さんを追い出してしまった、ようです。

 このへんのことはここの話題からそれるので、おいておきますが、康さんの本の中で、繁美さんに関しての記述「豊を支えたただ一人の女性」と書かれてあります。そして、「事実は直視されなければならない」、「(尾崎と)結婚に至るまでには、重い意味を持つプロセスがあった」とも書かれています。このことは、僕たちファンもこころに留めておくべき言葉だと思っています。



 また、尾崎の死の疑惑に対する署名活動に否定的であったのは、ひょっとすると彼女がいちばん尾崎の死を理解していたからかもしれません。このことは下記の考察にかかわってくることですが、もし僕の下記の考察が正しいということであれば、繁美夫人の行動も理解されるかもしれません。

 この件に関して、具体的に後述します。

 

 

 


 

 3. 覚醒剤が検出されたことが事実として認められたこと

 

 3-1 常習していたのか

 

 尾崎の胃から覚醒剤が検出されたことが事実として認められたことから、尾崎は覚醒剤を常習していたのではないかという推測もあります。これはおそらく違うと思います。

 まず、覚醒剤をしている人は、すぐにわかると言います。

 三人(尾崎康・大楽光太郎・尾崎繁美)の本には「覚醒剤を日頃から使用していたとは思えない」という認識に共通一致があることから、これも間違いはないはずです。



 裁判で「覚醒剤が検出された」と認められる以前に、兄・康さんが書いた本の中では、康さんは「死因は肺水腫」とし、「(ドラッグを使用していたということは)そんなことはありえない」 「(弟の)わずかな変化でも気がつく」 「ドラッグの影響下にあるときの特徴はあらわれていなかったと断言できる」とまで言い切っています。

 同じように、大楽さんの本でも、繁美さんの本でも、常習使用していたという示唆はなかった。

 だから、覚醒剤をふだんから使用していた可能性は 「まったくない」 と考えてもいいと思います。

 

 


 

 

 3-2 なぜ覚醒剤が尾崎の胃から多量(致死量の約3倍)に検出されたのか

 

ではなぜ覚醒剤が尾崎の胃から多量(致死量の約3倍)に検出されたのか、という疑問が残ります。

これに関しては、まず以下の前提を元に推測してゆきます

 


 前提 
   

覚醒剤は、すさまじく苦くて、簡単に飲めるようなものではない

アルコールなどに入れて「だまして」飲まそうとしても、はっきりとわかるものすごい苦さ

尾崎は覚醒剤の経験があり(経口摂取)、その「味」を知っているので、だますことはできない

けれども、尾崎の胃から検出されていた
   


 

 3-2-1 覚醒剤を誰かに「飲まされた」のか

 

 まず、覚醒剤を誰かに「飲まされた」という仮定をたてるとします。

 まず、前提条件の通り、尾崎は覚醒剤使用の経験があり、その覚醒剤のすさまじいまでの苦さは、十分に知っている(経口摂取していた)のでお酒に混ぜられてだまされてのまされるということは、まず考えられないと思います。

 

 けれども、裁判で認められた事実として、頭に「クモ膜下出血」があることから、ひょっとしたら誰かに「殴打され飲まされた」、ということが仮定できます。

 けれども、もしそうであるならば、救急車で運ばれた時、意識があった尾崎は、かならず「その事情を告げる」と思います。ケンカをしたとか、襲いかかられたとか。そして、「とてもにがいものを飲まされた」とか。

 しかし、尾崎が「誰かに殴られた」とか「殴られてなにかを飲まされた」と言ったということは、どこの誰の本にも書いていない。

 

 また、救急病院から帰宅したときも「意識はあった」という、共通の記述があります。体中傷だらけで、顔も腫れ上がった状態なのに、介抱をしていた三人の本には「喧嘩をした」とか「殴られた」とか「薬を飲まされた」という尾崎の言葉は一度も出てきていない。 

 具体的には、康さんの本では、自宅マンションの前で大楽さんと共に到着したとき、「ああ、アニキ?わるい、わるい」と言ったとあります。この時もまだ、尾崎は「しっかりとした意識を持っていた」という言葉がSaygood-by to the sky way(本)にあります。だから、おそわれたり喧嘩をしたとかいうことではないと考えられます。

 そう考えると、ここでも他殺説や陰謀説というものは説明に限界があり、「殴打されたあげく、無理矢理に覚醒剤を飲まされた」という仮説は、とても考えにくいものとなります。



 3-2-2 自分の意志で飲んだのか



 まず、「苦くて飲めるようなものではない」のが覚醒剤ですが、すさまじく苦くても「無理矢理に自分の意志で飲む」ということはできると思います。

 また尾崎は、一度つかまったときには注射痕がなく、口から飲んでいたといわれています。

 さらに、覚醒剤を使用する人は、致死量がどのくらいのものかということは知っているはずです。使ったことのある人なら、「使用」するだけならば普通の量を飲むだけだろうけれど、「ある目的で飲む」なら「ある目的の量を飲む」だろうし。。。

 

 救急車で病院に運ばれたとき、尾崎は「自宅に帰る」と言った。医師や繁美さんの意見を聞かずに、もがき暴れながら「自宅に帰る」と言い張った。

 死因に関係する(下記に詳述)といわれている、クモ膜下出血があるというくらいだから、この時にはかなりひどい頭痛がおこっていたかもしれず、自分自身の体調の異変などには、気がついていたかもしれない。しかし尾崎は「自宅に帰る」ことを希望した。

 基本的には、尾崎は大の病院嫌いだった。けれどさらに尾崎には、病院にいてはいけない理由があったのかもれない。また、大きな病院には行けない、そしてどうしても帰らなければならない理由が尾崎にあったとするなら、それはいったいなんだろうか。

 

 また、兄・康さんの本では、尾崎は 「薬はやらない」と話した という言葉があります。

「だまされて飲まされても、苦くてわかるはずの覚醒剤」なのに、尾崎は一言も「覚醒剤を飲まされた」とか「覚醒剤を飲んだ」とかは、話さなかった。味を知らないわけではないのに、尾崎は「薬はやらない」と話した。

 けれども、なくなった尾崎の胃からは覚醒剤が致死量の約3倍が検出されていた。それも、嘔吐を繰り返していたあとの胃の中から。

 それはいったいなぜなんだろうか・・・

 

 

 

  

補足考察3    外傷性クモ膜下出血


  

 尾崎が自宅に戻ったあとの尾崎の行動は、康さんの本には「上半身を起こしたかと思うと、急に仰向けにばたんと倒れた。それで何度か頭を床に打ちつけた。繁美さんの持ってきた毛布で、頭を守った」という記述があります。大楽さんの本でも「のたうちまわっていた」とあり、康さんと彼を押さえつけていたとあり、「頭を打ちつけようとしていた」という一文もあります。

 ということであれば、尾崎自身が薬の影響からか、はじめて救急車で保護されるまでに、こういった行動をしていて、すでに何度も頭を打ちつけており、もうすでにクモ膜下出血につながる外傷をつくったのではないかと考えることもできます。

 また、死因となった「肺水腫」 は、「クモ膜下出血」 によっても 「起こります」。

 とすれば、尾崎には外傷性のクモ膜下出血があることから、これが引き金となったのかもしれないことになります。

 九州の医学従事者の方からの情報では、「覚醒剤で肺水腫を起こすことは難しく、中枢神経障害がまず起こる」とあります。とすれば、外傷(クモ膜下出血)による肺水腫の可能性が非常に高くなります。

 

 クモ膜下出血は、頭痛や吐き気・嘔吐を伴います。

 ただ尾崎は、嘔吐を繰り返していたけれど、アルコールの臭いがあり、嘔吐はアルコールのせいだと思われてしまい、嘔吐による異常には、非常に気がつきにくい状態だったのはたしかだと思う。

 ただ、頭痛に関しては、誰の本にも一言も書いていないところをみると、尾崎はクモ膜下出血によるひどい頭痛がおこっていたかもしれないのに、「頭が痛い」とは訴えることがまったくなかったように思える。痛みがそれほどではなかったのか、それとも、ひょっとすると、尾崎は病院に戻されることを避けたかったのかも知れない。

 ただ、「苦悶の表情を浮かべていた」と誰かの本に書いていたことから、僕は、尾崎はなにも言わずに、ただ、もがき苦しみながら、クモ膜下出血によるひどい頭の痛みと、ずっと戦っていたのかもしれません

 

 

 


 

 

4. みえない一本の線

 

 尾崎の兄の親友だった、尾崎の最後のマネージャーの大楽さんの本で、「誰が尾崎豊を殺したか」という本があります。この本は、犯人を名指ししている本ではなく、尾崎の死の前後の出来事にクローズアップしている本でもあります。この本のいちばんはじめのほうに、著者の「当時の」結論が出ています。それは「限りなく他殺に近い自殺だ」と。

 そして同じく大楽さんの本にあったマンションでのやりとりにあった尾崎の生の姿。ナイフで引き裂かれていたベッド。モデルガンをひとりうち続けていた傷だらけのカレンダー。サンドバッグがわりになっていた冷蔵庫。中にはドリンクだけで、引き出しは家庭薬だらけ。生活感のないマンションで、とても孤独でひとりぼっちでいた尾崎。

 

 そして、尾崎の兄・康さんの本に書いてあったのは、母親の死と尾崎の死の関連を「何か因果関係があるのではないか」と、示唆しているところがあります。また、亡くなる一週間前、尾崎が兄・康さんに「仕事を一緒にするのなら、今しかないんだよ」と話していたのは、なぜなんだろうか。なぜ「今しかない」という言葉があるのだろうか。

 

 中学時代の親友と、俳優の吉岡秀隆と最後にあったとき、尾崎が「なにか言いたいことがあったようだ・・・なにかを言いかけてやめた」というのは、尾崎は親友とも呼べる友人たちに、何を話したかったのだろうか。何を告げたかったのだろうか。

 

 なぜ、「昔家族で暮らしていた家に似ているところ」で尾崎は発見されたのだろうか。

 

 そして、繁美さんの本に書いてあった内容だけれど、自宅に貼ってあったコンサートの日程を書いたスケジュール表を、尾崎はなぜ剥がして、ビリビリに破いてしまったんだろうか。また、尾崎がなくなる5日前に「俺がもし一緒に死んでくれ、と言ったら、一緒に死んでくれるか」と繁美さんに聞いた言葉。なぜそんな質問をしたんだろうか。

 

 前回の考察にも書いたけれども、不規則で、疲れ果てていた生活。母の死。そして「太陽の瞳」や「闇の告白」の歌詞の内容。さらに、ラストアルバムの十字架に横たわる尾崎のアルバムジャケット。「告白」と言う言葉。尾崎はこのアルバムにどんな想いを込めていたんだろうか。なぜ「告白」という言葉を使ったのだろうか。そして、僕たちファンに、ほんとうはいったいなにを伝えたかったんだろうか。

 

 これらから考えてゆけば、前回の考察と同様、一本の線でなにか結論的なものが出てきてしまいます。

もう、ここでは前回の考察と同じ事の繰り返しは書かないでいますが、尾崎は肉体的にも精神的にも疲れ果ててしまっていた日々の生活の中で、最後に残されたただ一つの安らぎを求めていたの「かも」しれません。

 

 この考察が正しいのか間違っているのかはわからないけれど、これまでずっと考察を続けていた思索の中では、少なくとも基本的には、あやしげな陰謀説や覚醒剤の常習などといったことはなかったと僕は考えています。

 

 


 

5. 問題の背景にあるもの  - 謎になってしまった、繁美さんと大楽さんの関係 -

 

 5-1 繁美さん

 

 ここから以下は「僕の考察の背景的なもの」を書いてゆきたいと思うのですが、僕は基本的にはやっぱり、繁美夫人は、尾崎の事をいちばん理解していた人ではないかと思うのです。

 

 上記と重なりますが、繁美さんの本の中では、尾崎が繁美さんに「一緒に死んでくれるか」と、心中をほのめかしていたところがあります。尾崎が繁美さんだけにこの言葉を言うことができた背景を、まず僕らは知らなくてはならないと思います。

 繁美さんは、尾崎がニューヨークに行く前に知り合ったという、古くから尾崎とつきあいのあった人です。一度覚醒剤でつかまったっときも、尾崎と一緒の部屋にいた、そしてそのあたりの事情もしっていた人です。

 踏み込んで言えば、家族以外に幻覚の中にいる尾崎を支えようとしていたのは、彼女以外にはいなかったのです。

 そして、彼女は獄中の尾崎に何度も面会にゆき、そのころの尾崎のもっとも心の支えとなった人です。

 その後、彼女は尾崎にプロポーズをされ結婚した。尾崎にとっては文字通りの、特別な存在の人です。

 だから繁美さんは、尾崎の生きてきた道程を振り返るときには、やはりかけがえのない存在だったのは否定できないと思います。

 いちばんつらかったときには、いつも繁美さんがいた、そのことを理解しておかないといけないと思うのです、

 そしてやっぱり、一緒にいたときの長さや、いろいろな二人の時間を通して、尾崎の微妙なこころの動きには、だれよりもいちばん敏感に感じることのできた人だと思います。

 

 だから繁美さんは、おそらく、尾崎の死の意味を十分理解していたのかもしれません尾崎のこころとからだの中に深く刻み込まれてしまっていた「たくさんの傷」を、十分すぎるほど彼女は理解していたのかも知れません。

 とすれば、彼女は受け止めざるを得ない尾崎が出してしまった結論を受け止め、彼女なりに生きてゆくことになった・・・

 

 

 5-1-1 ファンではなく妻としての立場


 僕たちファンは、尾崎なきあと、彼女のまわりに起こった様々な問題を考えるとき、繁美さんは、尾崎のファンではなく、あくまでも尾崎の妻であることを前提に考える必要があることを忘れてはいけないと思うのです。

 

 以前、尾崎の死への真相究明の「署名活動」がありました。これは、彼女は完全に否定的で、尾崎ファンがボランティアで行っていた署名活動に「参加しないように」呼びかけた。これに関して、憶測を呼んで、「尾崎の死は繁美さんの謀略だった」という謀略・犯人説のような話がまたでてきてしまった。

 けれど、夫(尾崎)の死の意味や背景を十分理解していた彼女にとって、夫が出してしまった「最後の結論」を尊重し、そして妻として、夫を静かに、そして安らかな眠りにつかせてあげたいという気持ちがあったのであれば、署名活動に否定的になるのは、なにも間違ってはいないと思います。

 夫が傷つき、ボロボロになって、最後に出した結論の意味を知っている夫人にとっては、「自分の夫」の死を見も知らない人たちに興味本位で詮索されるというのは、とてもつらかったのではないかと思うのです。

 ファンにとっては興味本位ではないのですが、妻としての立場からすれば、あくまでも自分の夫であり、また興味本位の人たちもなかにはいるだろうし、そんな中で自分の夫の死が、第三者の他人に、死後も騒がれ続けるというのは、とても耐えられなかったのではないかと思うのです。

 だから署名活動などには 「絶対的な反対の立場」 を貫いていたと、僕は考えるのです。

 彼女には、自分の夫のことに関して、署名活動の成り行きを見守るということが出来ず、たったひとり悲しみと絶望の中で「だれもわかっていない」そう思っていたのではないかと思うのです。そうでなければ、あれだけの絶対的に否定的な(反署名活動の)立場を貫けないと思うのです。自分の夫に安らかに眠って欲しいと強く願うがゆえに、彼女は誤解を恐れず、そういった行動をとったのかもしれないと思うのです。

 

 

 5-1-2 ニセの遺書


 また、ニセの遺書という話もでてきたのですが、僕は、彼女がどうしても署名活動を否定したかった、やめて欲しかったために、やむにやまれず、架空の遺書を出してしまったのではないかと推察しています。

 逆に、これが大きな疑いをよんでしまったけれども、調べればすぐにわかるようなことをもちだすという、あまりにも単純な方法を思い浮かぶ人が、陰謀説のようなほとんど完全犯罪に近いことができるとは、どう考えても考えられない。

 調べられればすぐにわかることをあえてやってしまったことには、僕は、彼女には感情の起伏の激しさは感じてしまいますが、嘘を真実として作り上げてしまう計画的な狡猾さはないという性格的なものも感じてしまいます。

 

 

 お父さんの尾崎健一さんは、尾崎がなくなったときに、尾崎のなきがらに向かって「ゆっくり眠れ。もういい。お前は頑張った」といったそうですが、お父さんも尾崎が仕事で疲れ果て、ボロボロになっていく姿に気づき、その姿を見つめていた人なのかも知れないです。

 ある対談で健一さんが語っていた言葉だけれど、母親の百ヶ日には 「因果な商売だな。とにかく早くやめろ、と冗談半分、真面目半分で言った」 くらい、疲れ果てていた尾崎に気がついていたようです。

 いつも尾崎のいちばん身近にいた繁美さんは、それ以上に、疲れ果てていた尾崎を知っていたのだろうと思う。

 

 母親が亡くなってからは、毎日疲れ果てるまで働き続け、前にいた女性マネージャーがツアーをすべてキャンセルしてやめたり、深夜まで続くレコーディングがあったり、夜は飲みに行ったりもし、弁護士を解雇したことから前にいた事務所から訴訟を起こされたりして、身も心もボロボロになっていく尾崎の姿を、いつも毎日間近で見ていた。

 だから、尾崎の死の意味を十分理解し、死後、愛した夫を静かに、そして安らかに眠らせてあげたかったのかもしれないと思うのです。そして、自分の愛する夫が静かに眠るのを、誰にも邪魔をされたくはなかったのではないか、と思うのです。

 

 

 5-1-3 尾崎が自ら選んだ人

 

 そして一部内容が重複しますが、康さんの本を読む限り、尾崎が自ら選んで妻にした人が繁美さんであり、様々な夫婦間の問題があったにせよ、繁美さんが100%正しい行動をしていたとは限らないですが、逆に、尾崎がいつも100%正しい行動であったということも限らないはず。

 なにより、真実をと叫び続けていた尾崎が妻に選んだのが、繁美さんだということ。そしていろいろなことがあったけれども、康さんの本の中で、繁美さんに関しての記述「豊を支えたただ一人の女性」と書かれてあります。そして、「事実は直視されなければならない」 「結婚に至るまでには、重い意味を持つプロセスがあった」とも書かれています。

 そしてこの言葉は、尾崎の兄の言葉であることに、大きな意味を持つのではないかと思う。康さんは、繁美さんをとりまくあやしげな人たちに事務所を追い出されてしまうという仕打ちを受けたけれど、康さんの著書の中からあえてこういった 「豊を支えたただ一人の女性」 「事実は直視されなければならない」 「結婚に至るまでには、重い意味を持つプロセスがあった」 という言葉が出てきたということは、やはりとても重要なポイントではないかと思う。

 

 ただ、この辺は、僕はあったことも話したこともない人なので、あくまでも事実を元にした推察の話です。第三者の個人的な推察なので、まったくの勘違いかも知れません。けれども、尾崎の死の前後の事情を考えるとき、どうしても繁美さんの行動が何か大きな意味を示唆していると感じて仕方がなかった。

 僕も、陰謀説をはじめとして、いろいろな視点から尾崎の死をとらえては見たものの、あまりにもうさんくさい陰謀説は、「事実だけ」を整理する中で、どうしても成り立たなかった。

 けれども、尾崎を取り巻く「人のこころの動きを見つめること」で答えがでてくるのではないかと思って、色々な視点から尾崎の死をとらえてみると、今回のような考察の結果がでてきてしまった。

 

 

 5-1-4 今回の考察の前提条件

 
 今回の考察をする上での、繁美さんに関する前提条件は、尾崎への愛です。尾崎を愛していなかったのならば、上記の考察はすべて崩れてしまうと思います。

 けれども彼女は、尾崎の死後5年以上すぎてから、尾崎との想い出をつづった「親愛なる遙いあなたへ」を出版した。いろいろな邪推はできるかもしれないけれど、この本は、彼女と尾崎との生きてきた道を知る上で、かなり参考になる本だと思います。

 また彼女は今、ニューヨークのマンハッタンにいる。彼女は本の中で、「ここは、尾崎との思い出の場所だから、ここにすむことを決めた」という。

 もし、彼女が陰謀説のような悪意に満ちた女性であるのならば、尾崎との想い出のある場所には、まずどう考えても住むことはないだろう。

 思い出の場所には、行くことすら避けるはずです。

 また、住むのなら、できるかぎり尾崎との想い出のある土地を避け、まったく違う別の場所を選択していたはず。

 けれども、彼女は彼女自身の選択で、尾崎との想い出の残る場所に移り住んだ。おそらくそこは、彼女にとってほんとうにかけがえのない大切な大切な思い出の場所だからだと僕は思うのです。

 タイミング的にも、彼女は精神的にも疲れ果てていたであろう頃に移り住んでいたし、そしておそらく今でも、尾崎との大切な想い出と一緒に、誰にも邪魔されずに、そこで静かに暮らしているのだろうと思う。

 

 

 甘い発想なのかも知れませんが、尾崎が選んだ人なので、僕は悪い人ではないと思っています。そうでなければ、尾崎は、それまで行動してきたように、信頼関係を失った瞬間に、事務所を辞めると言い出したり、ものすごい攻撃や、マネージャーの場合は解雇としてきている明確で断固たる行動をしていたことから見て、夫婦ゲンカのあとは、尾崎が謝って仲直りをしていたし、結局繁美さんとは離婚までいくことがなかったことを考えると、尾崎は繁美さんを基本的には信頼をしていた、信頼する気持ちが根底にあったと思うのです。

 だから、「一緒に死んでくれるか」と繁美さんに言えた。また、だから尾崎は自宅に帰って最期を迎えた。路上ではなく、病院でもなく、自宅に戻り、妻や子供、兄、気がついたときからいた幼なじみという、信頼のできる人たちのそばで、最期の息をひきとった。。。

 

 あくまでも推測の話ですが、自分なりに考えた思索の終わりは、上記の考察に収束してしまったのです。

 けれども、これほど尾崎を深く愛し、尾崎のことを想って行動していたのに、ファンや世間からはかなり誤解されてしまった境遇を想うとき、彼女の悲しみはどこまで深くあるのか、察することはほんとうに難しいと思っていまいます。今までうけた中傷や誹謗は、かなりのものだと思います。そして、今でも殺人疑惑説が根強く残っています。僕は、天国から尾崎が繁美さんを守ってくれていることを願っています。

 

 


 

 

 5-2 大楽さん

 もうひとり取り上げておきたいのが、大楽さんのことです。大楽さんは、尾崎豊の最後のマネージャーであった人ですが、尾崎との関係は、尾崎が意識ができはじめた小さな頃からの歴史があり、尾崎の友人というか知人というか幼なじみというか、簡単に書いてしまえない立場の人です。ですので、ここですこし、大楽さんと尾崎との関係の背景を説明してゆきます。

 

  5-2-1 身内と他人との中間的な存在

 
 大楽さんは、兄・尾崎康と6歳のころに知り合い、友人として現在まで至っています。兄・康さんと知り合ったころは、尾崎豊はまだ1歳くらいの時です。尾崎にとっては、意識が芽生えはじめたとき、「アニキの友人として、気がついたら大楽さんがいた」という感じだったようです。

 尾崎が中学生になることはもう、大楽さんは兄・康さんと同様、同じ年の対等の友人として尾崎と接していたそうです。だから尾崎は、アニキと大楽さんのよい影響も悪い影響もみな受けることになって、思春期を育ってゆくことになる。

 大楽さんから見れば、最後は尾崎豊のマネージャーとして「社長」とよんでいたものの、尾崎が小さな頃から知っている兄・康の弟であり、友人というか幼なじみというか、末っ子だった大楽さんにとっては、実の弟のような存在だったといいます。

 兄・康さんの本では、大楽さんの位置づけは、尾崎豊にとって「兄貴的」であり「友人的」である「年長の他人」であり、「身内」と「他人」との中間だという、たくさんの表現をしている言葉があります。ほんとうに一言では関係を説明しきれない関係だったようです。

 そんな大楽さんの、兄貴でもないけれど、友人でもない、身内と他人との中間的な存在という、とても微妙な立場だったことから、尾崎の死後、大楽さんは混乱の中に巻き込まれてしまうことになります。

 

 大楽さんは、30歳をすぎて「これから」というときに、尾崎から「マネージャーになって欲しい」と言われ、迷ったけれども、それまでにいた会社を辞め、尾崎のマネージャーとして、未知の世界ではたらき出すことになった。

 また、もともと古くから尾崎家とつきあいがある大楽さんは、ふだんは尾崎を「豊」と呼んでいたけれども、マネージャーの仕事をすることになってからは、「社長」と敬語を使って話すようになった。

 これは、当然と言えば当然なのかも知れませんが、「社長」と呼ぶと言うことは、これまでの幼なじみからの関係ではなく、それまでの関係を捨てて「社長」と「マネージャー」という関係になるという、過去との決別の決意があったということが背景にあると思うのです。これは、大楽さんが「本気で尾崎豊に協力をする」という意志のあらわれであったと思います。

 尾崎はその点しあわせだったのではないかと思います。信頼できない人たちのたくさんいる業界の中で、尾崎が信頼でき、自分のことを弟だと思ってくれている人がそばにいてくれるというのは、やっぱり安心だったと思う。

 実際、大楽さんはわずか二ヶ月だったけれども、尾崎のマネージャーを初めてからすぐに胃を壊し、身体をボロボロにしてでも、全力で尾崎の生活リズムにあわせ、やってきた。

 

  5-2-2 部妙な立場と軋轢

 
 けれども、わずか二ヶ月で尾崎が亡くなってしまった。そして、尾崎の経営していた会社の運営方針を巡って、あやしげな人にコントロールされた繁美さんとの摩擦が始まった。

 ここにきて、上にも書いたけれども、親類でも兄弟でもなかった大楽さんは、いちばん弱い立場にあった。尾崎との信頼関係が強くあっただけだったので、その尾崎なきあと、大楽さんは立場上、簡単に追いつめられてしまうことになったようです。

 脅され、恫喝され、ののしられ、最後には事務所をやめざるをえない状況にまで追いつめられ、見るに見かねた社長である康さんに(大楽さんの身の安全を守るため)「社長権限として辞めさせ」られ、(康さんも追われるように辞任)、身に覚えのない汚名を着せられ、そして裁判にまでなってしまう(のちに大楽さんが勝訴)

 僕は大楽さんの境遇を考えるときに、尾崎豊という存在のために、会社を辞め、全力で尾崎と共に身体を壊してぼろぼろになってがんばってきたのに、わずか二ヶ月で尾崎が他界してしまった。

 そしてそのあとは暴力行為や脅迫行為、そして破壊行為までを含め、あまりにもひどい仕打ちをされ、事務所を追われてしまった事情を察してしまいます。はっきり言えば、泣きっ面に蜂よりも、もっとひどい悲惨な状況だったと思います。

 辞めた事務所から言いがかりをつけられ、マスコミには根も葉もないことを流されて、週刊誌には半ば犯人扱いの記事が掲載され、尾崎ファンからは冷たい視線を向けられ続け、時には飲みかけの缶ジュースを投げつけられたこともあったそうです。

 尾崎のために会社を辞め、必死になって支えようとしていたのに、その努力が報われるどころか、理解されないばかりでなく、誹謗や中傷のあらしに巻き込まれてしまったその無念さは、計り知れないものだと思います。

 

 

  5-2-3 いまだに残る深いこころの傷


 また、大楽さんは、
「尾崎がなくなったのは自分の責任である」と書いていました。この言葉には、大きな意味があると思います。いまだに「(尾崎の命を)守りきれなかった」というやりきれない想いが、この文章には入っているのではないかと思えるのです。

 大楽さんは、尾崎を弟のような存在と思い、ボロボロになってでも支えてゆこうとした人です。おそらくきっと、「尾崎がなくなったのは自分の責任である」とという告白は、後悔と悲しみの中で自分を責め続けていた言葉かもしれないと思います。

 

 大楽さんは尾崎に頼られ、全力でその期待にこたえようとして、尾崎に「そばにいること」を約束した。そしてマネージャーになった。そしてその約束を全力で果たそうとしていた。商品扱いされる音楽業界の中で、ボロボロになっている尾崎の存在を守ろうとしていた。

 けれども結果的には尾崎がいなくなってしまうのを防ぐことができなかった。尾崎が天国に行ってしまうのを止めることができなかった。その自責の念が、ずっとこころの中に抱いているのだろうと思います。

 大楽さんは、もともとかなり飲む人だったようですが、尾崎なきあと、一滴のお酒も飲まなくなったそうです。おそらく、その日の自分の行動を許すことができず、今でもその責任を感じているのだろうと思います。

 

 


 

 

 5-3 繁美さんと大楽さんとの問題

 大楽さんと繁美さん、尾崎が信頼していた二人のあいだの葛藤は、尾崎の死後おこったと考えるべきではなく、その前に原因が発生していたような可能性があります。それは、繁美さんと大楽さんとの接点上での出来事を見る必要があると思います。

 

   5-3-1 DV(家庭内暴力)と、その頃の繁美さんと大楽さんとの関係

 
 尾崎がなくなる前の最後の夫婦喧嘩で、繁美さんが尾崎に暴力を振るわれた件があります。この件が、いちばん繁美さんと大楽さんとの接点上で、共通して書かれている件になります。

 大楽さんの本(誰が尾崎豊を殺したか)によると、「繁美さんは、頭と腕に包帯を巻いて、顔は左半分がアザになって腫れ上がっていた」という言葉があります。そして「今回は本当に殺されるんじゃないかって・・・本当に怖かったんです。」と繁美さんが話したとあります。

 繁美さんの本によると、この暴力の具体的な事情が書いてあります。そして、ひどい怪我を大楽さんにも見せた理由があります。ただ、長くなるので説明は省きますが、大楽さんへの攻撃的な文章でもなく、暴力の背景の事情が非常に淡々と書かれており、内容は具体的で背景まで言及されています。

 

 このへんのことは、大楽さんと尾崎と繁美さんとの間の関係を見るとき、参考になる出来事だと僕は思うのです。

 このへんの記述では、「尾崎が生きていたとき」繁美さんは大楽さんをどのように見ていたか、そして大楽さんは繁美さんをどう見ていたか、お互い尾崎を通して相手をどういうふうに理解しようとしていたか示唆する言葉があります。

 尾崎が一方を非難するとき、非難するのを聞いた方は、非難された方をかばっています。大楽さんは「そのような女性がいるはずはない」、繁美さんは「素人だからわからない部分もあって仕方がない」と、お互いがお互いを「思いやる言葉」「認めようとしていた文章」があります。

 けれども、尾崎なきあと、尾崎という防波堤がいなくなってしまい、直接同じ事務所で接することになり、その伏線がいっきに露見しはじめて、問題がこじれていってしまう・・・

 

 

   5-3-2 憎しみの構図

 
 大楽さんの本(7年目の真実)に、大楽さんと繁美さんとの裁判の時の繁美さんの言葉で、大楽さんの行動を繁美さんが「具体的に」述べた非常に気になる言葉がある。

「レコーディングの時に、踊っていた」
「仕事ぶりに関しては、迎えに来る時間にも遅れたり、
 豊が疲れているにもかかわらずよく飲みに誘ったり、女の話ばかりをしていたと豊から聞いている」 

 これを大楽さんは「下劣で悪意に満ちていた」と斬り捨てて書いています。

 けれども、残念なことに、この言葉はすべて尾崎の言葉である可能性があります。大きなポイントはつ。

 

 1. まず、レコーディングの時に「踊っていた」かどうかを知っているのは、繁美さんのまわりには「尾崎」しかおらず、繁美さんはレコーディングのときに一緒に立ち会っていた訳がないので、情報は尾崎からしか入らない。

 それなのにレコーディングのことが繁美さんの口から出てきたのは、わけがあると思う。やはり尾崎が繁美さんに、そのレコーディングの時の話をしていたのではないだろうか。

 ただ、、どう考えても大楽さんが尾崎のレコーディング中、本当に踊っていたとは思えず、神経をこわいくらいに張りつめて真剣に全力をふりしぼってレコーディングをしている尾崎が、大楽さんがリズムにあわせて身体を少し揺すったのを見て不真面目に思い、尾崎が繁美さんに「踊っていた」と、そう話していたかもしれない。

  
 2.また、遅刻は微妙なところだけれど、迎えに来る大楽さんがほんとうに遅刻したかどうかは「尾崎」しかわからないし、道路事情もあるだろうし、その場合「遅刻」かどうかは尾崎が感じる事。

 
 3.そして、「豊が疲れているにもかかわらずよく飲みに誘ったり」というのは。大楽さんは本(7年目の真実)で、尾崎を「飲みに誘ったことは一度もない」と断言してまで書いていることから、尾崎は飲みに行った理由を「大楽さんが飲みに誘ったから」と繁美さんに言っていた(言い訳していた)可能性もあります。

 飲みに行った大楽さんが尾崎に「女の話ばかりをしていた」かどうかは、繁美さんはその場に一緒にいないことから、知っているのは「尾崎」しかいない。

 それをなぜ繁美さんが知っていたのか?と考えると、やっぱり尾崎が繁美さんに「そういったこと」を話していた可能性があります。

 

 もし仮に、尾崎が繁美さんに、大楽さんのことをそんなふうに話していたとすれば・・・、繁美さんは大楽さんのことをあまり信頼できない人だと、尾崎がなくなる前から考えていた(考えはじめていた)のもおかしくはないです。

 もちろん、事実ではない可能性もありますが、けれども、もしそれが尾崎の言葉から来たものだとしたら、尾崎の死後、繁美さんから大楽さんへとむけられた攻撃は、たやすく理解することができてくるように思えます。

 

 

   5-3-3 尾崎を介した二人の立場の違い

 
 繁美さんは、尾崎から大楽さんのことを聞いて、「レコーディング中は踊るわ、遅刻してくるわ、疲れはてている夫(尾崎)を誘って飲みに連れて行っては、女の話ばかりするわ、なんてひどいマネージャーなんだろうか」と心底、信じられない思いで大楽さんのことを見ていたのかも知れません。

 そして尾崎の死後、もしかすれば、「大楽さんがよく尾崎を飲みに連れて行ったりしたことも、自分の夫に死を近づけた原因の一つかも知れない」と、繁美さんは誤解をしてしまったかも知れない。そして憎しみの感情を持ちはじめた。

 そして、あやしげな人から「大楽はマスコミからお金をもらっている」とかを吹き込まれたときはもう、簡単にその言葉を信じてしまう土壌がすでにできてしまっていたのかもしれない。

 そうであれば、繁美さんが大楽さんを攻撃したという理由もわかるような気がします。

 

 また逆に、大楽さんは、繁美さんのことを尾崎から「かなりひどい女性である」と聞かされていたそうですが、ひょっとすると、尾崎は「大楽さんには繁美さんの話」を、「繁美さんには大楽さんの話」をしていた可能性があるのではないかと、僕は思っています。仕事のストレスは繁美さんにグチを聞いてもらい、家庭でのストレスは大楽さんに話していた可能性があるのではないかと、僕は推測しています。

 それが尾崎の死後、直接同じ事務所で接することになり、お互いのこころの中につちかわれた批判的な見解が一人歩きをはじめてしまって、誤解が誤解をうみ、憎しみが憎しみを呼び、確執へと発展してしまったのではないかとも思っています。

 

 


 

 

 6. 複雑にからまってしまった相対的な問題

 

 最終的には、尾崎をもっとも愛した人たちが、尾崎の死後、対立したり、見解が違ったり、様々な状況を生みだしていました。けれども、すべては尾崎との関係や立場が違うという相対的な関係の中で、摩擦が発生し、問題が起こってしまい、興味本位のマスコミの報道もあって、この問題が大きくなったように思えるのです。

 音楽業界の人から見た尾崎豊、親から見た尾崎豊、兄から見た尾崎豊、幼なじみとしての尾崎豊、妻としての尾崎豊、ファンから見た尾崎豊、商品価値としてみた尾崎豊、ジャーナリズムから見た尾崎豊、雑誌を売るための話題づくりのための尾崎豊、野次馬として見た尾崎豊、何も知らない人が事実の断片だけをとらえていただけで判断した尾崎豊。

 尾崎の姿は、僕たちファンの中でも、とらえ方はまったく変わってきます。ほんとうの尾崎豊とはまったく違った姿を見て、ファンだということもあります。詩は好きだけれど、生き方はきらいだとか、尾崎の仕草が好き、ルックスが好き、すべてが好き、あれは嫌いだけれど、ここは好きというように、僕たちファンでさえ、尾崎へのとらえ方はまったく違います。

 結局は、みな尾崎を見て、それぞれの人の中で尾崎を考えた姿は、違ってくると思います。それによって導かれる印象も違ってきます。尾崎の死への結論も、同じように違ってくると思います。尾崎の死の謎は、そういった相対的な問題をはらみつつ、問題が複雑化してしまったように思えます。

 

 

 相対的な問題の中で、いちばん大きかったのが、大楽さんと繁美さんとの関係、これは尾崎が残してしまった課題になってしまいました。尾崎が死の直前、血のつながりのある家族以外に深い信頼をおいていたのは、繁美さんと大楽さんだったのに、尾崎の死後、その二人に、なぜか対立が生じた。

 それは尾崎との関係の違い、そして相対的な立場の違いから、二人が尾崎を愛していた気持ちの分だけ、問題が大きくなってしまったのではないか、と僕は思っています。

 そしてそれは僕たちファンをも巻き込んで、問題が大きく広がってしまうことになったのではないかと思います。

 

 

 尾崎の死後は、そこには様々な正義があり、みな亡くなった尾崎のために行動していた。そしてなくなった尾崎の意志を考えて、みな行動をしていた。(利用することを目的としてやってきたあやしげな人という例外はのぞいて) 

 それは、それぞれの人の立場で、間違っていたのかもしれないし、間違っていなかったのかもしれない。

 けれども僕は、それぞれの立場で、全力でやってきた結果がでてしまったことだろうから、誰も裁かれる必要はないと思っています。

 それよりも、尾崎を愛し支えてくれていたすべての人たちが許され、また、こころの重荷から解き放たれることを願っています。

 

 


 

最後に

 

もう、この考察もほとんどすべてを書き尽くした感があります。

最後になりますが、一つだけ書き添えておわりにします。

 

病院から連れて帰ったときに介抱をしていた3人は、介抱をし続けて「良くなるだろう」と思っていた判断ミスに責任を感じ、尾崎の死後、人知れず、ずっとその重い十字架を背負っていきているのではないだろうかと思います。

兄・康さんは口を閉ざし、大楽さんはいまだにこころに大きな重荷を背負い、繁美さんは想い出を求めて海外にでてしまった。

 

ただ、誤解を恐れずに書けば、その死は悲劇的でもなく、

尾崎にとっては、いちばん理想的な最期だったのかもしれないと思っています。

死を迎えるにあたって、寂しがり屋の尾崎が、人知れずさみしく孤独に最期を迎えることなく、

心を許すことができる人たちだけに囲まれ、そして最愛の我が子がそばにいた自宅でなくなった。

ただ、この尾崎の最期の瞬間は、3人にとっては結果的に、とても重い十字架を背負うことになったかもしれない。

けれども、尾崎にとっては、最期を迎えるのには、いちばん理想的な最期を迎えたのではないかと思う。

人知れずさみしく孤独な最期を迎えたのではなく、自宅に戻り、愛する人たち、信頼する人、そして我が子のそばで、最期の瞬間を迎えた尾崎は、こころの中ではとてもやすらかな気持ちだったんじゃないかと思う。

 

 

 

今回の考察の目的は、尾崎ファンとして、尾崎豊のために、覚醒剤の常習だとかといった、せめてもの誤解を解くことが大きな目的でした。

そして、アーティストであった尾崎にとって、天国から僕たちファンに望むことは、死因を追及することよりも、
これからもずっと歌を聴き続けていくことをなによりも望んでいるかもしれないと思ったからです。

 

尾崎は僕たちに、これからも歌い続けることを約束してくれた

僕は、でも、尾崎はこの世からいなくなって、約束を破ったわけではないと思う

尾崎は約束はきちんと守ってくれている

いつでも尾崎は僕たちのために歌ってくれている

こころのなかで、そして街角に流れるBGMで、こころをこめて歌い続けてくれている

今でも尾崎は、歌やメッセージ、映像を通して、熱い感動や情熱的に生きる力を僕たちに与えてくれている

 

この世にいなくなっても、感動を与えてくれる尾崎

尾崎はカリスマ的存在だといわれていたけれど、僕は尾崎はカリスマそのものだと思う

 

 


僕たちは忘れてはいけない こころをいつでも輝かしてなくちゃならないってことを

 

 

 


 

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この内容は、あくまでも一ファンの個人的な考察にすぎません。

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2003/4/8 UP