尾崎豊の死因

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 今では、日本版ジェームスディーンと木村拓也が言ったように、もうすっかり伝説化してしまった尾崎豊。亡くなった当時は、彼の死因について、いろいろな人やいろいろなテレビが、たくさんの考察をしていた。なぜ、あれほどたくさんの考察が必要だったのだろう。結局、尾崎豊のことをほとんど知らない人たちが、にわか仕立ての知識を持って、尾崎豊のことを論じていただけなんだろう。ほんとうにあきれ返るような話もたくさんあった。

 このページでは、尾崎の死因と、その死へのいきさつについて、僕なりに出した考察を書いてゆきたいと思う。僕個人の見解で書くことに関して、そうじゃないと思われる人もいるかもしれないけれど、僕の知っている尾崎の姿と、その行動と思索を追って考えた上での、僕なりの考察を書いてゆこうと思う。

 


 

 僕は、高校1年の15歳の頃から尾崎の歌で過ごしてきた。別に、ぐれていたわけじゃない。真面目な高校生だった(かな?)。でも、このころから尾崎の歌をずっと聴いてきたし、尾崎の行動を見続けてきた。高校から大学、そして社会に出てからも尾崎の歌をずっと聴いてきた。自分のいちばん楽しかった時代は、尾崎の歌とともにあり、想い出は尾崎の歌をなくしては語れない。それほど尾崎にハマっていた。

 そして、社会人になってすぐの頃、尾崎の死。正直言ってショックだった。高校から大学、いつでもいつの時でも、尾崎の歌を聴き続けていた。もちろん、ほかのミュージシャンの歌も聴いていた。でも、やっぱり尾崎は特別だった。神格化するわけじゃないけれども、その歌の力にはいつも魅せられていた。だから、亡くなったときはやっぱり、涙を流した。尾崎の死への涙と言うよりも、あまりにもたくさんの自分の想い出が尾崎の歌とともにあったから、その想い出と、その過去への決別のために涙を流したとおもう。

 

 

 テレビを見ていたら、尾崎の死因についてたくさんの報道があった。医学的に言えば、死因は「肺水腫」だった。これは、肺に水がたまるというものだ。その原因としては、覚醒剤の疑いがあると、マスコミの報道でいっていた。過去に一度、覚醒剤で捕まったことがあるから、その疑いを尾崎が死んだ時も向けられたのだろう。

 それは尾崎の過去の行動から、何も知らないマスコミにそういった見方をされるのは、くやしいけれど仕方がないことなのかもしれない。でも、尾崎なら、一度反省した過去は、歌を歌い続けようとする尾崎である限り、ファンを裏切らないと言う意味でも、決して繰り返さないはずだ。15歳の頃から尾崎豊のことを知って、ずっとその行動や思索を見ていたから、このことについて間違いはないだろうと確信できる。

 

 尾崎の性格からいっても、もう一度同じ過ちをするとはまったく考えられない。とすると、尾崎の死因で、覚醒剤というものは当てはまらないはず。警察の発表は、解剖結果はあくまでも「肺水腫」というものだった。だから、噂されていた覚醒剤という文字は、亡くなった当時は一度も、警察発表からは出てこなかった。あくまでも、死因は「肺水腫」であって、覚醒剤ではないのである。

 警察は、もちろん、薬物反応を調べていただろうし、その結果を隠したりなんかはしないだろう。さらに、言葉を重ねるなら、警察は、薬物反応が出たとしたら、こんなことを隠すことはまず考えられない。再発をおそれるために、かなりの詳細な調査や発表をするであろう。マスコミに流して、覚醒剤撲滅キャンペーンをはじめるきっかけにもできるので、隠す必要は全くなかった。でも、覚醒剤じゃなかった。死因は、あくまでも「肺水腫」だったのである。

 

2001/9/23 追加

 2001/8/28 尾崎裁判と呼ばれる裁判で判決があり、「多量の覚醒剤の反応はあった」ということが裁判で証拠として認められた。

そうなってくると、3年前に僕が書いたこれらの文章の、「覚醒剤の薬物反応に関する公式発表はなく、覚醒剤使用の事実はないはず」という前提が崩れてしまった。

けれども、謎が残る部分もあるので、これらの文章は書いた当時、僕が考えていたまま残しておこうと思う。また後述で、もう少し文章を加えます。

 

 ところで、尾崎の亡くなる直前の行動などを調べてみると、吉岡という俳優が尾崎と仲が良かったという報道があって、その吉岡が、尾崎の死の直前の頃の行動について詳細に語っていた。僕は、それまでは吉岡という俳優が尾崎と仲がよいとはチラと聞いただけだったけれども、その吉岡が語った尾崎のその死の直前の頃の行動自体が、完全に死因に結びつくことを表していると思った。

 

 肺水腫というものは、体の持つ力というものが相当弱ってくるときに起こるものである。別のことを調べるために医学書を読んでいたら、偶然にもそんな記述をみつけた。体力が弱ってきたとき、肺に水がたまる。だけど、普通なら、それを自然のうちに吸収して排出するという機能が人間には備わっているから、水がたまるということはないのである。でも、普通じゃない状態、病気などで体の衰弱がとてもはげしいときなどは、そういうことも起こりうるのである。

 尾崎は、なぜか、その水を排出する機能がうまく働かなかった。なぜだろう。それは、尾崎のその頃の生活に関係してくると思う。その頃、尾崎の体の衰弱がとてもはげしかったのだろう。死の直前は、レコーディングと酒浸りの生活が続いていたという。食事も睡眠時間も、ほとんどとらなかったという。

 

 吉岡という俳優も、尾崎と二人で飲んでいて、尾崎がウイスキーのボトルをいつも2、3時間くらいであっという間に飲み干していたのを、何度も見ているという。これはまず、並大抵の酒量ではない。尾崎の好きな酒は、かなり強いお酒である。(好きなお酒はなんだったか、ど忘れしてしまった)これでは、普通の人間なら体がおかしくなってもしかたがないはず。また、食事もあまりとらなかったという。

 食事も睡眠もあまりとらず、どうやって毎日を過ごしていたのだろう。さらに、レコーディング中も、毎日のようにアルコールのにおいがするほどだったという。そんな毎日が続いていた・・・ アルコールの量と、深夜まで続くレコーディング、睡眠不足の3点を考えるだけでも、体が衰弱するのはどう考えても否定できないはず。もちろん、たばこも吸っていたし、わずかにとる食事も、まともなものをとらなかったという。おそらく、このころの尾崎は、体が完全にボロボロになっていたのだろう。

 

 

 そう考えていくと、肺水腫は死因としておかしくないような気がすると思う。こんな生活では、どんなタフな人間であっても、体のほうが衰弱するだろう。ボトルを2.3時間であけるって、これは、いくら肝臓が強くても、毎日のようにしているのであれば、体がおかしくはなるのは間違いはないだろう。こう考えると、尾崎の死因の肺水腫は説明がつくはず。絶対だとは言い切れないものの、完全に否定できることはないと思う。また、覚醒剤を打っている人間が、どう考えても、お酒をあびるほど飲むとは思えない。
 

九州にある大学の付属病院の医薬従事者の方より、肺水腫と覚醒剤に関する貴重な情報をいただきました。許可をいただいたので、一部引用させていただきます。 (2001年5月15日追加更新)

肺水腫の原因にはいろんなものがありますが、排泄されるべき水分が体内に残ってしまうという点では、共通の原因があります。

大別すると、@心原生(心臓が原因)のものAそれ以外、になります。

覚醒剤で、そのような障害(肺水腫)を起こす事は、かなり難しい事だと思います。

そこまで大量に投与すると、いわゆる中枢神経障害のほうが先に起こると思われます。

2002年10月31日 肺水腫に関して追加 

肺水腫は、クモ膜下出血でもおこります。 (詳しくは、「クモ膜下 肺水腫」で検索)

尾崎は、検視の結果、外傷性のクモ膜下出血が確認されています。

となってくると、以下に書いた衰弱死という言葉は、あてはまらないかもしれない。

しかし、なぜ外傷性のクモ膜下出血があったのだろうか。。。

 
 とすると、
尾崎の死因は肺水腫で、つまるところ衰弱死だといえるかもしれない。けれど、一概にはそれが答えだとは言い切ることも問題であると思う。邪推するマスコミの、尾崎の奥さんがどうのこうのという報道もあったけれど、奥さんがいい人間か悪い人間かはわからない。でも、尾崎の奥さんがどうのこうのというよりは、もっと別に、誰も指摘しなかった重要な問題が残されていると思う。ここから先は、その重要な問題 尾崎の死の隠された事実への論証 について書こうと思う。
 

2001/8/28 尾崎裁判で出された判決について (2001/9/23文章追加)

尾崎裁判の判決では、尾崎の覚醒剤反応があったということが、事実として裁判で認められた。

そうなってくると、尾崎が覚醒剤をうったのか、誰かに覚醒剤をうたれたのかという事にもつながってくるかもしれない。

その件に関しては、事実関係の整理(今後の裁判)によって見えてくるものだろうから、ここではあえて触れないでいようと思う。

ただ僕は、尾崎個人の行動と思索を追いながら、僕なりに尾崎の死因を考察してみたいと思って書いたものだから、今も昔も、ここに書いていることは同じ考えでいている。

けれども、そのほかのさまざまな可能性を否定しているわけではない。
僕は今後も、裁判の行方を見守っていきたい。

2002年10月31日 覚醒剤反応について

覚醒剤は、うったのではなく、経口で摂取していたことがわかっています。

ただ、その量は、致死量以上だったそうです。

 

 


 

尾崎の死の隠された事実への論証

 

尾崎は、なくなる直前に、最後のアルバムである、

「放熱への証 CONFESSION FOR EXIST 〜生きること。それは日々を告白してゆくことだろう〜」

を録り終えている。このアルバムのタイトルは、尾崎がつけたものである。アルバムの名前は、じっと考えてみれば、なんとなく意味深な題名である。これは、一般の尾崎ファンでない人でもわかると思う。でも、これは実は隠された意味を持つ題名だといってもおかしくはないのかもしれない。尾崎が死んだからそう思えるんだ、といわれてみればそうかもしれない。でも、やっぱりこのアルバムのタイトルには、奥深くに隠された言葉(メッセージ)が題名になっているのである。

 アルバムのタイトルの言葉の中に、「告白」「CONFESSION」(この二つの言葉は、同じ意味)という文字がある。もちろん、アルバムのタイトルも、サブタイトルも、尾崎自身がつけた名前である。このアルバムのこの「告白」と「CONFESSION」という言葉に、尾崎のすべての気持ちが隠されているように思えてならない。すなわち、この言葉が、すべてのキーワードになっているのである。

 

 

 尾崎は、ものすごくむずかしい本などを読んでいた時があった。やっぱり、迷い悩むことの多い青春時代には、自我の確立をするために、たくさんの本を読んでいたのだろう。尾崎は、哲学・思想学などや、そのほかたくさんの本を読んでいたようである。むずかしい本もたくさん読んでいたという。写真やビデオなどで残っている尾崎の姿でも、よく小説を読んでいる姿が映っているのを見かける。けっこう読書家だったという。

 実際に、LOVE WAYという曲では、たくさんのむずかしい言葉が出てきて、理解することも歌いこなすことも、非常に困難な曲に仕上がっている。たとえば、普通の人に「共同条理の原理の嘘」なんていっても、理解できる人なんてほとんどいない。こういったところでも、尾崎がたくさんの本を読んでいたことがわかると思う。

 

 

 ところで、アルベール・カミュという人が書いた本で、「シーシュポスの神話」というものがある。この本は、神話の部分はさわりだけで、あまりきちんと書いていない。物語は、ほんとに短い記述だけである。アルベール・カミュの書いたこの本は、神話を書いている本ではなくて、哲学的な事を書いている本だといえる。でも、この本を読んでいる人なら、きっと尾崎のこのラストアルバムの ”タイトルの意味” が分かると思う。尾崎は、どういった気持ちでアルバムを世に送り出そうとしたかということを。

 

 この本で、アルベールカミュは「不条理な論証」を書いている。不条理とは、「理屈にならぬ理屈」「何とも筋道の通らない論証」という意味で定義づけられている。この中に、「不条理な自殺」というものがある。

 そこに尾崎の死因のヒントが隠されているのである。おそらく、尾崎もこの本を読んでいたと思う。
それだからこそ、

「放熱への証 CONFESSION FOR EXIST 〜生きること。それは日々を告白してゆくことだろう〜」 

というタイトルにしたのだろうと思う。このタイトルと、シーシュポスの神話とが結びついてくるのである。

 

「不条理な論証・不条理と自殺」のなかで、カミュはこう書いている。

  おのれを殺す、これはある意味で、そしてメロドラマでよくあることだが、告白するということだ。
  生に追い抜かれてしまった、あるいは、 「生が理解できない」 と告白することだ
  おのれを殺すとは、「苦労するまでもない」 と告白すること。

カミュ シーシュポスの神話(新潮文庫) 「不条理な論証・不条理な自殺」  P14より抜粋

 

 尾崎の最後のアルバムのタイトルは、

「放熱への証 CONFESSION FOR EXIST 〜生きること。それは日々を告白してゆくことだろう〜」

 CONFESSION FOR EXISTというのは「放熱への証」と訳されているのだろう。でも直訳すれば(文法的に問題があるけれど)、「生きることに対する告白」となる。それが、「生きること、それは日々を告白してゆくことだろう」となる。

ここで出てくる「告白」という言葉と、カミュの書いた文章に出てきている「告白」という言葉と、ここで重なってくるのである。

 カミュが書いているのは、告白という意味は、おのれを殺すと言う意味なのである。尾崎はこのラストアルバムで、自分を告白しようとしていたのである。その告白(おのれを殺す)の意味が、尾崎の最後のメッセージになっているのである。

 

 

 このアルバムのタイトルは、何度も書くようだけど、もちろん尾崎がつけたものであり、尾崎がタイトルからジャケットから配色からデザインまで、すべて決定を下していたという。そうやってアルバムの企画に追われ、コンサートツアーの準備に追われ、レコーディングに追われ続けていた。そして、酒浸りの生活、不規則な食事、睡眠不足の状態が続いていた・・・

 ここで、アルバムのデザインについても、どこかで誰かが書いていた言葉がある。これはうろ覚えなので、内容だけを書くけれど、(十字架の上に尾崎が横たわるデザインのジャケットは尾崎自身が決めた。死を意味するかのような不吉なジャケットだが、あえて尾崎はこれを選んだ)と書いていた。尾崎はなぜ、このジャケットにしたのだろうか。


 尾崎の最後のアルバムだけを考えてみても、アルバムのタイトル名「放熱への証CONFESSION FOR EXIST 〜生きること。それは日々を告白してゆくことだろう〜」とジャケットの「不吉」なデザイン。すなわち、隠された意味で考えると、「告白(おのれを殺す)」と「死」この二つを、尾崎自身が自分で決めたのである。さらに、尾崎の行動、言動を考えあわせると、答えが見えてくると思う。

 

自殺にならない自殺

 

 これが尾崎のとった結論だと思う。死因からすると、自殺じゃないのは確か。警察の調査も「他殺ではない」という結果も確かだろう。死因はあくまでも肺水腫。直接、死と結びつくような外傷もなかった。自殺にならない自殺。そう考えると、おそらくすべての答えが出てくるんじゃないかと思う。

 

 


 その頃の尾崎の取り巻く環境をとってみても、かなり傷ついた生活で、すさんだ生活になっていた。
ものすごく神経質な面を持つ尾崎が、社会生活に適応してゆけるかを考えるだけでも、大変だったのがわかるはず。さらに不倫、別居、裏切り、母親との死別など、ほんとうに大変な精神状態になっていただろうと思う。そして、ひとりぼっちだった。とても寂しかったと思う。人一倍寂しがりやだったし。

 また、仕事は殺人的な忙しさだったという。社長である尾崎自身が、あちこちのコンサート会場に電話を入れて打ち合わせをするくらいだったという。さらに、レコーディングの企画、構想、準備、手配、打ち合わせ、レコーディング、ミキシングなど、ありとあらゆる事をこなしていたという。そんな忙しい日々を送っていた。

 

ラストアルバムに「太陽の瞳」という曲がある。こんなフレーズがある。

「こんな仕事は早く終わらせてしまいたい まるでぼくを殺すために働くようだ」

こういう生活だったのである。さらに、アルバムの中に、「闇の告白」という曲がある。ここでもまた、 告白 」という言葉が出てきているのである。この、「闇の告白」の中でのフレーズにこんなものがある。

「疲れの中弾丸をこめ引き金を引く」
「罪を背負い何時しかやがて銃の引き金を引く いつの日か自分を撃ち抜く」

というフレーズがある。「闇の告白」「自分を撃ち抜く」という言葉が出てくるのである。もう、ここまでくると、なんの解説もいらないと思う。尾崎の死は、他殺でも覚醒剤でもなんでもないのだろう。

 

自殺のようで自殺じゃない、自殺にならない自殺

 

 


 

 

 以上、かなり長いことを書いてきたけれど、これが僕の尾崎の死に対する考察である。たくさんの見方があるとは思うけれど、僕のなかではこの見解しか浮かばない。でも、なぜ尾崎が死んだのかは、尾崎の1ファンとして、ずっと考え続けていた事だった。衝撃的な死の直後のマスコミの報道は、単なる興味本位で、ほんとうにあきれてしまった。登校拒否から覚醒剤、不倫という過去を簡単に組み合わせただけの、いいかげんな話ばっかりだったから。

 でも、時がたつにつれ、尾崎の死の前後が詳細に明らかになってきた。それらの事実を組み合わせて、いいかげんな情報は切り捨てて考えてゆくと、僕は上に書いてきたような結論にたどり着いた。自殺にならない自殺、これが尾崎の死に対する、僕なりの答えである。1ファンとして、尾崎を見続けてきた僕の、尾崎へのレポートである。

 

 僕は今でも、尾崎も、尾崎の歌も詩も好きだ。今でも尾崎の曲を聴き続けているし、今でも尾崎のファンであることは、尾崎がいなくなった今でもなんにも変わっていない。いま、尾崎の生きてきた道を想うと、尾崎のその生き方すべてが壮大な詩であり、音楽だったように思えて仕方がない。彼は素晴らしい曲を残してくれ、すごい生き方を僕らに見せてくれたと思う。これほど情熱的でひたむきな生き方をした本物のアーティストは、これからも出てくることがあるのだろうか。。。

 

 

尾崎はもういなくなってしまったけれど、残してくれた曲がある限り、いつまでも僕は尾崎のファンであり続けたいとおもう

 

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1998/11/3 up

2001/4/22 , 2001/5/15 追加更新

2001/9/23 文書追加