2011年08月29日

千代田区、充実福祉の傲慢



 東京都は日本の首都だから、他県と比べてもやや豊かであって、地方交付税の交付がなくて済んでいる、というか都民は税金をふんだくられて他県にまわされてしまうという不合理(?)に耐えている。
 東京都は国の中心機能が集まっているのだから貧乏では話にならないし、優良企業も本拠を構えるので、法人税が落ちる。それに付随して、なにせVIPがお暮らしになっているのである。

 それゆえ、東京23区は比較的行政にカネがあるので、どこも行政サービスのレベルが高いと言われる。
 しかも千代田区はその中でも独自のサービスを提供している、もっともリッチな区であるらしい。


 私の友人が、わけあって千代田区に引っ越して区に届け出をしようとしたら、区の窓口で嫌な顔をされ、入ってくるなというような対応をされたことがあると語っていた。
 へえ、どうして? と尋ねた答えがだいたい以下のようになる。

 千代田区は東京の中心で、しかも皇居を中心にしてその周囲に霞ヶ関や永田町という政府機関、大手町、神田、丸の内、飯田橋など高級オフィス街が形成されている。ちょうど滋賀県が琵琶湖を中心にしてその周囲に市町村が形成されているような案配で、琵琶湖に相当する中心に皇居があるのが千代田区なのだ。

 住民は少ないけれど、法人税などが多く収入になるので、おそらく日本一リッチな自治体なのである。いきおい金持ちが多くなり、金持ちは行政に豊かなサービスを要求し、行政も金持ちのために奉仕するようになっている。

 だから、例えば千代田区は、子育てに関する行政サービスが手厚いことで知られる。日本経済新聞社が実施している「行政サービス調査」において常にトップクラスにランキングされている。
 乳幼児の医療費助成や妊婦検診費の助成に加え、次世代育成手当として、高校生までの子どもを持つ世帯に助成金を支給している。
また、子どもの学力を向上させるための「基礎学力向上プラン」を推進、情操教育にも力を入れるなど、次世代を考えた施策を行なっている。

 エリート家庭が千代田区に集まって、行政に手厚い教育行政サービスを実行させている。
 例のもめにもめた民主党の「子ども手当」だが、千代田区だけはもうずいぶん昔から、月2万円を支給していた。そんな区はなかったと思う。現在は民主党の言う「子ども手当」にしたがって、中学校修了前の子ども1人につき13,000円になっているらしいが。

 その他、調べて見ると。
●6歳までは医療費無料。
●「子ども手当」でカバーされない高校1〜3年生の児童については千代田区独自に、月額5000円の「次世代育成手当」が支給。
●妊娠6カ月以上(第20週〜)からの赤ちゃんに対しても
「誕生準備金」として一律45,000円(一回)の手当。
 (
これらは所得制限がない)

●千代田区の幼稚園は空きが多い。
●認可保育園の保育料は5歳児で 18,000円/月(同じ5歳児でも横浜市 35,500円/月)
●千代田区は待機児童が少ないことでも知られ、
子育てのために移り住んでくる人も多い。
(平成21年度までは9年連続で待機児童ゼロを更新していた)

 東京都の子ども医療費助成を比較2010年!
http://allabout.co.jp/gm/gc/23469/
 このサイトを見ると、子育て支援として乳幼児や子どもの医療費を助成してくれる制度があって、子どもが入院したときに医療費や食事代をくれるのである。東京都はこの点で充実しているようだ。

 日経新聞社などが全国各市と東京23区を対象に実施した
「行政サービス度調査(※)」の結果では、
 ●平成16年・・・6位
 
 ●平成18年・・・1位
 
 ●平成20年・・・2位
と、千代田区は上位ランクの常連。
(
※高齢者福祉、子育て環境の充実度、公共料金の水準などを点数化したもの)

 昔から巷間囁かれていたことだが、千代田区の番町、九段、麹町という区立小学校はどれも歴史ある名門校である。
 教師も父母も教育熱心で、「お受験」を目指すなら子どもはわざわざ越境入学してでもこれらの小学校に潜り込んでくる。いずれ都立高校の雄・日比谷高校に通って、東大を目指すコースが昔から確立されている。

 施設も「どこの私立か?」と思うくらいに恵まれているそうだ。
 子どもを有名私立に行かせると、親の経済的な負担も莫大になるけれど、区立の小中学校に通わせれば、大助かりだ。
 九段や麹町界隈への引越し代と家賃の増加分を比較してもお釣りがくると言われる。

 それだけに、金もないよそ者とか、成績なんかどうでもいいという親子は「シッシッ」と追い払われるのだ。

 ただ。
 千代田区は基本的な物価は高い。 スーパーがほとんどない。夜間や土曜日、日曜日はゴーストタウンになる。
 便利なのは都心中の都心だからどこで酒を飲んでいても、タクシーで帰宅しても安く済む。
 住むにはちょっと高いが、それを補ってあまりあるのは子育てのコストなのだ。移転した友人が「子育てのコストが、こんなに違うものかと思うくらいにリーズナブルだった」と驚いていた。

 だからたぶん行政に勤める公務員も、職住隣接で千代田区に居住すれば、そのおこぼれを頂戴してリーズナブルな生活をエンジョイできる。だから外部の(?)者が千代田区に転入しようとすると、嫌な顔をするのであろう。

 こうした千代田区の姿から見えてくるものは、端的に言えば「不公平」である。
 カネが税金で入ってくるのだから、贅沢したっていいじゃないか、との言い分はあるだろうが、潤沢な「資金」を削って震災の復興支援に回すなどという話は聞かない。

 昔のソ連が、庶民は食うジャガイモも黒パンも不足しているときに、ノーメンクラツーラという公務員の特権階級だけが、豊かな恵まれた暮らしをしていたものだった。千代田区のご住民はそういうものを連想させる。

 誰だって、こんなに行政区ごとに待遇が違っていれば、そりゃあ只だったり、お小遣いがもらえたりするほうがいいに決まっている。千代田区に移り住みたくなるのは人情であろう。
 しかし、こういう優遇を得た子どもがやがて日比谷高校、東大を通過して、国家公務員になっていく。ズルをやったとまでは言わないが、不公平をうまく利用して出世した連中である。
 そういう輩が国家を牛耳れば、国民にために仕事をするよりも、なおいっそうの不公平や格差を生む社会を出来させるよう励むのではないか。

 


posted by 心に青雲 at 07:02| Comment(0) | エッセイ | 更新情報をチェックする

2011年08月28日

円高は誰のために起こされているか(3/3)



《3》
 昨日、日下公人氏の『2011年〜 日本と世界はこうなる』から紹介したが、ついでにもう一つ紹介しておきたい。

    *      *      *

 円高の根本原因は、日本ではなく外国にある。ドルが安い、ユーロが安い、など他の通貨が日本に対して安いからである。それは働かない国、軍事費が多い国で、だから日本は何もしなくても円高になる。いずれアメリカ経済はどんどん悪くなり、ドルはどんどん安くなる。

 だから、日本は円高を何とかしましょうというのではなく、日本の首相はアメリカに対して「ドル安を直せ」と言えばいいのである。円高を何とかしようなどというのはお門違いである。

 これまで経済の強さを誇ったアメリカ社会は衰退し始めている。それは、中流が減って上流と下流が増加していることに表れている。

 中流のいない国で景気刺激はありえない。ケインズ以来、「カネをばらまけば経済効果がある」と言われたのは、中流が反応するからである。

 中流は、カネと地位の向上を求めて体力と知力を使う用意がある。上流は、体力と知力を使うのは民衆を支配するときであって、必ずしもカネのためではない。支配すれば、カネはついてくるというのが上流の人の考え方である。下流の人は、その日暮らしで、カネも体力も今夜のものは今夜中に楽しむと考えている。明日は税金で取られたりして、なくなると思っている。江戸っ子が宵越しのカネはもたぬと言ったのと同じである。
 
 中流がなくなると、貨幣をばら撒けば人々は働くというケインズ政策は通用しなくなる。
 それは、だんだん日本にも言えるようになっている。日本でも上流と下流かが進行して中流・中産の人の精神が少しずつ消えている。
 三十年ほど前から、日本人は経済の豊かさより心の豊かさを求めるというようになって、それが少しずつ広がっている。

     *       *       *

 ケインズはもともとユダヤ金融資本が育てた男である。マルクスと同じだ。
 マルクスもケインズもユダヤの走狗だったのであり、ロスチャイルドの世界支配のためのシナリオを書いた(書かされた)にすぎない。
 宗鴻兵の『ロスチャイルド、通貨強奪の歴史とそのシナリオ』をひもとくと、ケインズがいかにユダヤ資本のために尽力したかが詳しく書かれている。

 したがって、日下氏が説くようにユダヤ国際金融資本がアメリカや日本、ヨーロッパで中流階級から資産を奪ってしまえば、ケインズの経済処方箋は役に立たないというより、いらなくなるのである。
 ケインズ理論はおそらく、ユダヤ金融資本が好況や不況を起こしたり、戦争を仕掛けたり、株や為替を操作したり、インフレやデフレを煽ったりして、莫大なカネを強奪するために役立ったのであろう。

 しかし、これからどうなるかはわからないけれど、(矛盾した言い方のようではあるが)資本家にとって夢は共産主義の統制経済であるのだから、アメリカが潰されて、ドル基軸通貨体制が崩壊すれば次は共産主義的な体制を世界中に強いていくのではないかとも思われる。

 これから覇権は中国に移るという人が多いが、中国が未だに共産党独裁であることは何事かを示唆していると思われる。いずれ世界覇権国家は共産主義で行くと、第二次世界大戦の前からもうユダヤは決めていたのではないだろうか。
 共産国家体制なら中流階級はいらなくなるのかもしれない。

 エジプト、チュニジア、リビアなど(その前のイラン、イラクも含めて)「中東の春」などと言われて、これまでユダヤ資本が支持(指示)してデッチあげていた独裁体制を転覆させて、彼らの言うところの「民主国家」に変えることにしたのは、ひとえにこれからの産油国などを、新たなユダヤの戦略に都合の良い指導者に変えるためにすぎまい。

 新聞記事では、リビアの首都が「解放」されて、街には民衆の笑顔と花が満ちあふれているなんて、アホ丸出しで舞い上がっていたが、嘘ばっかりだ。みんなが期待するような本当の民衆のための革命なんか起きるわけがない。
 フランス革命だって、ロシア革命だって、みんなあれはユダヤが自分たちの戦略方針にしたがって仕掛けた八百長であった。

 話が脱線するけれど、例えばリビアをとっても、民衆が立ち上がって反政府軍を組織し、銃をかき集めて、カダフィの正規軍と戦うなんてことが本来はできるはずがない。革命をやるには軍事力を発動しなければならず、大変なカネがかかるし、訓練された将兵が絶対に必要である。

 カダフィがいかに独裁者であっても、リビアの軍は税金で作られた精鋭部隊なのであって、プロなのだ。装備から兵の質からなにもかも、民衆の蜂起した有象無象とは実力が違う。なのに、いくらNATO軍が支援して空爆を実施したとて、地上軍の実力では反政府軍が太刀打ちできるはずがない。

 プロ野球チームと、今日かき集めて練習もしたことがない草野球チームが戦うようなものだ。
 なのにリビアでは、自然発生した民衆の抵抗が広まって反政府軍となり、プロの政府軍を戦闘で打ち破って制圧に成功したと伝えられる。そんな馬鹿な。
 必ず莫大な資金を援助したユダヤ資本家がいて、正規軍を打ち破るほどに見事な「正規軍」が私服になって戦ったに決まっている。

 食うものも、寝床も、トイレも、医療所も完備したカダフィの正規軍に対抗するには、反政府側も同じように食事、寝床、便所、野戦病院、兵員の給与などを揃えなければならないのである。兵員の募集や訓練はどうしたの? 作戦を考えて兵員を動かすプロの将校はどこから連れてきたの?
 こういうことを抜きに、内戦だか革命だかが続けられるってか?

 そういうことをマスメディアはいっさい報道しない。報道しないのは、新聞記者が何もわかっていなし、背後にユダヤ資本家がいて、真相を伝えないよう指示しているからである。


 話を戻す。
 日下氏が「三十年ほど前から、日本人は経済の豊かさより心の豊かさを求めるというようになって、それが少しずつ広がっている」と指摘していることも大事なことだ。
 その辺りが、例えばアメリカとか中国とかと大きく違うところだろう。アメリカ人や中国人は昔から今も、経済の豊かさオンリーで求めてきている。しかし日本人は日下氏のいうとおり、変わってきていることを見抜くべきなのである。

 だから日本では、経済の豊かさを求めての革命や政権交代は起きないのだと思う。
 さはさりながら世界を支配するユダヤ金融資本は、経済一本槍で突き進んでくる。「心の豊かさ」なんか、ユダヤは無視するだろう。そんなものは一部上流階級だけが享受すればいいと考えているのではないか。
 だから日本でも、民主党だろうが自民党だろうが、そのマニフェストは経済的豊かさを求めてる民衆に受けるであろう政策になってしまうし、そうした価値観に民衆が縛られているように洗脳するのであろう。



 


posted by 心に青雲 at 08:08| Comment(1) | エッセイ | 更新情報をチェックする

2011年08月27日

円高は誰のために起こされているか(2/3)


《2》
 そもそも、日本経済は輸出産業に牽引されているし、それが国家の利益になるとインテリも大衆も思い込んでいるが、そんな考え方はもう古いし、第一弁証法的ではない。
 経済を動かざるものと勘違いしている。

 現在は、輸出産業と輸入産業の売上高はほとんど同額になっている。
 2009年の財務省の統計では、輸出総額は54兆1706億円、輸入総額は51兆4994億円である。
 輸入ばかりでは赤字になってしまうという心配があるのだろうが、世界の経済構造、産業構造はいつまでもそうではあるまい。

 世界中が持ちつ持たれつになって互いに発展すればいいではないか? 日本だけが貿易黒字になっていれば安心で、日本の相手国は必然的に赤字になればいいのか?
 
 日本のような経済大国が、資源はあるが貧乏な後進国から先ず輸入することで、相手国も豊かになって日本のものを買ってくれるようになるではないか。
 相手国は、日本が輸入してくれなくなったら自分の国のものが売れなくなって困る。だから日本から優れた製品を買えば、その原料になるものを自分の国から買ってくれる。
 必然的に貿易の総量が多くなる。これでいいではないか。

 そういう互恵関係になっている。
 こう捉えるのが、素朴ながら弁証法的な捉え方であるし、まともな商人(あきんど)のやり方である。

 貿易の総量が増大することが経済の発展の礎であるという考え方を、中国は(共産主義を捨てて?)とったから、大躍進を果たした。ただやつらはカネも技術を借りて、踏み倒す手口でここまでのし上がったが、それはユダヤ金融資本が認めたからでもあった。
 アメリカをそうしたように、中国を肥えたブタにしていずれ、がっぽり資産を奪い取る計画だからであろう。 
 
 話を戻せば、なぜ円高は大変だとか、日本は輸出で成り立っている国だとかいう説を、政治家も官僚も経済学者も、またメディアも金科玉条のごとく唱えるかと言えば、ここでも主として旧通産省(現在の経済産業省)の権益に関わるからだと、日下公人氏が説いている。

     *      *     *

 貿易黒字を増やせば良いというのは、通産省(現・経済産業省)の思い込みである。通産省は戦争直後は貿易庁と言ったくらいで、貿易を自分が管理していると思っているが、なぜ「貿易はバランスで良い」と言わないのか。

 それは、貿易で輸出を増やすほうに、通産省の権益があるからである。通産省は輸出振興にたくさんの税金を使っているので、大学生の頃、私はこんな輸出振興は国民にとっては損だと主張していた。
 だから、今、円高になって輸出が少なくなって黒字がなくなることを喜んでいる。

 円高対策として、企業はどんどん海外進出をしているが、発送を変えて、生産品目を変える道もある。同じモノをいままでどおりつくろうというのは、会社の中に年寄りが多いからである。

 たとえば、トヨタが、同じ自動車をつくるのでも、これからは軽自動車をつくればいい。(中略)今はようやく、2011年秋からダイハツから供給を受けて、トヨタは軽自動車を売ることになった。
 つまり、企業にフレキビリティがない。それはフレキシビリティのない社員が多いからである。

 これが年功序列の悪いところで、アメリカであれば「もう君の仕事はないよ」とクビにしてしまう。仕事がないというのはクビ切りの一番の理由で、「この部門は閉鎖です」となる。しかし日本では、クビにしてはかわいそうだから、「何か新製品を考えろ」と別の部署に移動される。

 昔の人はそこで一所懸命に考えて新しい仕事を作った。しかし、このごろの人は「無理です。私にできる仕事を言いつけてください」と言う。「それではおまえ何ができるんだ?」と聞くと、「教えてください」になる。 手取り足取り教えてくださいと言う。
  (中略)

 イギリス人のように、日本人も「構造転換はなるべくしたくない」国民になってしまったのだろうか。イギリス経済は沈没しているが、日本経済もそれを見習うのか。
 そうならないためには、発想を変え自分を変えればいいのである。
 (『2011年〜 日本と世界はこうなる』WAC刊)

     *      *     *

 日下氏は、日本経済が沈没しないためには「発想を変え自分を変えればいい」と説くが、私はこれはもうほとんど不可能であろうと思う。
 イギリス人がそうであったように、変われないのである。一度隆盛を誇った国家は、必ず衰退してゆくからである。それが歴史の必然である。
 
 誰もが、日本はこれではダメだと思いつつ変わろうとはしない。
 問題はユダヤ金融資本の言いなりに「羊毛刈り」にあっていることとか、官僚支配国家だからだとか、在日に支配されているとかが日本のクビを締めているということなのに、新聞の言いなりになり記事を鵜呑みにして、本当のことをわかろうとしない。

 円高は困ると騒ぐのは、官僚が経済評論家やメディアを使って大衆を洗脳しているのであり、それは国家の大計のためではなく、アメリカの利益のためであるし、また自分たちの権益を守るためであると言ったとて、「まさか」の一言で見向きもしないのだ。
 やっぱり世界経済の先行き不透明だからでしょ? となんとなく納得してハイおしまい。







posted by 心に青雲 at 06:34| Comment(2) | 評論 | 更新情報をチェックする

2011年08月26日

円高は誰のために起こされているか(1/3)


《1》
 またしても円高が進んでいると騒いでいる。
 半年前は1ドル80円台で推移していたかと思うが、今や70円台になっている。この先はといえば、50円か40円になるのはもう見えている。

 メディアは円高になる原因は、株安と同じく世界的に景気の先行きが不透明になる懸念を投資家らが抱いているからだと説明する、というか、記事には必ず「米国など世界経済の不透明感が要因で円高になっている」と書いているが、これはもうほとんど「枕詞」に等しい。

 枕詞だというわけは円高の本当の説明になんかなっていないからだ。
 本当は八百長だと言う度胸のあるメディアやアナリスト、為替ディーラーなどはいない。
 以前紹介した鬼塚英昭著『ロスチャイルドと共産中国が2012年、世界マネー覇権を共有する』(成甲書房)とか、宗鴻兵著『ロスチャイルド、通貨強奪の歴史とそのシナリオ』(ランダムハウス講談社)を読めば、こういう金融恐慌とか、世界株安とか、為替変動とかはみんなユダヤ金融資本家が操っているのである。

 疑う方はぜひこの2著を読まれたい。これまでのユダヤによる騙しの歴史がしっかり書かれている。今度の円高も結局はユダヤ金融資本が仕掛けているのである。
 多くの大衆は、経済のことなど分からないし、円高がなんであるかもわかっていない、だから専門的知識のある経済評論家や新聞の言うことをただ鵜呑みにするばかりである。
 「世界経済の不透明感が要因」だと言われれば、なんとなくそういうことなんだと思うのみ。

 そしてこれは以前にもブログで説いたことだが、円高だと日本は損をする、大変なことになる、貿易で儲けられなくなって今より不況になると脅される。ユダヤ金融資本家の陰謀であることを置いておくとしても、これが何ともおかしいことなのだ。

 円高というとかならずトヨタが引き合いに出され、円が対ドルで1円高くなるだけで1日に何百億円だかも損をするんだという。そして経団連の会長だかがしゃしゃり出てきて、政府による為替介入を要請し、円高をストップしてくれろと懇願するのだ。

 これぞ、端的に言えば弁証法のない経済そのものではないか。

 簡単にいえば、世界的な視野に立てばいいだけのことなのに、誰もが日本だけ見て「うろたえなければいけない」みたいな説教調になる。
 しかし日本を世界のなかに置いてみれば、今後も円高基調になるのはわかりきった話で、少々ユダヤ金融資本が邪魔しても、基調はそう動かせるものでもなかろう。ユダヤはその基調を裏で作りつつ、かつ、利用して大儲けしているのだろう。

 なぜ円高になるかといえば、日本は他のアメリカやヨーロッパに比べると産業も経済も強い。上質なものをつくる技術力もあるし、治安も良い国だからである。約束もちゃんと守る。対外債務がない。これだけ政治がぐちゃぐちゃになっていてもなお、円高基調に揺るぎない。他の国はもっと悪いのだ。

 例えばアメリカは売るものがほとんどない。兵器産業くらいだろう。だからやたらに戦争を起こす。あとはトウモロコシ、小麦などの農産物に、映画など娯楽産業、航空機、特許、金融商品程度だ。だからドル安にしかなりようがない。

 新聞がいつもトヨタを引き合いに出して、円高は日本が大損をこくんだと叫ぶが、それはトヨタとかの輸出産業を主としている企業にだけ目を向ければの話である。輸入している企業が万歳万歳であろう。儲かっている企業が、周囲からやっかみを受けるから、ウハウハだとは喋らない。円高で困る企業だけが声を上げるし、なんでも悪い悪いと暗くなることを言うだけが商売のメディアが、しつこく記事にするから、大変だ!となる。
   
 そしてもっと政府や日銀が為替介入すべきだと煽る。記者はいつも警鐘乱打の記事を書きたい動物なのである。大衆を不安に駆らせるのが使命だと思い込んでいるかのようだ。

 しかし円を売ってドルを買うということで、一時的に円高を止めることができても、円は強いしドルは衰退の一途なのだから、無駄である。
 鬼塚氏は、ドルを買うというのは結局は米国国債を買わされているんだと説明している。

 すなわち、アメリカが米国債を日本や中国に買わせるために円高ドル安にしているのだ。アメリカはもう自力ではドル安を阻止できない。貿易で大儲けできる素材がないからだ。金持ち国家日本をテメエの財布代わりにして絞りとるしか手はない。
 これからまた八百長の大統領選挙が始まるので、オバマを筆頭に候補たちは経済を上向きにして雇用を創出する政策をやってみせないと、当選が果たせないと考えれば、いっそう米国債を日本に買わせようとして、円高を仕掛けてくるのだ。

 決して、資本の自然の流れとか、投資家の先行き不安とかで為替が変動するのではないからだ。
 円高は、単純に言っても、輸出産業には損だが、輸入産業は得をする。経済は均衡するものである。こんな簡単なことすら新聞記者もアナリストもわかっていない。

 同じ会社でも、片方では輸入して、製品を作って価値を高めて輸出しているとすれば、損でも得でもない。ただ一時的にはどちらかに傾くことはある、というだけである。損したときを捉えて「大変だ、大変だ」と騒ぐのでは中学生にも嘲笑われるだろうに。

 一時的な為替の変動や貿易不均衡でいちいち騒いでいるのは、メディアの常で、これを目先の議論という。メディアは「今日、たった今興味をひく記事」を大衆に提示するのが商売で、10年後、20年後の国家の大計に基づいて書こうとする記者はいないようだ。トヨタは1日で何百億円損すると騒いだほうが記事になる。長い目でみれば円高は日本に有利だと説くものがない。

 そもそも日本だけが貿易で儲ければいいのか? 円高でということなら、例えば日本から優れた工業製品を輸入している国は大喜びであろう。それで儲けさせてあげれば、その国は経済が発展して、今後もっと日本から優秀な製品を買うようになってくれるかもしれないではないか。

 日本は円高で原料や部品を輸入するにあたっては安くなって嬉しいけれど、日本に原料を提供している国は損が発生している。それはザマミロということなのか? ずいぶん身勝手な考えかたではないか。

 生き馬の目を抜くのが国際社会の商売だというかもしれないが、それはユダヤや中国のやり方である。われらの先達、二宮尊徳は決してそういう商売をしろとは言わなかったはずだ。





posted by 心に青雲 at 07:07| Comment(1) | 評論 | 更新情報をチェックする

2011年08月25日

開高健、心の闇の正体(4/4)


《4》
 開高健は自分の鬱病を医者にもいっさいかからず、薬にも頼らずに治した…のではなく、開高流の言い方をすれば「うっちゃった」のであった。薬には頼らなかったとはいえ、アルコールには頼りっぱなしだったが。

 まして開高は無類のタバコ好きであった。若年のころからヘビースモーカーだったようだ。私はタバコはいっさい吸ったことがないのでよくはわからないが、紫煙をくゆらせている「至福の時間」というものは、内面との対話には格好のおもちゃなのではないか。激しい運動をし、外界を反映しながらではタバコは吸っていられない。勢いタバコは静止してじっくり内界の反映(心のなかでの自問自答)を促しているかのようになる。
 だから鬱というものを、ある種仮病でやっている人にとってタバコはそれにどっぷり浸らせてくれる薬にもなってしまうのではないか。

 『開高健の憂鬱』の著者・仲間秀典氏は、開高の精神病についてこう説く。
 「開高のこのような性格特性を考慮すると、彼の五十八年十一ヶ月の生涯のなかで、躁鬱の双方の病相の時期が存立したと推察すること、言い換えると躁病を一つの病相として含む双極性躁鬱病と診断することは、臨床的に十分可能である。
 
 前者はこのような躁と鬱の並存を基盤とした仮説であり、『輝ける闇』を執筆する数年前に軽躁状態に陥り、行動意欲が高揚して頻繁に海外旅行を試みたとする推論である。開高が一生のなかで鬱状態と軽躁状態を数回繰り返したとみなす山田和夫は、彼を典型的な「内因性躁鬱病」と診断している。」

 開高は躁期と鬱期で作品を書き分けていたらしいのだ。その時期がどうなっていたかは、仲間氏の著作に詳しい。

 さて、私は作家・開高健は本当はどうやって鬱状態から(薬を使わずに)脱出すべきだったかを最後に書いて本稿を終わらせたいと思う。
 開高を評した作家や評論家は共通して指摘することだが、小説を書こうとして部屋に閉じこもって原稿用紙に向かっているときは、気分が鬱になるのである。そこで彼は戦争ルポを書くためや、釣り竿片手に世界中の海や河を渡り歩いたのだが、その間は見事に鬱から抜け出ているのである。

 取材とルポを書き終えて、また本業のノンフィクションを書こうと机に向かうと、鬱に襲われる。その繰り返しだったようである。

 開高は書いている。

  *     *     *

 ……石川淳氏と会って酒を飲んだとき、バクチでもいいから手を使えと孔子が言っているぞ、と聞かされたことがあります。……これがその夜の私にはたいそうひびき、いまだに忘れられないでいます。ヒトの心のたよりなさ、あぶなっかしさ、鬼火のようなとらえようのなさをよく見抜いた名言と感じられたのです。

 孔子が太古の異国の哲学者というよりは現代の最尖鋭の精神病理学者のように感じられたほどです。現代人は頭ばかりで生きることを強いられ、……これでは発狂するしかありません。発狂か、自殺か、または、そうでなくても、それに近い状態で暮らすか……孔子のいうようにバクチでもいい。台所仕事でもいい。……手と足を思い出すことです。それを使うことです。私自身をふりかえってみて若くて感じやすくておびえてばかりだった頃、心の危機におそわれたとき、心でそれを切り抜けたか、手と足で切り抜けたか、ちょっとかぞえようがありません。

 落ち込んで落ち込んで自身が分解して何かの破片と化すか、泥になったか、そんなふうに感じられたときには、部屋の中で寝てばかりいないで、立ちなさい。立つことです。部屋から出ることです。
 (『知的経験のすすめ』)


    *      *      *

 鬱から抜け出すのに、手と足を使えとは、まあいい線はいっている。実際、開高はそれで自分をある程度治したのだろうし、部屋から出てもまた部屋に戻ってくるから、同じことの繰り返しだったとしても、当たらずとも遠からずの正解には近かった。

 孔子が鬱の治し方を言ったかどうかは定かではないし、石川淳氏も半端なことを呟いたものであった。
 開高が自宅の部屋にたれ込めて小説を書こうとすると鬱に襲われるというのは、一つには結婚した相手が悪すぎたせいもあろうし、だから開高が何人も愛人をこしらえて逃げたせいもあるが、それはこの際、どうでもいい。

 精神病の原因を考える際に、大事なことはあくまで認識とはいかなるものか、という学問としても捉え方である。
 認識は対象の反映であるというのが、認識形成の原理である。だから開高が鬱になるのは、まずは外界の反映に依るのだ。
 開高が海外へ出かければ反映が強烈に変わるから、認識が大きく変化するのである。だから毎日嫌な奥方と顔を突き合わせていなければならない自宅にいれば、反映したくない事物事象を24時間反映してしまうから、(簡単に言えば)憂鬱になってくる。海外へ出れば、もしかして愛人ともおおっぴらに逢えるし、同伴もできようし、異国の風物に接してウキウキした感情のままに反映するので、憂鬱は解消されるのだ。

 それと孔子が言ったとかいう「手や足を使え」というのも、これは末端の感覚器官を磨くからである。自宅にいて、ゴロゴロ寝転んで、酒とタバコの日々を送っていれば、手も足も使わなくなって、感覚器官は極端に鈍くなり、だから外界の反映も悪くなり(反映しなくなり)、自分の内界の声にばかり耳を傾けるようになる。

 ただし「バクチでもいいから」はお粗末な譬えである。何もしないよりいいかもしれないが、本当は意図的意識的にこれまでやったことがないような手と足の動きをすることなのである。
 開高が趣味とした釣りは、やらないよりいいレベルである。河の中を移動するのは多少運動にはなるが、河の中でじっとしていなければならないから、あまり運動にはならない。

 海での釣りは船に乗るだけで動かないからダメだ。とはいえ、作家として机の前に座り続けてまったく運動しない生活をしている職業の御仁にはそこそこの運動にはなったのだ。
 だから開高は海外に出ると鬱が軽快した。

 ここでも開高は、惜しむらくは、いささかも論理的にはならなかった。ただ己の経験と感覚に頼っただけである。
 開高は「台所仕事でもいい。……手と足を思い出すことです。それを使うことです。」と言いながら、実際は台所仕事はやらなかったようだ。嘘はつくなよ、である。

 自分で料理でも作れば、もうちょっと鬱で苦しまなくて済んだのに。あろうことか稀代のグルメになって、他人が凝りに凝った料理にいい気なって舌鼓を打ったために、鬱も治せなかったし、短命で終わってしまったのだ。

 それから開高は晩年、背中の痛み「バック・ペイン」に悩まされて、水泳を始めたようだが、水泳で体調は整えられても、体の歪みは治せまい。部屋にたれこめてじっと座っているよりは遥かに良いけれど。
 内臓の疾患が彼の言う「バック・ペイン」になっていた可能性もあったのだろう。
 晩年は鍼灸にも通って治そうとしたとエッセイに書いていたが、鍼灸師に治せる技量がなかったか、いくら治そうにも彼自身が宿痾たる「憂鬱」を抱えていたのでは、どうにもならなかったのか…。
 
 最新刊の「綜合看護」に南郷先生が「“夢”講義(51)」で説いておられるが、ラジオ体操のほうが「整体」には良かったのではないかと思う。

 みなさんもラジオ体操は毎日1回はやって「整体」したほうがよいのです。岡目八目さんにうかがいましたが、夜ラジオ体操をやってから寝ると良いそうです。





posted by 心に青雲 at 06:54| Comment(1) | 評論 | 更新情報をチェックする
検索する
投稿する