2011年06月21日

“友だちのような”関係の失敗


 作詞家の故 阿久悠氏の詩集『凛とした女の子におなりなさい』を昨日とりあげたが、今日はこの本のなかからもう一つ、紹介したい。

 「コピーライターの失敗」という詩である。2003年4月発行の「暮しの手帖」保存版“𠮟る”に掲載されたものを、この詩集に収録してある。

          *              *
 『コピーライターの失敗』

 コピーライターの最大の失敗は
 “友だちのような”を使ったこと
 その時は 何となく 心やさしく
 平和で 自由で
 美しい関係に思えた

    人間と人間をつなぐのに
    なんと便利な言葉なんだ
    友だちのような夫婦
    友だちのような親子
    明るく 新鮮で
    みずみずしいとさえ感じたが
    思えば これが失敗だった
    思えば これが失敗だった

 コピーライターの最大の後悔は
 “友だちのような”を使ったこと
 その時は 人間が 壁を外して
 素直に 楽しく
 わかり合う関係と信じた

    このような結末になるなんて
    誰が予想を立てただろう
    友だちのような先生
    友だちのような社長
    親しく フランクで
    微笑ましいとさえ見えてたが
    思えば これが失敗だった
    思えば これが失敗だった

          *              *

 こういう詩である。詩には前説のようなエッセイがついている。そのタイトルも「 “友だちのような”が失敗だった」となっている。

 阿久悠氏の父親は厳しい人で、「幼心に、この人を怒らせると絶縁になるだろう」とか「こんなことをしたら親父は怒るだろうな」ということがわかっていたそうだ。
 「先生も親も、子どもたちに何かを伝えるべき役目を背負っている」のであって、それは知識だけではなく、「立ち居振る舞い」や「態度」などである。それを日常の生活のなかで親や先生は子どもに伝えたのだ、と。

 私たち旧世代の人間は、ほとんどがそういったまともな親や先生から教育を受けることができた。つまり “友だちのような”親ではなかった。
 だから親子、師弟、夫婦、先輩後輩、社長と従業員、の関係が “友だちのような”であるとは思いもしなかった。
 阿久悠氏の『コピーライターの失敗』の詩みたいに、「それが美しい関係」などとははなから思っていなかった。世間が親子や師弟を“友だちのような”で良いとする風潮を苦々しく思っていたのだ。
 
 空手の世界は当然、“友だちのような”関係を排除しており、だからかえって居心地は良いものであった。阿久悠氏は遅まきながら、親子、師弟、夫婦などは “友だちのような”であってはならぬことに気づいたのだろう。

 「ぼくは今の若者に対しては悲観的だ。少なくとも七十年代までは、俺たちにはもうできないけど、あいつらにはまだやれる力がある、という若者に対するある種の畏怖の念が大人にはあった。今の若者に社会を、政治をひっくり返すパワーがあるとは、とても思えない。明治以降を考えてみても、この意味で、怖くない若者というのは初めてのケースではないか。」
 と阿久氏は書いている。これはそのとおりだろう。

 それともう一つ。
 「今、若者は、なぜ、しゃがみ込むのか。地べたにケツを下すということは、単なる流行とは思えない。根本的にそうさせてしまうものが、きっと彼らの中にあるのではないか。しゃがむことより、きちっと立っているほうが美しいという感覚がない。自分の立ち居振る舞いを美と照らし合わせて考えることが、多分ないのだろう。」

 これもそのとおりであるが、訳は阿久悠氏が思いもよらぬところにある。
 親子、師弟、夫婦、先輩後輩などの関係が “友だちのような”になってしまったからだけではない。つまり個人の認識の問題だけが原因ではなく、認識を創りだす脳細胞の実体の生育如何に関わる。
 それは人間としての誕生前と誕生後の幼児までの育ち方に大きく起因するのだ。
 若者が地べたにケツを下すのは、阿久悠氏は説くように、「単なる流行」なのではなく、脳細胞が「きちっと立つ」ことに耐えられないからである。
 一つ大きな問題を挙げれば、母親が赤ん坊に粉ミルクを与えてしまうことである。だから人間としての実体、脳が育たないので、ウシのように平気で地べたに座り込むのである。

 それだけではない、近頃流行の、母親が赤ん坊をおんぶしないで胸の前にぶら下げていることもその原因になるだろう。あるいは、母親になる女性が、子どものころから茶髪に染めることも関係してないとは言えない。

 そういうもろもろが旧来の親子関係や師弟関係に耐える認識を形成できる脳細胞として育たないことも大きな要因なのである。
 それゆえ阿久悠氏が書くように、「これをしたら親父が怒るだろうから止めよう」という認識が身に付かない。粉ミルクとか紙おむつで育った近頃の若者に、人間になりそこなっている部分があるからである。

 戦後のその風潮を根底に据えたうえで、阿久悠氏の説く「理由」になるのだ。
 阿久悠氏は、この詩とエッセイを、「暮しの手帖」の保存版「𠮟る」という特集に寄稿した。

 「ぼくは7年前、(中略)「コピーライターの失敗」と題した一編で、『友だちのような』という言葉を、非常にいい言葉として扱ってしまったのが、作詞家の失敗だった、と自責の念を込めて書いた。友だちのような夫婦・親子・先生が美しい関係に思えたのが、𠮟れなくなった最大の原因だと思っている。幸福な状態が死ぬまで続けばよいが、何かを超えなければいけない場面になったとき、友だちのような関係ではどうしようもないのである。」

 これはこのとおりだ。「𠮟れなくなった最大の原因」を認識面で探れば、夫婦・親子・師弟などの関係を「友だちのような」と捉えようとしたからだ。それをあたかも民主主義であるかのようにねじ曲げて。
 よく新聞の投書でもみかけるが、病院で医者や看護婦が患者にタメ口をきくのが批判されている。これも看護婦と患者を、「友だちのような」と捉えようとするからだろう。そのほうが自分たちがストレスが少なく仕事ができるとでも思っているのだろうか。

 親が赤ん坊に粉ミルクを与え、紙おむつをあてがうのも、楽をしたいからであり、「友だちのような」関係を好むのも、結局は楽をしたいからである。
 楽をすれば楽をした分、代償は払わねばならない。それが弁証法だろう。
posted by 心に青雲 at 05:44| Comment(0) | 評論 | 更新情報をチェックする

2011年06月20日

「凛とした女の子におなりなさい」を評す


 『凛とした女の子におなりなさい』は題名にひかれて図書館で借りた本である。
 作詞家の故 阿久悠氏の詩集で、暮しの手帖社の刊行。
 雑誌「暮しの手帖」に「日本人らしいひと」というタイトルで連載されていたが、阿久悠氏が2007年8月に他界されたので、同連載企画は9本で終了となった。

 阿久悠氏が作曲した歌詞は5,000曲以上だそうだ。小説でも直木賞候補になったことがある。その阿久悠氏が「暮しの手帖」のために書き下ろした詩が収められている。
 9編しかないものを1冊の本にする編集の苦労が忍ばれる本だ。いろいろ寄せ集めている。

 いくらか説教臭い面はあるが、生真面目な「暮しの手帖」誌らしい出来になっている。暮しの手帖向きの作家だから雑誌社が依頼したのか、阿久悠氏が暮しの手帖向きに詩を書いたのか…。
 その両方だったのだろう。

 『凛とした女の子におなりなさい』は、遺作9編のなかの一つで、私は一番気に入った。悪いけれど詩の中身ではなくタイトルに、である。
 

       *          *           *
『凛とした女の子におなりなさい』

女の子だからといって
ヨワヨワしていたり
メソメソしていたり
何かというと他人を頼りにして
愛しいと思われてみたり
そんな子である必要はないのですよ

助けてやりたいとか
庇ってやりたいとか
守ってやりたいとか
男にとってはいい気分だろうけれど
そんなもの 美徳でも
魅力でもありゃしない
いいかい 女の子だって
強くってもいいんだよ
粗雑であったり
乱暴であったり
不行儀が平気は困るけど
ちょっとした挨拶の誠意と
心地よい微笑の会話と
問われたときにハイと答える
善意さえ感じさせれば
強くっていい
男は自分が弱い者だから
縋りつく子を抱きしめるが
そんなのは三日だけの愛しさ
あとは 只の重荷になる
傷つけないようにハッキリと言い
侮辱を感じさせない態度をしたら
あとは 自由に生きなさい
強く生きなさい
自由で強くてやさしい子を
凛としていると言います
凛とした女の子になりなさい
凛とした……
近頃いないのです
       

 「あとがき」をしたためている夫人の深田雄子さんも、とくにこの詩を取り上げている。
 「特に表題になった『凛とした女の子におなりなさい』
 これこそ阿久が私の為に書いたメッセージではないのか、きっとそうにちがいないと一人決めして、大事に大事に思っておりました。
 ところが、この作品をみつけた人達が、もしかしたら自分のために書いてくれたのかもしれない、といい出したのです。
 どの人も、この人もです。
 コピーして友人にあげた、コピーして裏に厚紙を補強して机の上に飾った、という人達がいました。

 ああ、日本の女性の70%ばかり、そう思っているのかもしれない。
 凛として美しくあろうと思っているのでしょう。素敵な話です。
 作品は一人歩きするものです。」


 この文章はやや意外だった。私は凛とした女性になりたいと思っているのは、ざっくりと言って逆に30%くらいなのかと思っていたが、なんと70%の人が阿久悠氏のこの詩に共感したというのだから、やはり21世紀は女性の時代だということなのだろう。
 それならまだまだ日本人は捨てたものではないのかもしれない。

 この詩の中身にとりたてて反対なわけではない。だが私ならば、たとえば6行目の「 そんな子である必要はないのですよ」は、「 そんな子はバカですよ 」と言いたくなる。また13〜14行目「 いいかい 女の子だって  強くってもいいんだよ 」は、「女性は強くなければいけない」と書くだろう。

 私も物心ついたころから女性に対しては、「助けてやりたいとか  庇ってやりたいとか  守ってやりたいとか 」いう女性は、一部の「男にとってはいい気分だろうけれど」そんなものに魅力は感じてこなかった。私の周囲にいた友人たちもそうだったと思う。
 女は夫や(会社では)上司にかしずいていればいい、というアホな考えをもっている男も見聞きしたが、決して多数ではなかった。

 ただ、遺憾ながら女性は自分が「凛とした女性」になりたいという「思い」だけはあっても、阿久悠氏の言う「自由」を「自分勝手」と取り違え、「強さ」を「強情」で代替してしまう例も散見する。女性も「おばさん」と呼ばれる年になるとそういう傾向は強くなる。

 再度言うが、私は別に阿久悠氏の詩に異議を唱えるつもりはないけれども、本当はもっとこうあるべきではなかったかという中身を言いたいのだ。
 それは表面的な、情緒的な、個性的な「凛とした…」ではなくて、理論的なありように裏打ちされた概念としての「凛として」でなければいけないのではないかと思うからである。

 阿久悠氏もこの詩で説いている中身は、言ってみれば情緒的な「凛として」である。詩だからそういうものだ、と言われれば、そうかもしれないが、日本人はいつまでもただ情緒的、でいいのだろうか。

 私のイメージする「凛として」は、以下のような「いわば詩」になる。それは…、

一、大志を忘るなかりしか
一、誇りを落とすなかりしか
一、情熱消ゆるなかりしか
一、勇武に怯みなかりしか
一、威厳に欠くるなかりしか
一、思想に悖るなかりしか
一、論理に不足なかりしか

 である。これらが一身に備わってこそ「凛として」だと考える。
 だから、これだけの精神を把持するには、その個人の情緒的な「思い」だけでは実現しないはずである。きちんとした指導者を必要とする。

 ご存知のように旧帝国海軍の江田島兵学校には「五省」があった。

一、 至誠に悖るなかりしか
一、 言行に恥ずるなかりしか
一、 気力に欠くるなかりしか
一、 努力に憾みなかりしか
一、 不精に亘るなかりしか

 これを彼らは毎日暗唱し、互いに切磋琢磨したのだ。だから彼ら海軍兵学校の生徒は「凛として」いたのである。
 要するに、阿久悠氏は「 凛とした女の子になりなさい」と勧めながら、きちんとした海軍兵学校のような「教育」あるいは「学習」の論理構造を詩で説くことはできなかったということであろうか。
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2011年06月18日

鬼塚英昭氏の説く原発マフィアとは(5)


《6》“地球温暖化”の詐術
 本稿最後に、原発マフィアどもが企図するさらなる原発推進の詐術を見ておこう。

 1987年9月(チェルノブイリ原発事故から1年3ヶ月を経ていた)、アメリカのデンバー市で「世界野生環境保護会議」が開催され、この席でロスチャイルド家の一人エドモン・ド・ロスチャイルドが提唱して世界環境銀行が設立された。
 世界環境銀行は建て前上は、「環境管理に関する国際援助と被援助国の資源管理を統合するため」の「新しい銀行」、すなわち「開発途上国を債務のどん底から救済すると同時に環境保護を実践できる」というわけであった。

 鬼塚氏によればこれが原発マフィア=石油マフィアが仕組んだ「銀行」であり、要は原発は環境にやさしい」というキャンペーンがここから始まったのである。
 「読者よ、知るべし。世界のどこかで、平和とか、環境とかが叫ばれだしたら、世界に危機が近づいている時なのだ」
 
 そしてユダ金の召使いになった官僚、政治家、御用学者どもが結託して、環境問題をいっせいにしゃべりはじめ、環境対策に税金を湯水のごとく使うようになっていった。
 以前、ケニアの肥満体女性マータイが日本に来て、毎日新聞と組んで「もったいない MOTTAINAI」を世界共通語にしましょう、などとキャンペンーンを張っていったが、あれも一連の環境をダシにした、ユダ金の策謀だったのであろう。

 「開発途上国はIMF(国際通貨基金)や国際銀行からドルを借りて近代化を進めていた。アメリカのロスチャイルドの召使いの一人、FRB(連邦準備制度理事会)のポール・ボルカー議長が公定歩合を20パーセント引き上げたため、莫大な金利が債務に加算され、各国はデフォルト寸前だった。
 そこでエドモン・ド・ロスチャイルドが借金をチャラにしてやるから土地を寄越せ」と開発途上国に迫った。」

 つまり世界環境銀行の真の目的は、「ロスチャイルド家が地球の陸地の30パーセントを占める第三世界の支配権を握ること」にあったのである。
 この1987年のエドモン・ド・ロスチャイルドがつくった世界環境銀行が、「世界史の一つのターニングポイント」だったと鬼塚氏は説く。

 ここから「環境戦争」という新しい戦争を原発マフィア=石油マフィアが仕掛けたからだった。
        *         *         *

 石炭と石油を使った発電所から大量にCO2が出てくるので、CO2を退治すべく人類は未来のために立ち上がれという、CO2に対する戦争である。この地球が誕生してきてから、初めて、しかも突然CO2が悪者にされた。(中略)
 もし、二酸化炭素が悪の元凶ならば、私たちが食べる植物すべてが悪となる。

 IPPC(気候変動に関する政府間パネル)が1988年に設立された。世界環境会議から1年後、チェルノブイリ原発事故から2年後であることに注目してほしい。
 国際金融マフィアが、ついに原発を世界中に拡大させようと動きだすのである。エドモン・ド・ロスチャイルドは、世界環境銀行を設立し、IMFと世界銀行を駆使して世界中の金、銀、銅、石油、そしてウランを第三世界に求めていく。同時に、エドモンは、IPPCなる組織を作り上げ、この組織を国連の中に組み入れることに成功する。

 IPPCは何をしたのか。地球温暖化説を広めたのである。
 「気温の上昇は、海面上昇、異常気象、生態系破壊などの引き金となる。地球温暖化が進むと、陸上にある氷河の一部が融け、海水の体積が熱膨張し、ついに海面が上昇する。すると、沿岸部の低地が水没し、臨界部の生態系が破壊される……」

 IPPCは、その地球温暖化の最大の原因を二酸化炭素の増加によるものと結論づけた。
  (中略)

 しかし、IPPCのデータがすべて偽物であることが判明した。IPPCに集まった科学者のほとんどは、エドモン・ド・ロスチャイルドに買収されていた。元アメリカ副大統領のアルバート.ゴアの『不都合な真実』なる本が、実は偽物であることも分かった。ただただ、原発を大量に造ろうとせんがために仕組まれた芝居だったのである。

        *         *         *
 
 鬼塚氏はこの本では触れていないけれど、温暖化ガス排出権の取引なるけったいなビジネスも、地球環境ファシリティ(GEF)も、みんなロスチャイルドの掌で踊らされているものであろう。
 だから民主党の鳩山由紀夫前首相が、政権をとって浮かれたのどうか知らないが、早速にわが国は温室効果ガスを、1990年比で2020年までに25%削減することを目指すと国連の演説で表明したことを思えば、彼もまたユダ金の手先であったことが自ずと明らかになるというものである。

 たとえば地球環境ファシリティ(GEF) は、国際機関、非政府組織(NGO)、民間セクターと連携しながら、地球環境問題に取り組む一方、各国の開発イニシアティブを支援する。  GEF は、生物多様性保全、気候変動、国際水域汚染、オゾン層保護などに取り組むプロジェクトを対象に、途上国や経済移行国に無償資金を提供するとされるが、これを見ただけでとてもいかがわしいと分からねばならない。

 カネは貸すが、返ってこなければにわかに本性をあらわして冷酷な取り立て屋に変身するのは、シェイクスピアの『ヴェニスの商人』に描かれるとおりである。

 ここまで、鬼塚英昭氏の『黒い絆 ロスチャイルドと原発マフィア」を紹介しながら、今次福島原発事故の背景を探ってきた。
 この本は全国民必読の書でありながら、テレビなどにしきりに出演するユダ金の御用学者どもの本に埋没してしまうのではないか。それが残念でならぬゆえ、いささか過剰な分量を承知のうえで引用してきた。
 さらに詳しくは、ぜひに購入して読んでいただきたい。





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2011年06月17日

鬼塚英昭氏の説く原発マフィアとは(4)


《5》官許歴史が見逃していること

 では日本ではどうだろうか。
      *         *         *
 
 三菱財閥は戦争中、秘かにロックフェラーのスタンダード石油から石油を買っていた。ロスチャイルドの指令によった。だから、ウランは三菱系の三菱商事が、ロスチャイルドのウランを買い入れて東電や関電に流すのは理屈に合っている。世界最大手の化学会社デュポンも戦前から日本に子会社を多数持っていた。だから、ウランを日本に売り込むのは容易だった、昭和天皇はこのことを知りぬいて戦争を仕掛けたのである。


      *         *         *
 よく三菱はロックフェラー系、三井はロスチャイルド系などとも言われるが、大本を辿ればどうでもいい話なのかもしれない。あくまでロスチャイルドが日本においても、巨大財閥を「分けて」統括しているだけのことではないか。なぜなら、ロスチャイルドとロックフェラーが覇を競っているわけではないとすれば、だからだ。

 大東亜戦争中、日本は秘かにソ連からも石油は買っていたという話は聞いたことがある。新潟港にソ連からのタンカーが機雷を避けながら入港していたとか…。
 だから日本は石油がなくなってじり貧になるから昭和16年12月8日に米英蘭に宣戦布告したんだという説明は、真っ赤なウソであろう。
 
 それにアメリカと戦争しながら、裏で石油を買っていたのだから、そのカネはどこから工面したんだ? となるではないか。これを追及した歴史学者や評論家はほとんどいない。「官許歴史」にはそんな「裏事情」はなかったことにされている。

 石油や鉄鋼を日本が裏で買えたのは、一説によれば支那で極秘に栽培していたアヘンの売り上げであり、または略奪であったのではないか。高橋五郎氏は『天皇の金塊」などの著書でそれを追及しているのだと思う。

 考えても見られたい。戦前、日本の産業の力はたいしたことはなく、絹織物やブリキの玩具くらいしかアメリカに輸出するものがなかった。「からゆきさん」とか「移民」とかで食いつなぐしかないほどの貧乏国だった。それが列強に伍して軍事帝国となり、満州を支配し、米英と戦うなんてことが、資金面で考えれば不可能であったことは明らかではないか。

 ドイツだって、第一次世界大戦で敗戦国にない、貧乏のどん底に落とされ経済も破綻していたというのに、あっという間にヒトラーが出現して世界最強の軍事大国になったなんて…。そのカネはどこで稼いだ? と追及しない歴史学者っていったい…。日本もドイツも石油は出ない国だというのに。

 日本の大東亜戦争では、三菱商事がアメリカから極秘に石油を買って日本軍に卸し、三菱重工が軍艦や飛行機をせっせとつくっては日本軍に引き渡してから、アメリカに叩き壊してもらっていたのだ。戦艦大和も零戦も、三菱が受注していたのだが、要するに莫大な鉄や石油を消費してもらうためだったのではないか?

 多国籍企業はなにも戦後の事象ではなく、戦前からあった。官許歴史では触れられないだけだ。鬼塚氏はちゃんと「 世界最大手の化学会社デュポンも戦前から日本に子会社を多数持っていた」としたためている。
 そういう巨大企業とか大財閥が損をするような戦争をするはずがないではないか。

 三菱にとっては戦争遂行はウハウハであり、当然それを裏で指示していたロスチャイルドやロックフェラーも上前を跳ねるか、アメリカなどの巨大産業を通して利を貪ったのである。
 「官許歴史」では石油や鉄などの資源や、消費地の争奪戦で国家間の戦争が起きることになっているが、そうではない。石油や鉄を大量消費するために戦争は起こされる。消費地(または植民地)の争奪など、ロスチャイルドにとっては関係ない。ロスチャイルドにとっては戦争を起こして所有する土地を広げさせすればよい。そこでウランやレアメタルの採掘権とか、アヘンの栽培とかを広げることが狙いになるだろう。

        *          *          *
 日本人は戦後、独立国家となったと思い込んでいるが、真実は、アメリカに巣食う国際金融マフィアの思いどおりに日本は動かされてきた。世界の原発マフィアの意向に添って日本の原発マフィアが、この狭く、地震の多い国に五十五基もの原発を造ってきた(1基は廃炉作業中)。そして、2030年までに十四基増やし、原発による電力への依存率を5割まで上げるという政府の方針が確定している。

 日本人は貧しさから脱却していくにつれて、都合の悪い情報から逃避するようになった。原子力の安全神話に疑いの念をもたなくなった。そして今日、福島第一原発の事故を迎えた。

       *          *          *

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2011年06月16日

鬼塚英昭氏の説く原発マフィア(3)


《4》国際金融資本が原発マフィア
 今回紹介している鬼塚英昭氏の新著『黒い絆 ロスチャイルドと原発マフィア』(成甲書房)を読んだ方からメールを頂戴した。

 「暗澹たる気持ちになり眠れなくなってしまいました。
 鬼塚氏はどこからの資金も縛りも受けていないでしょうから真実に迫っていると感じます。
 今いちばん信頼できる書き手だと思います。」

 私も正直言って、この方の感想と同じで、もうこの本の読後は暗澹たる思いでいる。鬼塚氏が目下、一番信頼できる評論家であると思うのも同感だ。
 「暗澹たる…」は、魯迅のことを取り上げたときに述べたように、これは「夢から覚めて行くべき道がない」からである。
 ロスチャイルドと原発マフィアの力は強大である。

 鬼塚氏はこの本で、国際金融マフィアが同時に原発マフィアであり、石油マフィアなのだと縷々述べているのである。
 大きく言えば、国際金融マフィアは原発やウランで儲けようとすると「二酸化炭素で地球が温暖化する」という嘘を広めて「脱石油」を言い、原発が危険だというマスゴミを通じて騒ぐときはやはり石油でなければダメだと世界中に思わせて、交互にそういう言説を流布させたり状況をつくったりしている。

 これは以前にもブログで書いたことがあった(「石油も金も強奪品(3/3)

http://blog.goo.ne.jp/hienkouhou/e/67e0dc51bfb5a82871b3f7a126cdc332)が、鬼塚氏は本書でも世界を支配するものはロスチャイルドだとはっきり書いている。

 「デービッド・ロックフェラーが世界皇帝だと喧伝する学者やインターネットマニアがいるが、私には彼らはロスチャイルドの回し者のように思えてならない。私は、ルイス・L・シュトラウスがロスチャイルドの代理としてロックフェラー一族の全財産を完全にチャックしている事実を第一章で書いた。ロックフェラー財閥は、ロスチャイルドがアメリカの政治・経済を支配しているのを隠すために、回し者を製造販売している、とても喰えないシロモノなのである」
 と。

 「デービッド・ロックフェラーが世界皇帝だと喧伝する学者やインターネットマニア」とは、おそらく副島隆彦氏と学問道場の学究たちのことだろう。
 副島氏の書くものを読んでいると、どうもロスチャイルドのほうに贔屓目というのか、あまりロスチャイルドを悪く書かないのが引っかかる。また「日本は世界規範に従え」などと言い、欧米が南京大虐殺があったというんだから言われるとおりにしろなどと言うのを読むと、唖然とする。

 鬼塚氏は本書で、ヴィクター・ロスチャイルド(1910〜1990年 ロード(卿)・ロスチャイルドとも)こそが、原子爆弾と原子力発電所を創造したした男だと述べている。公刊された資料で見事に立証している。
 しかし、この男は欧米でも日本でも、その姿を見せたことがないそうで謎に包まれ、「闇の中にほぼ完全に隠れている」。 

 ヴィクター・ロスチャイルドは第一次世界大戦もそうだが、第二次世界大戦を仕掛けた男でもある。
 鬼塚氏はこう断言している。「 戦争とは、お互いの兄弟会社が利益を上げるように、敵対国として、また、敵対国のために戦うことである。」と。


 なんのことか? と疑う人も多かろうが、われわれが教科書や新聞、多くの「普通の書籍」などから教えられた戦争は、まったく表向きのことでしかない。
 すべてはロスチャイルドの陰謀であると思ってよい。そのことを鬼塚氏は正しく伝えている。

 まず欧州の例、次に日本の例を挙げよう。本書の中で語られている話である。
 第二次世界大戦でイギリスとドイツは戦っていた。しかし、その戦争を裏で操っていたのはロスチャイルドである。原爆の製造をロスチャイルドは狙っていた。彼はイギリスの大化学企業インペリアル・ケミカルズと、ドイツの同じくIG(イーゲー)ファルベンを持っており、2社はカルテルを結んでいた。

 オーナーとしては、両社に莫大な利益を上げようと仕掛けるのは当然のことである。

 原爆の情報はイギリスとドイツが共有していた。両社は将来の原爆と原発製造という巨大産業の実現に向けて着々を手をうっていた。しかし原爆・原発を開発するには莫大な投資が必要だったから、ロスチャイルドは英国とドイツで原爆を製造することを止め、アメリカに製造させることにしただけであった。だからアメリカも第二次世界大戦に引きずりこまれたのだろう。

 「戦争とは何か? ヴィクター・ロスチャイルドにとっては、ユダヤ王国を創る一つの手段にすぎない」と鬼塚氏は言う。
      *         *         *

 ドイツのIGファルベンとイギリスのインペリアル・ケミカルズが金属カルテルを結んでいることは書いた。この両社はロスチャイルド家、すなわち、ロード・ロスチャイルドであるヴィクター・ロスチャイルドが支配していた。特に、IGファルベンは、化学産業においても、鉄鋼の生産においてもドイツ最大であった。1939年には、その生産量(化学・鉄鋼の面においては)劇的に増加した。ドルがアメリカから大量に流れたからである。

 このIGファルベンが製造したチクロ・ガスがヒトラーの手に渡り、ユダヤ人絶滅(?)のために使用された。ヴィクター・ロスチャイルドの指示どおりであった。読者はユダヤ人がユダヤ人を殺すのかと思われるかもしれないが、これがユダヤ人の方策である。犠牲者をつくり、それを利用するというわけである。


      *         *         *
 ロスチャイルド家がイギリスもドイツも、アメリカも支配し、そこの巨大産業(企業)のオーナーであったことは、隠れもない事実であって、「陰謀論」でもなんでもない。
 ヒトラーもチャーチルも、みんなロスチャイルドの子分として、敵対しているかに芝居を打ちながら、ボスの指示通りに政治をやり、産業を優遇し、大衆を洗脳し、戦争を遂行しただけである。
 
 だからユダ金・ロスチャイルドにとっては、ヒトラーは最大の功労者であったと言えるかもしれない。歴史では、ベルリン崩壊と同時に官邸で自殺したことになっているが、脱出してアルゼンチンに逃げ、天寿を全うしたという噂もあるが、あながち嘘と決められない話であろう。

posted by 心に青雲 at 05:57| 評論 | 更新情報をチェックする
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