2011年06月28日

国民の声援なくして…


 先週金曜日のブログで、M参段(剣道は七段)のPKO部隊への機長挨拶の話を紹介した。
 M元機長は、「こんなに皆さんに知られては大恐縮で、でも共感いただいてとてもうれしいです」とメールしてきた。

 そして当時の心境を次のような例でしたためてきた。
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 桜井忠温の小説に日露戦争出征の折、行進する兵士達に幼児達が日ノ丸の小旗をうちふり、老婆の「御大師さまがついとりまっせー!、ナンマンダブ、ナンマンダブ」と数珠とり拝む姿に、感激と共に固く一死奉公を誓った兵士達。
 
 はたまた大東亜戦争に負け、尾羽打ち枯らし、着の身着のままのひげ面の復員兵達を満載した列車に向かって、出征にさいして列車の沿線で日ノ丸とともに、歓呼の声で送ったごとく、また沿線で迎えた地元婦人会、そのいたいけな子供たちの「兵隊さん、ありがとう!」の大合唱の声に、車内で手を振りながら、号泣した帝国軍人達……。
 
 国民の声援なくして、どうして命をかけられましょうや、任務とは言え、国に殉じる覚悟の人々に対する、当然の仁義であり、今昔変わらぬ兵の遇し方と思い機内より御挨拶いたしました。誠に有難いことでありました。


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 motchany2k様から「本稿を読んでいてジーンときました」とコメントをいただいた。「M機長の"誇り"を感じました。江戸・明治時代にあった日本人の誇りです。それはまた、他人を思い遣る心でもあり、集団・社会の役に立つために自分はどう行動すべきかという日頃からの心構えでもあります。」と。

 私もM機長から、PKO部隊への機内挨拶の話やミッドウェー上空旋回事件のことを以前に何度か聞いていたけれど、そのつどジーンときて戦時歌謡の文句じゃないけれど「何度聞いても眼がうるむ」になった。
 これはもうmotchany2k様のおっしゃるとおりである。

 もう一つ付け加えれば、人への感謝が古きよき日本には横溢していたのである。戦時中は「兵隊さんよありがとう」という童謡があった。
http://www.youtube.com/watch?v=zltnbr0WYno
 軍国主義を鼓吹する歌じゃないかと嘲笑するのは簡単かもしれないが、それはそれとして子どもに歌を通して「感謝」を教えるあり方は見直して良いことである。

 中国の革命家・秋瑾女史が、出征兵士を送る日の丸の小旗の列を見て、日本人はなんとすばらしい国民なのかと羨んだ話が残っている。
 老人も子どもも一つになって、出征する兵隊に日の丸の小旗を振って「がんばってきてください」とか「銃後の守りは任せてください」などと言って送りだすことなど、昔の中国ではあり得ないことだったのだろう。

 互いの感謝による一体感である。こういうことが、誰に強制されたわけでもなく出来るのが日本人の優れた気質である。M機長が「日本人として当然のことをしたまで」というのも、こうした互いの感謝による一体感があればこそ、であろう。

 お気づきであろうが…、私は中傷、悪口のコメントは読まずに捨てるけれど、ちゃんとしたコメントには必ず「コメントありがとうございます」と返事をしたためている。
 相手が私のブログを読んでくださって、感想まで書いて投稿しているのだから、感謝するのが当然である。

 ところが私のところへはともかく、天寿堂ホームページの掲示板に一時期群がって悪口のオンパレードをくりひろげた連中は、天寿堂管理人さんが言葉を尽くして説いているのに、一言の感謝もなかったのには、あきれかえったのである。
 天寿堂という人様のHPに質問を投稿して、意に染まぬとしても丁寧な回答をしてもらったのだから、まずは「ご回答ありがとう」と言ってから、反論をすべきであろうに…。
 
 
 私の道場生にも天下の一流大学を出た秀才がいる。彼らにいつも注意しているのは、こうだ。

 諸君らが大学も勤務先も一流に入れたのは、成績が優秀だったからで、それは結構なことであるが、世の中はそれで終わりではない。むしろ社会人になってからの日々人に見られるという〈テスト〉期間のほうが人生では長い。
 ちゃんと挨拶ができるかとか、連絡報告がちゃんと出来るかとか、言葉遣いが出来ているかとか、人に感謝して尽くせるかとか、日本人の情を理解できているかとか、学業成績以外のことを厳しく人から評価されるのである。

 会社の上司や同僚、恋人や配偶者、子どもたちからも厳しい目を向けられる。その日々の〈テスト〉に合格していかないと、会社で疎まれたり、恋人に捨てられたり、子どもが寄り付かなくなったり、奥さんから粗大ゴミ扱いされかねない。


posted by 心に青雲 at 07:04| Comment(4) | 評論 | 更新情報をチェックする

2011年06月27日

お知らせ


「旧・心に青雲」は7月末をもって終了、閉鎖いたします。

 また「新・心に青雲」も、しばらくは更新があまり出来ないと思います。
 骨折中の身で母の介護をしてきましたが、先週土曜日に、母の体を支えようとして失敗し、せっかく治りかけた骨の部分を再び折ってしまいました。
 また当分ギプスの生活です。









posted by 心に青雲 at 07:06| Comment(4) | 評論 | 更新情報をチェックする

2011年06月24日

日本人として当然のこと

 週刊新潮6月9日号に高山正之さんがコラム「変見自在」で、帰国PKO部隊への機長アナウンスの話を紹介している。その機長は、本ブログでたびたび登場してもらっているM参段である。

 まずは高山氏の「変見自在」を引用させていただこう。http://blog-help.seesaa.net/article/116111572.html
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『ぼろは着てても』


 一昔前になる。熊本県水俣市で鉄砲水が出て19人が死んだ。
 それを伝える共同通信の記事は「もっと捜して」の見出しで「(身内がその辺に埋まっている。自衛隊員に)もっと捜してと言っているのに」と視察に来た県知事に訴えている被災者の言葉を取り上げている。

 記事に添えられた写真は横隊で泥沼の中を遺体捜索に当たる自衛隊員を手前から中年の女性二人が手持無沙汰にしゃがんで見つめている図柄だ。
何とも違和感を感じる。

身内が埋もれているなら自分たちで探すのが家族というものだ。少なくとも日本人はそうしてきた。

 そこに災害派遣の自衛隊員が来てくれた。語る言葉はまず「有難う」だろう。そしていっしょに泥沼を懸命に探す。

 しかし共同の記事は違う。被災者はご主人様で、泥まみれで仕事をするのが自衛隊員。それが写真の構図。その主人様がここを掘れと言っているのに言うことを聞かない。『奴隷のくせに許せないと不平を洩らす被災民』としか読めない。

 朝日新聞と共に共同が常々張ってきた自衛隊蔑視キャンペーンはこうした一般記事にも盛られ、ある種サブリミナル効果として人々の心に浸透させていったように思える。


 それが端的に出たのが今回の3・11大震災だ。


 新聞には毎日、震災死者数と行方不明者の数が載る。死者数は増え、その分行方不明者の数が減るのは遺体が新たに発見されるからだ。
だれが発見するのか。被災者の身内ではない。彼等は「外は臭くて」(朝日新聞)とか言って日がな一日避難所に籠もったままだ。

 ここも水俣市と同じ。泥沼を、そして逆巻く波の打ち寄せる海岸を捜索しているのは自衛隊員で、彼等は2カ月以上休暇なしの連続勤務に耐え、風呂も被災民に譲って汚れた体のまま雑魚寝を続ける。共同の主張は被災者に根付いていた。


 自衛隊蔑視論は官僚世界にも根を張っていた。
90年代半ば、ルワンダ内戦で難民が出ると外務省はその救済に自衛隊員派遣を言い立てた。
 難民キャンプにも武装ゲリラが出没する。エイズは流行る。危険千万で、内戦に責任のある西欧諸国も尻込みしていた。

 で、米国が安保理常任理事国入りを餌に日本に派遣を要請してきた。

 外務省は喜び、派遣部隊に被害が出ればより外交効果があると読んで、装備は小銃のほか機関銃一丁とほとんど丸腰で放り出した。
 自衛隊はそんな悪条件下でも任期を無事務め上げたうえ、武装ゲリラに襲われたNGOの日本人医師の救出もやってのけた。

 外務省には期待外れだった。お前らは死ねばいいのに、なに勝手をやるのか。共同も朝日新聞も自国民救出など自衛隊の越権行為だと非難した。
 期待に背いたことへの報復は陰険だった。任務終了後、帰国には民間機を利用し、その際は制服の着用は仰々しいので認めない。

 各自私服で帰れと。
 お前らは目立つことはないという意味だ。
 誰しもましな着替えなど持っていない。


 年の押し詰まった12月27日、ロンドンから日航機に搭乗したとき周囲の乗客はひどい身なりの集団にちょっと驚いた。
 それが異郷の地で頑張り抜いた自衛隊員と知るのは機が公海上に出てからの機長アナウンスでだった。

 「このたびは任務を終え帰国される自衛隊員の皆さま、お国のために誠に有難うございました。国民になり代わり機長より厚く御礼申し上げます。当機は一路日本に向かっております。皆さま故国でよいお年を迎えられますよう」


 異形の集団を包むように客席から拍手が沸き、その輪がやがて機内一杯に広がって行った。

 機長は乗客リストを見て自衛隊員の帰国を知り「日本人として当然のことをしただけ」と語る。

 成田に着いたあと65人の隊員はコックピットの見える通路に整列し機長に向かって敬礼した。
 被災地はともかく日本人はまだまだ一杯いる。

      *          *          *

 高山さんはここに書いていないが、このとき、M参段は自腹を切って、機内にあるアルコールを全部彼らに振る舞うよう、キャビンアテンダントに依頼している。なかなかできることではない。
 これぞキャプテン! ではないか。
 これくらい航空会社がPKO 部隊に振る舞ってもバチはあたるまいに、機長の財布から出させたのだ。

 M機長にはほかにもまだ現役時代に幾多のエピソードがある。そのなかからもう一つ紹介しよう。
 それは彼がハワイから成田へ帰ってくるフライトでのことだった。

 乗客名簿を見たM機長は、そのときの乗客が佐賀県からハワイに来た観光団であり、年配の人が多い事に気づいた。そこでM機長はハワイからの帰路、いくらか寄り道をしてミッドウェー島上空を飛ぶことにしたのである。
 これは会社の命令違反ではないものの、航路を変更することになるので、燃料やフライト計画の提出などが課されるなか、うまく調整して飛ぶ事になった。

 むろんそんなことは乗客には知らせていない。そしてミッドウェー島上空に到着したときに、M機長は機内にアナウンスをした。
 「みなさま、眼下に見えてきた島はミッドウェー島です。みなさまのご家族の方たちがここで戦って亡くなられました」というような内容だったという。

 にわかに機内の乗客たちは立ち上がって窓の外を食い入るように見つめはじめたそうだ。乗客たちは涙を滂沱とこぼし、キャビンアテンダントに話をつけてコクピットに入れてくれるように頼んだ。当時はまだコクピットに許可があれば入れた時代であった。
 乗客たちはつぎつぎに涙を流しながら、M機長のところへやってきては「ありがとうございます」と腰を深々と折っていった。

 なぜか。
 佐賀・長崎あたりには、「海兵団」があった。佐世保海兵団、相浦海兵団、針尾海兵団があった。
 海兵団とは、「帝国海軍において、軍港の警備防衛、下士官、新兵の補欠員の艦船部隊への補充、また海兵団教育と称するその教育訓練のために練習部を設け、海軍四等兵たる新兵、海軍特修兵たるべき下士官などに教育を施すために、鎮守府に設置されていた陸上部隊である」(wikipedia)。

 ミッドウェー海戦が有名だけれど、本来的には帝国海軍はあの島を占領する予定で出撃したのである。だから米軍の機動部隊を一蹴して、陸上部隊をミッドウェー島に上陸させる作戦計画であった。だから海兵団で鍛えた陸兵を積んで赴いていたのである。
 それもご存知のように、みんな沈められた。

 したがって、M機長は佐賀県からの年配の観光客なら、ミッドウェー海戦で亡くなられた海兵団の若者の遺族がいるはずだと踏んだのである。それが見事に当たった。
 ミッドウェー海戦で親族を亡くした乗客=観光客は、その戦場を眼下に眺めて食い入るようにし、手を合わせたことであったろう。

 このとき、M機長はまったく予定になかった360度の旋回をやってのけている。旅客機が島の上空を旋回するなど前代未聞なのだが、乗客たちに島とその海域をゆっくり見せるためにそうしたのだ。

 こういう機長の行為が、乗務員には静かに伝わる。だからM参段(機長)が定年退職するラストフライトのときには、OBから現役までたくさんのパイロットがセレモニーに出席して大変な盛り上がりになったと聞く。
posted by 心に青雲 at 05:53| Comment(6) | 評論 | 更新情報をチェックする

2011年06月23日

体外受精をされた女性へ


 くるみ様という方から「旧・心に青雲」のほうにコメントがあった。
 旧ブログのほうはもうご返事をしない方針だったが、事がことだけに返事をしないわけにはいかなくなった。
 「野田聖子の出産には呆れはてた」(2011/1/20)を本文からコメントまで全部を読んでくださったそうだ。

 「ブログ主さんや他の方々の言葉で初めは傷つきました。私も子供が欲しくて高齢で体外受精をしましたから、どうしてそれがそんなにいけないことなんだろうと傷つきました。それに私は自然分娩でしたがどうして帝王切開に問題があるのかとかその他みなさんとのやりとりの小さな一言一言で嫌な気分にもなりました。
 ところが貴サイトを全て読み終わって、嫌悪感は全くありません。逆に色々な考えの人がいるのだとあらためて知り、色々な事を考え直す良い機会になりました。サイトを途中で読むのをやめなくてよかったです。」

 と、こうおっしゃっている。
 ブログの論点は分かった、と。よくあるただのバッシングかと思って読んだが、そうではなかったと気づいたとおっしゃってくださったのは、嬉しいことだ。
 ちゃんとこういうふうに真面目な読解力があれば、私が悪意で書いているのではないことがわかってくれるのだ。


 この「くるみ」様は41歳で体外受精により子供を授かり、子は1歳になったとのこと。現在元気に過ごしているそうだ。
 現実として我が子が抱けるようになったことを喜んでおられる。あらためて我が子を授かったことを奇跡と思いを、大切にしていかなければいけないと思えたとも。
 こう書いてくださると、私とて救われる思いがする。お子様の健全な成長を願わずにはいられない。

 子どもの健全な成長を願うからこそ、人工授精の危険性や、産婦人科医の無責任、両親の不摂生の問題を取り上げたのに、親の気持を傷つけるのかと罵倒されるのは、私としては辛いのである。

 「不妊治療の期間は1年足らずでしたが、精神的にも肉体的にも経済的にも想像以上に辛い日々でした。でも私達夫婦は幸いにも不妊の原因が分かり、私の卵管に問題があり、妊娠を望むには体外受精しかないと初めに言われました。自分を責めました。(ブログ主さんの指摘どおり、私には思いあたる自分の若き日の不摂生がたくさんありましたから後悔し落ち込みました。)
 体外受精とはいえ、受精卵を着床させることは現在の医療技術でもできず、着床して妊娠に至るには結局最後は自然なことなんだと治療を受けてあらためて知りました。」

 こういう話は聞くだに辛い。「私には思いあたる自分の若き日の不摂生がたくさんありましたから後悔し落ち込んだ」と言われると、私は人を傷つけるために書いたのではないのに、本当に申し訳ないという気持でやりきれなくなっているのである。
 それが嫌なら書かなければいいじゃないかと言われそうだ。確かに…。

 けれど、では現在の医者どもの不埒な行為を見て見ぬふりをして、もしかしたら起きるかもしれない悲劇を食い止めることはできないのかと思うではないか…。私ごときが無力なのは分かり切っていることではあるが、一人でも二人でも、人工授精や帝王切開の危険性に気づいてくれたらと思うから、書いたのである。
 別に野田聖子女史の悪口を書こうとしたのではないし、帝王切開になった人をバカにするのでもない。

 聞けば、横浜市では妊婦は全員、どこの病院でも臨月が近づいたら出産の予約をさせられるそうである。自然分娩はさせてもらえない。「では○月○日に、予定してください」と医者と話がついたら、その日に、決められた時刻に、帝王切開で「産ませられる=腹から取り出される」のである。
 妊婦と子どもの都合は無視。病院の都合、医者と看護婦の都合で決めてしまう。
 こんな恐ろしいことがまかり通っている。

 これから子どもを産む人は、横浜市の病院からは逃げたほうがいい。
 なぜ帝王切開が危険かは、「旧・心に青雲」で何度か説いたことはある。
 帝王切開ばかりではない、女性が髪の毛を染める危険性も何度も書いたが、それを読んでも改めようとしない女性にはもう言う気も失せた。子どもの幸せより、自分の現在の見た目(それも主観的な)のほうが大事とは…。
 
 「くるみ」様は、
>どうしてそれがそんなにいけないことなんだろうと傷つきました。<
 とおっしゃったが、どうしていけないかをわかっていただけないのは、私には辛いことである。
 コメントへ返事でも書いたことだが、女性はどうしても自分個人の問題でしか捉えない。嫌なことを言われて「自分が傷ついた」というふうになる。
 私は日本の女性全員の幸せ、という視点でものを申しているのに、それを受け取ってくださる方はごく少ない。

 「くるみ」様は、私のその「ぼやき」に対して、「おっしゃる通り、女性は自分個人の問題にしてしまいますね。ましてや自分の子供が関わってくるとまずは感情がでてしまいます。そこはどうぞお許しください。」と書いてこられた。

 どうぞお許しを、とおっしゃるが、困ったことだ。許すも許さないも、それは子どもがいずれ判断することである。あのとき、おかあさんが茶髪になんかしていなければ、とか、真冬にミニスカートでうろうろしていなかったら…とか将来子どもに言われかねないというだけのことだ。でもまあ、子どもが気づかないようにトボケ通すしかない。「だってママはしらなかったのよ」と、涙を流してみせるか。「ママは聖人君子にはなれないわよ」と開き直るのか。

 いずれにせよ、ものごとは大局的に、全体を大づかみに捉えることが大事なのに、女性はどうも自分の感情を優先させてしまう。これからの21世紀はそんな女性は置いていかれるだろう。

 人工授精とは何か、帝王切開とは何かを、小さくみつもっても生命体とはいかなるものかから説かねばならないし、そうでなければ正解は見出せないのである。
 自分の心を傷つけないでくれなんて……。私はそんな個人の悪口を書いているのではない。人類にとって出産とはいかなるものかを踏まえなくてはどうにもなるまいと言うだけのことだ。






posted by 心に青雲 at 07:05| Comment(0) | 評論 | 更新情報をチェックする

2011年06月22日

首相海外出張の本当の理由


 以前、知り合いの新聞記者だった人から、こんな話を聞いた。

 日本の首相がサミットに出席するためとか、海外の要人と会談するためとかで、政府専用機に乗って出かける。
 と、誰もが信じているけれど、本当の理由、海外出張のわけは外国首脳と会談することをダシにして、新聞やテレビの記者を接待するためなのだ、と。
 
 貸し切りの政府専用機で、快適に連れていってくれて、機内では美人自衛官のCAが面倒をみてくれる。現地でも豪華ホテルにお泊まりで、とりたてて取材に飛び回ることもなく遊んでいられる。

 海外旅行をあまりしない総理大臣は、新聞記者らから評判がよろしくなくなり、悪口をかかれるようになるのだそうだ。
 だから歴代首相は、税金でせっせとマスゴミ記者を接待にこれ努め、ヨイショ記事を書いてもらおうとするのだ。
 海外出張が少なかった首相って誰ですか? と尋ねたが、「いや、まあ、それは…」と逃げられてしまった。

 今の菅直人が、あれだけ死に体になってもなおマスゴミが支えて、悪口をかかないのは、アメリカCIAから指図されているということがあるのだろうが、案外、菅直人が記者どもを欧米への快適な旅をご招待しているせいもあるのかと思うと、ホントに情けない話である。
 役得とばかりに税金を平然と食い物にするあたり、役人と同類なのだ。

 また同じ阿修羅掲示板に「週刊ポスト」の記事( 菅内閣になってマスコミ幹部への機密費接待増えたとの証言)が紹介されている。
 

 「総理補佐官の一人は、記者とのオフレコ懇談で、こんな軽口を叩いている。
 『首相動静で、総理がオレや秘書官と食事や会合をしたと発表されたら疑ったほうがいいよ。たいていはマスコミ関係者と会っているんだが、相手の都合で表に出さないだけだから』
 その会合には連日、高級料亭や寿司屋、高級焼き肉店が使われ、恐らくは官房機密費で支払われる。菅内閣はできるだけ延命して機密費を持ち逃げしようと企んでいた疑いがある。枝野氏は、自民党時代よりハイペースな機密費使用について「震災復興に役立てている」というが、そんな用途なら公表すればいいし、一体どんな「機密工作」が必要だったというのか。」



 こういう性根の腐った輩が偉そうに、正義の使者みたいな顔をしてご高説を開陳している。

 話はちがうが、首相といえば、「旧・心に青雲」の6月6日付け記事「菅は逃げきれるのか?」のなかで、評論家の日下公人氏の話を紹介した。再録する。
        *         *           *

 日本は戦後、他国に謝り続け、感謝し続けた。大局観はなくとも、平身低頭しながら高度経済成長を果たし、世界第2位の経済大国に躍り出た。これは、日本という国はのらりくらりとしているようで、実は「日本型抵抗」という切り札を持っているからだ。

 たとえば、安倍首相が突然の退陣をした時、国内のマスコミはその背景の説明はせず「首相が病院で誰それの面会を受けた」などと中身のない報道ばかりしていた。だが、岸信介首相以降、日本の首相が突然替わるのはアメリカの力が背後で動いたときなのだ。何らかの強い要求があり、その無理難題に応えられなくなった時、日本の首相は退陣する。

 これを「アメリカの陰謀だ」と見る向きもあるが、陰謀でもなんでもない。安倍首相の辞任劇に見る日本のリーダーの行動パターンは「日本型抵抗」という観点で読み解くことができる。

 日本は相手国との交渉ではお互い納得できる着地点を見つけようとする。それを考えずゴリ押しで物事を進めようとする者とは話す気にならないと考えるのが日本である。だから要求を聞き入れずに問題を首相の座とともに次の人に「どうぞ」と投げ渡す。アメリカと正面から衝突することは避けながらも、暗に要求を拒否する無言の抵抗をする。結局アメリカは目的を達成できないのだが、これが「日本型抵抗」だ。
  (日下公人著『いまこそ、日本、繁栄の好機!」WAC)
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 こういうことを書いたら、阿修羅掲示板に「福田首相は自らの首と米側要請拒否を引き換えにしたのだ」という記事をみつけた。
http://www.asyura2.com/11/senkyo115/msg/332.html
 孫崎享氏(まごさき うける 元防衛大学校教授)のツイッターからだという。

 洞爺湖サミット時にブッシュ大統領が福田首相に陸上自衛隊のアフガニスタン派遣を要請したが、福田首相がこれを断ったため相当の緊張が生じたそうだ。その後も米側圧力があり、福田首相は自分の首と米側要請拒否を引き換えにしたのだ。ウィキリークスがそのように報じている、と。

 福田首相は「国民生活のために新しい布陣で政策実現を期してもらいたい」と述べ辞任したが、なんで唐突に辞任したのか国民はわけがわからず、「無責任な投げ出し」と非難した。だが、ウィキリークスの報道によれば、福田首相が自分の首と自衛隊の派遣と巨額の資金提供を引き換えにしたのだ、という。

 これが本当のことならば、日下公人氏の言うとおり、日本の首相は「 アメリカと正面から衝突することは避けながらも、暗に要求を拒否する無言の抵抗をする。結局アメリカは目的を達成できないのだが、これが日本型抵抗」なのだ。
posted by 心に青雲 at 05:46| Comment(1) | 評論 | 更新情報をチェックする
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