2011年07月10日

動物実験の闇再び(上)


《1》
 稲恭宏氏の研究について「旧・心に青雲」で何度か感想を述べてきた。稲氏は、福島の原発事故での放射線汚染について、人体には好影響はあっても害は全くないという所感をYouTubeの動画サイトで発表していたのだった。

 くり返しになるが、 素人ながら 私の立場は、放射線障害には出現閾値はないのであって、微量被曝でも確率的に障害が出現するとされてきた従来の見解は、間違いであろうということだった。一つはすべての物事に共通する一般性たる「量質転化」の法則に反するからであり、また被曝動物・人間そして細胞側の条件によって閾値も異なってくるはずだからである。今もこの点を正しく指摘した科学者はあまりいないように思う。

 この数値なら大丈夫だとか、いやその数値なら危険だと言い合うばかりで、素人一般大衆は困惑するばかりであろう。

 簡単に説けば、同じ10ミリシーベルトの放射線を人が浴びても、その人が健康体ならかえって細胞を活性化して元気にするが、逆に体調が悪い人にとっては害になって場合によっては癌などを発症する可能性もある、ということだ。

 だからAという科学者が健康なサンプルの人間を観察していれば、10ミリシーベルトは安全だし、かえって健康を増進すると結論を出すだろう。一方、もともと体調の優れない人間をサンプルに選んでしまった場合は、10ミリシーベルトはとんでもない危険な閾値だと結論を出すことになる。
 
 この弁証法をかじった人なら誰でも理解できるであろうこと(条件次第だということ)について、なかなか弁証法を学習しなかった研究者は思慮が及ばない。
 三浦つとむさんが説いた「条件次第」とは、別言すれば、対象を全体から眺めることでもある。全体から見ようとするからこそ、条件を考慮に入れることとなる。

 だから熱中症でも、テレビの天気予報なんかで、夏には毎日「こまめに水分を補給」することで熱中症が防げるとの医療界の見解ばかりが喧伝される仕儀となっている。事は水分だけではないのに、NHKまでがまるで清涼飲料会社の回し者みたいに水分をとれ、とれと連呼している。

 要は、稲恭宏氏もこの条件次第という弁証法性を踏まえた研究、実験をすべきだったのではなかろうか。その実験もしないでひたすらマウスだけを「痛めつけた」のではないか?

 マウスは何十年(何百?)も人間に飼われた動物で自然に近い動物ではなく、かといって人間のように認識が生理機能に影響してしまう生物でもない。飼われてきた動物ゆえに固体によっても変異が大きいのかと思うけれど、まあほぼ同じ生理構造を持っているとみなしていいのかもしれない。
 だとしても、たとえば人間のように、自堕落な生活をしているために細胞内が酸性に傾いているとか、夜更かして内臓の機能が落ちているとかの条件はマウスにはない。


 だから稲氏に限らず、マウスだけに頼った実験系を組む科学者はみな怪しげな結論を出してくる。それが「反原発」の科学者なら、放射能は微量でも人体に悪影響を及ぼす重大な因子足り得ると結論を出しかねないし、逆に電力会社の御用研究者なら原発推進に都合のいいデータ(放射能は心配無用とかの)を取り上げてしまいかねない。

 ある医師からメールで「私は細胞内環境が重要な要因であると思っているので、マウスをアシドーシスからアルカローシスにする。これは結構難しいのでインビトロの細胞実験になるかもしれない。細胞内pHと放射線量を様々に変えて容量設定の基礎実験をすればいいのにと思う」と稲氏のマウスを使った実験を批判していた。
 



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2011年07月08日

江沢民は、日本の“友人”だったのか?


  複数の中国消息筋は7日、中国の江沢民前国家主席(84)が危篤状態であることを明らかにした。一部には「すでに死去した」との情報も流れているが、中国の国営メディアは今のところ関連する情報を伝えていない。(毎日新聞 7月7日付)

 このニュースに接したときに、私は偶然ブログ「国際情報の分析と予測」の最新の記事で江沢民に関する「予測」を読んだばかりだった。
 「国際情報の分析と予測」氏は、今年が辛亥革命から百周年で、これを記念して、台湾の日本大使館である台北駐日経済文化代表処で開かれている特別展「孫文と日本の友人たち――革命を支援した梅屋庄吉たち」を観たことからペンを起こしながら、以下のような実に大胆な「予測」をしていた。
 引用する。

        *          *           *

 1970年代の日中国交回復以降の日本の対中援助も、日本が中国をコントロールするための手段であると考えられる。戦前の南京親日政権の協力者の息子であった江沢民は恐らく日本の協力者で、その出自を隠すために激しい反日言動を行ったのだと私は想像している。日本は上海・大連などかつて支配した地域に重点的に進出して影響力を拡大している。上海は事実上日本の経済的植民地である。

 外交経験に乏しい中国政府は、表向きは日本・米国と軍事的に対立しているが、実は裏では米国に敵対視されるという現状に怯え、日本政府に指示を仰ぎ続けているのではないかと私は妄想している。アジア大陸の大国が集合する上海協力機構は一見日本を仲間はずれにしているが、実際はこの上海協力機構は日本政府がコントロールしているのではないかと私は考えている。将来米国の世界覇権が崩壊すれば日本は公式に上海協力機構に加盟し、事実上その指導国家に就任することだろう。

http://blog.goo.ne.jp/princeofwales1941/e/2543fa6755c0bc3b446fd86a87541f32
        *          *           *

 いつもながらの大胆な指摘には感心する。とても面白い。将来、上海協力機構の上に日本が乗っかって指導的立場になるというのなら、痛快ではあるが…。
 けれど、「外交経験に乏しい中国政府」や「上海は事実上日本の経済的植民地」という見方はどうだろうか。
 中国のほうが外交は日本よりうまいのではないか。上海が日本の経済的植民地なのではなく、日本がいいように技術を吸い取られているのではないのか。


 とはいえ、私は「官許歴史」に異議を唱えてやや妄想に近いと避難されても、こういう思い切った指摘をするほうが良いと思う。
 「官許」歴史の呪縛からわれわれは離れて柔軟に社会の仕掛け(仕組み)が歴史を捉えるべきだと思うからである。






posted by 心に青雲 at 07:08| Comment(2) | 評論 | 更新情報をチェックする

2011年07月06日

松本龍復興相の傲慢不遜



 松本龍復興相が昨日午前中に辞任した。彼の一連の暴言には、国民みんなが憤慨しているのではなかろうか。辞任してというより罷免して当然なのに、菅首相は慰留したそうだから国民を愚弄している。

 松本復興相が3日に岩手と宮城に赴いて、暴言を吐いたことは、東北放送が最初にニュースとして流した。他社はビビっていたようだが、この東北放送の勇気ある報道で、ネット上で大問題となり、中央のメディアも追随して取り上げるようになったようだ。
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=VtUqWdbjnTk

【松本龍の宮城県知事への発言】
県でコンセンサス得ろよ。
そうしないと我々は何もしないぞ。
ちゃんとやれ。
今、後から、自分入ってきたけど、お客さんが来る時は、自分が入ってから、お客さん、呼べ。いいか。
長幼の序が分かってる自衛隊なら、そんなことやるぞ。分かった。
しっかりやれよ。
今の最後の言葉は、オフレコです。いいですか。皆さん。
書いたらもうその社は終わりだから 


▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽

 彼を最初にテレビの国会中継で見たときに、まるでどこかで人を殺してきたかのような目が異様に座って無表情なのに驚いたものだった。
 いったい何者? という素朴な疑問が湧いた。

 調べるともなくネットを探っていると、彼が松本治一郎氏の孫であることがわかってきた。そして今は部落解放同盟の副委員長だという。
 松本治一郎氏は、私の知るかぎり本物の被差別部落解放運動に尽くした人だと承知していた。松本治一郎氏にも後ろ暗い過去はあるようだが、一つだけ忘れられない思い出がある。私の高校時代の恩師は治一郎先生に逢ったことがあって、「人間を包み込むような温かさがある」と語っていた。だから君も松本治一郎のような人間になりなさいと言われたのだった。「鋭い」だけではいけないよ、と。

 その教えを肝に銘じていたつもりで、なかなか達成できないでいる。忸怩たる…である。

 その心中尊敬する治一郎先生の孫が、松本龍代議士なのか…。復興相として宮城県、岩手県を訪問して、権柄ずくの態度で知事に暴言を吐き、国会で問題化している。問題になって当たり前だ。かばって言い繕う菅・民主党のほうが醜態を見せている。

 松本龍復興相は、閣僚の資産公開では第一位。福岡の土建業松本組は、治一郎が創業したようだが、現在の社長は実弟で、龍自身も大株主らしい。部落解放運動主導しながら大変な資産家になった訳だ…。

 大臣として以前に人間として信じられない言動をする背景には、やはりちゃんと理由(?)があった。
 私のところへも福岡の人から、以下のようなメールが回って来た。

 「九州では、知事や自民党を含めた議員、九州電力はじめ財界人みんな松本龍には逆らえません。
 それはなぜか。理由が二つあり松本龍の弟、優三氏が経営する松本組の存在と彼のバックにある団体を恐れるからです。
 福岡の財界はJR九州が祝日に全駅に国旗を掲揚するなどかなり保守色が強いのですが、人権だけはダメでして… 。
 みんな部落解放同盟の糾弾という戦術を恐れるのです。 」

 阿修羅掲示板には、松本龍が防災相として全く機能していなかった、本人は最高のチームだと自慢しているが松本の機能不全が復興の停滞の大きな理由だったことは事実らしい、といった指摘が掲載されている。官邸政治記者もそういう発言をしていたとか。その「張本人」を復興相に横滑りさせた人事に周囲はあきれていたのだ。

 被災地の知事を自分を出迎えなかったからというだけで、高飛車なヤクザまがいの言い方で恫喝したのは、松本自身がやれ血液型がB型だからとか、九州男児だから言葉が荒かっただのという次元ではない。
 小泉家もそうだったが、松本はヤクザが大臣になったようなものだ。

 いずれにせよ、松本龍が大臣はおろか国会議員としてもレッドカードが突きつけられて当然なのだが、これは「こんな人間になってはいけない」という反面教師として見据えなければいけない。
 部落解放はいかにも正義ではあるが、それを度外れに絶対視して、その正義を世襲にまで持ち込めば狂いを生ぜしめるのである。

 宮城と岩手での暴言もひどかったが、松本の辞任会見もメチャクチャだった。
 「一番お世話になったのは妻と子ども。感謝を申し上げたい」なんてことは、身内のことであって、公の場で、しかも醜態をさらして責任をとらされての辞任の場で言うべきことではない。なんと非常識な。

 「粗にして野だが卑ではない松本龍、一兵卒として復興に努力していきたい」と言ったが、これもパクリであることは置くとしても、日本中の国民が「粗にして野」だけでなく、宮城、岩手両県知事に命令口調で高圧的な発言を連発したその心根を捉えて「卑でもある」と呆れて、辞任または罷免もやむなしとしたのだから、余計なことを言うべきではなかった。

 それにしても、大臣をクビになってなお、「一兵卒として」とは何事であろうか。国会議員は一兵卒では困る。日本の代表ないしリーダーであるべきが国権の最高機関たる国会なのだから。こんな勘違いをしている輩を福岡1区の有権者は選んでいるのか?

 大臣がなにやらしでかして辞任する場合や、辞任まで行かなくても批判を浴びたときに、きっと弁解する決まり文句がある。
 「皆さんを傷つけたということがあるとするなら、お詫びしたい」
 とか、
 「真意が必ずしも理解されていないが…」
 とか
 「言葉に足りないところがあったかもしれない」
 とか、
 「結果的に〜なら、遺憾である」

 こういう弁解の言葉が新聞紙上に踊る。自民党だろうが民主党だろうが誰だろうと大同小異。葬式の際の当たり障りない弔辞みたいなもので、誠意が感じられないが、その場さえ凌げればいいと思っての、こういう常套句になる。それをマスゴミも一斉に書いて「○○大臣、陳謝」などと紙面を埋めると、翌日にはもう忘れている。
 われわれ国民は、どこが陳謝か? と思いつつ、それっきりにさせられる。

 悪意やミスはないが、あんたらマスメディアや国民が気に食わんというからしょうがない、辞めてやる、と言わんばかり。よくもそこまで傲慢不遜になれるものだ。
 しかし、今回は東北放送が頭に来てニュースでバラしたので、松本の悪事が露見し、大手マスメディアも取り上げざるを得なくなった。これが彼の地元九州での暴言だったら、もみ消されていただろう。
 その意味で、オフレコをバラしたら許さないぞと恫喝した松本龍に怯むことなく、報道をした東北放送は快挙である。
 こういうマスコミが現れてくれれば日本も立ち直れるのだが…。




posted by 心に青雲 at 06:00| Comment(3) | 評論 | 更新情報をチェックする

2011年07月04日

海ゆかばの感動


 「海ゆかば」に関する一つのエピソードを読んで感動したことがある。
 それは東映が作った『男たちの大和』(2005年公開)の制作過程における出来事だ。
 実物大の模型(セット)を尾道市につくって、撮影後もしばらく展示されて話題になった。
 出演するエキストラは京都の町で募集したそうである。

      *          *          *
 若い男が山ほど来たのはいいが、茶髪でピアスをして、中には鼻輪までしているのがいる。
 その中から主役を1人選んだのだが、この男も、最初は茶髪だった。それが面接を3回、4回と繰り返していくうちに、きちっとした服に着替えてやってきた。「おまえ、急にきちんとしてきたな、どうしたんだ」と聞くと、「いやぁ、先生に聞いたんです、『男たちの大和』という脚本を読まされたが、あれは本当ですか」と。すると、先生は「いや本当だ、全部本当だ」と、答えたのでビックリしたというのである。それならと思って、服装を取り替えてきたというのである。

 そういう人はほかにもいて、そのうち爆弾や機銃掃射でばたばた死ぬ場面を撮る頃になると、エキストラがみなしっかりして、百人の若者が、びしびしと、まるで兵隊のように動くようになった。「自分と同じ歳の学生や少年たちがやったことだと思うと、あだやおろそかな演技はできません」といってやるようになった。

 その後、映画が出来上がって、京都映画村の大講堂にみなを集めて完成パーティをやった。東映会長の高岩淡氏が、みなの前であいさつしようと、壇上に立ち、二言三言いい始めたとたん、誰かが「海ゆかば」を歌いだした。すると講堂中が大合唱になって、会長は壇上で棒立ちになり、滂沱の涙を流した、という話を東映アニメ会長(当時)の迫氏が教えてくれた。

 「そうですか、茶髪のおにいさんでも、そうなるのですか。でも、そういうことは全然新聞に出ませんね」と、話はここまでである。後は自分で考えて下さい。
   (日下公人著『2010年〜 日本と世界はこうなる』(WAC刊)


       *          *          *
 日本の若者も捨てたものではない、ということである。
 
 「海ゆかば」の歌詞はご存知、大伴家持の「賀陸奥国出金詔書歌」の一部分であるが、作曲は信時潔氏である。名曲と呼ぶべきであるのに、戦後、軍歌としてGHQや音楽関係者らから排斥された。侵略に加担したとでも言いたいのか……、そのためあろうことか、信時の「海行かば」ばかりか歌曲「海道東征」すらもJASRACに著作権信託されていないというから、あきれた処置である。

 信時潔の作曲は、有名なところでは童謡「電車ごっこ」、慶応義塾塾歌などがあり、その他数多の高校、中学、小学校の校歌を作曲した。
 「海ゆかば」は、昭和13年、日支事変1年後のことだった。
 NHKがラジオ放送で首相や大臣などが重々しくしゃべる際に、その開始に先立って演奏する音楽が必要だとなって、信時潔に作曲が依頼されたのだという。

 これは作曲家の團伊球磨氏が指摘していたことだが…。
 信時潔氏は明治20年大阪生まれで、東京音楽学校を卒業してからドイツに留学し、ゲオルグ・シューマンに作曲を学んだ。
 当時の漱石や鴎外と同様に、(ざっくり言うなら)信時潔も東洋的な自分と西洋文化とが融和しなくて苦しんだらしいというのであった。

 そんななかで信時潔は「海ゆかば」の作曲によって、それが一つになり名作が誕生したのだと、團伊球磨氏は説いていたことがあった。

 同時期の作曲家・山田耕筰氏が戦時中にしきりに軍歌、戦時歌謡を創って協力したのに対して、信時潔氏は軍らかのあまたの依頼があったにもかかわらず、軍歌は一つも書かなかった。唯一「海ゆかば」が戦後に“軍歌”と認定されて追放処分同然の憂き目を見るとは皮肉というか、音楽界も藤田嗣治を戦争協力者として追放した美術界同様にメクラ千人である。

 信時潔にしてみれば、「海ゆかば」は決して軍国主義に同調してかかれたものではなかったのだと思う。
 冒頭の茶髪の若者が感激して「海ゆかば」を歌ったというエピソードも、若者が決して軍国主義や戦争に憧れたからだとは誰も思うまい。
 戦艦大和のいわゆる“最期”が、日本人の魂を揺さぶるからであり、その魂を揺り起こす音楽だから「海ゆかば」が歌われたのだと思う。






posted by 心に青雲 at 06:53| Comment(2) | 評論 | 更新情報をチェックする

2011年06月29日

環境を兵器にした歴史


 リンカーンという人は、奴隷解放のために南北戦争をしてまで戦った偉大な大統領ということになっている。
 なにしろ、昭和天皇が昭和20年8月14日深夜、玉音放送の吹き込みを終わって皇居の自室(御文庫)に戻ってから、すぐにやったことはそれまで飾ってあったナポレオン像を仕舞って、代わりにリンカーンの像を飾ったほどに…有名な人物であった。

 だが実像は首を傾げざるを得ない、とても偉大とは言えない大統領であった。
 そも、彼がやった奴隷解放は南部諸州に限られ、北部では解放されなかったのだ。つまりは戦う相手たる南部諸州の奴隷を解放すれば、ちゃんと賃金を払って労働させる仕儀とは相成り、南部経済力が減衰することを見込めたからであった。

 そればかりか、エイブラハム・リンカーンほどいわゆる先住民族=インディアンに対して冷酷無比な政策を実行した大統領はいない。ネイティブアメリカンに対しては、人間扱いしなかったのがリンカーンである。
 だから彼の有名な「人民の(合意によってできた政治)、人民による、人民のための政治」と演説で叫んだとされる言葉は「人民」とは「白人」だけを意味したのだろう。

 リンカーンは、自分と同じ名前のエイブラハムという祖父がインディアンに殺されたとされる。恨まれるようなことをやったからだろうと推察されよう。
 どれほどリンカーンが、対インディアン討伐に情熱を燃やして、若い頃は実際に戦闘に参加したり、大統領として虐殺命令を出したりしている経歴は、wikipediaにも載っている。

 有名なホームステッド法はリンカーンが制定した。狩猟や遊牧をネイティブアメリカンたちに禁じ、定住させて農業民にすることを強制したのである。反抗する部族は殲滅した。 
 「士農工商なんとやら」と言うけれど、リンカーンにとっては、白人、黒人、インディアンの順だったのではないか。
 ちなみにリンカーンが大統領だった時代(1861〜65年)は、日本では坂本龍馬や新撰組が活躍していたころだった。


 さて、リンカーンが若かりしころの1840年代は、彼自身もネイティブアメリカン部族の討伐に兵隊として参加しているけれども、アメリカ政府は北米大陸全体でネイティブ部族と戦争をしていた。ヨーロッパで食い詰めたならず者が、勝手にアメリカ大陸に移住して来て、先住民を追い出しにかかっていたのだ。

 当時のネイティブらはバッファロー(バイソン)を生活基盤とする独自の生活、経済を持っていたので、白人どもはバッファローさえ居なくなれば、ネイティブ部族は食料が尽き、暮しが立ち行かなくなると考えた。そこで政府は何千人というハンターを雇って、数千万頭のバッファローを殺させた。バッファローは絶滅寸前にまで激減し、ネイティブたちはついに白人に降伏せざるを得ないところに追い込まれた。
 
 やがてアメリカ政府はネイティブに、指定した荒れ地に強制移動させ、そこに定住すれば年金は支給してやると言って騙し、その年金さえ払わなかった。ために部族の暴動が起きると、徹底した弾圧をやってのけた。それがリンカーンなのである。

 時は流れて、それからおよそ100年後。
 アメリカはベトナムで戦争をやっていた。そして敵のベトコンや北ベトナム軍がジャングルに隠れて行動するからというので、大量の枯れ葉剤を飛行機から撒いてジャングルそのものを消滅させる作戦をとった。環境破壊の最たるものだった。

 この枯れ葉剤は有名になったが、ほかにも米軍は、ホーチミンルートを断つとの目的で、ジャングルの上空で雲のタネを撒いて、豪雨を降らせジャングル内に通る道路をぬかるませて輸送能力を奪う試みもなされている。

 環境そのものを兵器として利用することは、一応1976年に国連で禁止条約がまとめらた(環境改変兵器禁止条約)。しかしこれには強制力がなく、国連加盟国のうち批准した国は40%にも満たない。ザル法である。

 古くは、ローマ帝国がカルタゴを破って勝利を収めたあと、ローマは再びカルタゴが脅威にならぬよう、農地に塩を大量に撒いて耕作不能にしたのだった。カルタゴ人たちは生活基盤を奪われ、おかげで都市にも住めなくなった。

 現代では、HAARPという地震を起こす兵器があるとされ、今度の東日本大震災を起こしたのもHAARPの仕業ではないかという説はある。確定的なことは言えないのだが、頭から否定する人は、歴史上のいわゆる環境を兵器にした作戦を学んでいないのではないだろうか? 過去にはあったのである。それも白人がやった過去が。

 日本でも例外ではない。現在も山階鳥類研究所があるが、元はあれは軍事研究の一環であった。渡り鳥を利用して軍事利用できないか、あるいは敵が鳥を使って攻撃してくる可能性はないかなどを研究したのが発端であった。

 地震や津波を人工的に起こせないことはもはやない。ずいぶんと核実験では地層をずらす研究は行われたと聞く。まさかそんなことがと、私も思いたいが、頭から否定してしまうことは避けたいと思うだけのことである。



posted by 心に青雲 at 05:55| Comment(7) | 評論 | 更新情報をチェックする
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