2011年07月29日

肉牛全頭検査の怪

 「セシウム汚染:肉牛の全頭検査 11県での実施へ」という毎日新聞 2011年7月28日付記事が目を引いた。

 「肉牛の放射性セシウム汚染問題で畜産農家から要望が強い全頭検査について、27日現在、既に始めた山形、静岡県を含め11県での実施が決まり、費用は40億円規模に上ることが毎日新聞の取材で分かった。国は福島県の一部以外での実施に消極的だが、他に8都道府県が実施を検討中で、さらに広がる可能性がある。費用負担が今後議論となりそうだ。」

 「セシウム全頭検査の主体は県が多いが、栃木や静岡のように地元JAが傘下の農家に実施する動きも出ている。検査費用は1頭当たり約2万円。対象頭数は現時点で少なくとも約19万頭で、すべて検査すれば40億円近くになる計算だ。

 費用は県や生産者が立て替えるが、8月1日からの開始を27日に発表した宮城県は東京電力への賠償請求を明言し、山形や栃木のJAも同様の方針。新潟県の泉田裕彦知事も『本来誰が負担すべきか想定した上で対応したい』と話す。」

と、こんな報道である。

 役所の「すわ!」というべきこの動きは、先に紹介した児童相談所のワルを念頭において考えるべきことであろう。
 私は「セシウム汚染:肉牛」はたいした問題ではなく、仮に食べても健康状態であれば全然気にすることはないと思っている。まして肉はほとんど食べないから個人的にはどうでもいいようなものだ。

 けれど、怖い怖いとマスゴミは煽るし、役所もすわ一大事とばかり検査に乗りだすから、大衆は不安にかかれるだけである。○○ベクレル、という数字を見ただけで、基準値以下かどうかよりも、とにかく不安が先にきてしまうのが大衆だ。
 これはもしかしたら、ではあるが(なにせ児童相談所のような卑劣を役人はやってのけるから)、セシウム汚染肉牛騒動は役人がことさらに火をつけ、油を注いでいるのではなかろうか、と疑いたくなってくる。

 記事にあるように、ウシの全頭検査をやるとなると、各県では役人の仕事がどっと増えるのだ。「対象頭数は現時点で少なくとも約19万頭で、すべて検査すれば40億円近くになる」というのだから、これは県の役所が取り仕切って(自分はやらずに)、独立行政法人とか民間会社(役人が天下っている)と称する検査機関に委託して検査するのである。

 それはむろん税金を使って、である。その費用は、県がはじめるとはいえ、国におねだりする意図が最初から見えている。さっそく(官僚が)メディアの記者を「使って」枝野官房長官に質問させ、政府の費用負担の言質を取ろうとしている。

 検査をして牛肉のセシウムの値が基準値以下なら、安全のお墨付きを行政が与えてくれるから、畜産農家は胸をなでおろして出荷できる。だから畜産農家等の業者は歓迎する。税金でやってくれるんなら、こんな嬉しいことはない、と。
 しかし税金でなんでもやれば、役人とその結託している会社や機関が儲かるだけで、ツケは増税または電気料金の値上げという形で国民に反ってくる。

 役所のほうは、農家のため、消費者のためという大義名分がある。堂々と税金を湯水のごとく使え、そのつけは東電かもしくは国に請求できる。とてもおいしい話であろう。
 だから各県が競って全頭検査をやると張り切りだした。

 メディアもそれを大変良い事のように煽って、役人の後押しをする。業者も一応風評被害を阻止できてホッできるし、消費者もやっぱり役所はこうでなくてはと喜んでくれる。
 しかし、この全頭検査は必要なのだろうか。
 たとえばセシウムなんか気にしないで食べるよという人に安く売ってしまうとか、気にしない国に輸出するとか、全部焼却処分してしまうとかすれば、税金の無駄遣い(?)はないか微少で済むではないか。

 国民はしばらく牛肉を控えればいい。牛肉を食べなければ餓死するわけではないのだから、たとえば数年、食べられなくたっていいじゃないか。
 だが、そうすると、役所は仕事が増やせない。セシウム騒動があったればこそ、自分らの利権を増すことができる。
 役人は検査機関へ発注することで、恩を売って天下り先が確保できるという思惑が彼らの頭に去来しなかったと言えば、これは嘘になるのではないか。

 稲藁からセシウム、肉牛からセシウム、などを火をつければ、こういう全頭検査へと雪崩を打って突き進むに決まっている。役人はテレビのインタビューにいかにも、さも、深刻そうな顔をして答えているけれど、私は大変疑問である。
 なにせ児童相談所は「児童虐待」をデッチあげて、罪もない親子を引き裂くし、不法入国に等しい中国やフィリピンからの女性に大盤振る舞いをやらかす、そういう人種なのだ。

 だからこのセシウム肉牛騒動とて、でっち上げる気に彼らがなればやすやすと「思うつぼ」になっていく。私は県によるウシの全頭検査はそうしたものではないかと思うのだ。

 



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2011年07月27日

そして誰も中国人妻はいなくなった


 7月21日付けブログで「児童虐待5万超のいかさま」を書いた。
 あらたにDV防止法犠牲家族支援の会代表の野牧雅子氏から情報をいただいたので、紹介したい。マスメディアの報道のみを正しいと思っている方には、驚天動地の事実であろうかと思う。
 つまりは厚労省が児童虐待は5万件以上もある(昨年度)という発表の、中身のいかがわしさである。

 野牧さんの「ドメスティックバイオレンス(家庭内暴力)」のインチキを告発するホームページには以下のように解説がされている。

     *         *        *
 女権行政が警察や裁判所を使い、夫を罪人に仕立てて、家族を破壊へと追いやっています。さらに、家を出た母親が連れている子供達を、児童相談所が拉致誘拐軟禁する実態が生まれています。日本の家族が3分割(夫・妻・子供)されるのです。

独裁国家にもない行政暴力
 家族のために生きてきたのに、「加害者」にされ、子供に会えなくなった男性達、女権主義者の口車に乗せられ、家族を失った女性達が、手を携え、この現実(行政暴力)を世論に訴えて、日本の国で幸福な家族生活が営んでいけるよう、改善してゆきましょう。
 http://www5f.biglobe.ne.jp/~constanze/nomarin258.html

    *         *        *

 これは十分ひどい状況である。マスメディアはまったくこの実態を知らせようとしない。役人とつるんで利権のおいしい汁を吸っているからだ。
 なんの後ろ盾も持たない庶民は、裸にされて徹底して一本残らず毛を毟りとられるようなものだ。

 さて、今日お知らせする情報は、もっとひどいものだ。
 それは中国人がらみのイカサマである。

 中国、とくに戦争直後に満州に置き去りにされた「残留孤児」が、その家族を引き連れて「帰国」した一連の出来事につながっているのかと思うけれど、最近は残留孤児やその家族でなくても、東北地方(旧満州)の女性たちが堂々日本にやってきて菅直人みたいに「居座る」例が多発しているそうなのだ。
 
 彼らというより彼女らは、とにかく、何が何でも日本にくる。
 暴力団を仲介するとか、風俗営業店で働くとか、結婚斡旋所の手引きとか、様々な手を使って日本人男性に近づいて良い仲になる。狙い目は、婚期の遅れた男性やバツ1、バツ2の男性でちょっと女っ気がなくて寂しい男らしい。20歳くらいの年上でも全然OK である。

 甘言を弄して早々に深い仲に男を追い込み、子どもをつくってしまう。じゃあ結婚しよう、となれば「してやったり」なのだ。
 そして数年、一人とか数人の子どもをこしらえたところで、女は豹変する。まるで毛虫が蛾に羽化するような変わりようだろうか。

 そして、家庭裁判所に夫に暴力を振るわれたと駆け込む。あるいは児童相談所に、夫が子どもに暴力をふるう、助けて、と駆け込む。
 家庭裁判所や児相は、言うところの「女性の権利」を金科玉条のごとくに信奉しているので、男の言い分など聞いてくれない。なにが何でも女の味方になる。一方的に女の言い分を受け入れ、男をドメスティック・バイオレンスをやった極悪人にしてしまう。
 裁判所や役所のお墨付きをもらって、中国人妻どもは堂々カネをせしめて日本で優雅(?)に暮らすのだ。
 わずらわしい夫の世話などしなくていい。

夫の暴力という事実があろうがなかろうが関係ない。女が暴力を受けましたと話をつくれば、それがほとんど通る。
 だいたい、国際結婚なのだからそれでなくても意思疎通が難しいのがわかっていそうなものだ。日本人同士の結婚より、ちょっとした諍いも起きやすいであろう。その口ゲンカ程度が針小棒大に、ドメスティック・バイオレンスにされる。
 男にしてみれば所帯を持って、両親に孫の顔を見せられたらいい、と思ってしまう。自分より10も20も若い女が結婚してくれると言えば、男は鼻の下をどうしたって伸ばすだろう。その甘さが命取りになる。

 20歳も年の違う女性が、おじいさんと結婚して家庭を築くつもりなんかないのだが、男はコロッと騙される。自分が暴力夫のレッテルを貼られ、それなりに大事にしていた家庭もかわいいわが子も奪われる。

 中国から来た女は最初からDV法を使って子供を連れて家を出る目的で、男を利用する。そうなのだ、全てはカネ。カネが狙いで日本人の男を騙すのである。日本では想像もつかぬhpど、中国東北地方はまだ貧しいという背景がある。

 中国の女性は最初からDV法を使って家を出て、行政から金をもらうつもりで来日し、結婚詐欺(?)を働く。さらに子どもをかかえて働けないからと言えば、生活保護も支給してくれる。なにせ日本人と結婚したんだから、生活保護も堂々受けとれる仕掛けである。

 日本はパラダイスだ、と中国の女性は言っているそうだ。なんてったって行政が親切にして、カネをくれるから。行政は(役人は)自分が腹を痛めるわけじゃなし、税金で払うのだから家庭裁判所のお墨付きさえあれば、ホイホイと「仕事ができる」から大喜びであろう。彼らはドメスティック・バイオレンスがなくなると仕事にあぶれて困るのだ。だからドメ法がどんな悪法だろうが知ったことではない。
  
 日本のある村、ここは適齢期の男性は多いのだが、農家などの肉体労働の家が嫌がられて、嫁の来手がなくて困っていたのだが、そういう村に中国人女性は目をつけてやってくる。ある村では中国から来た女性が50人くらいいたが、ほとんどいなくなったそうだ。
 フィリピンあたりから来る女性も、やはり全員いなくなった。
  全員子供を連れて出て行った。

 全てDV防止法を使ってる。
 騙された男性たちもう女性はこりごりだとぼやく。
 こういう実態を副島隆彦氏は知ってか知らずか、著書でめったやたらの中国人はすばらしいと絶賛するが、コメントを聞いてみたい。中国人女性にはバイタリティがあっていいじゃないか、騙される日本人男性が悪いんだ、とのたまうのだろうか?
 
 


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2011年07月23日

全裸で暮らすことの是非

 
 ヨウイチ様からご質問をいただきました。面白い話なので、こちらの本欄でお答えします。

 ヨウイチ様は、この夏、家の中では全裸ですごしているそうです。全裸で過ごすと健康にいいという話を聞いたからだとのこと。
 もともと裸になったり裸で過ごすのが大好きで、できれば1年中日常生活を全裸ですごしてみたいと思っている。ただ裸で生活すると身体をひやすことはよくないかもしれないので、そのあたりどうなのか、というご質問です。

 私はこういうことは専門でもないのですが、何はともあれ弁証法的に捉え返さねばなりません。その第一歩は“全体から見る”、そして“過程で見る”です。
 
 人間にとっての皮膚あるいは体毛とは何かと大上段に振りかぶった場合、これは地球環境と生命体ないし生命現象(=体内環境)のいわば付かず離れずの関係を保つ役割を担った器官であるということです。人間を厳しい地球環境から守り、その一方で相互浸透の関係を維持する必要があり、その最前線というか接点が皮膚、ないし体毛だとなります。

 人類は、進化の過程で両生類から哺乳類に移行する段階で、大きく実体を変えましたが、その一つが哺乳類の特徴である全身の体毛でしょう。全身を皮膚と体毛で覆うことで哺乳類は大きないわばメリットを獲得して、活動領域を広げてきました。

 その流れで、体毛とは何か、皮膚とは何かを解いていかねばなりません。
 端的にいえば、皮膚と体毛の役割は地球環境から体内環境を守りつつ地球と相互浸透できること、であり、人間が体毛のほとんどをなくしてもそれは変わらないし、変わってはならないということになります。だから衣服が必須になります。
 そこで全裸で暮らすことが、果たして地球環境から守りながら相互浸透を維持することが果たせるのか、という問いになってくるのです。

 やさしく言うなら、昼間、起きている間は全裸でも構わないかと思いますね。
 ただ冷えないようにすべきで、とくに足腰を冷やさないことでしょう。
 全裸のよいところは、半裸ではないところで(笑)、脳が体全体を統一的に統括できることです。半裸とか足先だけ冷やすということだと、脳はいうなれば体を温めるべきか冷やすべきか困ってしまうのです。

 全裸は体が丸ごと外界に触れていますから、アンバランスになっていないところが良いのだろうと思います。ですから全裸になるにしても、体全体が温かくなっているように、部分的に冷えているところがないように注意しながら全裸でいるのが良いのではないでしょうか。

 もともと人類は体毛が抜け落ちて皮膚が露出する全裸になったのは、衣服をまとったからです。樹上生活から地上に降りたせいで、樹上より地面に近いところのほうが冷えるために、衣服をまとうようにしたのだと言います。サル類は夜眠るときは、樹上で寝るはずです。それは外敵から身を守るためもあるでしょうが、樹上のほうが地面より冷えないからだと思われます。現在のサルには例外もあるでしょうが…。

 保温目的の体毛が衣服を着たから不要になり、「裸のサル」になったのです。裸になった(体毛が抜けた)から衣服を着たのではありません。(ちなみに私はデズモンド・モリスの『裸のサル』は読んでいません。)

 人間はまだ部分的に毛が残っているのですが、これは毛のいうなれば役割が違うから残ったのです。頭髪、眉毛、まつげ、脇毛、陰毛などは、保温よりもほかの役割があるので、その部分が残っているのでしょう。
 男性の胸毛やすね毛なども保温目的のほかにあるので、まだ残っている(残っている人もいる)のでしょうね。

 哺乳類が全身毛に覆われているのは、保温の役割だけではありません。地球環境から体内環境を守るということで言えば、外傷をしないようにする役割もあります。
 部屋のなかなら全裸はさほど危険はないでしょうが、試みに全裸で庭に出て草むしりしたり、園芸をしたりしてみればすぐわかるでしょうが、擦り傷、切り傷、打ち傷などがあちこちに生じるでしょう。

 そのほかにも虫に刺されたり、植物に触れてかぶれたりします。それも厳しい地球環境の一部です。それでも皮膚が体内環境を守っているのですが、体毛や衣服がないことで、直接皮膚が何やらかにやらと触れて傷をつくるのです。裸で肉体労働をしてみれば、裸はあまり良くないことがわかるでしょう。

 だから夏の炎天下で肉体労働をする人たち(たとえば農民)は、涼しいからといって裸では作業をしないでしょう? それは一つには小さな傷から体を守るためです。

 人間は、体温を維持することや外傷を避けるために衣服を身にまとうのですが、それだけなく垢や脂などの排泄物をとりさる働きもさせています。
 哺乳類は体の老廃物を皮膚からだして、毛にくっつけて排出しているのでしょうが、人間は全裸になっているとそれが出来にくくなりますね。

 ついでながら、頭皮から出る老廃物も髪の毛に吸着させているのですから、茶髪にするとか、パーマをかけちゃうとか、ヘアケアと称して薬剤まみれにするとかということをやると、頭髪の持っている役割を阻害することになりかねませんね。

 イヌやネコがしきりに舌で自分の体を舐めているのは、いわばヒトが風呂に入って垢を落としていることをやっているのでしょう。

 人間の場合、衣服は保温のためだけではなく、体の汚れを取り除く働きもしていると思いますよ。
 夏、あるいは運動して汗をかいた場合は、それを衣服に吸い取らせるのが大事になりますが、全身の汗をどうやって拭き取るかも大事でしょうし、汗が乾く時(蒸発するとき)気化熱を奪って体を冷やしますね。

 汗で体がベタベタして気分が悪いでしょう。あれは皮膚に汗がまとわりついて、皮膚呼吸が妨げられるせいもあるのではないでしょうか。でも衣服を着ていれば、汗を吸い取ってくれるので、皮膚はベタベタせず皮膚呼吸が楽になります。だから汗を吸ってくれる下着が大事です。全裸でいると、汗をかいても衣服が吸い取ってくれない分、タオルなどでこまめにきれいにする必要がありそうですね。
 全身体毛に覆われている哺乳類(イヌやネコ)は、 発汗が全身ではできないのに、ヒトは全身に汗腺が発達しています。この点は「生命の歴史」ではどうなのでしょうか。

 私たちは毎日衣服を取り替え、その衣服を洗濯して汚れを取り去っています。これは動物が砂浴びや水浴びをしたり、舌で舐めたりして体毛の汚れ(外からのと体内部からの)を取り去っていることの代替ですね。だからこそ、下着にはお金をかけろとか、自然の素材(絹、麻、木綿)でないといけない、というわけでしょう。

 さらに言えば、動物の体毛は感覚器官でもあります。とくにヒゲは重要な感覚器官です。ネズミなどはヒゲを動かして周囲の状況を感覚していますね。だから、体内の汚れを毛に付着させておくと、感覚器官が鈍くなって、死活問題になりかねませんから、その意味でも、彼らは体を舐めて常に清潔にしているのでしょう。

 サルの場合は、四つ足のいわゆる掌や足裏にあたるところは体毛がありませんね。大事な感覚器官だから、体毛が邪魔になるのでしょう。人間はその延長にありますから、掌と足裏の感覚は鈍くしてはいけないのですね。
 とくに足裏は、靴下や靴を履いて保温や靴擦れ防止を気にしますが、これは本来の感覚器官という面を蔑ろにしてしまいます。だから冷やさないようにしながらも、裸足にしておく必要があるのです。

 というように、生命体の歴史を踏まえて、私たちが全裸で過ごすことはいかなることか、衣服を着るとはいかなることか、メリットは何か、デメリットは何かを考えないといけませんね。ただ体に良いだろう、では現象論でしかありません。衣服を着れば、体が締め付けられますから、血液の循環が悪くなります。神経も余計な働きをさせられます。

 全裸で過ごすことで、風邪をひかなくなったとか、血圧が下がったとかいうことはあるでしょうが、もうちょっと「全体から考える」ということをしなければ。

 体は全裸になっても、まあ鍛えていけば寒さにも耐えられるといいますか、適応していくのでしょう。果たしてそれが、できるからといってやっていいものかどうか。
 人間はもともとは衣服を着るのは不自然だったから、裸で過ごすことも可能になるのでしょう。哺乳類としては衣服は邪魔なのでしょう。でも、私たちはもう「裸のサル」というか「衣服で身を守るサル」に進化してしまったのですから、哺乳類に戻ることはできないのではないでしょうか。
 部分的というか一時的に全裸になるのは、先祖(哺乳類)返りみたいになって良い点もあるのでしょうが、衣服に体が適応しているのです。

 どういうことかの例をもう一つ挙げます。
 いくら日中は全裸で過ごしても、眠るときは衣服(パジャマや浴衣)をまとうべきでしょう。あるいはしっかり布団にくるまることです。昼間は起きていて、生理機能が昼間の生理機能になっていて、認識もカバーしてくれますが、眠ってしまうと、全裸のままでは皮膚が外界に直接触れているので、困ったことになります。

 つまり、眠っている体のまわりの空気は動いています。風があればなおさらですが、風がなくてもわずかながら空気は運動形態にあることになるので、皮膚はそれに対応しきれなくなるのです、眠ってしまうと。
 とくに最初のほうで触れたように、部分的に、たとえば足が布団からはみ出しているとかすると、そこだけアンバランスが生じ、脳が統括できないので悪い夢を見てしまうことにもなるようです。

 ですからエアコンや扇風機をかけっぱなしで風に当たりながら眠ってはいけませんね。ついでながら風呂上がりに全裸の体に扇風機の強風をガンガン当てている人がよくいますが、あれは急激な冷却で良くありません。風呂上がりの汗はタオルや浴衣に吸わせることです。

 このことを考えても、人類は(熱帯地方はともかく)衣服を着ることで生きていく体になったのでしょう。

 眠るときは衣服はまとうべきですが、締め付ける寝間着は良くありません。温かくしなければなりませんが、衣服で体を締め付けてはならないのです。血液循環の問題も生じますが、体を締め付けるとその箇所が神経が働かされてしまうのです。神経は睡眠中は体の修復に専念させてやらねばならないのですから。

 だから眠るときに、全裸で寝るとか、ゴムのきつい寝間着で寝たとか、眼鏡をかけたまま、装身具をつけたままとか、あるいは普段着のまま寝てしまったとかで体を衣服の締め付けから解放してやらないと、神経は休まらず睡眠が十分とれないことになります。

 私たちは温泉行って、露天風呂に入るときはむろん全裸になっていまして、外気に全身を触れさせています。気分爽快ですよね。気分が良いということは体に良いことなのでしょう。衣服の締め付けから解放されるメリットがありますね。
 認識面でも、衣服に締め付けられないとか、服装で他人の視線が気にするなどの煩わしさから解放されるメリットもあるでしょう。

 子どもは裸ん坊が大好きですしね。子どもはそれが自然なのでしょう。赤ん坊はもともと代謝が活発で体温も高いので、衣服を重ねるべきではないと言われます。衣服に慣れた体にしなければならないが、さりとて厚着をさせてはまずい理由も、生命の歴史に尋ねる必要がありそうです。
 大人もセックスのときは裸になりたがるのは、皮膚感覚をしっかり味わうということと、哺乳類段階的な生殖行動だからなのでしょうかね。

 ヨウイチ様への答えになっていないかもしれませんが、私はときに応じて全裸になるのは大事でしょうが、人間は衣服をまとう存在になっているのですから、TPOに応じて着たり脱いだりするのが正しいのではないかと思うしだいです。





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2011年07月21日

児童虐待5万超のいかさま

 
 「児童虐待5万件を超す」という衝撃的な記事が昨日の新聞に踊った。
 厚労省が昨年度の「相談」件数の数値として発表したものだ。
 前年度から28.1パーセントの増加とも強調されている。

 毎日新聞夕刊(7月20日付)の場合は1面トップでしかも、記事に解説がついていて「児相充実が急務」と見出しをつけていた。冗談じゃない「児相解体が急務」の間違いではないのか。

 昨年度の児童虐待件数が5万件を超えたというのは、あくまで厚労省の調査結果である。しかし、マスメディアでこう記事にされると、誰も「これはあくまで厚労省の出した数値だ」という「事実」は考慮されず、これが本当の「事実」だと思ってしまうのではないか。
 マスメディアは、何も自分たちで検証などしない。裏をとらない。厚労省の発表を掲載しただけなのに、自分たちもこういう事実を知っているかのように振る舞う。 汚いやりかただ。

 厚労省が本当に児童虐待の事実を集めて、発表したわけではない。たしかに誰が見ても児童虐待と判断できる事実はあるだろうが、多くは虚偽のでっち上げかもしれないなどとは疑念の差し挟む余地のないやり方で公表し、マスメディアがお墨付きを与えてしまっている……とは思わないのか。

 厚労省が調査したのだから嘘ではあるまい。嘘を発表しても公務員には何の得にもならないのだから、公平で正しいのではないかと、たいていの人は思うだろう。
 だが、役人は基本的に国民の奉仕者ではなく、自分たち公務員特権階級の利益のためにのみ働いているのである。このことは薄らと国民は意識できるようになってはきたが、それでも個々の、たとえば児童相談所でのこととなると、まさかここでも役人たちが自分たちの利益のために「虐待」をでっちあげて、罪もない子や親を絶望のどん底にたたき落としているとは、想像できていない。

 児童相談所という役人が取り仕切る施設は言ってみれば伏魔殿で、半ば犯罪に等しい行為が行われていることは、本ブログで何度も取り上げた。
 今のブログにはリンクしていないが、野牧雅子氏(DV防止法犠牲家族支援の会代表)のHPでは、いかに児相が悪辣無比な「虐待」をしているかの事実が公表されている。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~constanze/nomarin258.html
 ぜひご覧いただきたい。

 ちょうど7月からの新番組「ドン★キホーテ」(日本テレビ系列の土曜夜に放送されている連続ドラマ)の舞台が、児童相談所の話なのである。

 Wikipediaによると、ひ弱な児童相談所職員の青年・城田(松田翔太)。暴力団の武闘派親分(高橋克実) が主人公。そんな二人がある日、身体はそのままで魂だけが入れ替わってしまう。かくして、魂と体が入れ替わった二人は子供たちを救う正義のスーパーヒーローになって行く。
 という、反吐がでそうな内容である。私は初回だけ家族につきあって見た。あまりのバカらしさにあきれ果てた。

 なにかの拍子に、 身体はそのままで魂だけが入れ替わるという筋書きのドラマや映画で流行しているようだが、よくもこういう嘘八百の脚本をライターが平然と書けるものだ。いくらフィクションだと言っても…。
 もともとは、実体と魂は別、などという勘違いがこういう荒唐無稽を生む。

 そのドラマのひどさはともかく、どこが発信元かは知らないが、厚労省とメディアと、テレビ局、電通などが組んで、「児童虐待」を実際以上に作り上げてきているのである。
 児相を舞台にしたドラマを仕立て、そのタイミングにあわせて「 児童虐待5万件超」という発表を行う。
 だれもが児童を拉致監禁しているのこそ児童相談所だ、などとはユメにも疑わない。

 よってもって、莫大な予算が獲得でき、公務員天国がさらに広がる。
 ちょうど東日本大震災が起きる直前には、誘拐されて児童養護施設に監禁されている子どもたちにランドセルを贈る人「伊達直人」を名乗る人物が大量発生して話題になっていた。そのキャンペーンも私は厚労省の仕掛けではないかと疑ったけれど、震災のためにランドセルどころではなくなった。

 厚生労働省の児童福祉法の改悪を狙っているのであろう。野牧雅子氏からのメールを当時、紹介したものだった。再録しておく。
      *          *          *

 子供を拉致・誘拐、隔離・軟禁している児童相談所や関連施設から、親族が子供を助け出せない様に、助け出したら処罰出来る様にと、親の民法上の親権を制限して、児相所長や子供隔離施設長により強い権限をを与えようとしています。

 具体的には  
(1)実親が子供を児相側の隔離施設から助け出す事を、不当な行為だと決め付ける。 
(2)施設長などが子供に対して持つ親権代行権を、実親の親権より優先させる。
(3)子供を助け出した親を処罰して、子供を再度の隔離・軟禁にする(子供に救出に対する絶望を持たせる) 
(4)児相所長(実際は職員)の子供への支配権を強めて、親が養育を出来ない状態を拡大する。

 現在、児相はさ細な口実や言い掛かりによって「虐待」をねつ造、子供を拉致・誘拐しています。親元から引き離されて・施設に隔離されて、恫喝(どうかつ)・暴行・うその言いくるめなどの虐待を、数カ月から数年の渡って受けている多数(5千名以上)の子供たちが居ます。

     *           *          *

 児童虐待は現実にあるじゃないか、児童相談所に救われた例だってあるぞ、と主張したい向きもあるだろう。それは私も否定はしない。しかし、そう主張する人はもう一方の児相の非道にも目を配ってほしいというのみである。
 
 毎日新聞の解説記事みたいに、
 「児童虐待の相談件数が5万件を突破したことは、児童相談所による強制立ち入り調査導入(07年)や民法の親権見直しなど法制度の導入だけでなく、ますますマンパワーが必要なことを示している」とか、
 「児童福祉司の6割が虐待対応の負担を『非常に大きい』と感じ、受け持つ件数の多さを理由に挙げた。」
 などと、たぶん厚労省のニュースレリースそのまま書き写したか、記者がおべんちゃらを書いたかであろうが、こんな一方的な言い分を許してはなるまい。

 くどく言うけれど、この記事が全部嘘だとは言わないが、なぜ新聞は児相のもう一つの顔、すなわち「児相は些細な口実や言いがかりによって『虐待』を捏造、子どもを拉致.誘拐している」という事実をとらえて報道しないのかと、私は憤っているのである。

 以下は以前紹介した、児童相談所の実態の一部である。
     *         *       *
 一時保護センターの先生に、「どうして私は帰れないのか」と質問しただけで、殴られた、という証言もあります。その人は1〜2ヶ月そこに監禁されていたのですが、毎日、帰りたいという気持ちを口にしたので、毎日殴られたそうです。しかも、一日のうち、たびたび言ったので、そのたびに殴られ、一日、少なくとも5回は殴られたとのことです。

 児童相談所を体験した大方の子供が、児相や施設の職員から暴力を受けた、と訴えます。中には、指が曲がった、とか、足の形が変った、と訴える子供もいました。
 児相職員はありとあらゆる方法で、強引に子供を連れ去ります。複数の子供の訴えによると、「僕が児相に入らないと、お母さん(お父さん)が警察に逮捕されるかもしれないと思った」とのことです。残酷な詐欺であります。
     *         *        *

 どうか児童相談所を舞台にドラマを制作するのなら、こういう事実もドラマに取り込んでくれと私はいいたい。

 公務員の人よ、自分のお仲間が表向き正義を装いながら、こういう悪逆非道を行っていることをどう思っているのか? 知らないから答えようがない、ですか? 部署が違うからコメントできない、ですか?
 




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2011年07月20日

優勝おめでとう「なでしこジャパン」

 「なでしこジャパン」の決勝戦は、リアルタイムでは見なかったが、ニュースでは何度もゴールシーンを見た。何度見ても気分は良い。震災と菅の居座りで、暗い日々を強いられている日本人をいっとき明るくしてくれたのは事実だろう。
 これほどの一体感を日本人が得られるというのは、2002年の日韓共催W杯以来ではなかろうか。

 震災復興で、一体となって頑張ろうと言っている最中に、これは後押しになった。

 彼女たちの実力を十分評価するが、それとは別に、日本の優勝はFIFAにとっては万々歳ではないだろうか。サッカー人気を男子から女子まで広げようと言うもくろみがあるFIFAにとって、アジア市場の開拓は大事な課題であったはずで、日本の活躍はアジア市場を大いに刺激するからである。

 近いうちに女子W杯は日本で開催されることになるだろう。東京にオリンピックを招致することはやめるべきだが、女子サッカーならいいのではないか。五輪では日本人は一体感を共有できない。

 ところで。
 サッカーの女子ワールドカップで優勝を果たした日本代表「なでしこジャパン」の選手たちは帰国後すぐ、菅首相を表敬訪問した。
 どういう事情があったか知らないが、国民への報告(記者会見)より先に首相官邸へ赴くとはどういう神経か。

 スッカラ菅のほうも、帰国後真っ先に官邸に呼びつける厚かましいやり方には、いまさらながら呆れる。関係者が、帰国後すぐに首相に表敬させますと言っても、ボクより先に国民に優勝報告をさせてあげなさいと言うべきである。
 たぶん国会の予算委員会の時間の空き時間にあわさせたのだろうが…。

 日本中が18日早朝から「なでしこジャパン」の快挙に酔いしれ、お祭り騒ぎになって大喜びしているのだから、それに水を指すような菅の振る舞いである。
 だいいち首相官邸なんかに行く必要はないじゃないか。

 その一事をもってして、菅直人に宰相の任は不適当である。
 朝8時過ぎに成田に戻ってきた選手たちが、マスメディアの会見に現れたのは午後2時ころだったか…。その前に首相に会いにいっており、今か今かと期待していた国民を長時間待たせたのだ。

 それだけではなく、「なでしこ」たちと面会した菅首相の言葉がなんともセンスがなくてゲンナリであった。

 菅は佐々木監督や澤キャプテンに「うまくまとめ上げるのはキャプテンの力量で、私も今から勉強して間に合うかわかりませんが、ぜひ、そういうところを学びたいと思います」と、こういった。なんてくだらないもの言いなのだろう。お前には言われたくない、と国民の多くが感じただろう。
 だれか側近が、もうちょっとまともなコメントの出し方を教えてやらなかったのか?

 こんな日本中が大喜びしている盛り上がりのなかで、テメエの失政の反省みたいなことをしゃべっているのだ、菅は。
 褒めるなら、テメエのことなど人は聞きたくないのだから、素直に選手を褒めておけばいいのだ。「みんながんばりましたね。たいしたものですね」ぐらいのことを言っておけば十分なのに、誰もが菅の失政や退陣しないことを思い起こさせる「話題」に、よりによって触れたのだ。国民がみんな喜んでいます、と言えば良かったのだ。
 アホか。

 それに菅のこういうものの言い方は、賞賛ではなく「おべんちゃら」である。心がこもっていない。立場というものもわかっていない。たぶん、かつての麻生太郎が首相のときだったら、彼のほうがもう少し「お殿様」で「遊び人」だから(あるいはマンガで学んでいるだろうから)、こういうときは上手なコメントを出したであろう。
 こんなところにも菅の出自の卑しさが出ている。

 それはそれとして、もう少し女子の国内リーグを盛り上げて、選手たちの待遇を改善してあげたい。
 彼女たちの給料は一流クラスで300万円台、大半は100〜200万円台だそうである。これは安すぎだろう。
 「なでしこリーグ」などはもっとアイデアを出して、集客に努力すべきだ。




posted by 心に青雲 at 07:03| Comment(4) | 評論 | 更新情報をチェックする
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