戦後補償の国際比較
                      清水正義

 侵略戦争や国家による犯罪的暴力、あるいは植民地搾取といった歴史の中の加害行為について、加害者が被害者に謝罪するだけでなく、与えた損害を金銭的にも償うべきだとする国際世論が高まりつつある。戦後四〇年間ドイツはナチス迫害の犠牲者に対して補償措置を講じており、最近アメリカ、カナダ両政府は第二次世界大戦時の日系人強制収容に対して補償金を出すことを決めた。そして今、アジア各国から日本の太平洋戦争時の加害行為に対する補償要求が噴出してい る。現代史の中で賠償や補償といった問題がどう扱われたのか、改めて考えてみる必要がありそうだ。

戦争と賠償

ヴェルサイユ講和条約と賠償問題
 現代史において戦後賠償の意義を決定づけたのが第一次世界大戦後のヴェルサイユ講和条約だ。ヴェルサイユ条約第二三一条にはこうある。「同盟および連合諸国は、ドイツ国およびその同盟諸国の攻撃によって強いられた戦争の結果、同盟および連合諸政府、またその諸国民の被った一切の損失および損害について、責任がドイツ国およびその同盟諸国にあることを断定し、ドイツ国はこれを承認する。」
 つまり、第一次世界大戦はドイツが強引に始めたのだか ら、その結果生じた損害の賠償責任がドイツにあるというのだ。このような理解の仕方は国内法での損害賠償の考え方と基本的に同じだし、ある意味では現在問題になっている戦後補償の考え方の萌芽をも示している。
 もちろん、第一次世界大戦の発生責任をドイツ一国に押しつける連合国の態度は今日の学問水準から見て明らかに無理があるし、その意味で二三一条はドイツの戦争責任という虚構のうえに、戦勝国の対独賠償請求権を理屈づけたものにすぎないという見方もあろう。しかし、賠償の根拠を「敗戦」にではなく「戦争責任」に求めたのは、敗戦国が「敗戦」のゆえに賠償を支払わなければならなかったそれまでの講和のあり方に対する国際世論の批判を土台にしている(A・J・メイア『ウィルソン対レーニン』岩波書店)。戦争の勃発や損害の発生に責任のある国が賠償をするのであり、純粋に論理的に言えば、戦勝国であっても賠償義務を負う場合があり得るという考え方がここに成立した。
 次に賠償の対象だが、ヴェルサイユ条約二三二条はドイツが戦時中の損害すべてを賠償することは不可能だろうが、少なくとも民間人の損害についてはこれをすべて賠償すべきとする。つまり、賠償の対象は第一義的に戦時の民間人被害者なのだ。条約付属文書に列挙された賠償対象の事項を類別すれば次の一〇項目になる。
 @戦闘行為による民間人の死傷、A残虐行為による民間人の死傷、B身体毀損行為による民間人の死傷、C戦争捕虜への虐待、D傷痍軍人への補償措置、E戦争捕虜への扶助、F軍人恩給措置、G強制労働による損害、H戦闘行為による財産の損害、I強制徴収による損害
 賠償というもののありかたを実に示唆しているではない か。今日、戦後補償の問題になっているアジア諸国民の強制労働徴用や従軍慰安婦などの奴隷労働、香港軍票問題、戦争捕虜に対する虐待行為、こういったことから生じた損害についてはこれを賠償すべきことをすでに七〇年以上前に、しかも日本も五大戦勝国の一員として調印した条約で明示的に示している。
 以上のようにヴェルサイユ条約には積極的な面があった が、その反面多くの問題点も抱えていた。ドイツ一国に戦争責任を押し付けることにドイツ国民は納得できなかったし、賠償額はドイツ経済力を越えるものだった。ドイツ国民の中に賠償負担の不当性を訴える声は根強く、やがてナチスがそれらの不満を巧妙に利用して台頭すると、賠償問題を含め ヴェルサイユ体制そのものが乱暴に破壊されていった。

第二次世界大戦後の賠償問題
 第二次世界大戦後の賠償問題は、ヴェルサイユ条約での苦い教訓から、賠償負担国の経済力に見合わない巨額の賠償金を将来にわたって設定することは慎重に見送られた。また冷戦の影響を受けて、東西双方とも将来の同盟国を経済的に弱体化することは回避された。この問題では、連合国側と枢軸国側との休戦・講和をめぐるそれぞれの国際状況の違いに応じて、ワいち早く休戦・講和条約を結んだイタリア、ルーマニア、フィンランド、ハンガリー、ブルガリアなどの中小枢軸諸国の場合、ン国家が分裂状態のまま連合国との正式な講和条約をついに結ばなかったドイツの場合、゙ソ連、中国などの不参加のまま講和条約を結んだ日本の場合、というように大きく三つのケースに分類される。

 イタリアなどの枢軸側諸国の賠償問題
 ドイツ以外のヨーロッパ枢軸国の場合、賠償金は一九四七年のパリ講和条約の中で次のように取り決められている。
 イタリア(ユーゴスラヴィア、ギリシア、エチオピア、ア   ルバニア、ソ連に対して)三・六億ドル、
 ルーマニア(ソ連に対して)三・〇億ドル、
 フィンランド(ソ連に対して)三・〇億ドル、
 ハンガリー(ソ連、ユーゴスラヴィア、チェコスロヴァキ   アに対して)三・〇億ドル、
 ブルガリア(ギリシア、ユーゴスラヴィアに対して)〇・   七億ドル。
 いずれも大戦中の直接の交戦相手国に対する損害賠償の支払いということになっており、連合国の多くはこれらの枢軸諸国に対する賠償請求権を放棄している。

 ドイツの賠償問題
 ドイツの場合、連合国との正式の講和条約はとうとう締結されないまま今日を迎えている。東西に分裂したドイツが統一するまで講和条約の締結を待つというのが表面上の理由だが、実は冷戦の影響が大きい。東西両陣営とも、東と西の両ドイツに対する経済的圧迫を手控えざるを得なかった。一九五五年の西欧諸国と西独とのロンドン債務協定では、戦前、戦後のドイツと旧連合国との請求権の清算が取り決められたが、戦争に起因する請求権問題は講和条約で扱うとしたた め、結局、西独の連合国に対する賠償支払いは、いつ結ばれるか分からない将来の講和条約に委ねられた。
 一方、東側では一九五三年にソ連が東独に対する賠償請求権を放棄した。
 その一方、占領下のドイツでは連合国がドイツの生産設 備、車輌などを接収して現物賠償にあてることが進められ た。とりわけソ連占領地区においてこの傾向は顕著であり、これらの総額をおよそ二〇〇〇億マルクとする見方もある。これが本当とすれば、後述の犠牲者への補償額をも大きく上回る数字になる。
 ところで一九九〇年九月の東西ドイツと旧連合四ヶ国間の「最終規定条約」、いわゆる二プラス四条約で旧占領四ヶ国はドイツに対するすべての権利と責任を最終的に消滅させている。この最終規定は賠償問題について何ら触れていない が、これにより旧連合国のドイツに対する賠償請求権が消滅したものと考えられるかどうかは微妙な問題だ。すでに、 英、仏、オランダ、ギリシャ、セルビアなどがドイツに対し改めて賠償を請求しており、「賠償問題は決着済み」とするドイツ政府と対立している。

 日本の賠償問題
 サンフランシスコ講和条約では、日本の賠償義務を一般に承認したうえで、賠償額などの具体的取り決めは日本に占領されたアジア諸国と日本との個別協定に委ねられ、それ以外の連合国は賠償請求権を放棄した。この点は前述したイタリアなどの枢軸諸国のパリ条約に類似しているようにもみえ る。ただパリ条約が連合国全体と枢軸国との講和条約の中で賠償について取り決めたのに対し、サンフランシスコ条約においては賠償問題の具体的取り決めが日本と当該国とのニ国間協定に委ねられており、日本にとってはるかに有利なものとなったことは否めない。このような賠償問題での日本に有利な(アジア諸国に不利な)扱い方が、そもそも今日の戦後補償問題の出発点でもある。ある意味で、戦後補償問題の深刻化の責任の一端は連合国側にあるとも言える。

 その他の戦争と賠償問題
 ベトナム戦争の際アメリカは北爆その他であれほどの大量破壊を繰り返したが、とうとうベトナム側に賠償金を支払っていない。和平協定に先立って、北ベトナムは一切の賠償責任がアメリカ及びその傀儡者にあるとの態度を示したこともあったが、結局、和平協定にはその問題は反映されなかっ た。枯葉剤散布による出産障害などについてアメリカは被害者個人に対する賠償責任があることは明白だが、ほおかむりしたままだ。
 最近では湾岸戦争終結に際してイラクがクウェートその他の国に対する賠償責任を認め、国連がイラクの石油収入を財源とする賠償基金を設置した。基金は国連安保理理事国一 五ヵ国代表が運用委員会を構成し、ジュネーブに本部を置 く。


犠牲者個人に対する補償

 戦争での民間人犠牲者に対し損害を賠償するという思想はすでにヴェルサイユ条約に萌芽がある。しかしその場合、賠償支払いの方法はあくまでも国家間の賠償協定による。それに対し、犠牲者個人に直接補償金を支払うという考え方は、第二次世界大戦後に出てきたものだ。この補償の典型はドイツのナチス迫害犠牲者に対する補償であり、最近になってアメリカ・カナダにおける日系人強制収容者への補償が行なわれた。

ドイツのナチス迫害犠牲者への補償
 ドイツにおけるナチス迫害犠牲者に対する補償は、ワドイツ人またはドイツに在住していたものに対する補償(主として国内立法措置による)、ンイスラエルその他の外国に住む外国人に対する補償(当該国との国際協定による)、゙強制連行労働者に対する補償(民間企業による)に大別できる。以下この問題に最も精力的に取り組んでいる佐藤健生氏の解説に依拠しながらまとめる(「ドイツ戦後補償立法とその実行について」ベンジャミン・B・フェレンツ『奴隷以下』凱風社、所収)。

 国内法によるもの
 現在ドイツで行なわれているナチス迫害犠牲者に対する補償措置の最大のものは連邦補償法(一九五三年連邦補充法として制定、一九五六年に改正、連邦補償法と改名)によるものだ。この法律は、ナチス迫害により生命、身体、健康、自由、所有物、財産、職業上経済上の不利益を被ったものに対する補償を内容とする。制定以来同法に基づく給付申請約四五〇万件中二二〇万件が認定され、これまでにおよそ七一 〇・五億万マルクを給付、現在は約一四万人に年間一五億マルク(一人平均月額九〇〇マルク(一マルク六五円換算で五万八五〇〇円))を支払っている。一九六五年制定の連邦補償終結法は、給付対象を拡大するとともに、申請の最終期限を一九六九年末までとした。
 これとは別に一九五七年連邦返済法が制定され、第三帝国によって没収され「アーリア化」されたユダヤ人財産(ナチス体制下、ユダヤ人所有の企業や商店などが没収され「アーリア人」の所有になった)の返済ないし損害賠償が取り決められ、四〇億万マルク弱が支払われている。
 一九八〇年代に入り、これまでの連邦補償法では把捉できないナチス迫害犠牲者を救済するための措置として苛酷緩和規定が作られるようになった。苛酷緩和とは、個別の事例において法律の規定をそのまま適用すると特別に苛酷な事態が生じる場合にこれを調整することで、法律制定時に予期しないか十分に規定していなかったような場合のためにある。 従って苛酷緩和規定は現行の連邦補償法の規定には抵触しないし、それを変更するものでもない。これにより、シンテ ィ・ロマ(いわゆるジプシー)、「安楽死」犠牲者、ホモセクシュアル、兵役忌避者、脱走兵、「反社会分子」など、これまで補償の対象とされていなかった人々に一人一律五〇〇〇マルク、総額六億万マルク余りが支給された。
 この他ドイツでは連邦政府以外に旧西独の一一の州で独自の補償措置がとられており、その額は二二億万マルク余りに及ぶ。
 ところで連邦補償法について、その申請期限の短さ、対象者の狭さ、適格審査の官僚的冷たさなどが批判されている。特に対象者の問題は重要だ。
 連邦補償法は補償の対象者をドイツ人ないし少なくとも一定時期にドイツ国内に居住していたものに限定している。同法によれば、補償対象者はナチス迫害によって身体的、経済的損害を受けた人であって、一九五二年一二月三一日の時点においてその居住地または持続的滞在地を西ドイツないし西ベルリンに持っているか、または死亡もしくは国外移住以前に持っていなければならず、または一九三七年一二月三一日の状態に基づく旧ドイツ帝国内に最後の居住地を置いていた場合には一九五二年一二月三一日以後に西ドイツ及び西ベルリンに居住地を移さなければならない。
 つまり、連邦補償法の給付を受けることができる人は、一九五二年末の時点で西ドイツ及び西ベルリンに現に住んでいるか、すでに死亡もしくは国外移住している場合はそれ以前に住んでいたか、または旧ドイツ帝国内に居住していた場合には西ドイツもしくは西ベルリンに移住するか、そのどれかでなければならない。
 これらのナチス迫害犠牲者の多くが戦後ドイツを離れているため、連邦補償法の給付先はその八割以上がドイツ以外の外国になっているが、それでも元々ドイツに居住していた人が対象であることに変わりはない。「まずドイツ人の犠牲者を救済しようとしている」との批判が起こる所以だ。これまでのドイツ戦後補償総額約九〇〇億万マルクの八割弱は連邦補償法の給付金であり、ドイツが補償しているのは誰に対してなのか問題は残る。とりわけこのことは後述の東欧諸国からの強制連行労働者に対する補償問題に関わる。

 外国との国際協定によるもの
 西ドイツは一九五二年、イスラエルとの間でルクセンブルク協定を結んだ。これによりイスラエルに居住するナチス迫害の犠牲者に対し三〇億ドル、また他の地域にいるユダヤ人に対しては対独物的請求ユダヤ人会議を通じて四億五千万ドルの補償を約束した。このイスラエルとの補償協定は当時の西ドイツ国内の世論を二分するものとなり、与党キリスト教民主同盟の一部と野党である社会民主党の大部分の賛同によりかろうじて議会を通過した。
 ルクセンブルク協定に続き、西ドイツはフランス、ベル ギーなど西側一二ヵ国との間で総額一〇億マルクに及ぶ補償協定を結び、賠償協定の不在という欠落部分を一部埋めることになる。また東欧四ヵ国(ユーゴスラヴィア、チェコスロヴァキア、ハンガリー、ポーランド)との間で、強制収容所内の人体実験犠牲者に対する補償として総額一億二〇〇〇万マルク余りが支給された。
 この他ドイツは統一後、これまで西ドイツとしては協定その他の形で補償を行なってこなかった東欧諸国との間で新たに取り決めを結んでいる。現在までのところでは、ポーランドとの間で、「ドイツ・ポーランド和解基金」(ドイツが五億マルクの基金拠出)を設立し、ポーランド人強制連行労働者への補償に当てることになった。またソ連の崩壊後、ロシア、ベラルーシ、ウクライナなどとも補償協定を結んだ。

民間企業によるもの
 戦時中、東欧諸国から民間人や戦争捕虜をドイツないし東欧地域に移送して強制労働につかせたことから、雇用者で あった企業に対して補償を求める動きがある。現在までのところ、I・G・ファルベン、クルップ、AEG、ジーメン ス、ラインメタル、フェルトミューレ・ノーベル、ダイム ラー・ベンツといった企業が補償に応じており、総額で七五五〇万マルク程になる。またフォルクスワーゲン社が国際交流への援助といった形の「補償」を決めた。
 強制連行労働者に対する補償問題を民間企業が行なうの は、この問題に対するドイツ政府及び司法当局の対応が背景にある。強制連行労働はナチス迫害ではなく、戦争に伴う一般的現象であるとの立場をドイツ政府はとる。だからこの問題は犠牲者への補償ではなく講和条約で問題とすべき賠償問題ということになる。こうした政府の立場に連動する形で、民間企業が補償に応じる場合にも、補償の法的義務は認め ず、ただ人道上の措置ないし歴史的責任の問題として補償に応じるという立場を崩さない。そこには当然企業イメージの向上のためというような現実的配慮もあるだろう。
 補償に応じた企業はごく一部だ。「収容者を使った数百にのぼるドイツ企業のうち、生存者に何らかの補償をした会社は片手の指で数えられるほどしかない」(ベンジャミン・ B・フェレンツ)との厳しい批判もある。朝鮮人強制連行労働者を使役した日本の企業はこれまで一切の補償に応じていない。補償問題討議のため来日したこともあるフェレンツ氏のこの言葉を日本にいる私たちはどう受け止めるべきか。

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ドイツのナチス迫害犠牲者への補償額一覧    ・・  (一九九三年一月一日現在)・・                         ・・連邦補償法        七一〇億四九〇〇万マルク・・連邦返済法         三九億三三〇〇万マルク・・対イスラエル条約      三四億五〇〇〇万マルク・・その他一六ヵ国との協定   一四億     マルク・・その他の給付        七八億     マルク・・州による給付        二二億一七〇〇万マルク・・苛酷緩和最終規定       六億四四〇〇万マルク・・          計  九〇四億九三〇〇万マルク・・ (今後二〇三〇年までの予定総額は        ・・            一二二二億六五〇〇万マルク・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
アメリカ、カナダでの日系人強制収容に対する補償
 一九八八年八月一〇日、アメリカ上院は市民的自由法を可決し、第二次世界大戦時の日系アメリカ人の強制収容に対 し、アメリカ政府の公式の謝罪と一人当たり一律二万ドルの補償金を手渡すことを決めた。これを受けて同じく日系人を強制収容したカナダでも謝罪と補償金一人当たり約一万八千ドルの支払いを決めている。補償対象者は収容当時日系のアメリカ市民または永住外国人で補償法成立時に生存している人であり、米国籍を持っているかどうかには関わりない。また補償適格者を探す責任を米国政府に負わせている点も特長のひとつだ。米国政府は「南極以外のあらゆる国」に補償対象者を探したという(岡部一明『日系アメリカ人強制収容から戦後補償へ』岩波ブックレット)。
 この日系人補償問題は日系人市民団体などによる長い補償要求運動の結果として実現したものであり、決してアメリカ政府の「善意」といった側面だけで語られるべきものではないが、それでも五〇年以上前の政府による不当な扱いに対する謝罪と補償という決定は、今日の従軍慰安婦問題をはじめとする日本の戦後補償問題を考える場合には、きわめて示唆的だ。事実、イギリス人やオーストラリア人元戦争捕虜たちが太平洋戦争中の捕虜虐待について日本政府の謝罪と補償を要求する場合、そのモデルとしてこのアメリカのやり方が考えられているようだ。昨年(一九九三年)一一月初旬、米下院議員二四名が慰安婦問題での善処を求める書簡を細川首相に送ったときも、このアメリカによる日系人補償を例示して同様な対応を求めている。


戦争犠牲者への援護措置

 戦後補償をめぐるもうひとつの問題は、元日本軍人として兵役につき戦地に赴きながら戦後日本国籍を離れたために日本の軍人恩給、遺族年金などの援護の対象とならなかった朝鮮・韓国人、台湾人の元日本軍人・軍属のことだ。この問題の根本は、日本国籍を持たないものは一切援護の対象からはずすという援護法の国籍条項にある。この点、諸外国ではどうなっているだろうか。

欧米諸国の援護法
 欧米諸国の援護法には日本でいう国籍条項にあたるものはない。軍務についていた人はどの国籍であろうと援護の対象となる。また、戦争犠牲者の援護で軍人・軍属と一般民間人とを差別することもない。
 例えばイギリスの場合、第二次世界大戦中、旧自治領や植民地の住民はもちろん自由フランス軍、ポーランド亡命政府軍などの外国人部隊が英軍に参加しているが、軍務上の死傷ならばイギリス市民であろうと自治領・植民地住民であろうと、さらに外国籍であっても年金または一時金が支払われる(ただし額のうえで格差はあるようだ)。民間人の犠牲者に対する補償についても国籍による差別はない。
 フランスの場合も、フランス国籍の有無、軍人・民間人を問わず、戦争犠牲者に対する援護措置は基本的に平等に行なわれている。アルジェリアなどの旧アフリカ植民地住民が仏軍に参加して死傷した場合、それらの旧植民地が独立した後も軍人恩給、傷病・遺族年金等は支払われている。(奥原敏雄「欧米諸国における戦争犠牲者の補償制度」『法学セミ ナー』一九九二年八月号)
 ドイツでは、「戦争公務、平時の軍務、準軍事業務による損傷及び直接的戦争影響による民間人の損傷に対する援護をひとつの法律に一括したもの」として連邦援護法がある。援護の対象者は「ドイツ人及びドイツ民族に属するもの」であり、居住地は問わない。外国人は「その損傷とドイツ国防軍下の職務もしくはドイツの機関のための準軍事的業務との因果関係が存在し、かつそのものが居所または通常の滞在地を連邦領域に有する場合に請求権がある」から、一応援護の対象者になり得るが、「連邦領域に居住する」という「居住地条項」はつきまとう。連邦補償法と同じだ。受給者数推移をみると、一九五〇年代の約四四〇万人をピークにしだいに減少し、一九九〇年現在約一三〇万人が受給しており、その年額はおよそ一二〇億万マルクにのぼる。

ドイツにおける負担調整法
 以上の戦争犠牲者への援護措置とは別に、ドイツにおいて負担調整というユニークな戦後処理が行なわれている。
 これは、第二次世界大戦中及び大戦後の破壊や東部地区からの追放により生じた被害や損失、一九四八年の通貨改革において通貨体制を一新したことにより生じた被害や損失を社会的公正の原則に基づいて調整するものだ。資金は財産を有するものに一定の賦課率を課す負担調整税による。それを原資として財産、生活基盤に被害を受けた人々に調整給付を行なう。対象被害は、連邦共和国内の戦争被害、追放による被害、東部の旧ドイツ帝国領域における追放以外の被害、通貨改革によって生じた貯蓄者被害、東ドイツにおける被害だ。 負担調整制度はここで扱う戦後補償の脈絡から多少外れるかも知れないが、日本政府及び日本の司法当局が、原爆被害者などからの援護請求に対し戦争は日本国民全員で負担を調整するものといった言い方をする場合がままありながら、事実の問題として「みんなで負担を分け合う」といった措置をなにひとつ取っていないことを考えるひとつの素材として興味深いものである。


歴史的負債の補償

 戦前日本は朝鮮人に対して苛酷な植民地支配を行ない、日本本土その他に強制連行して奴隷労働を強い、その文化と財産を掠奪した。こうした歴史の負債について日本は責任を回避することはできまい。植民地を有していた旧宗主国が植民地独立後に損害賠償等をしている例は知らないが、経済援助等の形で負債の決済を試みることはある。

旧宗主国と旧植民地との経済協力関係
 長く熱い闘争の末アルジェリア解放勢力との停戦にこぎつけたフランスは一九六二年三月、エビアン協定を結び、アルジェリア人民の自決権を承認するとともに、アルジェリア独立後の経済援助を約束した。一九五八年以来続けられていたド・ゴール大統領のアルジェリア開発のための「コンスタンチーヌ計画」の継続やサハラ資源の開発へのフランスの技術援助などがそれだ。
 これらは賠償でも補償でもない。いわば途上国援助だ。フランス側に影響力保持のねらいがあり、「名目上の独立よりも経済的自立」を望んだアルジェリア側にとっては一種の妥協の産物と言えるから一面的な評価はできないが、旧宗主国が旧植民地地域に対し一定の歴史的責任を認めたものと見ることもできる。
 ECと第三世界との一九七五年のロメ協定も旧宗主国と旧植民地との一定の歴史的結びつきを前提にしている点で同様の意味があるかもしれない。

歴史的負債に対する補償
 一九九〇年二月にナイジェリアで行なわれた「アフリカと強制連行アフリカ人に対する賠償世界会議」では、一〇〇〇万から三〇〇〇万人と推定されるアフリカ人青年を強制連行して奴隷労働を強制したヨーロッパ及び南北アメリカに対 し、推定二五〇億ドルの賠償請求額が提示された。一九九一年六月のアフリカ統一機構閣僚会議でも、アフリカの歴史的被害を見積もるアフリカ人有識者グループの設置が決められたという(勝俣誠『現代アフリカ入門』岩波新書、二〇〇頁以下)。
 リビアの指導者カダフィがイタリアに対し「植民地支配に対する賠償」として一五兆リラ(約一兆円)を要求しているというのも、これに当たる。アメリカ黒人団体の中には、日系人への補償を契機に、奴隷制度以来の不公正に対する補償を求める動きもあるという。
 このような「歴史的負債に対する補償」がどの程度具体的なものになるかは予断を許さないが、戦争や植民地支配などの中で犯される国際的規模での重大な人権侵害に対する補償制度が提起されているのはきわめて現代的であり、注目に値する。

 以上、賠償と補償について現代史の中でどう扱われたかをみてきた。複雑多岐にわたるこの問題は世界史の最前線に位置しながら、歴史学的にも法律学的にも未整理のままだ。その一方、日本に対する戦後補償要求は、補償を要求する側の自然的時間の制約があり、いまや一刻の猶予も許されない。日本政府は種々の困難を越えて、歴史的負債に対する補償の実現に向け、世界史をリードすべき立場にいるのではないか。
 日本政府や日本企業、国民に要求されていることは具体的に何なのか。最後にこの点を簡単にまとめておこう。
 第一、日本がサンフランシスコ講和条約や韓国、東南アジア諸国との賠償協定その他に基づいて行なった「賠償」や 「援助」は、犠牲者個人に対する救済という観点からは、形式的にも金額的にも不十分なものだった。この点をまず認めるべきだ。
 第二、国家間の請求権問題が条約等により「決着済み」であることと、日本軍などによる加害行為の犠牲者を救済することとは分けて考えるべきだ。個人補償の多くは日本が国内法を整備すればできることだし、また条件があれば相手国政府ないし犠牲者団体との特別の補償協定の形をとることも考えられる。個人補償を戦後賠償とは別次元で行なったドイ ツ、アメリカの経験はこの点で参考になる。
 第三、日本の援護行政につきまとう「国籍主義」を克服 し、「欧米並み」に援護対象者を広げるべきだ。これだけでも戦後補償の少なからぬ部分は解決する。
 第四、過去の日本が行なった加害行為から生じた被害については自国の歴史の中で残された負債の決済と位置づけ、誠実に対処すべきだ。「補償に代わる措置」の名目で補償をケチったり、訴訟を提起している犠牲者について司法当局の判断を待つといった姑息な立場をとるべきでない。このような態度に終始すれば、アジア諸国民の日本に対する不信は解消するどころか、かえって増幅する。
 第五、弱者が泣き寝入りをする過去の時代は過ぎ去りつつある。歴史の中で痛みを負った人々に対する正当な補償をすることで痛みを分かち合い、将来の社会に寄与することが求められる。そのために必要な経費は、国民がこれを甘受すべきだ。湾岸戦争でいっぺんに九〇億ドルも出したではない か。この問題で政府当局がいかにも金を出し渋るという態度をするのは決して「国益」にそぐわない。
 日本政府の良識ある対応を望む。

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