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貧困ではなく格差が問題だった - 「反貧困」を問い直す
NYで始まった「ウォール街を占拠せよ」の運動に興奮と律動を覚える。ようやく待っていたものが到来した感があり、同時に、米国でもこれがあるのかという意外な驚きもある。これが一つの希望だ。「他力」の諦観からリムーブし、「自力」へテイクオフできる希望。期待して注目し、支持し、彼らの行動を見守りたい。カンパの支援もしたい。一昨日(10/3)の報道では、スティグリッツが現場に赴き、集まった若者を鼓舞する姿があった。感動する。こういう場面を見たかった。43年前、シカゴ大学のキャンパスで、同じように宇沢弘文が奮闘していた。兵役を拒否して単位を失ったベトナム反戦学生たちを守るべく、身を挺して大学当局に単位認定を働きかけ、教授会を動かす「大学の自治」の偉業を成したのだった。宇沢弘文は巨人。ブルックリン橋で、排除に来た警官隊と対峙したデモ隊の若者たちは"The Whole World is Watcing"を連呼していた。1968年8月29日、シカゴ民主党大会の反戦デモは、警官隊と衝突して600人の逮捕者を出す流血の惨劇となったが、そのときの現場の録音が、アルバム『シカゴの奇跡』の中の「プロローグ」にあり、デモ隊がこのフレーズを連呼している。久しぶりに、懐かしいアメリカが甦った。このデモを見ながら、思ったことが二つある。一つは、1968年的状況ということ。もう一つは、やはり貧困ではなくて格差だということ。格差が問題だということ。湯浅誠の「反貧困」には根本的な限界があったということ。


今、1968年に似た状況がある。全世界で自然発生的に、同時多発的に若者のデモが起こり、それらが互いに影響し合い、共鳴の連鎖が繋がり、渦を巻いて広がっている現実がある。あのときは、フランスで「パリの5月」の運動があった。チェコで「プラハの春」の事件があった。中国で文革の紅衛兵の騒動があった。日本で全共闘による大学紛争があった。そして、米国で空前のベトナム反戦運動の盛り上がりがあった。今回、「ウォール街を占拠せよ」の参加者は、この動きが「アラブの春」に触発されたものだと語っている。ギリシャでは、政府の緊縮財政による増税や賃金カットに抗議するデモが毎日続き、労働者のデモとストライキが政権を転覆する勢いにある。この抗議運動は直接的にはギリシャ政府に向けられているが、基本的に分配の問題を含み、グローバル資本主義への批判の契機が色濃い。米国の若者の運動とも通底するもので、単にユーロの防衛とか各国の財政問題の範疇で止まるものではないだろう。経済のあり方を根本から問い直し、誰が誰のために経済運営をするのかという本質的な問題が焦点になるはずだ。ギリシャの市民たちにも、2月に目撃したエジプト革命の映像が焼きついているはずで、市民が結集し抵抗し闘争することで、政治を動かせるという確信があるに違いない。ギリシャはエジプトの対岸であり、デモクラシーの本家でもある。

格差と貧困の問題について、私は2年前の8/2の記事で次のように書いている。総選挙直前の時期。このときの議論は、控えめな表現ながら、中身として湯浅誠批判だった。「政治の現場において格差社会批判の言説が後退している(理由について)二つ仮説を挙げています。第一に、格差批判の言葉が選挙の争点として議論された4年前や2年前に較べて、現在は格差社会が構造的に固定化し、すなわち現実的な所与なり前提となっていて、一般国民にとっての『将来の脅威や恐怖』ではなくなっていること。第二に、格差を批判し対抗する側が、『格差ではなく貧困である』という問題認識を定式化し、言わば格差批判の言説を内側から閉め出して無効化させ、政党もその定式に準拠したという思想的な事情と背景があるのではないかと考えます。格差と貧困とは同じではないですよね。貧困対策という術語は成立しますが、格差対策という術語は成立しません。同様に格差社会という術語はありますが、貧困社会という術語はありません。貧困よりも格差の方が、新自由主義に対するトータルでラディカルな批判意識を表現した言語と言えるのではないでしょうか。敢えて言えば、ミドルクラスは格差の言語で新自由主義を批判し、プロレタリアは貧困の言語で新自由主義を批判する,、格差の言説は新自由主義の社会構造を批判し、貧困の言説は新自由主義の社会現象を批判する、という具合でしょうか」。

今、私は2年前のこの主張にあらためて強い確信を持つ。NYの若者たちは、格差を批判している。反貧困ではなくて反格差だ。ここが重要だ。決定的に重要な点だ。見逃してはいけない。格差と貧困は同じ問題ではない。われわれの敵は格差なのであり、格差を生み出し固定化する構造であり、格差社会を作って放置している政治なのである。結局、反貧困は単なる互助運動と行政制度のレベルに止まるのであり、政治を変えるというストレートな問題解決の方向には行かない。湯浅誠の口から、「政治を変える」という言葉を聞いたことがある。2年前の総選挙の前後だ。だが、それは嘘だった。湯浅誠は内閣府参与になり、菅政権の下でも、野田政権の下でも、その地位を続けている。菅政権の時代には、「税と社会保障の一体改革」の集中検討会議の委員になっている。与謝野馨が消費税増税を固めるこの会議に湯浅誠は委員に選ばれ、それを下から(左から)支えてお墨付きを与える役割を果たした。この男がこのような立ち回りをするとは、私は2年前は全く想像もしていなかった。裏切られたという痛恨と憤怒の思いで目眩がする。昨年はNHKのテレビに出て、貧困者に救済行政の制度メニューを紹介するガイド役を増やす仕組みを作るなどと言っていた。言うことが徐々に変わり、怪しくなって行った。そして、3.11の後はボランティア連携室長になり、辻元清美の部下になった。「反貧困」や「政治を変える」はどうなったのだ。

そもそも、労働者派遣法改正は全く頓挫してしまっている。派遣法改正に手がつけられず、製造業の派遣禁止が実現しないのに、湯浅誠はそれを動かそうとせず、内閣府参与様に止まったまま、消費税増税に手を(名前を)貸したり、辻元清美の子分をやってお茶を濁してきた。民主党のマニフェストには、「製造現場への派遣を禁止する」と明記されている。この「契約」の履行が、まさに労働者派遣法の改正で、これは選挙の前からずっと議論され、反貧困運動が要求し、派遣村から政権交代の間の8か月間の最も重要な政策論点だった。ところが、政権交代が実現し、福島瑞穂が内閣に入り、湯浅誠が内閣府参与になった途端、派遣法改正の気運は薄れ、宙に浮かせたまま何もやらなくなるのである。そして、普天間問題で社民党が閣内から去った後は、湯浅誠はそんな課題は何もなかったかのような素振りになり、菅政権を支える顔の一人になった。その一方、非正規は減ることなく、非正規労働者の74%が年収200万円以下となり、日本の貧困はすっかり定着してしまっている。私の予想では、これから、NHKが特集した「生活保護」の問題が表面に浮上する。つまり、生活保護費を抑えるために、官僚は小泉時代の「水際作戦」に逆戻りさせる動きに出るはずだ。それを「社会保障改革」の柱の一つにするはずで、鈴木亘的な、働ける世代には支給するなという方針を定置しようとするに違いない。そこに湯浅誠と宮本太郎を同調させようとするだろう。

また何か委員会を作り、「税と社会保障の一体改革」時と同様、湯浅誠と宮本太郎と赤石千衣子を入れ、生活保護の支給削減政策の(左からの)オーソライズに利用するだろう。湯浅誠は、私が彼の話を聞いた2010年9月の時点では、消費税増税には反対だと言っていた。ところが、それから半年後には立場を変えている。湯浅誠の反貧困の運動の成果は何だったか。その意義は何だったのか。その思想は何だったのか。そのことを、今、検証する時期に来ている。それをやる必要がある。湯浅誠は、2007年の著書『貧困襲来』の中で、「もはや混乱のモトだ。もう格差(の言葉)は使わないほうがいい」(P.68)と書いている。ここがポイントだと私は思う。2007年は、今から4年前だが、貧困という言葉は、日本で現在のように一般的に使われてはいなかった。この時期、小泉・竹中の構造改革と新自由主義を批判するとき、われわれが問題にしていたのは格差だった。湯浅誠は、格差ではなくて貧困を問題にせよと言い、それを訴え、その主張を民衆にも権力にも広範に受け入れさせ、社会的に確立させたのだ。湯浅誠の成功によって、問題は格差ではなく貧困になった。焦点は貧困救済になり、行政の課題になった。ボランティアの問題になった。貧困者を助ける運動になった。そこから、日本の反新自由主義は政治的な性格を失い、「ウォール街を占拠せよ」的な革命的色彩を失った。STKの運動を始めたとき、貧困は問題ではなかった。やはり、フォーカスすべき問題は貧困ではなく格差なのだ。

湯浅誠の前と後で何が変わったか。その一つは、日本人が貧困に慣れたことである。貧困で当たり前になり、格差を問題にしなくなったことだ。中間層に戻るとか、中間層を再建するとか、そういう問題意識がなくなった。正規・非正規が所与となった。湯浅誠は、「非正規で夫婦二人で働いて、家族を持って一生暮らせる社会」が目標だと言った。今、年収200万円以下でそうしろということになり、20代の70%が非正規で働く現実になっている。湯浅誠の認識の中には、1%が冨を独占しているなどといった富裕層批判はなく、それを是正しようという政策論もなかった。むしろ、話を聞いていると、昔の一億総中流社会は間違いだという、脱構築主義の常套句の指摘があり、戦後日本の達成や所与を忌み嫌う態度がある。さすがに東大・岩波。湯浅誠の理論の中には、経済成長という考え方が全くなかった。経済成長による所得増と税収増とか、内需拡大による景気拡大とか、そうした経済学の発想がなく、ケインズ主義的な政策志向が皆無なのが私には不思議だった。今、敢えてシニカルに言うならば、湯浅誠は貧困主義なのである。自分が活動して接し続けてきた貧困世界が、可視化されるだけでなく、日本全体に拡充して全体が貧困社会となるのを、心の中で歓迎し肯定する無意識があったのではないか。そう疑われる。つまり、反貧困というのは、政治運動としてそもそも成立するのかという根本的な問題だ。貧困化しないためには、格差社会の構造を政治で叩き壊すしかないではないか。官僚と妥協して、格差社会を壊すことなどできるはずがない。

シャウプ税制(累進課税)に戻し、証券課税を強化し、企業の持ち株制を復活させ、下請け中小企業の利益を厚くさせ、労働者の配分を増やすことである。1990年代から2000年代に改悪した資本と労働の全ての法制を元に戻すことだ。


by thessalonike5 | 2011-10-05 23:30 | その他 | Trackback | Comments(0)
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