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小沢一郎の秘書3人に対する有罪判決の不当と異常
昨日(9/26)の、小沢一郎の元秘書3人に対する有罪判決について、ネットの中では轟然と非難の声が上がっている。私も、この判決内容は意外で、刑事裁判の常軌を逸し、司法の基本原則を踏み外しているとしか思えない。昨年、足利事件の再審判決があり、さらに村木厚子の事件があり、検察が一方的に事件のストーリーを描いて無実の者を冤罪に追い込む悪弊が糾弾された。足利事件と村木事件の教訓は、刑事事件の捜査と審判に当たっては、司法当局は何より証拠を重視し、予断で事件の構図を推定してはいけないという戒めだった。その教訓と反省は、マスコミを通じて幾度も世間に喧伝されたはずである。ところが、今回の判決は、そうした司法の過誤への反省など全く嘘だったかのような驚くべきもので、裁判官自ら証拠も調書もそっちのけで構図描きに腐心し、推認の山を重ねて被告人を断罪しているものである。裁判所が率先してストーリーを描いている。まさに司法の逆コース。若狭勝は、「供述に頼らなくても状況証拠だけで有罪とすることが可能だと示したことは、特捜部は非常に大きな力を得たと言えると思う」とコメントした。だが、若狭勝やマスコミが言う「状況証拠」は、この場合、果たして本当に状況証拠と呼べるものなのだろうか。この「状況証拠」には言葉のマジックがあるように思えてならない。バイアスがかかった推認に都合のいい「状況情報」でしかないのではないか。


例えば、大久保隆規の「天の声」の事実認定の問題がある。判決では、ゼネコンからの見返りなく口利きするはずがないとして、大久保隆規が裏金を受け取ったと推認している。だが、果たしてこの「推認」は裁判所の行為として妥当で適正だろうか。大久保隆規は、現実にゼネコンからの要請を受けて、談合の仕切り役の鹿島に口利きをした事実は認めている。だが、口利きをしたということと裏金を受け取ったということは別だ。裏金を受け取ったという事実を認定をするためには、具体的な証拠が特定されなくてはいけない。それも、大久保隆規を「天の声」の主だったと断定するのなら、水谷建設の5千万円の件だけでなく、複数の公共工事での複数の受注業者の証言を揃えて列挙する必要がある。それが、裁判官が公判の審理過程で追求する中身だろう。世間一般の常識なら、この「推認」は成立するし許される類のものだ。しかし、そうした粗雑な「推認」で有罪が可能なら、検察も裁判所も不要だということになる。真実を明らかにするためには、動かぬ証拠が突き止められなくてはならず、それが裁判というものだろう。水谷建設の5千万円についても、大久保隆規は受領を否認している。裁判所が現金授受の「状況証拠」だとして挙げるホテルの喫茶店のレシートは、果たして現金授受の裏付けの要件を満たすものと言えるのか。単に面会の事実を裏付ける証拠ではないのか。現金授受を確定する物証ではない。

報道によると、この裁判官は、「威圧的な取り調べや利益誘導があった」として、検察の調書を不採用にし、公判でまともな証拠調べを行っていない。検察が裁判所に提出した証拠の当否を、公判で審理するというプロセスを踏んでいない。ネットでは、小沢信者が、「秘書3人は有罪になったが無実だ」と叫んでいる。私の見方は逆で、敢えて言えば、「秘書3人は無実ではないが無罪だ」となる。それは、刑事裁判の大前提である「推定無罪」と「疑わしきは罰せず」の原則の適用による。どれほど状況的に疑わしく、世間常識では真っ黒でも、捜査にミスがあり、裁判で証拠と手続きが不全では無罪にせざるを得ない。それが近代国家の司法というものだ。この件では、被告人の石川知裕と大久保隆規が、検事によって(睡眠を与えられない)拷問に近い取り調べを受け、検察の筋書きに沿った供述をしろと脅迫された事実が明らかになっている。また、石川知裕の女性秘書が10時間近く検察に監禁され、不当で違法な取り調べを受けた事実も報道で周知されている。だからこそ、裁判官は調書を証拠採用しなかったわけで、すなわち、裁判が始まった時点で、最初から検察は負けているのであり、捜査も起訴も不当であって、公判で争う立場と資格を失っているのだ。本来、こうした起訴に対して、裁判所は検察の逸脱と過失を責め、被告人を勝訴させることで検察に責任を取らせるものである。裁判制度の根幹に関わる問題だからだ。

今回、検察が「満額回答」で勝訴したことにより、検察の拷問も違法捜査も免責され、二次的な問題の扱いにされる結末となった。今回の判決は、昨年の検察審査会の強制起訴に続く、まさに前代未聞の事態であり、司法の発狂と暴走だ。先の強制起訴は、要するに、市民感覚の素人の審査員が、小沢一郎は疑わしいから裁判でシロクロ決着をつけろと決定したものだった。検察が「疑わしきは罰せず」で不起訴にしたものを、無理やり「シロクロつけろ」と裁判に持ち込ませたものだ。唖然とさせられ、蒼然とさせられたが、今回の判決はそれに続く第二弾で、この国の刑事裁判の原理と前提を根本から覆した暴挙である。調書がそもそも不採用なのに、検察が勝訴する裁判などあるのか。「推定無罪」「疑わしきは罰せず」は、この国の司法の原則ではなくなった。教科書から消さなくてはいけない。証拠が揃わなくても、状況と推測だけで事実認定され、有罪判決が堂々と下される。始めに結論ありきであり、供述調書も証拠調べも不要で、要するに人民裁判を裁判所が代行している。基本的に、スターリン統治下の旧ソ連における政治犯への粛清裁判と同じ。民主主義国家の三権分立した司法権による刑事裁判ではなく、露骨で粗暴な暗黒の政治裁判であり、粛清に司法の形式を纏わせ、合法性を演出しているだけだ。官僚権力による小沢一郎の追い落としであり、官僚が司法権を濫用して政敵を抹殺している図である。昨年の強制起訴の続きだ。

冒頭、この判決内容は意外だと書いたが、予感はあった。それは、代表選での小沢一郎の完敗の背景である。私の推測では、おそらく官僚は、検事調書を証拠不採用にした段階では、この裁判を無罪やむなしと諦めていたに違いない。いくら何でも、法廷で証拠調べもせず、また、拷問に等しい取り調べが行われた起訴事案を有罪判決には導けない。だが、代表選で情勢が変わり、小沢一郎の裁判も有罪に持ち込めると方針を固め、その前段として、陸山会事件の裁判で秘書3人を有罪にしたのである。代表選で小沢一郎が3連敗を喫し、勢力が衰えた機を捉えて、これなら行けると反転攻勢に出たのだろう。官僚は、どこかで特捜部を復活させなくてはならない課題も抱えて狙っていた。逆に、ここで秘書を無罪にすると、小沢一郎の裁判も検察敗訴が確定的となり、小沢一郎の完全復権となる。その政治状況は、現在の増税論議に確実に影響する。10月の3次補正で所得税を増税し、年末の「税と社会保障」で消費税を増税しという、財務官僚の計画の進行を阻む脅威となる。菅降ろしを野田政権に繋げられたことで、官僚は、ここで消費税を決め、TPPを決め、辺野古を決める腹であるる。それには党内での小沢派の蠢動は邪魔なのであり、小沢一郎の来年の代表選出馬の芽を摘み、小沢派を解散と放逐に追い込みたいのだ。村木事件の失態によって、中断と雌伏を余儀なくされていた官僚とマスコミの小沢一郎潰しが、代表選を契機に再び盛り返したという政治に他ならない。

若狭勝とマスコミは、小沢一郎の裁判は秘書の裁判とは違うと気休めを言い、小沢派を安心させているが、これは世論を騙す巧妙な心理作戦だろう。こうした心にもない嘘の情報を撒くことで、今度の判決の悪質な政治性を薄め、市民世論が異常な裁判に対して異議を唱えないように宥めているのだ。それにしても、始めに結論ありきの裁判という点では、この裁判は高知白バイ事件とよく似ている。弁護側の反論や反証はすべて「非合理的」という一言の下に却下、一方、検察側の主張は証拠もなしにすべて「合理的」だという評価が連発して認められる。結局、マスコミが検察のリーク報道で描き上げてきた「小沢一郎の収賄」の犯罪だけが、裁判官の頭の中にあった構図であり、判断の基準であり、それに検証が加えられることなく、直截に、裁判所が判決で「明らかにした事実」になってしまった。つまるところ、この裁判官(登石郁朗)は、昨年の検察審査会の市民審査員と同じ行為を反復したのであり、何もプロの法曹家のインテリジェンスは介在させてないのだ。4億円の資金の出所について、被告人が合理的な説明をしていないと裁判官は言い、それを有罪(虚偽記載)と決める根拠の一つにしているが、4億円の出所事実とその挙証責任は、本来は罪を問うている検察の側にあるのではないのか。検察が法廷で明らかにした事実について、裁判官がそれを認めるかどうかではないのか。検察は、それについて何も合理的な説明をしていない。小沢一郎の4億円について、こうだと事実を構成提示していない。

被告人の説明が非合理(しどろもどろ)であるのは確かだ。だが、それを咎めるのはマスコミや世間であって、裁判所がその非合理性を咎めて、それをもって有罪にしてよいのか。であれば、記憶が曖昧で証言が揺れた被告人は全て有罪になってしまう。



by thessalonike5 | 2011-09-27 23:30 | Trackback | Comments(0)
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