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2011年7月24日1時1分

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「お前らを守るために来た」呼びかけた後に容疑者乱射

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写真:事件前日の与党・労働党の青年集会の様子。オスロ郊外のウトヤ島で開かれ、外務大臣(前列左から4人目)も参加した=ロイター拡大事件前日の与党・労働党の青年集会の様子。オスロ郊外のウトヤ島で開かれ、外務大臣(前列左から4人目)も参加した=ロイター

 与党・労働党が青年集会を開いた島には、約600人の支持者らが集まっていた。参加者たちは発生したばかりのオスロ爆弾事件のニュースを不安げに語り始めていたという。そこに警察官姿のブレイビク容疑者が現れた。

 ノルウェー赤十字の関係者によると、容疑者はテロ対策担当を名乗り、マシンガンや短銃で武装。島の施設のメーンホールに若者を集めると、突然銃撃を始めたという。少年たちが左右に分かれて逃げると、片側の集団はほぼ皆殺しにされ、泳いで逃げようとする人も発砲を受けた。警察によると、乱射は約1時間半に及んだという。

 集会に参加していたトールビョルン・ベールアイダさん(22)は朝日新聞の取材に、「男は『お前らを守るために来たんだ。みんな出てこい』と呼びかけていた。銃を向けられ、弾丸がすぐ横の集団に当たるのを見た。撃つときに何も気にかけていないようだった。全員が2回は撃たれるように、確かめているようだった」と語った。水中に身を隠して逃れたという。

 エリック・キューシャガールさん(18)は「女の子が泣いているのをみて、乱射に気が付いた。発砲音は静かで、ゲームかと思うほどだった。みんな崖や林に隠れようとした。崖で男が20〜30人に発砲するのをみた。僕も水中に飛び込んで、途中のフィヨルドまで泳いだ。足がつって泳げなくなったけど、ボートに助けられた」と語った。

 集会を主催した労働党のステイン・ハネイム議員(27)は英BBCに「彼はとても冷静な感じで、自分が何をしているのか理解しているようだった。島中を歩き回って何も話さずに銃を撃ち続けた」。島の学校にあったベッドの下に2時間潜んでいた女性は、銃撃音がだんだん近くに迫ってくるのを聞いた。「隣の教室に逃げた人は混乱して叫び声を上げていた。もうダメかと思った」と英スカイニュースに語った。

 集会に参加した多くが14〜18歳の若者だった。事件の後しばらくしてもショック状態の人が多く、「今日のテレビは何をやっているのか」などと、事件と関係のない話題を話したがる子もいるという。行方不明者もかなりの数に上っており、捜索隊が水中で捜しているという。

 島のある湖の近くに住むメッテ・ヘイエルさん(56)は、集会に参加していた親類の娘ユーリアさん(16)が、約700メートル泳いで難を逃れたという。「近所でこんなひどい事件が起きるなんて、考えられない」と憤りをあらわにした。

 乱射事件の2時間前には、オスロ中心部が恐怖に包まれていた。22日午後3時半ごろだった。

 「ドーンと大きな音がして、地震かと思うほど建物が揺れた」。近くにいた市民は口をそろえる。政府庁舎のすぐ外で起きた爆発の衝撃はすさまじかった。

 現場から約200メートル離れた路上にいた出版会社員のベルガーさん(28)は爆風で自転車から振り落とされそうになった。店舗のガラスが砕け、いっせいに人が飛び出してきた。

 泣き叫ぶ声、携帯電話で家族の安否を確認する人、片腕を吹き飛ばされて血を流す男性。数百人が走って逃げていた。元カメラマンのアンドレアスさん(35)は政府庁舎前で、犯行に使われたと見られる焼けこげた車が転がっているのを見た。男性が血まみれの女性に心臓マッサージをしたが、目を見開いたまま息絶えたようだった。

 近くのホテルで仮眠を取っていた米国人パイロットのイアンさん(41)はこう語った。「2001年の9・11テロの現場にいた。10年後に、平和なノルウェーでこんな光景を見るとは」

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