似ているブログ
エキサイト

本と映画と政治の批評
by thessalonike5
アクセス数とメール
今日 
昨日 


access countベキコ
since 2004.9.1

ご意見・ご感想



最新のコメント
北朝鮮問題になるとコメン..
by nyckingyo at 11:21
英語版 Wikipedi..
by 不定期読者 at 17:24
>魚寿さん >国債の価..
by liberalist at 17:10
>利子の負担 まあ、実..
by liberalist at 16:58
この場をお借りして返信さ..
by liberalist at 16:43
>ゆたか様へ  既に銀..
by 魚寿 at 22:09
安倍ちゃん >来年..
by ゆたか at 00:30
>北朝鮮側の暴走はなくて..
by ゆたか at 02:30
>liberalist ..
by ゆたか at 03:06
最新のトラックバック
以前の記事


SMTWTFS
123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031
access countベキコ
since 2004.9.1


















OWS運動に励まされた2011年 - 米国人のクレドと革命
昨日(12/25)、TBSのサンデーモーニングの年末特集の中で、OWSが取り上げられていた。短い時間だったが、デモの参加者へのインタビューが紹介され、彼らの発言が映像で流れた。「銀行がこの国をダメにし、我々の仕事を奪っている」、「懸命に働けば何かを達成できる国だったが、今はそうでなくなっている」「上位1%の人たちがその財産を使って政府をコントロールしている」「彼らの富が増えれば増えるほど他の人たちに回るお金が減ってしまう」「市民の声よりロビー団体の声の方が強くなってしまった」「ロビー団体のカネが政治のあらゆる層にバラ撒かれている」「カネがあれば自分でルールを作れるのが資本主義」。OWSが日本のマスコミで報道される機会は幾度もあったが、このように抗議する人々の声を現場で直接拾い、背景も含めてそれを特集報道したのは初めてではないか。こうして、米国人が上のような言葉を発するのにテレビ画面で接すると、ネットで写真や動画を見るのとは全く違う生々しい衝撃が伝わってくる。意味の大きさをひしひしと感じる。今年、世界で起きた出来事の中でも、米国の反格差デモは最も重大な事件に違いないが、NHKがそれを取材して報道していない。米国と世界を揺るがしたこの運動に焦点を当てず、彼らの要求や動機を伝えていない。TBSがようやく試み、それを視聴者に届けた。


クローズアップ現代がOWSを取り上げてない。と書くと、誰もが「まさか」と思うのではないか。信じられない話だが事実だ。10月11月も一度も題材に取り上げていない。数年前のNHKであれば、即座にNYに国谷裕子を飛ばし、ズコッティ公園の様子を詳しく撮影、識者とのインタビューを交えて有意味な30分の番組に編集したことだろう。国谷裕子のジャーナリズムにとって最も絵になる素材と現場であり、誰よりも質の高い特集に仕上げられたはずで、英語系が専門の本人がそれを渇望しなかった道理がないと私は思う。三宅・大越レジームのNHKの反動化が極まっている。そしてまた、ないものねだりの愚痴の繰り返しだが、筑紫哲也が生きていれば、どれほど体調が悪くても、局とスポンサーが反対しても、強引に押し切って飛行機に飛び乗り、心を踊らせてJFKからマンハッタン島に向かったことだろう。それは私と同じく、筑紫哲也にとっても、it has come の歴史的事件に違いないのだ。it has come だからこそ、三宅・大越レジームの報道管制は国民の目からそれを隠す。国谷裕子にリーチさせない。昨年、私は「他力」の言葉を使い始め、「他力」の思想で政治を考えるようになった。その「他力」の意味は、OWSとは少し違う内実だったが、こうしてOWSと筑紫哲也というカップリングを仮想すると、何か願いが天に届いた幸せな気分がしないでもない。

この間ずっと、憑かれたように、ネットの中のオキュパイ運動の画像を検索し、一枚一枚に見入っているが、本当に驚くほど多く、RevolutionやCapitalismの語が手製プラカード上に踊っている。Class War も多く見かける。これが米国かと信じられないほど、人々が公然とRevolutionを要望し、正面からCapitalismを批判している。無論、プラカードの標語の中で最も多いのは、We are the 99% であり、Tax the rich であり、Greedへの糾弾の言葉だけれども、RevolutionやCapitalismの露出と散見はそれらに負けていない。頻度が多い。米国人らしく明快に革命だと言い、率直に資本主義を批判している。果たして日本人のわれわれがデモをしたとき、このように資本主義批判の言葉を発せられるだろうか。プラカードに革命の文字を入れられるだろうか。否、デモのプラカードでなく、日常の会話や文章の中で、どこまで革命や資本主義の言葉を使えるだろうか。それらの語は、現在の日本人一般にとって忌むべき過激派の語であり、唇から漏らした途端、「左翼」のレッテルを貼られ、世間から異端として迫害されることを覚悟しなければならない禁制の語である。迂闊に発することができない。世界史の教科書の上だけで覚え、試験の答案に書き、以後は忘却しなければならない言葉である。日常で使ってはいけない言葉であり、語は語を使う者と共に隔離されたネガティブな別世界にある。

しかし、米国人はこの言葉を躊躇なくプラカードに掲げてアピールしている。革命はリアルなのだ。革命は彼らの市民社会の伝統であり、遡って拠って立つ建国の原点であり、米国人は市民革命の歴史の嫡流に他ならない。今年、TIME誌はパーソン・オブ・ザ・イヤーに「プロテスター」を選んだが、その理由を説明した関係者の言葉が印象的だった。今年の世界各地での事件は、無名の市民による直接抗議行動の意味を大きく浮かび上がらせたと言い、それが国家の政権を一瞬で突き崩し、政治を劇的に変える力を再認識させたと語っている。この指摘は、日本のマスコミやアカデミーの論者に決定的に欠けている視点であり、政治学的なリアリズムがここにある。エジプト革命を見て、NYのOWSを見て、われわれが持たなければならない態度は、TIME誌の幹部の素直さである。日本のマスコミ(保守)もアカデミー(脱構築)も、OWSに対して貶価ばかりであり、口を開けば政策要求が不明確だの、主張がバラバラで纏まりがないだの、政治に影響を及ぼす展開にはならないだの、否定的な議論ばかりで埋めている。彼らの挑戦の意味を正視せず、この運動に通ずる政治思想史を分析できていない。まともに直視すらしない。60-70年代の日本社会に投げかける蔑視や揶揄をそのままスライドさせ、「時代遅れの左翼の遺物」だと唾を吐いている。日本の論壇は、右も左も、OWSを起こした米国の現実の動きに遅れている。

この事態を正確に把握できていない。加藤周一の対話集を読んでいたら、丸山真男と古層論を論じた場面で次のようなことを言っていて、OWSを考える上で参考になると感じたので紹介したい。「日本やヨーロッパと違って、アメリカには今でもクレド(信条)が生きているんじゃないですか。(略)自由とか正義とかの信念に基づいて一人で立ち上がる。価値を内在化したという意味での個人ですね。それがアメリカにはずいぶんあると思うな。(略)日本と違うんだ。『みんなで』反対しましょうとか、『みんなで』賛成しましょうとか、言うんじゃなくて、個人の信念で反対する。(略)正義とか真実を知りたいとか、まことに素朴なものが生きている。だから、一人で立ち上がる道というのが、わりあい開かれているんですよ。事実をもって議論をすれば、あらためてその立場を検討する用意がある。ある素朴な形での理想主義の信念があることと、それを基準にして、正しいことであれば誰が言っても正しいという、開かれたところがある」(『現代はどういう時代か』 P.31-32)。これは加藤周一の1958年の発言で、今から半世紀以上前の所論で、こうした言説に親しいわれわれの世代には、自己と世界を見る上での基準となってきた。現代の脱構築主義のアカデミーの常識からすれば、西洋中心主義の悪しき近代主義のドグマであり、唾棄すべき過去の思想的切片だろう。しかし、OWSで手製ボードを掲げる若い女性たちの姿は、まさしく加藤周一が照射した範疇である。

資本主義は資本主義なのである。昨日(12/25)、寺島実郎は番組の中でウェーバー的な視点を垂れて資本主義の本来性を擁護したが、ウェーバーの考察が資本主義論として普遍的とは限らない。あくまでマルクスとウェーバーの二つがある。資本主義には二面性があり、戦後日本の経済を設計構築する上で大塚久雄がウェーバーを巧く使って資本主義論を鋳直したということであり、戦後日本の官僚や経済人がその教説と基準に則って政策や経営を動したということだろう。限りなく強欲で、労働者からの収奪で富を蓄積し、格差を広げてゆくのが資本主義である。少なくとも、1980年代以降の新自由主義とグローバリズムの中で基調となっている資本主義は、そういう性格のイデオロギーとシステムとレジームである。名もない人々が、それに対して抵抗運動を起こし、富を社会に還元して格差を解消せよと要求している。富は自分たちが生産したものであり、公平に分配されるべきだと主張している。この人々は、まさに近代市民であり、憲法が主権者として想定するpeopleだろう。そしてまた、この主張は社会主義的な思想である。アメリカンドリームの新自由主義を信仰していたはずの米国人が、現実の中で考え方を変え、資本主義を批判する「抗議者」として自らを出現させ始めた。この意味は大きい。OWSの運動は、実に原理的に重い問題を提起していて、近代民主制のあり方を問い、ロシア革命とマルクス主義を否定したところから反資本主義にアプローチしている。

昨年あたりからか、私は「他力」の心境に移行すると同時に、記事の中で「革命」の言葉を頻出させるようになった。一昔前と違って、革命の語を使わないと今は政治理論がワークしない、リアルな認識にならない、政治学に必要なのは革命論だと、そういう確信を深めている。革命と戦争の時代、革命か戦争かという状況になるだろうという予感を強めている。OWSの運動が、ズコッティ公園の占拠を排除されたからといって、そのまま潰えて消滅すると誰が思うのか。あの運動が次の段階に行かず、米国経済がマイルドに着地して米国民を満足させるだろうと、誰が楽観できるのか。楽観的想定があり得ないとすれば、砂時計経済に生きる米国の市民は次に何を起こすのか。OWSはティーパーティに対するカウンターだったが、それだけでなく、代議制民主主義に対する懐疑の噴出であり、直接民主制の可能性を投射した一つの実験だった。伝統的な民主党と共和党と二大政党制では、Greedな問題を解決できないという意識が根底にある。革命の標語はそういう意味で、ロビイストが支配するワシントンの政治を破砕したいとする願望の表現だろう。選挙の投票では政治は変えられない、だから直接的な抗議行動で変えるという意思だ。その方法の模索の政治がOWSだ。非常に残念なことに、日本のアカデミーは脱構築主義の観念に毒され、米国市民の政治動態をありのまま観察することができず、OWSの意義を正しく評価し測定することができない。それができるのは、死者である筑紫哲也や加藤周一だけだ。

今年、私はOWSに勇気づけられた。「他力」の信仰への依拠を深め、革命論が必要だとする持論に自信を持った。今の日本のアカデミーの若い連中は、市民革命とか資本主義とか、最も深く理解しなければならない問題や対象について正確な知識を持っていない。脱構築の宗教に耽っているだけだ。


ティップネスでボディドック 
web入会特典、ティップネス商品券500円プレゼント!
tip.tipness.co.jp
体験者の85%が育毛を実感! 
リピーター続出の薬用育毛剤。全く新しい発毛アプローチを貴方に!
529270.com
かぞくがいちばん。 
Xbox360の有効な使い方。家族との時間をサポート
www.microsoft.jp
インタレストマッチ - 広告の掲載について
by thessalonike5 | 2011-12-26 23:30 | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : http://critic5.exblog.jp/tb/17461881
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
名前 :
URL :
※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。
削除用パスワード 
昔のIndexに戻る 北朝鮮の今後の動向 - 鍵を握... >>