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脚光を浴びる梼原町 - 自然エネ事業の成功と隈研吾の建築
一昨日(8/17)、テレ朝の報ステで高知県梼原町が特集され、自然エネルギーによる自給自足をめざす取り組みが紹介されていた。CMを間に挟んで10分以上に及ぶ大型の特集で、番組スタッフが入念に企画し、時間をかけて取材し撮影して仕上げた充実した報道内容だった。また、先進的な町づくりを勇気をもって推進した前町長の情熱と先見性を褒め称え、画期的な町おこしの成功モデルとして伝え、スタジオの全員が嬉々として喝采を送っていた。取材に赴いたスタッフが現地で感動し、その興奮を番組の仲間に伝えている様子がよく窺われた。特集は、牛が草を食む四国カルストの高原で、前町長の中越武義が小川彩佳を出迎え、自慢の風車2基を背景にしながら、この発電で町の電力の30%を賄っていると説明する場面から始まる。そして、風力発電を売電した利益を次々と新しい自然エネ事業に投資し、木質バイオマスのペレット工場を経営し、四万十川の支流に小水力発電を稼働させ、住戸への助成金で太陽光パネルの普及を進め、電力の地産地消を低炭素化で推進する理想的な町の姿を紹介した。さらに、梼原町で暮らす人々が、この町に自信と誇りを持っていること、一つの目標に向かって町全体が歩んでいることを、映像は清々しく描いて視聴者を説得していた。過疎の山奥の村でも、優秀なリーダーと住民が心を一つにすれば、必ず成功できるのだというメッセージが発信されていた。


特集の映像には、小田原市長が梼原を訪問し、やはりカルスト台地の風車の前で中越武義の説明を受ける場面が挿入されている。無論、これは偶然ではなく予め企画したもので、小田原市長の訪問と日程を合わせた上での撮影だ。他にも、番組は高知県の市町村振興課にカメラを入れ、職員が梼原モデルについて語るカットもあり、数日間滞在した上での特集制作だということが分かる。中越武義は、小田原市長を前に、1999年の風車設置以降、これまで4億円の収入を町に得た実績を披露、決断と戦略的投資が自治体にとっていかに大事か、そして住民の意思統一が成功の鍵であることを説いていた。今となっては、絵に描いたような成功物語だが、14年前にこれを決断すること、住民の理解と同意を得ることは、やはり奇跡に近い出来事だと思われる。町は風車2基に2億6千万円を出費している。人口4千人足らず、林業しか主な産業のない最過疎の僻地の町で、冒険した事業が失敗して借金が残るリスクは、住民にとって想像を絶する恐怖だっただろう。決断した1997年は山一と拓銀が潰れた年で、ここから日本経済は未曾有の不況の泥沼に落ち込んで行く。1997年から1999年にかけて、全国の市町村は赤字財政で首が回らなくなり、高齢化と人口減に悩み、行革の掛け声と共に「平成の大合併」の時代を迎えていた。そのような環境で、よく決断して方向を変えずに信念と構想を貫いたものだ。

番組は、テレビのプロ・カメラマンらしく、梼原を実にきれいに撮っていた。最も絵になる風景を、美しく映える光線と角度で切り取り、重ね繋いで見事なコラージュにしていた。まるで、代理店が梼原町のためにコンペ用のプレゼンテーションの映像を撮ったようで、完成度の高い夢のある魅力的な作品に仕上がっていて、あれを見た視聴者は誰でも梼原に行きたい気分にさせられる。特集の中で何度も出たのは、風車が回る昼間のカルスト高原と、夕暮れに街灯がともる中心地の通りの景観である。四国カルストの風車のシーンは2回出た。中越武義と小川彩佳が対話する場面と、中越武義と小田原市長が面談する場面である。前者は晴天で、青い空の下、高原の眼下に濃い深緑の四国山脈の嶺々が広がる絵であり、後者は曇り空で、白いガスに一面覆われた中を風車が霞んで立っていた。梼原町は、別名を「雲の上の町」と言う。太平洋からの湿った空気が四国山脈に当たってガスが発生し、最も天空に近い尾根にある梼原を雲の上の町にするのだ。番組のカメラマンが、もしこの「雲の上」の風景の瞬間を待ち、小田原市長一行を現場で待機させ、機会を捉えてカットを撮っていたとすれば、このカメラマンは一流で本物だ。風車の立つカルスト台地と役場や通りがある梼原町主邑の中心部とは、距離にすると15kmほどだが、その間は細く険しい山道で、二つの場所を往復するロケ撮影には相当の時間と負担がかかっている。

梼原の夕刻の大通りを撮った絵には、小さな幼児連れの家族が歩く場面が挿入されていた。都会から遠く離れた山間の奥の僻地だけれども、ここで子育てがされていて、山の子が幸せに暮らしているという演出である。撮影用の動員だった可能性もあるけれど、演出の内実や是非を超えて、絵の作り手のメッセージが伝わり、視聴者の心を打つ映像だった。この通りの景観は、梼原町が10年前から「街なみ環境整備事業」を進めてきた成果で、町の人々の自慢の一つである。大都会に暮らし慣れた者の目で見れば、何の変哲もない普通の街路だが、民間資本や行政予算が入らない山奥の地で、この垢抜けした景観の通りを整備するのに、どれほど住民の営為と努力が要されたことか。最近、梼原町に焦点を当てたテレビ番組が多く、8/4に放送されたテレビ東京の「カンブリア宮殿」もその一つである。これは、建築家の隈研吾を特集したもので、バブル崩壊を機に挫折した隈研吾が、梼原町の木造芝居小屋である「ゆすはら座」の保存に関わり、そこから梼原町の地域交流施設(1994年)の設計を手がけ、地元の和紙や竹細工の職人との交流と協働を通じて建築を進化させ、今日の時代を築いたことが詳しく紹介されていた。その後、那珂川町馬頭広重美術館(2000年)、サントリー美術館(2007年)、根津美術館(2009年)と次々と傑作を世に送り出し、世界中で引っ張りだこの人気者となり、日本を代表する建築家となっている。

梼原での創作は隈研吾の転機となり、名声を得て時代の寵児となった後も、梼原町総合庁舎(2007年)、まちの駅ゆすはら(2010年)、木場ミュージアム(2010年)と、梼原町関係の建築を精力的に続けている。隈研吾と梼原町は、まさにハッピー・カップリングの出会いを遂げ、2000年代を通じたWinWinの成功物語を紡ぎ、二人三脚で今日に至っている。現物を見れば分かるが、四つの建築物はどれも同じ意匠と様式のもので、杉の木材をふんだんに使い、木組みを外観と内装に強調している点が特徴である。一目で隈研吾だと分かり、自然志向・地元志向のエスニシズムであると同時に、都会的で最先端のアンビシャスな感覚が溢れている。個性的な総合庁舎の屋上には太陽光パネルが敷き詰められていて、報ステの特集では小川彩佳がそこに登り、周辺の芝居小屋や歴史民俗資料館を紹介していた。また、開放的な内部のアトリウムも見せ、中越武義の行革で町の課を減らし、極小の人員(58人)で町を経営していることも伝えていた。先々週(8/5)、私は愛媛県にある伊方原発を訪れ、八幡浜から197号線で高知に戻る途中、新しくできた「まちの駅ゆすはら」に立ち寄った。梼原に古くある茶堂をモチーフにして、外壁が茅葺き屋根風に設えていて、趣きのある建物になっている。1階が地元の特産品の市場で、2階と3階がホテルの施設。市場には新鮮な山の幸が並べられていたが、私のお薦めとしては、ミョウガと天然鮎である。

ミョウガは、農家が収穫するところを報ステが撮っていた。天然鮎は、何と言っても四万十川の源流地の産である。報ステの特集に一つだけ注文をつけるとすれば、梼原町がどれほど山深い場所か、国道197号線のアクセスの途中の風景を見せ、峡谷と棚田とトンネルを見せ、その印象を語って紹介して欲しかった点である。できれば、帰国子女で親の七光りでテレ朝に入社した小川彩佳の口から、それを率直に言って欲しかったものだ。おそらく、これほど険しい山奥の村へ分け入ったのは、生まれて初めての体験だっただろう。山村の人々の暮らしに触れたのも、この取材が最初の機会だったに違いない。梼原はひたすら遠く、辿り着くのに容易でない山の上の地だ。昨年、小沢一郎が須崎市の道の駅で代表選の演説をしたが、あの場所で高速道を降り、そこから延々と新庄川を遡って行く。龍馬脱藩のルート。政府が選ぶ環境モデル都市の全国13都市に選ばれ、今をときめく隈研吾の建築作品が立ち並び、マスコミに絶賛され、全国の行政関係者から視察団を集まって門前市をなす梼原町だが、現実は決して光の部分だけではない。影の部分もある。現在、広い梼原町にはたった一つの小学校しかない。1年前までは3校あった。今年3月、町立の四万川小学校(児童数26名)と越知面小学校(30名?)が廃校となり、中心地の梼原小学校に統合された。風力発電で年間3400万円の収入を得、累計で4億円稼いだと前町長が豪語する傍らで、1999年には町内に6校あった小学校を、わずか12年間に5校減らし、最後の1校に統合させている。

前町長を批判するのではない。これが過疎の地の厳しい現実なのであり、特に小泉政権の「三位一体改革」以降の地方のありのままの姿なのだ。梼原町は希望を持って生きているが、決してエネルギー事業で潤っているわけではない。生き残りのために、苛酷な選択と集中をしているのが事実なのである。そのことを、都会で暮らす者、自分が入学した小学校が健在な者、それが廃校になるなど夢にも思わない者たちは、想像しなくてはいけないのだ。



by thessalonike5 | 2011-08-19 23:30 | その他 | Trackback | Comments(0)
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