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脱原発はエネルギー政策の問題ではない - 権利の問題だ
アダムが耕し、イブが紡いだとき、誰が領主だったのか。14世紀の英国の農民反乱であるワット・タイラーの乱の指導者であり、乱後に捕縛され処刑された神学者のジョン・ポールの言葉で、高校の世界史の教科書に登場する。この人類史の遺産のアジテーションを不意に思い出した。脱原発とは何か。それは、春に一人一人がデモ行進し、東電本店前で気勢を上げたとき、手に持ったプラカードに書かれていた言葉なのだ。そのとき、われわれが掲げ、声に出し、要求し請願した「脱原発」こそが、正規な意味として確認しなければならない脱原発なのである。5/7の以前は、浜岡は未だ停止されていなかった。4月は東京も余震が続いていた。そんな中で、脱原発の市民デモは参加者を集め、世論のトレンドとモメンタムを作り、永田町の政治を動かして行った。そのときの「脱原発」に、段階的で漸次的な廃止という意味が入っていただろうか。自然エネがいいとか、火力はCO2だから駄目だとか、そういう判断と合意が定義されていただろうか。半世紀前の60年安保のデモが、再び戦争に巻き込まれることの恐怖と拒絶を動機にして盛り上がったのと同じように、この春の脱原発のデモも、地震と津波による原発事故の再来を恐れ、放射能汚染の被害を防ぐため、市民は原発の停止と廃絶を求めたのである。休日の時間を割き、集会で立ちんぼし、警官隊に囲まれる中、街頭を歩く一人になったのだ。


ジョン・ポールの処刑の態様は、欧州史らしい残酷さと英国史らしい野蛮さが際立っている。最初に首縄をかけて吊されるが、息絶える前に縄が切り落とされる。次に息絶え絶えに苦悶する身体から性器が切り取られ、内臓が抉り出され、心臓が摘出される。意識の残る本人に切り取った心臓を見せつけ、その後に首を刎ねて絶命させる。さらに、首なしの胴体を両腕両足を部分とする四つに裂く。封建制を否定し、反乱を指導した者には、蜂起を鎮圧した支配者の側から、こうした暴力と恐怖のカウンターが行使された。革命を未然に防ぐための政治である。春の脱原発デモでも、5/7の渋谷のサウンド・デモでは、警察が暴力装置たる本性を存分に発揮する場面があり、4人が逮捕され連行される一幕があった。デモ隊に私服警官が混じっていて、計画的に揉み合いを扇動し、「公務執行妨害」の瞬間を作ったという証言がある。菅直人が浜岡停止を指示し、脱原発が国民的世論として広がりを見せ、テレビ報道が積極的な取材と紹介をするようになり、全国民の関心事になった6/11の新宿のデモでは、警察は5/7のようなドラスティックな取締行動に出ていない。脱原発のデモには秋の陣が予定されている。政権の「脱原発」を「減原発」にまで押し戻し、巻き返して陣地を前進させた支配者側は、次の脱原発デモの波に対してどういう対応で臨むだろうか。

昨夜(8/1)、日付が変わる頃、伊豆で震度5の地震があり、寝る前に大きく横に揺れた。何となく、南からと北からの二つの地震には、揺れ方に特徴と差異があるように体感される。北東の地震はガタガタと揺れ、南西の地震はグラッと揺れる。一昨日(7/31)の未明も、午前4時前に福島沖で震度5弱の地震があり、揺れで目を覚まさせられた。二つとも規模は小さいが、首都圏に暮らす者には気懸かりで、また地下の動きが活発化したのではないかと不安が過ぎる。この3年から4年ほど、ずっと震度3ほどの地震が周辺で続いていて、正直なところ、いつか巨大地震の直撃があるのではないかと怯えていた。震源地は、茨城の南部とか千葉の北部とか、房総沖とかが多く、宮城の地震が響き伝わることもあった。10年前の頃を思い出すと、これほど頻繁に地震が起きる日常はなかったはずだ。石橋克彦の「大地動乱の時代」の学説は、私には経験と実感でよく納得できるもので、こういう研究と指摘がありながら、何でマスコミは紹介しなかったのだろうと憤る。昨夜、しみじみ思ったのは、浜岡を停止させておいてよかったという安堵である。浜岡が稼働していたら、不眠症になっていたかもしれない。安全安心とはこういう問題ではないか。大越健介や米倉弘昌は、本当に浜岡を再稼働させたいのだろうか。浜岡停止の政治の恩恵が、自分や家族にも与えられている事実に気づかないのだろうか。

原発の問題というのは、エネルギー政策の問題ではないのである。憲法の前文にあるような、「恐怖から免れ、平和のうちに生存する権利」の問題だ。放射能の恐怖から逃れ、子どもの健康を守り、安心安全に暮らす権利の問題なのだ。原発を維持し、再稼働を許すことは、そうした国民の権利が奪われることを意味する。だから、原発の問題は、エネルギー政策のあれか(自然)これか(化石)それか(原発)のチョイスやミックスの問題ではなく、そのような政策プロパーの問題ではなく、国民の基本的人権の問題なのだ。権利の問題であることが、マスコミ報道や政治によって隠され、背後に押しのけられ、国民が意識できなくなっている。テレビ報道での原発の議論は、菅直人が浜岡停止に踏み切った後、反動側の狡猾で周到な巻き返し工作によって、すっかりエネルギー政策の土俵上の問題にされてしまった。テレビで原発が議論されるときは、必ず、現在と将来のエネルギーをどうするという問題に設定されている。原発報道と言いつつ、実は電力不足の宣伝工作の場にされ、自然エネか、化石エネか、原発エネか、その三択とバランスの問題に巧妙に挿げ替えられている。権利の問題として前面に出せば、われわれの選択は脱原発しかなく、脱原発の意味は全基即時停止と廃炉しかないのに、その論理と主張がマスコミ言論から排除され、脱原発ですらエネルギー政策の要求のように意味を変えられてしまっている。

原発維持の支配者側は、脱原発の言語の中に様々な擬態を塗り込め、原点の意味を希釈させ喪失させるよう工作しているのであり、本来の概念や定義とは異なる意味で脱原発の語法を定着させているのである。例えば、今後10年で脱原発依存すると言う菅直人の欺瞞に始まり、20年かけて脱原発すると言う前原誠司から、50年で結論を出すと言う馬淵澄男まで、どんどん「脱原発」の意味を広げ、「脱原発」を換骨奪胎させて行った。世論調査で過半数を占めていた「脱原発」の声に、政治の側から原発維持の者を潜り込ませ、「脱原発」の意味を巧妙に変質させたのである。カッコーのオナガの巣への托卵とよく似ている。アフリカのマラウイ湖で、口の中で稚魚を育てる魚の口に、別の魚が密かに自分の子を入れ、中で稚魚を全部食べてしまう生物の営みと似ている。世論調査で過半数だった「脱原発」は、6月前半頃までは、明らかにデモのプラカードの意味であり、全基即時停止を中身とする権利の要求である。ところが、そこに支配者側は托卵をして、過半数世論の「脱原発」には、20年で脱原発する前原誠司のような中身も入っているのだと説明し、その意味をマスコミで通用させるのである。そして、特に「脱原発」の語義がすり替わったのは、支配者側が飯田哲也を脱原発のシンボルとして据える操作をやり、その情報工作が成功したからで、その結果、脱原発とは、原発エネを自然エネに切り替えることだという意味と結論になった。

こうして、脱原発は権利の問題ではなくエネルギー政策の問題にスリカエられたのである。脱原発のシンボルが、マスコミ報道の日常の中で、小出裕章から飯田哲也に次第に変わっていること、置き換えられていることに、われわれは気づかなければならない。飯田哲也が「脱原発」の表象の中心に座ることで、小出裕章は左の隅に押しやられ、徐々に異端で過激という表象が塗り被さるのである。飯田哲也が「脱原発」の代表になることで、「脱原発」はマイルドでプレーンな政治的性格を帯びる。人々の意識の中で、穏健派で実務的に見える飯田哲也に牽かれる現象が生じ、いつの間にか飯田哲也を「脱原発」の思想的主軸に置く作用が働くのである。そうすると、「脱原発」は自然エネを普及促進するという意味になる。そして、それには10年かかるとか、20年かかるとする「現実論」が受け入れられる。支配の政治による言論操作(イデオロギー工作)の手口とは、このように複雑な細工を伴う過程であり、彼らの手練手管を侮ってはいけない。脱原発をめぐる言論の空気が変質して、2か月前とは異なる後退の状況が目につく。例えば、この事故の責任者への処罰の問題だ。誰も責任をとっていないが、責任追及の声がすっかり薄れた。事故から2か月ほどは、東電に対しても、安全委と保安院に対しても、人々の憎悪と反感の念は強く、厳罰を求める意見だった。ところが、被害は広がり、犠牲者も増える一方なのに、事故の検証も何もされず、マスコミは責任者を放免している。

責任を問う声は小さくなるばかりだ。



by thessalonike5 | 2011-08-02 23:30 | 東日本大震災 | Trackback | Comments(0)
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