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ノルウェイの事件を右翼テロと規定・表現しない朝日新聞
ノルウェイのテロ事件について、昨日(7/26)の記事で朝日の社説を引き合いに出し、それを批判しながら私の考えを述べた。事件を論じた朝日の社説が、表面を撫でただけのペーパー処理的な一般論で、政治認識としてイージーだと感じたのには理由がある。24年前、同じ右翼テロによって、朝日新聞は支局の記者を惨殺されている。至近距離から散弾銃を発砲され、入社6年目の小尻知博が若い命を失った。1987年の赤報隊事件である。生きていれば53歳になる。同期入社の者たちは、年功で出世を遂げ、今は論説委員や編集委員の幹部の立場で気楽に記事を書いているはずだ。凄惨な右翼テロで記者を殺された朝日が、ノルウェイの酸鼻をきわめる右翼テロに直面して、何も思い出さず、何も感じない無神経が、私には苛立たしく思われたのである。ウトヤ島で殺戮されたのは、小尻知博と同じ年頃の若者たちだ。同じ理由で、同じ方法で酷く殺された。散弾銃の弾丸を浴びた苦痛がどれほどのものか、現役の朝日の論説幹部たちは、24年前は、自分の問題としてリアルに想像できたはずだ。銃口から飛び散る無数の鉛の弾が、顔や胸や腹に突き刺さり、全身に激痛が走り、訳も分からずに不条理に死ななければならない瞬間を、こみ上げる憤怒と慟哭と共にイマジネーションしたはずだ。何故、今の彼らにはそれができないのだろう。


同じ右翼テロであり、許せない政治暴力なのだと、そう思いを滾らせながらペンを走らすことが朝日の記者にできないのだろう。朝日新聞は24年前の受難を忘却している。惨劇が遠い過去のものに風化している。ノルウェイの事件を報道する論調は、もっぱらイスラム移民への偏見という動機と背景に主眼が置かれ、キリスト教原理主義によるイスラム排斥という構図で捉えられている。あたかも宗教対立がテロの原因であるかの如き描き方で、政治テロではなく宗教テロだと誤解させる説明になっている。昨夜(7/26)の報ステでの五十嵐浩司のコメントもそうだ。政治テロとしての性格を弱めた報道で、政治テロとしての印象を薄める結果に導いている。朝日は社説の中で、この事件を「右翼テロ」とも「極右テロ」とも呼ばず、こうした断定的な表現を避けている。「右翼テロ」という言葉で事件を定義したくない動機と心性が、朝日の編集部の中にあるのだろうと、穿った政治的推測を及ぼさざるを得ない。中段の論述を省略して結論を先に言えば、この朝日の態度は、赤報隊のテロに屈したという意味になるのではないか。右翼テロに対しては右翼テロだと正面から指弾しなくてはならず、それが、小尻知博の非業の死を前に朝日が決意した「テロとの戦い」の社是を守る行為だろう。「右翼テロ」という表現と規定への朝日の逡巡は、まるで、左に偏りすぎていた昔の自分たちが悪かったと、右翼勢力に対して媚び諂っているように映る。
 
ノルウェイの事件に対して、朝日新聞が「右翼テロ」という語を使わず逃げていることは、右翼テロを自己の宿敵として対決してきた、従来の朝日の言論指針からの逸脱であり、殉職した小尻知博の無念を冒涜するものだ。無意識のうちに、時代の変化と政治状況に身を合わせる中で、朝日の記者は小尻知博の悲劇を忘れ、変節し、右翼の跳梁跋扈と政治暴力に不感症になっている。朝日を攻撃してきた右翼の政治主張が、朝日の内部に暗黙裏に取り込まれ、朝日の正論の位置へ接近し、二者間の断絶と対立が希薄になっている。朝日の無自覚で漸次的な転向と自己欺瞞を、政治敵の暗殺者に殺害された小尻知博の霊は天空からどう見ているだろうか。ノルウェイの事件に「宗教テロ」の表象を被せ、そこを焦点化して問題を扱った途端、ノルウェイの殺戮犯は赤報隊とは無縁の存在になり、ノルウェイの虐殺は自分たちとは関係ない世界の出来事になる。昨夜(7/26)の五十嵐浩司のコメントは、フランスの極右で靖国を参拝したルペンは、英国の極右政党と同じく、議会制民主主義を守る穏健派であり、テロを否定する立場で、今度のノルウェイの犯人とは異質で無縁だと強調して紹介していた。この議論は政治解説として正確だろうか。あのヒトラーも、政権を奪取する際は議会制民主主義のルールに則り、選挙を通じて第一党になっているのである。ヒトラーと同じ思想を持つルペンが、ヒトラーと同じ政治戦略を選択するのは当然ではないか。

無論、ヨーロッパの極右勢力は、最初に登場する時は過激派で名を馳せ、支持層を広げて議会で勢力を伸ばすときは、穏健派の政党へと変貌してゆく。それは、派手なディスカウントで売り出した小さな電器店が、次第に売上を伸ばし店舗を増やして、業界屈指の大手家電量販店に成長する姿と似たところがある。しかし、極右政党の内部に立ち入って目を凝らせば、そこには暴力的な過激派の要素は確実に発見できるはずで、そうした契機や傾向と絶縁した市民的な政治体ではない。市場を制した大手家電量販店が、どれほど巨大で壮麗なビルをターミナルの駅前に建てても、その経営の中身が出自であるバッタ屋の経理や仕入の方式を引き摺っているのと同じである。8月15日に靖国神社に足を踏み入れれば、そこで目にするのは危険な暴力性の政治要素である。暴力団は常に暴力を使うわけではなく、ビジネスの目的で暴力を使うのであり、暴力を使うぞという脅しを市民にかけ、睨みを利かせて存在しているのである。五十嵐浩司は、テロの犯人はノルウェイの極右政党(進歩党)とは無関係だと断定したが、私はそうは思わない。議会政党である進歩党は、下部や末端の枝葉の先に、必ず別働隊的な暴力装置を抱えているか、犯人と人脈の繋がりがあるはずだ。ヒトラーのナチス党は、国政選挙で議席を伸ばしながら、同時に公然と暴力を政治手段として行使していた。証拠の有無は別にして、この事件には組織が関与している。単独犯ではない。

これまで欧州の政治は、穏健な右と健全な左が政権交代を続ける安定した軌道が続いたが、今後、ここに極右が割り込む緊張が現出するかもしれない。中産層が没落する局面では、政治の均衡が破れ、必ずそうした過激な政治勢力が台頭する。没落した者たちから支持を得る。これまで、極右の進出が抑止され、極右が穏健派の装いを凝らす方向に強いられたのは、統一通貨が成功してユーロ圏が拡大し、欧州各国のGDPが拡大して国民所得が増えていたからだ。欧州は、経済危機と共に政治的不安定の季節を迎える。今度の事件の報道で私が思うのは、五十嵐浩司を含めて、あまりに欧州のイスラム移民の問題ばかりが注視され、欧州に固有の問題として性格づけされている点だ。極右の台頭と、それによる政治情勢の不穏化は、欧州だけの問題ではなく、米国の茶会運動やキリスト教右翼も同じ政治現象である。つまり、このノルウェイの事件は、グローバルに普遍的な政治問題として考察する視点が必要で、世界経済危機との関連で分析され意味づけられる必要がある。そのような観点が日本のマスコミには全く欠落している。今年の1月、米国のアリゾナ州で民主党のリベラル派の議員が銃撃される事件があった。幸い一命は取り止めたが、犯人は茶会系右翼の狂暴な移民排斥主義者だった。このツーソン乱射事件では、やはり犯人は1人だが、20人が銃撃されて負傷し、連邦判事を含めた5人が殺害されている。ノルウェイの殺戮犯が、ツーソン乱射事件に影響されていないはずがない。

と言うより、マスコミ報道は、ノルウェイの事件を解説するにおいては、必ずツーソン乱射事件に言及し、半年前に米国で先例があった事実を指摘しなくてはいけないはずだ。読者や視聴者に、二つの事件の関連性や同質性を伝えるのが、政治ジャーナリズムとして当然の仕事だろう。移民問題が被さっている点でも、二つの事件は同じではないか。両方とも同じ政治目的の右翼テロである。そして、やはり、米国にも財政破綻と経済危機がある。中産層の没落があり、没落した白人中産層が、国家の社会保障制度の恩恵を受けている弱者(有色・異教徒・移民)に敵意と憎悪を募らせている背景がある。税金に対する倒錯したルサンチマンがあり、新自由主義的な発想と狭矮な自己正当化がある。同じなのだ。米国でも、1月のテロ事件について、個人単独犯の狂気の蛮行として情報処理され、ペイリンや茶会が市民社会から追及され弾劾される事態には至らず、不幸な偶発的事故として始末されている。同じ右翼テロが半年の間に欧米で2回起きたという報道になっておらず、われわれがそういう認識や危機感に至っていない。米国で起き、欧州で起きたことが、日本で起きないと言えるだろうか。中産層の没落は同じであり、没落しながら右傾化し、新自由主義の徒となり、生活保護の支給額を引き下げろと喚いて弱者を非難している。米国における茶会運動やキリスト教右翼、欧州における極右政党支持者、それに相当するのが、日本ではネット右翼であり、反中デモに興じて騒ぎ、Twitterで日の丸アイコンを露出している者たちだろう。

自民党の政治的性格も、20年前と較べて劇的に変わった。嘗ての自民党は、十分にリベラルの存在感があり、例えば宮沢喜一や加藤紘一や田中真紀子がそうだったが、現在の自民党は、極右政党のカテゴリーに含める要件を満たしている。20年前の常識の定義を採用すれば、保守政党と言うより極右政党そのものだ。そこには佐藤正久がいて、田母神俊雄と繋がっている。ルペンや欧州各国の極右政党の党首が、総勢で来日して靖国を参拝した一件は象徴的で、つまり、極右勢力のインターナショナリズムがあり、「万国の極右、団結せよ」の政治的連帯の事実がある。一笑に付せない問題だ。米国の共和党は、今後、ますますリベラルとのブリッジやオーバラップを薄め、極端で過激な政策を掲げるようになり、欧州極右とコンパチブルな政党に変容して行くだろう。財政破綻と経済危機、白人中産層の没落がそれに拍車をかけるに相違ない。日本では、自民党がそのコースを走る。欧州極右の靖国参拝の集いに、スペインから参加した政党の名前はファランヘ党である。欧州極右が靖国を参拝するのは冗談やパフォーマンスではなくて、彼らのイデオロギーが同じであり、ヤルタ・ポツダム体制の打破を宿願とするからで、第2次大戦後に築かれた平和体制と国際秩序について、それをソ連共産主義の謀略の産物と見なし、原理的に否定して、戦前のファシズム時代に原点回帰しようとする本性を持つからである。保守リベラルと一線を画すのはその点であり、ナチズムへの歴史認識が異なるのだ。

極右が時代の主役となる不気味な時代になった。暴力と流血の暗黒に恐怖するのは、市民として当然の反応だ。



by thessalonike5 | 2011-07-27 23:30 | その他 | Trackback | Comments(0)
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