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三浦俊章の杜撰な米国政治論 - 共和党と茶会と極右
昨夜(7/27)の報ステで、三浦俊章が米国政治について意味不明なコメントを発していた。①それまではリベラルも保守も同じように党内に混在して、共通項の多かった民主党と共和党が、1970年代から原理的な分裂が甚だしくなり、現在は共和党は右に極端に寄り、民主党は左にシフトしている。②茶会の原理主義に牽引される共和党と、黒人を大統領に選出した民主党、この二つの事実が二党の左右分裂を象徴している。③その背景には格差と移民の問題があり、欧州の極右政党台頭の状況と重なる問題が看取される。以上、要約すれば、こういう趣旨と結論だろうか。このコメントをテレビの前で聞いた藤原帰一は、果たしてどのような感想を抱いたことだろう。国際政治解説として論理が支離滅裂で、事実誤認が含まれ、視聴者をミスリードさせる粗雑な内容だと顔を顰めたのではないか。前段の議論、共和党と民主党の性格が1970年代から二極に分裂を始めたという指摘は、どう考えても正確な認識ではないだろう。二党の支持層の違いや政策理念の違いは、むしろ歴史を遡るほどにくっきりと際立って浮かび上がるはずで、リパブリカンとデモクラッツの古典的類型がフュージョンを起こしている議論がされるようになったのは、つい最近の出来事である。それから、黒人を大統領にしたから民主党が左だと性格づけするのは、床屋政談としてもあまりに程度の低い話と言える。米国史上初めて黒人を国務長官に抜擢したのは、右翼色が強烈だった共和党のブッシュ政権だ。


昨日(7/27)の記事で、私は半年前のツーソン乱射事件を取り上げ、共和党は今後ますます欧州の極右政党の性格に接近するだろうと予想を述べた。党内にある、民主党とオーバーラップするリベラルな要素を剥離させ喪失するだろうと見方を示した。茶会の原理主義がコアになり、メインのボディになり、全体化して極右政党の姿になるだろうと。この観察と診断は、表面的には三浦俊章のコメントと同じだが、中身は全く違うものだ。私は、オバマの民主党が左に引き寄せられているという見解を持っていない。逆であり、金子勝も批判しているとおり、政権に就いたオバマ民主党は、公約を裏切ってウォールストリートと妥協し、アフガン政策でも一転して増派に及び、草の根で運動した支持者を失望させた。昨年の中間選挙でオバマが敗北したのは、政策で期待を裏切られた者たちが離反したからである。日本の民主党政権とよく似ている。明らかに、オバマ民主党は左を指向しておらず、ラディカルで大胆な政策転換に舵を切らず、そのために選挙で負けてねじれ議会を現出させた。2008年時の支持者から見れば、それは逆コースであり、右方向への旋回である。ここで、私と三浦俊章の見ている米国政治の中身の違いを言いたいが、茶会に共感を寄せている中の少なくない部分が、実は3年前にオバマのChangeに熱く期待した者たちだという事情である。フュージョンは一般市民のところで確認できるという点だ。

民主党と共和党を境する隔壁は、社会層において次第に低くなっていて、伝統的で固定的な二党の政策と支持層という米国の政治社会のパターンは薄れているのである。「デモクラティック・リパブリカン」といった混合のイメージは、そこから派生していて、現実に両党の政策はコンパチビリティとインタオペラビリティを高めてきた。それは、特に、クリントンの新自由主義の経済政策に典型的に看取される。1960年代の公民権運動の頃の社会構造とは変質しているのであり、白人以外も権利を得て経済社会のアクティブな一員となっている。と同時に、富がごく一部に偏在し、成長繁栄とトリクルダウンが止まれば、中産層の全体が没落して貧窮するという構造になっている。アプローチする社会層のボリュームゾーンは同質であり、民主党も共和党もそこをどう口説いて票を得るかなのだ。基本的に、民主党は社会保障のセーフティネットを言い、共和党は「小さな政府」による税金負担のカットを言い、そこで両党の政策メッセージが分かれる。マジョリティは、経済のパイが拡大して所得と雇用が安定しているときは、現政権を支持するし、その条件が損なわれているときは、現政権を拒否し、野党のメッセージに魅力を感じて靡く。そういう運動と現象として米国政治の実態を概観できる。そして、民主党も共和党も、確かに国家の歴史と憲法に基づく基本思想があり、どちらの政治思想が誤りだということはない。茶会の原理主義も、それを正統とする根拠はある。

私が言いたいのは、もっと根本的な発想の飛躍であり、そうした共和党の政治思想そのものの基底が崩れるという窮極の展開だ。茶会の原理主義が、自助や「小さな政府」と言った、いわゆる経済のリベラリズム(政治のリベラルの意味ではない)の範疇を超え、崩し、ネオナチズムの超国家主義に撞着する地点にまで至るのではないかという予想であり、不安感である。欧州の極右勢力は、出生の原点のところでヒトラーとナチズムに対する共感と傾倒がある。ナチズムはリベラリズムではない。標榜するのは、それと対極の国家社会主義である。これは要するに、ナチズム的極右に牽引されるのは、個が個として自立できる基盤と安定がないからであり、米国憲法の説くような「自助」の可能性を失ったとき、市民は無一物のプロールとなり、救済を切望して鋼鉄の国家権力に包摂されるのである。米国憲法の「自助」の思想が、市民の中で確信でき、信仰し帰依できるのは、自らの再生産を拡大できる前提、すなわちフロティアを開拓できる所与においてであり、その条件を維持できている限りにおいて、「自助」の思想は意味と効力を持つ。フロンティアとは他者からの(原住民からの、中南米からの、日本からの)収奪の機構である。それを失うとき、ヨハネ黙示録的なカタストロフィが到来したとき、米国債とドル紙幣が紙屑となるように、米国憲法の神聖な文言もただのペーパーに転化するだろう。1920年代のドイツ市民は、その破局と絶望を経験し、脱出口としてナチズムを選択したのである。

米国債デフォルトの問題について、それが今後どのように推移するのか、国内の報道を一瞥したところでは、特に参考になる分析情報は出されていない。固唾をのんで様子を見ているようでもあり、あまり深刻に捉えてないようにも見える。今日(7/28)の日経などは何も記事にしていない。昨夜の報ステは、それが大きなニュースだったが、結論としては、米国の政局の問題(ねじれ議会と選挙の駆け引き)として説明された。現時点では、その見方と処理でいいだろうと私も思う。だが、情勢が容易ならぬ方向に進んでいることは、誰もが薄々感づいていることで、いずれ、この問題は政局問題ではなく経済問題になり、金子勝や榊原英資がマスコミ上で本格解説する季節を迎えるに違いない。そのときは、また田中宇が情報と言論をリードして、ネットの読者を釘付けにすることだろう。私は、そうした局面が来年訪れると思っている。欧米の金融危機の第二弾があり、3年前のリーマンショック時を上回るクラッシュが世界経済を襲来するのではないかと、漠然とした観測だが、そう思っている。それは、もっと正直に白状すれば、米国経済が破壊するという意味では期待であり、日本経済が壊滅するという意味では不安であり、二つの矛盾した意味と思いがある。田中宇と金子勝も私と同じだろう。おそらく榊原英資も。願望が被っている点は否定しない。カタストロフはカタルシスでもある。NYSEもNASDAQも、NYMEXもCBOTも、FRBもIMFも、全部潰れてご破算にしろと、デスペレートに念じている人間は、全世界で50億人はいるだろう。多数派なのだ。

ジョン・レノンの言に従い、想像をしようではないか。NYSEとNYMEXとCBOTがない世界を、GSとFRBとIMFのない世界を、ポストUSのサン・スーシな世界を。われわれは、収奪され所有されるフロンティアではないのだ。来年あたりに勃発を予感する、次のメガ・クラッシュについて付言すれば、それによって長く続いた中国の高度成長がストップするだろう。かれこれ20年続いた中国の高度経済成長が、日本の1973年のオイルショック時と同じように、そこで終焉を迎える運命になるはずだ。物事には始まりと終わりがある。万物には生と死がある。夢はいつかは途絶える。不良債権の山が積み上がるはずだ。ランディグがソフトかハードかは不明で、首脳部の才腕にも拠り、国民(人民)の選択にも依る。グローバル経済は新しい秩序とリーダーを求め、混沌としながら模索するだろうが、中国経済がハード・ランディングを選んだ場合は、政治権力の混乱に連動し、次のリーダーの地位に就く条件と資格を失う可能性が高い。一般に日本の論者は、右翼的バイアスに思考を捉われているため、中国について、人々の民主化要求で政治体制が揺らぎ、共産党支配が終わると素朴に考え、米国は永久不滅に発展し続けて、米国のドクトリンにアラインすることが日本の幸福だと信じている。池上彰がそうだ。それが日本の「常識」だが、これは「宗教」としか言いようがなく、「鰯の頭も信心」の迷信と何も変わらない。中国の政治の動向は、一にも二にも経済の環境条件が先行する。

米国政治の問題に戻って、率直なところ、次の大統領選がどういう状況になるか、皆目のところ想像が及ばない。オバマの再選戦略が効を奏するとか、茶会に背を押された共和党が奪還するとか、そういうプレーンでマイルドな二者択一の図に落ち着くとは到底思えず、その前にもっと巨大な波乱と激動があり、経済危機にせよ、自然災害にせよ、空前絶後の非常事態が米国で起き、政治の前提そのものが覆されると想定する方が、私にとっては考え方として自然で得心がいくものなのだ。それは、日本も同じで、日本の次の総選挙の絵など、全く思い浮かべることができない。論理的にこうなるだろうという将来像の端緒が掴めない。もう二度と国政選挙などないのではないかと、そう諦観する方が自然に感じられるし、もっと言えば、もう選挙などしなくても構わないとか、あってもなくても同じだと吐き捨てる気分が強いのである。リアリティがあるのは、自衛隊と右翼がクーデターを起こして政権を掌握する図とか、米国が日本の統治権を宣言して憲法が停止され、大臣なし国会なし法律なしで、ワシントンの指令下で官僚が行政しているとか、そんな荒唐無稽な空想小説のような世界である。バーチャルな予想の方がリアリティがある。政治家は発狂している。官僚も、マスコミ記者も、脳神経が正常を失っている。菅直人と海江田万里の喧嘩は、発狂とか精神異常という言葉でしか説明できない。その政治を出来させている国民も、心を深く病んでいて、健全な内面と言語を失っている。狂気が正気に戻る場面を論理的に描こうとすると、クーデターとか戦争という破滅の黙示録に逢着するのである。

こうした思考がデカダンスなのではないかと自問自答しつつ。



by thessalonike5 | 2011-07-28 23:30 | その他 | Trackback | Comments(1)
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Commented by terryclabtree at 2011-07-28 19:31 x
茶会に共感を寄せている中の少なくない部分が、実は3年前にオバマのChangeに熱く期待した者たちだ―民主党の政権交代に期待したのも、少なくない人たちが小泉政治のシンパなのではないかと。ポピュリズムのどん詰まり、民主主義が堕落している証左ですね。

中国の政治の動向は、一にも二にも経済の環境条件が先行する―全く同感です。一人当たりのGDPが3000ドルを超えると、民主化運動が活発化するという話があります。今の中国や新興国がそうです。中国で3000ドルを突破した頃に起きたのが反日デモでした。今後何が起こるのか、我々日本人としても注視が必要ですね。

また中国に関して言えば、人民元の自由化という問題もあります。米国債のデフォルトの可能性は日本経済にとって相当問題ですが、その一方で、人民元が自由化されたら日本国債を国内で消化できなくなる可能性が非常に高い。この点については榊原英資や水野和夫も指摘しています。いずれにせよ、「第二の大航海時代」を迎えている21世紀初頭、これからも混迷が続きそうですね。
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