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報ステとNW9のコントラスト - 福島の小学生の給食事情
昨夜(7/11)、テレ朝の報ステとNHKのNW9のコントラストが著しく、同じマスコミとは思えない報道内容の差異に驚かされた。古舘伊知郎の姿勢だけを見ると、昔の久米宏のニュースステーションの時代を彷彿させるほどで、消費税とTPPのプロパガンダを絶叫していた同一人物とは思えない様変わりを見せている。刮目させられたのは、昨夜、耐性テストの政府統一見解のニュースをベタ扱いに下げて報じたことだ。その代わり、トップには南相馬の肉牛の内部被曝問題を持ってきて、三番目に福島の小学校の教室の様子を詳しく伝える小特集で臨んだ。この編成と内容が秀逸だった。被災地が第一、永田町は二の次。その古舘伊知郎の姿勢が貫徹されている。止めは小出裕章の「原発わたしはこう思う」。寝苦しい熱帯夜が続く中、昨夜は気分よく眠りにつけた。猛暑の福島では、子どもたちが長袖にマスクの姿で登校し、ガラス窓を閉めきった教室で授業を受けている。私はそのことが気になっていて、テレビで続報してくれないかと思っていたが、報ステは注目と取材を続けていた。そして撮影された映像には、想像していた以上の酷い世界があった。避難した生徒を集めた学校はスペースが足りず、廊下を仕切った狭い空間に子どもたちを押し込めて「教室」を作っていた。それだけではない。給食の粗末さに唖然とさせられた。


お昼の給食の時間、小3の子どもたちのトレイの皿には、小さなサバの切り身と豆が数粒しか盛られてないのだ。信じられない映像に衝撃を受けた。子どもたちは惣菜の量が少ないと言い、もっと食べたいと訴えていた。ナレーションは、給食は援助物資の配給で凌いでいると説明していた。どういう事だろうか。市の学校給食の予算では賄えないからというのだろうか。学校給食は教育の重要な一環である。教育基本法には教育の機会均等が定められている。「すべて国民は、ひとしく、その能力に応じた教育を受ける機会を与えられなければならず、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない」(第4条)。学校給食法を見ると、第8条に、「文部科学大臣は、児童又は生徒に必要な栄養量その他の学校給食の内容及び学校給食を適切に実施するために必要な事項について維持されることが望ましい基準を定めるものとする」という規定もある。学校給食で必要な栄養量は、日本国の児童生徒であれば、どの子どもでも同じ摂取量で差別されないはずだ。原発事故の被災地の児童だからといって、栄養量での差別が許されるということはあり得ない。震災から4か月も経ちながら、なぜこのような異常がまかり通り、被災者である子どもへの権利侵害が許されているのか。残念なことに、番組では市や県の教育委員会への取材はなかった。

往年のニュースステーションであれば、間違いなく市長がインタビューされ、県の教育総務課の担当が電話取材に応じる映像が流されただろう。小林一喜が上のような法律論を縷々並べて、文科省に対して痛烈な批判を加え、それが二次的なニュース(事件)の渦を派生させ、国会で野党が質問する事態に至っただろう。小林一喜の解説には、いつも理路整然とした法律論があり、よどみなく縦横に繰り出され、抜群の信頼感と説得力があった。テレビ報道の解説者の理念型だった。教室スペースの問題も同じだ。4か月もあれば、プレハブの仮設校舎を応急手当することなど簡単にできるだろう。その程度の予算をどうして文科省が工面できないのか。国会議員たちは、どうしてこの子どもたちへの虐待を放置し、国会で追及しようとしないのか。むしろ、福島と宮城・岩手の子どもたちこそ、国の手厚い支援が最優先で施されるべきで、他の文教支出費目を削ってでも、彼らにお腹いっぱい豪華な給食を食べさせてあげるべきなのではないのか。そう言えば、4500億円の原子力予算のうち、文科省関連が2570億円だ。行政を追及する取材がなかったのは残念だが、教室にエアコンを入れろと要求した古舘伊知郎のコメントは評価できる。今、報ステが野党の報道をしていて、この国の政治の中の野党の役割を担っている。テレビ報道から野党の存在が消えたため、ネット言論がその役割を担い、存在意義を拡大させていたのだ。

一方、NHKの大越健介の方は、菅降ろしのアクセル全開で、経産官僚が乗り移ったかのようなヒステリックな菅叩きの報道に終始していた。(捏造した)世論調査の数字を出し、早く退陣しろと迫り、解散総選挙もありだとまで言うのである。被災地の避難所に11万人も暮らし、酷暑と絶望の中で我慢強く国の支援を待っているときに、そこまでの暴論を公共放送のキャスターが吐く。信じられない。これまで、被災地の復興と原発の事故処理が片づくまでは、政治休戦だと言い、無用な政局騒動は控えろと言うのがマスコミの常識であり、国民を代弁した正論だった。今回、NHKと大越健介は(捏造した)世論調査の数字を示し、国民はリセットを求めているなどと言い、菅降ろしの政局を煽り立てる暴挙に出た。古舘伊知郎の姿勢と真っ向から対立する構図になっている。昨日(7/11)は、延命を図る菅直人の側も、亀井静香が「3次補正を早急に菅政権で」と繰り出す一幕をマスコミの前で披露しているのだが、NHKはその場面は取り上げず、岡田克也と前原誠司の発言だけを流し、与党内が菅降ろしで固まったように説明していた。明らかな印象工作であり、世論操作の偏った政治報道である。菅降ろしに奔走する官僚の意向に沿って、官僚のプロパガンダを撒き散らしている。国民の税金(視聴料)を使って。脱原発に傾くテレ朝と原発維持のNHK、被災者目線と官僚目線、二つの立場の違いが政治報道に大きく影響し、野党と与党となっている。

耐性テストの政府統一見解についても、古舘伊知郎は、「そもそも、安全だと言って福島の事故を起こした保安院や安全委の『安全評価』を信用できるのか」と一蹴、1次評価と2次評価と分かれた複雑な中身を紹介しようともしなかった。一顧だにしなかった。感心する。直後の小出裕章のコメントが全く同じで、今の体制と陣容での「安全評価」の無意味を語っていた。この統一見解は単なる政治情報で、政治の妥協の産物で、意味としては真面目に解説するに値しないものだ。前日に菅直人が一日中公邸に閉じこもった首相動静や、飯田哲也が急きょ官邸に呼ばれた情報から、踏み込んだ内容が菅直人から発表されるかと期待したが、全く空振りに終わってしまった。今日(7/12)の朝日の紙面記事は、官僚の視線からの耐性テストへの評論が過不足なくされているが、閣議決定も法的根拠もなく、何ら再稼働を拘束するものではないと書いている。また、再稼働に安全委の判断を関与させるとする案も、斑目春樹が「そんな法的権限はない」と言って突っぱねている。官僚たちは、岡田克也ら菅降ろし組の加勢を得て強気であり、一歩も退く構えを見せず、この統一見解の「新基準」を菅直人と共に葬り去るべく、菅降ろしと同時に再稼働に踏み切ろうとしている。菅降ろしは再稼働だ。それ以外の意味はない。実際、菅直人が失脚すれば、その時点でこの統一見解の効力も終わりで、ポスト菅で継承する者はいない。菅直人の政治生命と同じであり、同行二人の運命である。

この点に関して、ネットの一部に、前原誠司は「脱原発」を志向するという誤った情報が流れ、デマに惑わされて踊らされている者たちがいる。菅憎しで凝り固まった小沢信者が、自らに都合のいい幻想を脳内に描き、ガセネタに飛びついて喜んでいる図だが、当然ながら前原誠司は筋金入りの原発推進派である。浜岡を停止させ、エネルギー政策の転換を打ち出した菅直人に対して、ポピュリズムだと辛辣に批判しているし、いわゆるエネルギーのベストミックス論の持論を吐いている。また、「脱原発」が選挙の争点になることにも反対している。この立場は、まさに自民党そのもので、ベストミックス論は原発推進派の掲げる主張である。前原誠司は、自民党と組む大連立の従来からの提唱者であり、すなわち菅降ろしと連動する政界再編の政局で、自民党の支持を得たポジションを取って優位に立とうと姑息に工作している。代表選に意欲満々で、もし前原誠司が新代表に就けば、代表選で原発の政策方針をどう言おうと、すぐに大連立に動いて公約を白紙化するだろう。自民党と組めば、外国人献金疑惑で追及されることもない。前原誠司にとっては、脱原発の国民世論よりも、原発を再稼働させたい経団連の方が重要なのであり、大連立に持ち込めれば、脱原発などは簡単に押さえ込めると確信しているのだ。根っからの右翼思考であり、反動の新自由主義で政治人格ができている。この男が脱原発などに傾くはずがない。前原誠司と岡田克也は脱原発の敵であり、国民の敵である。

脱原発の立場で客観的に総括すれば、これで、6月からの経産官僚の玄海再稼働の謀略は阻止できたと結論できる。古川康にこの夏の再稼働を断念させることができた。これは、政局の騒動の結果ではなく、脱原発の国民がプロテストした運動の賜物である。立地自治体の首長をリモコンで動かして、現地説明会の茶番を進め、再稼働に運ぶという支配者側の政治は潰された。突破口となる可能性が最も高かった佐賀で謀略が潰されたのであり、同じ手は二度と使えない。今後、佐賀は住民による知事と町長への不信と抗議が大きくなり、原発が彼らの政治生命のリスクになる事態もあるだろう。九電のヤラセメール事件も、これで幕引きで蓋の保証はない。いずれにせよ、地方から一角を崩す謀略は破綻した。最早、中央で菅降ろしに血道を上げるしかない。8月中の菅降ろしと再稼働が果たせなければ、夏の政治戦は脱原発の勝利確定となり、来年春の全基停止がきわめて現実的な目標として見えてくる。ピークの夏を再稼働なしに乗り切れば、需給が逼迫せず供給に余裕のある秋冬に無理に原発を立ち起こす必要はないのだ。供給の4割を原発に頼ると言われる四国と九州で、原発なし、節電もなし、経済の不具合なしの実績ができる。「電力供給不安」が神話だった事実と、「埋蔵電力」の実力が証明される。日本より地震の脅威の小さいドイツやイタリアでさえ脱原発を決断しているのに、福島の事故を起こした日本が率先して脱原発しない道理はない。定期検査に入った原子炉を停止させ、そのまま廃炉にすればよく、政府は廃炉計画で予算を立てればよいのである。

新規の原発は設置できず、老朽化した原発は廃炉になる。どっちに転んでも脱原発なら、決断と実行は早い方がいい。代替エネルギーは余剰設備と自家発電(GTCC)で埋め、自然エネルギーを中長期で考えればいい。まず停止させること、全基即時停止である。



by thessalonike5 | 2011-07-12 23:30 | 東日本大震災 | Trackback | Comments(0)
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