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脱原発に動く関西と焦点の九州 - 自家発電のソリューション
昨夜(6/21)のNW9は、冒頭、橋下徹の会見の映像から入り、原発再稼働へと姑息に動く経産省と海江田万里を痛烈に批判する弁を紹介した。「そんなに安全だと言うのなら、海江田大臣と経産省の人間が原発の近くに住めばいいんですよ」。関西で脱原発の気運が高まっている。NW9の映像は、続いて滋賀県の嘉田由紀子の会見に移り、原発の全基停止を明確に求める知事の主張が放送された。滋賀県には関西の水瓶である琵琶湖がある。老朽化した敦賀半島の原発群から30キロの至近距離であり、福島第一と飯舘村ほども離れていない。冬に事故が起き、北西の季節風に流された放射性物質が湖を汚染すれば、滋賀のみならず京都も大阪も住民の飲料水を失う。嘉田由紀子の懸念と主張は当然だ。関電の大株主である大阪市長の平松邦夫も脱原発を宣言し、また、地元である福井県の西川一誠も運転再開には同意しないと言っている。東京のマスコミ報道ではあまり大きく扱われないので、詳細は分からないが、関西は脱原発で首長の足並みが揃っている印象があり、今なお過激な原発推進論を咆えている東京の親子とは雲泥の差だ。首都圏では、住民の間で放射能汚染への不安が日毎に高まり、線量計のバックオーダーが増える一方だが、4月頃は脱原発で威勢がよかった黒岩祐治も何も言わなくなった。
 

先週号の東洋経済の原発特集号を見ると、前敦賀市長の高木孝一が語った不気味な本音が記事に出ている。「原発を持ってきさえすれば、あとはタナボタ式にいくらでもカネは落ちてくる。早い者勝ち」「(多額の補償がなされる原発事故は)困ったことだ、(でも)嬉しいことだ。1年に1回くらいあればいい」(P.57)。無論、この発言は福島の事故前のものだが、原発立地自治体の首長の偽らざる欲望の吐露だろう。現敦賀市長の河瀬一治は、今回の事故の後、経産省を訪れる姿など何度かテレビで撮られているが、相貌と言動が何とも田舎の強面風であり、現地の原発反対派を潰すのに暴力団を嗾けたなどという話がいかにも似合いそうな侠徒の風体を漂わせている。戦後の時代、一昔前の田舎の議員や首長には、こんな感じのボス・キャラ範疇が少なくなかった。特に、炭鉱の町とか、左右のクリティカルな対立がある現場では、それを鎮圧する暴力装置である「闇の世界」との顔の接触交流が頻繁濃密で、そして、地域の公共工事の土建業が表と裏を媒介する構図になっていた。御前崎市長の石原茂雄にも、何となく相通じる怪しい気配を感じるが、それは、浜岡原発の住民運動をめぐる凄惨で壮絶な実話を聞いて、身が震える憤激を感じた私の錯覚と偏見の投影だろうか。いずれにしても、畜産で自立して美しい村を築いた菅野典雄の人格とは対照的だ。

運転再開の政治について、焦点は九電の玄海原発だろう。愛媛県の中村時広は、伊方再開について「白紙」と言いながら、内心は官僚に応じて取引したいスタンスが透けて見える。しかし、この男の政治姿勢を解剖すると、原発推進派であると同時に橋下徹の盟友であり、「維新の会」の同志たる論理と立場が先行するために、橋下徹に歩調を合わせる選択になるのだろう。関西一円が脱原発で固まった状況では、西日本の辺境の四国が一人だけ抜け駆けするのは容易ではない。佐賀県の古川康は、6/26の説明会の後に判断すると言っていて、対応に微妙な含みを持たせている。玄海町長は最も再稼働に意欲的で、最初の切り崩しがあるとすれば佐賀県だろう。本来なら、関西のように、福岡県知事の小川洋や福岡市長の高島宗一郎が再開反対を言って当然と思われるが、何も声が聞こえて来ず、不思議に思って調べたら、小川洋はバリバリの元通産官僚で、獨協大卒の高島宗一郎は36歳の子供だった。これでは福岡が脱原発になるはずがない。私は福岡の閑けさを不思議に思うのである。玄海原発から福岡市まではわずか50キロの距離だ。福島第一と福島市の間隔より近い。6/11には福岡市の繁華街でもサウンドデモがあり、1000人の若者が参加したが、中高年世代も含めてヨリ広範に脱原発が広がってよいのではないか。6年前の玄界島の地震を忘れてないはずだ。

昨日(6/21)の記事で、再生可能エネルギー法案への期待を言い、これを早期成立させれば、送電線開放に道を開き、製造業大手を中心に持つ自家発電分(6000万KW)の巨大電力が流通し、原発なしで今夏のピーク時需要を充当するという局面も実現できるかと希望を書いた。これは、広瀬隆が福島瑞穂と対談した情報を元にした楽観論だったが、やや性急に過ぎる早とちりの見解だった。広瀬隆の発言も、少し誤解を与えるものだろう。再生可能エネルギー法案について、ネットに経産省から資料が上がっているが、この法案は送電線開放とは関係がない。あくまで、現行の送電網体制の下で自然エネルギーを促進する趣旨のものである。地域独占には指を触れない。だからこそ、電力会社が固定価格で買い取り、費用をチャージして売れば、コストが上昇して電気料金が高くなるのである。まず、この法案は、太陽光、風力、水力、地熱、バイオマスの発電を対象としていて、広瀬隆が言うような原発代替エネルギーの本命である火力(LNG)を対象にしていない。次に、この法案の施行は交付から1年以内で、(1)参入する新事業者の経産大臣認定とか、(2)買取価格の決定とか、(3)参入事業者と電力会社の特定契約の中身とか、(4)費用負担調整機関の設置と運用とか、煩雑な手続きがあり、行政の予算措置(年度)もある。立ち上げに時間がかかり、到底、この7月や8月の電力カバーに貢献するものではない。この法案そのものは、一刻も早く成立と言うより、掘り下げて議論を尽くすべき内容だ。

6000万KWの自家発電を原発代替電源とするには、この菅直人の再生エネルギー法案とは別の議論が必要で、送電線開放(発送電分離)に正面から踏み込む政策論議の場が必要だ。この問題について、ネット上に情報があり、数字を整理すると、2010年9月のベースで日本全国で6035万KW出力のキャパシティがある。そのうち、東電管内が1640万KWで、事業者の数は875社。昨夏の設備の平均稼働率は5割強で、750万KWの余剰供給能力がある計算になる。5月に東電が示した今夏の電力需給の予想では、今夏のピーク需要を5500万KWと見積もり、7月末の供給量5520万KWで、どうにか凌げるという見通しになっている。これは、停止中と定期点検に入る柏崎刈羽の原発分(3基+2基)を含んでいない。再稼働は予定されていない。ここで、空前の猛暑に襲われた昨年の実績を見ると、8/21に6013万KW、8/22に6147万KWを記録していて、連日6000万KWを超えていた。ということは、もし仮に、今年も昨年と同じ酷暑となり、東京の最高気温が37度になり、しかも節電がなかった場合、東電の予定供給量(8月)である5500万KWに対して650万KWが不足となるのだが、逆に、余剰の自家発電(750万KW)を東電の送電線でフルに供給すれば、十分に足りてなお余るという想定になる。750万KWの余剰発電能力は、原発7基分に相当するのだ。柏崎刈羽の最後の2基を止めても問題ない。東電管内では、物理的に、原発なしで6000万KWを生産できる。

全国の自家発電の総量は6035万KW。東北電力管内が多く、実に1380万KWの発電能力を持っている。GDPの地域バランスに比して非常に多い。これは、震災後の報道で何度か言われたが、東北に製造業大手の新しい工場が多い証左だろう。半分は中電より西の地域に散らばる。自家発電総量に対する夏の余剰比率は、東電管内の数字(5割)をそのまま適用できるはずで、とすると、全国で3000万KWの発電能力がピーク時に眠っている計算になる。これで補填すれば、もし今夏のピーク時需要が昨夏並みだったとしても、停止中原発の再稼働なしで日本全国の電力需要(1.8億KW)を賄うことができるはずだ。原発依存度の低い中部電力菅内には、逆に製造業大手の工場が多いため、その自家発電分を中四国と九州に融通できるに違いない。自家発電する大手業者にとっては、電力を生産販売する副業が成立し、そこで売上と利益を得られるわけで、国内景気低迷の折、願ったり叶ったりである。これらの自家発電業者は、なるべく効率的で手軽で低コストな電力生産を戦略化するから、当然、GTCC(MACC)とシェールガス(非在来型LNG)の設備と燃料にフォーカスすることだろう。広瀬隆が言うとおり、問題は節電でもなく、自然エネルギーでもなく、スマート・グリッドでもなく、原発の停止と廃棄の決断であり、送配電設備の開放であり、送発電分離による発電事業の自由な参入である。原発を止めることの方が先だ。脱原発は段階的なプロセスを思考してはいけない。停止させれば廃炉である。代替エネルギーは自家発電であり、中身はGTCC(ガスタービン)である。

原発推進派は、中国とインドが原発ラッシュに動くと言っているが、私はそうは思わない。彼らもまた、先進国の動向に影響を受け、エネルギー政策見直しにシフトするだろう。既存の利権村が未形成の新興国ほど、また経済成長のスピードが著しい国ほど、素早くハンドルを切り、国家戦略のギアを入れ替えることだろう。彼らは、原子力ではなくGTCCの技術に注目し、それを国産開発して、大型化したり小型化したりして性能を上げようと試みるに違いない。放射能事故のリスクと使用済み核燃料の処理問題は、どこの国でも同じだ。国土が広く、もともと石炭資源の豊富な中国は、探せばシェールガスの貯留層を発見できる可能性が高い。原子力が老化した割高なエネルギー技術であることを悟れば、原子力発電を撤退させ、別のエネルギー戦略の可能性を探り、先端技術の移植と応用を国策に措定するだろう。放射能事故の対策を厳重にすればするほど、原発の場合は際限なくプラントの設備と運用のコストが上がり、魅力のない電力プロジェクトになる。英米では、新規建設の保険負担がネックになり、二の足を踏むようになるはずだ。福島の事故は、今後も世界のエネルギー政策を左右する。各国政府は、事故処理にどれほどのコストと犠牲がかかるかを注視しているはずで、専門家の報告を政策にフィードバックさせるだろう。政府が原発の推進計画を立てたからと言って、それを未来永劫に固守するのは日本の利権官僚だけだ。利権よりも国益を重視する国は、躊躇なく脱原発の方向に舵を切ると思われる。

世界はこれから、CO2温暖化の脅威ではなく、放射能汚染の恐怖がエネルギー政策を支配する時代に移るはずだ。




by thessalonike5 | 2011-06-22 23:30 | 東日本大震災 | Trackback | Comments(0)
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