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メンタルヘルスの政治学 - 挑戦と逆襲の絵を思い描く
昨夜(6/27)、報ステのニュースは上関原発の問題をトップで扱った。山口県知事の二井関成が、県議会で建設用地の湾を埋め立てる免許の延長を認めない方針を発言、中国電力による原発建設工事は事実上不可能な情勢となった。このニュースも重大な出来事だが、それ以上に、マスコミのテレビ報道が上関・祝島の問題を映像で大きく紹介した点が画期的だと言える。現地の映像を詳しく見るのは初めてだ。これまで、上関・祝島の問題は、ネットの片隅でしか情報を知ることのできない異端的な関心事で、まさに高江のヘリポート基地の住民運動と同じ範疇と性格の政治問題だった。そして、現地で粘り強く抵抗する住民も、そこに関心を向ける者も、多数派である右翼から「アカ」だの「サヨク」だのと呼ばれてイデオロギー攻撃を受ける対象だったのである。マスコミは決して上関・祝島にカメラを向けなかった。テレビで全国報道された意味は大きい。福島の事故によって原発をめぐる政治のシンボルが逆転し、脱原発を貫いてきた反対派住民が異端から正統に立場をスイッチした。一方、NHKのニュースは、7時も9時も内閣改造の腐った政局報道がメインで、二井関成の県議会での発言は無視して放送しなかった。どちらが国民生活にとって重い意味を持つニュースか。原発報道をめぐるNHKの極端な偏向と反動が、テレ朝と対照的に最近は特に強く印象づけられる。


佐賀県の玄海原発の方は、県が主催で説明会を再度開く方向に持ち越され、先の読めない緊迫した状況が続いている。西日本全体が脱原発の流れで固まりつつある中で、依然として古川康が運転再開を諦めていない。ここは一つ、たんぽぽ舎や原子力資料情報室やさよなら原発アクションは、九州での大規模デモツアーを企画し、佐賀県庁前と福岡の九電本社前での抗議と示威の行動を呼びかけたらどうだろうか。今、それを発案して参加者を募集すれば、ある程度の人数の動員は可能だろう。玄海原発の再稼働は決して佐賀県民だけの問題ではないのである。ここが焦点であり、脱原発の政治戦のバトルフィールドであるなら、そこに戦力を集中して投下しなくてはいけない。それと、渋谷や新宿のデモに集まった若者たちも、一度は、原発というものを直に目で確認する機会を持ってよいだろうし、また、交付金が落ちないと暮らしていけない過疎の村落というものを、実体験で接して感じることも有意味だろう。そして、どうせ現物を見るのなら、停止中の東海村や浜岡ではなく、4基のうち2基が動いている注目の玄海町を選ぶのがいい。個人的にお薦めとして、このすぐ近くに名護屋城博物館がある。この県立博物館は実に立派で、秀吉の朝鮮侵略の歴史を学ぶ上で国内最高のアカデミーである。啓発される。大河ドラマの進行も折よくクロス、この機に足を運ぶといい。

さて、政局の方は、ますます無意味に混迷を深めている。不信任案の騒動後の亀井静香の動きが妙に不審で、大連立に前向きな素振りを見せたり、何を考えているのか分からなかったが、なるほど、自民党の参院議員を一本釣りで切り崩していたという内幕が報道された。大連立歓迎の発言は、秘中で遂行中の調略作戦を隠すフェイクだったわけだ。結局、それに失敗し、また内閣の大幅改造も菅直人が見送り、「呆れた」と匙を投げる始末となった。今回の意味不明の小幅改造は、単に執行部に対する譲歩で、妥協によって決定的な軋轢を避け、その果実として権力延命を得たというだけのものでしかない。全てが延命の論理と均衡なのだ。もともと松本龍は、閣内でも最も菅直人に批判的で、早期辞任を迫る急先鋒だった。この男が復興対策相に就くなど誰も思ってもいなかったし、小型で無能の政治家であり、無意味きわまる人選だが、自分の延命のためにポストを配って口封じをした。この人事は、要するに、被災地の復興など真面目にやる気はないという意思表示である。第3次補正などは限りなく遅らすという意味であり、復興対策をやりたくない(カネを使いたくない)官僚への配慮なのだ。こうして、官僚に媚を売ることで政権延命を得ている。復興基本法は形ばかりのもので、3次補正は9月以降の先送りとなった。政局次第でどうなるか分からない。被災地にとっては全てが白紙にされたに等しい。

復興をやりたくない官僚の要求を汲み、国民には自然エネルギーに前向きなポーズを見せ、四方八方に「人気取り」をして、ひたすら政権にしがみついている。菅直人の頭の中にあるのは、政権延命の綱渡りのパフォーマンスであり、その場凌ぎを続けることである。政策の目標もなければ、時間的な計画も何も念頭にない。この男には信念や矜持などないのだ。そうした菅直人に対して、盟友の山口二郎が「権力欲こそ政治家にとって最も重要な美徳である」と言って必死で応援している。この言葉には脱力して鼻白む。現在の菅直人の悪あがきは、2年前の麻生太郎のそれと全く同じだし、4年前の安倍晋三の醜態の再現ではないか。あの窮極の新自由主義者の麻生太郎でさえ、延命と人気取りのために、雇用政策では踏み込んだ対策を講じた。雇用保険を受給できない非正規の離職者のために、職業訓練を受ける間、月10万円の生活給付と月8万円の貸付けを行う緊急措置の制度である。山口二郎の目からは、菅直人の醜い延命遊泳は、自然エネルギー法案を成立させたい一心の崇高な志の為せる業で、正当化できる行為なのだそうだ。「目一杯権力の座にしがみついて、必要な政策を実現して欲しい」と言っている。私から見れば、政策の中身としては、麻生太郎の雇用政策の方が菅直人のエネルギー政策よりもはるかに評価できるものだ。菅直人の再生エネルギー法案など、単なる政局の駆け引き道具にすぎない。

進行する絶望的な政治を見ながら、果たして何を考え何を言えばよいのか、最近は特に言葉にするのが窮屈で、思考や表現が浮かんで来ず、悩み焦る日々が続く。無意識的に新聞やネットの記事を追わなくなっている。苛立って気が滅入るからだ。政策は国民の生活に直結するものである。政治学者たちは、岩波文化人の男でさえ、政局の騒動に目を奪われ、応援する勢力の権力的浮沈に一喜一憂するのだが、現実の政策のヘゲモニーは官僚が握っている。官僚が政策をドライブしている。そして予算化される政策の中身は、現在、官僚の手で概算要求として着々と編成されている最中だ。そのプロセスにはマスコミの報道取材は入らない。私は、政治を論じる方法として二つのアプローチを試みる。一つは、このままの延長で行った場合、官僚や経団連の方向で押し切られた場合はどうなるかという予想を述べることだ。もう一つは、そうした支配者側の方向をひっくり返したところで、どうなればよいのか、どうしたいのかを心の底力で想念し、アイディアとイマジネーションを文章にすることだ。官僚は、ポスト菅が誰であれ、この政局をできるだけ長引かせようとしている。官僚の動機は、予算を官僚のフリーハンドで組むことであり、政治の介入を排除することだ。利権を温存し増殖させることだ。09年マニフェストを死文にすることだ。菅直人の政権のときに、「税と社会保障の一体改革」を閣議決定させ、既成事実を作り、消費税増税することである。

官僚は、第3次補正をギリギリまで遅らせ、被災地住民に諦めを強いる。カネは与えず制度も与えず干上がらせる。産業を潰し、地域を潰し、三陸を廃墟にして労働力を東京に移住させる。大量の失業者を作り、非正規労働力の供給源を作り、賃金の引き下げに寄与させる。原発事故賠償を国民負担にし、「自然エネルギー」で新しい利権村を作って焼け太りする。そういう収奪の方向を既定路線に据えている。それでは、私はどうしたいか。どうなればいいと思うのか。ナポレオンがコルシカ島時代に空想に耽っていたようにして言えば、次の選挙で、広瀬隆(68)と小出裕章(62)と後藤政志(62)と藤田裕幸(69)と飯田哲也(52)と内藤新吾(50)と松本哉(37)と中村敦夫(71)を国会に送り込むことである。国会議員として、国権の最高機関の場で、彼らに原発処理とエネルギー政策で官僚と闘わせることだ。筋道のよく見えない国民投票で脱原発を決めるよりも、こちらの方が現実的な可能性を描けるだろう。政策の方向を変えるためには、選挙で民意を示し、公約を裏切らない議員を国会で活躍させるしかない。政権を取るかどうかは無関係だ。数の問題ではない。どれほど政党が甘い公約を並べても、選挙後にそれを反故にすれば、それで一巻の終わりである。国民は騙され、歯噛みして身悶えするだけだ。もっとも、御用学者の山口二郎に言わせれば、高校無償化を呉れてやっただけでも、国民は政権交代をありがたく思えという説教になるのだが。

私はこのように考える。夢想と言われるかもしれないが、こうした逆襲と覆しのアイディアを思い描くことで、そこにリアリティの輪郭線を彫ることで、何とか、どうにか、現実政治から受ける苦痛と絶望からメンタルヘルスが蝕まれないように予防している。言わば、自ら処方した精神安定剤の妙薬だ。小説『クォヴァディス』に出てくるところの、迫害下のローマ帝国の原始キリスト教徒の信仰みたいなものだと言えば、少し大袈裟すぎるだろうか。そう言えば、村上春樹も「非現実的な夢想家」になれと言っていた。上に並べた彼らを候補者として立て、当選させ、国会議員として衆議院に送り込む。それだけではない。前に述べたが、済生会栗橋病院副院長の本田宏、北九州バプテスト教会牧師でホームレス支援者の奥田知志、ガテン系連帯事務局長の小谷野毅、弁護士で日本労働弁護団常任幹事の棗一郎、それから薬害肝炎原告団代表の山口美智子。この人たちは国会で活躍して欲しい人々だ。探せばいくらでも掘り出せるし、この国に優秀な人材はいる。9条・沖縄系では、田中優子、伊波洋一、前田哲男、水島朝穂。こういう人たちが国会の委員会に席を占めなければいけない。それが現実化すれば、政策は変わり、国民の生活はずいぶん変わることだろう。そういう政治のピクチャーを実現したいのであり、その方策を第一歩から私は考えたいのである。このことを、私は、辺見庸が震災を言葉にする挑戦をするように、自分の課題として考え試みたい。できないはずはないと思うのだ。

新勢力で比例で800万票取れば、衆院に20名を送れる。



by thessalonike5 | 2011-06-28 23:30 | 東日本大震災 | Trackback | Comments(0)
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