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踊る原発政局の不毛 - 政策不在の自民党と小沢一郎
週末の報道番組は、海水注入中断と不信任決議の話題ばかりだった。不毛な感じがする。自民党は、原発事故の初期対応で菅直人を責めるのなら、不信任案提出の前に参院に事故調査委を設け、そこで事故発生からの経緯を検証することを何故やろうとしないのか。参院は野党が多数であり、事故調査委設置法案が否決されることはない。そこに関係者を喚問し、「空白の55分間」を検証することもできるし、「ベントの遅れ」問題も真相を究明することができるだろう。大義名分のない不信任案の政局騒動よりも、国民は国会での事故調査の方をはるかに支持するはずだし、国民の要求はそこにある。この自民党による国会への事故調査委設置の動きが、単にポーズだということは明確だとしても、それを強く要請する声がマスコミから上がらないばかりか、ネットからも政局論として全く注目されないのには首を傾げる。ネットの世論は、国会の事故調査委に関心がなく、自民党と小沢派による「菅降ろし」にのみ喝采を送り、涎を垂らして野獣のように咆え騒ぐばかりだ。週刊誌も同じで、初動ミスを論った菅叩きで煽って売っている。私は、菅直人を擁護する意図は毛頭ないが、政治の議論がこのような非理性的方向に流れて狂躁状態になる状況は看過できない。結果として、自民党と保守マスコミに誘導されるだけではないか。自民党と保守マスコミが菅降ろしを画策するのは、何より、政権を取り戻して原発とその利権を守るためである。


仮に、今の時点で小沢派と自民党が組み、菅降ろしを実現させたとして、そして解散ではなく総辞職を選んだとして、誰が次の首班に指名されるのか。民主党の中は分裂状態になり、現在の主流派に近い部分が、むしろ自民党との連携に積極的に動き、自民党もそれを歓迎して多数派を形成するだろう。具体的には、長島明久や樽床伸二のような親米右翼系をブリッジにして、前原誠司や玄葉光一郎など親米新自由主義系が自民党と組む流れになる。そこに原口一博も潜り込もうとするだろう。政策の論理で数合わせが媒介されれば、自然にそうした政界再編の形勢になる。反中改憲、日米同盟、TPP加盟、消費税増税、道州制、構造改革、を政策のプラットフォームにする大勢力であり、官僚と米国と保守マスコミに支持を受ける流れである。このプラットフォームこそが多数派だ。小沢一郎のマニフェストの政策路線に近い議員は自民党の中にはいない。ネットの中には、小沢一郎の政局魔術の幻想に期待する空気が充満しているが、この政局の中で潜勢的な物理力を持っているのは、参院で多数を握っている自公である。参院の議席は2年後まで変わらず、5年後まで固定した勢力比が続く。この政局で参院の議席を動かすことはできず、結局のところ、焦点になるのは衆院の民主党の分裂だけだ。自公に不信任案を焚き付けている小沢一郎の政策意図は全くわからない。

先週(5/27)のWSJとのインタビューでも、小沢一郎は何も具体的な政策論を述べなかった。菅直人に対する私怨と敵意の感情論で終始し、政局オンリーで、昨年の代表選の頃の小沢一郎とは様変わりした姿を見せている。これは、菅降ろしの後、自民党と組む手筈になっていて、つまりはマニフェストの路線を大きく裏切って右旋回するから、それを言えず、隠しているのだろうと推察される。政策論が示せない理由はそこにあるのだ。今、国民は指導者を求めている。そして、政界には器量もないのに指導者になりたい人間が多い。指導者になりたい野心を持つのは悪くないだろう。だが、この政局に独自に政策論を立てて国民の前に披露できる政治家がいない。一人もいない。通常、こうした局面の日本の政治では、次を狙う政治家が、ゴーストライターに書かせるにせよ何にせよ、文藝春秋の誌面を使って、あるいは新刊本の出版で、何か新しい経済政策を打ち出し、あるいは制度改革のフレーズを唱えて、世間の話題と支持を集めようと動いたものである。小沢一郎にせよ、細川護熙にせよ、梶山静六にせよ。現政権に対して批判をし、政争を挑み、権力をよこせと言うのなら、俺の政策はこうだと提示し主張するのが当然だった。その政策文書の一言一句を国会で論戦し、あるいはテレビ討論の叩き台にするのが慣例だった。谷垣禎一にせよ、原口一博にせよ、そうした政策論は全く出そうとしない。

森ゆうこも、川内博史も、誰も政策ビジョンを提示して論戦を挑もうとしない。日本の政治の堕落の一つの現象として、この事実を指摘できるだろう。「政治改革」以降の風景である。政治家がブレーンを持っておらず、ブレーンを使って政策を立論できる大型の人間がいない。ブレーンを持つほどに政策に意欲と関心がない。官僚に全てを任せ委ねている。官僚の掌の上での些末な政策論議しかできず、党の政調は官僚が持ち寄る計画にめくら判を押す場になっている。それ以前に、昔と違って、アカデミーの人間そのものが官僚であり、霞ヶ関から天下って教授職に就いている者ばかりで、官僚から独立して政治にアドバイスする学者がいないのだ。官僚の政策意思以外のものが入る経路がない。さらに、官僚の中に政策の対立的契機がなく、従来の政策を転換したり革新するべく、政治家のブレーンになろうとする者がいない。岡田克也など、今の政治家を見てわかるとおり、極端に虚弱で未熟になっていて、梶山静六や山中貞則の頃のような凄味や毒気がなく、官僚にとって政党などどうでもいい飾りの存在なのだ。政治との緊張関係を失い、官僚機構そのものが堕落し、官僚がまともに政策について研究や討論をしていない。省内で政策方針をめぐって論争するということは一切ないだろう。その必要がないからであり、政策から理念が消えているからである。これは、「政治改革」以降の現象だが、そもそも本郷の大学で理念的なものが教えられていないという問題もある。理念の意味を知らない。

国民は、政治家による本格的な政策論議を渇望している。その論議に参加したいと考えている。そうした機会が提供されたのは、3年前から2年前にかけての民主党の「国民の生活が第一」だけであり、小沢一郎が示した財源捻出のマニフェストと長妻昭の年金政策ぐらいだった。昨年からは、菅直人と官僚の仕切りで、国民が求めていない政策が次々と上から押しつけられ、それに抵抗する主張や勢力がマスコミに粉砕される政治状況が続いていた。それが、3月11日にリセットされた。今は、震災復興について、エネルギー政策について構想と概念を求めている。しかし、政治からそれは提供されていない。不思議に感じる。次を狙おうとする者なら、新刊書を企画し、目次の構成を3章立てにして、第1章で原発とエネルギーについて書き、第2章で東北の復興について書き、第3章で日本経済と国民生活の将来について書き、自分の政策綱領として国民に提案すればよいのだ。中身次第で、間違いなく評判を呼んでベストセラーになるだろう。普通に国会議員になる知性と見識を持った者なら、この内容で200頁ほどの新書を纏めて刊行するくらいは簡単にできるはずだ。なぜ、それが誰からも出ないのだろう。政治家だけでなく、評論家やエコノミストからも出て来ない。彼らがルーティンの生業でそれをするには、問題があまりに大きすぎて、深すぎて、手に負えないという問題もあるのだろうか。いかに、これまでの日本の保守論壇が上っ面で中身のないものだったかわかる。今、本屋で売れているのは、広瀬隆と小出裕章だ。

自民党が不信任案の政局を作っているのは、彼らに政策的な提案能力がないからだ。例えば、原発収束の工程表について、それでは自民党に対案が出せるかと言うと、彼らは全く提示しない。自分たちならこのように収束させるとコミットできない。同様に、復興計画についても、民主党との違いを際立たせて国民に訴える中身を用意していない。何より、エネルギー政策が論外で、結局のところは原発の維持推進である。海水注入問題で菅直人を失脚させようとしたのも、中断情報を安倍晋三にタレ込み、保守マスコミに騒がせたのは、その起点は元経産官僚であり、動機は東電と原発を守るためだった。原発利権の保守のためである。この騒動は、官邸側にリバースをかけられ、中断はなかったという既成事実にされ、あえなく政争に負けてしまった。反論する証拠すら挙げられない。頭の悪い安倍晋三らしい愚かな失態である。無論、中断はしたのだ。菅直人が海水注入による再臨界を恐れ、斑目春樹の説明がしどろもどろで要領を得なかったため、一時中断を指示し、その後に菅直人が東工大関係者から話を聞いて納得し、55分後に海水注入の再開に至ったのである。それが真相だ。しかし、これは3/12夜の1号機の話で、すでに水素爆発は起きてしまった後であり、55分間の中断が何か重大な問題に直結したわけではない。菅直人が斑目春樹らの説明に納得できなかったのは、私がその場にいても納得できないと思うが、3/12の昼に、ベントをすれば爆発を防げると言ってベントをしながら、奏功せず水素爆発を起こしてしまっていたからである。

菅直人の初動に過失があったと言うより、斑目春樹や保安院や東電の初動対応こそが問題なのだ。基本的に首相を含めて官邸の政治家は素人であり、自分で情報を収集して考えて判断は下せない。誰がやっても同じだっただろう。問題は、その過失を隠していいかどうかであり、政権延命のために嘘をついて隠蔽し続けていることの卑劣である。自民党が、事故調査委の設置に動かず、不信任案に急ぐのは、民主党の中を掻き回そうという理由もあるが、それ以上に、国会を長く続けたくないからであり、早く幕引きをしたいからだ。エネルギー政策の論議に入りたくないのであり、場外乱闘のリングアウトに持ち込みたいのだ。谷垣禎一は、不信任案可決の暁には、菅政権は東北の被災地の現状を鑑みて解散はできないだろうと言い、それは許されないなどと牽制をかけているが、本当に解散になり、原発とエネルギーが選挙争点になった場合、自民党が情勢有利になる保障はない。原発は歴代の自民党が推進してきた政策である。そして、自民党は脱原発に舵を切れない。初動対応のミスのような問題は、一票を分ける争点にはならない。指導者の資質を問うと言うのなら、自民や公明に指導者はいるのか。保守マスコミは、現在の2党の世論調査の支持率から、選挙をすれば自民党の圧勝だと言うが、この数字はあまり信用できるものではない。例えば、昨年の参院選がそうで、事前の報道では、世論調査は菅民主党支持と出ていて、消費税増税にも賛成対数となっていた。国民は、この選挙を原発の是非を問う選挙にするだろうし、選挙で原発を全廃させようとするだろう。

GTCCの代替案も、選挙論争を通じて情報が浸透するだろうし、論戦の中で二酸化炭素温暖化説のドグマが相対化され、LNGを中心としたエネルギー政策が現実的な選択として認識されることだろう。



by thessalonike5 | 2011-05-30 23:30 | 東日本大震災 | Trackback | Comments(0)
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