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「世界」は寺島実郎を降板させよ - 原発推進派の詭弁
浜岡原発の停止について、間髪を置かずマスコミによる反撃が始まった。会見翌日(5/7)のNHKの7時のニュースでは、小郷知子に「地元で波紋が広がっている」などと言わせ、要請を歓迎する国民の声は報道せず、否定的な反応ばかりを拾い集めて強調していた。悪質な世論操作の報道である。特に異常だったのは、御前崎で茶の加工販売をしている業者の話で、「停電をされると仕事の支障が出る」とか、「いきなりの要請は疑問だ」などとカメラの前で言うのだが、明らかにNHKが仕込んだヤラセ演出が見透かされる胡散臭い映像だった。この場面を見た福島の農家はどう思っただろうか。逆ではないのか。原発が停止することで、放射能事故の被害を未然に防ぐことができ、安心して茶摘みもできるし、製品の出荷もできるのだから、地元の農家や業者は要請を歓迎するのが当然ではないのか。さらに福井県や新潟県の知事のネガティブなコメントを繰り出し、何か一斉に停止要請に対して批判と反論が沸き上がっているかのような趣旨と構成で報道を仕立てていた。福井県や新潟県の知事の発言の真意は何なのだろう。停止が自県の原発に及ぶと、補助金が削減されるという不安が動機だろうか。静岡県の川勝平太は即時停止を求め、今回の要請を支持している。西川一誠も、泉田裕彦も、県内で停止中の原子炉の再稼働に反対姿勢だったはずだが、ここで川勝平太と立場を合わせないのは不審で、政治的な思惑を裏に感じる。



週末の報道番組の中では、NHKのカウンターが最も強烈だったが、5/8のTBSのサンデーモーニングでも、寺島実郎が出演し、「浜岡の停止で拍手を送るなんてとんでもない」などと悪態をつく場面があった。この番組では、基調を関口宏と岸井成格が押さえていて、関口宏は浜岡停止に賛成で、岸井成格も脱原発の方向に転じたため、寺島実郎の意見は少数派になったが、何とも呆れ果てるコメントではある。寺島実郎は、「民主党は2030年までに14基の原発を新設し、原発の電力供給を3割から5割に引き上げるエネルギー基本政策を出している」と言い、この基本政策を見直すことなく、浜岡の停止だけ突然に指示するのはおかしいという論法を展開した。一見、正論のように聞こえるが、この主張が通れば、基本政策見直しを検討している間は浜岡は停止されないのであり、すなわち停止を拒否して操業継続を正当化する詭弁である。詭弁を弄して浜岡停止要請に難癖をつけるところ、まさに原発推進派の面目躍如と言える。現在、週刊金曜日での佐高信の記事など、いわゆる原発文化人の罪状を告発する議論が盛んだが、ここ数年の日本のエネルギー政策について、寺島実郎ほど世論に大きな影響を与え、原発の容認と推進へと国論の舵を執った戦犯イデオローグはいないのではないか。寺島実郎は、政治的立場の「中立」を演出する達人であり、その巧妙な表象操作で左右から支持を調達していた。

ここ数年、日本のマスコミと論壇では、二酸化炭素温暖化説と低炭素化社会の宣伝が怒濤の勢いで展開され、その動きとパラレルに原子力エネルギーが正当化され、原発推進論が復活して隆盛をきわめる状況があった。そうした言論世界の先頭で旗を振っていたのが、経産省資源エネルギー庁総合資源エネルギー調査会電気事業分科会原子力部会委員の寺島実郎である。寺島実郎は、この委員職に2005年に就任して活動を続けてきた。さらに、2008年には同総合資源エネルギー調査会総合部会委員にも就任、2009年には内閣府原子力委員会国際専門部会委員にも就任している。まさにエネルギー分野の審議官クラスの官僚文化人である。「先週、米国を廻ってきたが」とか、「欧州へ飛んでいたが」とテレビで口癖のように言っていたが、これは政府部会の出張で公費での話だったのである。こうやって、官僚からもらったカネで海外を周遊し、マスコミで自慢話を重ね、官僚に都合のいい政策方向に国民を洗脳し誘導していたのだ。小出裕章と広瀬隆は、いわゆる二酸化炭素の温室効果による地球温暖化説が、原発推進政策に徹底的に利用され、原発文化人たちの跳梁によって国民が騙されている点を口を酸っぱくして説いている。思い返せば、環境エネルギーについてテレビで特集されるときは、必ずそこに寺島実郎の姿があった。化石燃料からの脱却を言いつつ、官僚と財界が主導する原発路線に国論をアラインさせていたのである。

原子力立国計画」は、2006年6月に策定され8月に報告書が出されている。小泉政権の末期だ。寺島実郎が原子力部会委員に就任したのが、郵政選挙のあった2005年だから、この計画の策定において寺島実郎はきわめて重要な役割を占めている。この事実を否定できず、責任を逃れられないから、寺島実郎は現在に至っても脱原発をテレビで言えず、蝙蝠の身の電波芸者でありながら原発反対の世論に迎合できないのだろう。岸井成格と同じ風見鶏の立ち回りができない。寺島実郎は「原子力立国計画」立案の当事者であり責任者なのだ。その「計画」の中身は以下である。(1)2030年以後も発電量の30-40%以上、(2)核燃料サイクルを着実に推進、(3)高速増殖炉の2050年商業ベース。2006年以降、寺島実郎はこの「計画」を持論に各地で講演をし、各誌に記事を書いている。寺島実郎の狡猾なところは、自分を原発推進派と認めず、環境エネルギー派の擬態を装うところである。この男は、政治的な立ち位置に絡むクリティカルな議論の局面では、常にそういう欺瞞的な詭弁を駆使し、無理に「中立」を偽装する性癖がある。ネットの中に、福島事故後の4/7に上げた発言があるが、ここでも、「私は、原子力推進派ではないが、」と但し書きを入れている。自分は中間派だと言うのである。しかし、その直後の本論では、「電力の30%程度は原子力で賄う体制を保つのが現実的」と堂々と言っている。これは、まさしく「原子力立国計画」の目標であり、原発推進派の所論そのものではないか。

寺島実郎は、総電力需要の30%を原発で維持する政策論が「中間派」だと言うのであり、自分を「中間派」と見せかけることで、実際には推進派そのものである「原子力立国計画」の路線と立場を「中間派」の表象にスリ替えるのである。これがイデオローグの仕事だ。ネットには、寺島実郎が原発推進派として活躍した様々な証拠が残っている。2003年にSAPIOに書いた小論 - 「過剰な中東依存脱却のために日本は『原発技術立国』を目指せ」 - は興味深いが、このコピーが原子力部会の「原子力立国」に転成したのだろうと誰もが想像する。小泉政権下で、温室ガス地球温暖化の風潮を利用し、これを背景に原発復活を策していた官僚と原子力村が、恰好の広告塔として、コピーライターとして、寺島実郎の起用を考え、部会に招聘したのだ。2007年5月には、青森で開かれた(社)原子力産業協会の年次大会に出席、初日に基調講演を行っている。2008年7月には東北原子力懇談会の広報誌に寄稿があり、この懇談会での講演録を載せている。いわゆる原子力村の天下り業界団体が、特会の予算で「原子力啓発」目的の集会を開くとき、客寄せパンダで講師をやっていたのが、他ならぬ寺島実郎だったのである。巨額の講演料収入を得たことだろう。国民の税金だ。当日のTBSのスタジオでは、田中優子が浜岡停止を歓迎する正論を冷静に展開、停止ではなく廃止せよと主張し、同時に、孫正義の「脱原発」自然エネルギー財団設立についても紹介して、中身のある論評の提供で視聴者を納得させていた。

寺島実郎は、原発論壇の中間派などではなく、まさしく政策を立案し遂行した推進派の中核である。原発村の広告宣伝事業の要の人物である。この事実をわれわれは周知徹底させる必要がある。そうしたとき、直ちに問題になるのは、脱原発の言論拠点になっている岩波の「世界」が、寺島実郎をレギュラーの執筆陣にして囲っていることである。震災と原発を特集した5月号でも、寺島実郎に原稿を書かせて掲載している。その中で、寺島実郎はまたぞろ奇怪な言い訳を垂れている。「私は『総合エネルギー調査会』などエネルギー政策に関する政府の審議会等にも参加してきた。原子力発電に関して私がとってきた姿勢は、推進派でも反対派でもなく、エネルギー政策のベスト・ミックスを志向し、その中のバランスにおいて原子力を位置付けるというものであった」(P.77)。そのような言い訳が通用するのか。政府機関である総合エネルギー調査会原子力部会が策定した「原子力立国計画」が、推進派の政策でなくて何だと言うのだ。中間派など、そもそも部会委員に選任されないし、もし寺島実郎が推進派ではないのならば、「原子力立国計画」を批判する論陣を張り、策定責任者となるのを避けるべく委員を辞任するのが当然だろう。原発増設を政策化した「原子力立国計画」は、寺島実郎の名前で策定され、内閣と国民に報告されているのである。「エネルギー政策のベスト・ミックス」など詭弁もいいところだ。それこそ推進派の論理ではないか。推進派の中で、電力供給の100%を原子力にしようと言っている者などいない。30%が推進派なのである。

「世界」には定期連載の寄稿者というのは少ない。常連の執筆陣(岩波文化人)はいるが、寺島実郎のように毎号載せている者はなく、寺島実郎は「世界」の主筆のような位置づけを標榜している。この事実は、明らかに言論誌の編集態度として矛盾していて、「世界」の脱原発の主張を嘘っぽくさせ、首尾一貫性のない軽薄なものにしてしまっている。「世界」が脱原発を目指し、反原発の世論を誠実に喚起しようとするのなら、原発推進派に毎号の頁を割き与えてきた過誤を反省し、それを総括し清算する必要があるだろう。「世界」の編集部は、5月号の「読者へ」と題した上から目線のコラムで、次のように言っている。「私たちの主張が、原発政策を変えるほどの力をなぜ持てなかったのか、慚愧の念をもって振りかえらざるを得ません」(P.21)。この言葉は、原発推進派の中核イデオローグたる寺島実郎を主筆同然に扱ってきた「世界」のこれまでの編集を鑑みて、あまりに空しく白々しく響く。「読者へ」では、こんなことも言っている。「本誌は、今号を震災・津波被害と原発災害のみに集中した特別編集としました。このため、すでに企画として決めていた他のテーマの原稿、連載などは次号以降に掲載することにいたします」(P.21)。他のレギュラーはボツで後回しだが、寺島実郎だけは例外の特別待遇なのである。原発推進派の寺島実郎だけは、金看板で別格なのでボツにはしないのだ。「世界」もまた政治世界の中で位置と存在を持っている。編集には政治的意味が纏う。「世界」が寺島実郎を降板させれば、その意味はきわめて大きく、脱原発の世論を後押しする影響を与えるだろう。

寺島実郎を降板させ、原発推進派を処断するべきだ。編集部は決断せよ。

 
by thessalonike5 | 2011-05-09 23:30 | 東日本大震災 | Trackback | Comments(0)
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