No.421 | ||||
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![]() | 神州丸(しんしゅうまる) | 陸軍特種船(R1) 揚陸艦 | ||
艦船ステータス(初期値/最大値) | ||||
耐久 | 37 | 火力 | 5 / 22 | |
装甲 | 9 / 35 | 雷装 | 0 | |
回避 | 13 / 38 | 対空 | 10 / 32 | |
搭載 | 12 | 対潜 | 20 / 40 | |
速力 | 低速 | 索敵 | 20 / 52 | |
射程 | 短 | 運 | 14 / 54 | |
最大消費量 | ||||
燃料 | 35 | 弾薬 | 5 | |
搭載 | 装備 | |||
2 | 大発動艇 | |||
2 | 未装備 | |||
8 | 未装備 | |||
装備不可 | ||||
改造チャート | ||||
神州丸 → 神州丸改(Lv48) | ||||
図鑑説明 | ||||
日本陸軍が建造した本格的な上陸用船艇母艦、現代でいう強襲揚陸艦、その一番艦、神州丸です。 完全武装した陸戦部隊*1を載せた大発動艇などを満載、その泛水装備で連続発進が可能です。 緒戦の上陸戦、そして末期の輸送作戦でも奮闘しました。提督殿、覚えていてくださいね。 |
※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、最大値はLv99の時の最大値を指します。
CV:豊口めぐみ、イラストレーター:パセリ (クリックするとセリフ一覧が開きます)
セリフ | CV:豊口めぐみ、イラストレーター:パセリ |
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入手/ログイン | 陸軍特種船「神州丸」です。 統合的な上陸戦力を投射できる本格的な強襲揚陸艦の 先駆けとして建造されました。揚陸作戦はお任せください。 |
母港/詳細閲覧 | あーる……いえ。神州丸を、お呼びでありますか。 |
揚陸作戦ですか? 輸送作戦? ……ならば、投入のご検討を。 | |
母港/クリック時 | 提督殿。この船尾舟艇発進口が気になるご様子。ご覧になりますか? こちらです。多くの大発の連続発進が可能であります。 ……提督殿? そこは、舷側ですが。 |
母港/詳細閲覧【バレンタイン】 | 提督殿。あの……艦隊の、あ、船団の慣例ということなので。このチョコレートを、あの、宜しければ。 |
母港/詳細閲覧【ホワイトデー】 | これは、あの! 提督殿……有り難いです。 |
母港/詳細閲覧【梅雨】 | 梅雨の季節であります。提督殿、てるてる坊主ですか? 上手ですね。風情があって、いいですね。 |
母港/詳細閲覧【秋】 | いいですね……この匂い、この雰囲気。これが、鎮守府の秋祭り。 ……あっ、あれは何でありますか? 提督殿、ご一緒に! |
母港/詳細閲覧【七周年】 | 提督殿。艦隊は、七周年だそうであります。おめでとうございます。本艦も……本艦も、祝賀致します。 |
ケッコンカッコカリ(反転) | 提督殿? 本艦を? …本当で、ありますか? 嬉しい。ほんか…わ、わたくし、着替えてきます! |
ケッコン後母港(反転) | 提督殿。わたくしも、兵食を作ってみたのですが…味見してもらっても…あ、ありがとう。 お、おいしい? |
編成/出撃 | 陸軍特種船、神州丸、抜錨です。みんな、頼むぞ。 |
出撃 | 本艦、M.T.はこれより抜錨する。行くぞ! |
開戦/攻撃 | 前方に敵を発見した。是非もない。戦闘用意! |
夜戦開始 | 夜か……警戒を怠るな。 |
攻撃/航空戦 | てぇっ! |
連撃/弾着観測射撃/夜戦攻撃 | やらせるな! |
小破 | くっ! |
小破/旗艦大破 | うわあああっ!? |
中破/大破 | 被害を報告せよ。浅瀬に突っ込む必要は……ないな。 |
勝利MVP | 本艦が、最も功績を? ……この栄誉、戦友殿と共に。 |
帰投 | 提督殿、船団帰投。作戦は、完了であります。 |
補給 | |
改装/改修/改造 | その装備は、有り難いです。 |
感謝、申し上げます。 | |
改装/改修/改造(遠征選択/アイテム発見) | 大発を出します。 |
入渠(小破以下) | 申し訳ない、少し下がります。 |
入渠(中破以上) | 提督殿、申し訳ない。しばし修繕を、急ぎます。 |
建造完了 | ついに、建造が完了しました。就役であります。 |
戦績表示 | 情報は大切であります。お持ちしましょう。 |
轟沈(反転) | ついに本艦も、ここで沈むか。海は…冷たいな。 |
時報 | |
放置時 | G.L.、ゴッドランド……。ある種そのままではありますが 秘匿名というのは中々味わい深いものであります。ふぅ…… |
ゲームにおいて 
- 2019年11月30日、イベント「進撃!第二次作戦「南方作戦」」E-4突破報酬として実装。
- あきつ丸に続く、2隻目の揚陸艦。
- 未改造状態では弾薬消費が5と非常に少ない。
キャラクター設定について 
- 史実では日本陸軍虎の子の秘密兵器としてその存在を秘匿していたためか、艦娘の中でもかなり珍しいフード持ち。
あきつ丸と同じ陸軍系艦娘ということもあって、こちらを「提督殿」と呼ぶ。 - 目のハイライトが極めて弱く、一見いわゆる「死んだ目」に見える*2。誤射とはいえ味方に撃沈されサルベージを経験しているからだろうか。もがみん……。
- なお改になって追加される時報ではその件で最上に謝られたようだが、本人は全く気にしていない模様。
- 公式4コマではこの事件繋がりで、あきつ丸が着任回において最上を異様に敵視しているという形で存在が示唆されていた。今のところ2人が会話している場面はないため、あきつ丸が最上を許したのかは神州丸着任回待ち。
- 同じ特種船でも「空母らしさ」はあるあきつ丸とは異なりどうやって航空機を扱っているのか、一見するとよく分からない艤装となっている。というのも実船では艦橋の下に帆布が張られており、ここにカタパルトによって航空機を射出する発進口と格納庫が隠されていた。そしてこの格納庫を『馬欄甲板』、つまり馬用スペースだとして秘匿しているのである。このような対応からも分かるように航空機運用設備はトップシークレット扱いだった。この格納庫については小ネタに別記する。
- 神州丸がこの能力について明言するセリフは今の所なし。改になると「馬用の部屋ではない」事を本人から教えてくれるが、ここでも「航空機用」とまでは言わないあたり、神州丸自身普段から機密情報として気を使っているのかもしれない。
- 実際には将兵の居住スペースまたは物資用の倉庫として活用されてしまっていたのだが。
- 背中部分に確認できるクレーン。これは神州丸の大きな特徴となっていた『トラス式大型クレーン』がモデルとなっている。イラストのように大発はもちろん、戦車砲塔や双連機関銃塔を装備した『装甲艇』*3や上陸地点の強行偵察を行なう『高速艇甲』といった支援舟艇も泛水*4または搭載、戦車・重砲等の重量兵器だって容易く吊り上げられる強力なクレーンだった。
- 神州丸独特の箱型船体を模した巨大な艤装の側面にうっすら見えている枠は『中門扉』と呼ばれていた機能で、あきつ丸のような特種船仲間にも見られない神州丸唯一無二のもの。ここを開く事により格納庫内の舟艇を直接取り扱う事ができる、船尾発進装置に次ぐ便利機能なのである。
- また煙突が2本描かれているが、太い煙突は航空機用格納庫を隠すための『ダミー煙突』で実際には見えている部分しかない。つまりハリボテ。
- この煙突、実は日向が改装時に不要になったものを譲り受けたものだったりする。基本的には乗せているだけなので自由に取り外し可能。この件については改の時報で日向にお礼を言っているが、当の日向は覚えていない模様。
なんて奴だ。史実ではのちに改造されてそのまま兵員用の居住区になった、という話もある。
- この煙突、実は日向が改装時に不要になったものを譲り受けたものだったりする。基本的には乗せているだけなので自由に取り外し可能。この件については改の時報で日向にお礼を言っているが、当の日向は覚えていない模様。
- また煙突が2本描かれているが、太い煙突は航空機用格納庫を隠すための『ダミー煙突』で実際には見えている部分しかない。つまりハリボテ。
- 通常時はコートや手で隠れていて分かりにくいが……中破するとあきつ丸以上に立派な胸部装甲があることが確認できる。
小ネタ 
- 日本陸軍が建造した『陸軍特種船』の第一号。『大量の上陸用舟艇と支援舟艇に加えてカタパルトにより射出される航空機を搭載、陸・海・空の戦力を総合運用して大戦力を一気に揚陸する』まさに近代強襲揚陸艦の原点と言うべき存在だった。海軍ではなく日本陸軍という時点で驚くべき事だが、この発想は大戦中どころか21世紀の今日でさえ通用する、非常に先進的なものであったのだ。
- 「神州」とは日本そのものを指す雅称。つまり扶桑や秋津洲などとルーツは同じである。神州丸の登場で日本の雅称艦隊が組めるようになった。
- 建造時の仮名称は「R1運送船」であった。このRは「Rikugun(陸軍)」の意。つまり「R1」=「陸軍最初(1号)の船」ということになる。
令和元年でも乳酸菌でもないよ。 - 「R1運送船」の他に「G.L.」「M.T.」「龍城丸」といった秘匿名称もあった。「G.L.」は「神州」の直訳(God Land)。「M.T.」は「軍隊輸送船」(Military Transport)、または命名当時の初代船舶輸送司令官である松田巻平中将(Matsuda)及び2代目司令官の田尻昌次中将(Tajiri)のイニシャルから採られたものであるとされる。「龍城丸」は同音異字である航空母艦龍驤とあえて船名を被らせる事で秘匿を図ったともいわれる。
- 建造時の仮名称は「R1運送船」であった。このRは「Rikugun(陸軍)」の意。つまり「R1」=「陸軍最初(1号)の船」ということになる。
陸軍さんが語りたがっているので格納
- 上陸用舟艇を船内の『全通式格納庫』に多数搭載し、後部の『船尾舟艇発進装置』から迅速に展開する能力を持った陸軍特種船の第一号。
- あきつ丸など量産型特種船が民間から徴用した形になっているのと異なり、神州丸は陸軍省に所属するまさに「陸軍の船」となっている。
- 設計は(初期案であるR1から)もちろん日本陸軍が中心となって行われており、陸軍の夢が詰まった奇想天外なものであった。
- まず船橋の下がアーチ状になっており、ここから船首まで続く滑走路によって航空機が自力で発進する。空母じゃん?
- さらに船体後部にも航空機格納庫が存在し、エレベーターで甲板上に運び2基のカタパルトから射出可能。
- これに加え、兵員や物資を満載した搭載舟艇を迅速に出撃させる船尾のスロープ式発進装置や、両舷に多数設置されたボートダビット等、上陸作戦に必要と思われる要素をこれでもかと詰め込んでいた。
- この陸軍による設計案があまりにも
変態的現実離れしていたため、海軍艦政本部によって手直しを受ける事となるが、結局特異な形状は変わらぬままだった、 - この一目見て特別と分かるという点は陸軍も非常に気にしており、この後量産された陸軍特殊船はあきつ丸を除き、一見普通の貨物船と変わらない外観をしていた。
- しかしながらこの形状は偶然か必然か、現代のドック型揚陸艦と非常によく似ている。兎にも角にも非常に先進的な見識で作られたと言っていいだろう。
- 設計は(初期案であるR1から)もちろん日本陸軍が中心となって行われており、陸軍の夢が詰まった奇想天外なものであった。
- 最大速力は20.4kt。海軍艦に見慣れてしまえば遅いと感じるかもしれないが、実の所この速力は当時日本が保有していた最優秀の貨物船*5と同等以上で「輸送船」としては非常に速い。当時は10kt出るか出ないかという貨物船もまだまだ主力な時代だったのである。
- 艤装に多数装備された大発や小発からも「舟艇母船」「舟母」とも呼ばれる陸軍特種船の特性がよく分かるが、上陸作戦時はその護衛艇の『装甲艇』(AB艇)や高速偵察艇の『高速艇甲』(HB-K艇)といった支援舟艇も搭載する。
- イラストでは艤装の上、甲板上の砲塔がある艇が『装甲艇』である。こちらは上陸時に浅瀬に接近して搭載銃砲により対地支援、また上陸援護のための煙幕展張を行う戦闘支援艇で、八九式中戦車の九〇式57mm戦車砲塔1基と八九式旋回機関銃塔2基(7.7mm双連式機銃)、煙幕展張装置などを備えていた。
- 『高速艇甲』は、艤装には描かれていない。陸軍が研究のため輸入したイギリス製魚雷艇を原型として独自開発したものであり、その高速性能によって上陸地点の強行偵察及び部隊間・船舶間の連絡を任務としている。日本海軍が高速艇として運用していたものより遥かに性能が高く、陸軍船舶関係者達はこれを指して「海軍のいわゆる高速艇」と
揶揄区別していたらしい……。- 一方、高速艇の開発に難航していた海軍は陸軍から高速艇甲などの技術提供を受け艇体をほぼそのままコピーした魚雷艇を開発していたりする。
- 他、陸軍独自のものとしては対潜水艦水中音響兵器『す号装置』を搭載している。
- これはフランス製のコピーであった海軍の九三式水中探信儀*6と異なり、独自開発された日本初の国産アクティブソナーである。元々太平洋方面を重視していた海軍に代わり日本海方面に出没するであろうソ連潜水艦隊への対策、つまり拠点防衛のために開発されたソナーとされ、日米開戦前までには既に各要地に配備されていた。ただ装置自体が非常に大掛かりな物で、生産にも船舶への搭載にも手間がかかり、積める船は設計に余裕のある「考慮された船」程度に限られていた。またこの手の日本製兵器の例に漏れずとにかく動作が安定しなかった。
- 防御面では対雷障壁などを有してはいたものの、喫水線付近に巨大な舟艇格納庫が存在する事により浸水を防ぐ隔壁が少なく、そのため魚雷を始めとする喫水線以下の攻撃にはとてつもなく脆かった。その太ももはそういう。もっともこれは神州丸に限らない事で、揚陸艦の宿命といえばそうなのだが……。
戦歴 
- 1933年4月8日、播磨造船所にて起工。
- 1934年2月、「神州丸」と改名。3月14日進水。12月15日、竣工式を迎える。
- 1935年1月、航空機射出機(KS)及び関連装置を搭載するため、呉海軍工廠に廻航。改修工事が行われた。
- 同3月、豊後水道において秩父宮殿下台臨の元、九一式戦闘機12機の射出試験。次々発進した戦闘機は無事広島練兵場に着陸し、試験は大成功に終わる。
- 同3月、豊後水道において秩父宮殿下台臨の元、九一式戦闘機12機の射出試験。次々発進した戦闘機は無事広島練兵場に着陸し、試験は大成功に終わる。
- さて、神州丸は日中戦争最初期から最前線で活躍している。そのため戦歴も多数あるが、ここではゲームと関わりの強い太平洋戦争の部分のみを記載することとする。
太平洋戦争開戦から誤射まで
太平洋戦争開戦から誤射まで
- 1941年12月8日、第25軍(軍司令官・山下奉文中将)司令部が乗船する神州丸は開戦と同時にマレー半島への上陸作戦を成功させている。その後も輸送任務に従事、イギリスの一大拠点シンガポール攻略を目指す「マレー作戦」成功に大きく貢献した。
- 1942年2月、日本軍はABDA連合軍8万人が死守するジャワ島の制圧を開始する。このジャワ上陸作戦に神州丸は第16軍(軍司令官・今村均中将)司令部を乗船させて参加。
- 2月27日、日本軍とジャワ島守備のABDA連合軍の間でスラバヤ沖海戦が勃発。日本軍はこの戦いに勝利するも、重巡ヒューストンと軽巡パースを捕り逃してしまう。その結果、翌日夜、捕り逃した2隻と日本軍との間でバタビヤ沖海戦が勃発。
- 3月1日深夜1時35分、悲劇が起きた。陸軍船団の護衛として参加していた第2号掃海艇が突然轟沈。陸軍病院船「蓬莱丸」にも魚雷が命中、続いて神州丸も右舷中央に被雷してしまう。防空基幹船「佐倉丸」も瞬く間に転覆、輸送船「龍野丸」も中破してしまったのである。
- 当時龍城丸では第16軍司令部が上陸のため舟艇に乗り換えている最中であったが、この被雷により彼らは甲板から海に転落。今村軍司令官以下、司令部要員は神州丸からあふれ出した重油の海を漂う事となってしまう。
- 揚陸任務に就いていた神州丸の舟艇隊も、魚雷命中の大音響を聞きすぐさま帰投。他の部隊と共に片っ端から漂流する将兵を引き上げていった。救助後無事に上陸を果たした陸軍部隊は快進撃を続け、早くも3月10日にはジャワ島を制圧、アジア最大の油田地帯を持つ蘭印の完全攻略に成功している。
- 戦闘後の調査で、これらの被雷は最上がヒューストンを狙って撃った魚雷が射線上にいた神州丸達に当たってしまった、ということが判明した。サルベージ作業中の神州丸船倉からも「九三式」と刻印の入った魚雷の破片が見つかっているがその場で投棄、証拠隠滅がなされた。
- 神州丸では第1次部隊がすでに上陸完了しており、また月が明るく救助がしやすい状況だったため人的被害は少ないものだったが、それでも徴用船員や陸海軍将兵など合わせて約100名が死亡している。
- その後陸軍は、この海戦での海軍の勝利に傷がつかないようこの事件における責任を不問とし、「敵軍の攻撃にやられたという事にする」という形で決着をつけた。忖度……。
- 神州丸沈没により第16軍司令部はあわや全滅。無線機が海没した事で他部隊との連絡も一時的に取れなくなり作戦そのものが崩壊しかねない状況だった。そもそもとどめを刺すためとはいえ上陸船団が密集しているような海域で超射程超威力の魚雷を放つという時点で海軍の重大な失態だが、「人情将軍」として知られる第16軍司令官今村中将は後日揃って謝罪に訪れた海軍司令部を笑って許している。
- ちなみに海へ投げ出されて漂流するはめになった今村均中将なのだが、深夜の戦場で、しかも重油まみれで誰が誰だか見分けがつかない状態の時である。救助された今村中将が「俺は今村だ」と救助艇の兵へ声をかけたところ「今村も昨日村もあるか!このクソ忙しい時に黙っとれ!」と怒鳴られ、一説によればブン殴られたなんて噂話もある。
サルベージと戦列復帰、そして撃沈まで
サルベージと戦列復帰、そして撃沈まで
- 陸軍の対応により現地においてはなんとか丸く収まったものの軍全体となるとそうはいかず、陸軍船舶部隊の旗艦的存在である神州丸の損失は今後の軍事輸送に重大な影響をもたらすと判断され、3月4日には早くも神州丸のサルベージが決定。
- 9月下旬には船体の浮揚が完了。その後12月まで応急修理を受けた後、シンガポールまで回航され翌年4月末まで本格的な修理を行った。
- こうして神州丸は1943年5月に日本へ帰投。7月~10月にかけて播磨造船所で修繕・調整工事を行い、11月から各地で輸送作戦に従事することになる。
- 6月2日、「ヒ65船団」の一員としての活動中、突如「敵潜水艦来襲」警報。船団が一斉に逃避行動へ移った時、「有馬山丸」が神州丸の船尾に激突、対潜用爆雷が誘爆してしまう。
- この爆発により船尾舟艇発進装置を喪失。戦闘態勢をとっていた機関砲隊、爆雷隊、後部甲板に出て涼んでいた乗船部隊など、およそ200名が犠牲となった。
- 神州丸は乗船部隊と資材を船団に託し、練習巡洋艦「香椎」に曳航されて基隆に入港、応急修理が行われる。
- 7月25日、応急修理を完了した神州丸は単独で母港宇品へ向け出航。宇品へ到着後は日立造船の因島造船所に回航されるが、本格修理が行われる程の時間と余裕は残されていなかった。
- このため、最大の特徴であった船尾舟艇発進装置は失われたままとなった。
- 9月12日、再び戦線復帰した神州丸は宇品へと帰港。直ちに妹船「吉備津丸」と共に宇品-釜山間の軍隊及び物資輸送に従事。この輸送作戦を11月初旬まで計7回行なっている。
- 11月14日、第二十三師団をフィリピンへ輸送する「ヒ81船団」の一員として日本を出発。翌日、米軍潜水艦の攻撃により妹分ともいえる存在であるあきつ丸を失ってしまう。その後も「ヒ81船団」は米軍潜水艦から連日攻撃を受け続け、最終的にあきつ丸・神鷹を含む3隻が戦没、死者は計6200名を数えた。
- 11月26日、満身創痍の船団は高雄港に到着。「タマ33船団」に改編され、30日~翌月4日にかけてフィリピンへの輸送作戦を無事に成功させている。
- 12月14日、「吉備津丸」「日向丸」「青葉山丸」らと共に第十九師団を乗せ、フィリピンへ。29日夕方、船団は無事ルソン島サンフェルナンドに投錨するが、米軍爆撃機による空襲が絶え間なく続き、部隊・物資の上陸は激しい対空戦闘を繰り広げながらの強行揚陸となった。
- 昭和20年(1945)1月1日、本土帰還者を乗せた「神州丸」「吉備津丸」「日向丸」は「マタ40船団」を組み日本帰還のため出港。
- 1月3日、護衛の海防艦の速力に合わせつつ、ひたすら突き進んだ船団は高雄沖に到着。この時「台湾は目下敵艦載機の空襲を受けている」という情報を受け、これを回避するために高雄への入港中止を指令、船団は急遽中国大陸方面へと進路を変更した。
- 7時50分、索敵機2機が船団上空に飛来。直後に艦爆3機による空襲をうけたものの、対空射撃で撃退している。
- 11時20分、約50機からなる大編隊が飛来。特異な船型をしていた神州丸は優先的に敵機に狙われ、激しい攻撃を受けることとなった。
- 巧みな操船と船砲隊の奮戦により十数発の爆撃・雷撃を回避したもののついに艦橋付近に爆弾が命中。続いて煙突付近に被爆、炎上してしまう。
- 12時30分、中村船長の「総員退船命令」に続き今野部隊長も退船命令を出し、数百人に及ぶ乗員たちは脱出を開始、一斉に海へ飛び出していった。彼らは海防艦に救出され、高雄へと向かった。
- 救助活動が終わった頃、海防艦の1隻が神州丸へと接舷。未だに甲板に留まり様子を見守っていた中村船長他、船員と乗船部隊の一部は別れを惜しみつつ海防艦へと移乗、神州丸を離れた。最後の戦闘における戦死者は、船員・乗船部隊・便乗者合わせて382名である。
- 神州丸は水線下に被害がなかったため、そのまま炎上しつつ漂流。23時37分、炎に照らされる姿を目標とした潜水艦「アスプロ」に雷撃され沈没、ここに艦歴を終えた。
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