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なぜエスペラントは普及しないのか?
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なぜエスペラントは普及しないのか?
1papageno:2008/01/04(金) 23:25:54
すでにいろんなスレッドで語られて来たことではありますが、単独のスレッドが無かったので立てさせていただきます。

いろんな視点からのいろんな意見を出して行きましょう。

2Kakis Erl Sax ◆CcpqMQdg0A:2008/01/07(月) 23:44:30
時代的に需要がない。以上。
人工言語の国際補助語運動が盛んになるのは17世紀や19世紀などのヨーロッパ大陸内で
突出した軍事力・経済力を持つ国がない時代。
17世紀はフランスもドイツもスペインもオランダもオーストリアもロシアもそこそこ強いものの、
18世紀には、ルイ14世とかのフランスが周囲に戦争を仕掛け、突出した軍事力と
文化力と経済力を得ていたわけです。
17世紀はデカルトやライプニッツも人工言語による国際補助語の構想を持っていましたが、
18世紀になるとフランス語が一番ヨーロッパ大陸内で通用する言葉だからそれを使えばいいということで、
そういう活動は下火になりました。
ナポレオンの第一帝政が滅びて、1815年からのウィーン体制になると、
フランスだけが突出した大陸の覇者ではなくなり、今まで小国集合体だったドイツやイタリアが
統合したり、ロシアもポーランドを併合したり東に領土を広げたりして、
さらにオーストリアもそこそこ強くなってきたためまた各国の力が均衡状態になりました。
そうなるとフランス語が国際語でいいじゃんという話にはならず、
またまた人工言語による国際補助語と言う発想が生まれます。
そして、そういう国際情勢の追い風を受けて、ヴォラピュクやエスペラントが普及したわけです。

ただし現在は、ヨーロッパ大陸内ではないものの、アメリカが突出した軍事力と経済力をもっていて、
18世紀と同様、というかそれ以上に特定の超大国の言葉を使うのが現実的という状況です。
ヨーロッパでも、実際ドイツを中心に日本同様米軍基地がいっぱいあって、
若干植民地気味ですし。

つまり現在の国際情勢ではあまりそういう話は需要がないということです。
将来、中国とロシアがアメリカに匹敵する軍事力経済力を持つようになるまで、
冬の時代だと思います。
ただし、エスペラントでなく最新の言語学の成果を取り入れた覚えやすい新規の
人工言語が選ばれる可能性もありますが。
19世紀にはもはやジョージ=ダルカーノの考えた図書館分類法そっくりの人工言語が受け入れられなかったように。

3Kakis Erl Sax ◆CcpqMQdg0A:2008/01/07(月) 23:45:41
参考文献
セレン=アルバザード『新生人工言語論』「人工言語学」
http://www2.atpages.jp/kakis/%90V%90%b6%90l%8dH%8c%be%8c%ea%98_/fol.html

4松戸彩苑:2008/01/08(火) 03:16:43
そもそも「発表されてから100年以上もたつのに使用者がほとんどいない、どこの国の言
葉でもない言語」なんてものを憶えようと思う人が世間にほとんどいないのは当然だと、私
は思うんですよね。

これだけでもハンディが大きいのに、「世界平和」だの何だのと言うせいで、世間の人たち
からイデオロギーか新興宗教だと思われてしまってるんですね。

これでは、普及するわけがありません。

(もちろん私は、エスペラントを普及させる方法についても考えているわけですが、それは
今まで書いてきたことですので、ここでは割愛します)

5ベダウリンデ:2008/01/10(木) 11:01:51
>「世界平和」だの何だのと言うせいで、世間の人たち
>からイデオロギーか新興宗教だと思われてしまってるんですね。

そうなんです。イデオロギーか新興宗教に見えちゃうんです。
私の場合ですが、最初は「言語なんてツールなんだから、思想とは無関係のはず。」と思ってたんです。
Ĉiuj lingvoj povas esprimi ĉiujn ideojn. つまり、言語はどんな思想でも表現できる、と思ってた。
たとえ考え方が異なる者同士でも議論できて、歩み寄りするにしてもしないにしても、
少なくとも相手の言い分に耳を貸すことができる、そのための道具が言語なんだ、と。
エスペラントはどの国の言語でもないから、それこそ平等に、様々な立場の人々が意見交換できるものと思ってた。
その結果として、できるかどうかわからないけど、「世界平和」もありうるだろう、という流れかと思っていた。

でも、掲示板とか読んで、そういう考え方はマヌケすぎるんだと、気づき始めた。
エスペランチストは自分たちをサムイデアーノと言う。「同じ思想の人」
なんで同じ言語を勉強してるだけで「思想同じだよね」と言われなければならないのか。
それとも、ある特定の同じ思想を信奉していなければ、仲間に入れてもらえないのか。
(有名な言葉に、「こんな人がなぜエスペランチストなんだ!?」ってのがあるんですよね)
そうやって「思想」なるもので人を選別してるから、イデオロギーっぽく思うんです。
信じてなければ信者にしない、という点では新興宗教ですね。
色々な意見を話し合うために言語はあるのに、最初から同じ思想の人しか受け付けないんじゃ、
エスペラントって何のためにあるの?と思う。だから普及しないんですよ。

6Kakis Erl Sax ◆CcpqMQdg0A:2008/01/10(木) 21:15:33
聞けば聞くほどサムイデアーノ。

どこかの国に属している言葉は国際語に相応しくないという主張ですが、
歴史的に見ても国際交流に使われる言語は、国などの勢力に属していて、
軍隊を持っていて、金もたくさん持っていて、文化的コンテンツも充実しているものが選ばれるのです。
例えばシュメール語や漢文やアラム語やラテン語やサンスクリッドやアラビア語などなど。

一方、エスペラントは軍隊も資金力もなく、独自の文化コンテンツも貧弱。
ほとんどの文化コンテンツは翻訳物やマルクス主義やキリスト教の借り物で、
それだったら他の自然言語をやったほうが読めるものも多いし、
英語やフランス語で話すことが多いほかのユネスコ・ユニセフのような団体に入った方が
世界平和の理想にとって現実的だし人も多いし、
キリスト教やユダヤ教コンテンツが好きなら、ラテン語やギリシャ語やヘブライ語を
やったほうが楽しいと。
言葉の壁を何とかしたいなら、本気なら相手の言語を必死に学ぶと。
たぶん、他の有力な左派系の受け皿が多いというのも原因だと思います。

アンサイクロペディアに「エスペランティストとは世界平和を希望するが希望するだけで何もしない人を示す」
と書いてありましたが、ブラックジョークの中に真実を見た感じです。

7Kakis Erl Sax ◆CcpqMQdg0A:2008/01/10(木) 21:35:58
下のまとめによると、一つの言語が圧倒的に優位な時代では人工言語の国際補助語は流行らないとか。
そして生き残るには「秘密の言語」か「空想の言語」の道を選ばないと需要がないそうな。
その辺は松戸様の主張と同じようです。

新生人工言語論 「国際語・国際補助語」「グローバル社会の人工言語」
http://lanxante.higoyomi.com/fol_17.html
http://lanxante.higoyomi.com/fol_18.html

なんだかんだいって、エスペラント陣営にも勉強になる物が多いです。

8Raku ◆yP0a9GGqWA:2008/01/11(金) 12:23:39
特殊なイデオロギーに牛耳られてるのは日本のエス界だけですよ。
外国のエスペランティストは様々の思想の人がいますし何でも率直に
語り合えます。インターネットのおかげで日本の団体を通さずに外国
のエスペランティストと直接知り合い交信できるようになったので、
もはや悩むことはありません。

9なつ:2008/01/12(土) 12:12:57
>>5
はい、私はJ-K氏にお前はエスペラントを学ぶなと、強い口調で言われましたからね。
思想偏重そのものです。

10松戸彩苑:2008/01/12(土) 12:48:05
エスペラント界には「社会思想」にこだわってる人が多いんですが、皮肉なことに、世間の
進歩的な人たちからも、ほとんど相手にされてないんですよね。

つまり、社会思想について語っているときは話がスムーズに通じるんだけれども、エスペ
ラントの話になると、とたんに理解してくれなくなるわけですね。

ですから私は「個人的に社会思想をもつのは構わないけれども、エスペラントの宣伝をす
るときに社会思想を前面に出しても効果がないと思う」と言ってるわけなんですね。

11松戸彩苑:2008/01/12(土) 15:36:06
富岡多恵子(著)『「英会話」私情』(日本ブリタニカ 1981年)という本に、エスペラントに
関する文章が載っていますので、引用しますね。

この人は学者ではないので、思ったことをどんどん書いていくという感じの文章なんです
が、私の考えでは、かなり正しいことを書いてるように思うんですね。

はっきり言って、エスペランティストや言語学者なんかよりも、よっぽどマトモだと思うんで
すけど、この本が出た1981年当時ですと、エスペラント界のトップにいた人たちの多くは、
戦争や弾圧を体験した人たちですから、おそらく「シロウト考え」だとして無視したんじゃな
いですかね?
---

さて、エスペラントは人工語ということでかなり偏見をもたれているようである。どこにもエ
スペラントを喋っているひとだけの住むエスペラント国というのはない。

ところでわたしはエスペランティストではない。エスペラントを自由に使いこなすことができ
てこそエスペランティストであって、ほんの少し入門書をのぞいたくらいではエスペランテ
ィストではない。わたしはエスペランティストでもないが、エスペラント教徒(?)或いは狂
信者でもない。本当は、狂信者でないエスペランティストであればいちばんいいのだろう
が、今のところわたしはそのどちらでもない。

エスペラントは人造語である点で、共通語としてはまったく中立たりうる。しかし、エスペラ
ントが、インド・ヨーロッパ語を基礎にしてつくられている点で、その中立性をはじめから疑
ってかかり、アジア人には中立でないという偏見もある。けれども、世界のあらゆる少数
民族の言葉を包摂した共通語が出現せぬ現在、エスペラントは、どの国の人間の生活文
化の背景もないという点では中立である。わたしは、エスペラントがヨーロッパ語を基礎に
していても、それは中立であると考える。

もうひとつの偏見は、エスペラントが人工語ゆえに、現実に共通語として使用されても、そ
れはあくまで一時の便宜の、共通語としての役割しかもてず、人間同士の深い感情、情緒
まで表現しえないのではないかとの疑いをもたれることである。わたしはエスペランティス
トではないが、人工語でもそれに熟達して慣れることで人間の深い感情や情緒を表現しう
るはずだと思う。なぜならそれを喋るのが人間だからである。わたしは人間の想像力を信
じるので、エスペラントが人工語ゆえに記号に始終するという偏見をもたない。すでにエス
ペラントによる文学もあり、異る国の男女がエスペラントで恋を語り結婚して、家庭内では
エスペラントを喋って家庭生活をしている例もある。

ところで、「エスペラントは単なる言語であるだけでなく、重要な社会問題なのである」とい
う、エスペラントの創造者ザメンホフの言葉は、そのままエスペラントのもつ重要な問題を
提示している。

一九七一年七月号の雑誌『潮』に出ている「知られざる素顔の日本」という対談で、梅棹忠
夫氏は、韓国で行われた公開学術講演会で「文化人類学から見た韓国と日本」と題して
「エスペラントで講演し、韓国語に通訳してもらった」と話している。それは、中年以上のひ
とは日本語で話してもわかるが、過去の歴史のことを思うと、やはり気持の上で抵抗があ
るだろうし、話す方にも遠慮がある、ところがエスペラントなら気兼ねがいらないので、エス
ペラントで話した、というのである。朝鮮で年配のひとが日本語を喋ることができるのは、日
本がかつて朝鮮人に日本語を強制したためである。

この場合、まさに、エスペラントの中立性がよくあらわされている。

ただし、わたしはここで、ミーちゃんハーちゃんのひとりとして、エスペラントを考えたい。ミ
ーちゃんは常に「重要な社会問題」に興味をもつとは限らない。ミーちゃんにとっては、水
は「ウォーター」しか知らなかったのが、たとえばイタリアへいって、辞書で見たばかりの
「アクア」と叫んだところコップの「水」が目の前にあらわれたら、「ウワー、通じた!」と感
動することが大事である。つまり、ミーちゃんは、幼児のように、言葉が実際にモノを示し、
言葉でモノが呼び出されることに単純に感動する。そして、この種の単純な感動が、たと
えばイタリアでならイタリア及びイタリア語への親愛を呼ぶ場合があって、イタリア語のカ
タ言を五ツや六ツは食事している間に覚えてしまうこともある。これは、言葉を覚える、い
わば原初的なよろこびといえる。

12松戸彩苑:2008/01/12(土) 15:37:47
>>11 の続き)

それからもうひとつ、ミーちゃんというのは、努力するのが好きではない。ということは、ほ
んの少々の努力をしても、すぐにその結果が明らかにならないと決して次の少々の努力
もしない。ミーちゃんは「重要な社会問題」や「人類の平和」や「イデオロギー」のために、
新しい言葉を覚える努力なんてしない。いかに、エスペラントが人類の共通語として中立
であり、そういう中立語がこれからの人類には必要であろうとも、目先のよろこびや目先の
結果、効果をミーちゃんは求める。エスペラントを覚えて、それを旅行先のエスペラント国
で使ってみて、すぐに目の前に水が出てきたり、ほしいモノが目の前に出てくるなら、ミー
ちゃんはそれを覚えるが、それができないと関心をもたない。

勿論、エスペラント国はないが、世界中にエスペランティストはいる。そのひとたちと会えば、
他のひとが驚き、うらやましがるような、エスペランティスト同士の通じ合いがある。しかし、
それは意志的でなければならぬ。エスペラントを覚えること自体、最初から意志的であり、
思想的である。エスペラントを学習すること自体がひとつの思想の表明となる。また、共通
語への強い思想があってこそ、エスペラントを使い切るまでの学習がありえる。これは、エ
スペラント自体の強さであると同時に、ミーちゃんに対する拡張作戦というより、ミーちゃん
への認識不足をあらわしている。人間は、意志的な人間や思想的な人間ばかりではない。
実際には、英語よりもエスペラントの方が、文法も発音も簡単である。それなのに、エスペ
ラントに興味を示すミーちゃんはいない。

これにはいくつか理由があると思える。勿論、エスペランティストでないわたしの推測を出な
いから、見当はずれかもしれない。以下のような邪推をご容赦ねがいたい。

エスペラントを学び使うことが意志的であり、思想の表明をするといったことと矛盾するが、
はたしてエスペランティストすべてがそうであるかどうか。むしろ、青春期の好奇心や、少々
変ったホビーとしてエスペラントに出会って熱中したために、エスペラントを使いこなすまで
にはなったが、趣味の同好会意識から出られぬひとも稀にはいるかもしれない、ということ。
しかしそのひとたちは、マニアックに学んだために実力はあるから、それが逆に同好会意
識を強めることになるかもしれぬ。そういうひとにはミーちゃんを思想的にまきこむオルガナ
イザーとしての力はない。

またその逆に、エスペラントを学ぶことを平和運動とか平和主義と結びつけすぎて窮屈なも
のにしてしまい、ミーちゃんが旅行英語に示すような単純な興味を軽蔑し、問題にしなさすぎ
るのではないかと邪推する。エスペラントを学べばこれだけ現実的トクになるという風なミー
ちゃん向けの宣伝を今まで見たことも聞いたこともない。

(同書130〜134ページ)

13松戸彩苑:2008/01/13(日) 21:32:40
>>5 >>8 >>9
そういえば、論語のなかに「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」って言葉があり
ますよね。

エスペラント界も「和して同ぜず」であってほしいものです。

14ベダウリンデ:2008/01/16(水) 08:53:55
>富岡多恵子(著)『「英会話」私情』(日本ブリタニカ 1981年)
一般の人への普及方法を全く考えてない、という指摘ですね。
30年近く前に既に今と同じような指摘がされているんですね。
ということは、エスペラント界はその時点からずっと変わっていないのですね。
理由として私が思うのは、
一、そういう意見を敢えて無視してきた。
二、分ってるけど、やりようがなかった。
とあると思う。

一、としては、掲示板でもふとした拍子に出るように、異なる考え方の者をエスペラントから排除しようとする言葉に表れてる。
異分子には入ってほしくない、という本音が出ちゃう。
ゆるやかな表現でも、誘う人は限定してる、とか、思想が無ければどうせ長続きしない、という内容の書き込みもありました。

二、としては、実際問題として、一般の人を引き付ける要素が、エスペラントには全く無い。
「ミーちゃん」をなめてはいけない。「ヨン様ファンのおばさまが韓国語を習う」事例を出すまでもなく、
外国の何かが本気で好きになれな、言語の壁を乗り越えたいという強い意思になる。
日本が誇るアキバ系オタク文化でエスペラントを宣伝すれば、という意見もありますが、
世界のotakuは既にガンガン日本語を学習してるという。その人達も元はただの「ミーちゃん」のはず。

エスペラントが出せる独自色は「平和思想」しかない、と主流派は思ってるのかもしれない。
けど、掲示板見てると、それに不満を抱いてるエスペランチストは、少なからずいる。
一、の問題とからんで、非常に不快な思いをさせられているように思う。
すごくもったいない事だと思う。

15ベダウリンデ:2008/01/16(水) 09:19:00
「平和思想」でないなら、何をエスペラントに期待してるのか。
秘密の日記を書きたいなら、確かに、エスペラント以上にマイナーな言語を選ぶ方が賢明。
秘密、ではなく、人と交流したいから、人工言語の中でもメジャーなエスペラントを選ぶんだと思う。
特定の国だけが好きなら、その言語だけ深く追及した方が有意義。
特定ではなく、比較文化的に、色々な国から情報を集めたい、という期待があるからエスペラントにしたんだと思う。
英語でもいいけど、英語だとどうしても英語圏の人の比率が高まるから、人工言語に期待するんだと思う。
自分だったら、そんな感じかも。

そもそもみんな、エスペラントに何を期待して始めたのか、気になる。

16松戸彩苑:2008/01/18(金) 04:22:39
たしか半年くらい前だったと思いますが、私はこの掲示板のどこかに「町田健という言語学
者がエスペラントについて論じている」と書いたんですが、最近、部屋の掃除をしているとき
にこの文章をコピーしたものが見つかりましたので、ここに引用することにします。

出典は、町田健(著)『言語学が好きになる本』(1999年 研究社)の172〜177ページで
す。

なお、この文章には脚注がついているんですが、これを忠実に再現することは困難ですの
で、本文のあとに注を付すという形にしておきました。

エスペラントをやっている我々のような者が読むと、あちこちに文句をつけたくなるような文
章なんですが、しかしこれが、東大の大学院を出たプロの言語学者なんですよね。
---

Q24 英語とエスペラントはどっちが国際語にふさわしい?

  エスペラントは本当にやさしい?

エスペラントは、一八八七年にポーランドの眼科医である(注1)ザメンホフが考案した人
工言語です。人工言語に対して、日本語や英語のような「普通の」言語を「自然言語」とい
います。自然言語は、まさに自然に、いつの間にかできあがっていたコトバでして、誰かが
作ったものではありません。一方、人工言語は、エスペラントの場合のように、誰がいつ作
ったかちゃんと分かっているコトバのことをいいます。

人工言語として一番有名なのはエスペラントですが、人間なら誰でも使える人工言語の
発想は(注2)十七世紀からあり、特に十九世紀の終わりから二十世紀の初めにかけて、
たくさんの人工言語が作られています。たとえば、「ボラピュク」「インテルリングア」「イド」
「オクシデンタル」「ノビアル」などで、ほとんどが英語とかラテン語とかの、ヨーロッパの言
語をもとにして作られた言語です。

さてエスペラントは、世界中の誰でもが、同じコトバでコミュニケーションを取り合うことが
できるようにすることを目的として作られた言語ですから、覚えなければならない単語の数
は自然言語よりも少ないですし、語形変化などの文法規則にも例外がないようになってい
ます。

そういう点では、英語や日本語に比べると覚えやすい言語なのでして、それじゃあなんで
エスペラントが世界のどこでも通じる国際語として使われるようになっていないんだろう、
と思う人がいても不思議ではありません。多分、(注3)世界に百万もいるというエスペラン
トの愛好者(「エスペランチスト」と呼ばれます)もそう思っているはずです。

その理由としては、まずエスペラントそのものの性質があります。エスペラントは覚えるの
が簡単だと申し上げましたし、エスペランチストもそう言っているのですが、それはヨーロッ
パ諸語を話す人々にとってであって、日本語とか中国語などを使う非西欧人にとってはそ
うではありません。

エスペラントでは(注4)「人間」は homo、「本」は libro、「パン」は pano、「美しい」は bela、
「持つ」は havas と言うのですが、こういう単語は、イタリア人とかスペイン人なら、大体の
ところの意味の見当はつくでしょう。でも私たち日本人の大多数は、イタリア語もスペイン
語も知らないのですから、pano はパンかなあ、そういえばどっかの本屋の名前が「リブロ
栄」とか言ってたから、libro っていうのは「本屋」っていう意味なのかなあ、みたいな感じ
でぼやっと分かる程度ではないでしょうか。

英語を使う人々だって、やっぱりスペイン語なんかを勉強していないんだったら、意味の見
当がつくのは、havas ぐらいだと思います。エスペラントで覚えるべき単語の数は少ないと
いっても、全部で一万五千もあるのだそうですから、これだったら英単語を覚えるほうが楽
かもしれませんよね。

17松戸彩苑:2008/01/18(金) 04:25:06
>>16 の続き)

  あなたもエスペランチストになれるか

それから、エスペラントには定冠詞の la があって、名詞が「定」であるという性質を表すの
ですが、「英語の冠詞の使い方に決まりなんてあるの?」の項目でお話ししましたように、
日本人にとっては、名詞の指すモノがどういう性質をもっている場合に定冠詞を使えばい
いのかということは、なかなか理解するのが難しいのです。エスペラントには不定冠詞の
ほうはないんだそうですが、(注5)それにしても冠詞があるということは、日本人(それに
中国人や韓国人など冠詞のない言語を使っている人々)にとっては厄介な問題だと思い
ます。

この他、仮定法があったり、関係代名詞があって用法はむしろ英語より複雑だったりと、
私たちが英文法で頭を悩ませるアイテムは、エスペラントにもきっちりそろっています。ま
た逆に、エスペラントには、日本語の「〜ている」や「〜ていた」のような意味を表す(注6)
進行形がありません。ですから、「いま雨が降っている」と言う代わりに「いま雨が降る」と
言ったり、「私が帰宅したとき、家族はテレビを見ていた」ではなく「私が帰宅したとき、家
族はテレビを見た」のように言うエスペラントは、私たち日本人にとってはどこか不正確な
ような気がするかもしれません。

こういうわけですから、ヨーロッパ諸語、特にイタリア語、スペイン語、フランス語などのロ
マンス系諸語を使っている人々でなければ、エスペラントを覚えるのが、英語に比べて特
に簡単だということはないのではないかと思います。

もちろん、日本人をはじめとするアジア系の人間でも、英語とかフランス語あるいはイタリ
ア語などがよくできる人であれば、文法規則に例外がないだけに、エスペラントは大変や
さしい言語に見えるでしょう。

(注7)しかし単語をそれなりの数だけ覚えて、文法規則もちゃんと理解したからといって、
外国語が自由自在にあやつれるようになるわけではないことは、私たち日本人には身にし
みて分かっていることです。ですからエスペラントだって、基本をマスターしたあとは、会話
の訓練をしたり、小説などの文章をできるだけたくさん読んだり、自分でもきちんとした作
文をしたりと、いろいろと努力をしなければ、結局はうまくなることはできないわけです。

  エスペラントと英語

だったら英語と同じじゃないかと思われるでしょう。そうです。私たちの母語ではない以上、
エスペラントも英語も一緒です。もちろん、英語のほうが、覚えるべき単語はエスペラント
よりは多いですし、文法規則にも例外がたくさんありますから、最初に勉強するときには、
英語のほうがエスペラントよりも大変だということは確かでしょう。

しかし、一度基本を覚えたあとに、一層うまくなるためにしなければならない努力は、英語
もエスペラントも別に変わるところはありません。日本のような国だったら、駅前に英会話
学校はいくらでもありますし、本であれ雑誌であれ新聞であれ、英語で書かれたものを手
に入れるのに不自由はしません。ですから英語の力をみがくための環境は、エスペラント
よりははるかに充実しているわけで、(注8)気力さえあれば(気力を出すのが問題ではあ
るのですが)いくらでも上達する可能性は与えられてます。

さらに、今の日本の社会では、英語が上手であることによるメリットには大変大きなものが
あります。大学入試、就職、昇進など、いろいろな機会に、英語の能力が望ましい目標を
達成することの手助けをしてくれます。一方、エスペラントの達人だからといって、一流の
会社の人事担当者に有能だという印象を与えるのは難しいでしょう。

お見合いの席でだって、「美佐子さんは英会話が達者でいらっしゃいますのよ」と言うと、
ああ美佐子さんは知的な女性なんだろうなと、一応は思います。一方、「美佐子さんはエ
スペラントが達者でいらっしゃいますのよ」と言ったって、「ええっ? そんなエスニック料
理あったっけ」と思う人がいるだけかもしれません。たとえエスペラントのことを知っていて
も(もちろん知っていてほしいですが)、(注9)それだけで美佐子さんを高く評価する相手
は、そうそうはいないのではないでしょうか。

18松戸彩苑:2008/01/18(金) 04:27:02
>>17 の続き)

つまり、日本では英語を勉強するための「動機」をもたらすものがたくさんあるのに、エス
ペラントを学習させる動機を与えるものはあんまりないのです。これは日本だけでなく、ど
の国でもそうだろうと思います。巨大な経済力と高い文化をもつアメリカを背景とする英語
と、主としてヨーロッパと東アジア(日本、中国、韓国)に百万人程度しか使用者がいない
エスペラントでは、学習の魅力ということについては、勝負になりません。

結局エスペラントは、クラシック音楽とか日本舞踊とか俳句のような、一種高尚な趣味の
一つといった雰囲気に包まれているんでして、(注10)国際語としての実用性を発揮する
のは、残念ながら難しい状況にあるといえるでしょう。

ですから、現実的に考えると、英語が国際語として普及するのは致し方ないと考えるしか
ありません。しかも幸いなことに、英語というのはエスペラントに似て、動詞の活用とか名
詞の形の変化とかが比較的単純ですから、最初に学習する外国語としてはとっつきやす
い性質をもっています。そして世界の多くの国で英語が第一外国語としてすでに学習され
ているのですから、このまま英語が国際語としての道を歩み続けることになるでしょう。

  英語が国際語でいいのか

しかし、日本人である私は悔しい! なぜならば、英語が国際語としてのゆるぎない地位
を確立してしまったら、英語を母語とする国の人々は、世界的レベルのコミュニケーション
で圧倒的に優位に立つからです。日本語が国際語になればいいのですが、フランスでさ
えあれだけフランス語の普及に努力しているのに、結局は英語に押されっぱなしという事
実を考えると、(注11)日本政府はフランス政府ほどの努力もしていないのですから、日
本語が国際語になれる可能性は薄いと思います。

交渉とか議論とかを英語でする際に、相手が英語を母語とする人間だと、どうしてもそれ
だけで気後れしてしまいますよね。相手は全然たいした内容のことを言っていないのに、
それに対するまともな反論もできない自分がなさけなくなることさえあります。ところが、相
手も英語を母語とする人間じゃないと、どうせお互い下手なんだからという安心感があって
か、けっこう堂々と英語が話せたりします。

というわけで、世界の人々がすべて対等にコミュニケーションをするためには、誰かの母
語ではない言語を国際語として用いるのが絶対に望ましいのです。そしてそのような国際
語としていま通用する可能性があるのは、多分エスペラントだけだと思います。

しかし先ほども申し上げたように、エスペラントは国際語になれそうにないのです。この二
律背反をどう解決するか、うーん、コトバだけの問題ではないだけに、私にも名案はありま
せん。


(注1) L.L.Zamenhof(一八五九−一九一七)

(注2) ベーコンとかライプニッツのような哲学者もこういう人工言語を考えたということです。
もちろん、失敗したわけですが。

(注3) このことは、「日本エスペラント学会」のホームページにそう書いてありました。

(注4) 「人間」「本」「パン」は、イタリア語で uomo、libro、pane、スペイン語で hombre、libro、
pan です。エスペラントとよく似ていますよね。

(注5) ま、冠詞の使い方を間違えたって、通じることは通じるんでしょうが。

(注6) もっとも、進行形のない言語は世界にいくらでもあります。ドイツ語とかロシア語が
そうです。

(注7) 英語学の大家といわれる学者でも、「話すのはなかなか大変でねえ(もちろん英語
のことです)」と言っているのを聞いたことがあります。

(注8) 外国語は、基本を覚えたあとの上達が、最初よりはぐっと遅くなるので、中級以降
の努力が苦しいですね。

(注9) エスペラントが上手であることは、日本では、英語も同様に上手だということを意味
する場合が多いのですが。

(注10) でも、エスペラントを知っていると、世界中のエスペランチストの家に泊めてくれる
ので、旅行が楽だと、ある日本のエスペランチストが言っていました。

(注11) 最近では日本語教師の海外への派遣なんかも行われるようになりましたが、フラ
ンスはそんなことずっと前からやっています。

19ベダウリンデ:2008/01/18(金) 20:18:38
思ったんですが、「平和思想」はエスペラントだけの専売特許じゃないよね、と。
世界中の良識ある人々が(各自考えてる方法は色々あるんだろうな、と思うけど)平和を望んでると思う。
言葉は違っても、通訳などを介して、どうにか意思疎通して、平和を築ければ、それでいいように思う。
とすると、エスペラントの独自性って何が残るんだろう?って思う。

>『言語学が好きになる本』
私も数年前に読みましたよ。その時はエスペラントなんて全く関心が無かったせいか、
上記引用の箇所は全く記憶にないです。他の部分は結構勉強になって面白かった、と記憶してます。
曲がりなりにもエスペラントが紹介されてたのに、人工言語?ありえなーい、無視!という感覚だったんですね。
数か月前の自分を思うと、一般人の感覚なんてそんなもの、と思います。

20松戸彩苑:2008/01/19(土) 08:46:22
「言語学者は、エスペラント&エスペラント運動をどう見ているか」という点について知るの
に役立つと思われる文章が、日本エスペラント学会の機関誌である「La Revuo Orienta」
2001年7月号に載っていましたので、ここに転載しますね。

なお、この文章を書いたのは臼井裕之氏です。

  1998年、わたしは krokodili について書いた一文を『現代思想』なる雑誌に載せても
  らう機会を得た。きっかけは、林正寛さんという言語学者(かの田中克彦氏の弟子であ
  る)に推薦してもらえたからだが、この林先生いわく、「エスペランティストの文章って押
  しつけがましいでしょ? でも君の文章にはそういうところがなくて、エスペラントではこ
  うだと、淡々と書いてあるから推薦しようと思ったんだ」。

  (「La Revuo Orienta」2001年7月号29ページ)

ネットで調べると判るのですが、この林正寛という言語学者の方の専攻は「言語社会学」な
んですね。
そういう人物が、「エスペラントは重大な社会問題である」と主張するエスペランティストの
文章を「押しつけがましい」と言ってるわけですね。

エスペラント界には「従来の宣伝のしかたで良いんだ」と考えておられる方も少なくないよう
ですが、こういった文章をみると、とてもそうは思えないんですよね。

21松戸彩苑:2008/01/19(土) 12:11:21
ルイ=ジャン・カルヴェ(著)『超民族語』(文庫クセジュ776 1996年 白水社)という本
があるんですが、この本のはじめのところに田中克彦氏が執筆した「解説:この本を手に
する読者へ」という小文があって、このなかに次のように書いてあるんですね。

  エスペラント語は、たとえばトルストイは2時間でマスターしてしまったほど学びやすい
  言語だと言われ、私もそのように宣伝してはいるが、やはり使ってなれないと、そう自由
  にというわけには行かない。私はかつて同好の市民をさそって、国立(くにたち)公民館
  で学習会を開いたことがある。噂を聞いてある日、古参の老練なエスペランチストでチェ
  コ文学者でもある栗栖継さんが突然会場に現われて授業参観をなされ、「田中さん、エ
  スペラントはやってみると案外むつかしいもんですよ」と言い残して立ち去られたときの
  ことをありありと思いうかべるのであるが、全くその通りなのだ。ことばの勉強ほど、口さ
  きでごまかせないものは他にあまりないのである。

  (同書8ページ)

私はこれを読んで「アーア」と思ったんですよね。

これまでエスペランティストは一生けんめい「エスペラントは学習容易である」と宣伝してき
たわけですね。
しかし、エスペラントについて多少は知っている著名な言語学者に、それを真っ向から否定
するようなことを本に書かれてしまったわけです。

なお、この本の著者であるカルヴェというのは、1942年生まれの世界的に有名なフランス
の言語学者なんですが、そういう人の本(しかも1000円弱の新書)ですから、言語社会学
あるいは言語学一般に関心のあるすべての日本人が目にする可能性があるわけですね。
そういう本のなかにこんなことを書かれたというのは、やはりマズイよなと思いました。

とは言っても、考えてみれば、この本が出る以前から、エスペラントには社会的な信用は
無かったわけです。
そもそも、もし本当にエスペランティストが言うように、エスペラントが学習容易でなおかつ
レベルの高いものだったら、もっと広まってるはずなのに、そうなってないのですから、世
間の人たちがエスペランティストの言うことを信用するはずがありません。
ですから、進歩的な人たちでさえも、エスペランティストの言うことに耳を傾けようともしてく
れないわけですね。
ということで、この本によって信用が無くなったというわけではないのですが、いわば「ダメ
押し」にはなってるのではないかと思いました。

この発言の主である栗栖氏も、自分の発言が、まさか本に書かれるなどとは夢にも思わな
かったのでしょう。
また、おそらく栗栖氏は「そうは言ったが、でも英語などの民族語を自由自在に使えるよう
になるのと比べれば、やはりエスペラントは易しいんだ」ということも考えておられたのだろ
うと思います。
しかし、エスペラントについてまったく知らない一般の人たちには、そんなことは判るはずが
ありません。
「エスペラントは、ドイツ語・ロシア語・モンゴル語なんかに堪能な田中氏にとっても、やっぱ
り難しいんだ」としか思われないだろうと思います。

ということで、いろいろと考えてきましたが、問題は、栗栖氏や田中氏の個人的な責任に帰
せられるものではなく、

(1) 学習途中で挫折したり eterna komencanto になってしまう人が昔からたくさんいたの
    に、学習方法の改善についてあまり真剣に考えてこなかった。

(2) それでいて、宣伝のときには「エスペラントは学習容易である」と言っていた。

ということにあると思うんですね。
つまり、エスペラント界あるいはエスペラント運動全体の問題だと私は考えます。

もちろん、このように言えば「学習方法をどのように改善すれば良いのか」という質問が出て
くることになるのでしょうが、それは「エスペラントの学習法」スレで論じることにします。

22ベダウリンデ:2008/01/19(土) 16:35:21
言語学者のエスペラント嫌いについては、分かる気がします。
私は今「言語は全て平等である」「全ての言語はどんな内容でも表現できる」という考えを持ってますが、
この考えは、私が読んだことのある言語学入門書から聞きかじって覚えたものだった、んですよ。(今でも賛同してるけど)
「よろず」の方にザメンホフ氏の演説が紹介されていましたが、それを見ると、ザメンホフ自身がエスペラントと特定の思想を結びつけていた、らしいですね。
つまり、エスペラントのみ、特別な「平和の言語」なんです。
「日本語は言霊が宿る神聖な言語」とか言うのと、全く同じレベルです。
これは言語学者の「言語は平等」という常識から見ると、アホらしすぎる、んだと思います。
今現在、平和愛好者からもエスペラントは注目されてなく、エスペランチストの考え方も様々、という事実からすると、
言語学者の説の方が絶対正しい、と思います。

23松戸彩苑:2008/01/19(土) 18:20:44
>>22
いくつかコメントしたい事があります。

まずザメンホフは、自分の思想(Homaranismo と言います)を、あくまでも「個人的な意見」
として発表してるんですね。
つまり「誰にも無理強いしない」ということを自ら明言してるんですね。

それから、ザメンホフの思想の内容ですけれども、これについて説明する前に、まずザメ
ンホフが生きていたころのヨーロッパ情勢について知っておく必要があります。

ザメンホフが生きていたころは、ポーランドという国は無く、ポーランドの東半分はロシア領、
西半分はドイツ領、そして南側のほうはオーストリア=ハンガリー帝国の領土だったんで
すね。

で、ザメンホフが住んでいたのはロシア領となっていたポーランドの東半分だったんです
が、ロシアにおいてはユダヤ人がひどく差別されていたんですね。

高校に入りたくても、ユダヤ人の受け入れ人数はものすごく少ないとか、基本的にユダヤ
人は公務員になれないとかというのはまだ序の口で、何十年かに一度「ポグロム」と呼ば
れる反ユダヤ暴動が起こって、キリスト教徒の一般民衆がユダヤ人を襲撃して殺害する
ということまであったわけです。
ザメンホフ自身も、生涯のあいだにポグロムに2度遭遇してまして、そのときは地下室に何
日か隠れていたそうです。

日本では「ユダヤ人差別」というと、ナチスによるものと、ドレフュス事件くらいしか知られて
いないみたいなんですが、現実には、昔は今以上にキリスト教色が強かったわけですから、
程度には差があっても欧米全体に反ユダヤ的な雰囲気というものがあったわけです。

で、ロシアは特にユダヤ人差別がひどかったんですね。

ザメンホフの思想というのは、このような当時の社会のなかで「生存の権利」を求めるもの
だったんですね。

「思想」というと、なんだか胡散くさいものだと思ってしまう人が多いわけですが(もちろん、
胡散くさい思想が多いのも事実なんですが)、しかし、ザメンホフの要求したものは、あくま
でも「生存の権利」を求めるものであり、きわめて真っ当なものだと思うんですよね。

ザメンホフの思想について考える際には、こういった当時の事情を理解していただきたい
ものです。

また、こういったことについてもっと詳しく知りたい場合には、ザメンホフの伝記であるとか、
あるいはザメンホフの演説や論文を邦訳した水野義明(編・訳)『国際共通語の思想』(19
97年 新泉社)という本を精読されると良いと思います。
---

それから「ザメンホフやエスペランティストたちが、エスペラントを特別視する」というお話で
すが、これには理由があります。

つまり「民族語」のあいだには優劣は無いのですが、しかし「国際共通語」として使われる
言語については、学習が困難で、ネイティブとそうでない人とのあいだに深刻な差別を生
む民族語であってはならず、必ず、合理的に作られた人工語でなければならない、という
考え方がエスペラント界にはあるんですね。

これは「国際語思想の本質と将来」という1900年ごろに執筆・発表されたザメンホフの論
文のなかに書いてありまして、先述の『国際共通語の思想』のなかにも収録されています。

ということで、ご指摘のような「自国語至上主義」などとはまったく違うんですけれども、ど
うもこの点がなかなか判っていただけないようですね。
まぁ、説明のしかたが良くないのかもしれませんが。

24ベダウリンデ:2008/01/20(日) 17:01:36
>まずザメンホフは、自分の思想(Homaranismo と言います)を、あくまでも「個人的な意見」
>として発表してるんですね。
>つまり「誰にも無理強いしない」ということを自ら明言してるんですね。

「あいさつ・雑談」スレで「外の人」さんが、リンクをはってる個所から、「ザメンホフの演説」を読んだんですが、
そこでは、はっきりと、「実用のためにエスペラントを使おうとする人は仲間になるな。もしそんな人間が増えたら私はエスペラントやめる!」という趣旨の事を言ってますよ。
印象としては、ヒステリックで短気、自分の気に入らない人間は排除したいという傲慢さ、言う事きかないなら創始者のくせにやめると言い出す無責任さ、を感じます。
「外の人」さんも、あの演説でかなり悪印象だったみたいですが、私も同感です。
私の場合、たとえザメンホフ氏があの演説の印象どおりの「き○○い博士」だとしても、その制作物がツールとして有効活用できれば、それでいいじゃない、と思っていますが。

ザメンホフ氏の演説が正しいなら、「平和思想でなく一般人に普及を」という松戸さんのご意見も、ザメンホフ氏の意思からはずれてしまいます。
まずザメンホフの思想なりを説明して、賛同してくれた人だけ勧誘すべきです。
松戸さんじゃなくても「エスペラントをEUの公用語に」という意見だって、EUという「実用」に使うという点では、ザメンホフ氏の意思に反します。
その理由が「翻訳などの手間が省け経済的だから」だとしたら、ザメンホフ氏ぶっとびます。

PS。歴史はこれでも結構かじってきてるので、「ポグロム」とか、知ってます。
ザメンホフ氏の演説の内容には関係なく、民族差別の中で苦渋を味わう気持ちのつらさ、分ります。
映画とかにも描かれているので感情移入できます。
差別に甘んじながらも、異民族と共存しながら、ささやかに生きていたのに、ある日突然「隣人」が牙をむくんです。
それも正当な理由は全くなく、いきなり家族などが殺される。でも「復讐」とかできない。それにも甘んじなければならない。という

25松戸彩苑:2008/01/20(日) 20:16:35
>>24
ベダウリンデさんがお読みになったのは、「エスペラントよろず相談室」の administranto
さんが投稿した「私が好きなザメンホフの演説」(投稿日:2008年1月13日(日)01時45分5
秒)に引用してある文章のことだと思います。

これは、1906年にジュネーブで行なわれた第2回世界エスペラント大会におけるザメン
ホフの演説の一部ですね。

この演説のこの箇所はひじょうに有名なものなんですけど、同時に、たいへんな誤解をさ
れてるものでもあるんですね。
いや、「誤解」と言うよりは、はっきり言って「意図的な曲解をされている」と言ったほうが正
解だったりします。

この部分の意味を正確に把握するには、この部分だけではなく、この部分の前後にある文
章をも読まないといけないんですが、「理念」が大好きな人たちは、意図的にこの部分だけ
をクリッピングして、あたかも自分たちのやってることが、ザメンホフの遺志を正しく受け継
いだものであるかのように主張してるんですね。
---

この演説の全文を邦訳したものが >>23 で紹介した『国際共通語の思想』という本に収録
されている(同書197〜211ページ)ので、できればそちらを読んでいただきたいんですが、
ここではザメンホフの真意をかんたんに紹介しておきましょう。

まず、「エスペラントを実用に使うこと」と「エスペラントを理念のために使うこと」というのが
問題になってるわけですが、これを次のように図式化します。

(1) 実用のみOKで、理念は禁止。

(2) 実用も理念もOK。

(3) 理念のみOKで、実用は禁止。

で、ザメンホフがこの演説で言ってるのは、(1)「実用のみOKで、理念は禁止」というのを
主張する人たちに対して「それは絶対に受け入れられない。(2)「両方OK」でなければなら
ないんだ」と反論しているだけなんですね。

ということで、ザメンホフは決して(3)「理念のみOKで、実用は禁止」などと言ってるわけで
はないのですが、先ほども申しましたように、理念が大好きな人たちは、演説の一部分だ
けを取り出して、ザメンホフがまるで(3)「理念のみOKで、実用は禁止」と言ったかのように
思わせようとしているわけですね。
---

それから、この部分でザメンホフが少々常軌を逸したように激しく激昂してるのにも、わけ
があります。

じつは、この演説がなされる何ヶ月か前に、ロシア各地でポグロムが発生して、ザメンホフ
の住んでいた町でも暴動が起こるんですね。

ロシアはそういう状態なのに、西ヨーロッパのエスペランティストたちは、そういったこととは
まったく無関係ですから「理念みたいなものは無いほうが良いよな」みたいに思う人がいた
らしいんですね。

ザメンホフは、それに激しく反対しているわけです。

そういった事情が判らないと、頭がおかしいのかと思ってしまうのでしょうが、けっしてそうで
はないのです。

26りょほう:2008/01/20(日) 20:55:09
>>25
>第2回世界エスペラント大会におけるザメン
ホフの演説のエスペラント原文はここです
http://www.esperantouniverse.com/?pid=art0693464389_355

>ベダウリンデさんがお読みになったのは、「エスペラントよろず相談室」の administranto
さんが投稿した「私が好きなザメンホフの演説」(投稿日:2008年1月13日(日)01時45分5
秒)に引用してある文章のことだと思います。

引用されている文章は9段落目の途中から10段落目の途中までです。

27松戸彩苑:2008/01/20(日) 21:05:11
大事なことを忘れていました。

「エスペラントよろず相談室」に引用してある文章のなかに「思想」という言葉が出てきます
が、これは >>23 で言及した Homaranismo のことではないですね。

Homaranismo は、あくまでもザメンホフの個人的な考えなんですが、「エスペラントよろず
相談室」に引用してある文章のなかに出てくる「思想」というのは、la interna ideo (内在思
想)とザメンホフが名づけたものですね。

とは言っても、これは「思想」と言うほどのものではなくて、ただ単に

  ここ(エスペラント大会)に来ている皆さんはエスペラントをやってますけど、皆さんがエ
  スペラントをやってるのは、やっぱり単なる実利を求めているからではなくて「言葉の壁
  をのりこえて、世界中の人間が仲良くなるべきだ」と考えてるからだと思うんですよね。

  ブローニュ宣言には「エスペラント運動においては、思想はまったく関係ない」って書い
  てありますけど、しかし、この「言葉の壁をのりこえて、世界中の人間が仲良くなるべき
  だ」というエスペランティストに共通する思いだけは、無くしたり否定したりすべきではあ
  りません。

といったことを述べているんだと、私は思いますね。

当然のことながら、理念が好きな人たちの解釈では、私とは違って、「革新的な運動に邁
進すべきなんだ」と言ってるって事になってますね。

だいたいこんなところで判っていただけたでしょうか?
もっと判りやすく説明できると良かったんですが。

28ベダウリンデ:2008/01/21(月) 09:07:23
ありがとうございます。大体分かりましたし、期待したようなお答えが得られました。

ここで余計ながら自分の考えを言わせてもらいますと、私は
「どこの国(民族)のものでもない人工言語で、平等に国際交流を」という意見には賛同します。
またエスペラントの言語仕様には、今のところ十分満足しております。
以上の2点から、私はエスペラントを支持します。

私は「ザメンホフ教」の信者になりたくてエスペラントに目をつけた訳ではありません。
だから、ザメンホフの伝記、演説、思想(?)などに触れることをちょっと敬遠してるところがあります。
ザメンホフ氏が高潔な人格者なら喜ばしいですが、へんてこ博士でも十分なのです。
それに演説だと、ご指摘のような「時流」や、単にその場の雰囲気に合わせて変わる事もありえますから、
演説のこの部分が変だ、だからエスペラント全否定、とはならないです。

で、思ったんですが「エスペラント教」にとってはザメンホフの演説は「経典」なんでしょうね。
聖書もコーランもあるいは仏教の経典も、もともとは聖者の言動を記したものがベース。
そこにはどうしても、曖昧な点、矛盾する点があって、それをどう解釈するのかが神学とか法学とか(仏教だと何だっけ?)で、
その時々の時流に合わせ柔軟に解釈するのが、現代の目線では「マトモ」な学派で
一部だけ取り上げてそこだけ頑なに守ろうとするのは「原理主義」で、一般日本人目線では、ちょっと・・という世界なのでしょう。
おそらくエスペラント界にも、両方存在するのでしょう。でもそれはそれで、信仰は個人の自由、なんですよね。

「エスペラントは平和の言語である」とか言って、言語と思想を一体化する意見には今でも反対です。
また「エスペラントやるならザメンホフの思想を理解すべきだ」という意見がもしあるなら、
それも私にとっては余計な事です。
実用でも理念の表現でも、両方に使える言語であってほしいものです。てゆうか言語ってそういうもの。

29Raku ◆yP0a9GGqWA:2008/01/21(月) 20:28:01
ザメンホフの大会演説ならこっちのほうがよさそうですよ。
http://www.steloj.de/esperanto/paroloj/

30松戸彩苑:2008/01/22(火) 04:31:06
>>28
ザメンホフは、自分の考えをエスペランティストたちに押しつけようとは思っていなかった
わけですが、しかし、現実に存在している民族間の対立まであっさり無視されたのでは、
苦労してエスペラントを作って宣伝してきた意味が無くなってしまうわけですね。

こういった事情があったので、ザメンホフは「エスペラントは、いかなる思想からも独立して
いる」んだが、しかし「思想をいっさい禁止するというのには断固として反対する」とか「エス
ペラント運動のなかにも内在思想というものはあるんだ」といった、なんとも判りにくい、綱
渡りのような議論を展開するわけですね。

厳密に考えれば、こういったザメンホフの主張には矛盾があるんじゃないかと思うんですが、
しかし、そういうややこしい議論を展開せざるを得なかった事情というのもあるわけですね。

ザメンホフは論理学者ではないのですから、そのあたりは大目に見ないといけないのでは
ないかと思います。
---

それから、いちおう言っておきますと、エスペラントをやっている人間のすべてが、ザメンホ
フの考えに100%賛同しているわけではありません。

というか、今どきザメンホフの考えに100%賛同しているエスペランティストなんて、まず居
ないんじゃないかと思いますね。

私も、ザメンホフに対して敬意は持っていますが、彼の思想がそのまま現代社会に役に立
つとは思っていません。

ということなので

> 私は「ザメンホフ教」の信者になりたくてエスペラントに目をつけた訳ではありません。
> だから、ザメンホフの伝記、演説、思想(?)などに触れることをちょっと敬遠してるところ
> があります。

と書いておられますが、関心がなければ読む必要はありません。
「ひょっとしたら、ザメンホフの思想に関心があるのかな?」と思ったので、>>23 で本を勧め
てみたってだけなんですね。

ベダウリンデさんも、エスペラント界における「個人崇拝」みたいなのに抵抗を感じておられ
るのでしょうが、じつはザメンホフ自身も嫌がってたんですよね。
本人が「やれ」と言ったわけではないのに、周りの人間が勝手に祭り上げてしまったわけで
す。

31松戸彩苑:2008/01/23(水) 03:28:31
個人崇拝みたいだってことを考えてて気がついたんですが、アムネスティ、ロータリークラ
ブ、ライオンズクラブ、ボーイスカウト&ガールスカウト運動なんかでも創始者はいるわけ
ですが、そういう人たちを運動の前面に大々的に押しだしたりはしてないんですよね。

もちろん調べれば判るんですが、わざわざ調べないと判らないというくらいの扱いしか受け
てないんですよね。

赤十字社については創始者も有名ですが(アンリ・デュナンですね)、しかし赤十字社が
「創始者の思想や生涯を学びましょう」などと言ったりはしてません。

ということで、創始者の思想や生涯を重視する運動とは何かと考えてみると、やっぱり宗教
やイデオロギーくらいのものなんですよね。

こういったことを考えますと、やはりエスペラント運動は、創始者について語りすぎているの
で世間から誤解されてるんじゃないかなぁって思いますね。

32ベダウリンデ:2008/01/23(水) 10:38:30
>創始者について語りすぎているの
>で世間から誤解されてるんじゃないかなぁって思いますね。

それはあると思います。創始者を崇拝してるように見える人もいます。
それはその人の信仰の自由だから、「崇拝するな」とは言えないんだけど、
そういう人に限って声高に主張するので、全体がそう見えてしまう。

だから松戸さんのような「マトモ」な学派(現代の感覚に合わせて経典を柔軟に解釈できる人)は必要だなーと思います。
(色々教えて頂いて感謝してます)
一部の人に「経典ではそう言ってる」と言われると、「そうなのかなー、だとしたら、やっぱ自分には合わないのかなー」と思って不安になります。
自分で経典を読み解く気にはなれないし、経典も読まずに「いや絶対違う」という自信も無い。
経典に詳しい別の学者さんにお伺いして一安心、という感じでした。

それから例の演説、崇拝者にとっては感動物で、ほんとにいいと思って紹介してるんだろうけど、
あの部分だけをいきなり読まされた一般人はいい印象持たないです。
そういう感覚のズレも、致命的だな、と思います。
(一般人が入らないように、敢えて一般人が嫌悪を抱くように仕向けてるのかな、と思う時もあります。)

33ベダウリンデ:2008/02/08(金) 19:22:33
Ĉu Esperanto havas propran kulturon?
エスペラントに固有の文化ってあるのかな?

Kompreneble, Esperanto havas literaturon kaj kantojn.
Kio ekzistas krom ili?
もちろん、文学と歌はあるけど、他に何かある?

Mi ŝatas Esperantajn kantojn.
Sed ĉu ili estas propraj ĝenroj?
Ili estas rokoj,pop-muzikoj,folkoloroj,regeoj(?),tangoj,ktp....
エスペラントの歌は好きだけど、あれは固有のジャンルかな?
ロックとかポップス、フォークロア調、レゲエ(かな???)、タンゴとか・・・

Mi pensas, ke kulturo ligiĝas kun naciaj vivoj.
文化って民族の生活に結びついたものだと思うんですよ。

----Mi estas komencanto.Pardonu miajn erarojn.------

34松戸彩苑:2008/02/09(土) 12:55:05
>>33
「民族文化」みたいなのは無いと思いますよ。
エスペラントを恒常的に使うような社会があるわけじゃないですから。

しかしそもそも、そういうものを国際人工語に求めるというのが、無茶というか、無いものね
だりだと思うんですよね。

世間には「エスペラントには文化が無いからダメなんだ」みたいなことを言う人がたくさんい
ます。

しかし私の考えでは、遊びや旅行といったことで良いからエスペラントを使う人が今以上に
増えて、「エスペラントがそれなりに役に立っている」ということが世間の人たちにとっても
無視できないくらいになれば、こんな「文化」がどうしただなんてことを言ったりはしなくなる
んだと思いますけどね。

彼らの議論はその程度のものだと私は思っています。

ですから「文化の無い言葉はダメだ」などという偏見なんかは相手にせず、

(1) エスペラントの使用者を増やす。
    言い換えれば、学習途中で挫折する人や eterna komencanto になってしまう人を
    減らす。

(2) 日常生活に関する語彙・表現を整備する。

ということが必要だと思うんですね。

35Raku ◆yP0a9GGqWA:2008/02/09(土) 13:32:42
「エスペラントは文化がないからダメだ」というしばしば投げかけられる批判には
多数の文学作品の存在で反論するのがお定まりになっているようですね。
無意味な反論ですね。英文学を読みたくて英語を学び、フランス文学を読みたくて
フランス語を学ぶように、エスペラント文学の存在を知ったらそれを読みたくなって
エスペラントを学ぶ人が出るでしょうか。反論のための反論、批判者をやりこめて
黙らせるためのだけの反論ですね。こんなことばかりやっていれば世間から相手に
されなくなります。

36Raku ◆yP0a9GGqWA:2008/02/09(土) 14:46:35
Reta Vortaroではkulturi,kulturoはこんな調子です。日本語の「文化」とは
異なります。
http://www.reta-vortaro.de/revo/

37la presenza certa:2008/02/09(土) 15:09:16
>日常生活に関する語彙・表現
文化が定まらないと定まらないモノの最たる例なんですが。

38ベダウリンデ:2008/02/10(日) 08:50:04
Mi havas malgrandan eo-eo-vortaron.
En ĝi 'kulturo' estas jena:
私が持ってる小さい辞書では、kulturoはこうなってます。

“ĉio,kio ne estas naturo; ”...ktp,ktp...
“organizado de kaj vivado en socio, kun normoj kaj kutimoj kaj la lingvoj uzataj;” …ktp…
“plibeligo de la ĉirkaŭaĵo per bel-arto,teatraĵoj,literaturo,konstruarto…”

「自然でないもの全て」等々、(「耕す系」の説明は省略)
エスペラント文の翻訳は責任重大なので、自分なりのとらえ方で言うと、
「習慣」「芸術」も含んだ説明ですよね。

Ĉu bel-artoj enhavas muzikon?
Se jes, plibeligo de la ĉirkaŭaĵo per muziko estas kulturo, ĉu ne?
芸術には音楽も入るよね?
そうなら、音楽で周囲をより美しくする、というのは、kulturoだよね???

39ベダウリンデ:2008/02/10(日) 08:57:57
Reta Vortaroも見たけど、私の持ってる辞書の方が丁寧な説明で、日本語の「文化」に近い感じがします。
Retaの説明にはちょっとがっかり。
でも、両方「ガイジン」が書いた物ですよね?なんでこんなに違うのか?
各自の「民族文化」でkulturoの定義が違うのか?
そしたらこれも日常語の混乱の最たる例ですよね?
物の名前なら名付けちゃえばそれですむけど、概念は各自の思い込みによる所が大きいから
もっと大変です。

まあ、相手が分からないようなら、私はkulturoをこう定義しています、日本人は大体そうです、
とか言えば、理解ある人なら「へー、そういう定義もあるんだ〜」と思ってくれるかもしれないですが、
そこまでするのはメンドーですよね。

40松戸彩苑:2008/02/10(日) 09:32:13
>>37
la presenza certa さん、はじめまして。

たしかに「日常生活に関する語彙・表現」のなかには、ある民族(あるいは一地域)に特有
なものというのも少なくありませんね。

それは私も認めますが、しかし私の考えでは、いわゆる先進国といわれる地域に共通する
ようなモノやコトもかなりあるわけですね。

エスペラントでは、まず最初に、そういう国際的なモノやコトをちゃんと表わすことが出来る
ようにすべきであって、その次に、よりマイナーなことも表わすことが出来るようにする、と
いったやりかたで語彙・表現を増やしていくべきであろうと、私は考えています。

41Raku ◆yP0a9GGqWA:2008/02/10(日) 11:49:26
「多文化共生」という言葉を近年よく耳にしますが、この「文化」はkulturoじゃ
ないんですね。じゃあ、何と言えばいいんでしょう。

42ベダウリンデ:2008/02/10(日) 14:59:25
『4時間で覚える地球語エスペラント』の一節に、次の様にあります。

そもそも、文化とは「学問・芸術・宗教など人間の精神活動の産物」(「広辞苑」による)です。

ところが私が見れる「広辞苑」では、次の様です。

衣食住をはじめ技術・学問・芸術・道徳・宗教・政治など生活形成の様式と内容とを含む。

「4時間」では、敢えて、文化の定義から「衣食住」「技術」「道徳」「政治」を外してる、と思えたのですが、
どうなのでしょう?
それとも、別バージョンの広辞苑では本と同じなのでしょうか?

エスペラントは地域的な人間の集合体ではないので、民族文化的な「衣食住」「道徳」の形式は持たない。
もし文化の定義にそれらを含むと、エスペラントには文化が無い、と言われかねない。
だから、故意に文化の定義を捻じ曲げている!?という疑念を抱いたのですが、どうなのでしょうか。
Retoでも精神性ばかり強調し「習慣」は無視しているように見えますが、これも同じ理由???

ちなみに、ウィキペディアでは
La kulturo estas kion faras la homoj, iliaj manĝoj, konstruoj, vestoj, pensoj, ktp.だって。
誰が書いたか知らないけど、日本人のイメージする「文化」に近い。



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エスペラント日本語辞典 / 日本エスペラント学会エスペラント日本語辞典編集委員会


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