←前へ 次へ→ 『顕謗法抄』
(★277n)
寿命の長短は人間の千六百歳を第六の他化天の一日一夜として此の天の寿千六百歳なり。此の天の千六百歳を一日一夜として、此の地獄の寿命一千六百歳なり。業因を云はゞ、殺生・偸盗・邪婬・飲酒・妄語の上、邪見とて因果なしという者此の中に堕つべし。邪見とは、有る人の云はく、人飢えて死ぬれば天に生まるべし等云云。総じて因果をしらぬ者を邪見と申すなり。世間の法には慈悲なき者を邪見の者という。当世の人々此の地獄を免れがたきか。
第七に大焦熱地獄とは、焦熱の下にあり。縦広前の如し。前の六つの地獄の一切の諸苦に十倍して重く受くるなり。其の寿命は半中劫なり。業因を云はゞ、殺生・偸盗・邪婬・飲酒・妄語・邪見の上に浄戒の比丘尼ををかせる者、此の中に堕つべし。又比丘、酒を以て不邪婬戒を持てる婦女をたぼらかし、或は財物をあたへて犯せるもの此の中に堕つべし。当世の僧の中に多く此の重罪あるなり。大悲経の文に、末代には士女は多くは天に生じ、僧尼は多くは地獄に堕つべしととかれたるはこれていの事か。心あらん人々ははづべしはづべし。総じて上の七大地獄の業因は諸経論をもて勘え見るに当世日本国の四衆にあて見るに、此の七大地獄をはなるべき人を見ず、又きかず。涅槃経に云はく「末代に入りて人間に生ぜん者は爪上の土の如し。三悪道に堕つるものは十方世界の微塵の如し」と説かれたり。若し爾らば我等が父母兄弟等の死ぬる人は皆上の七大地獄にこそ堕ち給ひては候らめ。あさましともいうばかりなし。竜と蛇と鬼神と仏・菩薩・聖人をば未だ見ず、たゞをとにのみこれをきく。当世に上の七大地獄の業を造らざるものをば未だ見ず、又をとにもきかず。而るに我が身よりはじめて一切衆生七大地獄に堕つべしとをもえる者一人もなし。設ひ言には堕つべきよしをさえづれども、心には堕つべしともをもはず。又僧尼士女、地獄の業をば犯すとはをもえども、或は地蔵菩薩等の菩薩を信じ、或は阿弥陀仏等の仏を恃み、或は種々の善根を修したる者もあり。皆をもはく、我はかゝる善根をもてればなんどうちをもひて地獄をもをぢず。
平成新編御書 ―277n―