←前へ  次へ→    『教機時国抄』
(★271n)
 正法一千年の次の日より像法一千年は破戒の者は多く無戒の者は少なし。像法一千年の次の日より末法一万年は破戒の者は少なく無戒の者は多なし。正法には破戒無戒を捨てゝ持戒の者を供養すべし。像法には無戒を捨てゝ破戒の者を供養すべし。末法には無戒の者を供養すること仏の如くすべし。但し法華経を謗ぜん者をば、正像末の三時に亘りて、持戒の者をも無戒の者をも破戒の者をも共に供養すべからず。供養せば必ず国に三災七難起こり必ず無間大城に堕すべきなり。法華経の行者の権経を謗ずるは、主君・親・師の所従・子息・弟子等を罰するが如し。権経の行者の法華経を謗ずるは、所従・子息・弟子等の主君・親・師を罰するが如し。又当世は末法に入って二百一十余年なり。権経念仏等の時か、法華経の時か、能く能く時刻を勘ふべきなり。
  四に国とは、仏教は必ず国に依って之を弘むべし。国には寒国・熱国・貧国・富国・中国・辺国・大国・小国、一向偸盗国・一向殺生国・一向不孝国等之有り。又一向小乗の国・一向大乗の国・大小兼学の国も之有り。而るに日本国は一向に小乗の国か、一向に大乗の国か、大小兼学の国か、能く能く之を勘ふべし。
  五に教法流布の先後とは、未だ仏法渡らざる国には未だ仏法を聴かざる者あり。既に仏法渡れる国には仏法を信ずる者あり。必ず先に弘まる法を知りて後の法を弘むべし。先に小乗権大乗弘まらば後に必ず実大乗を弘むべし。先に実大乗弘まらば後に小乗・権大乗を弘むべからず。瓦礫を捨てゝ金珠を取るべし。金珠を捨てゝ瓦礫を取ること勿れ已上。
  此の五義を知りて仏法を弘めば日本国の国師とも成るべきか。所以に法華経は一切経の中の第一の経王なりと知るは是教を知る者なり。但し光宅の法雲・道場の慧観等は涅槃経は法華経に勝れたりと。清凉山の澄観、高野の弘法等は華厳経・大日経等は法華経に勝れたりと。嘉祥寺の吉蔵、慈恩寺の基法師等は般若・深密等の二経は法華経に勝れたりといふ。天台山の智者大師只一人のみ一切経の中に法華経を勝れたりと立つるのみに非ず、
 
平成新編御書 ―271n―