←前へ 次へ→ 『立正安国論』
(★247n)
乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん」已上。
夫経文顕然なり。私の詞何ぞ加へん。凡そ法華経の如くんば、大乗経典を謗ずる者は無量の五逆に勝れたり。故に阿鼻大城に堕して永く出づる期無けん。涅槃経の如くんば、設ひ五逆の供を許すとも謗法の施を許さず。蟻子を殺す者は必ず三悪道に落つ。謗法を禁むる者は定めて不退の位に登る。所謂覚徳とは是迦葉仏なり。有徳とは則ち釈迦文なり。法華・涅槃の経教は一代五時の肝心なり。其の禁め実に重し、誰か帰仰せざらんや。而るに謗法の族、正道の人を忘れ、剰へ法然の選択に依って弥愚癡の盲瞽を増す。是を以て或は彼の遺体を忍びて木画の像に露はし、或は其の妄設を信じて莠言を模に彫り、之を海内に弘め之を外に翫ぶ。仰ぐ所は則ち其の家風、施す所は則ち其の門弟なり。然る間、或は釈迦の手の指を切りて弥陀の印相に結び、或は東方如来の鴈宇を改めて西土教主の鵞王を居へ、或は四百余回の如法経を止めて西方浄土の三部経と成し、或は天台大師の講を停めて善導の講と為す。此くの如きの群類其れ誠に尽くし難し。是破仏に非ずや、是破法に非ずや、是破僧に非ずや。此の邪義は則ち選択に依るなり。嗟呼悲しいかな如来誠諦の禁言に背くこと。哀れなるかな愚侶迷惑の麁語に随ふこと。早く天下の静謐を思はゞ須く国中の謗法を断つべし。
客の曰く、若し謗法の輩を断じ、若し仏禁の違を絶たんには、彼の経文の如く斬罪に行なふべきか。若し然らば殺害相加へ罪業何が為んや。
則ち大集経に云はく「頭を剃り袈裟を著せば持戒及び毀戒をも、天人彼を供養すべし。則ち為れ我を供養するなり。是我が子なり。若し彼を打すること有れば則ち為れ我が子を打つなり。若し彼を罵辱せば則ち為れ我を毀辱するなり」と。料り知んぬ、善悪を論ぜず是非を択ぶこと無く、僧侶為らんに於ては供養を展ぶべし。何ぞ其の子を打辱して忝くも其の父を悲哀せしめん。彼の竹杖の目連尊者を害せしや永く無間の底に沈み、
平成新編御書 ―247n―