←前へ  次へ→    『立正安国論』
(★239n)
 唖法を受けたる婆羅門等の如し。実には沙門に非ずして沙門の像を現じ、邪見熾盛にして正法を誹謗せん」已上。文に就いて世を見るに誠に以て然なり。悪侶を誡めずんば豈善事を成さんや。
  客猶憤りて曰く、明王は天地に因って化を成し、聖人は理非を察らかにして世を治む。世上の僧侶は天下の帰する所なり。悪侶に於ては明王信ずべからず、聖人に非ずんば賢哲仰ぐべからず。今賢聖の尊重せるを以て則ち竜象の軽からざることを知んぬ。何ぞ妄言を吐きて強ちに誹謗を成し、誰人を以て悪比丘と謂ふや、委細に聞かんと欲す。
  主人の曰く、御鳥羽院の御宇に法然といふもの有り、選択集を作る。則ち一代の聖教を破し遍く十方の衆生を迷はす。其の選択に云はく「道綽禅師聖道・浄土の二門を立て、聖道を捨てゝ正しく浄土に帰するの文、初めに聖道門とは之に就いて二有り、乃至之に準じて之を思ふに、応に密大及以実大を存すべし。然れば則ち今の真言・仏心・天台・華厳・三論・法相・地論・摂論、此等の八家の意正しく此に在るなり。曇鸞法師の往生論の註に云はく、謹んで竜樹菩薩の十住毘婆紗を案ずるに云はく、菩薩阿毘跋致を求むるに二種の道有り、一には難行道、二には易行道なりと、此の中の難行道とは即ち是聖道門なり。易行道とは即ち是浄土門なり。浄土宗の学者先づ須く此の旨を知るべし。設ひ先より聖道門を学ぶ人なりと雖も、若し浄土門に於て其の志有らん者は須く聖道を棄てゝ浄土に帰すべし」と。又云はく「善導和尚は正・雑の二行を立て、雑行を捨てゝ正行に帰するの文。第一に読誦雑行とは、上の観経等の往生浄土の経を除いて已外、大小乗・顕密の諸経に於て受持読誦するを悉く読誦雑行と名づく。第三に礼拝雑行とは、上の弥陀を礼拝するを除いて已外、一切の諸仏菩薩等及び諸の世天等に於て礼拝し恭敬するを悉く礼拝雑行と名づく、私に云はく、此の文を見るに須く雑を捨てゝ専を修すべし。豈百即百生の専修正行を捨てゝ、堅く千中無一の雑修雑行を執せんや。行者能く之を思量せよ」と。
 
平成新編御書 ―239n―