[MojieName=プロット01] プロット 2007/03/21〜 111レス 1日5〜7レス程度 前編は2年の冬 12月ごろ(雪の降るシーンが必要なので 喜緑江美里→谷川流の文芸部時代の先輩ということに 誰と戦うのか 一旦本世界に戻って二部に分ける 1.長門の消失から生還まで 2.宇宙の上書きを阻止する戦い 異次元同位体=情報リンクの協定がある論理的同位体を指す 本に関する記憶はすべて抹消されなければならない 査読: キョン文体で書き直し 記号を全角に統一 章の区切り 改行調整・20行くらいでまとめる [END] [MojieName=プロローグ01] 長門有希の憂鬱 プロローグ --- 1 長門有希の憂鬱T プロローグ: 窓の外は曇っていた。 今年ももうすぐクリスマスだねー、などとクラスの女子がのたまっているのを、 俺はぼんやりと眺めながら次の授業がはじまるのを待っていた。 高校に入って二度目の文化祭を終え、やっと落ち着いたとため息をついたばかりだ。 そういやハルヒのやつ、今年もやるんだろうなクリパ。また俺にトナカイやらせるつもりじゃあるまいな。 長門が暴走したりSOS団が消えちまったり、朝倉に二度も襲われたり、去年はいろいろあった。 俺も長門には気を配るようになった。 あいつは感情が希薄なわけじゃなくて、実は表に出ないだけなんだと知ってからは。 おかげさまで落ち着いてるようだが。 --- 2 振り向いて後ろの席にいるやつに、今年のクリパはやっぱ部室でやるのか、 と尋ねようとしたらいきなり首根っこを掴まれた。 「キョン、あんた進学するの?」 いきなりなにを言うかと思ったら。 「そりゃあ大学行きたいさ」 「どこ受けるの?」 「う……」俺の成績から言ってあまり贅沢はいえない。国立はまず無理だろう。 自宅から通える距離でそれほどレベルの高くない県立か、多少金かかっても親を拝み倒して私立に行くか。 それなら浪人して予備校通って国立って手もなくはないよな……。 「もう二学期終わるんだし、まじめに考えなさいよね」 言われなくても分かってるさハルヒさん。俺だってもっと遊びたいもん。いかんせん、俺の学力が。 --- 3 「あんた、あたしと同じ大学受けなさい」 「な、何を言い出すんだ」 「だってあんたがいないとサークルでSOS団やれないじゃない」 大学行ってまでやる気かこの女は。 「無理だ。俺の成績は知ってるだろ」 「今から必死で勉強しなさい。大学受験なんてね、日ごろのテストの延長でしかないのよ」 そりゃお前はいつでも成績が上位レベルにいるからそう言えるだろうが。 「別に同じ大学じゃなくったってSOS団は続けられるだろう」 「あんただけ学外の部員なんてことになったらシメシがつかないもの」 「シメシったってなぁお前……ヤーさまじゃあるまいし」ある意味ヤクザよりこわい集団だが。 だがまあハルヒがそこまで言うなら受けてやってもいい。 こいつが望めばなんでも叶う、俺もそれにあやかって国立合格……。 いかんいかん、なんて他力本願なことを考えてるんだ俺は。 --- 4 それにしても、今が受験真っ最中の朝比奈さんはどこを受けるんだろう。 もしかしたら先回りしてハルヒの志望校に入学するかもしれない。 長門はどこにでも入れそうだし、いちいち試験を受けなくても情報操作とやらで潜り込めそうだ。 「やれやれ。また塾にでも通うか」 塾という言葉を聞いてハルヒが耳ピクとなった。 「あんた、塾で佐々木さんとやらに会うつもりじゃないでしょうね」 そんな偶然起らないって。行くなら学習塾兼の予備校だろう。 放課後に部活が解散してそれから塾に行ってるとすると、帰りは九時とかになっちまうな。 これじゃ体がもたん。せめて土日は休ませてもらいたいものだが、果たしてハルヒがOKするかどうか。 などと思案にふけっている俺を我に返らせたのは、古泉からのメールだった。 ── 部活が引けた後、涼宮さんには内緒でちょっと集まってもらえませんか。 この時期になにかハプニングが起るとしたら、それは最悪の事態になる。 俺にはそんな暗示めいたものがあった。 --- [END] [MojieName=プロローグ02] 古泉が謎の文庫本を持ちこむ 「読まなければこの事態を把握することもなく、把握しなければこの本は存在しない。  量子世界の観測者と同じです」 --- 5 放課後、その日のSOS団はこれといって何をするでもなく、 微妙に寒々しい部屋で電気ストーブだけがいとおしく皆を暖めようとしている横で、 俺は古泉と将棋を繰り広げていた。 古泉が何か事件らしきものを持ち込んだことは知っているはずだが、長門も朝比奈さんも、 何のアイコンタクトすらしない。 たまにお茶をすする以外は、ただのんびりと時が過ぎるのを待っているだけだった。 どうせ事件が起きるときは起きるんだ、それならばせめて何かが起こるまでは シアワセに過ごそうよとでも言いたげに。 天地がひっくり返るようなことがあっても、あっそ……だろうなこいつらは。 「うーんっ。じゃ、そろそろ帰るわね」ハルヒが背伸びをするのと、長門が本を閉じるのとが同時だった。 朝比奈さんは着替えるからと言ってそのまま残った。 俺は一旦下駄箱まで行って、ハルヒが先に帰るのを見届けてから部室にまた戻った。 --- 6 「不可解な現象が起こりました」 部室に入るなり古泉が右の眉毛を上げてみせた。三人ともそろっている。 「これです」 古泉が手にしたものは一冊の文庫本だった。書店でよく見かけるライトノベルのようだが。 書店の一角にずらりと並んだその周りだけ妙に空気がピンク色っぽくて、 たまに女子学生が群れていたりして、 半径三メートルが異空間化してるような、そのライトノベルだ。 近頃じゃボーイズラブなんてジャンルの本が書店の棚を侵食しつつある。 --- 7 「これがどうかしたのか」 古泉は軽くため息をついて「そのタイトルをよく見てください」と言った。 「涼宮ハルヒの……?」 「なんですかこれ?涼宮さんって作家になったんですかぁ?」朝比奈さんが尋ねた。 「いいえ、知る限り、涼宮さんがそのような本を執筆したという事実はありません」 「何が書いてあるんだ?」 「まだ数ページしか読んでないんですが、かいつまんで言えば我々SOS団、およびその周辺で起ったエピソードです。  気になるのはあなたの一人称視点で書かれていることですが」 「まさか、俺じゃない。俺が作家志望じゃないことはいつぞやの文芸部機関誌を読んで知ってるだろう」 「分かっていますよ」古泉が笑った。 俺はパラパラとページをめくってみた。 「待ってください。内容はまだ読まないほうがいいかと。これからご説明します」 「涼宮ハルヒの……」俺はまた声に出して言った。 ハルヒが憂鬱になると忙しくなるのは古泉ファミリーのほうであって、 まあ世界が消滅してしまわなければ俺はかまわないわけで、 どちらかというとハルヒが上機嫌なときのほうが俺は苦労するわけだが。 --- 8 「これ本屋に売ってるのか」 「いいえ、書店にはありません」 「あたしもたまに読むんですけど……これは見たことがないです」朝比奈さん、あなたもラノベ読むんですか。 「昨日僕の家の郵便受けに届けられていたのです。  宛名も差出人も書いてありませんでした」 「つまり直接手で届けたってことか」 「そうです」 「この、タニカワリュウって誰なんだ」 「たにがわ、ながる、です。現在のところ不明です。  機関を通じて角川書店にも問い合わせてみたんですが、  そのような本が出版されたことはないとのこと。  出版された本をナンバリングしているISBNも、まったく別のものだそうです」 「ペンネームじゃないのか」 「ええ、たぶんそうだと思います。兵庫県在住と書いてはありますが、実在するかどうかは不明です」 --- 9 「どっかの同人が自費出版したんだろう」 「角川書店の名前でですか?ありえません。  同人誌サークルは自分たちのブランドを重んじます。  パロディを出すにしても出版社の名前を騙ったりはしません」 「お前やけに詳しいな」 「僕もやってますから」 そうだったのか。 俺はリュックを背負ってコミケに押しかけている古泉をちょっとだけ想像した。 --- 10 「ハルヒ本人に聞いてみればいいいじゃないか」 「それもまた困るのです。  いいですか、この本が存在することによって二つのことが懸念されます。  一つ目は、SOS団がちくいち監視されている。それもあなたの視点で。  二つ目は、これが涼宮さんの目にとまると宇宙規模のパラドックスが発生する可能性がある。  先ほど読まない方がいいと言ったのは二つ目の理由です。  この本に書いてあることが事実だとして、涼宮さんのことを記した本を涼宮さん本人が読むことになったら、  あるいはあなた自身が読むことになったら、事実が上書きされるか未来が変わる可能性があります。  この本には、朝比奈さん言うところの、禁則事項が山盛り状態にあるかもしれないということです」 「読んだお前自身は平気なのか」 「まだ全部は読んでいないので分かりませんが、今のところ平気みたいです」 --- 11 「長門はこの本をどう思う?」俺は窓辺に座る文学少女に水を向けた。 長門はすっと椅子から立ち上がって文庫本を手にした。 「ライトノベルは……」ためすつがめすついじっていたが、やがて口を開いた。 「……趣味に合わない」いやそういうことじゃなくて。 「この本を構成する炭素、および鉄その他の原子構造の位相がズレている」 えーと、つまり? 「電子の波動関数がこの世界の時間とズレている」それ、物理の授業で出てきたっけ? 「つまりこれはこの世界のモノじゃないということですか」古泉がフォローした。 「そう」 「位相がずれているにもかかわらず、これがこの世界で見えているということは」 「この世界で物理的に見えるためだけのなんらかの変換、細工がされている」 「まったく不可思議です。情報統合思念体はなんと言っていますか」 「今報告した……ラノベはよく分からないと言っている」 いつも偉そうにしているくせに役に立たんやつらだ。 --- 12 「鉛筆……かして」 鉛筆?俺はペン立てにあったやつを渡した。 長門はカッターでそれを丁寧に削り、芯だけ残した。やがてその芯を刃で削いで粉々にした。 「何をしてる?」 「指紋を取る」 鉛筆の芯の粉を本の表紙に均等に撒き、窓を開けてふっと吹いた。 本の表紙にうっすらと人の指の形が点在していた。俺と古泉が触った指紋もそこにあるのだろう。 それから長門は無言で部屋から出てゆき、どこにあったのか幅広のセロテープを持っていた。 テープを切って本の表面に軽く貼り、ゆっくりとはがした。それを白い紙に貼り付け、古泉に渡した。 「調べて」 「なるほど。ちょっとした探偵気分ですね。後で多丸に問い合わせてみます」古泉はそう言ってカバンに入れた。 「俺が触った指紋もあるんじゃないか」 「それは判別できます。機関のデータベースにはあなたの情報もありますから。  あなたの七代前の先祖のことも分かりますよ」 俺の個人情報がそんなところで使いまわされていたなんて恐ろしい。 古泉はカラカラと笑った。「大丈夫ですよ。悪用はしません」 --- 13 「朝比奈さん、この本は俺たちの未来となにかかかわりがあるんでしょうか」 朝比奈さんは数秒間、遠くを見るまなざしをした。 「ごめんなさい。分かりません……。ひとつだけ、この本は未来には存在しない、みたいです」 「なんですって?」古泉が声を上げ、長門が目を上げた。 どういうことだろう?俺だけピンと来てない。 「つまり、今から朝比奈さんの知る未来までの間にこの本は消えてしまうということでしょうか」 「この時間軸の延長上には……と言ったほうが正しいかもしれません。  ええと、それから先は禁則事項みたいです」 「ほかのどの時間平面上にも存在しない」長門が口を開いた。 --- 14 沈黙を持って謎を表現するなら、今この部室を充たしている空気がそうだろう。四人とも黙っていた。 「こうは考えられませんか。この本は今、確かに我々の時空に存在する。  近い未来にこの本は隠蔽され、我々の記憶からも消える。  存在するかどうかは観測者がいてはじめて分かることですから。  ゆえに朝比奈さんの知る未来には存在しない」 「それも禁則事項みたいです。ちょっと待ってください……、  この本に関する禁則事項がどんどん増えているみたい。アラートです」 「今、その本に関する情報が思念体において禁則事項に入った」長門も言い放った。 ヤバい。これはなにかヤバいことが起る前触れだぞ。俺の中の何かがそう囁いていた。 --- [END] [MojieName=冒頭] プロローグが長くなったんで追加された一章の冒頭部分 --- 長門有希の憂鬱T 一章 --- やれやれだぜ。俺は朝比奈さんを待ちながら呟いた。このセリフ、何回言ったことだろう。 ハルヒがSOS団を立ち上げてからというもの、このセリフを吐かなかったことはない。 俺はきっと死ぬまでこの言葉を言いつづけるに違いない。 さて、今年も残すところあと数日だが、年が明ける前に俺は朝比奈さんに折り入っての頼みごとをしなければならなかった。 俺は十日前の十二月十八日に戻らなければならないことになっている。 戻ってなにをするのかと言えば、特別なことをするわけじゃない。 ただ自宅から学校に通って、一度やった期末試験を受けなおさなければならないだけだ。 試験はどうでもいいんだが、考えようによっちゃこれ、百点満点を取るチャンスかもしれないな。 ハルヒに国立を受けろと言われたので、ここで成績アップしといても天罰はくだらないだろう。 本当は俺自身の身代わりとして過去に飛ぶだけなのだ。要は、留守番である。 その日、未来の俺に借りを作っちまったのは俺なんだが、安易過ぎた気もする。 朝比奈さんにどう説明したものかずいぶん迷っていた。 これは俺が作った規定事項なのだが、実は未来にはその間俺がどこでなにをしていたのかという事実が残っていないんだ。 「朝比奈さん、ちょっとお願いがありまして」 「なんですか?」 「俺を今月の十八日に連れて行ってほしいんです」 「あれれ、そうなんですか?既定事項?」 「既定ではないんですが、どう説明すればいいのかちょっと難しくて」 「ちょっと上の人に聞いてみますね……OKみたいですよ。  キョン君は私の知らないところでいろいろ働いてるのね」 「いやぁそういうわけでもないんですが」朝比奈さんにそう言われると照れてしまう。 「十八日って、なにか特別なことありましたっけ?」 俺は朝比奈さんにこう言わなければならなかった。 「すいません、禁則事項です」今度は立場が逆だった。 そう、十八日、事の起りは古泉が奇妙な小説を部室に持ち込んでからだった。 --- [END] [MojieName=長門消失] --- 15 ここにいる宇宙人、未来人、超能力者、そして一般人の四人は黙りこくっていた。 古泉が持ち込んだ一冊の文庫本を取り囲んで、四つの組織の代表(俺は一般市民代表だからな)が 正体不明の危機の前触れを感じていた。 長門と朝比奈さんがほとんど同時に、この文庫本の内容が禁則事項に指定された言った。 二つの組織で危険信号が出たということは相当ヤバい本なのか。 「貸して」しばらく考えていた長門が手を差し出した。 「……読んでみる」 「それはまだ待ったほうが……」古泉が止めようとした。 「長門のほうが物知りだし、分析してもらえばいいんじゃないか」 「それはそうですが……これがいづれかの敵対勢力の罠だった場合を考えると」 制するまもなく長門はページをぱらぱらとめくっていた。 数十分間、長門はページをめくりつづけ、俺と古泉と朝比奈さんは長門が何か反応するのをじっと待っていた。 「これは……わたしたちの未来……」読みながら呟いた。 それは一瞬の出来事だった。 長門がスクと立ち上がり、ひざの上から文庫本を落とした。視線が中をさまよった。 「エマージェンシーモード」 長門の影が白い光の球に包まれた。 「長門さん!?」朝比奈さんが叫んだ。 「長門!?どうした!」 俺は椅子から飛び起き、消えていく長門の腕を捕まえようとした。 俺の手は白い光の壁を突き抜けて空を切った。 長門は一瞬、俺を振り向いた。 最後に耳にしたのは長門の呟くような、かすれた声だった。「わたしは……ここにいる……」 --- 16 文庫だけが床の上に残っていた。 残された三人はしばらく呆然としていた。 「長門さんが……」朝比奈さんは長門が座っていたあたりを、その名残を探すように触れた。 「なんということでしょう。これは緊急事態です。  僕のせいで長門さんが消えたと情報統合思念体に知られたら、  思念体と機関との関係が悪化しかねません」 「それより長門の消息が心配じゃないのか!?」 「もちろんそうですが」 「それにもう知られてるだろう」俺は上を指差して言った。 部室のドアをノックする音に、三人ともビクっとした。 「どうぞ」朝比奈さんが応えた。 「あの、喜緑です……」ドアの向こうから覚えのある声が聞こえた。 「長門さんの件で……突然失礼します」ずいぶんと久しぶりな登場だ。 派閥は違うが情報統合思念体から派遣されたアンドロイド、早い話、長門のバックアップだ。 「今しがた上のほうから連絡が来て、あの……前置きは抜きでよろしいでしょうか」 「ええ、こちらもたった今、目の前で起きた現象にどう対応するべきかと焦っているところでした」 さわやかで、かつ深刻な笑顔の古泉が言った。アンビバレンツかよ。 「この文庫本なんですが、読んでる途中で長門が消えてしまったんです」 俺はもうこれは黒魔術の原書かなにかのようにその本を指でつまんで差し出した。 「再発するかもしれません。内容は読まないでください」古泉が言った。 --- 17 喜緑さんは表紙、背、背表紙とくるりと回して眺めた。 「上のほうに問い合わせてみましたが、わたしの見る限り、長門さんからの報告以上のことは分からないようです」 「いちおう僕が指紋を照合するつもりにしています」 「そちらの出所のほうはお任せします。問題は長門さんがどこへ行ったのか、なのですけれど」 「長門さんは喜緑さんにはなにかメッセージを残しましたか」古泉が尋ねた。 「いいえ何も。エマージェンシーモードに入ったことだけ知らせてきました。つまり、未知のトラブルです」 「もしかして過去か未来に飛んだんじゃありませんか?」 「そうではないみたいです。情報統合思念体が存在するどの時空にも現れてはいないということなので」 もしかして長門は死んだんじゃないですよね。俺は血の気が引くような質問をしていた。 「わたしたちは情報統合思念体の一部なので、物理的に死ぬ、ということはないと思います。  体が消えても思念体に戻るだけで」 「じゃあどこかで生きているんですね?」 「分かりません……」 これはいったい。 ---- 18 「失礼、ちょっと電話をかけてきます」古泉は席を立って廊下に出た。 数分間、俺は腕組みをしたまま黙っていた。 そこにいる皆が黙り込んでいた。時計を見ると七時を回っていた。 「機関では警戒態勢を敷くことにしました。  喜緑さん、よろしければ連絡用に携帯の番号を教えていただけませんか」 「はい」 「ではまず、僕は機関に戻ってこの本に関する情報を集めます。  朝比奈さんはその、禁則に触れない部分で情報をいただければと思います。  喜緑さんは長門さんの消息について何か分かったら教えてください」 あれれ、古泉が仕切り始めたぞ。まあいいか。 皆はそれぞれうなずいて、とりあえず解散することにした。 こういうとき一般人の俺だけ役に立たない。 もし明日の朝までに長門が戻らなければ、学校には親族の不幸で休むと喜緑さんから連絡をいれてもらうことにした。 不幸なのは長門本人かもしれないが。 --- [END] [MojieName=古泉消失(没] 未公開シーン 当初の予定では古泉が失踪する話だった 没 それはそうと古泉、お前色がいつもと……、俺がそう言いかけると古泉が目を丸くした。 「こ……こんなバカなことが」 「どうした」 古泉がガタリと椅子を引いて立ち上がった。「僕の持つ力が開放されてゆきます!」 古泉の輪郭がだんだんと赤い光の球体に包まれてゆく。「こんな……いったいなぜ」 「おい古泉大丈夫か。神人でも現れたのか」 「いいえ、ここは閉鎖空間ではありません。この通常空間では僕の力は使えないはずなのですが。ありえません」 古泉の球体がいっそう輝きを増してゆき、白く光った。俺は目を眇めた。 後ろを振り返ると長門が目を丸くしている。「……消失する」長門がそう呟く。 「これを!」古泉が、いや古泉の球体が赤い物体を差し出した。 「いったい何が起ってるんだ!?」 光の球体が徐々に縮小してゆき、古泉はそこから消えた。あいつの携帯が固い床に落ちる音がした。 部室の空気が数秒間、時間が停止したような感覚に襲われた。 古泉が目の前で消えた。それを見ていたのは俺と長門だけだ。 そのとき勢いよくドアが開いてハルヒが入ってきた。 「おっはよーみんないる?」 「あ、ああいる」俺の思考は今起ったことを理解するのに忙しくて、それを悟られまいとするも虚しく曖昧な返事をした。 「古泉一樹は今日アルバイトで欠席すると言った」長門が唐突に言った。 「あらそう。残念ね、自前でケーキ作ってきたのに」 「ハルヒ、お前が団員のためにケーキ作ってくるなんて、何を企んでるんだ」 「なんてこと言うのよ。わたしだって洋菓子のひとつくらいは作るわよ」 「お前が俺たちのためになにかしてくれると、その数倍の労力を要する見返りを求められるからな」 よもや忘れもしまい、いつぞやのバレンタインデー。アンド、ホワイトデー。 「えっへへ。それが分かっているならあきらめて食べなさい。腕によりをかけて作ったんだから」 長門はなにも言わずにさっさと食っている。まるで急げと言わんばかりに。 俺はふと思い立ち、「後で古泉んちに用があるから届けてやる」と俺の分のケーキともうひとつをより分けた。 「そう、じゃあ箱ごと持っていって」 「わたしも……これからアルバイト」 「有希もなの?みんな忙しいのね。じゃあ今日はこれにて解散」 言うが早いか、その後姿から煙が立っているんじゃないかと思える勢いでハルヒは走り去った。 「これからどうすればいいんだ」 「機関に連絡して」 指差した先に古泉の携帯があった。 「そうだな、森さんや新川さんになら連絡つくだろう」 古泉の着歴をひとつずつスクロールした。古泉、お前の交友関係を詮索するつもりはないが、事件解決のためだからな。 あった、森園生。 数秒して相手が出た。 「はい、森です」 「すいません、古泉の携帯からかけています。緊急を要する件で」 「あらキョン……君ですか?」 森さん、あなたもその名で俺を呼ぶんですか……。というか本名で紹介されたことないな俺。 「実は、古泉が目の前で消えました」 「え……」 俺は目の前で起ったことをかいつまんで説明した。 「新川とただちにそちらへ向かいます」 「いつも古泉がお世話になっております」 「はぁ・・いえいえこちらこそお世話に。はい」新川さんの丁寧な腰45度のお辞儀に対して俺は気の抜けた返事をした。 「そちらの機関に対抗する勢力の介入は考えられないでしょうか」 「なんとも言えません。古泉が消えた状況から考えて現代の科学では考えられない、一種の転送技術かなにかでしょうか」 新川さんは問うように長門を見た。 「古泉一樹はどの時空にも存在しない、統合情報思念体にも検知できない」 「ということは、少なくとも我々に対抗する勢力の及ぶ範囲ではないと考えるのが妥当かと」 「前にも似たような経験をしたことはあるんですが」俺は時空のねじれでSOS団が消えた事件を思い出した。 あれは長門がやったことだったが、少なくともここにいる4人の記憶には古泉が存在している。 「あれとは違う現象」長門もそう言った。 「その、文庫本をしばらくお借りしていいでしょうか」 机の上にあったはずの例の文庫本が消えていた。「アレは?」 「これ……」いつのまにか長門が持っていた。ハルヒに見られないようそっと隠したのだろう。 新川さんは証拠物件を扱うように白手袋をはめてジップロックの袋に入れた。 「機関に持ち帰って分析させていただきます。話を聞く限り、内容は読まないほうがいいでしょう」 [END] [MojieName=喜緑さんとキョン] 情報統合思念体の対策方針について 九曜を含む天蓋領域など平行世界の存在を示唆 喜緑さんとの会話 電話 --- 19 その日の夜、風呂に入ったあと、台所で牛乳を飲んでいると電話がかかってきた。 「キョンくん、電話だよ〜。お・ん・な、のひとから」 「大声で言わんでいい」最近やけにマセてきてる気がする。 俺はコードレスホンの子機を持って自室に入った。 「こんばんわ、喜緑です。今お時間よろしいでしょうか」 「あ、先ほどはどうも。その後何か進展ありましたか」 「いえ、特に分かったことはないんですが、少しお話しておきたいことがありまして」 「ええ。なんでしょう」 「……地球時間でいうところの数億年前のことなんですが」 突然気が遠くなりそうだった。 「この銀河から二百二十万光年離れたところに次元断層が発生して、  調査に向かったわたしたちのうちのひとりが行方不明になったことがあったんです」 「どこに行ってしまったんです?」 「どこというより、いつ、であるかもしれません。  別の次元の、さらに二億年ほど前に遡っていました」 「その人、じゃなくて思念体は無事だったんですか」 「戻ってきませんでした。最後の通信内容でそこが異世界だと分かっただけで」 ……もしかしたら長門もそこへ? 「長門さんのシグナルがどの時空にもないということは、同じルートを辿ったか、  あるいは似たような境遇にいるか、という可能性はあります」 --- 20 「その別世界っていうのは、ここからどれくらい離れてるんです?」 「物理的な距離で測ることはできないんです。  たとえば、一枚の紙があるとして、わたしたちが表にいるとします。  向こうの世界は紙の裏側か、もしくは表と裏の間にあるんです」 なるほど。幾何学的知識が低レベルの俺には理解できないことは分かった。 「そういえば、異世界人といえばハルヒが集めようとした残りの人材なんですが。  それとは関係あります?つまり、ハルヒが望んでこの事件が起こった?」 「それはまだ分かりませんわ。経過を見てみないことには」 「あるいは敵対勢力の干渉とか……」 「その可能性も否定できません。実は情報統合思念体が把握している異次元というのも、  実際に存在するんです」 知らなかった。それは初耳です。 「周防九曜さんがいるような世界もそのひとつで、お互いになんとかコミュニケーションを取れている世界もあります」 「その異世界の誰かと連絡取れたりはしないんですか?長門の行方を知る手がかりに」 「情報統合思念体に相当する存在がいる、いくつかの世界にはすでに調査依頼してあります。  大方の異世界とは協定があって、互いに干渉しないことになっているんですが」 こういう事態だ。情報統合思念体には奔走してもらおう。 --- 21 「それから、これが重要なことなんですが、  思念体に相当する存在がいない世界、地球人がいない世界、  さらに未知の世界も多くあります」 ── もしかしたら、わたしたちが知っているのはほんの一握りなのかもしれません。 喜緑さんは、なぜかそこで少し悲しげな声になった。 「長門なら、どんな方法を使ってでも連絡してきますよ。  それに行方不明になったとしたらハルヒが黙っちゃいません」 「そうですわね」 「いざとなったらハルヒという切り札を使いましょう。  あいつのパワーはどんな世界にでも通用すると、俺は信じてますから」 「……」喜緑さんは笑ったようだった。 それからしばらく世間話をしつつ、俺はおやすみなさいを言って切った。 これまであまり面識はなかったが、喜緑さんは人間に大して理解のある人らしい。 --- [END] [MojieName=みくるとキョン] 平行世界と時系列の関係について要再考 朝比奈みくるの時代には存在しない歴史をどう処理するか --- 22 長門が消えて二日目が過ぎた。 文芸部部室には本来の部員ひとり分だけスペースが空いて、実に空虚な感じだった。 ハルヒには、実家に不幸があって帰ったんだろうとごまかしておいたが、信じたかどうかは定かではない。 俺は長門の身を案じていた。 二日ということはタイムトラベルで別時代に行ったわけではないということだ。 なぜなら、戻ってくる可能性があるなら即現れるからだ。 それが一分後でも二分後でもたいした違いはない。ところがそれが二日間ということは、 なんらかの事故が起こって戻って来れないと考えるべきだろう。あるいは、戻る手段がないか。 --- 23 帰りがけ、俺は朝比奈さんと喫茶店で待ち合わせた。 「長門が消えてからもう二日になります」 「あれから情報開示してくれるよう頼んではみたんですが、  今回のことは私の知る限り、私たちの未来に関わっている事件ではないみたいなんです」 「つまり、長門が無事戻ってくるかどうかは分からない?」 「それは禁則事項なんですが、長門さんそのものが時間的制約を受けない人ですから、  未来に存在してもそれが今回消えた長門さんなのかどうかは分かりません。  情報統合思念体が用意したバックアップコピーかもしれませんし」 「つまり同位体ってやつですか」 「ええ。私たちから見れば異時間同位体です」 つまり長門は未来に存在するわけだ。朝比奈さんは遠まわしにそう言っている。 「以前長門が暴走したとき、俺がハルヒ一同SOS団が存在しない世界に行ったときのことですが」 「ええ」 「未来からの干渉で修復しましたよね」 「ええ。それが既定事項でした」 「あのときと同じようにいかないんですか。つまり、長門が消えてしまう前に止めに入るとか」 「それが、今回のは既定ではないんです。  つまり、そのとき私が止めに入ることは既定事項ではないということです。  それに長門さんの組織とは干渉しない暗黙のルールみたいなものがあって、簡単には手が出せません」 「なるほど」 「それに私たちが干渉するのは時空震が起るような場合だけですから」 「つまり今回は長門個人に降りかかった災難だと」 「そういうことになります。今のところは静観するしか」 「そうですね」 「でも、できるかぎりの支援はするつもりです。長門さんは親しい友達ですから」 --- 24 ふたりともしばらく無言のままお茶をすすっていた。 たぶん朝比奈さんも、長門やハルヒたちと遊んだ日々を思い出しているのだろう。 「未来からも今回の件を観測しています。未来でも情報統合思念体とは接触できますから」 --- [END] [MojieName=みくるとの再開(没] 未公開シーン 当初みくるは未来に帰ってしまった設定にしていたのだが時系列が合わないので没 長門が消えて3日が過ぎた。 ハルヒには、おおかた実家にでも不幸があって帰ったんだろうとごまかしておいたが、信じたかどうかは定かではない。 3日ということはタイムトラベルで別時代に行ったわけではないということだ。 なぜなら、戻ってくる可能性があるなら即現れるからだ。 それが1分後でも2分後たいした違いはない。ところがそれが3日間ということは、少なくとも長門の自時間で3日間、 戻って来れない事情にあると考えるべきだろう。 朝比奈さんがかけつけた。つまり未来から戻ってきた。 「涼宮さん、おひさしぶり」 「あら、みくるちゃんじゃないの。帰ってたんだ」 「お元気そうでなによりです」 「どう?スイスの大学は。いい男捕まえた?」 「やだ涼宮さん、そんなことしませんよぅ」 「赤くなってるところを見るといい獲物がいたようね」 「ちがいますってばぁ」 未来に帰っても朝比奈さんは朝比奈さんだ。スイスの土産ですと小さな箱をくれた。 俺が、開けてもいいですか、といい終わらないうちにハルヒが早々と中身を検めている。 「キョン!金塊よ金塊!スイスゴールドよ!」 「ほんとかオイ」 「やだ、それチョコレートですよ」 なるほど、スイスといえば金塊チョコか。 にしても、わざわざアリバイ作りのためにこんな高価なものまで、と苦笑めいた俺の表情を見てか、 「あら、ほんとにスイスにいるんですよ今」と俺だけに聞こえるように言った。 「えっそうなんですか」 「スイスのある研究所で働いてるの」 「へー。やっぱ時間関係ですか」 「スイスだけにね、ってちがうちがう」ナイス乗りツッコミ。 「あとでちょっと話せます?」と腕時計をさして尋ねた。 「ええ、少しなら時間あります」 涼宮がチョコを食い終えて満足顔で帰ってから、俺と朝比奈さんは駅前の喫茶店に入った。 「長門が消えてからもう3日になります」 「だいたいのことは小泉くんに聞きました。その本ってのは……」 「今、古泉が機関で調べてもらってるみたいです。涼宮の自伝みたいな本で。  俺が一人称で書いてることになってるらしいんですが」 「今回のことは私の知る限り、私たちの未来には関わってる事件ではないみたいなんです」 「つまり、長門が無事戻ってくるかどうかは分からない?」 「それは禁則事項なんですが、長門さんそのものが時間的制約を受けない人ですから。  未来に存在してもそれが今回消えた長門さんなのかどうかは分かりませんし、  情報統合思念体が用意したバックアップコピーかもしれません」 「つまり同位体ってやつですか」 「ええ。私たちから見れば異時間同位体です。長門さん達から見れば、情報をリンクしているものを同位体と呼ぶみたいですが」 つまり長門は未来に存在するわけだ。朝比奈さんは遠まわしにそう言っている。 「以前長門が暴走したとき、俺がハルヒ一同SOS団が存在しない世界に行ったときのことですが」 「ええ」 「未来からの干渉で修復しましたよね」 「ええ。それが規定事項でした」 「あのときと同じようにいかないんですか。つまり、長門が消えてしまう前に止めに入るとか」 「それが、今回のは規定ではないんです。  つまり、そのとき私がいなかったということは止めに入ることは規定ではないということです。  それに長門さんの組織には干渉しない暗黙のルールみたいなものがあって、簡単に手は出せません」 「なるほど」 「それに私たちが干渉するのは時空震が起るような場合だけですから」 「つまり今回は長門個人に降りかかった災難と」 「そういうことになります。今のところは静観するしか」 「そうですね」 「でも、私がこうして来ているのは可能な限り支援するためなので。できることはなんでもします」 「ありがとうございます。でも、古泉もあいつの機関もですけど、なにひとつ情報がないんでどうしようもなくて」 「これは重要なことなんですが、私のいる時代では今回の件は歴史として残ってないんです。  抹消されたのか、元々なかったのかは分かりませんが」 とすると、今回の件は朝比奈さんのいる時代では存在しない歴史ということか。どうなってるんだ。 「そうですか……」 ふたりともしばらく無言のままお茶をすすっていた。たぶん、長門やハルヒたちと遊んだ日々を思い出しているのだろう。 「未来からも今回の件を観測しています。未来でも情報統合思念体とは接触できますから」 [END] [MojieName=みくるとキョンと古泉] 朝比奈みくるの話から 時空の狭間に消えてしまいそうな長門の後姿。 --- 25 朝比奈さんとしゃべっているうち、三十分ほどして古泉が現れた。 「遅れてすいません。あの本に関する調査結果を機関から受け取ってまいりました」 「古泉くん、おつかれさま」 「ありがとうございます、朝比奈さん」 「単刀直入に申しますと、あの本の著者は存在しません」古泉は本題を切り出した。 「存在しない!?」 「谷川流なる人物は、角川書店はおろか、住基ネット、警察、FBI、CIA、  果てはインターポールのデータベースにも存在しません。  それから指紋の照合結果も、やはり同じです。  あなたと僕と長門さんの指紋を除き、異なる二名の指紋を検出しましたが、  機関で知りえる限りでは存在しない人物のものです」 それだけの情報を簡単に入手できるなんて、機関は地球最大の諜報組織じゃなかろうか。 --- 26 「異なる二名か……気になるな」 「それと、先日は見落としていた、重要な点があります。  奥付の日付に気が付かれましたか。あの版の日付は一年後、我々から見ると未来です」 「ということは未来から送られてきたわけか」俺と古泉は朝比奈さんを見た。 「未来での敵対する組織とは関係ありませんか?」 「ええと……それは禁則事項に抵触するので言えないんですが……」 朝比奈さんは手を右の耳に当てて、遠くのなにかを聞くような仕草をした。 「許可が下りました。お教えできるのは、十年後、あるいは二十年後の未来にもこの人は存在しない、ということです」 「未来にも存在しないっていうのは、ええとつまり」俺はまた頭痛がはじまりそうだ。 「となると、別の時空、別の次元からの贈り物と考えるのが妥当でしょうか」古泉が割り込んだ。 「贈り物って、俺には罠を仕掛けられたとしか思えないんだが」 「その可能性は大いにあります。僕を狙ったものか、長門さんを狙い撃ちしたものなのかは分かりませんが」 「お前に送られてきたのなら、機関の敵対勢力じゃないのか」 「今のところは分かりません。その懸念もあって、僕には今、二十四時間監視がついています」 古泉はタイピンを指で示した。おそらく小型カメラかマイクか、あるいは発信機なのだろう。 --- 27 「朝比奈さんとさっき話してたんだが、未来にいる長門は俺たちの知る長門だという保証はできない、らしい」 「そうなんです。情報統合思念体はいくつもの長門さんの同位体を持っていますから」 古泉はしばらく考えた末、口を開いた。 「長門さんの連続性が途絶えると、この時空の未来には僕たちの知っている長門さんは存在しない。  朝比奈さんの知る歴史にこの事件がないとすれば、なんらかの異変があり僕たちの記憶には残らない」 それから古泉が放った言葉は、俺に衝撃を与えた。 「だとすると、僕たちの長門さんはこの時空から消えてしまうことになります」 「そんな……」 俺は言葉を失った。古泉も朝比奈さんも。 次元の狭間に消えてしまいそうな、長門の小さな背中が脳裏に浮かんだ。 喫茶店を出て駅まで行って、朝比奈さんとはそこで別れた。手を振る姿がまぶしい。 「情報不足の現状では、当面は様子を見るしかありませんね。ともかく、長門さんの無事を祈るしか」 「そうだな……」 俺は古泉と別れてそのまま自宅へ帰ることにした。 長門のいない俺たちに、いったい何ができるというのだろう。 改めて気づく。いままでどんなトラブルも乗り越えることができた俺たちにとっての、あいつの存在の大きさを。 --- [END] [MojieName=キョンの消失] --- 28 その夜、俺は夢を見た。 街灯の下、公園のベンチで誰かが俺の袖を引く。 振り向くとメガネをかけたあの長門がそこにいた。 悲しそうな、なにか言いたげな表情を見せた。 「なんだ?」俺は尋ねた。 長門はなにも言葉にしなかった。ただ、俺の袖を引いていた。 長門の白い肌がまわりの闇に溶け込み、少しずつ色あせていった。 「おい長門!」俺は長門の手を握った。 薄く悲しげな表情が見えなくなり、徐々に体の輪郭が消えていく。 そして最後に、手の中のぬくもりだけが残った。 目を覚ましたとき、俺はじっとりと寝汗をかいていた。 「長門……」暗闇の天井に向かって呟いた。 そのままじっと、夢の中の長門の表情を思い出そうとした。あいつ、なにかを言いたがっていた。 時計を見ると一時を回っていた。 俺は携帯をつかんで電話をかけた。古泉、早く出ろ。 「夜中にすまん、俺は長門を追うぞ。同じ手順で」 「そう来ると思ってました」古泉は半分眠い声で言った。てっきり止められるかと思ったが。 「あいつをひとりにすると心配だ。また暴走しかねん」 「理由はそれだけではないと思いますが、まあいいでしょう。なにかご入り用なものは?」 「例の文庫本、取り戻せるか?」 「今手元にあります」 「それを持って迎えに来てほしいんだが」 「了解しました。ご自宅に伺います。三十分後に」 こういうときの古泉は頼もしく感じる。いや、はじめてか?。 --- 29 バックパックの口を開いて俺は考え込んだ。果たして何を持っていったらいいのか。 どこに行くのか、どんな世界に行くのかすら分からないのに考えても仕方がない。 下着の着替え、懐中電灯、台所にあったカロリーメイト、マッチ、救急セット、俺は手当たり次第に詰め込んだ。 車の音がして窓の外を覗くと、家の前に黒塗りのタクシーが止まっていた。 足音を潜ませて降りていくと古泉がドアを開けた。 「新川さん、夜中にすいません」俺は運転席に向かって声をかけた。 「いえいえ。お安い御用です」帰ってきたら菓子箱でも送ろう。 「とりあえず乗ってください。新川さん、学校までお願いします」古泉が言った。 車のシートで、俺はこれから起るであろうことを予想して少し震えていたかもしれない。 「あいつを見つけるまで戻らないつもりだ。いつ帰れるか分からない」 「ですが、学校と家族にはどう説明します?」 「冬休みに入ったら朝比奈さんに頼んで、俺をこの時間にタイムトラベルさせてもらえばいい。  俺自身が事情を知ってるわけだし」 「それは無事に帰ってこれたら、ですが。分かりました。  ただし帰ってくるとき、ご自分と衝突しないように注意してください」 「分かった」 --- 30 車が校門前に着いた。 「鍵がかかってたらどうしようか」 「部室棟の鍵はここにあります。校舎の防犯センサーは一時的に切ってあります」 手回しがいい。俺と古泉は誰もいない校舎に忍び込んだ。 夜の校舎には前にもハルヒと来たことはあるが、あまり歩き回ってみたいと思う風景ではないな。 部室の鍵を開けた。 俺は、ほかにいるものはと部屋を見回した。 壁に貼ってある、長門とハルヒが写っている写真に目を留めた。 去年の夏休みに孤島に行ったときのものだ。 別に形見というつもりでもなかったのだが、俺はそれを剥がしてポケットに入れた。 「これを」古泉がジップロックに入った文庫本を差し出した。 「それからこれを」 さらに茶封筒を俺に渡した。空けてみると万札が入っている。 「なんだこの大金は」 「五万円ほどあります。突然だったんでそれだけしかかき集められませんでした。  向こうの世界の具合によっては、もしかしたら必要になるかもしれませんので」 「そうか。これは預かっておく。帰って来たら耳揃えて返すからな」 --- 31 突然ドアをノックする音がして二人ともビクッとした。こんな夜中に誰だ。背筋に冷たいものが走った。 「ど……どなたですか」俺の声か、古泉の声か分からないが裏返っている。 「……喜緑です」消え入りそうな声がした。 「驚かせてごめんなさい」 喜緑さんがドアを開けておずおずと入ってきた。 「あの……長門さんを探しに行かれるんですか」情報統合思念体には隠し事はできないようだ。 「そうです。長門がやったのと同じ方法で」 「これを言付けに来たんです」 喜緑さんは手元のカバンからソフトボールくらいの球を取り出した。つやのない、漆黒の球だ。 「それはなんですか」古泉が尋ねた。 「ちょっと説明するのが難しくて、でも長門さんに渡せば分かると思います」 受け取るとずっしりと重い。 「分かりました」たぶん長門を助け出すためのスペシャルアイテムだろう。 思念体もたまには気の効いたことをするじゃないか。 「情報統合思念体はあなたを全面的に支援しています」 「長門を必ず連れて戻ると伝えてください」 「伝えます。気をつけて。無事に帰ってきてくださいね」 ささやくような喜緑さんのやさしい声にうなずいた。ええ、必ず戻ってきますとも。 --- 32 「古泉、朝比奈さんに伝えてくれ。黙って行ってしまってごめんなさい、とな」 「分かりました。こういう事態ですし、彼女も分かってくれるでしょう」 「じゃあ、はじめるか」 「もし一週間経って帰って来れないようなら、切り札として涼宮さんを動かします」 「そうならないように願う」 「幸運を」古泉はそう言って、俺と最初に出会った日のように手を差し出した。 俺はうなずいて手を握った。  古泉は笑ってはいなかった。 --- [END] [MojieName=見知らぬ世界] 見知らぬ駅のコンコース ---  長門有希の憂鬱T  二 章 --- 33 目の前に、口をあんぐり開けたおっさんがいた。 よれよれの服を着てベンチに座っている。 「あんた……今、そこに現れなかった?」前歯が一本欠けている。 「え……ええ」 「ワシゃずっと見てたんだが。あんた、そこに、いきなり現れた」 「そうですか……?たいしたことじゃありません」人がいきなり出現したなんて全然たいしたことだろうよ。 ホームレスっぽいおっさんは俺をまじまじと見つめていた。 やがて飽きたのか、目を閉じ、うとうとしはじめた。 ここはいったいどこだろうか。俺は目をこすって周りを見た。 ほっぺたをパシパシと叩いてみた。これは夢じゃない。人が大勢歩いてる。閉鎖空間でもないようだ。 どこからか列車の発車を告げるアナウンスが聞こえた。どうやら駅のコンコースらしい。 駅の名前は見慣れない、俺の知らない地名だった。 さて、これからどうするかだが。長門を探さないといけない。 俺は携帯を取り出して長門にかけた。話中の音が鳴りっぱなしで、画面を見ると圏外になっている。 「こんな繁華街で圏外か!?」 しかたないので公衆電話を探した。 ── おかけになった電話番号は、現在使用されておりません。 なんてこった。そんなはずがあるか。長門が引っ越したりするもんか。 携帯は登録されていない状態だと圏外表示になるのだということを後になって知ったのだが、 思えば、安易に電話なんかかけて簡単に見つかるだろうと思っていた俺も浅はかだった。 おかしいと思って公衆電話から自分の携帯にかけてみて、やっとそれが分かった。 --- 34 ところで今はいつだ。俺はおっさんに声をかけようとして、その向こうにキオスクを見つけた。 新聞を買いに行った。ふつーによく知られている全国紙だ。 日付は合っている。俺はてっきり七月七日にでも飛ばされたのかと思っていたが。 まあ気温がそうじゃないことはすぐに肌で分かった。 時間は……と。噴水の前にあるでかい時計が午前十時を指していた。 俺の腕時計はまだ深夜二時だった。時計を十時に合わせた。 俺は切符売り場に向かった。ここがどこであれ、いったん地元に戻らないとな。 自動券売機のコーナーでちょっと立ち止まった。JRの路線図に俺の地元が載ってない。 そんなに遠方にいるのか俺は。飛行機で行ったほうが早いかもしれないな。 俺はみどりの窓口で行き先を告げた。 「お客様、ええと、そういう名前の駅はないようなんですが。何県になります?」 窓口の駅員が怪訝な顔をしてこっちを見た。 俺は地元の県名を告げた。 「あの、その県にはおっしゃる駅はないんですが……。路線名は分かります?」 ちょっと待った。なにか妙な雰囲気だぞ。いくらなんでも駅員が知らないなんてことはあるまい。 「すいません、ちょっと調べてきます」俺はあたふたとその場を去った。 --- 35 路線を地図で調べたいんだが、どこかに本屋でもないだろうか。 駅を出て数分うろうろしているとネットカフェの看板が目に入った。 ちょうどいい。眠気覚ましにコーヒーでも飲もう。 ネットカフェに入り、チケットを買ってパソコンの前に座った。困ったときのぐーぐる様である。 GoogleMapで駅と地名を検索してみた。存在しない。ありえん……。 県名までは出てくるが俺の地元がない。地図上では別の名前になっていた。 もしかして最近流行の市町村合併か?いきなりそれはないよな。 それから知っている地名、建物、百貨店なんかを手当たり次第に検索したがいっこうに出てこない。 北高がない。いくらなんでも県立高校がなくなるなんてことはないだろう。だが存在しない。 俺は思い当たるもので検索できそうな単語を必死に入力した。 その影でなにかがささやく。この状況はもっと根本的なところでおかしい、と。 地元がないということは、つまりハルヒはじめSOS団のメンツ全員がいない。 おそらく俺の家もなく家族もいないということだろう。 前みたいに、少なくとも別の人生を歩んでいるあいつらがいてくれたら、長門もそこにいるかもしれないのだが。 その希望もあっけなく消えてしまうだろうと気が付いた。 暴走したときの長門を思い出して背筋が寒くなった。 日本の国土を書き換えるなんて、まさか長門……お前がやっちまったのか。 俺はその場で凍りついたまま動かなかった。 --- 36 ハルヒといえば、そうだ。あの文庫本だ。 ずっと手に持っていたはずなんだが、どこにやったんだろう。 入れたつもりはないんだが、バックパックの中にあった。 「手がかりはこれだけか……」 俺はパラパラとめくってみた。さっきやったように読み返してみたが、今度は何も起らない。 初版の日付が未来にずれているだけで、ほかはいたって普通のラノベだ。 俺の知ってるやつらが出演している以外は。 しばらく腕を組んで考え込んだが、どこから考えればいいのかまったく分からない。 冷めたコーヒーを飲み干して、俺はバックパックをかついだ。 ウェブブラウザを閉じる前に、俺はやっと事件の糸口を掴む単語を入力した。 これを最初に気が付かなかったのは、やっぱり俺は推理小説やミステリーには向いてないからだと思う。 “谷川流。たにがわながる、ライトノベル作家。兵庫県在住” 真っ暗闇のなか、はるか遠くにかすかに小さな光が見えた。 --- [END] [MojieName=キョンの消失続] 似ているようで異なる風景に戸惑うキョン 本を読み始めて、該当する個所にさしかかり、白球に包まれてジャンプ、駅のコンコースに出現するまでの回想 リアル世界:学校の名称が違う。制服も違う。 --- 37 一時間後、俺は新大阪行きの新幹線に乗っていた。 高速で走る車両の心地よい揺れを感じながら、いくつか分かったことを考えていた。 日時はずれていない。俺のいた日付と一致する。 だが俺の住んでいた町がない。つまり家も、北高も、SOS団のメンツもいない。 ひょっとすると日本のどこかで、俺とは接点のないまったく別の人生を歩いているあいつらがいるのかもしれないが。 この世界に存在する谷川とかいう作家が唯一の手がかりだ。接触してみれば何か分かるかもしれない。 まさか自宅に押しかけるわけにはいかないが、ちょうど書店でサイン会をやる予定らしい。 俺は自分の素性を明かすかどうか迷ったが、その結果がどうなるかは予想できないので、 とりあえず今は考えないことにした。 眠気に誘われてうとうとしはじめた。考えてみればあまり寝ていない。 夢うつつの中、俺は数時間前、部室であったことを思い返していた。 --- 38 俺は深々と冷える部室で椅子に座り、(念のため長門が座っていた椅子を窓際に持っていってから)文庫本を開いた。 内容は古泉が言っていたとおり、俺が書いた風な文体で、俺の視点から見たSOS団の懲りない面々の話だった。 ページをめくる手がやや震えていた。 俺が言うのも変だが、話としてはなかなかに笑える。 古泉が実はアレだったとか、ピンチで鶴屋さんに助けられるとか、ハルヒの意外な一面とか。 まあフィクション、ノンフィクションは別として。 というかSOS団みたいな超こっけいな集団だから、なにを書いてもネタになるだろう。 確かに登場人物には、俺の知ってるメンツは出てくる。端役とも言える俺の妹とシャミセンすら出てくる。 だがエピソードは作られた話だ。季節が時間的にずっと先の話になっているし、こんなネタはまずあり得ない。 これはつまり、俺の知らないSOS団の話じゃないか。そうとも思える。 ページをめくる手が、本の半ばにかかった頃、次のエピソードに移った。 その冒頭を読んだ瞬間、俺は目を疑った。 “「不可解な現象が起こりました」 部室に入るなり古泉がしかめ面をして見せた。” 同じセリフを数日前に聞いた。同じ場所で。 さらに長門が消えて、喜緑さんがやってきて、長門に何があったのかと尋ねる。 俺が見たのと同じ行程がそこにあった。 で、その二日後に俺は長門の夢を見て、古泉に電話して……部室に来て。 文庫を開いている俺がいる。 「俺が読んでいる本を俺が読んでいる!」いやまて、その俺を読んでる俺が読んでいるわけで、 ああっもう無駄にややこしい。 これじゃまるで二枚の鏡に写る自分じゃないか。 こんな頭痛しそうな無限ループの設定を考えたのはいったい誰だ。 --- 39 そこで俺が次のページをめくると、 “そこで俺が次のページをめくると、そこで俺が次のページをめくると、そこで俺が次のページをめくると、” めくると、そこにはただ、挿絵でナスカの地上絵にあったような象形文字が。 いつだったかハルヒと俺が東中のグラウンドに描いた、あれだった。 これの意味は確か、「わたしは、ここにいる」 その言葉をなにげなく口に出した、次の瞬間。周りがぼうっと明るくなった。 俺だけが光の球の中にいるようだ。 「長門……もしかしてこれか?」お前が遭遇したのはこれなのか。 周囲は音もなく静かで、塵ひとつ舞わない。長門が消えたときのような、嵐のような衝撃は起こらなかった。 ただ、なぜか俺以外の時間がゆるやかに巡っているような感覚はあった。 部室の様子がホワイトアウトし、よくは見えないが別の風景が見えてきた。 数十秒か数分間か、意外に長かったその白い光も徐々に消えた。 喧騒のノイズが一気にボリュームを上げて耳に入ってきた。俺は人ごみのなかにいた。 目の前に、口をぽかんと開けたおっさんが座っていた。 そこで目が覚めた。時計を見ると、最初の駅を出てまだ十分しか経っていない。 新大阪に着くまで、もう一眠りすることにした。 --- [END] [MojieName=プロット02] リアル世界の行程 谷川と会う前にいくつかクリアしなければならない点 判明する事実 ・文庫が一般に存在する ・Webに氾濫するハルヒネタ アニメ関連 ・モデルになった場所・人物  鶴屋さん→谷川氏の姪  鶴屋邸→谷川氏の祖母の家 内容が先走りすぎているんで要再考 ・1日目 次元転移当日 マルビル1Fスタバ ヨドバシB1エクセルシオール(ネットカフェ) ブックファースト梅田店1〜3F(よくイベントをやっている・3Fカフェあり 書店の下見に行く 文庫の存在を知る 阪神百貨店前の交差点でかつて閉鎖空間に入った場所だと気づく ヨドバシB1ネットカフェに入る Webでハルヒを検索 西宮へ行く(午後3時ごろか) 珈琲屋ドリーム 西宮市立中央図書館 長門マンション 24hネットカフェ・カプセルホテルで断られる(条例による午後10時以降出入り禁止 公園で野宿(ダンボーラーとの団欒 ・2日目 翌日書店で谷川流に会う マルビル1Fスタバで待ち合わせる 夕方谷川流の自宅に招かれる ・3日目 谷川邸を拠点に長門探しをはじめる 長門のメッセージ→中央図書館(新聞とハイペリオン)←イマココ 東中グラウンド ・4日目 甲陽園駅の公園ベンチ 自宅から北高までを自転車で走る コンビニ→長門のアパート [END] [MojieName=溢れかえるハルヒ] サイン会場の書店を下見に行くキョン 氾濫する文庫本を発見する --- 40 新大阪で降りて在来線に乗り換え、大阪駅まで行った。 数時間座りつづけていた俺は腰を伸ばした。 駅のホームに降り立って、なぜだか分からないが安堵に似たものを感じた。 喧騒と排気ガスと適度に汚れた空気がそこに生きる人たちの存在を感じさせる。 谷川氏のサイン会は明日だ。それまでどうやって時間を潰すか。 とりあえず書店の下見でもしておくか。俺は地下街を通って梅田駅に向かった。 ── 谷川流先生サイン会 午後二時〜。あらかじめレジにて整理券をお求めください 店頭のイベントパネルにそう書かれてあった。 「すいません、明日のサイン会の整理券ってまだあります?」 「えっと、もう残ってなかったんじゃ……。  あ、お客様、一枚だけありますわ」 「ほんとですか、くださいください」 「最後の一枚です」 レジのお姉さんのスマイルのまわりに白く靄がかかっているようで、俺には天使のように見えた。 幸先がいい。運が俺に味方しているようだ。 「漫画か小説をお買い求めいただけますか」 「ハ、ハイッ」俺は喜々として言った。もう何冊でも買って差し上げますよ。 --- 41 そこにあったものは……。 「な、なんじゃこりゃ!!」 店員と、その場にいた客の全員がこっちを見た。 平積みのテーブルに、小説、漫画、DVD、販促用のノボリ、ポップ、ポスター、すべてにハルヒがいた。 書店の一角を埋め尽くす、涼宮ハルヒコーナーとでも表現しようか。 そのときの全員に見られた俺の唖然とした表情は、まったく名状しがたいものだっただろう。 「お客様、どうかなさいました?」 「え、いえいえなんでもないです。すいません」 古泉、あのときお前の言ったことは正しかったかもしれん。こりゃまさに神扱いだ。 俺はとりあえず小説を片っ端から一冊ずつ重ねて、ろくに数えもせずレジに向かった。 俺は店員に尋ねた。 「あの……すいません、涼宮ハルヒってどれくらい知られてるんですか」 「ご存知ありません?去年アニメで大ブレイクして、おかげさまで在庫が足りないくらいですよ。  小説の発行部数が二百七十万部とか聞いてます」 「……」 これはどういう現象なんだ。ハルヒ、お前、いったいなにやらかしたんだ。 考えろ俺、この世界には俺の住んでる地元がない。なのにハルヒは存在する。これはどういうこと? 俺の世界のハルヒとこっちの世界のハルヒとは根本的に存在が違う。 アニメとか小説の類ってのは、つまり、こっちでは“架空の人物”だ。 こっちのは作られた人格で、たぶんそこにいる俺もそうだ。長門も朝比奈さんも、古泉も。 喜緑さん、あなたの言っていた未知の世界ってこれだったんですか。 --- [END] [MojieName=駅前交差点] JR大阪駅前阪神百貨店前の交差点で閉鎖空間に入った場所だと気づく 阪神電車→東阪電車 阪急→? --- 42 この謎を解くにはどうしても谷川氏に会わなくてはならない。それが鍵だ。 俺は買い占めたハルヒ小説をバックパックに無理やり押し込んで書店を出た。 レジのお姉さんに、ここから近いネットカフェを教えてもらった。 もう一度振り返ってラノベ、いやハルヒコーナーを見たが。 どう見ても違和感を感じるくらいに派手だ。 このありさま、ハルヒのやつ、まさか他所様の世界にまでちょっかい出したんじゃないだろうな。 思えば、この世界は俺のいた世界とはなにか空気が違う。 化学的に言うO2やCO2ではなくて、雰囲気というか。 曖昧だがなにかこう安心できない、殺伐としている、といったほうがいいだろうか。 俺のいた世界ではこの感覚はなかった。どこへ行こうが、自分がそこにいるという感じがあった。 俺はこっちに来て自分の希薄さを感じている。 そんなことをあれやこれや考えつつ歩道を歩いていると、 百貨店の前を通り過ぎてからなにかがひっかかった。 目の端でずっと妙な既視感を感じていたのだが、ふと足を止めて後ろを振り返った。 この風景は前にも見たことがある。 そうだ、忘れもしない閉鎖空間。いや、閉鎖空間の入り口というべきか。 朝倉が消えた次の日、古泉にタクシーに乗せられてどり着いたのが、ここだ。 若干風景が違うような気はするが。建物の形、配置は似ている。 あのとき目に焼きついた映像は忘れもしない。 --- 43 今、俺の目に映っている風景、これにどんな意味があるのかしばらく考えていた。 俺はなにかに押されるように横断歩道を歩き出した。 ここだ。ここで古泉が立ち止まり、こう言った。 ── ここまでお連れして言うのも何ですが、今ならまだ引き返せますよ。 すぐ連れ戻してくれ、今の俺ならそう言いたい。 青の信号が点滅をはじめる。俺は目を閉じて数歩を進んだ。  ……なにも、起らない。クラクションを鳴らされて俺は歩道まで走った。 なにやってんだ俺は。ここがもし閉鎖空間の入り口だったとしても、俺は超能力者じゃない。 だが俺の中にはなにかあきらめきれないものがあった。 ここと向こうの世界に、なにかつながりのようなものが欲しかった。 それから三度、同じ横断歩道をいったり来たりして、結局はあきらめた。 あきらめた後も、しばらく歩道でたたずんでいた。 知っている風景に、やっとひとつめぐり会えた。それが異空間への入り口だなんて、あまりに皮肉すぎる。 --- [END] [MojieName=ネット上のハルヒ] --- 44 やっと出合った知った風景。歩きながら何度も振り返りつつ、俺はネットカフェに向かった。 チケットを買ってパソコンの前に座った。客は少ない。 俺はバックパックからハルヒの小説を取り出した。数えてみたが十巻もある。 憂鬱、溜息、退屈、消失……。しっかしまあ、SOS団によくこれだけのネタがあったもんだ。 憂鬱から読んでみたが、どれも俺が知ってることばかりだ。当然っちゃ当然、俺が出てるんだからな。 ハルヒとの出会いも、SOS団設立のいきさつも俺の記憶どおりだ。すべて一致する。 一致するどころか俺の口調やら性格やらを完璧に表現している。 どうやったらこんなことが可能なんだろう。情報統合思念体みたいなやつが二十四時間監視でもしてたのか。 だが昨日読んだ十三巻だけは別だった。これの内容はまったく記憶にない。 俺はウェブブラウザで、困ったときのぐーぐる様を呼び出して、十三巻のタイトルで検索してみた。 検索結果 0件。やっぱりな。まだ存在するはずがない本のタイトルが出てくるわけはない。 俺はハルヒの名前を入力してみた。数十件くらいは出てくるだろう。 ── 涼宮ハルヒ の検索結果 約3,720,000件 さ……さん……ありかよ!思わず声に出してそう叫びそうになった。ハルヒだけで三百七十二万件だと!?。 あいつはこの情報社会を征服するつもりか。 ── 長門有希 の検索結果 約947,000件 ── 朝比奈みくる の検索結果 約677,000件 ── 古泉一樹 の検索結果 約152,000件 俺はもう笑いが止まらなかった。お前ら、こんなところにいやがったのかよ。 俺はそれで安堵したというか、あきらめの境地というか。みるみる顔がゆるんでいく。 すべては妄想の産物で、現実の場所を探していたのは間違いだったわけか。 --- 45 俺は我に返った。長門は現実にいるはずだ。この九十四万件余の中に必ずいるはずだ。 いたとしても探し出すのは至難の業にちがいないが。 長門有希とは-はてなダイアリー、長門有希フィギュア、長門有希の百冊、長門有希同盟?なんじゃこりゃ。 無数のうちの五十件目くらいだったか、ひとつだけ気になるサイトがあった。 ── 長門有希の中央図書館 図書館か。外観の写真が載っていた。俺と長門が訪れたアレに似ている。 もし長門が俺を待っているとしたら、図書館周辺になにかを残しているかもしれない。十分考えられる。 この図書館どこにあるんだ?……西宮市か。 なにかが閃いた。俺はバックパックを担いですぐさま店を飛び出した。 コーヒーもネカフェのチケットもどうでもいい。 今すぐ、図書館へ。そこになにかがあるはず。長門はそこにいる。頼むからいてくれ。 --- [END] [MojieName=西宮探訪] 珈琲屋ドリーム(分裂の喜緑江美里のバイト先 要チェック 中央図書館 記憶を失った人間がそれを取り戻しつつある状態では、同じ行程を辿る。 --- 46 俺は梅田から電車に飛び乗った。行き先は西宮。路線図を辿ると西宮北口と書いてある。 「これ……あの北口駅か?」 俺の知ってる鉄道会社とは名前が若干違うが、車両も知っている、このアナウンスも耳慣れている。 なんとなくではあるが、見慣れている気がする風景が車窓を流れていく。 俺は狂喜した。俺の地元はすぐそこだ、確信があった。 「北口だ!北口駅じゃないか!」 改札を出た俺はまるで、独裁政権下の圧制から亡命してきて飛行機から今降り立った市民のように 地面にキスでもしそうな勢いだった。消えたわけじゃない、名前が違うだけで実在するんだ。 目の前に広がるこの空間、ここでSOS団のメンツが集合し、喫茶店に入り、遅れて来た俺が毎回勘定を払う。 「遅い!罰金!」 そこにハルヒがいて、相変わらず制服しか着てこない長門がいて、美しく着飾った朝比奈さんがいれば、 いつもの俺の生活圏じゃないか。 まあ爽やかスマイルの古泉はどうでもいいんだが、いてくれたほうがいい。 --- 47 駅前の小さな書店で市内の地図を買った。 縮尺が小さくていまいち分かりづらいが、地名を知る程度なら十分だ。 北口駅、甲陽園駅、路線名と駅名は違うが確かにある。 つまり、俺の知ってる人物はいないが、施設や建築物はある、ということになるな。 俺はこの空間のどこまでが俺の現実と一致しているのかを確かめることにした。 駅前公園から北へ数分歩く。果たしてそれは、あった。ドリーム! 忘れることがあってたまろうか。厳しい小遣いのなかからこの店につぎ込んだ飲食費は相当なものだ。 そういえばここで喜緑さんがバイトしてたこともあったな。とりあえずいつものように俺はドアをくぐった。 内装は若干違う気がするが、同じ焙煎コーヒーの匂いがして少し安心した。 いつものテーブルにつくと店員がやってきた。 顔をまじまじと見てみるが、俺には見覚えがない。 「いらっしゃいませ。お客さん、もしかしてハルヒ見ていらしたんですか」 俺が手にしている文庫本を見ながら言った。 「え…ええまあ」いつも来慣れていて馴染みの客のつもりだったが、今回は冷や汗ものだった。 俺がキョン本人だなんてとても言えない。それに俺はアニオタでもないから。 そう。この席だ。SOS団一同、市内不思議パトロールと称してただその辺を練り歩いただけの一日。 結局ハルヒが何をしたかったのか、俺にも分からん。 一度は朝比奈さんと既定事項作りに奔走したが、あれはハルヒの知るところではないはず。 コーヒーをすすりながらそんなことを思い出していた。味も香りも同じだった。 とりあえず閉鎖空間の入り口と、北口駅と、この喫茶店。 若干風景が違うものの、知っている場所が存在することは分かった。俺の既定事項はまだあるはずだ。 そうだ。図書館に行こう。 時計を見ると四時を回っていた。あまりゆっくりもしていられない。 --- [END] [MojieName=図書館] 一度目の図書館 ただ行き交う客を眺めているだけで終わる 似てる風体の女の子を見かけるがただの人違いで終わる --- 49 西宮中央図書館、ウェブサイトにはそうあった。 名前は似ているが果たして俺の知るままで存在するのか。 北口駅から南西に向かって歩く。 このコース、第一回市内不思議パトロールのとき、長門と歩いた道だ。 しかし考えてみれば、市立図書館といえば北口駅のすぐ真北のビルに支所があるのに、 なんでわざわざ中央図書館まで歩いたりしたのか、我ながら不思議だ。 歩いていくと、ところどころで知っている建物は見かけた。ジロジロと見るのはまずいのでさりげなく通り過ぎた。 俺は気付いた。似ている、と、まったく同じ、とは違う。 この、部分的に似ていてその他は違うという地理、街の景観はいったい何なのだろうか。 誰がこれを作ったのだろう?。長門なら納得のいく答えを持っているかもしれない。 図書館に着いたのは五時過ぎていた。 ここから北に十分くらいのところに駅があったのだが、途中になにかヒントでもないかと思い、延々ここまで歩いた。 俺の知る図書館と外観は同じだ。中に入ると暖房の効いた部屋が俺を迎えた。人は空いていた。 さてこれからどうしたものかと、周りを見回した。長門らしき人影がいないかと、 書架をうろうろしてみたが、まったく見当たらない。歩き疲れた俺は椅子に腰かけた。 あのとき、長門に貸し出しカードを作ってやったんだったな。 俺は立ち上がって、あのときと同じ、“学校を出よう”を探した。 それから居眠りをし、マナーモードにしていた携帯に起こされたんだ。 ポケットから携帯を取り出してみたが、圏外表示は変わらない。 “学校を出よう”は離れたところで見つけた。知っているはずの文庫小説のコーナーは別の棚になっていた。 記憶喪失の患者が、記憶を取り戻しつつある状態になると、それを失う前にやっていた同じ行程を辿る。 今の俺はまさにそんな感じだった。 --- 50 これから何をすればいいのか考えていなかった。考えるより先に足が進んでしまう俺の悪い癖だ。 俺は出入りする人をじっと観察することにした。万が一、知っている顔が通るかもしれない。 この時期、受験が近いからか学生が多いようだ。 腕組みをしてしばらく眺めていたのだが、ついうとうとし、気が付くとそろそろ閉館時間が来ていた。 携帯には起こされなかった。 俺はバックパックを背負って、持っていた文庫を棚に返しに行こうとした。 文庫小説の棚の前に、きゃしゃなセーラー服の後姿を見た。 「な、長門!」つい叫んでしまった。 肩に手を触れてしまい、そして振り返ったその子は、メガネをかけ、短髪で風貌は似ているのだが長門ではなかった。 「あ……すいません。人違いでした」 女子高生は顔に縦線を入れて俺を見ていた。ちゃうって、俺アニオタじゃないって。 俺は顔から火が出そうになり、そそくさとその場を逃げ出した。 俺は寝ぼけていたんだと思う。 閉館のアナウンスが流れた。時計の針が七時を指した。俺は図書館を後にした。 --- [END] [MojieName=長門マンション] 長門マンション --- 51 長門、俺がやってることは間違ってないよなぁ?なあ? 図書館で見知らぬ女子高生に話し掛けるなんて、どう見てもナンパです。本当に。 俺は間違っていないんだと、無理にでも自分に言い聞かせつつ図書館を後にした。 これで既定事項は四つ目か。 来た道を戻らず、まっすぐ北に向かって歩き、夙川駅までたどり着いた。 ここまで来たんだ、どうせなら本拠地に行こう。 そう、甲陽園駅に。その名前からして、どう考えても光陽園駅じゃないか。 俺は電車に乗り込んだ。下り線はもう帰りの通勤客でいっぱいだ。 車窓の外はもう日が暮れていた。俺は見慣れた風景が見えないかとじっと外を見ていた。 桜並木がある川沿いの公園は分かった。 朝比奈さんからトンデモ告白をされて、ハルヒが時期はずれに花を咲かせてしまったあの公園の桜だ。 甲陽園駅に着くと、登り電車になり、学生の姿をちらほら見かけた。 大阪駅、西宮北口、甲陽園駅と辿るにつれて、俺の郷愁がうずく。少しずつ核心に近づいている気がする。 だがそいつらのは見慣れない制服だった。 -- 52 駅を出て坂道を登る。 そう、俺が目指しているのは長門の住む、もしくは住んでいるはずのマンションだった。 ちゃんとある。マンションが見えたが、若干違う気がする。玄関口は似ているが。 四年前の七夕の日、そのときの長門は初対面の俺と朝比奈さんを迎え入れてくれた。 誰も頼れる人がいない、見知らぬ場所(厳密には時間だが)で長門に会ったとき、安堵の溜息が出たものだ。 正直、長門がそこにいるとは思ってはいなかったが、俺は一縷の望みにかけた。 俺はオートロックのインターホンで七〇八を押した。この馴染みの番号を押すのは何度目だろう。 「宅急便です、斉藤さんちはこちらでよろしいでしょうか」 スピーカーから聞こえてきた怒鳴り声は、長門の声とは似ても似つかないものだった。 「ちょいとアンタ!またオタクの人!?いいかげんにしないと警察呼ぶわよ!」 「スイマセン!」 なんだなんだ、宅急便が嫌いなのか?俺はそそくさと退散した。 アニメオタクとは人聞きの悪い。 えーとつまり、長門がここに住んでると思ってるやつがいて、 ここの住民はそいつらのいたずらに迷惑しているということか?。 ここのインターホンにはカメラが付いてたんだった。うかつだったな。 せめて配達員らいし帽子でも被るべきだった。 --- [END] [MojieName=ガード下で野宿] カプセルホテルで宿泊を断られてJR高架下で野宿 公園はないらしい 梅田周辺ではホームレスが減ってるらしい 難波には多いらしい --- 52 さっき怒鳴られた声で一気に疲れが出た気がする。腹も減った。とりあえず大阪駅に戻ろう。 いつもの俺ならこの時間に登りの電車に乗ることはないんだが、下校する学生に混じって梅田駅を目指した。 俺の北高はこっちではどうなってるのか確かめたいところだったが、今日は撤退することにした。時間も時間だ。 それに今晩どこに泊まるか考えないといけない。 午前中に行った二十四時間営業のネットカフェで深夜パックを買おうかと思っていたのだが、甘かった。 「お客さん、学生さんよね。ごめんねー、十八才未満の人、十時以降はだめなんだよねぇ」 「あ、そうなんですか……。あの、実は今日行くところがなくて……。一晩だけお願いできませんか」 俺はすがるような目でレジのおばちゃんを見つめてみた。 「ごめんねぇ。最近、青少年条例とやらが厳しくてね。夜たまにおまわりさんが巡回してくるのよね。  未成年を泊めたことがバレたら営業停止させられちまう」 俺のために営業停止に追い込むわけにはいかない。これ以上は頼めなかった。 となると、あとはまっとうな宿泊施設か。まっとうと言ってもそんな高い料金は払えない。 風呂に入るのもいいかと思い、カプセルホテルに入ってみた。 「あー、お客さん身分証とかある?十八才未満はだめなんだわ。ジョウレイよジョウレイ」 「はぁ。そうなんですか」ここもだめか。 残るは観光ホテルだが、この辺の高級ホテルは一泊二万くらいはするだろう。そんな金額とても払えない。 こうなりゃ野宿するしかないか。この寒風吹きすさぶ師走にか?。 二十四時間のファミレスとかで時間を潰してもかまわないんだが、それこそ補導されてしまう。 そんなことになったら身元を証明するどころか、病院送りにされるのがオチだ。 アッチの世界から来ました、なんてとても言えない。 駅ビルのハンバーガーショップで晩飯を食いながら、これからのことを考えた。 もしこのまま長門が見つからず、向こうの世界に帰ることもできなかったら。 簡単にあきらめるわけにはいかないが、これが長期戦になるんだとしたら、 とりあえず食っていくことを考えないといけないかもしれない。しかし住むところもないしな。 ドヤ街でしばらく寝泊りして、学生OKなバイト先を探して、なんて柄にもないことを考えていた。 --- 53 俺はMサイズのコーラをズルズルと飲み干して店を出た。 駅周辺をあてもなく歩いていると、ガード下に段ボールのかたまりを見つけた。 ホームレスが住んでいるらしい。あれ、借りようかな。 ちょっと躊躇したが、贅沢は言ってられない。 俺は一度、駅ビルに戻った。荷物を全部コインロッカーに預け、身軽にしておく。 財布から札を抜き取り、二〜三千円だけ持っておく。 手土産にコンビニで酒とつまみを調達したいんだが、未成年の俺に売ってくれるだろうか。 客が多いコンビニを選んで入った。缶ビールを数本、袋のつまみ、弁当をカゴに入れてレジに並んだ。 店員はチラと俺を見たが何も言わなかった。 どう見ても十八才未満なのにな。汚れた格好してたから見逃してくれたのか。 うす暗いガード下に行った。 電車がひっきりなしにガタゴトと音を立てている。こんなとこでよく眠れるよな。 ホームレスは数人いるようだ。リヤカーに畳んだ段ボール箱が山積みしてあった。 あれを一枚だけ分けてもらおう。 俺は多少はマシそうな格好をしているホームレスのおっさんに話し掛けた。 「あの、スイマセン」 ちょっと怖かったが、ここで寝るにはどうしてもホームレスの許可がいりそうな気がした。 「なんだぁ役人か!ワシはここから動かねーぞ!」 「いえ、違うんです。段ボールを一晩貸してもらえないかと」 「ワシの家を貸せだと?どこの馬の骨か知らんテメェに貸すような──」 「差し入れもあります」俺は缶ビールを差し出した。 それをまじまじと見て、おっさんは考え直したようだ。 --- 54 「ガハハハ。まあ座れ。あんちゃん、家出か」おっさんは歯の抜けた口を大きく開けながら笑った。 「いえ。家に帰りたいんですが、今日は泊まるところがなくて」 「そうかあ。ま、人生にはそういう日もあるわなぁ。とりあえず飲め」 「はい。いただきます」俺は正座して自分が買ってきたビールを飲んだ。 ほんとは飲めないんだが、付き合っていたほうがよさそうな雰囲気なのと、 正直酔っ払いたい気分でもあった。 「あんちゃん、正座なんかしねーで足くずせよ。ミカーサ、スカーサって言うだろ」 このおっさん南米人か。 おっさんとぼそぼそと話しているとまわりのホームレスが集まってきた。 「サンちゃん、珍しくお客さんかい。もしかして息子かい?」 「子供がいたなんて初耳たぜサンキチ、おめー隅におけねーな」 「女に縁のないワシに息子がおるわけなかろうがバカタレ」おっさんは唾を飛ばして怒鳴った。 「で、あんちゃん、親父と喧嘩でもしたんか?」おっさんは俺の肩を叩いた。 「いえ、そういうわけじゃないんですが」 「ワシなんかよ、十五歳で家を飛び出してそれっきりよ。あ、一度だけ帰ったかな。妹の結婚式に。  そんときゃ親戚一同からどやされてよ。何しに帰ってきやがった!よ。  オレは思ったね。これが血を分けたやつらの言うことかよ、とね。それっきりよ」 おっさん達が涙ぐんでいる。なんなんだ、この安いドラマみたいな展開は。 「んだんだ。遠くの親類より近くの隣人ってやつだぁ。  昔から言うべや、袖の触れ合うも多少の縁、てな」 --- 55 「で、あんちゃん、親父と喧嘩でもしたんか?」酔っ払いは何度も同じ質問をする。 「いえ、実は人を探してまして」 「コレか」おっさんが小指を立てた。まわりがドッとはやし立てた。 「憎いわね、この色男っ」シナを作ってみせるおっさんたちに鳥肌が立った。 「で、どんな女よ?」だから違うって。 俺はポケットから長門の写真を取り出した。 「こっちの、髪の短いほうなんですが」 「どれどれ見せてみい。おおっ!えらくベッピンじゃねえかよ」 見せろ見せろと、おっさん達の間で写真の取り合いになった。 俺にはそれが女に餓えたケモノの群れのように見えた。頼むから破らないでくれよ。 サンちゃんと呼ばれたおっさんが俺の目をまっすぐに見つめて言う。 「あんちゃん。ワシは女を見る眼はないが、人を見る目はある。  この二人、どっちを選ぶかであんたの人生は大きく変わる」 このおっさんは神がかったことを言う。どっちを選ぶって、なにを選ぶんだ?。 --- 56 もう歳も暮れ、寒風が吹き付ける大阪のガード下、電車が通るたびにガンガンと耳が鳴る一角で、 妙に若いホームレスが混じった酒宴が賑やかだった。 こっちの世界に来てはじめて何かの暖かさを感じた気がする。 おっさんたちの、酒臭い息にまじった苦労話を聞きながら俺はうんうんと生返事をした。 それからどうなったのか、記憶があやふやだ。 ただ、まわりの風景がぐるぐる回りだしたところまでは覚えている。 --- [END] [MojieName=サイン会] 谷川邸は鶴屋邸のモデルということにする マルビルのスタバにて ---  長門有希の憂鬱T  三 章 --- 57 俺はひどい頭痛と轟音とともに目が覚めた。 自分がどこにいるのかしばらく分からず、起き上がったところで天井に頭をぶつけた。 あれ、こんなところに天井があったかな。 そうだった。俺は泊まるところがなくてホームレスに段ボール箱を借りたんだった。 頭上では電車がひっきりなしに行き来している。 俺はそろそろと箱の外に出た。寒い。震え上がってまた中に戻った。 段ボール箱の中、意外に保温性があるんだな。手放せないわけだ。 俺はジャンパーを着込み、身をすくめてやっと外に出た。 一晩の宿は冷蔵庫の箱だった。それを見てまた寒気がした。 時計を見ると七時だった。おっさんたちはまだ寝息を立てているようだ。 俺はサンちゃんの家に、その玄関らしきところからありがとうと書いたメモに千円札を挟んで差し込んだ。 もしかしたら明日も世話になるかもしれない、などと不安と期待の入り混じった気持ちを残しつつ、その場を離れた。 俺は駅のコインロッカーに荷物を取りに行った。 重たい文庫の山が入ったバックパックを取り出した。 財布の中身を確かめた。残りはあと三万ちょいだ。 確かに金がないと身動きが取れない。古泉、恩に着るぜ。 俺は極力節約することにした。簡単に考えていたが、五万という金額はあっという間に消えてしまうだろう。 このままいけば金は確実に底をつく。それまでに長門を見つけないとな。 --- 58 背伸びをしても腰が痛い。 風呂にも入りたいが、この辺に安い銭湯とか健康ランドみたいな施設はないだろうか。 この時間にやってるはずもないよな。 二十四時間営業のネットカフェならシャワーがあるな。 もう七時だから十八才未満でもかまわんだろう、ついでに飯も食おう。 俺は六時間パック料金を払い、とりあえず昼まではここで過ごすことにした。まだ眠い。 シャワーのお湯はややぬるいが、ホコリと排気ガスにまみれた俺にとっては天使の水がめから流れ落ちる滝だった。 ほんとはブースとかフラットシートでゆっくりしたかったが、料金が安いオープン席にした。 パソコンの前に座り、ヘッドホンをかけて音量をミュートにし、そのまま腕を組んで眠り込んだ。 画面にはスクリーンセーバが写っているだけだった。 「── お客様、お客様」 店員に起こされた。 「そろそろお時間ですが、延長なさいますか?」 ああ、もうそんな時間か。俺は口から垂れていたよだれを拭いて、一旦出ますと断った。 六時間もこの姿勢でよく眠れたもんだ。立ち上がって背伸びをした。夢さえも見なかったようだ。 朝飯を食うのを忘れていたせいか、心地よい空腹感を感じた。 ちょうど一時だ。飯を食ってサイン会場に向かおう。 ---- 59 昨日訪れた書店に向かった。 エスカレータを降りてすぐ、もう人だかりが出来ているのが見えた。 谷川流先生サイン会にお越しのお客様は並んでお待ちください、と立て札に書いてあった。 しょうがない、最後尾で待つか。先着百五十名とあったから、俺は百五十番目くらいか。 女子学生やら、見るからにアニオタ少年やら、中年のオバさんやらに混じって耐えること耐えること小一時間。 二時十五分ごろ、行列にようやく動きがあった。前のほうで拍手が沸いたので、先生とやらが登場したのだろう。 ポップやら登りやらが取り囲む中で、テーブルについた中年の(おっさんと言っちゃ失礼かもしれないが) 痩せ型の青年がいた。中年の青年って何だ?まあその間くらいか。 テーブルには文庫が平積みしてあった。そこには俺が持っている十三巻はなかった。 行列も終盤、谷川氏の笑顔にやや疲労が見える。 「谷川……さんですか」 「そうです」 「サインお願いします」俺はバックパックから昨日買った文庫を取り出した。 「はい、お宛名は?」谷川氏はマジックを取り出してキャップを外した。 「キョンです」 「え?キョン君?」ウケを狙ったわけじゃないんだが、谷川氏は笑いそうになった。 それから俺はバックパックから例の文庫本を出して見せた。 「ちょっとこれのことで内々にお話したいことが」 「……」谷川氏には分かったようだ。俺が持っているこの十三巻は、まだ存在していないはずだ。 「十五分ほど時間取っていただけませんか。重要なんです」 「あそう。……じゃあ、五時ごろマルビルのスタバで会えるかな?」谷川氏はこっそり耳打ちした。 「分かりました。じゃあ五時に」 俺は礼を言ってその場を離れた。 谷川氏は次の客がサインをせかすのに笑顔を見せながら、片方で怪訝な顔をしていた。 ええと、マルビルってどっちだ。 --- 60 俺はそれからの小二時間を一杯のチャイラテで過ごした。 こないだまとめ買いしたハルヒの文庫本を読みつづけた。 これに書いてあることは、すべて事実だ。 俺にもよく分からんのだが、ここまで忠実に表現できるのは、 谷川氏と俺のいた世界には密接なかかわりがあると考えるのが妥当だろう。 店員がチラチラとこっちを見るので、チャイラテをもう一杯頼もうかどうしようかと考えていたら、腕時計が五時を回った。 しばらくして谷川氏が入ってきた。こっちに気がついて手を振った。俺は椅子から立ち上がって深くお辞儀をした。 たぶんこの人にしか助けてもらえない、そんな気がしていた。 「お忙しいところすいません」 「いやいや、かまわないよ。今日はもう一仕事終えたから」 谷川氏がチラチラと俺の手元を見ている。気になっているようだ。 「ああ、これは昨日買い集めたんです。見せたいのはこっちのほうです」 十三巻を取り出した。 「日付を見てもらえますか」 「これ、一年後だね。同人がネタで作ったの?」 「そうじゃありません。実物だと思います。未来から送られてきた」“未来”というところをわざと強調した。 谷川氏が唖然としていた。いつもの俺ならそうする。 「それに、発行が角川と書いてあります。  同人サークルは出版社を騙ることはしませんし」これは古泉の受け売りだ。 俺は自分のいた世界のことを話した。SOS団、ハルヒ、その周辺。 「驚かれるかもしれませんが、あなたの書いた小説は俺の身に実際にあったことなんです」 「キミの話だと、まるで僕の本から出てきたような印象を受けるが……」微妙に、不審者を見る目だ。 「そうとも言えます。よく分かりませんが、あなたの作った世界は実在するんです」 「よくわからん……というより信じられん。最近は成りきりキャラみたいな人が多いんでね。コスプレとか声真似とか」 「ええ。俺も昨日、アニメオタクと間違われました」 --- 61 「なにか確信を得られるようなものはあるかな?証拠というか」 「証拠ですか……向こうでの俺の記憶くらいでしょうかね」 「キミの本名は?本編には書いてないんで誰も知らないはずだが」 俺は自分の名前を告げた。 「……」谷川氏は無言で俺を見つめた。 「全部、とりあえず保留でいいかな。別世界とか、この存在しないはずの十三巻とか」 前に似たようなセリフを誰かに言った覚えがあるな。 「ええ。俺はその、なにか特殊な能力があるわけじゃなくて、ふつーにその辺にいる高校生と同じですから」 「それを聞いて安心した」 「このシリーズのストーリーはどうやって思いついたんですか?」 「四、五年前だったか、新聞記事にとある事件が載っていてそれで閃いたのがきっかけかな」 「とある事件といいますと」 「地元の中学校のグラウンドに謎の地上絵が出現した」 俺の髪の毛がピクリと動いた。 「記事によれば子供のいたずらだろうってことで、結局犯人は分からなかったらしいんだが。  それが子供が描いたにしちゃえらく精密に描かれていてね」 「その絵ってもしかしてこれですか」俺は十三巻の挿絵を示した。 「そうそう、それ。アニメにも出てたよね」 「ちょうどこの挿絵にかかったところで、こっちの世界に飛ばされたんです」 「そんなことが起るとは……」 谷川氏は腕を組んでしばらく考え込んだ。 --- 62 もうここまできたら、本来の目的を言うしかない。 「それで、長門有希のことなんですが、あいつはすでにこっちの世界に来ているかもしれません」 「それはほんとか」 「長門が消えたのは俺のいた時間で三日前なんですが、あいつから接触はありませんでしたか」 「うーん……ファンの女の子は多いし、イベントでもコスプレしてる子が多いし。  もしそんな子が接触してきてたとしても覚えていないかもしれない」 「なにか特別なメッセージとか、手紙とか」 「どうだろうね」谷川氏は考え込んでいた。 俺が長門ならどうするだろう?唯一の接点である谷川氏とコンタクトを取るには?そして俺にメッセージを残すには? 「長門を探し出すために手を貸してもらえませんか」 「ちょっと考えさせてもらっていいかな。調べたいこともある」 「明日また会えますか?」 「明日は三時から一時間くらいまでなら時間取れるよ」 「じゃあまた明日ここに来ます」 「一応連絡先を教えてくれないか」 「ええと、今こっちの世界では連絡手段が何もなくて。俺の携帯も使えないんです」 「え、じゃあ今どこに住んでるの?」 「住んでるところはありません。カプセルホテルやらネットカフェやらをはしごしてます」 さすがに高架ガード下で寝ましたとは言えなかった。 「そりゃ体壊すよキミ……」 「ええ。でも身寄りもありませんし」 「なんとかしてやりたいけど、……キミさえよければうちの客間に泊まってもらってもかまわないが」 願ったりだ。もうあの段ボールで寝たときの腰の痛さときたら。 「ほ、ほんとですか。助かります」 もうがっついていた、俺。このときほど人の親切が身に染みたことはなかった。 --- [END] [MojieName=谷川邸] 谷川氏のおばあちゃんの家 鶴屋邸のモデル とりあえずここを拠点にする 無限ループの話 作中の人物が自らその物語を読む矛盾 --- 63 「とりあえず、うちに行こう。うちというか、僕の祖母の家なんだけどね」 谷川氏とタクシーに乗り込んだ。運転手は残念ながら新川さんではない。 「谷川さんて西宮が地元なんですか」 「そうだよ。北高出身だし」 「え……北高ってこっちにも実在するんですか?」 「いちおうモデルになったのはある。  僕が通ってたのは、ふた昔くらい前だから若干雰囲気違うけど」 「じゃあこの小説に出てくる建物やら、街はみんな実在する?」 「するよ」 「知りませんでした。昨日、思い当たる節があって図書館と甲陽園駅に行ってみたんです。  俺の知ってる風景とそっくり同じだったんで安心したというか、驚いたというか」 「そう。あの辺はファンがよく観光してるらしいね」 「うわ……それでですか」 「なにかあったのかい?」 「実は、長門が住んでるんじゃないかと思ってマンションのインターホンを押したんです。  オバさんに怒鳴りつけられました」 谷川氏はあははと笑った。 「アニメがヒットして、住民はえらく迷惑してるだろうね。  あのマンション、現物が分からないように絵の位置を変えたりはしたんだけど」 「これじゃうかつに探して回れないですね」 「あの辺はうろうろしないほうがいいかもねえ」 しかしまあ、俺とこの世界との接点が見えてきて、ちょっと安心した。 長門がいるとしたら、あいつもその繋がりに気付いたに違いない。 --- 64 一時間くらいしてタクシーが止まった。 「着いたよ」 俺はドアから降りた。 「こっちだ」谷川氏が指したのは日本建築のお屋敷だった。 「こ……これ、もしかして鶴屋さ……」 「ああ、そうそう。鶴屋家の屋敷のモデルはここなんだ」 あれと同じ漆喰の壁が続いている。俺は感激した。知っている、これならよく知っている。 ハルヒの映画で舞台に使わせてもらい、朝比奈みちるさんをかくまってもらい、それからそれから。 くぐり戸から母屋の玄関までがやたら遠い、あの鶴屋邸だ。 「もしかして鶴屋さんもいるんですか?」 「さあ、それはどうかな」谷川氏はプッと笑った。 重たい玄関の戸を開けて中に案内された。土間だけで軽く俺の部屋くらいはある。 和服を着付けた鶴屋さんが今にも出てきそうな雰囲気だった。 「ばあちゃん!ばあちゃんいるかい?」谷川氏は奥に向かって叫んだ。 和服に身を包んだ小柄なおばあちゃんが、しゃなりしゃなりと出てきた。 「おやまあ珍しいじゃないか、お友達かい?上がっとくれっ」 な、なんか微妙に鶴屋さんっぽい。 「観光に来た友達のキョン君なんだけど、今日、泊めてもらえる?」 「いいともさ。ささ、奥にお上がり。お湯もたんっと沸いてるさね」 俺はおばあちゃんに向かって、すいませんお邪魔しますと言って靴を脱いだ。 廊下を進むと木と漆喰の匂いがした。この匂い、鶴屋さんちと同じだ。 「キョンさんは、」おばあちゃんがふと振り向いて言った。 「スモークチーズは好きかい?」 もう笑うしかなかった。 --- 65 二十帖くらいはありそうなお座敷に通された。 俺は部屋の隅にバックパックを置いて、所在なさげに見回した。どこに座ればいいのか迷う。 「あの、離れってあるんですか?」 「隠居のことかな、たぶん空いてるよ。そっちがいい?」 「ちょっと、落ち着かなくて」まるで朝比奈さんみたいな口調の俺だ。 茶室みたいなこじんまりした造りの、離れに案内された。 「鶴屋さんちとまったく同じですね」 「うん。わりと凝った和建築の様式らしいよ。こまごました、明かりとり用の窓とか、この欄間とか建具類も」 「へえ」築百年くらいは年季が入っている気がする。 「先に風呂を案内するから、来て」 風呂ですか、ありがたい。鶴屋家はたしか、檜風呂だった気がする。 「残念ながら風呂だけはステンレスなんだ。檜はカビたり腐ったり、手入れがたいへんでね」 そうなんですか。鶴屋家も屋敷のメンテナンスに苦労してるんだろうな。 「お湯がぬるかったら蛇口ひねれば出るから。あと、浴衣置いとくから使って」 まったくかたじけない。 突然現れてあっちの世界から来ましたなんて延々電波なことを言ったあげく、 泊まるところがないからと上がり込んだりして、風呂まで借りて、俺ってなんて図々しいんだ。 大人四人が楽に入れそうな浴槽に浸かりながら、俺は体の疲れをほぐした。 今日はネットカフェで寝ていただけで、たいしたことはしてないが、繁華街を歩いてるだけで疲れる気がする。 谷川氏の好意で、しばらく、といってもいつまでかは分からないが、綿の入った布団で眠れそうだ。 まったく、外で寝るのは体力も気力も消耗する。 あのホームレスのおっさん、風邪ひいてないだろうか。 --- 66 渡された浴衣を着込むと、気持ちまで和風になってきて、その雰囲気に馴染んでる自分がいた。 こういう純日本人らしい生活スタイルもいいよな。 浴室を出ると、おばあちゃんがそのままじゃ風邪を引くだろうからと半纏を貸してくれた。 なんてやさしいおばあちゃんだ。感涙だ。 食堂に呼ばれて中に入ると先に谷川氏が来ていた。食卓には漆塗りの食器が並んでいた。 「若い人が好むようなものは、ないんだけどね」 いえいえ、ファーストフードで飢えをしのいでいた俺には、天皇の料理番が作るほどの高級料理ですよ。 味噌汁が、うまい。おふくろには悪いが、うちの味噌汁よりうまい。 そう言うとおばあちゃんは顔をくしゃくしゃにして笑った。 --- 67 「キミの世界の話を聞かせてくれないかな。家族とか、友達とか」 そうですね、と口を開きかけてチラとおばあちゃんを見た。 「ああ、気にしないでいいよ。おばあちゃんは他人の秘密には干渉しない人だから」 またしても鶴屋さんスタイルだな。 「干渉しないから、かえって秘密が舞い込んでくるんだけどね」 それはうらやましい。情報通ですね。 「ええと、俺の家族は親父とおふくろと、妹がひとり、これが最近マセてきて小うるさくて。  あとは拾った三毛猫が一匹」 この辺は谷川氏も知ってるだろう。あの文庫に書いてないようなことを言わなくてはな。 シャミセンに彼女らしきものが出来たとか、妹の部屋でつい日記を盗み読んでしまって 片思いの相手がいることを知ったとか、まあ家族の細かい話だ。 「初耳だ。その辺は僕の小説にはないね」 こういう日常的な仔細を小説の中で表現するには限界があるかもしれない。 「キミには彼女はいないのか?」 話の展開からすると、ここでギクリとするべきなんだろうが、あいにくとそういう関係はなかった。 「それは谷川さんがいちばん知ってることでしょうに」 「そういえばそうだね」谷川氏は頭をかいた。 「キミはハルヒと長門有希、どっちがいいと思う?」 答えに詰まる質問だ。 「どっちと聞かれても、そういう目で二人を見たことはないんです」 って谷川さん、朝比奈さんって線はまったくないんですか。 「なにかこう、伏線があったはずじゃないか」谷川氏の目は、ちょっとワクワクしている。 「伏線……ね。そういえば雪山の山荘とか、長門の暴走とか、バレンタインデーとか、  二人が妙な行動をすることはありましたが。もしかしてあれ、そうなんですか」 「まあ、キミには一切が分からないように話を展開させてるから、しょうがないんだけどね」 「俺の知らない水面下でそんな話が進んでたりするんですか」俺は苦笑した。 --- 68 「って、あれ!?僕はまだキミが向こうの世界から来たと確信したわけじゃないんだが」 谷川氏は、はははと笑った。 「こうやって自分の頭の中で組み立ててることを他人とまじめに会話するってのは、楽しいね。  新しい発見があるかもしれない。今後の展開の参考にしよう」 なにやらメモをはじめた。 「キミが話してくれた事件もメモっとくよ」 なにやら謎めいた記号みたいなもの書いている谷川氏を見て、俺はふと思いついた。 「これ、もしかして既定事項なんじゃありませんか」 「というと?」 「俺が話した内容で、谷川さんがこれから十三巻を書くわけです」 「なるほどね」ちょっと考え込んだふうだった。 「ええと、じゃあ僕がキミから話を聞いて十三巻を書くとして、  キミが持ってきた十三巻を最初に書いたのは誰?」 えーと……。これは重大な問題だった。卵が先かニワトリが先か。 谷川氏は笑った。「これはタイムトラベルをする者の、悲しいサガ、だね」 俺はそのセリフになぜかデジャヴを感じた。 --- 69 二人で考え込んでいると、あの部室でのことを思い出した。 「あの十三巻は、読んでると話がループするんです」 「そうなのか」 「つまり、俺が読んでるシーンを読んでる俺が、それを読んでるシーンをまた俺が、」 頭痛くなってきた。 「二枚の合わせ鏡みたいで、まともに読みつづけられないんです」 「それ、作中の人物がその物語を読むパラドクスだね。似たような話はある」 「それじゃ物語が進まないですね」 「……もしかすると、そのループが次元の歪みを生んだのでは?」 「俺にはちょっと難しいです」 「つまり、二枚の鏡に写った最初の映像はどっち?終わりはどこへ?光が無限に往復する」 谷川氏は人差し指を左右に往復させた。 「……難しいですね」 「ほかにも似たような現象はある。ビデオカメラでテレビを撮ると、映像の中に映像が延々と生じる」 「三次元のループですね」 「そう。これがもっと高次元のループだとしたら、キミは渦の中に巻き込まれているということになる」 「……」 「いいアイデアだ。メモしとこう」 って、ネタだったのかよ。どうも作家の考えることは分からない。頭の中、どうなってんだろ。 --- 70 そんなSFとも数学ともつかない話をしながら時は過ぎていった。 十一時を回ったところで谷川氏は腰を上げた。 「僕は自宅に戻るから。気兼ねしないでいいよ」 「ご自宅、ここじゃないんですか」 「ここはおばあちゃんがひとりで住んでる家でね。僕は仕事場兼自宅を持ってる」 なるほど。作家ですもんね。 俺はおやすみなさいを言って谷川氏を見送った。 寒空に星がまたたいている。明日は晴れそうだ。 --- [END] [MojieName=図書館:新聞記事] 図書館 長門と訪れた市民ギャラリーのあるほう 谷川氏はずっと半信半疑 --- 71 翌朝、おばあちゃんに呼ばれて食堂で朝飯を食った頃、谷川氏がやってきた。 「よく眠れたかな」 「ええ、ありがとうございます。おかげさまでぐっすり」 「そう、僕は枕が変わると眠れないたちでね。だから他所んちにはできるだけ泊まらない」 俺は石の上でも寝れそうな気がしますよ。一昨日は紙の上でしたが。 「昨日話した、例の地上絵の新聞を探しに行こう」 「どこへですか?」 「市立図書館に。あそこには過去十年分くらいの新聞があるから。  もしかしたら頼めば二十年前くらいは見せてくれるかもしれない」 なるほど、そういう探し方もあるのか。昨日は長門の後ろ姿しか追いかけなかったからな。 図書館には二度目の参上だ。一昨日のことを思い出すと今でも赤面する。 もしかして長門がいてやしまいかとキョロキョロと見回してみたが、それらしい風体の女の子はいなかった。 谷川氏はカウンターで保存資料閲覧を申し込んでいた。 しばらく待って、奥にある書架に通された。 パソコンの端末でマウスを動かしている。 「新聞というから古新聞が束になって積んであるのかと思いました」 「過去数年分のは全部電子化されていてね。  インデックスもついてて目的の記事を探し出すのも簡単だよ」 --- 72 「あったよ。これだね」谷川さんが画面を指さした。 その記事のタイトルは“学校の運動場にミステリーサークル出現”だった。 「ミステリーサークルじゃなくて地上絵なんだけどね」 この絵文字、挿絵と同じものだ。そう、七夕のときハルヒが東中のグラウンドに描いたアレだ。 正確には俺が描いたんだったが。 「これ、子供が描いたんじゃないかって推測してるけど。  まっすぐな定規もない、見下ろす場所もない広い地面に絵を描いたことあるかい?  これは図形と幾何学の知識がないとできないんだよね」 もしかしてハルヒがこの世界に存在しているのか?そんなはずはあるまい。じゃあ誰だ?。 「この絵、挿絵とちょっと違うところがありますね。この右下のやつ、花に見えませんか」 「どう……だろう。言われてみればそう見えなくもないけど」モノクロの荒い写真だから分かりづらいが。 「長門が残した栞に印刷してあった花の絵じゃないでしょうか」 とすれば、これを描いたのはあいつしかありえない。 俺は長門が部室から消える直前に言った言葉を思い出した。 「わたしは……ここにいる」 これは救助要請だ。俺はうなずいた。 「これを描いたのは長門です。それ以外考えられない」 「そうなのか。でもこれ、五年も前だよ」 確かに新聞の日付は五年前の十二月になっている。 「仮に、こっちと向こうの世界の時間がズレたとしたら、理屈は通りませんか」 「……うーん。どうだろうね」 五年も前にあいつがこっちに来たのだとしたら、無事に生きているかどうか不安になった。 ハルヒも俺もいない世界で、目的を失って自らの情報連結を解除したりしないとも限らない。 --- [END] [MojieName=図書館:ハイペリオン] ハイペリオンの文庫で見つける栞 --- 73 「谷川さん、長門が暴走したときの話覚えてますよね」 「ああ、消失ね」 「俺が言うのもなんですが、長門はどんなときでも必ずメッセージを残すやつなんです。  それも本人にしか分からないやり方で」 「なるほど」 「北高の文芸部の部室って存在するんですか」 「……ははあ。キミの考えていることは分かった」 俺はそこに侵入することを考えていた。 「昨日も言ったけど、当時とはずいぶん変わってるしね。  一度取材に行ったけど、そのときにはもう僕が思い描いている部室はなかったね。  むかし文芸部だった部室はあるけど」 「ちょっとだけ覗いてみるわけにはいきませんか」 「うーん……。いちお学校の関係者に聞いてはみるけど、期待しないほうがいいと思うよ。  なんせアニメに出たもんだからピリピリしててね」 そうなんですか。 「部室でなにを探そうっていうんだい?」 「あのときと同じ本があるんじゃないかと」 「ハイペリオンかい?」 「ええ、それです」 「実はあのハードカバーが出たのは相当前の話なんだ。今は文庫しかないんじゃないかなぁ」 「だったら、なおさらです。それが存在すれば長門からのメッセージがあるかもしれない」 「そうか。聞いてみとくよ。父兄の見学ってことで」 「お願いします」 記憶を蘇らせるために、俺はまた同じ道を辿る、だ。 --- 74 「ああそうだ、ハイペリオンならここにもあるはずだよ。探してみたかい?」 「ええ!そうだったんですか。それは気がつきませんでした」 俺はめったに来ないであろうSFのコーナーを探した。長門に借りてそのままだ。 二人でSF、ミステリーのあたりを探したんだが、結局見つからなかった。 パソコンの端末の蔵書データベースで調べてもらったが、確かにあるらしい。 「誰かが借りてるんだろね。長門有希の百冊に入ってたし」 「なんですかそれ」そういやぐーぐる様もそう言ってたな。 「長門有希が作中で読んでるって設定の百冊を僕がピックアップした。その中にあれも入ってた」 なるほど。人気あるわけか。 「しょうがない。今日のところは帰ろうか」 「そうですね」 俺は先日とんでもない人違いをした棚のほうを見た。突然話し掛けられたほうも驚いただろう。 俺はハルヒの文庫が入ってるかどうかを見ようと、文庫の棚の前をそろそろ歩いた。 そのとき、なぜかその本だけが目に入った。“ハイペリオン ダン・シモンズ” とっさにページをめくった。ハラリと何かが落ち、俺は稲妻に打たれたかのような衝撃が走った。 あのときの、栞だった。 --- 75 「こっこっこっ」 「こけこっこー?」 「違います、これ、長門です。ぜったい、長門です」 俺は栞を見せた。今度は大声を出してもはばからなかった。これは断じて長門だ。 図書館の本に手製の栞を挟むやつは、まずいない。これは長門、絶対に長門だ。 栞には例の絵文字と、薄紫の花が描いてあった。文字は書かれていない。 長門が暴走したとき、部室にあったやつと同じだ。 「消失のときのと同じだね」谷川氏にも分かったようだ。 「ぜったいそうですよ」 「これの意味は、知ってるよね」 「わたしは、ここにいる、です」 「これが憂鬱のときの栞ではないということは、つまり、消失のときと同じ、キミへのメッセージだね」 「で、ですよね」俺はワナワナ震えていた。もう長門を見つけたも同然だ。近くにいる。 「ちょっと来て」谷川氏はその本を持ってカウンターに向かった。 なにやら受付のお姉さんとボソボソ話したあと、俺のほうに向き直った。 「過去にこれを借りた人を調べてもらってる」それはすごい。電子戦ですね。 -- 76 「この文庫本が出たのが約七年前、ハードカバーはそれより前。  この本が入庫したのが三年前で、借りたのはトータルで二百人くらいだそうだ。  残念ながら借りた人の名前は明かせないらしい。個人情報だからね」 ああ、こっちの世界でもその辺が厳しいんですね。 「最後に借りたのはいつか分かります?」 「二週間ほど前らしい」 ……それは長門だろうか?その可能性はあるだろうか? 「すいません」俺は受付のお姉さんに話し掛けた。 「ちょっとこの写真見ていただけませんか」俺は長門とハルヒが写っている写真を見せた。 「この、髪の短いほうの子、見かけませんでしたか」 お姉さんは、うーんともふーむともつかない声を出した。 遠目に近目に写真を見ていたが、ちょっと覚えていないと言った。 これだけ人が出入りするんだ、覚えていろというのが無理な話かもしれない。 「写真持ってたんだ?」 「あ、まだ見せてませんでしたね。すいません」 「これはまた美人だな。僕はアニメでしか見たことないから」 「そうなんですか」まあ当然っちゃ当然だが。アニメでないならただのコスプレだろう。 「実写版やるとしたら、まさにこんな感じだよなぁ」 実写ドラマやるのか……かなり映像に無理があるんじゃ。閉鎖空間とか。 俺は図々しくもお姉さんに、もしこいつが来たら俺が来たことを伝えてくれるよう頼んでおいた。 長門ならそれだけで十分だろう。あとは情報操作とやらで俺の居場所は分かるはずだ。 --- [END] [MojieName=東中グラウンド] 東中グラウンド とくになにも収穫なし ちょっとここだけ流れがノスタルジック --- 77 図書館で重要な手がかりを得たあと、午後には屋敷に戻った。 「東中のグラウンドを見てみたいんですが」 「中に入ってみたいかい?」 「ええ、できれば」 「教師にひとり同級生がいるから、聞いてみよう」 谷川氏は電話でしばし世間話をしたあと、グラウンドを見てみたいんだが、と切り出した。 「四時頃ならいいらしい」 「ありがたい」 「とはいっても、ただのモデルだからね。名前は違うし、見た目も若干も違うけど」 あの場所は忘れようにも忘れられない。ハルヒが俺とはじめて出合った場所だ。 過去の七夕には朝比奈さん(小)を背負って歩かされた。 --- 78 谷川氏の車で中学校まで乗りつけた。谷川氏の同級生という男性教師が迎えてくれた。 「ここも舞台になってるんだけど、北高ほどは知られてないんだよね」 作中の東中は若干位置がわかりづらいらしい。 谷川氏と俺は校舎から出てネット越しに運動場を眺めた。 「最近は関係者以外は中には入れないけど。むかしはよくここで遊んだよ」 確かに広い。昼間見るのは、はじめてだ。 「こんな広いところによく地上絵を描いたな」実際は向こうの世界のここだが。 「地上絵を描くのって意外に難しいんだ」 「ハルヒの頭の中では文字すべての線の長さと角度が計算されてたんですね」 「ハルヒは数学が得意だからね」 「よく知ってますね」 「そりゃまあ、僕が生みの親だし」 もっともだ。 冷たい風が吹きぬけた。俺は襟を立てた。 グラウンドの向こう側で陸上部らしい女子生徒が走り回っていた。 ハルヒの中学時代はこんな感じだったんだろうか。俺は校区が違うから、ここにはなじみはないんだが。 中学生のハルヒは奇妙なことばかり繰り返していたらしい。 谷口曰く、かわいいからと思って話し掛けるとトゲのある答えしか返ってこない、バラみたいなやつだったと。 親しい友達もなく、親にも打ち明けられず、ひたすら孤独だったことだろう。 あいつはあれからずっと、ジョン・スミスを探していたのかもしれない。 柄にもなく、昔のハルヒを思い浮かべた。あいつの顔じゃ、あんまり郷愁は感じないが。 俺が探さないといけないのは、ハルヒとの接点じゃなかった。俺と長門を結ぶ接点だ。 だからここにはなにもない。俺たちは三十分くらいでその場から引き上げた。 --- [END] [MojieName=北高] 谷川氏に自転車を借りる 自宅→北高→甲陽園駅公園のベンチ 昼間校庭の周りをうろうろするが 結局中には入れない →コンビニ --- 79 この屋敷にやっかいになって三日が経とうとしている。 翌朝、谷川氏が言った。 「北高の見学、聞いてみたけどね、やっぱり無理らしい。今ちょうど受験シーズンで、  先生も生徒もピリピリしてるから、年が明けてからにしてくれってことらしい」 「そうですか」予想はしていたが。年明けまではとても持ち越せない。 まあ俺が中に入れないってことは長門も予想できただろうし、 ということはメッセージは何も残してない可能性が高い。 そう考えて納得することにした。最近はあきらめるのにも理由を考えるようになった。 --- 80 谷川氏は今日は出版社で打ち合わせがあるので、調査には付き合えないとのことだった。 執筆の仕事もあるだろうに、毎日つき合わせては申し訳ない。 俺は自転車を借りて町並みを回ってみることにした。 ハルヒが超監督で撮った映画の舞台を追ってみた。 長門と朝比奈さんが対決した森林公園、朝比奈さんと谷口が飛び込んだ新池、桜並木がある夙川公園。 朝比奈さんがトンデモ告白をしてくれたベンチもちゃんとあった。 同じだ。何も変わりがない。 こういう自然の風景にはさほど違和感を感じない。感じるのは人工の建物だけなのかもしれない。 そういえば俺の自宅はいったいどうなってるんだろう?昨日からずっと考えていた。 俺の知らないところで、俺を除いた俺の家族がそのまんま別の人生を過ごしているんだろうか? それとも家そのものがないんだろうか。 俺は自宅近くまで行って、そこから通学路を辿って北高まで行ってみることにした。 谷川氏は道順も場所も同じだと言っていた。 俺は線路を越えて自宅がある(と信じている)場所へ自転車を走らせた。 後ろに過ぎてゆくのは見慣れた景色だった。風景だけが同じ、そこにいる人間は誰も知らない。 猫は飼い主よりも場所に執着するというが、俺はどっちかといえばそこにいる人間に愛着を感じる気がする。 俺にとっての自分の居場所は建物や地理なんかじゃなくて、たとえばSOS団のメンツや、親や妹や、 シャミセンがまとわりついてくる日常。そんな他愛もない時間そのものなのだろう。 馴染んでしまったり忘れることが出来ないものというのは、特定の場所や風景なんかではなくて、 むしろ、そのとき誰かと触れた流れる空気みたいなものだ。 時間と空間は同じ、と長門は言っていた。今は少しその意味が分かる気がする。俺なりにだが。 --- 81 馴染みの町内にたどり着いた。 俺は自転車にまたがったまま、前方にある俺の自宅っぽい地所を見つめていた。 そこに、まったく同じ、俺の家がある。どうしたらいいんだろう。 玄関を開けてそのまま、ただいまと中に入ってしまいそうだ。 俺は携帯をいじるふりをして、その場に自転車を止めた。 家の様子を見ていると、ドアが開いて誰かが出てきた。 まったく知らないオバさんだった。あわてて目をそらす。 不意に、俺の家に知らない人が住んでいる感覚に襲われた。 本当はそこにいるべきは俺なんじゃないか。 ドアから出てくるのは本当は俺のおふくろなんじゃないか。 俺は頭を振り払ってその思いを消した。 住んでる人は違うのに、なぜあの家はあんなに似通ってるんだろうか。 それだけが疑問として消えなかった。 --- 82 そこから駅に向けて自転車をこいだ。制服を着ていないのがなんだか違和感を感じる。 甲陽園駅まで乗りつけた。こないだのマンションが見えた。 あのときは長門とはなんら関係ない赤の他人を呼び出すなどと、血迷ったマネをしてしまったが。 いつもはここで自転車を止めるんだが、今日はそのまま乗って坂道を登った。 この坂の勾配はハイキング並にきつくて、入学したての頃は入る学校を誤ったと後悔したものだ。 自転車だと階段のないルートを辿らないといけないので、さらにきつい。 俺はとうとう押して歩いた。こんなことならいつものように駐輪場に止めておけばよかった。 途中、短大と私立の進学校の前を通った。似ているっちゃ似ている。名前は違うんだが。 この微妙な、心理的な部分で納得がいかない類似が俺を不安にさせた。 さらに坂を登り、北高らしき建物にたどり着いた。よくよく見ると名前が西宮北高になっちまってる。 正門には生徒がいたので俺はそのまま通り過ぎて、坂を登りつづけた。制服が違うな。 敷地をぐるっと回って西門まで行こう。俺の予測が正しければ、そっちのほうが人は少ないはず。 途中で見上げると、部室棟らしき校舎が見えた。あれか。 俺たちの文芸部部室がどうなっているのか、ここからでは分からなかった。 今すぐ校舎の階段を駆け上って、あの部屋のドアを叩いてみたい衝動に駆られた。 夜になるのを待って部室棟に忍び込んでみようかとも考えた。 でも俺は自分を抑えた。忍び込んで捕まったりしたら谷川氏にとんだ迷惑をかけてしまう。 血迷ったアニメオタクが県立高校に侵入。そんな三面記事、俺も読みたくない。 結局、歩道橋の交差点まで登ってそこから南西に坂道を下る。 西側からは校舎の剥き出しのコンクリが見えるだけで、なにも分からなかった。 こんなことをやっていてもなにも得られないのは分かっていた。 俺が中に入れない以上、長門もそこには行かないだろう。 長門との接点は場所じゃないんだ。過去に二人が共有したなにかだ。 俺は来た道は戻らず、坂道をそのまま下り、回り道をして甲陽園駅に戻った。 --- 83 ひとつだけ忘れていた場所があった。長門に呼び出されて待ち合わせた、駅前の公園だ。 果たせるかな、街灯の下にベンチはあった。このベンチにはいろんな思い出がある。 最初のは“午後七時、光陽園駅前公園で待つ”だったか。 あんときの俺は俗っぽい生活の代名詞みたいな人生で、 宇宙論やら時間論やらとは遠いかけ離れた生活をしてたからな。 もっとまじめに聞いてやればよかった。 帰ろうとする俺を見る長門の表情に広がる、小さな波紋。 今ならあの微妙な表情の意味は分かる。 部屋の一角に、時間ごと冷凍保存した俺を三年間待ちつづけていた。 ── ただ待っているだけの人生なんて嫌 そう言いたかったんじゃないか。 俺はベンチに座り、長門と出会ってからのことを思い返していた。 あいつをひとりにしてはいけない。それが俺がここにいる理由。あいつを追いかけてきた理由。 --- [END] [MojieName=コンビニの足跡] 駅前のコンビニで長門の足跡を見つける --- 84 気が付くと四時を過ぎていた。だいぶ冷え込んできたので駅近くのコンビニへ行った。 俺はホットのお茶をレジに置いた。朝比奈さんの点てた暖かいお茶が飲みたい。 ものはついでだ、俺は店員に尋ねた。 「すいません。実は人を探してるんですが、ちょっと写真見てもらえないでしょうか」 レジの若い店員は珍しいものを見るように俺を見た。 「え……人探しですか」 俺は長門とハルヒが写っている写真を見せた。 おっさんたちに握り締められてだいぶよれよれになっている。 「身長は俺より低い、小柄な子です。名前は長門と言うんですが」 店員は遠目に近目に、しばらく写真を見ていたが、奥にいるらしい誰かに向かって声をかけた。 「店長、これ、前ここで働いてた子じゃないっすかね?」なんですとぁ!!? 「どれ……。どうだろ。覚えてないなぁ」初老のおっさんが出てきて写真を見た。 「ほら、例の、三年くらい前の事件」 「ああ、あの子か、思い出した。確か名前は田中とかじゃなかったかな」頭に乗っていた老眼鏡をかけなおした。 「ええと、田中は母親の苗字なんです。小さいとき両親が離婚して離れ離れになりまして。実の妹なんです」 とっさに口からでまかせを言ったが、我ながらもっともらしい嘘だったと思う。 「ああ。思い出した。セーラー服で突然やってきて、ここで働かせてくれと言った。やたら無口な子でね。  まあ連絡先はちゃんとしてたし、まじめな子っぽかったんで雇ったんだけど。  ワケアリみたいなんで詳しくは聞かなかったけどね」 「いつごろですか」 「働き出したのは四年か五年くらい前かなあ」 --- 85 「あんまり大声じゃ言えないことだけど、……三年前に強盗が入ったんですよここ」若い方が声をひそめて言った。 そのときに犯人を退治したのがその子だったらしい。 「巴投げとか言うのかな、あの技?包丁を振り回す犯人をぶん投げて、こう!」店長が腕だけ実演して見せた。 「かっこよかったですよね。なんか合気道の心得があるんだとか言ってましたっけ」 巴投げは柔道だと思うが、そのトンデモでまかせは長門流かもしれない。 その後、テレビやら新聞やらの取材があったのだが、ふつとかき消すようにバイトをやめたらしい。 「翌日から来なくなってしまってね。思えば、あれが原因でやめたんだ。いい子だったのに残念だった」 「今どこにいるか分かります?」 「ずいぶん前のことだからね。隣の駅くらいに住んでるとは聞いてたけど、それ以外のことは覚えてないねえ」 「そうですか。もし見かけたらこの連絡先を伝えてもらえませんか」俺は谷川氏の電話番号を伝えた。 「ああ、いいよ」 長門の気配が急に濃くなった気はするが、まだ道は遠い。あいつ、ここで何をしていたんだろう。 食うためのしのぎ以外に、誰か知ってる人間が通りかかるのを監視していたのかもしれない。 少なくとも存在だけは確認できた。三年前という遠い過去のことだが。 俺はお茶を受け取ってコンビニを出ようとした。自動ドアにバイト募集の貼り紙がしてあるのに気が付いた。 俺はふと思い立って、店長と呼ばれたおっさんに尋ねた。 「すいません、これまだ募集してますか」 「ああ、いつでもしてるよ」 「自分もバイト探してまして、面接お願いしたいんですが」 「じゃ履歴書書いてきて。来週くらいでどうかな」 「できれば今日お願いできないでしょうか」時間が惜しい。俺にはそれがあまり残されてない気がする。 「キミも急いでるの?じゃあ六時ごろシフト抜けるからその頃来て」 俺はその場で履歴書とボールペンを買った。証明写真をどこかで撮らないとな。ああ、あと三文判も。 駅前の証明写真ブースで顔写真を撮り、喫茶店で履歴書を書いた。ここで六時まで時間を潰さないとな。 自分の顔写真を見て少しやつれていることに気がついた。このところ毎日出歩いてるからだろう。 写真を切るものがなにもないことに気が付いて、ウェイトレスに声をかけた。 「お姉さん、ハサミ貸して〜」なんだかうちの妹みたいな口の利き方になってしまったが。 --- 86 さっきの店員にどうもと頭を下げると事務所に通された。 「缶コーヒーでも飲む?」 「あ、いえ、さっき喫茶店で飲んだところなので」俺は履歴書の入った封筒を差し出した。 おっさんはうやうやしく履歴書を開いて読んだ。 「高校二年生ね。学校によっちゃバイト禁止なんだけど、キミんとこは大丈夫なのかな」 「ええ。一応申請するんですが、たいていは許可がおります。素行が悪くない限りは」 レジのほうから声がした。「店長、受け取りお願いします」 「ああ、ちょっと待っててね」おっさんが席を立った。 長門、頼む。俺に二十秒だけ時間をくれ。 俺はスチール机のいちばん下の引出しを漁った。 果たしてそれがそこにまだ残ってるのかどうか俺に確信はなかった。 何通もの古い履歴書の束を見つけ、下から順にめくった。 当たりだ、長門の履歴書だ。写真も丁寧な明朝体もあいつのものに間違いない。 俺は急いでバックパックに放り込んだ。 それからの俺はおっさんとの面接も上の空、話はほとんど聞いちゃいねえ。 もう、ただただ長門の直筆を手にしたという安堵感と、 早くくだらないおしゃべりを切り上げてこの住所に行って確かめたいという焦燥感とが、俺の頭の中を入り乱れていた。 礼もそこそこにコンビニを後にした。 俺の連絡先も電話番号もどうせニセモノだ。やる気になればこっちから電話すればいい。 長門の履歴書に書かれている住所は、確かに隣の駅に近かった。 偽名を使った長門が正しい住所を書くだろうかと疑問に思ったが、 今は考えるより確かめに行くほうが先だった。他に手がかりがないこの状況では。 俺はタクシーを止めて乗り込んだ。 --- [END] [MojieName=長門の日記] 長門有希の日記 ---  長門有希の憂鬱T  四 章 --- 87 長門有希の日記 こちらの世界へ来て二年が過ぎた。 情報統合思念体からの連絡はない。支援もない。誰も助けに来ない。 このまま時が過ぎれば、わたしの有機サイクルはいつか性能の限界に達し寿命を遂げる。 それまで、色がない世界でわたしの思考回路は物理的に機能するだろう。 それならばわたしはいっそ、目を閉じ、耳を塞ぎ、口をつぐんだ生命体として生きようと思う。 わたしは長期の待機モードを起動させた。 果たして奇蹟は起きるのだろうか。 --- [END] [MojieName=長門との再会] 長門との再会 --- 89 タクシーの運転手に住所を棒読みで伝えると、十分くらいでそのアパートの前に着いた。 二階建ての二階、二〇五号室……。郵便受けにもドアにも表札らしきものはなかった。 呼び鈴を押した。こんなにドキドキするのは久しぶりだ。 赤の他人だったらなんとごまかすか、新聞の勧誘にするか、布団の販売にでもするか。 反応がない。もう一度呼び鈴を押した。やっぱり違うんじゃないか?。 それから郵便受けに戻り、周りに誰もいないことを確かめてからフタを開けた。 テレクラやらヘルスやらのチラシが詰まっているだけで、宛名を書いた郵便物は入ってなかった。 三度ノックして反応がないので俺はドアの前に座り込んだ。尻にあたった床のセメントが冷たい。 ここにいるのが長門でなければ、俺はこれからどうしよう……。 そんな先のことを考える気力はもう残っていなかった。 谷川氏の家にやっかいになりつづけるわけにもいかないよな。 長期戦になるかもしれない。とりえあずバイト探して、アパートでも借りるか。 向こうの世界はよかった。なんだかんだいって俺はあの生活が気に入っていた。 ハルヒはどうしているだろう。古泉は。俺がこのまま帰らなかったら向こうの世界はどうなるんだろうか。 もう日はとっくに暮れていた。 --- 90 俺は長門のマンションにいた。長門が荷造りしていた。 どこかへ引っ越すのかと尋ねると、情報統合思念体のところに帰る、と答えた。 おい待てよ、俺を、ハルヒを置いていくのか。長門の腕を握った。 「自分が来たところに帰る」 「待ってくれ。いきなり帰るなんて言わないでくれ。お前がいなかったらSOS団はどうなるんだ。俺は!?」 長門はそれ以上何も言わなかった。そして一冊の本をくれた。 それからおもむろに和室に入ると、ふすまを閉めた。 俺がふすまを開けると、そこにはもう長門はいなかった。 俺の手にはエンディミオンがあった。 長門はさよならも言わずに消えた。 --- 91 そこで、目がさめた。 見上げると、暗い藍色の空から雪が降っていた。 あたりはシンと静かで、すべての雑音を消してしまいそうな白いカケラが舞い降りてくる。 誰かが階段を上がってくる足音がした。怪しまれてはまずいとは思ったが隠れる場所もない。 このまま寝たフリをするか、あるいは立ち上がって今しがた尋ねてきたフリをするか。 階段を上り詰めた足音がはたと止まった。俺は立ち上がってそっちを見た。 「キョ……」 長門だ。やっと見つけたのだ。 俺はなにも言わず、長門もなにも言わなかった。 下げていた買い物袋を床に落とし、ゆっくりとこちらに歩いてきた。 なにかを言いたげな複雑な表情をして、俺の背中に細い腕をまわし、そして胸に顔をうずめた。 いつもの長門らしくない衝動に、俺は少しだけ動揺した。胸に暖かく濡れたものを感じた。 長門の髪に、綿を連ねるようにゆっくりと雪の切片が舞い降りた。 「長門……泣いてるのか」 「……」長門は顔をすりつけたまま動かなかった。 「あちこち探したぜ」 長門よ、お前もずいぶんと人間くさくなっちまって、俺は嬉しいよ。 俺と知り合った頃は無表情で無感情だった宇宙人製アンドロイドも、SOS団の連中と付き合ううちに、 人間特有の性質が身についてしまった。本人は気がついてないかもしれないが、俺はずっと観察していた。 情報統合思念体から見れば有機生命体の人間なんて、 ネズミとドングリの背比べ的な知性の低さを見て取っているかもしれないが、 人間それだけじゃないものもある。だからこそ稀有な存在なのだろう。 宇宙的にユニークと言った、長門よ、お前もそうなりつつあるんだよ。 --- 92 「寒いから部屋に入れてくれないかな」 俺はかじかんだ手で長門の背中をさすった。 「……」 長門は手のひらで涙をぬぐって、表情を見せないようにそっぽを向いた。 ドアを開けると、六畳ひと間の、古びたアパートの部屋につつましい生活空間があった。 マンションに住んでた頃も元々モノ持ちなほうではなかったが、家具はほとんどなかった。 ぎっしり詰まった本棚を除いて。 それから俺は、長門がこっちの世界に来てからどう過ごしていたかを聞いた。 「わたしがこちらの世界に来たのは、約五年前。  ここでは情報統合思念体が存在しない。涼宮ハルヒという人間も存在しない。  そのためにわたしは長期の待機モードに入った」 いわば宇宙探査船が未知の星に漂着し、資源を節約するため乗組員が低温スリープに入るようなものか。 「身よりもなくてどうやって食ってたんだ?」 「……パチンコ」 パチンコ!?生活力あるなお前。 「この付近一帯で採用されているパチンコ台はすべてクリアした。スロットの目押しも習得した」 目押しって神業だぞ。 財布の残りをいつも心配していた俺より、ずっとたくましいよ。 --- 93 「毎日、本を読んで過ごした」 俺は改めて部屋を見回した。 相変わらず本が好きなようだ。部屋の壁が本棚で埋め尽くされている。 「あの文庫本を書いた作家に会ってみたよ。事情を話すと協力してくれてな、ここまで来れたんだ」 「谷川流には前に接触を試みた。だがコスプレと思われて門前払いされてしまった」 なんてこった。谷川氏が言ったとおりだったか。 「それ以降、谷川流に接触する人間を監視していた。二年が経過した時点であなたは現れないと判断した」 「向こうの世界とこっちの世界の違いは何だ?接点は谷川氏だけなのか」 「限定された情報から推測すると、この世界はわたしたちがいる世界の平行世界。  ただし、わたしたちは谷川流の脳内にだけ存在する」 「それがこっちの世界の俺たちか」 「そう」 「そうか……俺もよく分からないんだが、なんでお前だけ五年前に飛ばされたんだ?」 「情報が限定されすぎていて分からない。  でも、位相変換がはじまったとき、わたしが無理に止めようとしたために時間軸が狂った可能性はある」 「古泉も言ってたんだが、敵対する組織とかいうやつらの罠じゃないか」 「その可能性もある。危険を回避するために、この時空でのわたし自身のアイデンテティを消した」 要するに身元を消したってことか。 「こちらの世界では、長門有希は創作上の人物でしかない。それをノイズとしてうまく身を隠すことができた」 なるほど。どおりでなかなか探し出せなかったわけだ。 --- 94 俺はとりあえず谷川氏に電話することにした。 「もしもし谷川さんですか、キョンです。長門を見つけました。ええ、無事です」 谷川氏は驚嘆していた。まさか自分の作中の人物が実在するとは、聞かされていたとはいえ衝撃だろう。 「ええと、今日はここに──」マイクを押さえて長門に向き直った。「今日ここに泊めてもらっていいか?」 「……いい」 「ここに泊まります。じゃあ、明日伺います」 俺は電話を切った。長門は心なしか喜んでいるようではあるが。 「これからどうする。向こうの世界に帰る方法はあるか?」 「分からない」 忘れていたことがあった。 「これ、喜緑さんから預かったんだが」俺はバックパックから、例の黒い球を取り出した。 「……」長門は目を丸くした。 「渡せば分かると言っていたが、これはいったい何なんだ?」 「これは……空間を封じ込める技術」 「すまん、なんだって?」 「空間がこの球の内側に折りたたまれている。位相変換せずに次元を超えて物質を転送したいときに使う」 それで喜緑さんか。 「何が入ってるんだ?」 「素粒子がひとつだけ」 「素粒子って、宇宙を飛んでる、原子より小さいアレか。たったひとつだけ?」 「そう。この状態を維持するには莫大なエネルギーが必要。この大きさでは素粒子一個が限度」 「これを何に使うんだ?」 「おそらく緊急通信用。素粒子は通常、粒子と反粒子のペアになっている。  片方の素粒子に与えた情報は他方に伝わる。このペアのもうひとつは、情報統合思念体が観測しているはず」 つまり、異次元間での通信用か。 「ただし、一度しか使えない。この素粒子が情報を持って向こうの素粒子に遭遇すると消滅してしまう」 「助けを求めるチャンスは一度きりってことか」 「そう」 数年分の物理の授業を受けたような気分だ。とりあえずは帰る切符はあるということか。 --- 95 気が付けば腹の虫が鳴いていた。 「もうこんな時間か、腹減ったな。どこかに食べに行くか?」 「……晩ご飯、作る」 そう言って、さっきの買い物袋を広げた。冷蔵庫を開けると材料はあるようだ。 長門の手料理は久しぶりだ。 いつだったか朝比奈さんと三人で食べたのは缶カレーの大盛りだったか。 味噌汁に魚の塩焼きに、肉じゃが、か。見る限り、あれから料理も習得したらしい。 「……おいしい?」 「うん。うまい。いい嫁さんになれそうだ」 ふつうならここで女の子がポッとか顔を赤らめてくれそうなんだが、長門には通じない。もくもくと食っている。 長門はふとなにかを思い出したように箸を止めた。 「この世界にひとつ、謎がある……」 「なんだ?」 「わたしが誰かの配偶者だという情報を多く見かけた」 「そうなのか」 「“長門は俺の嫁”って、何」 「なんだそりゃ」 「コンピュータネットワーク上でよく見かける」 「さあ、なんだろう。初耳だが。だとするとお前の旦那は大勢いるってことだな」 「……」 長門は無言のまま複雑な表情で食い続けた。 --- 96 「水が沸いた。水温40℃」 「ああ、風呂か。今日はほこりだらけだからな。ありがたい」 浴室を見ると、石鹸やらシャンプーやらナイロンタワシやらが一切ない。 「お前はふだん風呂に入らないのか?」 「わたしにはナノマシンによる自浄機能がある。通常、風呂は必要ない。  ……それにレディにそんな質問をしてはいけない」 「そ、そうか、禁則事項だよな。すまん」野暮なことを聞いた。 「コンビニで入浴セットを買ってくる。歯ブラシも」 俺はどうも、長門の人間っぽい面とそうでない面のギャップについていけてないようだ。 この後がちょっと問題だった。 「布団が一組しかない」 「じゃあ俺は毛布かなんかあればそれでいいよ」 「……風邪を引きかねない。一緒に寝ればいい」 「それはいくらなんでも困るぞ」 「なぜ」 いやまあ、なんというか。俺もいちおう男だし、健康な男子だし、 というか長門とひとつの布団で寝るというシチュエーションが嫌だというわけじゃないが、 長門とあらぬ関係にでもなったら情報統合思念体に殺されかねんわけで、 ハルヒに知られたら三度殺されて三度蘇生されて三度埋められるだけじゃ済まない。 などと俺がブツブツ言っている横で、長門は押入れから布団を出して広げた。 ともあれもう十二時だ。昼間の疲れと、やっと会えた安堵も手伝ってか、睡魔が襲ってきてどうしようもない。 俺は迷いつつ布団に潜り込んだ。長門に背を向けて。 長門は蛍光灯のスイッチを引いて、音を立てずにそっと布団に入ってきた。 --- 97 目をつぶること三十分。あれほど眠かったはずが待てど暮らせど眠れない。頭の後ろに長門の視線を感じる。 朝比奈さんが長門のマンションに泊まったとき、 寝てるときに長門に見られてる感じがして落ち着かない、と言っていたのを思い出した。 「長門よ」 「……なに」 「頼むから眠ってくれ。見つめられてると落ち着かん」 「……分かった」 長門が孤独に暮らした五年間を思えば、それくらい我慢してやれという誰かの声がした。 妥協案として長門のほうに向き直り、手を握ってやった。 そこからの記憶はなく、泥のように眠った。夢は見なかった。 「起きて」 長門の声で目を覚ました。昨日までの出来事が夢ではないことを確認するために周りを見回した。 「ああ」それからちゃんとズボンを履いたままであることを確認して安心した。かなり寝苦しかったはずだが。 「おはよう。今何時だ?」ちゃぶ台の上に朝飯が用意されている。 「八時二十四分十五秒」 「今日の予定は、とりあえず谷川氏に連絡してどうやって向こうに帰るかを話し合うことだな」 「朝ご飯、食べて」 「お、おう」 なんだか昭和四十年代の歌謡曲に出てきそうな風景だが、ひとつだけ言わせてもらえば、長門の味噌汁はうまい。 「長門」 「なに」 「ボクの髪が肩まで伸びたら、元の世界に帰ろう」 「……分かった」 そこ、笑うとこ。 --- [END] [MojieName=長門の部屋(没] 未公開シーン 長門のアパートの部屋 (もっと湿っぽいシーンにしたかったんで没) --- ドアを開けると、そこには用途不明の機械類がぎっしりと並んでいた。 赤や緑や黄色のLEDが無数に点滅している。数台並ぶパソコンのモニタには光分器分布図のような表示も見える。 「すごいな……なんだこれ」 「調査のための機材。アルファ線、ガンマ線、エックス線、ニュートリノ、反物質などの各種センサー。  この付近一帯の衛星放送用パラボラアンテナを使い、半径数光年の範囲を走査可能。  この時代の科学技術で実現されている部品を駆使して作った」 「お前電子工学強そうだよな」 「半導体ベースの情報技術はあまり効率がいいとは言えない。実行速度と耐用年数に劣る」 「そうなのか」 「部屋が狭くて申し訳ない。今、片付ける」 「いや、いいんだ」俺は部屋の真中にあるちゃぶ台の前に座った。 俺が原始的な手段で長門を探していたのに対して、こいつはなんとまあ、 最先端どころか超次世代の電子技術を使って調査していたのだ。 「それで、なにか分かったのか」 「ここでは情報統合思念体が存在しない。観測対象である涼宮ハルヒの情報変動もない。  そのためにわたしは長期の待機モードに入った」 いわば宇宙探査船が未知の星に漂着し、資源を節約するため乗組員が低温スリープに入るようなものか。 [END] [MojieName=谷川長門キョン] 谷川・長門・キョン 元の世界に帰るための算段 「十三巻には時空の歪み内包されており、あなたがこれから正しく書き直さなければいけない」 --- 98 俺は長門を連れて谷川氏のお屋敷に行った。 おばあちゃんが出迎えてくれた。 「めっさかわいいお嬢ちゃんじゃないかねっ。寒かったろう。さあさあ、おあがり」 「……」誰かの面影があることに長門も気が付いたようだ。 座敷に通された。 「谷川さん、長門を連れてきました」 「はじめまして谷川です」谷川氏は少し照れたような、感激したような微妙な表情を浮かべた。 「……長門有希」長門は少しだけ頭を下げた。 二人とも無言だった。どうも空気が固まっている。 「ええと、長門がこっちに来たのは五年前で、存在を知って一度は谷川さんに会おうとしたらしいです」 「ああ、やっぱりそうなのか」 「……あのときは制服を着ていた」 今日は珍しくタートルネックの黒のセーターを着ているが、それでか。 「それで、俺たちがどうやって向こうに帰るか、なんですが」 「そう、それが問題だね」 「いちおう、向こうの世界と連絡は取れるらしいんです」 俺はバックパックから、例の黒い玉を取り出して見せた。 「これは?……重いね。何かなこれ」 「向こうの世界の素粒子が入ってるらしいんです」 「ほう……そんなことができるんだ?」 「向こうの情報統合思念体が俺に託したんです。連絡用らしいですが」 長門が人差し指を立てた。 「連絡は……一度」 「ニュートリノと反ニュートリノが遭遇するとき、向こうに情報が伝わるってわけだね」 さすがSF作家だ。 --- 99 「連絡はつくとして、どうやって向こうに帰る?物理的な転移が必要だろうけど」 長門は谷川氏に向き直り、 「あなたが小説を書けば、そのとおりになる」と言った。 「僕が?」 「わたしと彼は、あなたの書いたストーリーの上を歩いてきた。  帰るための手段も、それに従う」 「ええと、じゃあきみたちを元の世界に返す方法を僕が決めればいいわけか」 「……そう」 「これからの展開の中にそれを含めて出版されればいいわけだね」 「そう。ただし十三巻には時空の歪みが内包されている。  向こうの世界からこちらの世界への接触はできないように書き直してほしい」長門が答えた。 こちらの世界の情報は、わたしたちがいた世界に漏れてはならない、 情報は一方通行でなければならない、長門はそう言った。 「分かった。今回の現象も含めてプロットとして書いておこう。で、きみたちは同じ手順で向こうに戻る」 「同じ手順と言うと?」 「その地上絵をもう一度登場させて、向こうの世界への扉が開く」 長門がちょっと考え込んで言った。 「その場合、扉は、向こうから開かなくてはならない。情報統合思念体の支援が必要」 「どうやって支援を頼むんだ?」俺が聞く。 「この素粒子球で座標を伝える」長門が黒い球を指した。 「そうだ。これはそのために用意されたんだね」谷川氏がうなずいた。 パズルのピースがすべてはまった。決行は、今夜だ。 「あの、ひとつだけお願いが。できれば今後、ハルヒにはあまり無茶をさせないでください」 「分かったよ。ほどほどにする。ただし読者を満足させられる程度には」谷川氏は笑った。 近頃の読者は、登場人物の血を見ないと満足しないから怖い。 --- [END] [MojieName=材料の入手] 次元転移のための材料を揃える --- 100 「鉛筆……買って」 「何にするんだ?」 「信号を送るのに必要な材料」 「鉛筆でいいのか」 「地上絵の信号を素粒子球を通じて送る。  それには広い場所と光を放つ発火性の物質が必要」 広い場所は北高グラウンドでいいだろう。東中は一度やってるんで怪しまれるとまずい。 「発火性の物質って、花火みたいなもんか?」 「そう。大量の水と空気。鉛筆を二十キロ。それらから核融合する」 「二十キロ分か」核融合って……そんな簡単にできるのか。 空気はそのへんにあるとして、水はプールのたまり水を使おう。 この時期はだいぶ汚れてるだろうが。 導火線変わりに使うという灯油を二缶、谷川氏に頼んだ。 ええと鉛筆一本が十グラムくらいか。とすると二千本必要だな。十二で割ると……。 「鉛筆は百六十六ダース必要」考えていると先に言われた。 文房具店をいくつかハシゴしないといけないな。 俺と長門は、とりあえず北口駅まで買出しに出かけることにした。 百貨店のテナントで半分の量の鉛筆、さらに別の専門店で残りを調達した。 突然の大量購入は断られるかと思ったが、店員は喜んでいたようだ。 鉛筆を大人買いしたのははじめてだ。 --- 101 俺は段ボール箱いっぱいの鉛筆を抱え、汗を垂らしながら歩いた。 帰りの道すがら、長門がふと足を止めた。 「……行きたいところが、ある」 「どこに?」 「……」南西の方を指した。 長門は黙って歩き始めた。 この方角は……、勘は当たっていた。図書館だった。 中に入ると暖かい空気が二人を包んだ。 紙とインクの匂いと、それから何か分からない安心させるこの雰囲気は、どこの世界でも同じかもしれない。 そういや、受付のお姉さんに頼みごとをしたままだったな。 俺はカウンターまで行って、長門を指して無事会えたので、と伝えた。 お姉さんは俺と長門を交互に見つめ、微笑んでいた。 「あなたの学生手帳、貸して」 「いいけど、何するんだ?」 長門は黙ってなにかの書類に記入し始めた。それをカウンターに持っていって、数分して戻ってきた。 「これ……記念に」長門の差し出した手に貸し出しカードがあった。 「ああ、ありがとう」 二年前、同じことを長門にしてやったな。そのお礼か。 何の記念だか分からないが、とりあえず受け取っておいた。たぶんもう、借りに来ることはあるまい。 それから長門は、あのときと同じように本棚の群れの間をさまよっていた。 俺も同じことをするか。空いてるシートに腰掛けて居眠りを決め込んだ。 --- [END] [MojieName=北高のグランド] 西宮北高校のグランド --- 102 夜九時、俺たち三人は十分に暗闇が降りてから行動を開始した。 車で学校の前を通り過ぎ、離れた空き地に止めた。 俺は大量の鉛筆を抱え、谷川氏は両手に灯油のタンクを抱えていた。 あきらかにタンクのほうが重いので変わりましょうかと言ったのだが、谷川氏はたまには運動しないとねと言って譲らなかった。 タンクを抱えての柵越えはちょっと大変だった。 正門から忍び込むと明らかにあやしい集団に見えるので、西側まで回って入り込んだ。まあどこから入っても十分あやしいんだが。 タンクはグラウンドに置いておき、先にプールへ向かった。懐中電灯で照らすと、水はあるようだ。 「鉛筆を入れて」長門が言った。 俺は箱を崩しながら鉛筆をバシャバシャ放り込んだ。長門は箱もいっしょに放り込んだ。 「紙もいいのか?」 「いい。必要なのは、炭素」 そういえば鉛筆の芯は炭素の同位体だったな。 それから長門はおもむろに右手をかざし、詠唱をはじめた。次の瞬間、プールの真中を軸に凄まじい旋風が起こった。 水が十メートルほど立ち上がったかと思うと、竜巻になり、そして黒い粉のような塊となって落ちてきた。 「ちょ…ちょっと口の中が……」その場にいた俺と谷川氏が、声を枯らしてのどと目を押さえた。 「……す、すまない。うかつ」 長門はあわてて二人をひっぱり、プールから離れた。 「周辺の水まで奪ってしまった。すまない」俺の水分が材料になったってわけか。 長門は学校の外へ走り去ってゆき、缶のお茶を二本持って戻ってきた。 「あー、コンタクトレンズがパリパリ言ってるよ」谷川氏が目をこすった。 「……もうしわけない」 「プールでなにを作っていたの?」 「炭、硫黄、マグネシウム、銅、その他可燃性の金属。そしてそれらの混合物」 「つまり、花火の材料か」 「……そう」 中世に行って錬金術師にでもなれるんじゃないか。 --- 103 プールに戻ってみると、水と同じ体積の、灰色の粉らしきものが出来ていた。 「これ、どうやって運ぶんだ?」 「……任せて」 長門はもう一度右手を上げて、「今度は、大丈夫」と言ってから呪文を唱えた。 プールを埋め尽くしていた粉が、さっきと同じくらいの高さに立ち上がって球になり、少しずつ小さくなっていった。 最後はソフトボールくらいの球になった。 長門は空になったプールの底に下りていって、その球を拾い上げた。 「分子圧縮した」簡単に言ってるけど、すごいよ長門さん。 それから三人はグラウンドに行った。幾何学と測量の出る幕だ。 まず俺が巨大な正方形の頂点に二メートルくらいの棒を立てる。 暗くて分からないので、棒の先にペンライトを巻きつけた。 まず点を結んで線を引き、正方形を作る。 その頂点に対角線を二本引き、真中を割り出したところで上下左右の辺に垂線を引く。 これで内側に正方形が四つ現れる。 さらにその正方形の内側に正方形を作り、それを繰り返して碁盤状の正方形が出来上がった。 地上絵は、大きく二つの部分に分けることができる。 隣に同じ大きさの正方形をもうひとつ描いた。これで二つの絵が描ける。 あとは長門の指示で各マスの辺に点を置いてゆき、それを繋いでいくと絵が仕上がる。 これ、GPS使ったらもっと簡単にいきそうなんだが。 --- 104 線に沿って灯油をちょろちょろと撒いた。これが導火線になる。 その上に長門がさっき作った球を持って火薬のウネを作った。 球から延々灰色の粉が流れ出て、長い山になっていった。 球はちょうど文字の最後の部分で消えた。 「警備会社の巡回まであんまり時間がない。急ごう」谷川氏が言った。 「わたしが素粒子球を上空千メートルまで投げる。合図をしたら、火を付けて」 「分かった」俺は手にもった松明に火をつけた。 「そろそろはじめますか」 「今のうちにお別れを言っとくよ。また会おう。作中でね」谷川氏が手を差し出した。 「いろいろとありがとうございました」俺は手を握って振った。 何度お礼を言っても足りない。この人がいなかったらずっとホームレスを続けていたかもしれない。 --- 105 犀は投げられた。すべての準備が整った。 「谷川さん、カウントしてください」 「いくよ」 三、二、一、GO! 長門の手から勢いよく球が飛んでいく。 「今」 俺は地面に火を放った。まばゆい火柱が足元を走った。 青白く、さらに緑に、そして赤く燃える地上絵がグラウンドに浮かび上がる。 三秒、四秒、五秒……。見えはしないが黒い球が落ちてきているはずだ。 まだか、まだなにも起きない。 「特異点が発生した。向こうの次元が開いた」 長門が上を指差した。上空、百メートル付近だろうか、白い光の球が生まれた。 それが徐々に膨らみはじめ、そして落ちてくる。 長門は強引に俺の手をひいて、地上絵のまんなかに走った。球がちょうど真上から落ちてくる。 白い光はさらに膨らんで、直径三メートルほどにまでなっただろうか。 球が俺たちの上に落ちてきた。二人は球の中へ入った。 「目を閉じて!」長門が叫んだ。まぶたを閉じても強い光が目に飛び込んでくる。 強い地響きのような振動がまわりを包んだ。 俺と長門は互いに強く抱きしめ合い、光の中で、一瞬よりは長い永遠の間、じっと待った。 光が徐々に引いていく。目を開けて後ろを振り返ると、うっすらと消えていく谷川氏が親指を立てていた。 ── アスタラビスタ。 --- [END] [MojieName=元の世界へ帰還] 元の世界へ帰還 北高グラウンド --- 106 気が付くと、いつもの風景の中にいた。夜の北高のグラウンド。 前には同じ景色の中を神人に追われてハルヒと走った。 俺と長門はどちらとも、しばらくなにも言わなかった。 抱き合ったままだということを思い出して、俺は長門から腕をほどいた。 「俺たち、ちゃんと帰ってきたのかな?」 「こっちの標準時と同期した。今、情報統合思念体と話している。五年分のレポートをアップロード中」 「そうか。長門は無事に取り戻したからと言っといてくれ」 こういう場合の気分だ、少しはヒーローを気取ってみたい。 「伝える」 俺も自分の組織である家に帰ろう。というか、古泉に連絡を入れないとな。 あいつが思い余ってハルヒにすべてをぶちまけてしまう前に。 「古泉か、今帰ってきた。長門も無事だ」 携帯が通じる。どうやら帰ってきたようだ。俺の自宅にいるという未来の俺と遭遇しないように手配を頼んだ。 「マンションまで送っていくよ」 「……」この無言は俺の知る長門の表現では、ありがとうという意味。 俺は夢でも見ているかのように、終始ぼんやりとしたまま坂を下った。疲れてるんだろう。 見知らぬ世界へ行って、そして今帰ってきたという現実に、まだピンと来ていない。 マンションに差し掛かると長門が口を開いた。 「お茶、飲む?」 「さすがにちょっと疲れたから、今日は帰るわ。それに俺を待たせてるし」 何言ってんだろ俺、みたいな気がしたが長門には通じたようだ。 「……そう」 「じゃあ、またな」俺は元気なく手を振った。 長門はいつまでも俺を見ていた。 振り返るたびに小さくなっていく長門に向かって俺は、大丈夫だ、明日も会えるから、と手を振った。 --- [END] [MojieName=宝くじの記憶抹消(没] 未公開シーン キョンの出現した時系列が未来でなくなったので没になったネタ 長門が俺の後ろからズボンのベルトを引っ張った。だから用があるときは袖を引いてくれと。 「あなたの記憶からある情報を消したい」 「何の情報だ?」 「サッカーくじの当選番号」 チッ、知ってやがったのか。 「個人の利益のために未来で得た情報を利用することは禁止されている」 「一度くらい大目に見てくれよ。SOS団の活動資金にしたいんだよ」 「だめ。例外は許されない」 しょうがねえな。まあ金に有り余ってるとハルヒがろくな使い道を考えつかないとも限らんしな。 「記憶を消すってどうやるんだ。まさか脳を手術したりしないだろうな」 「こう……」 長門は両手で俺の頭を抱えて「少しかがんで」と言った。俺は言われるままに頭を長門の顔に近づけた。 長門の暖かい唇を額に感じた。 レーザー照射かなんかやるのかと思った。 ええと……何を忘れたんだ俺。 [END] [MojieName=本の記憶抹消] 記憶の改竄 キョンが時系列で未来へ出現しなかった場合のエピソード --- 107 わずか数日留守にしただけだったが、翌朝の俺はずいぶん懐かしい気持ちで学校へ行った。 ハルヒも、クラスメイト全員も、なにも変わっていなかった。 「懐かしいな、谷口」 「なに言ってんだお前、昨日いたじゃねえか」谷口が怪訝な顔をしていた。 昨日か、そんな遠い未来のことは知らん。 「キョン、おっはよ」さらに懐かしい声がした。 「お、おう」 俺はハルヒの顔をまじまじと見つめた。 「な、なによ。あたしの顔になんかついてるの?」 「いや、なんでもない」 やっぱりこいつがいないと俺の生活ははじまらない。 俺の居場所は架空なんかじゃない、嫌になるほどリアルなSOS団が存在する、こっちの世界だ。 俺は壁にかかっているカレンダーを見た。 長門がこっちの世界から消えて七日間、俺がこっちを出て四日間、俺の主観時間と一致する。 昨夜、古泉に電話して未来の俺を呼び出してもらい、古泉の家に引き取ってもらった。 未来の朝比奈さんとはまだコンタクトできないらしい。 ということは俺は古泉の家に数日泊まることになるわけか。 あいつの哲学やら能書きやらに何日も付き合うはめになるのかと思うと、今から気持ちが萎える。 耐え切れなくなったら長門のマンションにでも泊めてもらうとするか。 --- 108 放課後、ひさしぶりの部活である。 俺の学業生活は放課後がメインなんじゃないかと思うくらい、この時間が来ると気分が開放的になる。 「あたし掃除当番だから。先行ってて」 我が団長様は教室の掃除か。ご苦労さま。 俺がいない間も、たぶんなにも変わらない日常が続いていたんだろうな。 こんな平穏な毎日が続けばいい、そう思う。 文芸部部室のドアノブに手をかけたところで、誰かが俺のベルトを引っ張る。 「……話がある」 長門、用があるときは袖を引いてくれと。それから、突然現れるのは心臓に悪いから。 「で、話ってなんだ?」 「情報統合思念体が、向こうの世界に関する記憶を消したほうがいいと言っている。  平行世界との論理的逆説を招きかねない」 「そうなのか……俺はできれば忘れたくないんだが」 あのとき、谷川氏が別れ際に見せた笑顔が忘れられない。 「俺の記憶が消えてもお前は覚えているのか」 「わたしの記憶からも消去される。以降、あの本と谷川流に関する情報は禁則事項となる」 「それはなんだか寂しいよな」 「情報統合思念体のアーカイブには保管される。必要なときに封印が解かれる」 「長門を見つけ出したときの、あの瞬間は忘れたくないんだが」 長門はちょっとだけ考えて、 「希望するなら、そのままでもかまわない。でも、言葉にしようとすると抑制がかかる」と言った。 「分かった。未来人の禁則事項と同じだな」 --- 109 「古泉一樹と朝比奈みくるの記憶は消去する」 「しょうがない。やってくれ」 「……あなたは外にいて」長門はドアを開けて中に入った。 「な、長門さんなにするんですかぁ!?」 「長門さん、それはあまりに大胆すぎます!うわああ」 部屋の中から、椅子がひっくり返る音、それからキャーともギャーともつかない叫び声が上がった。 な、中で何が起こってるんだ? ハラハラドキドキして楽しんでいると、しんと静まり返った。 おもむろにドアが開いて、いつもより涼しい顔をした長門が出てきた。「……終わった」 「あなたの番」 「き、禁則事項ってどうやるんだ?」まさか脳を切開して取り出したりしねーだろうな。 「……こう」 長門は両手で俺の頭を抱えて「少しかがんで」と言った。俺は言われるままに頭を長門の顔に近づけた。 やわらかく暖かい唇を額に感じた。 ── あなたの中にわたしの記憶があれば、それでいい。 長門、その言葉、忘れないよ。 --- [END] [MojieName=長門の帰還01] 長門の帰還 エピローグ --- 110 「もう!有希ったら一週間もどこ行ってたのよ!心配したじゃないの」 ハルヒが珍しく半ベソをかいている。長門の首に巻きついて離れない。 「エルサルバドルの両親に会いに行った。進路のことで」 「だったら連絡くらいしていってよね。だいたいエルサルバドルてどこよ」 「ラテンアメリカですね」聞かれもしないのに古泉が答えた。 「エルサルバドル、中米の小国家。人口約六五八万人。  面積は約二万一千平方キロメートル。国内総生産は百六十六億ドル」 長門、それは詳しすぎて逆にあやしい。 しかしホンジュラスとかエルサルバドルとか、アンドロイドはなんでラテン系が好きなんだ。 「おかえりなさい。無事でよかった」 ドアが開いて喜緑さんが登場した。 長門は喜緑さんと特殊な方法で会話でもしているのか、数秒見つめあった。 「キョンくん、おつかれさま」喜緑さんが笑顔で言った。 「いえいえ、いろいろとありがとうございました」 アンドロイドにもこういう、喜緑さんみたいな感情豊かで優しいタイプがいるんだよな。 「これ」長門がハルヒに向かって、なにやら袋を差し出した。 「あたしにお土産?」 「……そう」 袋の口を開けるとコーヒー豆の缶が出てきた。 「へー。コーヒーの産地だったんだ」ハルヒが嬉しそうに言う。 長門がチラリと俺を見た。これしか手に入らなかったからしょうがないんだ、とでも言いたげな目で。 「どこかでコーヒーメーカーを手配しないとね、みくるちゃん」 「あ、ハイハイ。明日、ドリッパーとマグカップを持ってきますね」 朝比奈さんメニューにコーヒーが追加されましたか。待ち遠しいです。 --- [END] [MojieName=長門の帰還02] --- 111 その後のことを、少しだけ話そう。 長門だが、あいつはふだんと変わりない、いつもの長門に戻ったようだ。 今回のことで、あいつと俺の間に、見えない親密ななにかができたように思う。 「なあ長門、いつかふたりでどこか行かないか」 「……また、図書館に」 「そうか。ほかに好きなところへ行ってもいいんだぞ」 「……図書館」 長門にはそれ以外ないようだ。まあ帰りに映画にでも連れてってやろう。 「ハルヒには内緒でな」 「分かった」 長門はひとことだけうなずいて、また本の世界に戻っていった。 俺の財布には今も、存在しないはずの西宮市立図書館のカードが入っている。 いつか、この禁則が解けたら、長門にも話してやろうと思う。 そう、とりあえずは俺たちを生み出した、谷川氏のこと。 ── また会おう。作中でね。 もう一生、出会うことはないだろう。少なくともこちらの世界からは。 谷川さん、しばらくはハルヒをおとなしくさせてくれたら助かります。 俺は上でもなく東でもなく、どっちか分からないあっちの世界に向かって祈った。 しかしこれもまた、谷川氏も含めた今回の出来事が、 別の世界の誰かの頭の中に存在する物語である可能性を、俺は否定できないでいるのだ。 END --- [END] [MojieName=エピローグ(没] 記憶の改竄内容が変わったので没になったエピローグ 「情報統合思念体が、谷口流に関する記憶も消したほうがいいと言っている。論理的逆説を招きかねない」 「ちょっと待ってくれ。できればそれは取っておきたいんだが」 卵が先かニワトリが先かっていう問題だろう。 だがそれを消してしまったら俺が苦労して長門を探し出した記憶が曖昧になる。 長門を見つけ出したあの瞬間を、俺は忘れたくない。 「……わたしもそう思う。そう伝える」 「また会おう。作中でね」 あのとき、谷川氏が別れ際に見せた笑顔が忘れられない。もう一生会うことはないだろう。少なくともこちらからは。 しかしこれもまた、谷川氏も含めた一連の現象が、また別の世界の誰かの頭の中に存在する世界であるかもしれないということを、 俺は否定できないでいる。 [END] [MojieName=あとがき] あとがき 子供のころ不思議な夢を見た 見慣れた風景なのに知ってる人間がまったくいない 団地の建物やら町の景観はまったく同じなのに そこは自分の住んでた世界ではないと直感した そのとき孤独感と疎外感、それから寂寥感に襲われた 団地の風景がやけに明るく見えたのを今でも覚えている 消失を読んでそのときのことを思い出した 読んでくれてありがとう --- 谷川流の憂鬱: 「二人とも行ってしまったなぁ……」 グランドに広がる炎の絵文字をぼんやりと眺めながら僕は、ここ数日の出来事を思い返していた。 思えば、あのときはびっくりしたよなぁ。 コスプレどころじゃない、キョン成りきりなんてとんでもないアニヲタだと思ったが 実は本人だったなんてなあ。 これからはもっとまともな話の展開を考えてやろう。いや、それじゃ面白くないか。 そうだな……煮て食うも焼いて食うも僕次第か。僕はニヤリと笑った。 もう実際に会うことはないんだろうな。もっと向こうの世界の話を聞いておけばよかった。 それにしても長門有希があんなに美人だったとは。 やっぱり僕の思い入れが他のキャラクタとは違うからかもしれない。 もしハルヒが来たら、やおら胸ぐらを掴んで「ちょっと谷川!もっとあたしを活躍させなさい、  誰が主人公だと思ってんの!?」とでも言うかもしれない。 そうだ、今度、平野綾さんにやってもらおう。 「さて、帰って次号の原稿でも書くか」 さっさと帰らないと警察と消防が来そうだ。明後日くらいの新聞の地方欄には載るかな。 そのとき、闇の向こうから大声がした。「谷川さん!谷川さん!俺です」 見るとグランドの端からキョン君が走ってくる。「谷川さん!また戻ってきました」 「キョン君!そんなバカな!たった今もとの世界に帰したばかりなのに!」 僕はその場で卒倒したらしく、そこからの記憶は曖昧だ。                                To be continued... [END] [MojieName=NG集] 「……関西弁を習得した」 ほう、やってみせて。 「こん銀河を統括しとる情報統合生命体に作られた、  対有機生命体コンタクト用……ああっもう長ったらしいわ!  宇宙人製アンドロイド、それがウチ。  涼宮ハルヒは自律進化の可能性を秘めとる。  ウチが思うに、あの女にはオノレの都合のええように  周囲の環境情報を操作する力があるんよ。  それがウチがここにおる理由、アンタがここにおる理由」 「なに言うとるんや。んなケッタイなことあるかい」 思わず突っ込んでしまった。 --- 「この世界にひとつ、謎がある……」長門はふとなにかを思い出したように箸を止めた。 「なんだ?」 「わたしが誰かの配偶者だという情報を多く見かけた」 「そうなのか」 「“長門は俺の嫁”って、何」 「なんだそりゃ」 「コンピュータネットワーク上でよく見かける」 「さあ、なんだろう。初耳だが。だとするとお前の旦那は大勢いるってことだな」 「……全力で断る」長門は無言のまま複雑な カット!なんかセリフ違うくない? 「……今のは、電気的ノイズ」長門が赤面。 --- 「キョ……」 長門だ。やっと見つけたのだ。 俺はなにも言わず、長門もなにも言わなかった。下げていた買い物袋を床に落とし、ゆっくりとこちらに歩いてきた。 なにかを言いたげな複雑な表情をして、俺の背中に細い腕をまわし、そして胸に顔をうずめた。 いつもの長門らしくない衝動に、俺は少しだけ動揺した。胸に暖かく濡れたものを感じた。 長門の髪に、綿を連ねるようにゆっくりと雪の切片が舞い降りた。 「長門……泣いてるのか」 「……」長門は顔をすりつけたまま動かなかった。  ズ ズ ズ ッ カット!今の音なに!? 「……はなびじゅ」 「おーい誰かティッシュ」キョンが苦笑い。 --- 目をつぶること三十分。 あれほど眠かったはずが待てど暮らせど眠れない。頭の後ろに長門の視線を感じる。 朝比奈さんが長門のマンションに泊まったとき、 寝てるときに長門に見られてる感じがして落ち着かない、と言っていたのを思い出した。 「長門よ」 「……」 「おい、長門」 「……」 「長門、起きろ」 「zzzz」 カットwww --- [END]